横浜市中区の山手パーク歯科のブログ(石川町)

横浜市中区の山手パーク歯科のブログ(石川町)

横浜市中区石川町の歯医者が日々の生活で気付いたことを綴る趣味の日記です。最近では歯科の話以外の趣味やペットのブログにになりつつあります。。。

   2024年11月26日 LEFT ALONE . ( レフト アローン )
               ビリー・ホリデイ   さよならだけが人生か?




 遅れていた紅葉の色づきが進み、今年の秋もやっと深まってきた。

昨年のこの時期は絵画をテーマにアップしたように(そのブログはこちら→2023年11月16日 深まる秋。 いまこそ花束を!)、毎年この時期は文化的なテーマになることが多い。

今回は音楽で行こうと思う。

 


山手パーク歯科 アート・ギャラリー (そのブログはこちら→2012年4月14日 大人の夜でした。


むかし好きだったジャズの「レフト・アローン」が思いがけないところから繋がって私にとって新たな発見があり、最近またよく聴くようになった。

「レフト・アローン」はスタンダードと呼べる名曲で、ピアノのマル・ウォルドロン作曲のスローテンポなブルースのメロディーだが、ピアノはあくまでも控えめで脇役に徹しているところがクールである。

主役はジャッキー・マクリーンのアルト・サックスで、感情を揺さぶる切ないメロディーが盛り上がる。(よかったらyoutubeなどでお楽しみ下さい)

 


実はこの曲は発表当初まったく売れず、すぐ廃番になってしまったのだが、徐々に火が付き大ヒットとなった。

だが主にヒットしたのは日本国内のみで海外、特にアメリカでの評価は高くはない。

昔のTVトークショウでホストが作家の村上龍、アシスタントが岡部まりだった番組「Ryu’s Bar」のオープニング・テーマ、バド・パウエルの「クレオパトラズ・ドリーム」やビリー・ジョエルの「ストレンジャー」と共に、私にとって不思議な日本のみのローカルヒット三大名曲の一つである。



思いがけない繋がりは、昨年の今頃読んでいた村上春樹著「1Q84」である。(そのブログはこちら→2024年2月13日 バレンタインにラヴストーリーを! 15年後の出逢い。

作品中で古いジャズがたくさんとり上げられている中にビリー・ホリデイの名があり、まったくなじみがなかったのでネットで調べてみたところ「フェン・ユー・アー・スマイリング」、「ブルー・ムーン」などがなかなかよかったのだが、あの「レフト・アローン」の作詞がビリー・ホリデイとなっているのである。

私にとって「レフト・アローン」はジャッキー・マクリーンの泣きのサックスが胸に沁みるインストゥルメンタル・ヴァージョン(ヴォーカルなし)の印象が強いのだが、そういえばむかし確かにフィリピン出身のジャズ・ヴォーカリスト、マリーンが「レフト・アローン」を歌っていた。(よかったらyoutubeなどでお楽しみ下さい)

 


そこでビリー・ホリデイの「レフト・アローン」を聴いてみたいと思ったのだが、どんなに探してもCDにも動画にもないのである。

エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンと共に女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家と呼ばれるビリー・ホリデイは、1915年4月、ジャズ・ギタリストの父のもとに生まれた。

しかしこの父は当時19歳、母は17歳という年齢で、父は夜ナイト・クラブで演奏し日中は街頭を流しているという生活ゆえ彼女の認知すら危うい状態で、まともな職のない母は売春も収入源としていたため、通常の養育環境は望めなかった。



外泊の多い母のもとと、虐待される母方の親戚の家と、養護施設を行き来しながら成長した彼女は、やがてジャズ・クラブで歌い始め頭角を現す。

順調なキャリアがスタートしてヒットを連発、一流アーティストとの共演などを経て当時のトップ・スターの座に上りつめる。

しかし当時そういう稼げる女性に接近してくる男性はヒモ体質のバンド仲間・マネージャー・二流のギャングたちで、彼女を支配するために使うのは酒や麻薬。



キャリアは順調だが一歩世界を広げようとすると立ちはだかる人種差別。

麻薬中毒のため逮捕され服役、出所しても制限される活動の場。



二度の結婚と離婚、その他にも次々に接近してきた男たちはやがてみんな去り、喫煙習慣やアルコールと薬物依存症が彼女の肉体を次第に蝕んでゆく。

すべての困難に対し歌い続けることだけで立ち向かい、栄光と挫折に満ちた壮絶な人生を送ったビリー・ホリデイは1959年7月、44歳で亡くなる。



その晩年、ピアノの伴奏をつとめていたのがマル・ウォルドロンである。

「レフト・アローン」は1959年春、亡くなる数ヶ月前にサンフランシスコに向かう機上でビリー・ホリデイにより作詞されたといわれている。



その歌詞は、

「 心を満たしてくれる愛はどこ? 

立ち去らずに共にいてくれる人はどこ?

