真面目と不真面目③
あいつの話は面白いけど中身がない。
あの人の話はすごいけど眠くなる。
話をする説得力は経験。
それを伝えられるかは表現とユーモア。
どちらが欠けてもいい話はできない。
だからこそ、たくさんふざけて、その分真面目にやろうと思う。
学生でも、社会人でも、不真面目で怒られている人がいる。
けれど、それは怒られてある意味当然なんだろうな。
学生であれば、学生の本分である学業を、社会人であれば社会人の本分である仕事を責任を持ってやらないと。
僕は高校時代の成績は決して悪くはなかった。だから、授業中に早弁しても、週の大半を友達の家でサッカーゲームしてオールしてても誰からもほとんど何も言われなかった。
その分必死に勉強はしたから。
やることやらないで認めてもらおうなんてのは本当はお門違い。
認められ、自由にやりたいなら真面目にやることだ。
「おふざけ=ユーモア=人生の幅」
「たくさんふざけて、その分真面目にやろう」
そういう自論の展開でした。
あの人の話はすごいけど眠くなる。
話をする説得力は経験。
それを伝えられるかは表現とユーモア。
どちらが欠けてもいい話はできない。
だからこそ、たくさんふざけて、その分真面目にやろうと思う。
学生でも、社会人でも、不真面目で怒られている人がいる。
けれど、それは怒られてある意味当然なんだろうな。
学生であれば、学生の本分である学業を、社会人であれば社会人の本分である仕事を責任を持ってやらないと。
僕は高校時代の成績は決して悪くはなかった。だから、授業中に早弁しても、週の大半を友達の家でサッカーゲームしてオールしてても誰からもほとんど何も言われなかった。
その分必死に勉強はしたから。
やることやらないで認めてもらおうなんてのは本当はお門違い。
認められ、自由にやりたいなら真面目にやることだ。
「おふざけ=ユーモア=人生の幅」
「たくさんふざけて、その分真面目にやろう」
そういう自論の展開でした。
真面目と不真面目②
人生真面目なことも積み重ねているが、不真面目も積み重ねていいと思う。
語る物語が増える。
味のある人生を生きたい。
しかし、ふざけてるだけでは高田純次を除いては話にならない。
おふざけと真面目は表裏一体。
おふざけは真面目がないと話にならない。
真面目もおふざけがないと話にならない。
と言ったら流石に過言だろうが。
ふざけてばかりでは怒られちゃうもんね。
真面目ばかりでは疎まれる。
僕だって、仕事は真摯に取り組むし、勉強だって真面目にする。
あいつはふざけてる、でも、やることやってるからね。
それくらいがいいね。
語る物語が増える。
味のある人生を生きたい。
しかし、ふざけてるだけでは高田純次を除いては話にならない。
おふざけと真面目は表裏一体。
おふざけは真面目がないと話にならない。
真面目もおふざけがないと話にならない。
と言ったら流石に過言だろうが。
ふざけてばかりでは怒られちゃうもんね。
真面目ばかりでは疎まれる。
僕だって、仕事は真摯に取り組むし、勉強だって真面目にする。
あいつはふざけてる、でも、やることやってるからね。
それくらいがいいね。
真面目と不真面目①
最近くだらないこと、バカだなぁと思うことをやっただろうか。
高校3年になる卒業生が地元鶴瀬からディズニーランドまで歩いていくという偉業(バカ)を成し遂げた。
その時間約10時間。
電車で行けば10分の1ですむ。
はっきり言えば時間の無駄。
もったいない。
その時間があれば何ができるだろうか。
大抵のことができるはず。
しかし、それ以上の経験はきっとできないだろうな、と思う。
Twitterでそれをやると聞いたとき、すごくいいなぁ、と思った。
漲るパワー、それを若さというのか。
こういうことを自由にできるのは学生の特権。
金はないけど時間がある。
僕もしばらくフリーターやっていたから、くだらないことはたくさんやった。
某局のオールスター感謝祭がテレビでやってる時、赤坂マラソンを一緒にやった。家の中で。弟と家中グルグル回る。姉が給水係。途中弟転倒。タンスに小指ぶつけて骨折。
クラスに一人はいる一年中半袖半ズボンの生徒。それを小学3年で経験。僕の場合さらに上を行くノースリーブだった。ストーブのついていない真冬の教室。震えながら授業に参加した。隣の席の女の子に「寒いなら着れば?」と言われても意地でも着なかったのを覚えている。しかも、我が家には風邪をひかないと長ズボンが履けないという謎の習慣があった。今度その理由を聞こうと思っている。
それは中学生になっても実施された。ジャージの上を着てはいけない。軍手はしてもいい。部活の大会で、雪の中半袖。やってたメンバー全員休みで自分一人半袖。心が折れそうになった。その日は半袖で乗り切り、次の日くらいにやめた気がする。
拷問という遊びが流行った。じゃんけんで負けた人が水道に寝る。顔面に水を延々とぶっかけるというシンプルな遊び。聞き出したいことなど何もない。夏場から始めたが、意外に冬場まで流行り、極寒の中上半身水浸し。風邪はひかなかった。
