6月に入ってから嫌というほど梅の記事を書いてきましたが、私はものすごく梅干しが好きです。
なぜ梅干し好きになったかというと、保育園の給食で出た梅干しが美味しかったらしいんですね。
そこからおにぎりは必ず梅とリクエストするほど好きでした。
そして我が家では「梅」と「塩」で漬けた梅干ししか食べませんでした。
むかし父方の実家(東京の元農家)で塩だけで漬けた梅干しを作っており、そのなごりだったようです。
初めて食べた自家製の梅干し
小3くらいの時に、おばあちゃんが
「ひいおばあちゃんが漬けた梅干し食べてみる?」
と言って納屋にある梅干しを取ってきてくれたんです。
それが初めて食べた自家製梅干しでした。
梅干しの容器には10年前の日付が書かれていて
自分の生まれた年より前のものがまだ食べられることにびっくりでしたね。
塩の結晶が付いた、固い梅干しでした。
庭の青い梅を使っているせいか、かなり独特な味です。
(でもなぜか美味しい)
それからというもの、梅干しを納屋から取ってきてはおにぎりにしてもらったり、そのままおやつとして食べたり。
亡くなったひいおばあちゃんが梅を漬けてる姿は見たことがありませんでしたが、
ひいおばあちゃんの漬けた梅干しはそこから5年くらいは食べていたと思います。
貧しかったから自分で梅干しを作る時代
「農家ってなんでも自分で育てて作ってすごいよね」
って父に言ったら
「昔の農家は貧乏だから、なんでも自分で作らないと生活できなかったんだよ。作りたいというより買えないから作るしかないって感じだな」
と言っていました。
たしかに、庭には梅・柿・栗・ざくろと食べられる実がなる木ばかり。
醤油、味噌も作っていたそうです。
豆腐も何キロか離れた集落に作り方を教わりに行っていたらしいです。
(当時は車がないので徒歩で同じ村の男の人何人かで一緒に教わりに行っていたらしい)
いまでこそ「ていねいな暮らし」的な立ち位置の保存食作りも、
たった数十年前は「貧しい暮らし」のなかのものだったとその時知りました。
ひいおばあちゃんの代で途絶えた梅干し
農家をやめたことをきっかけに、梅干し作りはひいおばあちゃんの代で途絶えました。
農業も台所仕事も「見て覚えろ」の世界だったようで、どんなやり方で漬けていたのかメモも残っていません。
いざ自分が梅干しを作るようになると、
庭の梅はどうやって取っていたんだろう
どのくらい追熟していたんだろう
何㎏くらい漬けてたんだろう
どのくらいの傷までなら漬けていたんだろう
塩の量はどうやって量っていたんだろう
残った梅酢は何に使っていたんだろう
と疑問がたくさん出てきます。
ネットで調べればいくらでも作り方は出てくるけど、当時ひいおばあちゃんが漬けていたオリジナルレシピにはもうどうやってもたどりつけないんですよね。
(今もその梅の木は残っていますが、おじいちゃんが梅干しを見よう見まねで作っても美味しくならなかったらしいです)
そうやって消えていった「自家製」が日本中にあるんだと思います。
人が亡くなって1つのやり方が途絶えてしまうシビアさを感じながら、
あの梅干しは美味しかったな~と、梅干しを仕込みながら毎年思い出します。
なんでこれを書こうかと思ったかというと、
保存食作りしてる人がいたら、ちゃんとメモに残したほうがいいと伝えたかったからです。笑
今もし自分以外の家族が興味を持ってなくても、いつか私のように知りたいと思うこともあるかもしれません。
個人のやり方ってその他大勢の人の役に立たなくても、その味を知ってる人にとっては価値があると思うんですよね。
だから、みんなちゃんと残してほしいな~と
勝手に思ったので書きました。
私も一応梅干し作りは6年目に入り、だんだん自分なりのやり方ができてきました。
ぼちぼち梅仕事ノートでも作って書こうかな~と思っています。
それではまた🙋