民営文化センター -97ページ目

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever




苦しいダジャレタイトルです。




月に行けるはずもないのに行ったというのですから、世界を相手に大ウソをついていたわけで、今後どうするつもりでしょう。




アメリカンは恥ずかしくて世界を旅するなんて出来ないでしょう。




もうすぐその他の嘘もゴキブリホイホイのボックスにいっぱい溜まりそうだし・・・




我が国の若い衆も馬鹿じゃないので、そのへんの所は理解しているわけで、US留学する者が激減しているのも納得です。




ところが相手は“公用語が英語になってもかまわない”と思わせるほど“舞い上がらせ上手”ですので、




まだまだ諦めてはおらず、ケネディ大使も加わり留学説明会 が開かれました。




実際、過去にはこのような流れにうまく乗っかって成功をおさめた留学経験者も数多くいるようですが、これからはどうでしょうか?






US留学に否定的なのは、ずばり銃社会 だからです。




若い頃コルト(45より小振り)を一発撃ったことがありますが、あんな恐ろしいものはありません。




写真はその時のピストルで、モデルガンと比べたら月とスッポン、冷静ではいられません。




国内に銃が3億丁出回っていることを知った上で計画を立てることをお勧めします。


 







最近の台風はへんてこりんなものばかり。




発生した直後から全てが例外なく“強力”呼ばわりされます。




しかし圧倒的に雨台風が多い。




酔っ払い歩きのようなコースを辿ったり、高速道路を逆走する感じのものもあります。




台風発生は海水温上昇に始まると言われるものの、何故上昇するのかは誰も言いません。




写真は昭和34年の伊勢湾台風 襲来直前の空模様を報じた新聞記事です。





あの夜、一家全滅と覚悟を決めた直後、風が徐々に収まり難を逃れました。




あの最悪の体験を物差しにしていますので、“50年に一度の”という脅しなどへっちゃらです。




翌日の台風一過の青空は感動的でした。




自然現象が不自然に感じられたならば、それは人工でしょう。




トランプ大統領になれば変な台風は無くなると思うのですが・・・・・


 









ここ3カ月以上続く「現代」「ポスト」の医者叩きキャンペーンですが、この執拗さの本音はは何処にあるのでしょうか? 




この号では甘ったれた医者の弁解が載っているようにも見えますが・・・・・




はたして「発行部数が伸びればよい」だけなのか? 




最近、このキャンペーンのせいか、勇気を振り絞って薬を拒む患者が増え、やりにくい時代になっているようです。




昭和3040年代よりは後継者を育てやすい環境になっているようですが、若先生受難の時代が始まったのかもしれません。






燃えよ 三瀬村 の続編です。



三瀬村 合瀬地区のハザードマップをお借りして倭国時代の長谷寺を御案内しましょう。




A そのまんま“初瀬川”が流れています。大和朝廷の消し忘れでしょうか。油断していましたね!




B 門前町“椿市”エリアです。現在「宿」という地名ですが、遥か昔を連想するネーミングです。倭国の痕跡を後世に残したい人がいたのでしょうか。




C 低い石垣に囲まれた三角の土地で現在は畑です。回廊のスタート地点にふさわしい雰囲気を醸し出しています。




D 大悲閣が建っていたところです。この丘の登り口は分かりにくいのですが、宗像のグループが登頂に成功したそうです。礎石などチェックすべきエリアはまだ残っています。




E ここ萬福寺には京都・知恩院にある経蔵が江戸時代まで在りました。




F 同じく善正寺には鐘楼が在りました。“往く年来る年”でお馴染みの知恩院の除夜の鐘の音はここ元祖長谷寺のものなのです。本物の清少納言、紫式部も聞いていたのです。




赤いジグザグラインは回廊です。現在の長谷寺の登り廊とはイメージが異なります。





三瀬トンネルを出て佐賀へ向かう途中に広がる観光スポットの手前に、このような歴史(学校では習わない)的なスポットが誰にも知られることなく眠っているのです。




このハザードマップは、そっくり倭国長谷寺の敷地が含まれていますので、お寺の案内パンフレットのような物です。




この特ダネは例え仮説と断ったとしても、マスコミは発表できないでしょう。




裏を取るにしても、頼りにすべき学者さんたちにとっては著しく不都合ですからね。





建築、秘史に長けた米田良三氏が現地で確認する場に立ち会ったからこそ自信を持ってこのブログを書いているのです。





私一人では出来なかった業(ワザ)です。


 





