2026年4月26日 桜
山手パーク歯科アート・ギャラリー・ストーリー(1)
桜の時期が終わり季節は新緑である。
今年の桜は卒業式から入学式までもって、長く楽しめたように思う。
花見は鎌倉の段葛(だんかづら)に行ったが、天気は曇りであまり映(バ)える画像は撮れなかった。
長年このブログを継続しているのでその時期は天気を意識しているのだが、お花見日和の日に仕事をしていることも多く、なかなかタイミングが合わないものである。

私にとって思い出深いこの画像は、勤務医時代のある休日のものである。
当時磯子の屛風ヶ浦に住んでいたのだが、長女の幼稚園のイベントに家内が参加しなければならないことになり、私が未就園の次女をみることになった。
クルマが修理か車検で、ディーラーから鮮やかなブルーの新型小型車の代車がきていた。
いつもと違うクルマに乗ってみたかったのもあり、次女を連れて近くの久良岐公園に出かけた。
普段ジョギング・コースにしていた公園なので、勝手知ったるスポットである。
桜はまだほころび始めたばかりで満開にはほど遠かったので、桜の画像を撮ることはあまり意識になく、次女のスナップを撮るつもりで買ったばかりのコンパクト・デジカメがポケットに入っていた。
地元の人々の憩いの場である公園に、このタイミングでは人出もあまり多くはなかった。
天気は曇っていたのだが風が強かった。
幼い次女と遊びながら公園をひと回りし、ベンチに座ってオヤツタイムにした。
そのベンチのそばに桜の木があり、ふと見上げるとほころび始めた桜が咲いていた。
そんな花を撮っておけば今日という日がどんな時期だったのか記録できると思い、デジカメだから大したムダにもならないので、手が届きそうなほど低い位置に咲いていた花に思い切りカメラを近づけて撮った瞬間、雲が流れてバックが青空になった。
手を高く伸ばしてモニターを見ながら撮ったもので、それまでのファインダーをのぞいて撮るフィルムカメラの習慣からは思いつかない撮影スタイルだった。
撮った瞬間手応えを感じ、背筋がゾクッとしたことを憶えている。
いい画像をモノにした瞬間が分かるものなのだということを、初めて理解した。
偶然が重なって撮った自分が驚いた、神様が撮らせてくれた宝物のような「ギフテッド・ショット」である。
ほぼ家内のワンオペだったわが家の育児環境において、珍しく少しばかりイクメンした私へのごほうびだったのかもしれない。
2026年3月30日 卒業。
山手パーク歯科アート・ビデオ(2)

卒業シーズンである。
私は長年、専門学校の一年生に「衛生学・公衆衛生学」という教科の一年間かけて行う講義を担当している。
先日、卒業式に出席した。

卒業生の彼らに講義を始めた3年前はほとんどの学生たちが18歳の高校新卒で、新しい環境に戸惑っている印象だったが、今はすっかり逞しく成長し国家試験も終えてもうすぐ柔道整復師として社会に羽ばたこうとしている。
当たり前のことなのだが、社会的にド素人だった彼らが3年間でプロフェッショナルになる瞬間に立ち会うのは、何とも言えずいいものである。
みんないい笑顔であった。

私は毎年この時期になると見る動画がある。
卒業式におけるメッセージ動画である。

海外は卒業シーズンが夏だが、こういった動画を見るのは日本人の私としてはやはり3月がしっくりくる。
こういう動画を見るきっかけになったのはスタンフォード大学卒業式におけるApple創業者の故スティーブ・ジョブズ氏の有名なスピーチである。
(その動画はこちら↓)
iPhoneなどの新製品発表会におけるプレゼンが有名な彼の祝辞は、聞く者の意識を引きつけるユーモアがちりばめられているが、ウケを狙っているわけではないようで真顔である。
“Stay Hungry Stay Foolish” 「貪欲であれ 愚かであれ」が印象的な素晴らしいスピーチであった。

他にもいくつも卒業生への祝辞スピーチの動画があるが、私が最も好きなのはNYU TISCH(ニューヨーク大学ティッシュ芸術大学院)の卒業式における映画俳優ロバート・デニーロ氏のスピーチである。
(その動画はこちら↓)
卒業式の祝辞でありながら冒頭からシニカル(皮肉)な表現で卒業生たちを落としてゆくが、そのあまりの落差の大きさに出席者全員が爆笑に包まれる。
そしてその理由を説明してゆくと、社会的に後輩に当たる自分と同じ芸術分野を志す若者たちへの愛情に満ちた素晴らしいスピーチになってゆき、最後のオチも完璧でまたもや大爆笑。

すかさずのキレッキレのシメもあざやかに決まって温かい気持ちに包まれ、思わず「ブラボー!」と叫んでスタンディングオベーションしたくなる。
「拒絶を恐れるな」と ”NEXT”「次へ」が印象的だった。

