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果しなき流れの果に

文筆業を生業とする1970年生まれ。好き勝手ばかりしてきた20。人生について考え始めた30代。ここから先、40代は「誰かのために」をキーワードに書き続けます。弱い自分をさらけ出せる事を目標に進化前進。仕事の依頼も随時受け付けます。

被災地に限らず、日本全国で、復興に向けてみな懸命に頑張っている。
助け合いの心、譲り合いの心。窮地の時こそ、人の本質が見える。
未だに食料やガソリンを買いだめをしている人もいるらしいが、それはごく一部。
ほとんどの人たちが、苦しい状況から立ち直るために手を取り合い、心を通わせている。

僕は生まれて初めて、自分が日本人で良かったと実感した。

と同時に、これからもそうした「日本の心」を伝えていかなければと思っている。

日本の心とは何か?

日本人の強さ、逞しさとは?

こんな悲しい時だからこそ知る事が出来た。

この非常事態でよかったと思えた事だ。

「あの時、頑張ってよかった」と思いたい。

1年後、2年後、5年後、10年後……。

いつになるかわからないが……。

でも、必ずそう思える日がやってくる!

明日もみなで頑張りましょう!

FIN
震災から一週間が過ぎた。
あっという間の一週間だった。
まだまだ本格的な復興は程遠いが、少しずつ、前進している事は感じる。
世の中が動けば、いろいろな人がいろいろな意見を言う。
プロ野球の予定通りの開幕は、不謹慎か!?
テレビでお笑い番組を流すのは?
そして、サッカーをしたり、ボクシングの練習をするのは?

いろいろな立場のいろいろな人がいるから、意見もいろいろだ。

でも、いろいろで良い。こうして、いろいろ考えられるだけでも幸せだ。

逼迫した人たちも大勢いるだろうが、
余裕のある人たちは少しでも、そうした人たちに何か協力する。

賛否両論、上手く行かない事も多いが、世の中、間違いなく良い方向にいっている。

みなで手を取り合える良い機会。

一週間が経ち、僕もようやく落ち着いて、いろいろな事が考えられるようになってきた。

FIN
未だ予断を許さない状況。

しかし、未来に向けて少しずつでも前進したい。

自分のため、家族のためだけではなく、みんなのために出来る事を探す。

小さな助け合いが大きな力に変わる。

奇麗事をあえて言いたい。

厳しい現実もよくわかっているから……。


このブログ、河原さんの取材日記として書いてきましたが、

本の完成を機に力の源通信からはリンクが外れたため

これからは、僕自身が自由に扱うブログとして書いていきます。

もちろん、河原さんのこと、飲食のことも書きますが

自由に書いていきます。


頑張ろう! 頑張ろうぜ!

LOVE NIPPON!

FIN
 地震当日は、新潟に向かう新幹線の中にいた。地震が起きたのは、まさに高崎駅に到着しようとしていた時だった。激しい揺れに命の危険を感じた。もしもの事を考えて家族に電話を入れた。この時点では、東北地方にひどい被害が出ていることなど知らず、自分のいまいる場所で起きている事としか思えなかったからだ。その晩は結局、新幹線のなかで一夜を過ごし、翌朝早く、在来線に乗り、各駅停車の続くなか、夕方にようやく、自宅のある川崎までたどり着いた。

 一生のうち一度経験するかしないかの大惨事。でも、よく考えてみれば、この所日本では天災、人災が頻繁に起きている。もちろん、これほどまで大きな災害は稀有だが、何か日本全体が、本当に、真剣に何かを考えなければいけない、そのことを、天の神様は告げているように思えてならない。石原都知事の「天罰」発言の真意は、そういう事に違いない。

 今回、テレビ局の報道の仕方は、阪神大震災の時のようには醜くない。しかし、やはり必要以上に、津波の瞬間、原発の映像を、繰り返し流しすぎた。もちろん、これらも伝える必要はあるのだが、大切なのは、いま本当に伝える必要のある情報は何か、メディアに携わる人間として、自分は何が出来るか。いまもっとも大切なのは、被害に遭われた方の生活を守ること。被害のひどい地域にどれだけ貢献できるかを、世界中が考えてくれるように訴える事ではないか。

