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横浜市中区の山手パーク歯科のブログ(石川町)

横浜市中区石川町の歯医者が日々の生活で気付いたことを綴る趣味の日記です。最近では歯科の話以外の趣味やペットのブログにになりつつあります。。。

   2023年10月10日 吾輩はトイプードルである。Ⅱ (2)
                吾輩は飼い主である。




 吾輩は飼い主である。

名前はインチョー。

そう見えないらしいが結構もういい年である。



今日は旧体育の日である。

雨の予報だったが流石(さすが)は晴れの特異日でいい天気になった。。

休診していたので久しぶりにジョギングで5km走ってみた。

タイムは全然速くないのだが、吾輩としては上々で嬉しくなってしまった。



近年わが家は急激な人口減少に見舞われた。

3年半前にモナコ先輩が亡くなり2年前に次女が一人暮らしを始め、1年前に母が亡くなりそして半年前に長女が一人暮らしを始めたのだ。

永年5人と1匹家族だったのだが、一気に約三分の一の2人家族になってしまった。



この急激な人口減少は都市が一気に過疎化したようなもので、避けられないこととは言え一抹の寂しさは拭い切れないものがあった。

そこで7月末、わが家に新人(ルーキー)を迎えた。

前回ブログの麻呂(マロ)である。



吾輩には不安があった。

先代モナコ先輩がヴィジュアル的にグッド・ルッキン過ぎたため、同じトイプーでカワイイと思えるのだろうか…と。

ワンコの横顔で鼻の高さをマズルと言って長さで表現するのだが、モナコ先輩はそれが極端に短く何の種類のワンコなのかよくきかれ「トイプードル」と答えると驚かれるほどだった。



それに比べると麻呂(マロ)のマズルは長く、モナコ先輩の短いマズルに馴染んでいた吾輩にはまるでダックスのように感じられる。

目もまん丸だったモナコ先輩に対して、麻呂(マロ)はアーモンド型。

 

そして最近判明したのが専門用語でいうところのアングルのⅢ級(反対咬合)、一般用語でいうところの受け口である。

 

きっとあの変顔の習慣が原因だろう。

 



しかしそれも家族の一員になってしまえば可愛く感じられることが分かり安堵した。。

女の子と男の子という違いもあるからなのだろう。

「女は度胸、男は愛嬌」という言葉があるように(ないけど)、「これでいいのだ」なのである。



言うまでもなく、わが家はワンコに対して役割を求めることはないがそれを感じてはいる。

モナコ先輩が長女・次女と共に育つ三女だったのに対し、いかにもドラ息子的なストーリーだが麻呂(マロ)は年がいってから思いがけずできた長男、もしくは初孫のような存在なのだろう。

二人家族のときは時間がゆったりと流れていたが、今はトイレトレーニングからのバタバタである。

やっぱりわが家は中心になった「小さきもの」に支えられ、バタバタと突っ走るジェットコースター・ファミリーなのだろう。



喜ばしいことに麻呂(マロ)は3回目のワクチンを済ませ、お散歩・公園・トリミングデビューも果たし日々成長している。

ただ困ったことに麻呂(マロ)などとずいぶん「やんごとなき」(高貴な)ネーミングをしてしまったのに、ゴハンや遊んで欲しいときなど欲求がストレート過ぎて「ケモノ」丸出しなのである。

 



それをかかりつけの獣医さんに相談したところ、「犬の幼稚園」なるものを勧められた。

驚いたことに、今の世の中にはそういうものがあるらしい。

ワンコにも社会性が求められるとは、チョットかわいそうな気もするが…。



まさか娘二人が自立した後で、この上教育費がかかるとは思っていなかった。

 

まったくの想定外である。

今日も襲いかかるように吾輩の足にかじりつく麻呂(マロ)にこう思う。

「もうカジられるスネはないぞー!」


 

   2023年9月3日 吾輩はトイプードルである Ⅱ  (1)
                  麻呂(マロ)でおじゃる !