白熱した百人一首で骨折。
酔った友達と写真を撮ることになり、シラフの自分は息を止めて顔を赤くしようとした。そのまま気絶。怒ったことのない友達に怒られた。
500段ある浦山ダムの階段で仲間が見えないのにグリコ。ゴールまで2時間の死闘。
逆立ちで階段3段を昇るだけのレース。こちらは何と3時間。
僕にとってはこれら全てかけがえのない時間。
どこかの社長さんも、大食い対決挑んで、外に出たまま帰ってこなかったり、階段降り競争挑んできて落ちて骨折したりしてる。
魅力的な人だ。
こういうバカなこと、くだらないことがユーモアを生む。
真面目にばかり生きていても身につかないもの。
いわゆる人生の幅。
こういうことをどれだけやってきたか。
それでその人の面白さは大分変わる。
人生における魅力の一つだと僕は思う。
高校3年になる卒業生が地元鶴瀬からディズニーランドまで歩いていくという偉業(バカ)を成し遂げた。
その時間約10時間。
電車で行けば10分の1ですむ。
はっきり言えば時間の無駄。
もったいない。
その時間があれば何ができるだろうか。
大抵のことができるはず。
しかし、それ以上の経験はきっとできないだろうな、と思う。
Twitterでそれをやると聞いたとき、すごくいいなぁ、と思った。
漲るパワー、それを若さというのか。
こういうことを自由にできるのは学生の特権。
金はないけど時間がある。
僕もしばらくフリーターやっていたから、くだらないことはたくさんやった。
某局のオールスター感謝祭がテレビでやってる時、赤坂マラソンを一緒にやった。家の中で。弟と家中グルグル回る。姉が給水係。途中弟転倒。タンスに小指ぶつけて骨折。
クラスに一人はいる一年中半袖半ズボンの生徒。それを小学3年で経験。僕の場合さらに上を行くノースリーブだった。ストーブのついていない真冬の教室。震えながら授業に参加した。隣の席の女の子に「寒いなら着れば?」と言われても意地でも着なかったのを覚えている。しかも、我が家には風邪をひかないと長ズボンが履けないという謎の習慣があった。今度その理由を聞こうと思っている。
それは中学生になっても実施された。ジャージの上を着てはいけない。軍手はしてもいい。部活の大会で、雪の中半袖。やってたメンバー全員休みで自分一人半袖。心が折れそうになった。その日は半袖で乗り切り、次の日くらいにやめた気がする。
拷問という遊びが流行った。じゃんけんで負けた人が水道に寝る。顔面に水を延々とぶっかけるというシンプルな遊び。聞き出したいことなど何もない。夏場から始めたが、意外に冬場まで流行り、極寒の中上半身水浸し。風邪はひかなかった。
白熱した百人一首で骨折。
酔った友達と写真を撮ることになり、シラフの自分は息を止めて顔を赤くしようとした。そのまま気絶。怒ったことのない友達に怒られた。
500段ある浦山ダムの階段で仲間が見えないのにグリコ。ゴールまで2時間の死闘。
逆立ちで階段3段を昇るだけのレース。こちらは何と3時間。
僕にとってはこれら全てかけがえのない時間。
どこかの社長さんも、大食い対決挑んで、外に出たまま帰ってこなかったり、階段降り競争挑んできて落ちて骨折したりしてる。
魅力的な人だ。
こういうバカなこと、くだらないことがユーモアを生む。
真面目にばかり生きていても身につかないもの。
いわゆる人生の幅。
こういうことをどれだけやってきたか。
それでその人の面白さは大分変わる。
人生における魅力の一つだと僕は思う。
患者の視点に立つ
「リハビリの結果と責任―絶望につぐ絶望、そして再生へー池ノ上 寛太」
患者の視点に立つこと。
それは医療従事者として基本的な立場であると思います。
しかし、果たしてどれだけの医療従事者がそれをできているのでしょうか。
この本を読んで、それを問われたような気がしました。
理学療法士として2年目を迎えました。
気持ちを新たにという意味で、いい時期に出会えたと思います。
この本を読んで考えたことを綴っておこうと思います。
今のため、そして、今後のために。
突然の発症、現状が理解できぬまま日々は過ぎる。
未知には不安がつきもので、それが自分の人生であれば尚更。
過去と未来のギャップの中にある現在に存在する不安と絶望。
その中での障害受容。
目を覚ましたら身体が動かなかったら。
気づかぬ中で高次脳機能障害になってしまったら。
果たして自分にはそれができるのだろうか。
わからない。
何せ自分にはその経験がない。
では、その現実を突きつけられた患者を前に、セラピストとして何ができるだろうか。
患者は病名も、自分の身体のことも、今後の未来もわからない。
何が知りたいのか、セラピストは何を伝えればいいのか。
我々は身体状況を最も理解し、今後を考えている専門家であるはず。
然るべき情報提供と然るべき問題解決のためのリハビリテーションを提供しなくてはならない。