みんな傷つけ見捨てていく。

あなたは行ってしまった。 私は一人ぼっち 」

というもので、まさに彼女の人生への切実な想いが歌われた内容となっている。



生前、短い期間に何度かステージで「レフト・アローン」を歌っていたようだが、録音された音源が存在しないためCDも動画もないのである。

ビリー・ホリデイのテイク(音源)が残ってさえいたら、この曲の評価はまったく違ったものになっていたのではないだろうか。



彼女の死後、作曲したピアノのマル・ウォルドロンが、アルト・サックスのジャッキー・マクリーンを招き、ビリー・ホリデイの追悼アルバムとしたのがこの「LEFT ALONE ( レフト・アローン )」なのである。

アルバム・ジャケットには、ピアノを演奏するマル・ウォルドロンの向こうに佇(たたず)むビリー・ホリデイの姿がぼんやりと描かれている。



レフト・アローンの”Left”(レフト)は「左」ではなく”Leave”(リーヴ)「去る」の過去・過去分詞で「行ってしまった」となる。

“Alone”(アローン)は「孤独・一人ぼっち」となる。

 



作詞したビリー・ホリデイにとっては離れていった男性たち対するメッセージとして
「(あなたは)行ってしまった。 (私は)一人ぼっち。 」
となるが、一人取り残された作曲者マル・ウォルドロンにとっては
「(ビリー・ホリデイは)行ってしまった。(私とこの曲は)一人ぼっち。 」であり、
彼女の壮絶な人生を想えば
「 逝ってしまった。 一人ぼっちで…。 」だったのではないだろうか。



さよならだけが人生なのか…?

12月になって街が浮かれ始める前の晩秋のひと時、しっとりとしたジャズ・バラードに耳を傾けながら想いを巡らせるオトナの夜も悪くない。

   2024年10月27日 助手会でした。



 助手会は年に1~2回行われる山手パーク歯科スタッフの食事会で、強制参加ではありませんが出席率の高いイベントです。

コロナが2類だった期間はもちろんできませんでしたが、昨年7月に再開してから1年ちょっとぶりでした。

以前は忘年会でしたがスタッフに主婦の方が増えて12月はご主人が忙しくて参加しづらかったり、5類になってまだ続いているコロナ流行のピークが夏と冬であることを考慮してこのタイミングになりました。

12月じゃないのに忘年会とは言えないなと思っていたら「女子会だと先生が来れないから、助手会にしましょう」とのスタッフの提案により命名されました。

 



山手パーク歯科はコロナの流行前、日曜日も診療していました。

日曜日はスタッフのシフトはなしで、私がすべて一人でやるワンオペ診療でした。

流石に15分刻みのアポイントを入れることはできず、30分刻みにしていました。

アポが入っている患者さんの治療予定を確認し周到な準備をして来院を待ちます。

 



患者さんが来院されたら受付業務からスタートし、ユニットへ誘導して問診から治療開始。

治療終了後PCに治療内容を入力、領収書をプリントアウトして会計業務。

次回のアポイントをお取りして記入したカードをお渡し。

お見送りしてからユニットの片づけ、次の診療の準備。

この間かかってきた電話にも出て、そして来院された次の患者さんに同じように対応。

 



高いレベルの注意集中を維持したまま目まぐるしく動き続けて、この繰り返しを休みなしで10時から2時まで4 時間8人診療すると、診療後医院を閉めてから何もかもほったらかして横になった瞬間にストンと寝落ちしてしまうほどクタクタでした。

目が覚めて、まず腹ごしらえをしてから溜まった流しの洗い物を片付けて消毒・滅菌。

カルテや技工所への指示書なども書いてから会計の締めまでやって、医院を出るころにはもう夕方でした。

永年こんなことをしていた私にとってスタッフは、ただそこにいてかかってきた電話をとってくれるだけでもありがたい存在であるということが身に染みているのです。

 



山手パーク歯科を受診した患者さんが夜就寝する際、布団に入ってその一日のできごとを思い返すときに浮かぶのは、診療室の中の治療中のできごとよりも受診前後のスタッフと接した際の、例えば「暑いですねえ・寒いですねえ・お大事に」などの何気ないやりとりやマスク越しの笑顔なのではないでしょうか。

そういった意味で私は歯科医院にとってスタッフは医院の「顔」だと思っています。

歴代のスタッフを思い返しても山手パーク歯科はスタッフに恵まれていると思いますが、いまのスタッフたちは特にホスピタリティー(癒し)のレベルが高い、いい「顔」がそろってくれたと思っています。

そしてそのスタッフ同士の仲がいいことが、喜ばしくありがたいことだと思います。

 



今回の助手会は私と8名のスタッフのうちの7名、私の家族3名のうち2名、そしてスタッフの1歳のお嬢さん1名の合計11名が参加しました。

山手パーク歯科のシフトは平日も土曜日も午前と午後が分かれていて、いつも私とスタッフ1名で診療していることが多いのでスタッフ同士が顔を合わせることはほとんどなく、主婦、歯科衛生士、学生など肩書はバラエティーに富んでいますが、会は大変打ち解けて盛り上がりました。

山手パーク歯科助手会史上最年少のメンバーもいつもはもう寝ている時間にもかかわらず元気で、何度もハイタッチさせていただき大変光栄でした。

以前の助手会でスタッフの一人から「職場の飲み会でこんなに楽しかったのは初めてです」と言われて嬉しかったことを憶えています。

会場は石川町駅に近いカジュアルなイタリアンレストランで、食事も飲み物もとても美味しかったです。

 