 吾輩はトイプードルである。

名前は麻呂(マロ)。

ちょうど生後3ヶ月の男の子である。



7月14日に父と母に出会い、30日に生後2ヶ月を前に長男としてわが家にやってきた。

先日大さわぎの末2回目のワクチンは済ませたが、3回目がまだなのと今は外の気温が高すぎるため、ウチの中で過ごしている。

9月半ば過ぎに3回目のワクチンを済ませ、お散歩デビューは10月頃を予定している。



わが家に来たとき約600gだった体重は、1ヶ月で約760gになった。

予想サイズはティーカップ(成犬時体重約2kg以下)ということだが大きくなってしまうこともよくあるらしい。



今はまだ離乳食で、ふやかしたドッグフードを一日三回食べている。

父と母は吾輩がご飯の前は毎回ギャン鳴き大さわぎをして、旺盛な食欲でアッという間に完食することから、スタンダードプードル(大型犬)になってしまうかもしれないと思っているようだ。

なってしまったらごめんなさい。



父の職業柄、食後のハミガキは欠かせないので遊びながらこなしている。

得意な芸はゲージのスキマから鼻を出す変顔である。

この変顔はナマケモノに似ているという説もある。



ゴハンの食べ方の勢いがよすぎてオスワリ・お手などの芸はまだ何もできないが、遊んで欲しいときや怒られそうになったときにひっくり返っておなかを出すと全てが丸くおさまることは知っている。

まあときどきそのまま仰向けで寝てしまうこともあるのだが。



犬種選定に当たり家族にアレルギーを持つ者が多いため、モナコ先輩に引き続き毛が抜けにくいトイプードルが再び採用され、カラーはモナコ先輩がアプリコット(ベージュ)だったのでレッド(濃い茶色)の吾輩に白羽の矢が立ったのである。

ブログタイトルは先代モナコ先輩の「吾輩はトイプードルである」を継承し「吾輩はトイプードルである Ⅱ 」とさせて頂くことになった。



わが家にとって偉大なモナコ先輩が亡くなった哀しみは深く、3年半経って吾輩が迎えられることになった。

3年半という時間の経過によりその哀しみが癒えるということはないのだが、ペットロスの哀しみの大きさを差し引いても「人生を共に歩む喜びに価値がある」というのがわが家の考え方らしい。

父と母としても責任が全うできる最後のチャンスなのだそうだ。



吾輩には長女と次女の姉がいる。

モナコ先輩と昨年11月に亡くなった祖母が存命だった頃、わが家の家庭内男女比は1対5だった。

マイペースではあるが、長年圧倒的マイノリティー(少数派)として肩身の狭い思いをしていた父のたっての希望で吾輩が登場し、家庭内男女比は一気に2対3に改善された。



そして姉たちは二人とも一人暮らしをしているので、父の思わく通り普段の家庭内では2対1と逆転に成功している。

しかし吾輩の登場以来姉たちが帰って来る頻度が増しており、家庭内メンバーの顔ぶれは以前と変わらなくなることが多く、母があまり寂しがらなくなったらしい。



父は吾輩に、わが家の「跡取り息子」などと過剰な期待を寄せている。

自分が名付け親(ゴッド・ファーザー)になると宣言し、張り切って名前を考えていたのはいいのだが、プードルの男の子だから「プーチン」などと提案して非難ごうごうの大顰蹙(ひんしゅく)をかっていたらしい。

長女の姉からは「娘であることが恥ずかしい」とまで言われたそうだ。



その後も「プー太郎」は即座に却下され、「麻呂:マロ」と共に最終選考に残っていたのは「主水:モンド」だった。

「モンドセレクション」は食品などの評価を行う機関で、「ル・モンド」はフランスの新聞で世界を意味する。



先輩もモナコ(子)ちゃんだったようにプードルの原産国がフランスであることを考慮して、日本語にも共通する音でネーミングしようとしていた努力は認めるが、わが家の姓は中村なので獣医さんで呼ばれるときに「ナカムラモンド君!」となる。

「中村主水」は故藤田まことが演じたドラマ必殺仕事人の「ムコ殿」である。



「マロ」はフランス語との共通点は薄いのだが、故マーロン・ブランド(俳優)が演じたのは映画「ゴッド・ファーザー」のドン・ヴィトー・コルレオーネ。

ジョー・マローンはフレグランス・キャンドルのブランド。



フィリップ・マーロウは故レイモンド・チャンドラー著のハードボイルド小説シリーズの私立探偵。

「大いなる眠り」が原作となった映画「三つ数えろ」では故ハンフリー・ボガートが演じている。

その「マーロウ」は、プリンが有名な葉山の洋菓子店も店名に採用している。



「麻呂」は柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ:万葉歌人)などに見られる古(いにしえ)の男性名らしい。

