プロフェッショナルとして。
プロフェッショナルの仕事。
理学療法士の仕事ではどうだろう。
己の介入に対して曇りなく自分自身胸を張れること。
そして、患者や家族、関係者の心からの満足を引き出せること。
他にもあろうが、とりあえずこんな風に考える。
そして、本日の講習会でプロフェッショナルの仕事を目の当たりにした。
介助の位置、介入の順序、介入時のコマンド、歩行の進行方向まで、全て意味を持った上で運動療法を展開しろと言われている。
それからは、目的を持ち、介入の意味を意識している。
しかし、繋がりや深い意味を持たない介入もなくはない。
本日の3単位のデモンストレーションの全てに意味があった。
言葉の意味が少し理解できた。
接遇やメンタル的な部分だけではなく、患者自身が自らの身体機能を受け入れ、納得できる。
そこまでの介入をして送り出したい。
自分の手で、幸せな人生を歩んで行くサポートがしたい。
そんなことを考えた。
幸いにも素晴らしき指導者は身近にたくさんいる。
プロフェッショナルとしての仕事がしたい。
理学療法士の仕事ではどうだろう。
己の介入に対して曇りなく自分自身胸を張れること。
そして、患者や家族、関係者の心からの満足を引き出せること。
他にもあろうが、とりあえずこんな風に考える。
そして、本日の講習会でプロフェッショナルの仕事を目の当たりにした。
介助の位置、介入の順序、介入時のコマンド、歩行の進行方向まで、全て意味を持った上で運動療法を展開しろと言われている。
それからは、目的を持ち、介入の意味を意識している。
しかし、繋がりや深い意味を持たない介入もなくはない。
本日の3単位のデモンストレーションの全てに意味があった。
言葉の意味が少し理解できた。
接遇やメンタル的な部分だけではなく、患者自身が自らの身体機能を受け入れ、納得できる。
そこまでの介入をして送り出したい。
自分の手で、幸せな人生を歩んで行くサポートがしたい。
そんなことを考えた。
幸いにも素晴らしき指導者は身近にたくさんいる。
プロフェッショナルとしての仕事がしたい。
人生の年輪
誕生日をお祝いしてくださった皆様、本当にありがとうございました。
少しずつですが、その人たちと共に過ごした懐かしい日々に思いを馳せました。
自分に刻まれた素晴らしい人生の年輪です。
次の誕生日も、素敵な思い出で飾れるようこれからの日々を過ごします。
情熱を持って。
良いときも悪いときも人生に対する熱意を失ったことはない。
ーWalt Disney
少しずつですが、その人たちと共に過ごした懐かしい日々に思いを馳せました。
自分に刻まれた素晴らしい人生の年輪です。
次の誕生日も、素敵な思い出で飾れるようこれからの日々を過ごします。
情熱を持って。
良いときも悪いときも人生に対する熱意を失ったことはない。
ーWalt Disney
その人らしく生きる
回復期のリハ病院を退院され、患者さん方はその後の生活をどうされているのだろう?
そんな疑問をいつも持つ。
外来や、装具の調整、近くに来たからと顔を出してくださる方もいるが決して多いとは言えない。
「退院してからも元気に旅行に行ってます!」
「ようやく勤務時間が延びました!」
「電話もバスも乗れていますよ!」
そんな声を聞く。嬉しい瞬間。
その人らしく生きる。
それができていれば何よりだ。
本日の東京都理学療法士協会の学術大会、テーマは「その人らしく生きる」
都民公開講座での長谷川先生の講演は「脳卒中でみられる様々な症状~その人らしい対応~」
それを聞き学び、考えたことを記す。
退院後、患者さんがその人らしく生きるため、何でも自立した生活を目指すことがゴールだと考えていた。
しかし、「着替えに30分かかるより、手伝ってもらっても他のことがしたい。」そう考える方もいるようだ。
入院時の「治すー治される」という、患者の立場からの受動的な考えから、退院後これからどうしていくか、という社会の一員としての立場に転換する。
このときに「障害があってもできる体験」を提案することで、患者さんは役割を得て、責任・楽しみ・達成感を感じることができる。
そして、初めて目的ができ、自分の人生を生きることになる。
できないから援助を求めるのではなく、何を援助されたいかを自分で決めることが大切なのだそう。
つまり、主体性を主体的に獲得することがその人らしい充実した生活の定着に必要なのだそうだ。
そのための支援を医療従事者としての僕らも主体的に行っていくことが求められているのだろう。
患者さんの退院後の生活まで把握できていないのが僕の現状であり、現在の回復期のリハ病院の現状であろうと思う。
今回の講演をきっかけに地域における交流活動に参加してみようと思う。