以前もブログに書いたことですが、私はスタッフたちを心の中で密かに「地蔵坂46」と呼んでいます。

ネーミングがイケてないことは認めますが、石川町駅から地蔵坂を上って出勤するためどうしてもこうなってしまうのであり、各スタッフには何の問題も責任もない素晴らしい方々ばかりです。

にぎやかだったりおとなしかったり、慎重だったり大胆だったり、緻密だったり手早かったり、たくさんの個性豊かな素晴らしいスタッフ(地蔵坂46)たちに支えられていることを再認識し、これからも頑張っていこうと決意を新たにした一夜でした。

 





 

   2024年9月29日 ぼくたちはどこにいるのだろう。
        山手パーク歯科アート・ギャラリー  "YOKOHAMA COOL NIGHT"


 「川崎のモンサンミッシェル」 

(そのブログはこちら→2013年5月1日 勝手に認定山手パーク歯科文化遺産(2) こんなところに世界遺産が?


 人は誰もみな自分を見失ってしまうと「ここはどこ? ぼくはどこにいるのだろう?」と思うことがある。

そしてそれはお酒が絡んでいることが多いように思う。

 「路地裏の月」

(そのブログはこちら→2020年6月16日 「流浪の月」いい本でした。


遅くなった仕事帰りの帰宅時、山手パーク歯科近所にお住いのビジネスマンの患者さんに最寄り駅の石川町ではなく私の降車駅のホームでばったりお会いして「どうしたんですか?」とおききしたところ「呑んだ帰りに寝過ごしてしまいました」とのことだった。

私はお酒が弱く呑む機会も少ないのでそういう失敗はないのだが、あろうことか読書に熱中し過ぎて電車を降りそびれてしまうことがある。



読んでいる作品の魅力に引き込まれて、ストーリーが佳境を迎えているときにやらかしてしまう。

そしてそれはたいてい夜の帰宅時なのだが、まれに朝の出勤時のこともあり大慌てになることがある。

自分を見失うほど感情移入して読書に集中できるということは、いい作品に出逢えているわけで喜ばしいことであり、それは感謝なのだが「朝からシラフで何やってんだ!」と自分にあきれてしまう。



 先日、中秋の名月だった。

雲がかかって見えないことも多いが今年は夜空に雲が少なく見えそうだったので、家族と麻呂を連れてお月見散歩に出かけた。

まん丸の満月がきれいに見えていたのだが、撮影しようと見上げたら薄い雲がかかってしまい残念だった。



もう何年も前の話しなのだが、やはりこれも遅くなった仕事帰りの帰宅時、駅からの住宅街を自宅に向かって歩いていると満月が真っ暗な夜空に浮かんでいた。

「キレイだなぁ」と思っていたら道の反対側を並んで同じ方向に歩いていた若いビジネスマンがスマホを取り出した。



「もしもしボクだけど、今何してた?

ちょっとベランダに出られるかな?

ほら月がとってもキレイだよ。

ボクたち今はなれてるけど、同じ月を見てるんだね。」


 「工場(荒城)の月」


「とてもロマンチックだ」と青豆に言ったのは村上春樹著「1Q84」のタマルだった。

ここは誤解のないようにはっきりとお断りしておくが、私は盗み聞きをした訳ではなく本当に聞こえてきただけである。

 「山元町 ミッドナイト」


むかしNTTコミュニケーションズのCMでこんな会話のバージョンがあり、バックに山下達郎「ラヴ・キャン・ゴー・ザ・ディスタンス」もしくはブルーノ・マーズ「トーキング・トウ・ザ・ムーン」がかかっていたような気がする。(よかったら youtube などでお楽しみ下さい)

離れて暮らす恋人と月を通じて間接的に繋がっていることを確認したい気持ちは分かるが、小説や映画やドラマ、CMや歌詞ならともかく、これは聞いているこちらの方が赤面するほど恥ずかしくなるような無差別自爆テロに等しい発言である.

 「月港」(げっこう)


きっと恋人へのつのる想いと美しい月によって感じられる繋がりに一時的にのめり込んで自分を見失ってしまい、周りが見えなくなってそれこそどこにいるのか分からなくなっていたのだろう。

美しい月には人を惑わせる力もあるという。

私も自分を見失わないように気をつけたいものである。





 

   2024年8月25日 吾輩はトイプードルである。Ⅱ (4)
                  短パンデイズ 2024




 吾輩はトイプードルである。

6月・7月と2回続けてマジメなブログをアップして疲れたのだろう。

父から「お花見デビュー」以来4ヶ月ぶりにブログをアップするように仰(おお)せつかった。

6月の誕生日で1歳になり順調に成長して体重は3.2Kgになった吾輩にとって、夏休みの宿題の追い込みのようなものである。



8月のお盆休みの時期は、短パンで過ごすことが多いので「短パンデイズ」というタイトルらしい。

しかし確かに短パンで過ごしてはいたが「山の日は山で過ごすべく軽井沢の別荘に行っていた」というほどの富裕層ではない父は、ウチでゴロゴロしていた。

というわけで特に変わったことは何もない。



パリ・オリンピックが終わった。

日本のお家芸と言われる柔道でご当地フランスが活躍し、フランスのお家芸と言われるフェンシングで日本が活躍したのが印象的だった。



スポーツ観戦好きだがふだん忙しい父は昔からプロ野球やサッカーJリーグを日常的に観戦する習慣はないが、オリンピック期間中は「4年に一度なんだから見せてくれよ」とチャンネル権を主張するようだ。