 知人に東京で暮らす電通社員の人がいて、その家族は九州の実家に非難したそうだ。こののち、関東にもひどい被害が及ぶのではないか、放射能汚染の影響を危惧しての行動なのだろう。もしかしたら、会社からそういう指令が出ているのかもしれない。そのあたりははっきりしないが、しかし、考えて欲しい。いま東京圏がどれだけ危ないか、と。もちろん安全でない事はわかっている。でも、自分たち以上に恐怖を味わい、現状、明日の生活も見えずに苦しんでいる人たちが大勢いるのに、なぜそうした行動が出来るのか。
 わからないわけでもない。自分も、そういう思いはよぎったりする。しかし、それよりも、同じ日本人として、この日本という国を救うために何が出来るかを、第一に考える事が大切なのではないか。少なくとも、いまの時点では……。

 とはいえ、自分に何が出来るかと考えたら、何も出来ない。家族を守る事しか、たしかに出来ない。でも、何かをしなければと思う。生活エネルギーを節約し、困っている人たちを助けられる何か手段があれば積極的に協力する。最低限、その事を心がける。その上で、むやみに非難することなく、いま自分がいる場所で何が出来るかを考える。考え続ける。とにかく、いまはそうしていこうと思う。
 もう昨晩のことになるが、サンダーさんの試合に行ってきました。
 4年ぶりの現役復帰。
 結果は、カットによるTKO負け。
 1ラウンドから良い動きをしていただけに、もったいない試合でした。

 客観的に見れば「もう少し右ストレートにのびがあれば・・・」とか「もう少し、飛び込んでの左フックに工夫があれば・・・」とか、たくさん浮かびます。でも、ボクシング(ほかのスポーツも同じですが)は、このほんの少しの差が勝敗を分けてしまう。そして、どれだけ良い試合をしようが、負けは負け。それは、動かしようのない現実であり事実だ。

 自分の場合、福岡時代23歳で知り合った親友がたまたまプロボクサーだった。名前は越本隆志。なんとなく気が合い、誘われて試合の応援にいったのがきっかけでボクシングという世界の魅力を知った。

 隆志君はその後、35歳で史上最年長で世界王者になるのだが、僕らはチーム54(コシモト)という、隆志君をサポートするチームを作り、最後の日まで応援し続けた。
 仲間は、トレーナ、競輪選手、ミュージシャン、ファッションデザイナー、そして、物書きの自分といろいろ。みながそれぞれ出来る事を考えてサポートした。隆志君は最後、右肩の鍵が2本切れて、医者からは引退勧告までされながらも現役続行を決め、そして最後、35歳で奇跡的に世界にたどり着いた。あの時の感動は、一生忘れない。
 当時の事を書き出すととまらなくなるのでこのくらいにしておくが、僕はチーム54で活動していた12年間、隆志君の試合はすべて観た。細かい数字はいますぐ思い出せないが、年間平均3~4試合していたので、40試合前後は観た計算になる。その間にも、そこから付き合いが広がっていって、いま自分が所属する戸高会長、別の友人の山口圭司(元ジュニアフライの世界王者)を始め、仕事の関係もあり、少なく見積もっても、18年間で1000試合以上は、実際に会場に足を運んで観ている。
 そうやって考えれば、昨日のサンダーさんの試合も、1000分の1試合に過ぎないのかもしれない。もしサンダーさんと知り合いでなければ、数日もすれば内容すら思い出せないだろう。

 でも、僕にとってサンダーさんはただの一ボクサーではない。いつもジムでミットを構えてもらい、休憩時間は一風堂の話題で盛り上がっているジムの仲間だ。仲間の悔しそうな顔を見れば、こちらも悔しくなる。だから僕は、サンダーさんが試合後、自分たちの座っている観客席まで挨拶に来て泣いた時、逆に平静を装った。そうしなければ、こちらも泣いてしまいそうで我慢するにはそうするしかなかった。一生懸命、笑顔で話しているサンダーさんの心の中がよくわかっただけに余計辛かった。そして、もし、自分まで泣いてしまったら、サンダーさんは余計に辛くなったに違いない。そう思った。サンダーさんが僕らに頭を下げて泣いているちょうどその時、リング上では、メインイベンターとして戦った庄司君(戸高ジムの選手で、以前はサンダーさんがミットを構えていた選手)が、東洋1位のフィリピン人ボクサーに勝利し、喜びを爆発させていた。

