果しなき流れの果に -5ページ目

果しなき流れの果に

文筆業を生業とする1970年生まれ。好き勝手ばかりしてきた20。人生について考え始めた30代。ここから先、40代は「誰かのために」をキーワードに書き続けます。弱い自分をさらけ出せる事を目標に進化前進。仕事の依頼も随時受け付けます。

てなわけで、スイングアウトシスターのライブに、河原さんほかお友達関係の方々と行ってきました。書きたいことはたくさんあるのですが、なにせまもなく午前4時。しかも、あと4時間で沖縄行きの飛行機に乗らないといけないのに準備はこれからなので、それはまた後日。でも、良いライブでした。そして、ライブ開始前には、河原さんといろいろとお話しすることが出来、またまた力を頂戴しました。
ありがとうございました。FIN
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
昨日、11月16日をもって、河原さんの31年目のルーキー生活はまる一年となり、一区切りを打った。そして自分の、来年4月刊行予定で執筆中の書籍の取材も、ほぼ終了し、これからはいよいよ、執筆作業に入る。
長いようであっという間の一年。もちろん、まだいくつか確認したいことや取材は残っているし、執筆自体に関しては、これから始まる。作品完成までの道のりはまだまだ長い。
ただ、この一年、河原さんにはさまざまなことを勉強させて頂いた。まずはそのことに、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたい。

ありがとうございました。

河原さん、そして、力の源カンパニーのみなさんと過ごした時間の中で、僕が一番印象に残ったのは、やはり、「笑顔」と「ありがとう」だった。

「笑顔」と「ありがとう」このふたつがあれば、多少の苦難などへっちゃらだし、たとえ自分のように不器用で愚才な人間でも、少しずつで、必ず自分を成長出来る。そんなことを学んだ1年だったように思います。

下の写真は、初めて河原さんと出会った、去年の夏頃の写真です。早いもので、お付き合いさせて頂いてから、もう1年半が経ちました。

本が完成する前にこんな台詞はどうかもしれないが、これからも、末永く、さまざまな刺激や勉強をさせていただけたらと思う。そして自分自身も、河原さんに、ほんの少しでも刺激を与えられる人間になれるよう、日々努力、進化前進していけたらと思う。 FIN

~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
 先週末、駒沢公園での東京ラーメンショーに行ってきました。ちなみに昔、自分は駒沢公園のすぐ近くに住んでいました。
 ひさびさに河原さんとも会い、いろいろと話すことが出来た。これはあとで知ったのですが、5日間トータルで34万人が入場したそうだ。
 ラーメンブームが去ってすでに久しいが、未だこれだけ集客できることにまず驚いた。34万人、5で割れば7万人弱。一日でこれだけ人を集められるイベントは何があるだろう。
 プロ野球、Jリーグでは到底追いつかない。AKBのコンサートでも厳しいかも。まだまだ、ラーメンには可能性がある。問題は、今までとどう切り口を変えて伝えていくか、と河原さんもおっしゃっていた。そうだよな。
 まあとにかく、ひさびさに興奮しました。
 でも、せっかくデジカメを持っていったのに、SDカードを入れるの忘れてしまった!
 代わりに携帯カメラで撮ったのだが、自分の携帯カメラ、なぜかものすごく写りが悪いのです!物凄い人の数を表現したかったのが…。この写真でわかるだろうか。
 FIN
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
 自分がこの日、もっとも印象に残ったのは、朝礼でもなく、麺上げでもなく、お客さんからは決して見えない厨房の奥でどんぶりを洗う河原さんの背中だった。年商80億に届こうかという会社のトップになってもいまなお、河原さんは現場の人である。現場が好きで、そして、お客さんを笑顔にすることに何より喜びを覚えている。だからこそ、どんぶりを洗ったり、ごみを拾ったり、といった飲食業の基本中の基本である仕事を、いまなお当たり前にこなしている。
 先日訪ねた駒沢公園でのラーメンショーでも変わらなかった。店の表に立つことは少なく、基本、裏方に徹し、ごみを袋につめたり、麺を出し終わったダンボールを片付けたり。そんな姿が、僕にはものすごく格好良く思えた。ああ、こういう人だからこそ、まわりに人は集まり、ついてくるのだ、と。
 というわけで、次回はラーメンショーのリポートします。FIN
$~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記