しかし新型コロナの影響で1年遅れた東京オリンピックからは3年だし、オリンピックとオリンピックの間には冬季オリンピックやサッカー・ラグビーのワールドカップ、野球のWBCなども見ているのでほぼ年に一度はお楽しみがやって来てTVを見ていることになる。

そう考えると父はコアなスポーツ観戦ファンではなく「好きなチームは日本代表」というただのミーハーオヤジのような気がするが、サッカー・ラグビーのワールドカップでは日本代表が敗退した後の準々決勝以降も調子のいい強豪国同士の対戦を選んで観戦している。



そういう好カードと呼ばれるゲームが放送されるのはたいてい深夜か早朝で、録画して楽しめばいいと思うのだがヒリヒリした緊迫感を味わうには生中継に限るらしい。

わが家のTVが設置されているリビングに置かれたゲージで就寝する吾輩にとって迷惑この上ないのだが、誰かの足元でゴロゴロしながらウトウトしてときどき歓声で目が覚めるのもなかなか悪くない。

まあ吾輩の場合、睡眠不足は昼寝でカバーすればいいだけのことなのだ。



今回のパリ・オリンピックでわが家が一番盛り上がったのは男子バレーボールの日本対イタリア戦だった。

マッチ・ポイントを握りながら逆転負けを喫したのだが、ワクワク・ドキドキは勝っても負けてもいいものらしい。



吾輩からするとどちらでもいいことなのだが、前回ブログの父の表現を借りれば「やるかやられるかを楽しむ」とあるように、人間は戦うことやそれを見ることが好きだなあと思う。

「麻呂」などいうお坊ちゃまな名前を持つ吾輩からすると野蛮なことのように思われるが、本物の血が流れ生命が失われる戦争よりはずっといいと思う。



審判の誤診、選手のジェンダー、SNSにおける誹謗中傷などの問題もあったが、オリンピックは戦争とは違い公平なルールの下、スポーツでギリギリの真剣勝負のヒリヒリを感じる平和の祭典なのだろう。

ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ、どちらの紛争も依然として続いているが、早く平和な世界が訪れて、2028年のロスアンジェルス大会こそ真の平和の祭典となるよう心から祈念してやまない。



この暑い季節、日中は路面温度が高すぎるので吾輩の散歩は夕方以降に行くことが多い。

歩くことが苦手で走ってばかりいる吾輩の散歩は「百本ダッシュ」と呼ばれ、伴走の父はトレーニングウェアにジョギングシューズで二人してハアハア息を切らして帰宅するので迎える母からは「体育会系トイプードル」と呼ばれている。



多様性が重視される世の中なので、吾輩にもチャンスがあるかもしれない。

 

これからも2028年のオリンピック・ロスアンジェルス大会出場を目指してトレーニングに励もうと思う。





 

  2024年7月26日 ぼくたちはどこからきたのだろう。
             オトナの夏休み 2024




 なぜだろう、いつも海に心惹かれている。



朝クルマで出勤するときは、根岸の不動坂を上り切ったところに建つレストラン・ドルフィンと隣接するマンションとのすき間からチラ見えする、日石根岸製油所越しの貨物船が行き交う東京湾につい目が行ってしまう。

それは一瞬の光景なのだが、晴れた日には千葉まで見えるのだ。


(樹木が茂っている時期は見えないこともある。 この画像は2024年3月撮影。)

ユーミンが松任谷ではなく荒井由実だった頃の名曲、「海を見ていた午後」の海である。

根岸旭台交差点の信号が赤で、たまたま2台目で信号待ちをするとこの光景が右手にゆっくりと鑑賞できる。



私はスタバがオープンしたことが、全国ニュースになるほど人口が少ないことで有名な地方の大学病院で生まれた。

退院した私が最初に落ち着いたのは、当時両親が借りて住んでいた温泉地の海辺に別荘として建てられた平屋のこぢんまりとした住宅だった。



もちろん私に記憶はないのだが、おそらくまだ目が開くか開かないうちから潮騒(しおさい)を耳にしながら人生をスタートさせたはずである。

海に惹かれるのは、そんなことが関係しているのだろうか。



5月の連休前に宮古島に行ったばかりだが、今年も海の日を海で過ごすべく下田へ行ってきた。

今では海に入ることはほとんどないのだが、広い海を眺めているだけで都市生活の窮屈な日常からの解放感と共に、自然の中では人間がちっぽけな存在であることを思い出すきっかけになり、特定の宗教に強い信仰は持たない私にとって敬虔(けいけん)な気持ちになる貴重な機会である。



