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先のブログで、吹奏楽部の
お別れコンサートでの歌と、離任式での歌を聴いていただいた。
今回は、その一連の<別れのうた第3弾>となる。
ちょうど国体行事と重なり、音楽教師としても部活顧問としてもいろいろな実績を残せた時期(吹奏楽では、最初で最後のマーチングに取り組み、中部9県のアンサンブル本大会で1位と3位を同時受賞、合奏でも中部本大会金賞まで行った学年)でもあり、その活動を共にした子どもたちとの想い出はとても多い。
お別れコンサート後、3月31日のぎりぎりまでかかって、転任するための引越作業を音楽室でしていたのだが、そこに何人かの吹奏楽部員たちが手伝いに来てくれた。
そして4月、新しい赴任先で、引越用段ボールから荷物を出すと、なんと段ボールの内側に、たくさんのメッセージが書き込まれていたのである。
そのメッセージがとても詩的で感動的で、曲をつけたい衝動にかられ、荷物の整理を後回しにし、あふれ出てくるメロディを一気に曲にしてしまった。
私は言葉には言い表せないほど
たくさんのことを先生から教えてもらった
勉強も少しはあったけど
ほとんどは机の上では学べないことばかり
心の勉強をいっぱいした
先生と出会って強くなれた
音楽の違う楽しさをいっぱい知った
そして仲間の大切さも
私はブスバンがすごく好き
世界中では何万ていうバンドが活躍してるだろうけど
世界中のどんなにすごいバンドよりこのブスバンが好き
先生がお父さんで楽器がお母さん その子供が私たち
私はこの大家族の中で とてもとても幸せです
ずっとずっと笑っていたい
時には泣いてもいつも素直でいたい
何年たっても先生はこのバンドのお父さんだから
成長していく私たち見守っててね
教師になってから、小曲を創ったり、バンコクで劇中歌を作曲したことはあったが、詩を見て感動して曲を創りたいと思ったのはこの時が初で、今思い出しても新鮮な感動を思い出す。
※ このことが、これ以後、授業でマイCMソングづくりに取り組んだり、子供が生まれてからのファミリーソングを創るきっかけになったように思う。
できた曲に「ブスバンド・フォーエバー」と名付け、PCで伴奏をつけ、カセットテープに録音して、前任校吹奏楽部に贈った。そして2年後、結婚式に参列した当時の部員たちが、その曲を披露宴で歌ってくれたのである。
ここでは、僕へ宛てた歌詞を僕が歌ったバージョンを聴かせるのも変なので、披露宴で彼女(彼)らが歌ってくれたものをアップします。
※ 当時のブラスバンドはかわいい子ばかりでしたが、僕はあえて「ブスバンド」と呼んでいました。
(合わせてどうぞ。披露宴での新郎新婦の演奏です。)