こんにちは わんわん



イギリスでは 15世紀から 毛織物業が発達し

16世紀後半からは 農村工業として 確立されてゆきました。おひつじ座



また 牧羊を営む ”貴族的な地主” も 現れてきて

独立した 自営農民や 羊毛商人らが 富を たくわえ始め

新しい ”社会層” に 成長してゆきました。ベル




そこに ”プロテスタントの思想” が やってきて

彼らの多くが ”ピューリタン” と なったわけです。

彼らの事業を 宗教的にも ”正統化” して

自由に 事業を 遂行したかったから・・・ですね。FREE





一方で イギリスの王室は 

スコットランド国王が ”ジェームズ1世” として即位し 王冠1

王権を 神から授かったものとして ”絶対化” して 専制政治を行い

”国教(カトリック寄り)” を 強制して ”重い税” を 国民に課しました。ガーン




そこで ”国教の強制” を 嫌った 一部の ”ピューリタン” たちが

北アメリカに 移住します。

そして 現地を “植民地化” したのです。

つまり この人たちが  ”アメリカ人の祖先” になったわけです。

それで アメリカの宗教は 主に ”プロテスタント” なんですね。アメリカ




イギリス国王は 次に ”チャールズ1世” となりましたが 王冠1

この政治も 依然として 変わらなかったので

イギリス議会は 議会の同意を得ない 課税や 不法逮捕を 拒否するという内容の

”権利の請願”(1628年) を 可決し 王に認めさせました。メモ





しかし 王は 翌年 議会を 解散させ

その後 11年間 議会を開かずに 専制政治を続けます。

そして 国王は 1640年になると 

スコットランドの反乱を 鎮圧するための軍費を 得るために 議会を開きますが

議会は 激しく 国王を責め立てて

1642年に 議会派と 王党派の間での ”内戦” が 始まるのです。ドンッ




王党派が 当初 優勢でしたが

その後 議会派の クロムウェルの率いる ピューリタンは 

王党派を 撃破し 国王を捕えます。

そして クロムウェルらは 1649年に チャールズ1世を 処刑し

王政から ”共和政” を 宣言し 主権は 民衆の手に移りました。

これが ”ピューリタン革命” と 呼ばれました。天使





その後 クロムウェルは 新地主や 商工業の 権力者たちの 

”利益” に 沿った政策を 推し進めました。

しかし 都市や農村の 下層民衆は ”人民主権” を 主張し

革命の ”徹底化” を 望みましたが・・・

クロムウェルは これを ”弾圧” して 1653年に 議会も解散して 

厳しい ”軍事独裁政権” を 確立したのでした。ナゾの人





まさに ここにおいても ”キリスト教” が 

権力の獲得のために ”利用” されており

”宗教改革” が 都合のいい ”利益獲得の手段” と 化してしたようです。お金

 



しかし イギリス民衆は この革命を ”反省” して

クロムウェルの死後 再び ”王政” に 戻して 

1660年に ”チャールズ2世” が 即位します。 王冠1

しかし この王が フランスの ”ルイ14世” と結んで ”カトリックの復活” を図り・・・

再び ”専制政治” を 企てたのです。ドクロ




そのあとを継いだ ”ジェームズ2世” も 議会を 全く 無視したので 王冠1

議会は 1688年に この王を “追放” し

プロテスタントの ウィリアム3世・メアリ2世らを 国王に招きます。

そして 国王は ”権利の章典” を 承認し

その後は 議会の承認なしに 課税や 軍の徴兵は 許されず

議会内での 言論の自由も 保証されることになりました。

これが イギリスの ”名誉革命” と 呼ばれるものでした。クローバー






地主や 大商人らは 議会を通じて 自分の ”利益” に沿った 

”植民地の拡大” や  ”貿易の発展” などの 政策を 進めて行きます。グー






イギリス社会では ”プロテスタント” が 社会を 大きく変えて

実質的に 国王から 市民へと 国家権力も 移って行きました。

しかし その間にも ”国教” を 再び  ”カトリック” へ 戻そうとしたり

ここでも 権力者たちの ”欲望” が 垣間見られましたね。(笑)







宗教とは 民衆の心を ”統一” するためには とても有効なものであり

人類の歴史上では ”権力者” の 支配の ”道具” として 用いられてきたようです。レンチ






そして ”絶対者” を 信仰する宗教では ”絶対者の代理人” として

”人間を崇拝” することが 数多く 見られました。

私たちは その ”歴史的事実” を 決して 忘れてはならず・・・・・






”絶対者” を ”盲信” して 

その後 ”取り返しのつかない状況” にしては ならないのです。ガーン






イギリスでは このように 世界的にも いち早く 

”市民社会” が 形成されました。

そこで ”新しい 市民文化” を 生み出します。星





そして 思想家の ”ベーコン” は “真理の探究” のために

実験や 観察を 中心とする ”経験論哲学” を 開きます。本





また ”ホッブズ”や ”ロック” は

社会や 国家を 人間の ”自然権” から 考えて

”社会契約説” という思想を 生み出しました。

これが アメリカや フランスなどでの ”革命” の 基本思想にもなり

その 歴史的意義は とても 大きかったわけです。チョキ







次回は 前々回の 記事の続きに 戻り

ベーコンの ”経験論” から 考えてゆきます。ニコニコ