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民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever


今までAB&JC PRESS版の4冊のうち1冊でもお求め頂いた方にお知らせします。



インナーサークルのテキストから脱して、書店に並べても恥ずかしくないレベルを目指しました。



ご興味がおありでしたらメール下さい。



注:文章は旧版と同じです。)今までメールのやり取りを毛嫌いしておりましたが、プライベート以外のアドレス(abandjcclub@gmail.com )を用意しました。





カバーが掛かっています














『続 法隆寺は移築された』に続く第2弾として製作してまいりました『長谷寺考』ですが、



PCの扱いに不慣れだったり、311に邪魔をされたりして、イマイチ満足な出来上がりでないことが気になっていました。



今回、子・孫の世代にも読み継がれることを願って表紙はハード、ガイドブック的な機能も意識し写真・地図はカラーとし、



より緻密に編集したつもりです。




当ブログに何度も登場してきた長谷寺の話題からも、編集者の寺への想

いが伝わっていることと思いますが、



この本では未だ誰も知らない古代史に関する話題が次から次へと出てきて、



その知的興奮はどこの書店の棚を捜しても見つかることはないでしょう。



カバーを外すと

何故、B層を覚醒させるのに手こずるのか、この表を見るとよく分かりますね。






人々は新しい情報に接した時、どのように思い、反応するのでしょうか。




具体的な例をアンケート形式で示しましょう。



問1.人工地震は(イ)存在する (ロ)存在しない の問いに対し (イ)と答えた人に 



問2.3.11は(イ)人工地震による or(ロ)3.11は自然現象である と問いかけたとします。




この場合、某ブログ集団においては1.(ロ)2.(ロ)と答えた人をB層 と見做すでしょう。



他の3つのうち



pre》は、今後、勉強することが望まれますが、



pre》は、いかなる時代に生きようが、真実を知ろうとしない以上、いいカモであると見做されます。




参考までに言っておきますと、



.の人工地震については戦後しばらくして新聞にも載っている世界の常識です。



ところが驚いたことに、スマトラ沖地震、津波の直後の某有名週刊誌の記事では何と「人工地震はありません」と断言しています。



現在、家族間で所属する層が違うため、不穏な空気が漂っている家庭が全国にはたくさんあるようです。



おうちによっては、「息子が変になった」、「お父さんが狂ってしまった」といった騒ぎになることがあります。



不思議なことに、「お母さんが変」ということは少ないようです。



もし大手マスコミが爆弾記事を載せたら、この国はどうなるのか非常に興味があります。



お父さん方!  復権がもたらされるまで、もう少しの辛抱です。





NHKで何か新しい動き があったようです。


 


 


 


 






今年のベスト ツーショットはこれで決まりです。



世界中の誰も異論はないでしょう。



ボルト氏も飛鳥が可愛くて仕方ないことでしょう。



他のハーフの注目選手もそうですが、容貌に仄かな日本人的テイストが加わり、


正確で語彙も豊富な日本語を話せば、彼らはもう立派な芸術作品です。



古代から長い年月をかけ融和的な混血が行われてきため、


日本人は“単一民族”と勘違いされるほどであったのですが、


ここにきて再び大昔を思い出すほどの状況になってきたようです。



人種の坩堝と言われ、理想の社会が実現されるはずであったUSが、


世界では警察官失格、国内では銃撃戦というありさまです。



日本語がままならない連中が国を動かして、滅茶苦茶な状況に陥っていても、何とか持ちこたえていられるのは、


国民がsomething specialを持っているからです。



そのsomethingを構成する重要な要素が日本語だと思うのです。




リオ・オリンピックの総集編のインタビューを見るときは、この記事を思い出して下さいね。



観世音寺(法隆寺の抜殻)





そもそも発端ですが、



米田良三氏の『法隆寺は移築された』 を古本屋で見つけたことに始まります。




少しでも建築に興味があり、歴史が勝者の編み出す物語と理解すれば「法隆寺移築説」は誰もが納得できるものであるはずですが、



学校で習った歴史で固められた脳味噌は、その発想を受け付けることができません。




挙句に「何故そんなこと(移築)をする必要があったのか?」とさも勝ち誇ったように、世界で一番素晴らしいと(本人が)自負する質問を浴びせてくることが再三あります。




この種の質問に対し一言で返事が出来ないからこそ“本”としてまとめられているのですから、黙って相手の顔を見返すしかありません。




『長谷寺考』は確かに難しい本ですが、文学作品を含む文献、地理、建築、仏像、絵画等に縦横無尽に検証を加え、雄大な仮説を限りなく真実であると納得してもらうために書かれているのです。




実のところ、教科書も含め総ての歴史書は手前味噌と仮説のオンパレードです。




歴史を学ぶ楽しさとは、諸説のいいとこ取りをして自分の頭のなかに独自のスト-リーを組み立てることなのです。






米田建築史学の楽しみ方に付き一言。



「急がば回れ」ですが、新泉社発行の4書 を読んだ上で、AB&JC PRESS版に取り組むと理解が容易です。




いきなりAB&JC PRESS版から入る場合、始めにざっと目を通し、次に難しいところは飛ばしアウトラインだけ掴みます。




以後は暇な時に聖書を紐解くように部分的に拾い読みし続けると良いでしょう。




スルメを噛むように味が出てくること請け合いです。




このやり方で1年間位楽しめます。


 








