果しなき流れの果に -4ページ目

果しなき流れの果に

文筆業を生業とする1970年生まれ。好き勝手ばかりしてきた20。人生について考え始めた30代。ここから先、40代は「誰かのために」をキーワードに書き続けます。弱い自分をさらけ出せる事を目標に進化前進。仕事の依頼も随時受け付けます。

本日は、友人のサッカー選手、永井秀樹氏の結婚式に行ってきました。
彼とは、もうかれこれ、15年の付き合いになります。
知り合った頃は‘超’の付くようなスター選手で、一緒に食事をしているところを
会社関係の人に見られ、いろいろといわれたこともありました。
ま、それもいまとなっては良い思い出で・・・。

本日、河原さんよりお花を贈って頂きました。

彼に代わって、御礼を申し上げたいと思います。

河原さん、ありがとうございました。

それにしても、奥さんはモデルなので、当然、出席者のモデル率は高くなるわけで……。

ほか、神田うのや薬丸くんなど、芸能人率も高い結婚式でした。

若干の気後れを感じつつ、久々に再会した仲間三人で、さきほど銀座の一風堂でラーメンを食べて戻った次第です。

猛君はもう帰ったあとでした。

会いたかったなあ~。

FIN

~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
$~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
いま自分は『河原組』みたいなのを作ろうと思っている。これから2018年に向かって、戦っていける集団を作りたい。
組織を大きく変え始めたのは、2008年1月からだね。いま、2009年が終わろうとしているけど、2年目で、大体組織も出来上がってきた。借金も大幅に減らして、売上は130億円くらいまでもっていければ、組織も熟成されてくる。そこまでたどり着くには、ここからあと2年半はかかるかな。
そして、その過程でやっていくこと、1つ1つが、成功していかなければいけない。これがまた、すごいプレッシャーでさ。
でも、それも含めて、俺はいま商売を始めて30年をオーバーする事が出来た。それはそれで、ものすごく嬉しい。まだ自分自身のしてきた事をしっかりとは整理できていないけれど、でも嬉しい。俺にはやっぱり、商売しかないよね。(2010年12月4日)
最初、この仕事を始める前は26歳、半端な若者でした。

自分のやりたい夢、見つからなかった。

自分でやりたいこと、わからなかった。

何をすれば良いのか、気付かなかった。

この30年間、
飲食業が、人との接し方、ものの見方、考え方、すべてを教えてくれました。
それは、最初の決め事があったからです。

3年間休まない。

これが30年間続いた、1番のエネルギーになったのではないかと思います。
(2009年11月26日/30周年パーティにて)
僕は、セルフプロデュースの能力は、少しはあるかもしれないけれど、戦略、戦術には欠けているというか、会社を大きくする事自体は、さほど興味はないですね。それよりも、個人の成長とか、そういうことのほうが興味はあります。(2009.7.8初のインタビューより)
オフシーズンに入ったプロサッカー選手、永井秀樹氏(FC琉球)と一緒に、恵比寿本店に行ってきました。じつは、彼、一風堂フリークなのです。注文したのは赤丸。麺の食感、クリーミーなスープともに最高でした。

~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記

さて、本日はこれから、ラーメン博物館にお邪魔してきます。

12月もまもなく2週間が過ぎました。
ペース上げて頑張らねば……。
FIN

いま発売中の週刊現代に、自分の書いた記事が載っています。
「The Target」という連載で、水谷豊さんのドキュメントです。
それと、その記事のすぐあとに、「シェフが教える家ラーメン」という記事があります。こちらは自分が携わったわけではないのですが、なかなかおもしろいので読んでみてください。

 あと、今日、録画しておいたカンブリア宮殿を見た。電子書籍についての特集だったが、村上龍氏の、「出版業界も、時代の変化に対応出来なければ、生き残ってはいけない」という言葉が、印象に残りました。
「時代の変化を、ただじっとして様子見しているだけでは、いつかほろびてしまう。目の前にひろがる荒野を開拓したほうがわくわくするし、おもしろい」と。
これは、いまのラーメン業界にも言えることではないだろうか。かつてのラーメンブームの幻影を追うのではなく、新たに、自分たちで時代を作ってく。ラーメンというコンテンツを使い、何が出来るか。新しい何かを生み出せるか。変わらないために変わり続けるとは、そういう意味ではないかと思う。
河原さんのすごいところは、ずっと昔からそう思い続け、実践し、挑戦し続けている所ではないかと思う。だからこそ、自分は書き手として魅かれたし、いま書きたいと思っている本も、そういう内容になる。変わらないために変わり続ける。あらためて、良い言葉だと思った。FIN~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
いよいよ12月ですね。早いものです。
みなさん、忙しく過ごされている事と思います、
自分は、出版に向けた取材はほぼ終了し、いまは構成を提出し、
編集者の反応を待っているところです。
これが終われば、構成の再構成。そしてもう一度河原さんと打ち合わせをし、
そしていよいよ、執筆に入ります。なので、12月、1月はほぼ缶詰状態になりそうです。
(とはいえ時々は気晴らししますぜ~)