当時は珍しかったのだが、私は両親の影響で幼少期から硬式テニスに親しんだ。

まだラケットが木製だった時代である。

その後、社会現象となったテニスブームもあり、かなり本格的に打ち込んだ時期があった。



テニスは皇室や軽井沢のイメージが強く、優雅なコミュニケーションのように誤解されやすいが、その本質はボールを介した殴り合いであり、やるかやられるかを楽しむ格闘技的な世界である。

そんなギスギスした世界にいた私が、スキューバダイビングに出会ったときの衝撃は計り知れないほど大きいものだった。



当たり前のことなのだが、その冒険のようなスポーツのようなアトラクションであるスキューバダイビングには、勝ち負けがないのである。

それまでテニス浸りの日常において勝つために緊張感と共に集中し、かつリラックスすることまでを意識的にコントロールしていた私は、こんな世界があることを知って拍子抜けしてしまった。



肺呼吸が欠かせない私たち人間にとって水中は、生きてゆくことを拒絶される世界である。

しかしスキューバダイビングにおいて背負ったボンベの中の圧縮空気を、くわえたレギュレーターで口呼吸することにより水中に滞在可能となる。



座学と実習受講後に筆記と実技の試験を経て、めでたくスキューバダイビングのライセンス
 NAUI Open Water 1 を取得。

お祝いに、インストラクターやガイドたちが連れて行ってくれたボートダイビングのツアーが忘れられない。



見渡す限り何もない海のまん中のポイントに到着して、海面に一本だけ突き出ている沈船の錆びたマストに乗ってきたボートを係留。

エントリーすると水深約15m( 5階建ての高さぐらい)の水中に太平洋戦争で撃沈された日本海軍の艦船が壁のように横たわっている。



船内を探検してから海底に集合していた私たち数人のグループに向かってやってきたのは、マンタのような形をした小型のトビエイ(スポッティッド・イーグルレイ)約20匹の大群。

こちらに気がついて少し手前で旋回し、私たちの前を横切るように通過してゆく。

後できくとこの遭遇は、現地のインストラクターやガイドたちも初めての体験だったそうで興奮していた。



水深の半分ぐらいのポジションで、暖かい海水に包まれたまま中性浮力(浮かびも沈みもしない状態)を維持。

音のない水中にたたずむと、はるか頭上は空ではなく光またたく波打つ海面、そして足元はるか下には白い砂が波打つ砂紋を描く海底。

ドラえもんのタケコプターで空中に浮かんでいるような錯覚に陥(おちい)る人生初のこの状況で私を強く揺さぶるのは、なぜか既視感(デジャヴ)を伴わない感覚としての激しい懐かしさ(ノスタルジー)なのだ。



奇妙な感覚に揺さぶられながら私は戸惑う。

人生初であるはずのこの状況で、くわえているレギュレーターを外せば呼吸すらできない、私たちの生存を拒むこの環境がなぜ懐かしいのかまったく分からない。



考え続けて、やがて一つの答えにたどり着く。

それは「母の胎内はきっとこうだった」という懐かしさから導かれる確信である。

静かで薄暗いけれどおぼろげな光や様々な気配が感じられ孤独ではない、自発呼吸すら必要ない穏やかな温かい羊水に浮かんだ胎児だった頃の記憶はもちろん私の頭にはないが、DNAに深く刻み込まれていてその確信に至るのだ。



歴史的に最初は無機物しか存在しなかった地球の環境で、なぜ有機体である生命が誕生したのかは永遠の謎のままだ。

しかし、あの懐かしい感覚から確信を持つ私は断言する。



生命はまちがいなく海から生まれたと。

そして長い時間をかけて進化を続け、いま私たちがここにいるのだと。



もし仮に太古の時代の地球上に最初の生命が誕生した場所が海でないというのなら、いったいぼくたちはどこからきたのだろう。




 

   2024年6月25日 ぼくたちはどこへゆくのだろう。



やっと梅雨入りしたけど今日はいい天気でした。

降れば警報級の大雨だけど、降り続かないのでなかなか梅雨入りしなかったり今年はなんだか梅雨らしい感じがしません。



確かに梅雨は好感度の高いシーズンではありませんが、農作物にとっては恵みの雨だし酷暑の時期の水源が心配です。

四季のある美しい国だったのに地球温暖化により春と秋がほとんどなくなり、日本の夏は亜熱帯化して土砂降りの雨はスコールのようです。



6月5日は世界環境デーでした。

6月になり、私の専門学校の講義は「第6章 環境保健」に入りました。

歯科医院のブログなのでネガティブな話題はできるだけ避けるようにしていますが、環境のことを考えるとき、とてもポジティブではいられません。



世界人口が80億人を超えました。

70億を超えたのは12年前のニュースでした。



先月講義していた「第4章 感染症の予防」では「感染」の定義を分かりやすい言葉にして「菌が人間にくっついて入り込んで増えること」と学生たちに伝えるのですが、まさに今地球は二酸化炭素(CO₂)という毒素を持つ人間に感染しているのだと思います。

これだけ増えた人間が何か特別なことをしなくても普通に暮らしているだけで大量の二酸化炭素(CO₂)が排出されるのに、さらに豊かな生活を志向して生産活動を行うことによりさらに排出量が増加します。