PS 斑鳩の宮大工 西岡常一氏は米田氏への私信の中で法隆寺が移築されたことは認めておられます。











もうすぐ夏休みも終り。




今日は出校日で久々に学校へ。




みんな、なんだか眠そうで冴えないね。




お母さんたち、あと10日間の辛抱です。




「早く給食始まらんかねえ」の心境でしょうね。




表紙



中表紙




裏表紙



編集作業が終盤ともなると、表紙のデザインが気になりだします。




今回の『長谷寺考』改訂版では今までのものより少しお洒落な感じにしてみました。




自分でやってみると、プロの凄さがよく解ります。


 


















英語早期教育議論の中で、今まで誰も触れなかった点につき森永氏がとうとう切り込みました。



私の言いたいことをズバリまとめた書き込みがありましたのでコピペします。





省エネ御免




NHKではテレビ、ラジオとも放送アリバイ作りの為、早朝・深夜に案外きわどい内容が流されるのですが、今朝の一件による今後への影響は測り知れない予感がします。


 





引用

今朝のNHKラジオの「マイあさラジオ」内、06:43頃からの「社会の見方・私の視点」 経済アナリストの森永卓郎がコメンテーターでした。




今日のテーマが小学校からの英語教育義務化でしたが、森永さんは日本語での思考に影響が出るとの事で、グローバル化の名のもと政府には別の目的があるのではないかと疑念を呈していました。



それはTPPを推進するなどと同じく、アメリカの意向が強く反映されたもので、戦後のGHQの英語を日本の母国語にする(頓挫しましたが)政策と一緒で日本の弱体化を狙ったものだと思われると発言しました。



ですが、途中森永さんの発言を、NHkアナウンサー(野村優夫)が途中あわてふためきながら遮り、番組コーナーを途中で強制終了させました。



森永さんの「もっし、もーし」の最期が皮肉が効いてて、意図してなかったでしょうが強く印象的な放送でした。



が、違和感ありありの放送、如何に言論の自由がなく、政府(米)広報機関に成り下がったイヌアッチイケーの現実をまざまざと聴かしてくれましたw



今日のニュース放送担当デスクが誰かは知りませんが、後でお尻ペンペンの刑かも知れませんね。




アナには穴のご褒美が




***** 

2016/08/11 07:30





「向こうでは英語で喧嘩もしていたのに・・・ 」と嘆くケースを見ても分かるように、帰国後半年で英語は霧散します。




その間、日本語学習はなされていません。ここに英語早期教育の怖さがあります。




森永氏の母親の教育は余程しっかりしていたのだと思います。




帰国子女の中には “どっちつかず母語” により思考回路がぶっ壊れてしまい、異邦人状態になり自殺に追い込まれるケースがあるそうです。




マスコミがこの “帰国子女の自殺” を扱うのは止められているのでしょうか?


 









『長谷寺考』の制作がいよいよ大詰めで、ブログどころではありません。





次回は制作発表のアナウンスとなる予定です。


 











祇園山笠 の中継録画を観ました。




例年通り、男たちの真剣なまなざし、バックアップする妻たち、次代を担う子供たち、いずれにも胸がときめきます。




この祭りがある限り日本は大丈夫と思います。




おそらく「先走り」の語源となった先頭を走る役割の子供たちの男らしさは地域が一丸となって育てていて、その様子は好感が持て羨ましい限りです。




祭りの起源が疫病退治というのでは、あれほど真剣にはなれません。




古代、おびただしい数の北部九州の寺院が解体され、近畿地方に運ばれる際の強制労働が祭りに変化したのです。




歴史上完璧に抹殺された倭国九州王朝の民が文献での表現が禁止された中で、自分たちの存在を後世に伝えようとしたのでしょう。




魂の叫びが見物する観光客の感動を呼ぶに相違ありません。


学生時代の実習用、勤務医、開業して患者さんへの説明用と、これは3冊目の名著





当地区の医者向けの月3回発行される新聞に興味深い投稿を見つけました。





引用

《昨今、過熱しすぎた医学部受験に、自身の死後、せめて病理解剖のための献体を条件付けたらどうだろう。それくらいの覚悟を持って医学の進歩に取り組み、病理学や解剖実習に向き合うべきだろうと思う。》






さて、これを遥か昔に体験した我が身に置き換えてみるとどうなるか? 




解剖学の実習の場面というものは、ほとんど公表されませんし、この場で詳しく解説 しようとも思いません。




自身のスッポンポン・ボディーを4人の若者に取り囲まれるだけでも恥ずかしい上、バラバラにされるのはさらに嫌ですね。




それに、その後に及んでも痛く感じるのではないか、と漫画のような発想も浮かびます。




私自身、学生時代のあの時、もっと勉強しておけば・・・、と3体の仏様たちに申し訳ない気持ちでいっぱいです。




さて、この投稿者の言うように、医学部受験の条件に献体を義務付けたら、志願者数が減少するのでしょうか? 




「遥か先のことだ、そんなの関係ない!」でチョンか?