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きっとそれでいい。

身体が疲れているとき、休息を取ることで疲労回復を図る。

しかし、その疲れが休んでも取れないものであったなら。

疲労には肉体的疲労と精神的疲労がある。

精神的疲労は

「うまくいっていない」
「充実していない」
「納得していない」

きっとそんなところからやってくる。

従って、精神的疲労には休息よりも自身を振り返り理解する必要がある。

そして、どうしたら「うまくいくのか」「充実するのか」「自身が納得できるのか」これを考える。

すると答えは自ずと見えてくる。

休息の前に、とことんやることだ。

そうしなければ前向きな解決はない。

それに気がついたとき、妙に心がスッとした。

精神的に充実しているときは身体的にも充実する。

疲れていても、うまくいっているときにはその疲れにむしろ心地よささえ感じることがあるのがそうだ。

とにかく納得いくまでやればいい。

きっとそれでいい。

変化を見る。

少し前に、先輩からかけていただいた言葉がある。

「今、セラピストとして大切なことは変化をたくさん見ること。それは、理学療法士として、自分の仕事はこれだけのことができるという可能性を知ること。先輩の治療を見ることもそうであるし、自分の治療の中で患者の変化を見ることが大事だ。」

頭ではわかっているつもりでも、実際行うのは難しい。

理学療法の中に、患者の存在を忘れてはならない。

繰り返し心に留めて臨床へ臨む。

切っても切り離せない過去がある。

先日に引き続き、三つ。
「理学療法士とは何か。それを考えたことがあるか。」
山嵜先生はそう質問された。
新人や学生に聞いても具体的な答えは返ってこないと。

そのとき、ちょうど僕の考えていたこと。

回復期の理学療法士について、「患者さんの今までとは全く違う新しい人生のスタートを共に歩んでいく仕事」だと考えていた。
しかし、もっと奥の深いものだと思った。
ある患者さんの涙を見てからだ。

疾患に対する不安がある中、家族での、そして職場での立場と責任がある。
弱さは見せられない。
心配は、迷惑はかけられない。
だからこそいつも気丈に振舞っている。
強さゆえの弱さを目の当たりにした。

新たな人生といっても、切っても切り離せない過去がある。
その過去を自分はどれだけ理解してこられただろう。

自分の人生を受容し、意欲的にリハビリに取り組むことができる。
ご家族が献身的に見舞いに来てくれる。
元の職場に復職が可能である。
これらは紛れもないその人の今までの人生がもたらした結果。
疾患により今後の人生に影響があることは当然考慮しなくてはならないが。

その人の過去を含めたこれからの人生の一部分を共に歩む。
より良い未来のために。

理学療法士の仕事を今はこう考えている。
しかし、これは患者さんとの関わりの中で変化していくものだと思う。
そして、理学療法士である限り永遠のテーマであるとも思う。

学びへの動機

先日に引き続き、二つ。

山嵜先生はおっしゃった。

「我々の業務は人体の運動機能という未知なる分野を対象とする故、創造的な仕事であり理学療法士が己の人生を賭ける価値のある仕事だと私は考える」

自分の仕事の価値を認識し、誇りを持つこと。

それが自分に対する、また、患者に対する責任感となり、学びの動機となるのだと思う。

学びがなければ未知は既知とはならず、成果は生まれない。

自分の仕事について、そしてその価値について改めて考えようと思う。

飽くなき探究心

先日開催された大学での勉強会。

山嵜勉先生をお招きして講義をしていただいた。

その中で、いくつか考えさせていただいたことがある。

一つ。

説明の資料に対し、「これは今年の2月に思いついたことなんですよ」と。

理学療法を語る表情は楽しさに溢れていた。

まるで無邪気な子供のように。

疑問に思ったことはそのままにしておけない。

70歳を超えてなお挑戦し続ける、飽くなき探究心。

その学びの根底には、きっと強い興味・関心があるのだろう。

理学療法が大好きなのだ。

そこでまずは、自分の興味のある講習会への参加を決めた。

眼前の物事だけに精一杯にならず、興味から学びを広げたい。