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果しなき流れの果に

文筆業を生業とする1970年生まれ。好き勝手ばかりしてきた20。人生について考え始めた30代。ここから先、40代は「誰かのために」をキーワードに書き続けます。弱い自分をさらけ出せる事を目標に進化前進。仕事の依頼も随時受け付けます。

長らくブログ更新、滞っていて申し訳ございません。
本の原稿、ようやく、初稿入稿しました。
ここ数週間、ずっと引き篭もっていましたが、昨日はひさびさに戸高ジムにて練習してきました。
二ヶ月ぶりのジムワーク、正直、準備体操だけで息が上がってしまいました。

と、思っていたら、戸高会長から思わぬ一言。

「会津さん、サウスポーですよね」

「はい…そうですが」

「サンダー(伊藤)の次の対戦相手、サウスポーなんですよ!」

「そうですか……それが何か?」

「いや、うちのジム、サウスポーのプロ選手いないので」

「はい(すでに嫌な予感)」

「会津さん、申し訳ないですけど、サンダーのマス(実際にパンチは当てないでするスパーリング)の相手、してもらえませんか」

「え!?」

 サンダー伊藤とは、一風堂恵比寿店で働く、プロボクサーにして一風堂戦士であります。

 4年前に引退しましたが、30歳にして現役復帰しました。

 そして、来月4日、後楽園ホールにて、復帰戦です。

 話を戻します。
 わたくし、二ヶ月ぶりのジムワークでございます。
 しかも、プロボクサーではありません。
 しかも、来週27日で、41歳になります。
 たしかに、昔は、空手やってました。
 ボクシングも、アマチュアのスパーリング大会に出たりはしました。
 
 でも、それは、しっかり練習していた時の話で……。

 最初、会長からからかわれているのだと思っていましたが、まじめにそう言われました。

 会長から言われて、断る理由はありません。

 サンダーさん、すでにヘッドギア装着して準備万端。

 愛くるしい瞳で僕を見つめています(悲)。


 わたくしは、会長から直々に、グローブはめられました。

 で、やりました。ただし2ラウンドのみ。もちろん、サンダーさんは、僕のか弱き体に、パンチは当てません。でも、プレッシャーは、二週間後に試合を控えた、本物の、元日本ランカーの攻撃です。結構、怖いです。

 2ラウンド終了。わたくし、完全に息上がりました。右ジャブ打ちすぎで、右肩痛いです。つりそうです。二ヶ月ぶりのジムワーク、ゆっくり、じっくり練習して、最後はウエイトやって楽しく……。
なんて思っていましたが、体調不良にて1時間で練習切り上げました。
 サンダーさんは、僕の次は若手のサウスポー相手にさらに2ラウンド。
仕上げは、ウェルター級の元プロボクサーのトレーナー相手に、2ラウンド。合計6ラウンドのマスをして、そのあとは5ラウンドのミット打ち……と延々練習していました。

 そして、着替えを終えて帰ろうとしている僕に近寄ってきて、こう言いました。

「会津さん、3月4日、応援に来てくれますよね!!」

 行かないわけには行きませんよ、なにせ、この僕と、真剣勝負をした男ですからね!(笑)


 というわけで、みなさん、3月4日は、後楽園ホールへGO!ですよ!

 
 そして、わたくしの本は、4月4日発売です!


 こちらは、書店へGO!ですよ!(とさりげなく宣伝) FIN
 



 




 





夕方、執筆の引きこもり生活の気分転換がてら、近所にある等々力アリーナで子供とサッカーをしていたら、河原さんより電話。
「いや、別に特別な用事があるわけではないんだけれどね……」
「会津君、元気でやってるかな、と思ってさ」
 はい、あまり元気ではありませんが、河原さんの言葉を聞いて、元気が出ました。
 こんな電話を、時々、頂いています。しかも、毎回、本当にタイミングの良い時に。
 執筆をしていても思うのだが、河原成美という経営者のすごさは、こうした気遣い、間の取り方、そして、言葉にある。もちろん、一風堂のラーメンは美味しい。美味しいから、繁盛店になった。しかし、決してそれだけではない。気遣い、気配り、そして、気付き。間違いなく、そんな河原イズムが浸透しているからである。
 何かやる気沸いてきました。
 河原さんも、国内外飛び回っているようだし。負けられんな。
 来週月曜日、また集英社にて打ち合わせがあります。3章あるうち、2章の部分は完成させて持っていかないといけないのです。
 かなりスケジュールタイトで、四苦八苦していますが、頑張りまっせ! FIN