しかし父のイメージはそんな高尚なものではなく、アニメ「おじゃる丸」のようにのびのびユニークに育つことが吾輩には期待されているようだ。



母はまだ名前をよく間違えて吾輩を「モナコちゃん」と呼ぶことが多い。

だんだん「マロちゃん」と呼ぶことも増えてきているが、先日混ざってしまったのか「マルコちゃん」と呼んでいた。



まだまだ大混乱が続くわが家であるが、麻呂(マロ)という名前は吾輩も気に入っている。

とりあえず「プーチン」や「プー太郎」ではなくてよかったと思う。



大変僭越(せんえつ)ながらご期待に沿うよう頑張らせて頂きたいと思う。

しかしのびのびとは言いつつも生後3ヶ月でブロガーにされるとは、虐待とは言えないまでもいささかワンコづかいが荒くはないだろうか?



皆様には吾輩の成長を温かい目で見守って頂ければ幸いである。

どうぞ宜しくお願い致します。




 

   2023年8月4日 オトナの夏休み 2023。
                遊びをせんとや生まれけん。




 海の日の連休を利用して、下田に行ってきました。

今年は長女と次女が不参加で初めて家内と二人だったのですが、現地で友人ご家族と合流させていただきました。



昨年利用してラクチンだったので踊り子号で往復しました。

お天気に恵まれて最高のバカンスでした。





 「 遊びをせんとや生まれけん 戯れせんとや生まれけん

遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ揺るがるれ 」     ( 梁塵秘抄 )



 「 遊ぶために生まれてきたのだろうか 戯(たわむ)れるために生まれてきたのだろうか

遊んでいる子供の声をきいただけで 私の体が揺さぶられてしまう。 」





お酒はほとんど呑まず、ギャンブルには手を出さず、ゴルフに惹かれることもなく、趣味と言えばこのブログぐらいという私は、自分でも遊ぶことが少ないと思います。

「遊ぶ」とはネガティブ(否定的)なものも含めて色々な意味がありますが、本来はただ楽しいと思うことに興じて何も生み出すことなく時間を過ごすことのような気がします。



当然、余裕がなければ遊ぶことはできません。

少し遊ぶくらいの余裕がないと魅力的なオトナにはなれない気がします。



私は今まで、常に何かに追われるように生きてきたので色々な意味で余裕がなかったのだと思います。

だから私は人間的な魅力に欠けるのではないのでしょうか。

いつかそういうオトナになりたいものです。



私はむかしよく遊ぶ子供でした。

私が幼少期を過ごした昭和の時代は自宅付近に空き地があり、学校から帰って荷物を下ろしてそこへ行けば誰かがいて、缶けりや三角ベースなど野球の真似事のような遊びに日が暮れるまで興じたものでした。



誰もいなくても夏休みのこの時期なら、虫取りをして飽きることはありませんでした。

しかし夏休みには宿題があり、制作物の提出もあるので虫を取ったら標本作りをすることになり、ただの遊びだったのにいつしか昆虫採集になり標本を生み出すようになりました。

まあ標本作りも楽しいので遊びみたいなものでしたが。





踊り子号の車窓を流れる風景をぼんやりと眺め、プールサイドで家族や友人たちと談笑、ひと泳ぎしてクールダウン、海辺を散歩し、温泉につかってリラックス、美味しい食事をいただく…。

やっぱりオトナにも「夏休み」が、そして…

「 ハンドルにアソビがあるように、人生には遊びが必要である 」
               ( 古代ギリシャの哲学者、トール・ナカムラテスの言葉 )




でもその後で、おっといけないこんなブログを生み出してしまっています。


 

2023年7月6日 たまにはいいな助手席も。



  7月になりハーフタイムもないまま今年ももう後半戦に突入です。

コロナは第5類になって約2ヶ月がたち、それまでを考えると注目度はかなり下がりましたが「第9波」を耳にするようになってきて、私の緊張感はやや高まってきています。



2~3年前から毎年、消化器系の内視鏡検査を品川のクリニックで受けています。

まあ私もそういうお年頃ということです。

先日、約一年ぶりに行って来ました。



検査前日は検査食を食べて過ごすだけですが当日は朝からキツイ準備があり、検査終了後は麻酔から覚醒直後なのでクルマの運転が禁止されています。

ドライブ(運転)好きな私は普段は率先してハンドルを握るのですが、この日ばかりは家族のお世話になり大人しく助手席におさまりました。



磯子の入口から首都高湾岸線上りに乗り、右に日石根岸製油所などの工場地帯、左に根岸旭台などの住宅街、本牧をまわってベイブリッジに向かいます。

ベイブリッジからは左にマリンタワー、みなとみらい地区ランドマークタワーなどの高層ビル群・観覧車や右には天気がよかったのでたくさんの船が行き交う東京湾越しに千葉まで見えました。

