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民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever









しいのき迎賓館とその裏の芝のフィールドで“KOGEIフェスタ”が開催されていました。



迎賓館の中では陶磁器の絵付けとか金箔貼りの実演が行われ、フィールドではテントが並び、数々の工房が出展していました。



その一角ではライブステージが設けられ、スタンダードジャズが聞こえてきました。










金沢大学 Modern Jazz Society のコンボがジャズのスタンダードナンバーを奏っていました。



アウト・ドア・ライブというものは、奏った者でしか分からない快感があります。



現代の若者たちに嫉妬です。



昔ヒットしたリトル・ペギー・マーチの「若いって素晴らしい」 の心境です。



サックス、ベース、ドラムスは合格点、ギター、キーボードはもう少しテクを磨く、トランペットはもっと大胆に!と心の中でアドバイスをしていました。



to be continued



石川四高記念館に隣接して旧石川県庁舎(しいのき迎賓館) がそびえています。



玄関の両サイドのしいの木がシンボルとして有名です。



現在は観光案内や、レストラン・カフェ、会議室、ギャラリーなど、憩い・交流の空間を備えた施設となっています。



大正13年に竣工し、平成14年まで使用されていた庁舎が見事に保存されています。








玄関を入るとあの時代の特徴であるかまぼこ型アーチの受付があり、次に必ず段差があり、昨今のバリアフリーとは好対照です。



階段を上がり踊り場から左右に分かれて階段が続き映画「Sound of Music」のトラップ大佐の館を連想します。

















教訓として言っておきたいのですが、たかが90年ほど昔の建物だからと舐めてはいけません。



何が何でもこの頃の建築は保存すべきなのです。



前回述べた旧愛知一中の校舎 も建て替え当時は築60年だったわけですが、遺っていれば80年になります。



ここからは妄想と思っていただいて結構ですが、某政治家が阪神淡路同時MMEに便乗して、



その昔、自分が一中の入学試験に落とされたリベンジとして伝統ある校舎を消す ことに成功したのです。



一方、彼が第二志望で入った学校にある、同じ頃建てられた講堂は今も健在です。



この某政治家の件は本人が「その通り」と認めない限り妄想のままです。



また当時、セントレア空港の敷地の埋め立て工事現場へ、校舎の瓦礫(良質な土止め材)を積んだダンプカーが行き来していたという話を聞きました。



たとえ考えすぎと言われても、これが名古屋なのです。



あの街の格はこの程度なのです。







以前から気になっていた四高 の校舎に、今回やっと入ることが出来ました。



ノスタルジックな外観で教育関連の古い建物となると無性にいとおしいのです。








旧校舎は記念館として綺麗に整備されています。



いずれの旧制高校でも、全国的に学生達のやっていたことはほぼ同じ(街の中でヤンチャをやっても住民が暖かく許してくれるストームとか、



文武両道の気風など)だったと思うのですが、各々の個性が微妙に違う理由は所在都市の風格の違いが反映されたものと思います。




風格というものは学校の存在する都市の歴史、文化的背景、市民のレベルなど総てをひっくるめたものから形成されます。



従って学校は敷地の枠を越え、それが所属する都市と一体なのです。







金沢は歴史的建造物が豊富であるばかりでなく、保存、再利用が徹底しており“風格”の源となっています。







また、金沢の人々は自分達が“地方の人間”であるとは全く思っていないそうです。





さて、嫌が上にも、旧名古屋市民としては両都市を比較してしまうのです。



旧愛知一中校舎 など数少ない戦火を逃れた建物でもあっさり建て替え、松本高校に似た名古屋高商 (名古屋大学経済学部の前身)の木造の校舎も処分し、



相変わらず名古屋城天守閣を木造にすれば一流都市の仲間入りと勘違い。



金沢が四高で、名古屋が八高 と始めからそのような順番なのにそれが分かっていない。


 



石原裕次郎が歌った「白い街」 のまま時間が止まっている。



久々に金沢を訪れ、名古屋がコケにされる理由が嫌というほど分かりました。



to be continued






作家と編集者との関係が描かれているということで観に行きました。



米田良三氏の原稿を素人でありながら本にまとめたという個人的な経験が背景にあります。



駆け出し作家と彼の才能を見出した編集者の二人は原稿の扱いで激突します。



年齢差もあるし、アメリカ的というか日本ではありえないようなレベルです。



原稿はバッサリ削られ、表現を変えさせられ、読まれるためにはここまでやるか! という凄まじさです。






自分に照らし合わせてみると、米田氏は年上ですし、私自身は本作りが好きな“一米田ファン”に過ぎないわけで、原稿の手直しはあり得ません。



従ってAB&JC PRESS版の4冊は著者の言いたいことは総て網羅されていますが、予備知識がないと手も足も出ません。



一方、新泉社時代の4冊は社長が手をかけたと思われ、一般読者も何とかついていくことが出来たと思います(それでも難解ですが)。



米田氏の原稿が断られるようになったのは若社長になってからであり、「(歴史or建築?)学会から『建築から古代を解く』を増刷するなと圧力がかかっている」という話を米田氏は語っていました。