ところでまた戦争が始まってしまった。
2月28日にアメリカとイスラエルがイランを攻撃したのである。
私は正義の戦争よりも、不正義でも平和の方がいいと思っている。

人間は歴史上、統合と分断を繰り返してきた。
グローバル化の統合の時期の次に、いま分断の時期を迎えたのかもしれない。
そんな今、私に響くのは2025年ハーバード大学卒業式における卒業生代表の中国系女子学生のスピーチである。
(その動画はこちら↓)
昨年2025年はハーバード大学が分断志向の大統領から圧力をかけられていることが、たびたび報じられていた。
その背景の下、世界各国から集まったクラスメイトたちと国際的な融合を学んでいた彼女は、途中感極まって涙ぐみながらもグッとこらえて厳しい現実を目の当たりにしながらも、胸に理想を抱くことの大切さを主張している。

若者たちがこういう考え方をしてくれているのならいずれこの分断の時期も終わり、きっとまた統合の時期がやってくるのだろう。
戦争がこれ以上拡大せずに、早期に終結することを祈ってやまない。
それにしても私たち人間は、いったいいつになったら戦争から卒業できるのだろう。

2026年2月27日 夢
山手パーク歯科 アート・ビデオ(1)

夢とは、言うまでもなく睡眠中の無意識下において体感する現実味のある一連の観念や心像であり幻覚である。
夢を語る上で、告白しなければならないことがある。
私は幼い頃、朝目覚めたときに夢を見たことだけを覚えていて、夢の内容が思い出せないことをとても残念に思っていた。
そこで寝る前に枕元に紙と鉛筆を置いておき、夜中に夢を見て目覚めたときにその内容をメモってからまた寝ることにしたのである。
そうすると起床時に、見た夢の内容を思い出すことができて大満足であった。

その後成長して様々なストレスに晒されるようになったのか、追いかけられる怖い夢しか見なくなり、そんなこともやめてしまった。
怖い夢ばかりがあまりにも続くと、無意識の中のどこかで追いかけられながらも夢であることを認識していて、恐怖よりも「やれやれまたか」という感じでめんどくさがりながら逃げ回るのである。
私が、ちょっとかわった子供であったことがバレてしまうエピソードである。

いまの私は夢を見ない。
歯科医院という職場で一日を過ごすと適度な肉体労働でもあるためか、夢を見るほどの余裕もなく貪るように深い眠りに落ちて、目覚ましが鳴るまで爆睡してしまう。
夜中にあった大きな地震を知らなくて、よく恥ずかしい思いをする。

しかし「夢」はそれ以外にも「理想」や「高い目標」、「非現実的なこと」なども夢と呼ばれ多義的に使用される言葉である。
動画の11分45秒ごろから始まる“ I have a dream”「私には夢がある」が印象的なのは、マーティン・ルーサー・キング牧師の演説である。
人種差別撤廃を呼びかけたこの演説における夢は「理想」ということになる。
(その動画はこちら ↓ )
ミラノ・コルティナオリンピックが幕を閉じた。
約2週間に渡り熱戦がくりひろげられ、数々のドラマが生まれた。
2000年シドニーオリンピック女子マラソン金メダリスト高橋尚子選手の「夢はかなう!」や、2021年東京オリンピックソフトボール金メダリスト上野由岐子選手の「諦めなければ夢はかなう!」は、見るものに勇気を与えた。
この場合の夢は金メダルという「高い目標」のことになる。

しかし私たちは知っている。
世の中は理想と現実でできていることを。
ただ単に諦めさえしなければ、夢がかなうわけではないことを。
夢をかなえるためには、それ以外の多くのことを諦めなければならないことを。
だから私たちはアスリートに対して敬意を払うのだろう。
その期待の裏返しとして、SNSにおけるアスリートに対する誹謗中傷が問題となっているのだが。

ところで私は子供の頃からのクルマ好きである。
父もそうだったので「重症遺伝性クルマ好き症候群」といえるだろう。
単にクルマが好きなだけではなく運転好き、そしてクルマで出かけるドライブ好きでもあることは、以前このブログでも何度か述べた。
(そのブログはこちら→2022年8月13日ストレスを以ってストレスを制す。)
(そのブログはこちら→2023年7月6日たまにはいいな助手席も。)

クルマ好きにとっての憧れはやはりスポーツカーだろう。
若い頃、そんなクルマに乗っていたこともなくはない。
しかし、結婚して家族が増えるとどうしてもドアの数が多いファミリーカーが現実的になり、スポーツカーは二台目の選択肢になってしまう。
二台持ちができるほどの富裕層ではない私が乗っているのは、ワゴンタイプのちょっとスポーティーなファミリーカーである。