大黒埠頭上空を通過するとつばさ橋を渡り、そこからしばらくほぼまっすぐ工場地帯や大規模物流センターなどのそばを進みます。



やがて玉川の下をくぐり、トンネル出口付近左にある千葉へ行くアクアラインの分岐も直進で通過、羽田空港も飛び交う飛行機の下をくぐるように通過します。

やがて大井ジャンクションで湾岸線を降りて首都高1号線上りに合流、しばらく行って芝浦出口を右に降りて一般道を高輪のクリニックに向かいます。



帰りは勝島入口から首都高1号横羽線下りに乗り横浜方面へ向かいます。

この道は昔、私が深夜のソロドライブ(そのブログはこちら→2022年8月13日短パンデイズ2022。ストレスを以ってストレスを制す。)を習慣としていた頃、首都高環状線までの往復によく走っていた大好きなドライブコースです。



市街地を走る古いルートなので道幅は比較的狭く、中速から高速コーナーの連続でアップダウンもあるため高速道路なのに制限時速は60kmです。

高層ビル群を縫うように走るスリリングさは首都高環状線にはかないませんが、開放感が高いのは横羽線かなと思います。



松任谷由美「中央フリーウェイ」には府中競馬場が登場します。

首都高1号横羽線からは平和島競艇場が見えます。

歌詞にはならないでしょうが…。



スポーツカーが持てるほどの富裕層ではない私のクルマは、ややスポーティーなタイプのファミリーカーで今日のように家族も運転するためミッションはマニュアルではなくオートマですが、それでも横羽線を走るときはシフトチェンジしながら3速から6速あたりを駆使してコーナリングを繰り返していました。

やがてグラマラス(魅力的)な起伏に富む連続するカーブ(曲線)自身が、意思を持って流れるように動くエレガント(優美)で官能的なラインに見え始め、クルマをコントロールすることによりダンスしているような気分になります。

研ぎ澄まされた意識と感覚が吸い込まれるように、人工的な構造物を介して母なる大地と溶け合う一体感が生まれます。



土曜の深夜から日曜の早朝にかけて交通量の少ない時間帯にアップテンポでもスローテンポでも疾走感のある曲、古い選曲ですが例えばマルーン5「マップス」、「シュート・ラヴ」、ドン・ヘンリー「ザ・ボーイズ・オブ・サマー」や井上鑑「ユベスキューレ」(よかったらyoutubeなどでお楽しみ下さい)などをかけてボリュームを上げておけば、大幅な速度超過をせずともドライビング・プレジャーにハマり、すっかりその気になれます。

そう言えば昔読んだ小説、矢作俊彦著「マイク・ハマーへ伝言」のクライマックスは深夜の横羽線だったなあ。



そんなことを考えていたら生麦ジャンクションを左に折れて大黒埠頭へ向かい、やがてループを螺旋(らせん)周回しながら登って首都高湾岸線下りに合流、夕焼けのベイブリッジを渡って磯子出口まであっという間のドライブでした。



昔日に思いを馳せながら、のんびりと助手席ドライブを堪能した一日でした。




 

   2023年6月3日 時の流れの中で。

 昨日から大荒れの天気で朝はまだけっこう降っていた雨が今はあがり、いいお天気になってきました。

これからは「です・ます調」と「だ・である調」をブログによって切り替えていくことにします。

6月10日が時の記念日なので、この時期は何となく時間について考えてしまいます。

私たちは誰もみな限られた時間の中を生きています。



5月21日日曜日、かねてから闘病中だった高校時代からの友人M君が亡くなりました。

今年2月のブログでふれた「昔日の思い出を共有する同級生」(そのブログはこちら→2023年2月16日冬来たりなば春遠からじ)です。

2年前(そのブログはこちら→2021年11月29日応援するともらうもの)や4年前(そのブログはこちら→2019年9月5日YOKOHAMA COOL NIGHT / 日常のRAKUEN)のブログでもとり上げています。