「地震と建築と」(この連載の歴史部分のみをまとめたものが『続法隆寺は移築された』)の連載中でも、横槍が入っていたそうです。






少し脱線しましたが・・・



映画の原題は「GENIUS」つまり天才です。



この映画の中で本のタイトルのつけ方を議論する場面があるのですが、この映画の邦題はいくらサブタイトルを補っても魅力的ではありません。



「ベストセラー」 では軽すぎます。



全然内容を表していません。



同じカタカナを使うのであれば「ジー二アス」のままで良かったのではないでしょうか。



この映画で文学作品の完成するまでの生々しい経緯を見ていると、ボブ・ディランのノーベル文学賞には一寸無理があるのではないかと感じました。









幹事が選んだホテルなので予備知識なし、出たとこ勝負。



真っ先にシャワー・スペースを見つけてラッキー。



浴槽オンリーのユニットバスはつらいのです。



(このホテルに限ったことではないけれど、ホテルの枕はどうしてあんなにバカデカイのだろう。



寝巻きは着心地に当たりハズレがある。



ベッドサイドのラジオとBGMが無くなったのは寂しい。



テレビでは代用になりません。)




このホテル は香林坊のメインストリートに面したリッチな立地の比較的新しいものです。



設計・デザインもおしゃれで人気があるらしく玄関は賑わっています。



建物内に自販機コーナーはなく、近所にはコンビ二も見当たらないので、しっかりとした宿泊計画が必要です。



朝食バイキングは7:00スタートですので、強行スケジュールは立ててはなりません。



以上、このホテルに関して ちょっとしたことですが非常に大事なことを書きました。



to be continued










過去3回、新幹線が開通してからは初めての金沢。




昨年11月の九州USAツアー と同じ仲間の旅行です。



訳あって、8日(土)名古屋駅前の居酒屋「奥志摩」 で前夜祭を終え、19:48発のしらさぎ15号」に乗り込みました。



如何に金沢が人気スポットとはいえ、さすがにこの時刻では自由席とはいえガラ空きでした。



「しらさぎ」には名古屋・米原間が含まれていない列車があり、この区間の新幹線に(新幹線の乗車券無しで)乗車できます。



復路はこれを利用しました。



金沢駅から雨の中、香林坊のホテル に直行。



23時過ぎのチェックイン。



暗闇を抜けて着いた金沢。



実感は明るくなってから・・・・・ 



to be continued






 








初めての赴任先の上司が結婚祝いに「暮らしの手帖」2年分の購読券をプレゼントしてくれたので、その後も80年代の中頃まで購読していました。




新生活に役立つ情報が満載でした。




最初の号の表紙のコピーを我が家の定礎(Since 1973)として飾ってあります。








我が家には連載の料理記事を単行本化した『おそうざいふう外国料理』 、『おそうざい十二ヵ月』の2冊があり、その中のレシピから生み出される(=相棒が生み出す)幸せを文字通り噛みしめています。











実は学生時代に出版された増刊号的な『戦争中の暮らしの記録』を父母が喜んで読んでくれると思い買ったのですが、二人とも指一本触れようとしませんでした。




今なら当たり前のことと、あの時の気持ちが理解できます。




最近復刻されたようですが、抵抗なく読める若い人たちには内容をじっくり噛みしめて欲しいですね。




その他の単行本で思い出すのはスポック博士と松田道雄先生の育児書です。




日本人には圧倒的に松田先生の説 が向いているようです。



スポック博士の説については現在は否定的な見解 が優勢のようです。





“ゆとり教育”以前に日本人は既に嵌められていたのか、と勘ぐりたくもなります。




ハッキリと目には見えない人体実験だったとすれば、当の本人たちはたまったものではありません。




アメリカの博士だからこそ、読者はその説を信じて実践したのでしょう。




人類月面着陸もアメリカ がやったことだから、と世界の人々は信じたのです。




暮らしの手帖社の見解を知りたいところです。





 






今回のテーマは寧ろ“苦しみ”というべきかも・・・・





編集を一人でやっているのですが、校正だけは二人以上でやらないとミスゼロは無理です。



ミスのレベルにも色々あって、文節の切り方(1行空けるべきかどうか)、空け方に一貫性があるか? 



しかし、読み易いからといって、やたら空けるとページ数があっという間にかさみます。



頭出しの「1文字下げ」、引用文の「数文字下げ」、括弧前後の空白を美しく見せる方法等、苦労は多いのですが、



究極は読者の立場になり、読みやすさを追求することです。



美しく品がある出来上がりにゴールはありません。



常に不満は燻ぶり続けます。



PDF化し“もうこれで良し”と決断し印刷屋にディスクを渡す時のスリルと、



出来上がった本を手にする喜び、



そして、新たなミスを見つけてしまったときの失望。



これら全部をひっくるめたワクワク感が本作りの醍醐味です。



職人が活字を組んで紙面を作っていた時代を知っている者からすると、素人がここまでやってしまう時代とは空恐ろしいものですし、



この調子でPCのが他の分野にも普及しているわけですので、失業者が増えるのも納得です。




将来はこのレベルでやってみたいのですが ・・・・・・・






10月3日の新聞で、絵巻に登場する動物の配列について話題になっている「鳥獣戯画」ですが、




学校では“平安時代の作品”としっかり学びます。




しかし、米田氏は「あれは倭国の作品」とこともなげに言っております。




すると、ここにある3つの絵巻物はすべて倭国の時代のものということになりますが、同じ絵師によるかどうかは微妙です。




この描写力の伝統は現在にも引き継がれていて「君の名は」が大ヒットするのも当然でしょう。




ところで、倭国の絵画といえば、「清明上河図」 のオリジナルを早く公開するよう台北故宮博物院 にお願いしたいものです。




本格的に世界が渾沌とする前に日本の凄さ を世界に見せ付けたいものです。




「どうだ、文句あるか !」と。



9月末に発送しましたダイレクトメールに「払込取扱票」 が同封されていない方へ





払い込みされる方は青く印刷された用紙に 合計額-130 をご記入下さい。




用紙に記入するデータは以下の通りです。(写真参照)



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