「源氏物語画帖」の各パーツが見事に現地の景色にマッチすることを証明しているコラージュです。



蛇行する初瀬川とそれを跨ぐ回廊、その廻り角の地上部分の痕跡、二本の大杉伝説と杉神社との位置関係、その他 雲井坂、尾上の鐘等 関連部分が認められます。



現在の長谷寺ではありえない位置関係です。



『長谷寺考』を読めば、この謎が総て解明 でき“日本人でよかった!”という感情が湧いてくることでしょう。









2002年8月、三瀬村観光協会に「村で一番古いお寺は?」と問い合わせることに始まった倭国長谷寺跡探しですが『長谷寺考』改訂版の発刊をもって一応完結したと考えます。



気が付けば14年も経過していて、ビックリです。



文字通りのライフワークでした。



その間、三瀬村の人々との接点を求めモーションをかけているのですが、何かしら空回りなのです。



当初お世話になった三瀬村観光協会の女子職員の方に、お礼かたがた経過を報告しようとしたのですが、協会は佐賀市のほうに吸収されており、ならばそちらにと掛け合ったのですが返事もくれません。



『長谷寺考』の初版を三瀬中学校の校長先生に送ったのですが、届いたとの返事すらありません。



善正寺、萬福寺の住職に本を送った直後、両寺を訪れたのですが、生憎住職はともに不在で、お庫裏さんに挨拶しただけでその後の連絡はありません。



「宿」に出来た「じゅげむ」という麺処の店長に倭国長谷寺のあらましをお話したところ、彼自身のブログにその件(源氏物語の真実など)を載せてくれました。



この出来事との関連は不明ですが、しばらくして店は閉じられたようです。



せっかく送った米田本10冊は行方不明です。



人気の店だったのに残念です。



一番新しいところでは、「三瀬の村興しグループ」に本を送り、反応を待っているところです。



私自身がもっと若くて三瀬の住人だったら「宿」のメインストリートに外国人観光客向けの“Bed&Breakfast”を経営したいですね。



名前は“TSUBAICHI INN”、各部屋には「Tamakazura」「Ukon」などと名前を付け、世界中の源氏物語ファンに倭国長谷寺の跡地を偲んでもらおうという趣向です。



即ち元祖“椿市”の復活です。



それにしても、もっと地元が燃えてくれないと・・・・





燃えよ三瀬村



どこの世界でもそうかもしれませんが、常識を覆そうとするような試みというものは強い抵抗に遭うものなのです。




科学において、二つの研究があった場合、どちらの研究が重要なのかというと、今まで考えられていなかったことを明らかにしたいという研究の方が、今まで考えられていた仮説を確かめてみたいという研究よりも明らかに重要です。




前者は科学という知識体系の中に、今まで存在しなかった法則というものを新たにもたらすからです。




今まで、みんなが考えていたことが実は間違いだったということを示すような研究の方が重要だということです。




科学自体は論理の正しさが勝負なのですが、やっているのは人間です。




既にある知識体系の中で説明できないことが現れ、それを説明する原理が現れた時、人間の中にはそれを葬り去りたいという欲望が湧いてくる場合があります。




新たな仮説が提唱された場合、論文のレフリーをするのは今までの知識体系の上で業績をあげてきた人たちです。




そういう人たちにとって、新しい原理が本当であると分かってしまうと、自分が半生賭けてやってきた仕事がほとんど無意味になってしまうわけで、それは人間として耐え難いわけです。




そして、その人の今ある社会的地位と権威が一瞬にしてなくなってしまうのです。




新たなチャレンジをする人ほど不利になるという矛盾した状態が科学の中にはあり、先駆者はみな苦労しているのです。




(北海道大学の長谷川英祐先生 の意見を参考にしました)


 






「法隆寺移築説」の苦戦する理由がお分かりのことと思います。




レフリーが反論を書くということは危機感の現れでしょう。




重箱の隅”を衝っ突く見苦しい本(冒頭の写真)です。




十年以上前、NHK教育TVで法隆寺をテーマにした番組中、大御所のS先生が「法隆寺の謎は謎のままでいいんじゃないでしょうか・・・」と発言され、思わずソファーから落っこちそうになりました。