私もその80億人の一人なので人のせいばかりにはできません。



正常な大気の成分はそのほとんどがチッ素と酸素で二酸化炭素(CO₂)は全体の約0.03%に過ぎません。

そんな微量な成分がわずかに増えただけでこんなにも環境に大きな変化が現れるのだから、地球のコンディションはとても微妙なバランスの上に成り立っていることになります。



私たち一人一人が地球のためにできることを考えても、ムダな電力の消費がないようこまめにスイッチを切ることに気をつけるぐらいで、高度に発達した文明を持つ現代社会の都市生活で切り札になるような対策は見当たりません。

温暖化で暑い夏は「冷房を上手に使って熱中症に気をつけましょう」ということになって電力の消費が促され、その消費される電力を発電するために二酸化炭素(CO₂)が排出されているかもしれないのです。



原子力なら二酸化炭素(CO₂)の排出はなく発電することができますが、地震に対する安全性や核のゴミの問題がまだ解決されておらず、私たちの手に余る存在と思われます。

どうしたらいいのでしょう。



私が毎年この時期によく聴く曲に「奇跡の地球(ほし)」があります。

よかったらyoutubeなどでお聴き下さい。

1995年にチャリティーシングルとして発表された古い曲で、桑田佳祐(サザンオールスターズ)と桜井和寿(Mr.Children)のデュエットです。



環境破壊に警鐘を鳴らすカッコいいロックナンバーですが、約30年間何も問題が解決されていないばかりか深刻化していることに気づかされ愕然とします。

本当に私たちは、競争が激しい行き過ぎた資本主義社会で生活する中で目先の利害にばかり気を取られ、自分たちの住む場所が自分たちの手によって壊されてゆくことから目を背け続けられるほど無責任で愚かな存在なのでしょうか。



私たちの宇宙船地球号は、隣人と理解し合えず戦争ばかりしているのに増え続ける定員オーバーした80億人の乗員を乗せ、キャパシティー(許容限度)を超えつつある二酸化炭素(CO₂)でコンディションを崩しながら太陽の周りを自転しながら周回軌道しています。

ぼくたちの未来はどこに向かってゆくのだろう。





 

   2024年5月20日 R・A・K・U・E・N でした 2024。 健康と平和



連休と母の日が終わり、新緑が少し濃いグリーンになってきました。

ウクライナの戦争が始まって2年、ガザ地区の戦闘が始まって半年以上が経ちました。



戦争は一度始まってしまうとなかなか終わらないのに、戦争を始める敷居の高さはずいぶん低くなっているような気がします。

平和な世の中で暮らしていけることは、つくづくありがたいことだと思います。



山手パーク歯科は木曜日休診ですが、私は専門学校で講義をしています。

5月の連休も医院は休診しますが、1学期中間試験の問題制作期間で家族は遊びに行っても私は自宅にこもっていることが多いです。

そんな診療を休んでいても何かしらやっているような生活を長年続けてきた私は、3年前に体をこわしてから服薬して健康を維持しています。



言うまでもなく、私が診療を休むと患者さんにご迷惑がかかります。

しかしアポイントが取ってあるのに急に倒れると、もっとご迷惑をおかけしてしまいます。

そこでたまに何もせずに休むために、思い切って休診することにしています。



最初にこの「健康と平和」というタイトルでアップしたのは2年前に石垣島(そのブログはこちら→2022年5月16日 R・A・K・U・E・N でした 2022。 健康と平和)に行ったときでした。

昨年は家内が体調を崩していてどこにも行かなかったのですが、今年は何とか行けそうだったので連休の前に少し休診して宮古島に行ってきました。



石垣島では海・プール・ゴルフなどでエンジョイしましたが、今回はお天気が曇りの日が多く水温も低めだったのでのんびりジャグジーにつかったり、レンタカーでドライブするぐらいでした。

バカンスを満喫できた訳ではありませんがリフレッシュしました。



もちろん麻呂は留守番で長女と次女が交代で世話をしに帰ってきてくれました。

どうしても二人の都合が合わなかった一泊だけは、かかりつけの獣医さんのお世話になりました。

さみしい想いをさせたので、お土産はフンパツして私とおそろいのTシャツにしたのですが、なかなか似合って喜んでくれたようです。



洗練されたリゾートでゆっくり過ごすには私にとってかなり大きな出費を伴いますが、休診しても放っておくとすぐ何かを始めて具合が悪くなるまで働き続けてしまう、ワーカホリック(仕事中毒)の私を強制的に休ませるには必要な経費と考えています。

2年前にも書いたことですが個人的な問題である健康と社会的な問題である平和は、私たちにとってどちらもかけがえのない大切なものであるにもかかわらず両者ともそれが当たり前に感じて、つい大切に扱うことがおろそかになってしまいがちです。



これからもこの宝物のような健康と平和がこの手の中にある限りそのありがたさを忘れずに慈しみ、ときどきしっかり休んで末永く山手パーク歯科とこのブログを続けてゆこうと思います。

どうぞ宜しくお願い致します。





 