以前、夏のバカンスで下田へ行くときに家族四人と荷物をたくさん載せて自宅から、ヨコヨコ→保土ヶ谷バイパス→東名→小田厚で小田原まではハイスピード・クルージング。
箱根ターンパイク→伊豆スカイライン→天城越え→下田までは、ワインディング・ロードの峠攻めで3時間ちょうどという記録を持っていた。
箱根ターンパイク→伊豆スカイラインは、カー・グラフィックTVのロケによく使われていたコースで、ファミリーカーのオートマ車だが2~4速を変速してエンジンブレーキを駆使しながら連続するコーナリングを楽しんでいた。
わが家の家族は鍛えられてタフになりクルマ酔いすることもなく、右に左に揺られながらも爆睡していた。

だから私は流行りのSUVやミニバンに興味がない。
二台持てない私にとって割高なのと、ファミリーカーのその一台にスポーツカー的な要素であるドライビング・プレジャー(走るよろこび)も求めているため、アイ・ポイント(着座位置)が高いクルマは魅力に欠けるのである。
しかし今やこのワゴンタイプは不人気車種になってしまい、どんどん少なくなっているのがさみしいかぎりである。

そんな私が冬の寒い時期、繰り返し見る古いyoutubeの動画がある。
私はこの動画を初めて見たとき、夢を見ているようだと思った。
この場合の夢は「非現実的なこと」に該当する。
(その動画はこちら ↓ )
この赤いスポーツカーはフェラーリF40(エフ・フォーティ)である。
生産台数が少なく、人気も価格も非常に高いクルマでハイスピード走行する動画もたくさんあるのだが、このクルマで雪上を走るというのが非現実的なのである。
その非現実的な光景を実際に撮影するのがいかに大変なことかは、メイキングの動画から理解できる。
(その動画はこちら ↓ )
非現実的なことを現実にやるとしたらかなり高額な出費が避けられないが、スポンサーがレッドブル(エナジードリンク・メーカー)である。
私は身に着ける物や身の回りの物は実用品なんだから、使わずに飾って眺めて楽しむのはむしろもったいないと思っている。
大して高額な物は持っていないのだが、分不相応ないいものが欲しくなったときそれを使うことができるかどうかを考える。
ちょっとムリすれば買えそうな物でも、もったいなくて使えないと考えれば買わないことにしている。

そんな私が逆立ちしても買えない資産や文化遺産として扱われるF40で、こんな夢のような非現実的光景を見せてくれるこの動画(ビデオ)を、飽きずに何度もリピートしてしまう。
こんな夢なら繰り返し見るのも悪くない。

2026年1月21日 Happy Birthday 山手パーク歯科 25th Anniversary

お正月も成人の日もあっという間に過ぎて、暦の上で大寒の20日になり寒さが厳しくなってきました。
昨日1月20日は、山手パーク歯科の誕生日でした。
おかげさまで25周年を迎えることができました。
25年間いろいろなことがありましたが、山手パーク歯科を受け入れて下さったみなさま、関係取引先やスタッフ、家族など支えてくださったすべての方々に感謝します。
これからも宜しくお願いします。

一昨年になった2024年の末にアップしたブログ(そのブログはこちら→2024年12月22日もうすぐクリスマス2024)で、流行語大賞を受賞した「ふてほど」を知らなかったことを述べました。
昨年2025年は「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が受賞しました。

もちろんこれは私も知っていて、わが国初の女性首相がその覚悟を表現した言葉のようですが、傷つく方もいて抗議の声も上がっていたので、私としては「国宝(観た)」でよかったような気がしました。
価値観の多様化が進み、音楽と共に映画もメガヒットが出なくなっていた中での記録ずくめの大ヒットは、もはや社会現象と言えると思ったのです。

昨年9月のブログ(そのブログはこちら→2025年9月20日「国宝」金沢八景水辺関扉)で述べたように私は映画鑑賞後原作も読了、11月26日には発売直後のサントラCDまで手に入れるというハマりまくった状態です。
そして映画の象徴的なシーンと予告編でも流れているテーマ曲とも言える「Luminance」という楽曲が素晴らしいです。

原摩利彦作曲、坂本美雨作詞、ヴォーカル : king gnuの井口理というスローバラードで、メインキャラクター喜久雄(吉沢亮)が歌舞伎役者として追い求めている理想である「きれいな景色」が表現されていると思います。
ゆったりとしたメロディーと伸びやかなファルセット(高音)がとても印象的ですが、私に最も響いたのはその歌詞です。

それは冒頭に「ああ ここは 痛みも 恐れもない …」というもので、これ以上歯科医院にピッタリとハマる楽曲もそうそうありません。
歯科医師がその匠の技を評価されて「国宝」になることは考えづらいですが、私もこれからその「きれいな景色」を追い求めて更にいっそう精進していこうと思います。

2025年12月22日 もうすぐクリスマス。
たくさんのありがとう。

早いもので今年も、一年をふり返るこの時期になりました。
言うまでもなく人生は、出逢いと別れでできています。
今年は別れの多い一年でした。
3月のブログでアップしたM.H先生は山手パーク歯科初代の矯正治療担当医でした。
10月のブログでアップしたのは私の弟でした。

