「源氏物語画帖」の各パーツが見事に現地の景色にマッチすることを証明しているコラージュです。
蛇行する初瀬川とそれを跨ぐ回廊、その廻り角の地上部分の痕跡、二本の大杉伝説と杉神社との位置関係、その他 雲井坂、尾上の鐘等 関連部分が認められます。
現在の長谷寺ではありえない位置関係です。
『長谷寺考』を読めば、この謎が総て解明 でき“日本人でよかった!”という感情が湧いてくることでしょう。
2002年8月、三瀬村観光協会に「村で一番古いお寺は?」と問い合わせることに始まった倭国長谷寺跡探しですが『長谷寺考』改訂版の発刊をもって一応完結したと考えます。
気が付けば14年も経過していて、ビックリです。
文字通りのライフワークでした。
その間、三瀬村の人々との接点を求めモーションをかけているのですが、何かしら空回りなのです。
当初お世話になった三瀬村観光協会の女子職員の方に、お礼かたがた経過を報告しようとしたのですが、協会は佐賀市のほうに吸収されており、ならばそちらにと掛け合ったのですが返事もくれません。
『長谷寺考』の初版を三瀬中学校の校長先生に送ったのですが、届いたとの返事すらありません。
善正寺、萬福寺の住職に本を送った直後、両寺を訪れたのですが、生憎住職はともに不在で、お庫裏さんに挨拶しただけでその後の連絡はありません。
「宿」に出来た「じゅげむ」という麺処の店長に倭国長谷寺のあらましをお話したところ、彼自身のブログにその件(源氏物語の真実など)を載せてくれました。
この出来事との関連は不明ですが、しばらくして店は閉じられたようです。
せっかく送った米田本10冊は行方不明です。
人気の店だったのに残念です。
一番新しいところでは、「三瀬の村興しグループ」に本を送り、反応を待っているところです。
私自身がもっと若くて三瀬の住人だったら「宿」のメインストリートに外国人観光客向けの“Bed&Breakfast”を経営したいですね。
名前は“TSUBAICHI INN”、各部屋には「Tamakazura」「Ukon」などと名前を付け、世界中の源氏物語ファンに倭国長谷寺の跡地を偲んでもらおうという趣向です。
即ち元祖“椿市”の復活です。
それにしても、もっと地元が燃えてくれないと・・・・
燃えよ三瀬村