 勝者と敗者のコントラストは、ここまでかというほど残酷に色濃く、そして、ふたりを比べるようにして、同じ時間の中に立たせていた。

 ただサンダーさん、一方でものすごく嬉しかったはず。一風堂の仲間たちがあんなに大勢集まってくれたのだ。決して奇麗事を言うわけではなく、仲間の力が、本当に大きな励みになったはずだ。それだけに、負けたときの悔しさも大きくなるのだが・・・。
 僕にとっては明日には忘れてしまうような試合はやまほどあるが、それらの試合もまた、ある人にとっては、人生を賭けた大一番だったりする。河原さんがいつも言う「誰もが自分の人生の主人公」という言葉を、昨日はあらためて深く受け止めた。どんな試合も、そのボクサーの関係者にとっては大切な戦いなのだ。


 どれだけ強いボクサーでも、いつか必ず負ける日、グローブをリングに置く日がくる。
 ある意味、どんなボクサーも「勝つために戦っている」というよりは「辞めるために戦っている」といって良いのではないか。じつは勝つことよりも「どうやって辞めるか」、つまり、引き際をどうやって飾るかを決める事のほうがよほど難しい。それがボクシングだった。
 応援するほうもそれは同じで、自分の大好きな仲間がボコボコにされたり、血だらけになったり、顔を腫らして、時には命さえ落とす危険にさらされながら、それでも必死に戦い、でも負けてしまうかもしれない。そんな状況を見ているだけで、リングに上がっている間は助ける事は出来ない。こんな残酷な状況に耐えられるのは、よほどサディステックな人か変人だけだ。普通は辛い、辛すぎる。でも、本人が頑張っている、必死に努力しているから、応援するのだ。本当は辛いけど、彼があんなに魂を燃やして頑張っている。だから、自分は応援するのだ、と。
 本気でボクサーを個人的に応援するというのは、そういう状況を理解した上でないと出来ない。というか、してはいけないと思っている。だから僕は、ボクシングを自分が趣味でする分には好きだが、個人的な知り合いのプロのボクサーを本気で応援するのは、本当は好きではないのだ。心が毎回痛むから。
 
 昨日も、そんな事を考えながら後楽園ホールに足を運びました。

 昨日、サンダーさんはいろいろな事を考えてリングに上がったはずだ。

「もし、勝ったら・・・」

「もし、負けたら・・・」

 誰にも言わず、自分の中だけで決めていた答えはあるはずだ。
 今回は後者の「もし、負けたら・・・」のほうになってしまった。

 試合前、サンダーさんは、どんな答えを用意していたのだろうか。


 でも、身勝手な応援者の僕が思うのは、最初の答えに執着せず「いまの自分」が思う「いまの答え」を出して欲しい。それが例え最初の答えと違っていたとしても、やはり「いまの自分」が出した答えというのが一番正しいはずだ。僕自身はそう思っている。
 答えは、一週間でも二週間でも良いから、ゆっくり、一度ボクシングと離れた生活を送ってから出せば良い。冷静な自分になって、その上で自分自身と向き合い、誰に相談することなく、自分そして心の中にいるもう一人の自分と相談して。
「人生」というリングでの戦いは死ぬまで続くのだから。

 ちなみに、隆志くんは引退後、すぐジムの会長になった。そして、今度の選挙では民主党推薦の公認候補として戦う事が決まっている。
 決してそこいらのタレント候補や、元スポーツ選手候補といった名ばかり候補ではない。引退して5年近く、ボランティアで青少年育成のための講演会や、地域スポーツの普及活動などをしてきたことが評価されての立候補。しかも、引退直後のそうした話には、「まだまだ社会経験の少ない自分では役不足」と断った上での、今回の立候補だ。
 