ひさびさにみました。大将・河原成美の麺上げ。
ひさびさに感動しました。その動き、佇まい。
25年前、まだ30代半ばだった彼も同じようにしていた。
でも25年前、一風堂という店が、日本だけでなく世界にまで根付くようになるとは
おそらく思っていなかっただろう。
ただひとつ、当時と変わらないのは、いつでも全力、いつでも一生懸命。
変わらないために変わり続けている、ということ。
この日、それを感じる出来事がありました。
FIN
 一風堂25周年という記念すべきこの日、河原成美の下を巣立っていった全国ののれんわけ店主たちが集結。大将のもと、久々に本店での麺上げに腕を振るいました。
「いつか、俺、『社長、一人じゃないですからね。自分たちもいますから』って言えるような男になりたい。まだまだですけれど、そういう一人前の経営者になることが、自分を育ててくれた社長への恩返しになると思うし、自分自身も、そうでなきゃ、『変わらないために変わり続ける』ことは出来ないと思いますから」
 のれんわけ店主の一人、篠原猛は言った。
 一風堂の強さ、力の源カンパニーという会社の強さは、人間力。内外含め、河原成美、そして会社に携わる人たちすべてのエネルギーが、ここ一番という時に結集、凝縮される強さ、である。また、河原成美が目指す会社作り、経営、そして人材育成とはまさにそこである。次回はその大将が、ひさびさに厨房に立った様子をお伝えします。FIN
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
店内は、これまでの大名本店は一新、ポップで新しさを感じさせる内装で、若者のための一風堂をより意識させるものだった。一方で、大名本店の看板が壁に埋め込まれていたりと歴史も感じさせる。新旧をうまく織り交ぜ、まさに、「変わらないために変わり続ける」を体現していた。
今回のオープンにあたっては、河原さんはあまり表立って自分の色は出さないようにしていた。少し奥まったところで後輩たちをみつめ、わからないようにフォローするよう気を配っていた。「河原成美の博多一風堂」から、「力の源カンパニーの博多一風堂」への脱却。2018年に向け、その準備を着々としている、その表れでもあるように思えた。
「俺はね、『一風堂は自分の作ったブランドだ』とか、そういうことにはあまり興味はないの。だってさ、子供はいつか親から巣立っていかなければいけないし、親がいつまでも子供にとっついていたら、気持ち悪いでしょ。どこか遠くで見守って、巣立っていった子供が無事に自立して成長していてくれたら、それで良いの。それが嬉しいからさ」
 そして今回、そんな河原チルドレンたちが、25周年に集結しました。(続く)FIN
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
ちょっと取材報告遅くなりましたが、先々週、一風堂大名本店のリニューアルオープンと、力の源カンパニーの経営方針会議にに伺ってきました。大名本店は、オープン25周年目にして、「総本店」と名称を変え、全国にあるすべての一風堂のフラッグシップ店として、新たな役割をスタートさせました。
そして、河原さんがこの店の新たな主に抜擢したのは20代の若者でした。この抜擢にどんな意味、そして期待が込められているのか、それは、店舗に入ればすぐ伝わってきました。(続く)
FIN
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
パソコンの調子が悪く、ログインできず更新遅れてしまいました。
さて、ロンドン視察で見つけた素敵なうどん屋さんを紹介します。
店の名前は「koya(こや)」。
「本格手打ち讃岐うどん。足踏み麺と出汁にこだわったコシのある美味しいおうどん」
といったふれこみで、現地のニュースでも紹介された、超人気店です。

味もサービスもなかなかで、おそらく日本で食べても、満足できる品揃え。
これなら人気店になっても納得、と思いました。
メニューは、うどんだけでもあつあつ、ひやあつ、ひやひやの三つのカテゴリーに分かれ、メニューは非常に豊富。うどん以外にも、ワカメ、温泉卵などのトッピング、
サラダ、天ぷらなどのサイドメニュー、牛丼、天丼などどんぶりものも充実していました。

そして同時に、一風堂もまた
ここロンドンの地に出来れば必ずや人気店になるとも確信。
サービス、商品クオリティ、すべてにおいて、「koya(こや)」に決して負けていないと思うし、
また、相当数のお店をまわったものの、一風堂以上に美味しいラーメンとは、結局、出会えなかった。
NYでのヒットの再来は、決して夢物語ではない。
その日が早く訪れることを祈りつつ、ロンドン視察を終了したいと思います。
FIN
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記
~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記