そしてもう一人、古い友人のY.Tさんが8月に亡くなりました。
私にとって彼は少し年上でアウトドア派の、あまり周りにいないタイプの魅力的な存在でした。
親しくなって誕生日にプレゼントを差し上げたら喜んで頂き、私の誕生日にお返しのプレゼントを頂いたのが、刃渡り4cmの小さな折りたたみ式のナイフでした。

そのとき彼はこうコメントされました。
「何をあげたらいいか全然浮かばなかったから、自分がもらったら嬉しい物にしたよ。」
アウトドア派ではない私ですがこれがとても嬉しくて、すぐにオレンジの皮をむいてみたことはありますが、それ以来ほとんど使ったことはありません。
ふだんデスクの引き出しにしまってあり、ときどき手に取ってそのクールな輝きやナイフとしてはキュートなフォルム、小ぶりな外見にしては意外なズッシリした存在感と滑らかでヒンヤリした肌触りを確かめていると不思議に気持ちが落ち着いて、私にとってお守りのような宝物になりました。
村上春樹著「海辺のカフカ」の冒頭で、これから家出する15歳の少年「田村カフカ」がその準備のために父親のデスクの引き出しを物色してナイフを持ち出すシーンでは、すぐにこのナイフのことが浮かびました。
誰かにプレゼントをする際に相手を想うのはもちろん大事なことだけど、あげる人の気持ちなのだから自分が貰って嬉しいものをあげればいいということを、私は彼から学びました。

夜釣りに出かけるときに、ご一緒させて頂いたことがあります。
湘南の暗いビーチで、投げては引き投げては引きする彼の影を黙って見ていました。
釣りは糸を垂れてのんびりと待つものだと思っていたら、意外と忙しいんだなと思いました。
結局そのときは何も釣れなかったのですが、特に残念そうでもなくあっさりと引き上げました。
彼が運転する帰りの車の中で釣りをしながら何を考えているのか質問したところ、彼はこう応えました。
「何も考えない時間を作るために釣りをするんだよ。
普段、少しボーっとしていてもたいてい何か少しは考えてしまうだろ?」
「なるほど!」でした。
彼にとっての釣りは日常のリセット行動であり、私のジョギングと同じだなと思ったのです。

今から約25年前、山手パーク歯科を開院することになった私は看板のデザインをグラフィックデザイナーであるY.Tさんにお願いしました。
できあがったロゴマークは大変気に入っており、看板だけでなく患者さんにお渡しする診察券、白衣の胸や袖口のネームの刺繍、もちろん私の名刺にもこのロゴを使わせて頂いております。

私が迷ってメインのマークは葉っぱではなく、やっぱり歯科医院なので歯の形をデザインしたものの方がいいか相談したところ彼はこともなげにこう応えました。
「バカなデザイナーが歯と葉を間違えたことにすれば面白いよ」
私は仕事を続ける限り、このデザインと共に歩んでいくつもりです。

近年忙しさ故にすっかりご無沙汰してしまっていたのですが、彼の訃報に接し大きなショックを受けました。
先日行われた、お別れの会に出席して最期の様子をうかがいました。
倒れて運ばれた病院に、駆けつけたお嬢さんにかけた最期の言葉は「泣くなベイビー」だったそうです。
なんてカッコイイ、彼らしい最期の言葉なんでしょう。
たくさんの形ある思い出と、共に過ごした楽しい時間に感謝し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。

本年も一年間、この拙いブログをご愛読いただきありがとうございました。
もうすぐやってくる2026(令和8)年は、どんな一年になるのでしょう。
みなさんにとって、よい一年になることをお祈り致します。
それでは最後になりましたが、みなさん「メリー・クリスマス」。
そしてよいお年をお迎え下さい。

2025年11月25日 海辺の「海辺のカフカ」
No Book No Life(本のない人生なんて)!(1)

電車・デスク・ベッドなど、読書する場所にこだわりはない。
だがこの作品は、ダジャレではないがなんとなく海辺で読もうと思っていた。

今年は夏に下田に行かなかったので、秋になってから先日行ってきた。
秋のビーチリゾートは人出も少なく海やプールに入ることもないため、その分さらに時間がゆっくりと流れており、読書するにはとてもいい環境だった。
いつものように感想だけを述べるつもりだが、ネタバレにはご注意頂きたい。

村上春樹著「海辺のカフカ」は、2002年に刊行された23年前の作品である。
私が意識的に村上作品を避けてきたことは、以前にアップしたブログ(そのブログはこちら→2024年2月13日バレンタインにラヴストーリーを!)で述べた。
そのブログでとり上げた「1Q84」がとてもよかったので、いずれ「海辺のカフカ」は海辺で読まなくてはと思っていたのである。