昔の彼はおとなしくて控えめで真面目な高校生で、ツッパリ(ヤンキー?)ではないものの正反対のやんちゃで不真面目なデキの悪い高校生だった私は3年間同じ教室で過ごしたにもかかわらず、ほとんど会話した記憶がありませんでした。

何しろ彼は幼少期から大学まで馬術を嗜(たしな)むお坊ちゃま世田谷ボーイなのです。

言うまでもなく世田谷というと高級住宅街のイメージですが、私が子供の頃父の仕事の関係で住んでいたことがある中町は、世田谷の中でも最もジミな地域です。

そんな関係では卒業後も顔を合わせる機会はなく、お互い忙しくしているうちにあっという間に何年も時は流れてしまいました。

4年前共通の友人から彼が入院していることを耳にし、誘われて一緒にお見舞いに行ったときは何を話していいか分からず戸惑ってしまいました。

それからLINEで毎日、日常的な一言二言を交わすようになりました。

しかしその内容といったら挨拶、天気、行ったところ、食べたものなどいい年したオヤジ同士にしてはぎこちない意味のなさ過ぎるものでした。

たまにスタンプを送ってもスベッた自信満々で自己嫌悪に陥(おちい)ったり…。

そして彼から心温まるスタンプが届いてホッとしたり…。

そんなことを繰り返しているうちに次第に話題も増え、やりとりが楽しくなっていきました。

音楽はA.O.R(アダルト・オリエンティッド・ロック)、奥様を愛しクルマとドライブと犬好きで食の中でも季節のフルーツに敏感、食器にも造詣(ぞうけい)が深く庭の植生で移り行く季節を愛(め)でる彼は昔の気質そのままに大人になっていました。

しかしお互いに社会に出て成長していたのでしょう、思いのほかやりとりが盛り上がるので私がこの関係を「不思議な縁だね」というと「なんだかおかしいね」と言ってくれていました。

共通の友人が野球好きであまり興味のない彼に無理やりWBCを見せていて、一緒に応援してくれていたので優勝したときは共に歓びを分かち合い盛り上がりました。

今年3月に亡くなった故坂本龍一氏と同じ病気だった彼がかなり悪くなってしまっていたにもかかわらず希望退院してきていた3月30日、ご自宅にお見舞いに伺いました。

痩身(そうしん)の彼が更に小さくなったような気はしましたが、声を失っていたにもかかわらずホワイトボードで精力的に筆談してその時はそれなりに元気そうでした。

しばらくして彼が希望したので私のクルマでドライブすることになりました。

遠出はムリなので近所を一まわりしたのです。

私の幼少期の思い出深い駒沢公園から千歳通りへまわると桜並木が満開で、走行中の車内からサンルーフ越しにお花見してとても喜んでくれました。

大好きなドライブを美しい満開の桜が頭上を流れゆく下で、じんわりと噛みしめるように味わっている彼の姿が印象的でした。

別れ際に「また会おう」とガッチリ握手したのが忘れられません。

それが最後になりました。

その後容態が悪化して入院した彼を5月21日(日)にお見舞いに行く予定だったのですが、直前に奥様から連絡が入りキャンセルされました。

そのとき彼は旅立ったのです。

5月25日(木)講義を持つ専門学校の1学期中間試験の試験監督を終え、その足でお通夜に向かいました。

その安らかなお顔を拝見し、きっと苦しむことなく息を引き取られたのだと確信し安堵しました。


「M君、今までありがとう。

何となく気恥ずかしくてきけなかったんだけど、きっといつもこのブログを読んでくれていたね。

君と出会いなおしたのが4年前だったからコロナの3年が丸々かぶってしまい、あまり会えなかったけど毎日のやりとりは楽しかった。

今まで僕たちは同じ時の流れの中を生きてきた。

君が先にそちらに行ってもう会えなくなってしまったことはさみしいけど、僕もいずれ必ずそこへ行く。

そちらでは同級生ではなく君が先輩だからよろしく頼むよ。

たくさん土産話を持って行くから楽しみにしていて欲しい。

だから今、さよならは言わない。」

 