それを知ることは患者さんの未来のために重要で、自分の疑問の解決への糸口になるかもしれない。
そして、医療従事者としての自分の価値観が大きく変わるかもしれない。
そんな体験をしてみたい。
そんな疑問をいつも持つ。
外来や、装具の調整、近くに来たからと顔を出してくださる方もいるが決して多いとは言えない。
「退院してからも元気に旅行に行ってます!」
「ようやく勤務時間が延びました!」
「電話もバスも乗れていますよ!」
そんな声を聞く。嬉しい瞬間。
その人らしく生きる。
それができていれば何よりだ。
本日の東京都理学療法士協会の学術大会、テーマは「その人らしく生きる」
都民公開講座での長谷川先生の講演は「脳卒中でみられる様々な症状~その人らしい対応~」
それを聞き学び、考えたことを記す。
退院後、患者さんがその人らしく生きるため、何でも自立した生活を目指すことがゴールだと考えていた。
しかし、「着替えに30分かかるより、手伝ってもらっても他のことがしたい。」そう考える方もいるようだ。
入院時の「治すー治される」という、患者の立場からの受動的な考えから、退院後これからどうしていくか、という社会の一員としての立場に転換する。
このときに「障害があってもできる体験」を提案することで、患者さんは役割を得て、責任・楽しみ・達成感を感じることができる。
そして、初めて目的ができ、自分の人生を生きることになる。
できないから援助を求めるのではなく、何を援助されたいかを自分で決めることが大切なのだそう。
つまり、主体性を主体的に獲得することがその人らしい充実した生活の定着に必要なのだそうだ。
そのための支援を医療従事者としての僕らも主体的に行っていくことが求められているのだろう。
患者さんの退院後の生活まで把握できていないのが僕の現状であり、現在の回復期のリハ病院の現状であろうと思う。
今回の講演をきっかけに地域における交流活動に参加してみようと思う。
それを知ることは患者さんの未来のために重要で、自分の疑問の解決への糸口になるかもしれない。
そして、医療従事者としての自分の価値観が大きく変わるかもしれない。
そんな体験をしてみたい。
リーダーシップ論
新時代のリーダーシップ論に関する雑誌を読んだ。
様々なリーダーの「リーダーシップ論」は必ずしも一致したものではなかった。
時代や相手、環境によって形を変え続ける。
今までも、そしてこれからも。
リーダーシップを発揮することとは、「環境を最も機能化させるために、より柔軟な対応ができること」なのだろうと思う。
その手段として…
信頼か、目標か、結果か、行動か、指示か、指導か、熱意か、自己研鑽か、気配りか、敬意か、対話か、秩序か、共感か、見守りか、励ましか、空間か、発想か、ルックスか、努力か…。
多様化する思考と、人間の関係性。
それに伴い手段も多様化している。
その中で価値を見出し、柔軟に対応し行動を取り、環境を機能化できる者。
そういう人がリーダーと呼ばれるに相応しいと僕は思う。
様々なリーダーの「リーダーシップ論」は必ずしも一致したものではなかった。
時代や相手、環境によって形を変え続ける。
今までも、そしてこれからも。
リーダーシップを発揮することとは、「環境を最も機能化させるために、より柔軟な対応ができること」なのだろうと思う。
その手段として…
信頼か、目標か、結果か、行動か、指示か、指導か、熱意か、自己研鑽か、気配りか、敬意か、対話か、秩序か、共感か、見守りか、励ましか、空間か、発想か、ルックスか、努力か…。
多様化する思考と、人間の関係性。
それに伴い手段も多様化している。
その中で価値を見出し、柔軟に対応し行動を取り、環境を機能化できる者。
そういう人がリーダーと呼ばれるに相応しいと僕は思う。
上級者の会話
お互いが先読みして進められる会話はいい。すごく楽でスムーズな会話だ。
では、相手が次に話すだろうことを文脈から推しはかるのに必要なことは何だろうか。
「百聞は一見にしかず」
何度も聞くよりも,自分で一度実際に見た方がよくわかる、という意味のことわざだ。
このことわざに続きがあることをこの前知った。
百聞は一見にしかず。
百見は一考にしかず。
百考は一行にしかず。
行動による体験を経て、知識と経験を積み重ねる。
これが共感のある上級者の会話に必要なものだと僕は考える。
では、相手が次に話すだろうことを文脈から推しはかるのに必要なことは何だろうか。
「百聞は一見にしかず」
何度も聞くよりも,自分で一度実際に見た方がよくわかる、という意味のことわざだ。
このことわざに続きがあることをこの前知った。
百聞は一見にしかず。
百見は一考にしかず。
百考は一行にしかず。
行動による体験を経て、知識と経験を積み重ねる。
これが共感のある上級者の会話に必要なものだと僕は考える。