どの村上作品にもストーリーに幻想的で非現実的なシーンはあるがその中でも私が好きなのは、ある程度リアリティーに繋がりがある「1Q84」のような作品で、「ねじまき鳥クロニクル」のような抽象的で暗示的、閉塞感に満ちた作品は苦手である。
「海辺のカフカ」はちょうどその中間のような作品で、田村カフカという十五歳の少年の成長物語としてストーリーが展開する。
ナカタさんの物語がサブストーリーとして展開するが、こちらは星野青年の成長物語にもなっている。

「1Q84」と同じようにたくさん登場する本・映画・音楽の引用が大変興味深く、特に音楽情報が豊富で手軽なのでAmazonでCDを購入して聞いてみた。
古い洋楽はロックを中心にビートルズ・レッドツェッペリンのようななじみのあるものや、プリンス・レディオヘッドのような時代的にリアルタイムではあったがなじみがないものもあって、あらためて聞いてみるとどれもなかなかよかった。
その他ポップス・ジャズ・ソウル・ラテン・映画音楽も少しあったが、クラッシックの情報が充実していた。

「1Q84」のクラシックのテーマ曲はヤナーチェックの「シンフォニエッタ」だったが、「海辺のカフカ」では星野青年が出会ったベートーヴェンのピアノ三重奏曲(ピアノ・ヴァイオリン・チェロ)第7番、「大公」だった。
喫茶店のマスター推しの百万ドルトリオ、星野青年がCDを購入した廉価盤とされたおそらくはアリスタトリオ、大島さん推しのスークトリオを聞き比べてみたが、私には百万ドルトリオが一番耳になじみがよかった。
録音が古いせいなのかもしれないが、CDなのにアナログレコードのような音に柔らかさが感じられた。

読み進めて物語の終盤、田村カフカが自分に対する母の愛に疑念を抱いていることが分かったとき、私の中でスイッチが入る音がした。
「これは私だ」と。

私は、一般的な時期より早く両親を亡くした。
今の自分が幸せだと思うからこそ、もちろん両親には感謝している。
にもかかわらず、感謝だけではないフクザツな思いが胸の中に凍りついている。
反論の機会が失われている死者について多くを語るべきではないが、だからこそやり場のない葛藤を長年抱え続けているのである。

しかし私は学んだ。
自分の中で乗り越えるしかないことを。
そしてすべてを許すことだけが、唯一の救いであることを。

8月に弟が亡くなって私一人になり、冷静に物語と向き合うことができるようになったこのタイミングで23年前のこの作品に出合ったのも、単なる偶然ではなく必然だったのだろう。
田村カフカと共に私も、〇十五歳の「少年」として成長できたような気がする。

