2024年11月26日 LEFT ALONE . ( レフト アローン )
ビリー・ホリデイ さよならだけが人生か?
遅れていた紅葉の色づきが進み、今年の秋もやっと深まってきた。
昨年のこの時期は絵画をテーマにアップしたように(そのブログはこちら→2023年11月16日 深まる秋。 いまこそ花束を!)、毎年この時期は文化的なテーマになることが多い。
今回は音楽で行こうと思う。
山手パーク歯科 アート・ギャラリー (そのブログはこちら→2012年4月14日 大人の夜でした。)
むかし好きだったジャズの「レフト・アローン」が思いがけないところから繋がって私にとって新たな発見があり、最近またよく聴くようになった。
「レフト・アローン」はスタンダードと呼べる名曲で、ピアノのマル・ウォルドロン作曲のスローテンポなブルースのメロディーだが、ピアノはあくまでも控えめで脇役に徹しているところがクールである。
主役はジャッキー・マクリーンのアルト・サックスで、感情を揺さぶる切ないメロディーが盛り上がる。(よかったらyoutubeなどでお楽しみ下さい)
実はこの曲は発表当初まったく売れず、すぐ廃番になってしまったのだが、徐々に火が付き大ヒットとなった。
だが主にヒットしたのは日本国内のみで海外、特にアメリカでの評価は高くはない。
昔のTVトークショウでホストが作家の村上龍、アシスタントが岡部まりだった番組「Ryu’s Bar」のオープニング・テーマ、バド・パウエルの「クレオパトラズ・ドリーム」やビリー・ジョエルの「ストレンジャー」と共に、私にとって不思議な日本のみのローカルヒット三大名曲の一つである。
思いがけない繋がりは、昨年の今頃読んでいた村上春樹著「1Q84」である。(そのブログはこちら→2024年2月13日 バレンタインにラヴストーリーを! 15年後の出逢い。)
作品中で古いジャズがたくさんとり上げられている中にビリー・ホリデイの名があり、まったくなじみがなかったのでネットで調べてみたところ「フェン・ユー・アー・スマイリング」、「ブルー・ムーン」などがなかなかよかったのだが、あの「レフト・アローン」の作詞がビリー・ホリデイとなっているのである。
私にとって「レフト・アローン」はジャッキー・マクリーンの泣きのサックスが胸に沁みるインストゥルメンタル・ヴァージョン(ヴォーカルなし)の印象が強いのだが、そういえばむかし確かにフィリピン出身のジャズ・ヴォーカリスト、マリーンが「レフト・アローン」を歌っていた。(よかったらyoutubeなどでお楽しみ下さい)
そこでビリー・ホリデイの「レフト・アローン」を聴いてみたいと思ったのだが、どんなに探してもCDにも動画にもないのである。
エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンと共に女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家と呼ばれるビリー・ホリデイは、1915年4月、ジャズ・ギタリストの父のもとに生まれた。
しかしこの父は当時19歳、母は17歳という年齢で、父は夜ナイト・クラブで演奏し日中は街頭を流しているという生活ゆえ彼女の認知すら危うい状態で、まともな職のない母は売春も収入源としていたため、通常の養育環境は望めなかった。
外泊の多い母のもとと、虐待される母方の親戚の家と、養護施設を行き来しながら成長した彼女は、やがてジャズ・クラブで歌い始め頭角を現す。
順調なキャリアがスタートしてヒットを連発、一流アーティストとの共演などを経て当時のトップ・スターの座に上りつめる。
しかし当時そういう稼げる女性に接近してくる男性はヒモ体質のバンド仲間・マネージャー・二流のギャングたちで、彼女を支配するために使うのは酒や麻薬。
キャリアは順調だが一歩世界を広げようとすると立ちはだかる人種差別。
麻薬中毒のため逮捕され服役、出所しても制限される活動の場。
二度の結婚と離婚、その他にも次々に接近してきた男たちはやがてみんな去り、喫煙習慣やアルコールと薬物依存症が彼女の肉体を次第に蝕んでゆく。
すべての困難に対し歌い続けることだけで立ち向かい、栄光と挫折に満ちた壮絶な人生を送ったビリー・ホリデイは1959年7月、44歳で亡くなる。
その晩年、ピアノの伴奏をつとめていたのがマル・ウォルドロンである。
「レフト・アローン」は1959年春、亡くなる数ヶ月前にサンフランシスコに向かう機上でビリー・ホリデイにより作詞されたといわれている。
その歌詞は、
「 心を満たしてくれる愛はどこ?
立ち去らずに共にいてくれる人はどこ?
みんな傷つけ見捨てていく。
あなたは行ってしまった。 私は一人ぼっち 」
というもので、まさに彼女の人生への切実な想いが歌われた内容となっている。
生前、短い期間に何度かステージで「レフト・アローン」を歌っていたようだが、録音された音源が存在しないためCDも動画もないのである。
ビリー・ホリデイのテイク(音源)が残ってさえいたら、この曲の評価はまったく違ったものになっていたのではないだろうか。
彼女の死後、作曲したピアノのマル・ウォルドロンが、アルト・サックスのジャッキー・マクリーンを招き、ビリー・ホリデイの追悼アルバムとしたのがこの「LEFT ALONE ( レフト・アローン )」なのである。
アルバム・ジャケットには、ピアノを演奏するマル・ウォルドロンの向こうに佇(たたず)むビリー・ホリデイの姿がぼんやりと描かれている。
レフト・アローンの”Left”(レフト)は「左」ではなく”Leave”(リーヴ)「去る」の過去・過去分詞で「行ってしまった」となる。
“Alone”(アローン)は「孤独・一人ぼっち」となる。
作詞したビリー・ホリデイにとっては離れていった男性たち対するメッセージとして
「(あなたは)行ってしまった。 (私は)一人ぼっち。 」
となるが、一人取り残された作曲者マル・ウォルドロンにとっては
「(ビリー・ホリデイは)行ってしまった。(私とこの曲は)一人ぼっち。 」であり、
彼女の壮絶な人生を想えば
「 逝ってしまった。 一人ぼっちで…。 」だったのではないだろうか。
さよならだけが人生なのか…?
12月になって街が浮かれ始める前の晩秋のひと時、しっとりとしたジャズ・バラードに耳を傾けながら想いを巡らせるオトナの夜も悪くない。