 追伸
 小原さん、お気遣いコメント、ありがとうございました!
 はやいものでもう2月も今日で9日、ここ最近は執筆に専念しているため、なかなかブログの更新が出来ず、申し訳ございません。というわけで、今日は、現在の執筆状況についてご報告します。現在は、タイトルと構成はすでに固まり、流れに沿って日々コツコツと書き続けている次第です。
 流れは出来ているので、内容自体について悩む事はないのだが、いかんせん、書き下ろしの原稿は量が半端ないので、時間がかかります。書いては直しを繰り返すので、まさに、冬山登山のように、わずか1メートル上るのに四苦八苦を繰り返さなければならない。これが自分の仕事であるし、好きでやっているので、辛くはないのだが、まあ正直、大変です(笑)そういえば、もう3ヶ月近く、ジムにも行ってないな。この間、駅の階段をダッシュしたら、ひざがガクガクしました。体力はすっかり衰えました。
 なんていろいろ書きましたが、きつくも楽しくやってます。材料はふんだんにあるので、それをいかに精査し、シンプルさと内容の濃さを両立させるかに集中できるだけ、贅沢な悩みかな、と。
 発売は4月4日予定。タイトルはまだ秘密ですが、なかなかだと思います。
 現在、午前3時。今夜(まもなく朝ですが)も、もう少し頑張りまっせ。 FIN
既存の組織には、 僕は、興味がない。大人が嫌い、馬鹿みたい。
もっと自由にやれば良いのに、「これ以上やったら上司に」とか。「ほんとかよ、お前」って言いたくなる。「したことがあるのか」って。
みんな自分で勝手に決めているね。裸の王様みたいなもんだよ、みんな。自分の世界を、都合よく作って。
俺も、勝手に自分の世界を作っている部分はある。でもなるべく、その範囲は、ひろいほうが良いな、と思う。あいまい、あいまいなほうが良いと、僕は思う。
かちっとした組織で運営する人もいるけどね。(2010.7.31インタビューより)
役員室の扉が開いて、日清食品の創業者、安藤百福王と向き合った時は、さすがに震えた。
当時、百福王は、視力の衰えていてサングラスをかけていたけど、黒いレンズの奥の瞳は、こちらをじっと睨んでいるのはよくわかった。
ここでひるんだり、弱気になっては駄目だと思った。
浪花節になるけれど、「5坪のレストランバーからやってきた男が、いま、ここにおるんや」と。
目の前にいるのは、世界の安藤百福、3000億の企業の創業社長で、インスタントラーメンという定義を、世界にひろめた男。
そんな偉人と、僕は、面と向かって話そうとしていた。
これはすごいですよ。(2010年4月20日。ラーメン博物館でのインタビュー)
FIN
俺は、良い文章を書く技術があるわけでも、良い写真が撮れる技術があるわけでもない。
僕が出来る事は、商売、飲食だけなんですよ。

みなが美味しいと思ってくれるような食事を作ったり、心地よいと思ってもらえる空間を作る事に集中している。
そういう世界で生きる事が、俺の道だと思いながら、ね。
で、やっぱり、表現したい。
だから、興味があるのは、「河原成美は飲食業を通して、どんな表現をするのか、何を表現するのか、出来るのか」ということだよね。
(2009年7月8日/初インタビューにて)
凡人が、自分のツール、生きがい、

自分だけの何かを見つけるとするならば、

泥まみれになろうが、何をしようが、

一生懸命、必死にやるしかない。

中途半端では通用しない。

俺も凡人だから、それがよくわかる。
新年、あけましておめでとうございます。
まさに光のごとく、あっという間に2010年は幕を閉じ、いまは2011年。
新しい1年がまた始まりました。

昨年度は、河原さんに密着し、さまざまな事を取材、そして、勉強をさせていただきました。
自分の性格は始めから相手の懐に飛び込めるようなタイプではないので、
最初はかなり躊躇というか、さぐりつつの取材でした。
でも次第に、河原さんの懐の深さを知り、そして、力の源カンパニーのさまざまな人たちの助けにより、どうにかこうにか、1年間の取材を終える事が出来ました。
本当に、ありがとうございました。
ノンフィクションにしろ小説にしろ、そして、テレビ番組の構成にしろ、これまではスポーツを中心にやってきた自分が、「経営者の取材」という、いままでとは180度違うジャンルにチャレンジした。あまりにたくさんのことを勉強しなければならず、だいぶ苦労しましたが、でも、いまは本当に、やってよかった!と思っています。そして結局、自分が描きたいのは、人の生き様であり、また、自分に刺激を与えてくれる人の考え方だったりします。それは、スポーツであっても、ビジネスの世界であっても何ら変わらない。そうあらためて思いました。

おとといは、2010年締めくくりの一風堂を、横浜店でしてきました。
お昼は過ぎていましたが、店の前には行列が出来ていました。
カウンターの向こう側は戦場で、かなりバタバタしていましたが、帰り際、その戦場にいるスタッフからも、「ありがとうございました!」と笑顔で言われ、とても清清しい気持ちになりました。
笑顔とありがとうは、人を幸せにする。そこに、美味しいラーメンがあれば、なおさら!と、そんなことを思いつつ、帰途に着きました。

と同時に、店主はもちろん、アルバイトスタッフ含め、全員が、河原成美なのだ、いや、河原成美でなければいけないのだ、と思いました。河原成美の作った一風堂、そしてラーメンを、社員全員が、代役としてお客様に提供している。だからこそ、大将の魂、情熱を、寸分たがわず伝えなければいけない。そして、それが出来ている店舗は、間違いなく繁盛する。決してよいしょで言っているわけではなく、一人の一風堂ファン、河原成美ファン、そして、一人の、力の源カンパニーの方々が好きな男として、心からそう思います。

今年も、まだまだいきまっせ~。そして、これからも、末永くよろしくお願い致します。

FIN


~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
みなさんクリスマスはどう過ごしましたか?
自分は、特に普段と変わりなく、原稿書いてました…。

イブの日の午前中は河原さんとお会いし、打ち合わせをしました。

ようやく構成が出来上がり、それをお見せしながらもろもろと……。
(あまりに細かい話なので省略します)
本の発売日は、4月上旬になりそうです。

打ち合わせが終わったあと、永井秀樹氏と合流し三人で写真撮りました。
3人で、高校生の賛美歌を聴いて、しばしクリスマス気分を堪能。
心和んだひと時でした。

河原さん、家族と過ごす貴重な時間を割いていただき、
ありがとうございました。

良い作品に仕上げるぞ!
と気合入りました。

FIN

~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
好きな社員は、一言で言えば、バカなやつ

野武士のようなやつらがいたら心強い

型にはまらないやつが良い (2010年12月4日インタビューより)