2025年10月5日 言葉にできない。
先日長年の闘病の末、弟が亡くなりました。
過去ログ(そのブログはこちら→2023年2月16日 冬来たりなば春遠からじ)でアップした「遺伝子を共有する肉親」です。
三歳ちがいの弟で、二人兄弟だったので子供の頃は一緒によく遊び、ケンカもしました。
私に生を与え育んだ家庭の構成員は、私だけになってしまいました。
今の気持ちを上手く言葉にすることができません。
早すぎる弟の死去を悼み、哀悼の意を表します。
合掌。
2025年9月20日 「国宝」アート・シネマ(7)
金沢八景水辺関扉(かなざわはっけいみずべのせきのと)
先日、年に一度のお勤めにございますが人間ドックに行って参りました。
この歳になるとたまに小さなチェックが入ることがございますが、今年はオールセーフでホッと致しました。
毎年お世話になる金沢八景の検診病院は入り江の向こうに野島を望む、私の健康にとっては水辺の関所のような場所でございます。
前回ブログの「F 1 / エフワン」ザ・ムービーは完全に私のワガママに家内を付き合わせたわけでございますが、一方的なワガママだけを通してそれで終わりにできるほどわが家の掟(おきて)は甘くはございません。
今回は家内のワガママに付き合って歌舞伎の世界を描いた映画「国宝」を観ることになり、横浜の映画館で友人の奥様もご一緒して三人で鑑賞致しました。
歌舞伎鑑賞という高尚な趣味をお持ちの別の友人ご夫妻から、歌舞伎座土産に手拭いを頂いたことがございます。
私の姓の中村にちなみ中村屋の手拭いなのでございますが、「中」と「ら」はプリントされていますが「む」がございません。
デザイン上クロスするラインが細線5本に太線1本の合計6本で、おそらくこの「六」を「む」と読ませて「中むら」なのでございましょう。
私は高校生のときに学校の行事で歌舞伎鑑賞に連れて行かれたことはありますが、退屈したことしか覚えていないのでございます。
私のワガママに付き合わされた家内の交換条件が映画「国宝」だったのでちょっと気おくれしたのですが、異例の大ヒットを記録しているニュースに興味がわき、観に行くことに致しました。
また感想だけを述べるつもりではございますが、これから鑑賞予定の方にはネタバレにご注意頂きますようお願い申し上げます。
大変素晴らしい映画でございました。
数奇な運命により出会い、同じ環境で共に育った立花喜久雄(吉沢亮)と大垣俊介(横浜流星)の二人が、歌舞伎役者の女形として芸の道を究めてゆく物語でございます。
同い年で兄弟のような繋がりを持ちつつもライバルとしての葛藤もあり、彼らを支える女性たちや様々な人間関係における絆と裏切り、芸の世界につきものの残酷な運命や激しい浮き沈みなどが展開致します。
例えば、才能がある名門のボンボンには手を差し伸べますが、同じように才能があっても不遇の野心家には目の前に立ちはだかる歌舞伎界特有の血統の壁なども描かれております。
歌舞伎の知識は持ち合わせない私でも、豪華絢爛な舞台や衣装だけでなく劇中劇として描かれる歌舞伎の演技の完成度の高さや人間ドラマとしての深さに圧倒されたのでございます。
吉沢亮と横浜流星は歌舞伎の舞踊と所作などの稽古に一年半を費やしたのですが、やればやるほど間に合わないことを感じ、必死でくらいついて稽古したようでございます。
この作品ではスクリーン上の彼らがもちろん輝いているのですが、その少年時代を演じた子役たち(少年・喜久雄:黒川想也 / 少年・俊介:越山敬達)もまた素晴らしい演技でございました。
特に少年・喜久雄が演じた「積恋雪関扉:つもるこいゆきのせきのと」のあどけなさの残る遊女墨染(すみぞめ)にはグッとくるものがございました。
屋上で乱舞するシーンに流れるテーマ曲「Luminance」 by 原摩利彦 feat. king gnu 井口理 は伸びやかなファルセット(高音)が特徴のスローバラードで、 J-pop というよりはオペラのようであり、ストーリーの展開に見事にハマっている大変印象深い楽曲で、そのシーンが脳裏に焼き付けられるのでございます。
上映時間の長さにビビッていたのですが、アッという間の3時間でございました。
この映画を鑑賞して一つだけ心残りだったのは、作品側の問題ではなくこちら側の問題として、高校生のときの経験を無駄にせずもう少し歌舞伎の知識が私に備わっていれば、この作品をより楽しめたのではないかというものでございました。
と申しますのも、歌舞伎の演目が終わって割れんばかりの拍手の明るくなった客席が映るシーンにおいて観客の一人、エキストラと思われる中年女性がハンカチで目頭を押さえているのが一瞬映し出されたのですがその仕草がとても演技には見えず、撮影のために鑑賞した演目に感動しているように見えたのでございます。
この作品が歌舞伎の紹介や解説のための物語ではなく、歌舞伎界に生きる人々の人間ドラマとして見ごたえがあったので、演目のあらすじや登場人物の背景やキャラクターが理解できていれば、更に深くストーリーの世界観に没入できたような気がしたのでございます。
そこで原作の吉田修一著「国宝」の文庫版を購入し読んでみたのですが、こちらも素晴らしい作品でございました。
この著者は三年間、裏方である黒子として歌舞伎の世界に身を置き、肌で空気を感じることによりその経験を著作に反映させたようでございます。
まるで役者の「役づくり」ならぬ作者の「本づくり」のようなお話で、この著者の執筆に対する姿勢の真摯さが伝わるエピソードでございます。
通常、文章の様式はシンプルに意図を伝える「だ・である調」と丁寧な印象になる「です・ます調」のどちらかですが、この原作は当ブログと同じく大変ご丁寧な「ございます調」なのでございます。