 
 人生の戦いに終わりはない。

 
 ボクサーも、飲食に携わる人も、そして、文章を書く仕事をする自分も、それは同じだ。

 諦めたら夢は終わる。でも、諦めなければ、夢は終わらない。


 ただし、夢を諦めずに追える資格があるのは、本気の覚悟、本気の努力の出来る者だけだ。それが出来る人は、必ず夢はつかめる。その瞬間、その一試合は敗れたとしても、人生というリングでの戦いでは必ず勝利をつかめる。僕はそう信じたい。いや、信じている。

 僕らまわりの人間は、サンダーさんがどんな答えを出したとしても、もちろん責めたりはしないし、下手なアドバイスもしない。ただ黙って、いつもと同じように迎える。サンダーさんが現役ボクサーだろうが、トレーナーだろうが、はたまた、一風堂のスタッフだろうが、サンダーさんはサンダーさん。変わる事は何もない。ボクシングをしているか、トレーナーをしているか、一風堂で働いているか、ただ、それだけの違いしかない。

 今日は長くなってしまいましたが、昨日はどうしても書く気になれず、一日置いてから思いつくままにタイピングしました。なのでかなり乱筆乱文、意味不明かと思いますがそれはご容赦下さい。


 進化前進。万事感謝でみんな頑張りましょう!


 追伸

 昨日、初めてサンダーさんの下の名前知りました(笑)

 
 自分は、明日は夕方からジムワークしまっせ!
$~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
福岡より戻ってまいりました。
河原さんに原稿確認していただき、了解いただきました!
ありがとうございます!

あとは4月4日を待つのみ。いろいろとイベントも打つ予定です。


写真は、
大名総本店で食べた、白丸元味。クリーミーなスープが最高でした。集英社の敏腕編集者、内山氏。力の源の会議室を借りて、一緒に作業しました。新博多駅ビルで働くスタッフたち。毎回思いますが、一風堂のアルバイトスタッフは優秀な人が多いです。

~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
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博多一風堂・河原成美 凡人が天才に勝つ方法/会津 泰成

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今日はこれから、サンダーさんの応援に、後楽園ホールに行ってきます。見かけたら声をかけて下さいね。
FIN
我らが一風堂戦士、サンダー伊藤選手と会ってきました!
サンダーさん、調子良さそうです!
そして、燃えています!(「萌え~」ではありません!)
あとは仲間の応援があれば、絶対勝てます!
そう、力の源カンパニーのみなさんの応援が、
30歳にして四角いジャングルに戻ってきた男に、勇気を与えてくれるのです!

3月4日は、みなで後楽園ホールに行きましょう!

打ち上げはもちろん、一風堂ですね!

FIN


~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
最近、何か執筆作業レポートみたいになっていますね(笑)
ま、でもだいぶ気持ちに余裕出てきたので
キーボードを叩く指も軽やかです。

いまも修正作業の進行中ですが、3月1日に福岡に行って
河原さんに直接、原稿確認してもらう事になりました。
いよいよ最終局面を迎えます。

もうここまでくれば、あと一息です。

かなりテーマを絞って書いています。
そのあたりを、どう判断するかな。不安と期待が入り混じります。

とはいえ、全力尽くして書いたので、それだけは誇れます。

さあ、やるで~。

福岡にお邪魔した際は、みなさんよろしくお願いいたします。

FIN
本日は、第一稿の修正分を編集者に提出します。
原稿は、第一稿→第二稿といった具合に何度か修正のやりとりをしながら内容チェック、誤字脱字チェックをし、ある程度「これでいきましょう」となった時点で、今度は、登場人物に内容確認してもらいます。今回の主役は河原さんなので、それは河原さんにお願いする事になります。

もうここまでくれば、自分はだいぶ楽です。もちろん、まだまだ気は抜けませんが、ここから先大変なのは編集者です。中見出しの作成、文字の調整など、結構、やること盛りだくさん。

最終的には、そうやってやりとりした原稿は、来週金曜日に上がってくるのかな、たぶん。

本のタイトルも、もうしばらくしたら発表できそうですので、楽しみにしていて下さい。

FIN