   2023年5月21日 ジーパン・デイズ2023。



 5月である。

燃えるような新緑が美しい。

4月にひき続き「だ・である」調で行くことにする。

新型コロナウイルス感染症は8日に予定通り感染症分類が2類から5類に移行した。

世の中はすっかりコロナ以前に戻ったかのようだ。

しかしまだ新規に感染した話を耳にすることはあり、正確な感染者数も分からなくては「かくれ第9波」になりそうな気がして怖い。



5月の連休はどこかへ行こうとすると高いし混んでいるので毎年遠出することはなく、近場で普段なかなか会えない友人たちと会うことにしている。

昨年は例外的に石垣島(そのブログはこちら→2022年5月16日R・A・K・U・E・Nでした2022。)へ行ったが、今年は例年通りの過ごし方だった。

ジーンズをはいてリラックスして過ごすことが多い時期なので、昭和生まれとしては「ジーパン・デイズ」なのだ。



言うまでもなく私は白衣に着替えてする仕事である。

以前通勤時など、ネクタイはしないまでもジャケパンにローファーぐらいは身に着けて、一応それらしく見えるようにしていた。

それが今はボタンダウン・ジーンズ・スニーカーという通勤スタイルで毎日が「ジーパン・デイズ」になってしまった。

私の考えを変えたのは東日本大震災である。

12年前のあの経験は大きなショックだった。

徐々に日常を取り戻していけばきっと世の中の流れに乗せられて私も震災以前に戻ってしまうと思い悔しかったので、慎ましい気持ちを忘れないために普段はウチで洗えるものを身に着けることにしたのである。



そう考えてブルージーンズで暮らし始めたのだが、流石に一本だけでは洗い替えもなくバリエーションも乏し過ぎるため、グレージーンズを探して購入したのがGAPというアメカジ系ファストファッションブランドのこの一本である。

今ではなくなってしまったが当時元町に店舗があり昼休みにチャリで山を下りて購入した。

その頃の私にとってラルフ・ローレンに見えるGAPを探すのが、ゲームのようで面白く感じていた。

スリムフィット・ストレートというシルエットで、4年前のブログ(そのブログはこちら→2019年6月28日ジーパン・デイズ2019②)で紹介したブランドB.R.の一本よりはやや太めである。

私の好みとして太いパンツは苦手なのだが、生地が厚めでゴワゴワした肌触りが心地よく、ストレッチがないことを考えると絶妙なバランスの太さで気に入っている。



ややローライズ気味だが、半ケツ出てしまって昭和オヤジの私が落ち着かなくなるほどではない。

ヒップポケットのステッチの形状はブランドのオリジナリティが出るところだが、水平でシンプルなデザインが採用されている。

右腰後ろの革製ブランド・ラベルは下にベルトを通す構造にして目立たせることが多いように思うが、ラベルの上にベルトが乗る構造になっており主張が控えめで好ましい。

今では私のジーンズラインナップも充実してヘビーローテーションしてはいないが、流石(さすが)に12年ものになるとポケットのフチやスソなどがややすり切れて、ダメージとしていいアジを出している。

左ヒップポケットの右上部の白斑は二つ折りの硬い革製の財布を入れていて内側から角が当たってできたセルフダメージで、同じくいいアジになっていると思う。



購入金額は一万円+アルファだった。

ファストファッションのジーンズに一万円は高いと思ったのだが、ラルフ・ローレンに見えれば安い気がして買ってしまった。

味わいとしてのヨゴレ・穴あき・ツギハギなどはないものの全体の色落ちにややムラがあり、キレイ目というよりはワイルドなテイストの一本である。

黒いライダースジャケットとの相性が抜群で、日常の足であるバイク(スクーター)に乗るときに出番が増える。



4年前も書いたことだがこのジーンズをはいているときも、ときどき妻が声をかけてくる。

妻 : 「それどこのジーンズ?」

私 : 「GAP」

妻 : 「へぇーいいジーンズね。」

辛口な彼女は決して「似合うわね」とか「ステキね」とは言わない。

間違っても私をホメることはなく、あくまでもジーンズのみをホメるのである。



ところで私はホメられて伸びるタイプである。

お陰様でこの年でまだ伸び悩んでいる。



 