それがまた語り部が語る物語を耳にするようで、この作品の世界観にピッタリとハマっているのでございます。
映画を観てから原作を読むとネタバレ状態で読み進めることになるのですが、気に入った映画を繰り返し観ることがあるように、まったく飽きることがないばかりか物語を再度検証することになり、大変理解が深まったのでございます。
もちろんこちらでは歌舞伎の演目のストーリーや背景、キャラクターの人物像からみどころまで解説されており、これは読んでから観てもよかったなと思った次第でございます。
映画には出てこないシーンや登場人物もあり、映画ではやや納得感が足りなかったところも「なるほど」と思えるのでございます。
そして映画にあって原作にないシーンもあるのですがそれがまた映画を上手くまとめており、かといって原作の内容から乖離し過ぎることもなく、この原作のエッセンスをギュッと凝縮したのが映画「国宝」ということになりますが、それでも上映時間3時間でそれがまたアッという間なのでございます。
「きれいな景色」… 私も見てみたいものでございます。
独特の世界観を持つため、楽しむにはそれなりの準備が求められる歌舞伎という芸能を題材にしながら、まったくのシロウトである私が心から楽しめる作品になっているところが、映画「国宝」大ヒットの所以(ゆえん)ではないかと思われるのでございます。
李相日監督の力作に「天晴れ(アッパレ)!」でございます。
この映画「国宝」は認知度が高まるため歌舞伎界の反応も概ね良好のようですが、コアな歌舞伎ファンからはネガティブな意見もあるようでございます。
家内はといいますと「リョウ君もリュウセイ君もカッコイイわねぇー!」とのことでございました。
私はと申しますと、大変上等で手の込んだ美味しい懐石料理のフルコースを、お腹いっぱい頂いた後のような鑑賞後感と読後感に大満足で、昔のTV番組「料理の鉄人」の審査員、故岸朝子氏ではございませんが「大変、美味しゅうございました」でございました。
ほぼ社会現象的な異例の大ヒット中の映画「国宝」、オススメでございます。
2025年8月11日 「 F 1 / エフワン」アート・シネマ(6)
山手パーク歯科アート・ギャラリー「我走る、故に我あり。」
毎年お盆休みは、普段なかなか会えない友人と会うぐらいでどこへも遠出はせず、短パンで過ごしているので「短パン・デイズ」である。
このブログのアート・シネマ・シリーズは、いつも古い映画のDVDを自宅で鑑賞してアップしているのだが、久しぶりに映画館へ出かけた。
「トップ・ガン / マーヴェリック」のジョセフ・コシンスキー監督、ブラッド・ピット主演の「 F 1 / エフワン」ザ・ムービーである。
また感想だけを述べるつもりだが、これから鑑賞予定の方にはネタバレにご注意頂きたい。
父の影響もあり私は子供の頃からクルマ好きでそのスピードや、スポーツカー・レーシングカーの機能から導かれる造形美に強く惹かれる。
それでこの作品はDVDになる前に、迫力ある大画面の映画館で見ておきたかったのである。
面白かった。
人生について考えさせられるような場面は少ないが、単純に娯楽作品・エンターテイメントとしていい出来だと思う。
まず現実の F 1 の世界に APX GP(エイペックス・グランプリ)という架空のチームが参戦するという発想が面白いが莫大な製作費がかかったはずである。
その架空のチームのフォーミュラーカー(実車)を俳優たちが時速300kmで走行・バトルしながら撮影した映像だから、技術的な小細工一切ナシなので疾走感がめっちゃヤバい。
いい歳したオヤジの私から、おもわず若者言葉が出てしまうほどのスゴイ迫力である。
レースシーンの走行音も映画館できくと爆音で、社会問題化している地球温暖化の抑制には逆行する感覚だが、やっぱりエンジンの音はいい音だと思ってしまう。
ブラッド・ピットのイケオジぶりはサスガでソニー・ヘイズという役がハマっている。
ジョニー・デップほどワイルド過ぎずトム・クルーズほど優等生過ぎずで、この役は彼しかあり得ないと思う。
現役 F 1 ドライバーや各チームの関係者も多数出演しており、各所に小ネタがちりばめられていて、 F 1 オタクというほどではないがファンの一人としてニヤリとさせられるところがたくさんあった。
映画館で鑑賞するのが久しぶりだったのだが、イマドキはイスの座面や背もたれがブルブル振動して背中やオシリから高い臨場感が伝わるのには驚いた。
この作品にはピッタリな効果と言えるだろう。
音楽は「ウィー・ウィル・ロック・ユー」byクウィーンなどの古いロックも盛り上がるが、「ドライブ」byエド・シーランはMVにこの「 F 1 / エフワン」ザ・ムービーのシーンが使用されているので、おそらく書き下ろされた曲なのだろう。
大迫力の大画面にパワフルなロックがハマる。
巨額な製作費、派手なアクション、名前で集客できる大スターというだけでつまらない作品もあるが、しっかりした物語なので最後までワクワクの連続だった。
斬新さ意外性を追求するよりも安定感のある脚本と、出演した俳優たちの高い実力に支えられた物語には感情移入しやすく引き込まれた。
主演のブラッド・ピットだけでなく、ワキを固めた俳優たちも印象的だった。
新人ドライバー:ジョシュア・ピアース役のダムソン・イドリス、マシンデザイナー:ケイト・マッケンナ役のケリー・コンドン、スゴ腕チーム監督:ルーベン役のハビエル・バルデムもとてもよかった。
「我(われ)走る、故(ゆえ)に我(われ)あり」(古代ギリシャの哲学者:トール・ナカムラテス)という言葉があるように(ないけど)、世の中の私を含む一部の人々にはクルマ・バイク・自転車にしろ自分の足にしろ、「走る」という行為が人生における重要なポイントになっている場合がある。