というわけで、こちらのブログは、しばらく、いままで取材をしてきた中から印象的だった
河原さんのコトバを、掲載していこうと思います。
もちろん、時々河原さんとお会いしたり、関係各所に追加取材にお邪魔した際は、写真も掲載していきますので、時々のぞいてみてください。
今日はこんなコトバで・・・


「最初から明確な目標がある人なんていない。
目標は、何かを続けていくうちに自然と見つかるものだと僕は思っているよ」
(河原成美/2010.11/ロンドン)





「河原成美/果しなき流れの果に」は、およそ一年間の取材期間を終えて、いよいよ、執筆に入りました。もちろん、追加取材はまだ多少残っているし、これからも、折に触れて河原さんとは打ち合わせを続けていくが。でも、とりあえず、31年目のルーキーイヤーは終わりました。あまりにいろいろありすぎて、どこをどうまとめていけば良いか、いまはかなり暗中模索ですが、でも、良い作品になる、いや、しなければいけないと、期待とプレッシャー、半々ずつを抱えています。
現在は編集者と打ち合わせしつつ、全体の構成を作っています。12、1月はかなりタイトなスケジュールになりそうで不安もありますが、成せばなる、の精神で突き進みます。

「いまから3年の間に、世界に向けて一気に一風堂の名前をひろげていければ、10年先までの成長は見る事が出来る。そこから先はわからない。商売なんてものはそういうもの。だからこそいまから3年がすごく重要。このチャンスに、日本のなかでの一風堂の信頼が薄れていくような事が起きてしまう事もあり得る。でも、そんな危うさを抱えている所が、まさにそれこそが人生だよね」

ロンドンで、河原さんから言われたそんな言葉を思い出しました。

執筆で行き詰ってしまった時は、全国どこかしらの一風堂にお邪魔して気分転換しようと思っていますので、その時は店主のみなさん、よろしくお願いします。
沖縄取材の途中、担当編集者に誘われて小さな万年筆専門店にお邪魔しました。
創業1932年、商売を始めて今年で78年目という渡口万年筆店。
沖縄では結構有名なお店のようです。
古いビルの2階にある小さな店ですが、全盛期は支店もあり、また売り上げのほとんどは宣伝費に使っていたということから、沖縄では未だに店の名前を知る人は多いそうです。
店の主人の渡口彦邦さん。
お店を訪ねると、万年筆の良さについて、沖縄という土地の持つさまざまま歴史や問題などを戦時中の実体験を元に1時間以上もお話してくださいました。
お店に飾ってあった額に、素晴らしい言葉があったので写真に撮りました。
飲食業にも通じる部分があるかな、と思います。もちろん物書きも商売なので、参考にしようかと思います。


信頼は無形の資本なり

親切より美しきものはなし

真実こと凡てである

お客さまはえ(へ)心からの感謝をすると共に
真の商人たる存在を忘れぬ事

陰日なたなき不断の努力をして
のれんの誇りを尊重する事

商人は忍耐より成就す

常に朗かに働き得る物は
最上の幸福者である



参考にしていただけたら幸いです。

FIN
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
$~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記

スイングアウトシスターのライブが終わり打ち上げの終了した6時間後には、こんな景色の見える場所に移動しました。そう、いま自分は、取材で1年ぶりに沖縄に来ています。
沖縄について携帯電話をチェックすると、河原さんから電話がかかってきていました。すぐにコールバック。
「昨日は遅くまでつき合わせてごめんね~。ありがとう!」
 本来、招待していただいた自分のほうからお礼を一本入れるべきなのに、河原さんのほうから先にそういって頂いた。こうした、ちょっとした気配り、お礼の心は、河原さんといるとしょっちゅう感じる。スイングアウトシスターのライブでも、全ゲストのなかで、掛け声をかけたり率先してスタンディングしたりと、誰よりも会場を盛り上げていたのは、河原さんだった。ああ、これだ、と思った。一風堂がここまで繁盛した理由。力の源カンパニーという会社が、ここまで成長してきた最大の理由は、そんな河原さんの人間力にあるのだ、と。
 成功する上での鍵は、実は単純な事の積み重ねにある。ありがとう、という言葉を大切にする。楽しむ場所では思い切り楽しむ。そして、感謝の気持ちを忘れない。
 すべて、言ってしまえば当たり前の事である。しかし、その当たり前の事が、自分自身も含めて、なかなか続ける事は難しいのだ。当たり前の基準値を上げるとは、当たり前の事を当たり前に続けられるようになれるよう、「続ける努力をする」ということ。そう思っています。近いうち、また、河原さんの笑顔に会えるのを楽しみにして、今週末は沖縄で頑張ります。FIN