   2023年4月13日 やってみることがだいじ。
              金沢八景 春


 4月である。

学校では入学式が行われ、桜はだいぶ散って葉桜に移行し先日は投票にも行って来た。

色々なことが変化する春なので、このブログもいつもの「です・ます調」ではなく「だ・である調」を採用してみることにする。

11年間に32回アップされ3年前に終了したこのブログの人気シリーズ「吾輩はトイプードルである」(そのブログはこちら→吾輩はトイプードルである)が「だ・である調」だったのが懐かしい。



新型コロナウィルス感染症第8波の新規感染者数は今年に入ってから減り始め3月からはかなり少ない状態が続いている。

新聞には旅行の広告が溢れ、ニュースは休日の行楽地の人出や外国人観光客の増加などを取り上げている。

この経済的な盛り上がりを「リベンジ景気」と言うようだ。

あんなにコロナでもちきりだったのに、減ったことはニュースにもならない。

このまま予定通り5月の連休明けに感染症分類が2類から5類に移行して、あれだけ大騒ぎだったコロナも過去のものになって行くのだろうか。

しかし、いまだに横浜市内のリハビリ病院でフロア限定ではあるがクラスターが発生していることなどを耳にすると、とてもそんな気にはなれない。



この春、わが家も大きな変化を迎えた。

2年前の次女に続き、長女も一人暮らしを始めることになり巣立って行ったのである。

と言っても二人とも横浜市内の職場の近くに部屋を借りただけなので、遠くへ行ってしまったわけではない。

実際にちょくちょく帰ってきている。

自宅から通勤できる距離の職場なので経済的にはムダなのだが、私はそれだけの価値があることだと考えている。



私は年齢的には「バブル」と呼ばれる世代に該当し、娘たちはバブルジュニアなので「ゆとり世代」である。

娘たちは友人の結婚式に呼ばれることが増え、母親になった友人もいる。

私が若かったバブルの時代は今よりも女性は家庭を守る役割が社会から期待されていた。

当時、大学や短大などを卒業した若い女性の多くは就活して社会に出ることなく趣味や習い事に精を出していて、肩書としては「家事手伝い」ということが多かったように思う。

流石に「花嫁修業中」はそのとき既に死語だったが結婚前に社会から時間的猶予が与えられ、これを利用してお見合いなど今でいう婚活期間にある立場をそう呼んでいたのだろう。



しかし今や女性の社会進出が進み、いずれ将来専業主婦になるにしても女性もみんな就活して社会人になるように世の中が変わった。

女性も社会に出れば必然的に仕事、時間、責任などに追われて色々な意味で余裕がなくなってくる。

わが家の娘たちも社会人になって何年かたち、忙しそうにしているのでそれぞれの職場で戦力になり、きっと微力ながら社会のお役に立っているのだろう。

この状況の中、実家で暮らしていると本人は楽でいいのだが何もかもが面倒くさくなり、精神的な成長のスピードが遅くなってしまうように思うのだ。

人間は弱い存在なので誰しもラクな方へ流されてしまいがちである。

そして忙しくしていると時間がたつのはあっという間だ。



色々なことに追われているのに生活にまで追われるのはかわいそうにも思う。

しかし実家でヌクヌクしていても私たちがいつまでも守ってやれるわけではない。

私たちが亡くなって初めて一人暮らしになったときに本人の年齢が50、60台ということになるよりは、若くて体力的な余裕がある今のうちに一人暮らしを経験して生活と向き合い、自分を見つめなおし将来を考えるのは精神的な成長を促すと思うのである。

人生は分岐する分かれ道の連続であり、そのどちらの道を選択するのかによってその人がどんな人なのかが決まる。

だいぶ前のベストセラー「もしドラ」のドラッカーの言葉だったと思う。

「人生が難しいのは職業や配偶者など人生を大きく左右する要素を選択する時期が、経験の浅い若い年代にあるからである。」



確かにその通りである。

そして人生は短い。

しかし、それらは誰しも同じ条件なので不公平とは言えない。

どうせやらなければならないことがあるのであれば前向きに取り組むべき気がするが、あまり積極的だとガツガツ感が出てバランスが悪い。

みんな人生は難しいのである。



人生において経験とタイミングは重要な要素となる。

わが家の娘たちが親元を離れて一人で生きてゆけるようになる経験をするべきは、今がその時だと思うのである。

頭では理解しているつもりでも、やってみて体感しなければ本当に分かったことにはならないことが確かにある。

失敗を恐れずにやってみることがだいじだと思う。

一人で生きていくことがどれだけ面倒かが分かるかもしれないし、一人でいる気楽さが気に入ってしまえばずっと一人でいる選択肢も今の世の中にはあるのだから。



娘たちの一人暮らしに関して妻は心配そうで反対していたのだが、失敗したら帰ってくることができる今のうちに一度やってみなさいと私が肩を押してやった。

バブルの金持ち父さんになれなかった私のせめてもの親心である。


 