   2024年4月12日 吾輩はトイプードルである。Ⅱ(3)
                お花見デビュー。




 半年ぶりのご無沙汰である。

吾輩はその後順調に成長して生後10ヶ月で体重は約2.6kgになり、ティーカップ・プードルの規格はすでに超えてしまった。



あいかわらず旺盛な食欲でいたずら盛りである。

毎日朝から晩まで「マロ!」と怒られてばかりであるが、あまり反省はしていない。



父によると吾輩の小さい頭の中はゴハンといたずらでいっぱいなのだそうだ。

当たらずとも遠からずである。



それよりも父を悩ませているのは吾輩の歯並びである。

受け口(前歯部反対咬合)のかみ合わせの上に左下の犬歯(まあすべて犬歯といえば犬歯なのだが…)が外側に傾斜(唇側傾斜)していて、歯が出てしまって唇が閉じない(口唇閉鎖困難)のである。



歯科医院の看板犬としては笑えないチャームポイントなのだそうだ。

父は真剣に矯正治療の紹介先を検討中らしい。



桜が満開の季節を迎えて吾輩もお花見デビューすることになった。

父と母はお花見が好きだがどんちゃん騒ぎの習慣はないらしい。

散歩がてら近所の公園に行ったり、ドライブがてら夜桜見物に行ったりしてお花見を堪能している。



初めて見るソメイヨシノの満開は圧巻で、その美しさに感動し一句浮かんだ。

「満開の スプリング・ハズ・カム いとをかし」

桜が満開になり春が来たことを実感するのは、とても趣(おもむき)があっていいものである。

   中村の麻呂   お花見デビューの句

2024年3月28日 卒業。



 卒業式シーズンで先日、講義を持つ専門学校の卒業式に出席してきました。

国家試験もみんなきっと頑張ってくれたことでしょう。



もちろん学校の就学期間を終えることが「卒業」ですが、ある状態を終えることも「卒業」といいます。

娘たちが自立したときには子育てを卒業したのだと思いホッとしました。



直近は3年前の歯科医師会理事の卒業で、こちらもホッとしました。

そして近年女性アイドルグループを脱退することも「卒業」と言います。



ところで山手パーク歯科は学生から主婦まで多くの女性スタッフに支えられています。

私は医院付近の坂道にちなみ、山手パーク歯科のスタッフたちを心の中で密かに「地蔵坂46」と呼んでいます。

ネーミングとしていま一つイケてないのは認めますが、通勤の際JR石川町駅から私が上るのがこの坂なのでどうしてもこうなってしまうのであり、スタッフの方々には何の問題も責任もなく、みんな素晴らしい方々ばかりです。



この春に「地蔵坂46」を卒業するスタッフがいます。

採用した4年前は大学1年生でしたがいよいよ卒業で就職も決まり、「地蔵坂46」も卒業することになったのです。



彼女だけではなく今年卒業する大学生たちは、4年間の学生生活の3年間をコロナの流行下で過ごした方々です。

昨年3月に専門学校を卒業した学生たちは学生生活の3年間が丸々コロナとかぶっていました。



「団塊の世代」、「バブル世代」、「ゆとり世代」などのように、そのうち「コロナ世代」などと呼ばれるようになるのでしょうか。

仕方がないことではありますがかわいそうな気がします。



しかしこの特殊な経験は仲間同士の連帯感にも繋がるのではないでしょうか。

この春、社会において新たなスタートを切る皆さんのご活躍をお祈りします。





 

  2024年2月13日 バレンタインにラヴストーリーを!
                 15年後の出逢い。(ネタバレ注意)



 今年も、明日はバレンタインデーというこの時期を迎え、街はにぎやかです。

最近、村上春樹著「1Q84」を読みました。

2009年5月に出版された約15年前の本です。



私は以前「風の歌を聴け」「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」などを読んで、「ハルキスト」というほどではないにしても村上作品のファンでした。

そこで1995年に出版された「ねじまき鳥クロニクル」は奮発して発売直後に初版のハードカバーをドンと3冊買いそろえ、ワクワクしながら読んだのですが私にはさっぱりピンとこない作品でした。

この経験のショックは大きく、それから村上作品はどんなに評判がよくても怖くて手が出せなくなってしまいました。



近年私が読む本選びの参考にしているのは「平成の30冊」という2019(平成31)年3月7日朝日新聞の古い記事です。

平成の約30年間に出版された本の中で何がよかったかを、朝日新聞に書評を書く有識者たちにポイント制で投票してもらい上位30冊をランキングしたものです。

新聞の書評で評価が高くても、うっかり手を出すと私には荷が重い本であることも多いので鵜呑みにすることはできないのですが、このランキングなら評価がある程度一般化されていると思ったのです。



そしてそのランキングの1位が「1Q84」なのですが、10位は「ねじまき鳥クロニクル」なので油断はできません。

4位の桐野夏生著「OUT」、同じく4位の宮部みゆき著「火車」、7位のジャレド・ダイヤモンド著「銃・病原菌・鉄」は既に読了済みでどれも楽しめる本でした。

他に読みたい本がなくなるとこのランキングに戻り、未読の2位から9位までの作品を読み進め最後に残ったのが1位の村上春樹著「1Q84」で、意を決して文庫版を6冊購入し読み始めました。