相手の気持ちを察しながら。
専門性を第一にしながら、人間性は忘れてはならない。
不安を少しでも軽減し、前向きに人生を受け止められるように。
それが医療従事者としての責任。
先輩にこんなことを言われたことがある。
「患者さんが自分の親だと思ったら、今と同じ介入をするか?」
そのときに胸を張ってYesと言える。
常にそうでなくてはならない。
そんな情熱を持って接しなくてはならない。
プロフェッショナルとして、そして一人の人間として。
それが自分なりの「患者の視点に立つ」という立場であると今は思う。
「最後までお気遣いありがとうございました。ここまで歩けるようになったのも先生のおかげです。あなた方からしたら仕事の一部なのかもしれません。しかし、私にとってはこれは人生なのです。これからも多くの人の人生の大切な手助けをしてください。」
昨日最後の介入を終えた患者さんの言葉。
人生を背負っている。
これからの人生に対する前向きな姿勢と生きがい。退院のときにはそれを最高のプレゼントとしてお渡ししたい。
おこがましいかもしれないけれど、できる限りを尽くしたい。
患者の視点に立つこと。
それは医療従事者として基本的な立場であると思います。
しかし、果たしてどれだけの医療従事者がそれをできているのでしょうか。
この本を読んで、それを問われたような気がしました。
理学療法士として2年目を迎えました。
気持ちを新たにという意味で、いい時期に出会えたと思います。
この本を読んで考えたことを綴っておこうと思います。
今のため、そして、今後のために。
突然の発症、現状が理解できぬまま日々は過ぎる。
未知には不安がつきもので、それが自分の人生であれば尚更。
過去と未来のギャップの中にある現在に存在する不安と絶望。
その中での障害受容。
目を覚ましたら身体が動かなかったら。
気づかぬ中で高次脳機能障害になってしまったら。
果たして自分にはそれができるのだろうか。
わからない。
何せ自分にはその経験がない。
では、その現実を突きつけられた患者を前に、セラピストとして何ができるだろうか。
患者は病名も、自分の身体のことも、今後の未来もわからない。
何が知りたいのか、セラピストは何を伝えればいいのか。
我々は身体状況を最も理解し、今後を考えている専門家であるはず。
然るべき情報提供と然るべき問題解決のためのリハビリテーションを提供しなくてはならない。
相手の気持ちを察しながら。
専門性を第一にしながら、人間性は忘れてはならない。
不安を少しでも軽減し、前向きに人生を受け止められるように。
それが医療従事者としての責任。
先輩にこんなことを言われたことがある。
「患者さんが自分の親だと思ったら、今と同じ介入をするか?」
そのときに胸を張ってYesと言える。
常にそうでなくてはならない。
そんな情熱を持って接しなくてはならない。
プロフェッショナルとして、そして一人の人間として。
それが自分なりの「患者の視点に立つ」という立場であると今は思う。
「最後までお気遣いありがとうございました。ここまで歩けるようになったのも先生のおかげです。あなた方からしたら仕事の一部なのかもしれません。しかし、私にとってはこれは人生なのです。これからも多くの人の人生の大切な手助けをしてください。」
昨日最後の介入を終えた患者さんの言葉。
人生を背負っている。
これからの人生に対する前向きな姿勢と生きがい。退院のときにはそれを最高のプレゼントとしてお渡ししたい。
おこがましいかもしれないけれど、できる限りを尽くしたい。
新しい繋がりに感謝。
未知が既知になるという体験には様々な感情がつきまとう。
本日のそれは「面白い」であった。
各分野で学んでいる者が集まり、それぞれが発信した。
未だ道は途中。
だから未熟でいいし、ちっぽけな知識でいい。
それを発信し、共有することができた。
少なからず経験が蓄積され、刺激があり、きっかけが作られた。
今回の「面白い」の正体はそれであり、そのことにこそ意味がある。
今後も学びを続け、少しずつ深め、互いに補い合えればいい。
若い組織だからできることがある。
久々のプレゼンは楽しかったです。
やはり、影響は与えられるより与える方が好きなんだと思います。
改めて自分を再認識させてくれたこと、新しい繋がりに感謝します。
本日のそれは「面白い」であった。
各分野で学んでいる者が集まり、それぞれが発信した。
未だ道は途中。
だから未熟でいいし、ちっぽけな知識でいい。
それを発信し、共有することができた。
少なからず経験が蓄積され、刺激があり、きっかけが作られた。
今回の「面白い」の正体はそれであり、そのことにこそ意味がある。
今後も学びを続け、少しずつ深め、互いに補い合えればいい。
若い組織だからできることがある。
久々のプレゼンは楽しかったです。
やはり、影響は与えられるより与える方が好きなんだと思います。
改めて自分を再認識させてくれたこと、新しい繋がりに感謝します。