   2023年3月17日 4年ぶりの卒業式でした。



 3月も半ばを迎え桜の開花がニュースになっています。

昨日3月16日(木)は私が講義を持つ専門学校の卒業式でした。

長い間ずっとコロナの世の中だったので私にとって4年ぶりの卒業式出席です。



今回の卒業生たちが入学したのは3年前、2020年の4月でした。

新型コロナウィルス感染拡大に伴う緊急事態宣言の影響で初回の講義はyoutubeで行うことになり、誰もいない教室で録画したものがアップされました。

最初の対面講義は5月の連休明けでカリキュラムが遅れたため、夏休みがなくなって真夏も登校して講義しました。

シラバス(講義の年間スケジュール)も予定通りに進まなくなったため試験範囲が例年とはずれてしまい、それに合わせて試験を作る必要がありました。

私はいつも学生たちの顔と名前を憶えるようにしているのですが、全員がマスクをしている状況は初めてで例年になく困難を極めました。

毎学年1年生の公衆衛生学の講義だけ担当しているのですが彼らが3年生になった昨年、公衆衛生学国家試験対策の講義を初めて担当し国試問題の解説を行いました。



この科目の講義を始めて丸20年になるのですが、異例に初めてのことが多い思い出深い学年になりました。

学生であった3年間が丸々新型コロナウィルス感染症の影響下にあった彼らをかわいそうにも思いますが、そんな試練をみんなで乗り越えて国家試験に合格したという共通する思いが連帯感を強くしてくれることでしょう。



みなさんご卒業おめでとうございます。

ただでさえ厳しい上にコロナまで重なったこの3年間をよく頑張りました。

これからはみなさんらしい「いい先生」になって地域社会の医療に貢献してください。

応援しています。


最後に一言。

 「フォースと共にあらんことを…」


 

   2023年2月16日 冬来たりなば春遠からじ。



 2月になってたまに春の足音を感じるような日もありますが、まだまだ寒い日が続いています。



コロナの第8波はかなり下火になってきたようですが、インフルエンザが流行しているのでまだ気が抜けません。

歴史上過去のインフルエンザの大流行も期間は2~3年のようなので、コロナはこのまま終息してくれるといいですね。



私にとって身近な三人が闘病中で、入院したり手術を受けたり退院したりしています。

一人は遺伝子を共有する肉親、一人は昔日の思い出を共有する高校時代の同級生、そしてもう一人は日常生活を共有する家族です。



三人に起きたことはとても他人事ではなく、私の身に起きていても何の不思議もありません。

私も以前に比べるとムリがきかなくなりましたが、この程度で済んでいることを感謝しています。



三人とも元気になるよう心から祈っています。



2月6日に起きたトルコ南部からシリア北部にかけての大地震では発生から一週間以上が経過し、死者数が約4万人になっています。

2月24日でウクライナの戦争が始まって一年になります。



生きていれば人生いろいろと辛いこと苦しいこともある上に、病気になればこんなに大変なのに天災は忘れた頃にやって来るし、せめて人災である戦争はなんとかならないものでしょうか。

温もりが恋しい寒い季節の中、他者に想いを寄せるバレンタインデーも過ぎ、それぞれに大変な思いを抱えているみなさんに心よりお見舞い申し上げます。



しかしやまない雨がないように、明けない夜がないように、終わらない冬もないはずです。

人生いいことばかりはないけれど悪いことばかりでもないと信じ、希望を持って一歩一歩着実に歩んで行きたいものです。



「冬来たりなば春遠からじ」(シェリー)ですね。




 

2023年1月6日 2023年(令和5年)のスタートです。



山手パーク歯科は本日再開しました。

お天気のいい穏やかなお正月でした。



喪中のため例年より静かに過ごしました。

といっても寝たり、食べたり、呑んだり、ゴロゴロしたりだったので例年とあまり変わらなかったかもしれません。



ではここで新春の一句。

「駅伝に  触発されて  走り初め」



今年もよろしくお願いします。