登場人物たちはみんな、それぞれの役割があるものの「走る」ということに対する姿勢に同じニオイがして親近感が感じられた。
封切りから一ヶ月以上がたち、観客の動員も落ち着いてきたのか朝や夜遅い時間帯の上映だったので、休日の夕食後の時間帯で鑑賞した。
特にクルマに興味もなくこの映画になんの期待もせず、私のワガママにただ付き合わされただけの家内もタイクツしたわけではなく作品を楽しめたようである。
「やっぱりブラピはカッコイイわねぇー!」
とのことだった。
連日猛暑のこの夏、涼しく快適な映画館で映画という夢を見て過ごすひと時がとても気に入ってしまった。
オトナの夕涼みに「 F 1 / エフワン」ザ・ムービー、オススメです。
2025年7月30日「グラン・ブルー」アート・シネマ(5)
山手パーク歯科アート・ギャラリー 「マイ・グラン・ブルー」
毎年「海の日」は海で過ごすべく下田に行っていた。
(そのブログはこちら→)
しかし今年は6月に石垣島へ行ったばかりで、毎月バカンスというわけにもいかない。
そこで「海の日」に海の映画を見ることにした。
1988年公開、リュック・ベッソン監督の「グラン・ブルー」である。
また感想だけを述べるつもりだが、これから鑑賞予定の方にはネタバレにご注意頂きたい。
主な舞台はギリシャのエーゲ海とイタリア・シチリア島の地中海という限りなく美しい海で、フリー・ダイビングの世界記録を競うジャック・マイヨール(ジャン・マルク・バール)とエンツォ・モリナーリ(ジャン・レノ)の、親友としての友情とライバルとしての葛藤が描かれる。
そこにジャックとジョアンナ・ベーカー(ロザンナ・アークェット)のラヴストーリーが展開する。
フリー・ダイビングとは素潜りのことで、ボンベやレギュレーターなど呼吸するための機材は一切使わずに、ただ息を止めて潜った深さを競う競技である。
この競技のシーンで私が驚いたのは浮上スピードの速さである。
私は以前スキューバダイビングの経験があり、自分の呼気(はいた息)が泡になって上っていくのを追い越さない程度のゆっくりしたスピードで浮上するように叩き込まれていた。
私が専門学校で講義する潜水病は、この浮上スピードが速すぎると高い水圧の状態から急激に体に加わる水圧が低下して、高圧下で血液中に溶け込んでいたチッ素が気泡になって起こす塞栓症(血行障害)で大変危険である。
だがよく考えてみると空気中の約78%を占めるチッ素が血液中に溶け込むのは、高い水圧を受けながら背負ったボンベの圧縮空気を呼吸しているからであり、呼吸をせずに潜る彼らには関係のないことなのかもしれない。
もう一点気になったのは、競技に参加していた日本チームの描かれ方である。
日本人らしさをコミカルに表現されるのはいいのだが、ややバカにされているように感じられて残念だった。
この作品が公開された1988年といえばバブルがはじける直前の日本社会が迎えていた経済的な絶頂期で、ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれた頃であり世界中どこにでも日本人が顔を出すようになって、きっとこんな風に思われていたのだろう。
時代はかわり、今はインバウンドで世界中から観光客が日本に押し寄せて色々な問題が起きているようだが、バカにしたりされたりすることなく上手くやっていきたいものである。
この物語は実在したダイバー、ジャック・マイヨールとエンツォ・マイオルカ(モリナーリではない)をモデルに作られたフィクションであり、ジョアンナは架空の人物らしい。
バックに流れるエリック・セラの音楽は、静かでおだやかな海が表現されておりスクリーンに流れる映像にマッチしていて素晴らしい。
ジャックとエンツォは男性にありがちな二つのタイプを表していると思う。
社交的だが尊大(エラそう)で、酒と女性とカネを愛するエンツォは豪傑タイプ。
寂しさを抱えながらも孤独を愛するあまり、ひとの気持ちが理解できずにイルカと心を通わせるジャックは仙人タイプ。
豪傑エンツォを演じたジャン・レノと仙人ジャックを演じたジャン・マルク・バールがその役にハマっていて見事である。
そしてジャックに想いを寄せるジョアンナを演じたロザンナ・アークェットのコケティッシュ(色っぽさとキュートさを併せ持つ)な魅力がこれもまた見事にハマっていて、ストーリーに引き込まれる。
もちろん分かっている。
私はどちらかというと仙人タイプである。
トイプードルの吾輩(麻呂)とは心を通わせているが、しかし言うまでもなくジョアンナではないうちの家内と長年家庭を維持しているし、歯科医師と専門学校の講師という形で社会生活を営めているので、仙人の度合いがジャックほど高くはないということだと思う。
ジャックとジョアンナのラヴストーリーから考えた。
惹かれ合う大人の男性と女性が愛し合うのは自然なことであり、やがて子供が生まれる。
男性にとって愛し合うことは大切な目的であって、その結果として子供が生まれると考えていると思う。
女性にとっても愛し合うことは男性と同じように大切な目的であると思うのだが、いつしか身ごもるための手段という要素が増してゆく。
そこに男性と女性の間の微妙な意識のズレがあるように思う。
この映画はジャック・エンツォ・ジョアンナの三人が輝いている作品なのだが、もう一人(?)孤独なジャックと心を通わせるイルカの演技(?)が実に素晴らしい。
あれだけの濃密な交流シーンを撮るのにどれだけの時間撮影したのだろう。
是非イルカにもスタンディングオベーションと「ブラボー!」を。
















