勢いとスピード感のある展開のストーリーにグイグイと引っ張られて一気に読了し、大変充実した読後感で「平成の30冊」納得の第一位でした。

「騒擾:そうじょう」、「韜晦:とうかい」、「逐電:ちくでん」、などの私にとって難しい言葉は、スマホで検索しながら読めて便利でした。

今まで同じ本を二度読むことはほとんどなかったのですが、しっかり味わうために再度読み始めました。



物語は、三人の主要登場人物の視点から交互に語られる形で進行します。

以前私が読んだ村上作品の主人公「僕」は、あまり社会と関係を持たない人だったことが多かったような気がしますが、今回の三人は少し特殊な形で希薄ではあるけれど社会との関係性を持って生きている人たちなのが少し意外でした。



私にとってナルホドだったのは、「数学と文学では与えられる悦びが異質であること」、「私たちの存在を規定する遺伝子に対する考え方」、「善と悪のバランスについて」などで、今までそんな角度で考えたことがなかったので目から鱗(ウロコ)でした。

私が思っていたことを見事に言い当てて言語化してくれていて嬉しくなったのは、「新聞というメディアに対する考え方」、「希望と試練の関係性」、「睡眠中に見る夢の一類型」、「あるタイプの微笑みについて」、「宗教観」などでした。

その他にも「他者を愛することと自分を愛することの関係」、「絆と呼べるほどの強い結びつきを作ることの難しさ」、「生命の繋がり」、「人生と希望の関係性」、「人生の成り立ちと帰結」など考えさせられるテーマがてんこ盛りでした。



私は、物語の中で提示された謎が解決されないままになるのはあまり好きではありません。

村上作品は往々にしてそれがあるのですが、物語の中で登場人物により作者の意図するところが主張されていると思われるところがあり、納得できるものだったのでそれもナルホドだったし流石だなと思いました。



物語の中にたくさんの本、映画、音楽が登場したのもとてもよかったです。

中でも音楽はクラシックと古いジャズが中心で、クラシックのテーマ曲ともいえるのは冒頭から何度も登場するヤナーチェックの「シンフォニエッタ」でした。

私はこの曲を知りませんでしたが youtube で聴いてみたらなかなかよかったので、天吾が聴いていて先日訃報が流れた小澤征爾指揮のシカゴ交響楽団盤と、青豆が聴いていたジョージ・セル指揮のクリーブランド管弦楽団盤のCDを購入し聴き比べてみました。

どちらもいいのですがどちらかというと私の好みは、録音条件の違いかもしれないのですが一つ一つの音が際立っているように感じたジョージ・セル指揮のクリーブランド管弦楽団盤でした。



クラシックはその他にもバッハの「平均律クラヴィーア曲集」、「マタイ受難曲」、シベリウスの「ヴァイオリン協奏曲」など多数登場するので全部集めるのは大変だなあと思っていたら、「小説に出てくるクラシック1・2」という企画のコンピレーション・アルバムのCDが出ていて「1Q84」に出ているクラシックはほぼ収録されているので中古を購入しました。

シベリウスのヴァイオリンは、作中で指摘されているダヴィッド・オイストラフという凝りようで嬉しくなってしまいました。



古いジャズのテーマ曲は「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン」でその歌詞の一部が第1巻の扉にも取り上げられていて、物語のテーマともリンクします。

この曲と作中に登場する「スウィート・ロレイン」の両方が収録されていたので、ナット・キング・コールのベスト盤にしました。



ジャズはその他にもデューク・エリントン、ビリー・ホリデイなどが登場します。

作中ではLP盤ですが私が聴くならCDなのでとりあえずベスト盤でいくことにしましたが、特に詳細に解説されているルイ・アームストロングは「プレイズ・W.C.ハンディー」という同じアルバムを購入しました。



古いロックではローリングストーンズが登場するので購入して聴いてみました。

クラシック・ジャズ・ロック共に今まで私にはなじみの薄いタイプの音楽でしたがどれもいいです。

ほぼ音楽がそろったので、これらの音楽を聴きながら三回目を読み始めようかなと思っています。



私は音楽好きですがたくさんある好きな曲だけを繰り返し聴く「わがままプレイリスト派」だったのですが、音楽的嗜好に幅ができたように思います。

簡単な料理を作るシーンも何回かあり、普段料理をすることのない私が「海老とマッシュルームとセロリの炒め物」を一度は作ってみようと思っています。



いつも何かしらは読んでいるので本から影響を受けることはありますが、一つの作品から私がこんなに多くの影響を受けることは珍しいです。

あんなに警戒していた村上作品から,こんなことになるとは思ってもみませんでした。

きっとこの作品を受け入れるのに遠回りが必要で、15年かかってその分少し成長した私がやっと作品に追いついたということなのでしょう。

出逢えてよかったです。



「1Q84」は一言で言い表すことのできない作品です。

サスペンス・ファンタジー・超常現象などの要素がありますが、ジャンル分けするとしたら「村上作品」としか言いようがありません。

それでもラヴストーリーであることは間違いないと思います。

今更過ぎますが、愛や人を想う気持ちに思いを致すバレンタインデーにぴったりな、ひねりの利いた大人のラヴストーリーはいかがでしょうか。