言いたい放題で国民を煙に巻き、給料が貰えるなんて素敵な人生です。




一方、アマチュアというだけで、密度が濃く独創的な新説を唱える米田良三氏に対し権威筋から抵抗があったことが伺えます。








最近、週刊誌等で不人気な名古屋ですが、



“ポケモンGO”とやらで鶴舞(つるま)公園が人気スポット になっているようで、



特に噴水の周辺は人気があるようです。



鶴舞公園は祖母の若い頃博覧会が開かれ、その跡地が公園に整備されたものです。



医学部とは隣接しており色々思い出があるのですが、



園内にある市営図書館に親しんだ少年時代もありました。



写真は聖地の中心とされる噴水塔が描かれた昭和2829年頃の絵日記の表紙です。



この近くに米田良三著『法隆寺は移築された』に出会った古書店がありました。



“一期一会”という場合もありますが、



人生、右往左往しているうちに様々な出会いがあり、



思わぬ展開に発展するものなのですね。



もし、自分がこの古書店に立ち寄らなかったら、



“長谷寺の真実”は永久に埋もれたままだったかも知れません。





医療従事者の夜勤について興味深いエピソードがあります。



前回、「医療関係者等に“夜勤”はあるものの、彼らとて製造業の人々のパターンほど不自然ではなく、



直後の熟睡でリズムを取り戻しやすい状況が設定されています」と書きました。



かなり昔の話ですが、ある大病院の「新生児・未熟児センター」で実験的に“製造業的夜勤体制”を試みたことがあります。



要は昼夜逆転モードです。



どんな結果に成ったと思われますか? 



夜勤になれているはずのナースですが、3日目にはダウンしたそうです。



体は当然ですが、頭が全く働かなくなって仕事にならない(=患児の命が保障できない)のです。



換言すれば、製造業で頑張っている人たちは感情を消し去ったワーキングマシンに徹しているわけで



「逆走する台風」「P波のない地震」「開票していないのに当確」等という摩訶不思議な現象について



何も疑問を持たない人生を送ることになるのです。



企業には矢鱈内部留保を溜め込まないで、残業 ・夜勤手当がなくても充分生活が成り立つ待遇を実現し、



一人でも多くの人を幸せにしてほしいのです。





先日このブログに書いた「帰国子女の自殺」 と同様「夜勤」も大手マスコミが触れてはならないテーマのようです。



ともに大企業の存亡を左右する大問題であることがポイントです。



ネットで検索して気付くのですが、海外の「夜勤事情」 については記事が上がってきません。



恐らく日本以外では「夜勤」は在り得ない話 で、一週おきに昼と夜が入れ替わる生活など考えられないのでしょう。



そのような生活が出来るからといって日本人が優れている(器用、適応力)等と、



今テレビで流行っている“日本スゴイですね”キャンペーンの風潮に乗ってはなりません。



眠らないで働く、そして慣れた頃に生活リズムが再び逆転というのですから生理学無視 の目茶苦茶です。



和風総本家の職人たちではあり得ない事で、基本的人権無視、明らかな憲法違反です。



医療、交通関係者等に“夜勤”はあるものの、彼らとて製造業の人々のパターンほど不自然ではなく、



直後の熟睡でリズムを取り戻しやすい状況が設定されています。



変則リズムに嵌まってしまうと、ただひたすら仕事に体をあわせることに集中し、



その後人間らしい生活を維持できない ワーキングマシンになってしまいます。



こんな一国だけの雇用形態を放置しておいて、国際競争力 もへったくれもありません。



間もなく始まる世界規模の大変革で、わが国の「夜勤」はなくなるでしょう。



そうすればコンビニの深夜営業も不要となり、深夜うごめく人はよからぬ人であるという昔の常識が復活するはずです。



成り行きによっては、今まで関わってきた社長連中にペナルティーが科せられるかもしれません。



(to be continued)






やはり一番の腕の見せ所といえば紙面のレイアウトです。




フォントのサイズ、行数、行間スペースのとり方で読みやすさは全然違います。




写真・図・表の配置も大切です。




読みやすさと編集のし易さを兼ね備えたものを、と考えていたところ通常のレイアウトではありませんが良い見本がありました。




三笠宮崇仁親王著『文明のあけぼの』です。




上段のスペースに収まりきらない大きな地図などは文字を移動させスペースを作ります。