ハードカバー・カラー・A5版『現代を解く・長谷寺考』の在庫が底をつき、現在増刷中です。
佐賀県の古代に関する記述が中心の本書は、地元で火がつき、今後燃え広がりそうです。
何しろ、オリジナル『源氏物語』は太宰府~三瀬が舞台で、平安時代の作品より350年古く、長谷寺は法隆寺より古いのです。
情報は世界にも発信され、(大和へ移築された)長谷寺詣でのブームが盛り上がり・・・・・ ついには邪馬台国は九州説で決着、ということに落ち着くでしょう。
ハードカバー・カラー・A5版『現代を解く・長谷寺考』の在庫が底をつき、現在増刷中です。
佐賀県の古代に関する記述が中心の本書は、地元で火がつき、今後燃え広がりそうです。
何しろ、オリジナル『源氏物語』は太宰府~三瀬が舞台で、平安時代の作品より350年古く、長谷寺は法隆寺より古いのです。
情報は世界にも発信され、(大和へ移築された)長谷寺詣でのブームが盛り上がり・・・・・ ついには邪馬台国は九州説で決着、ということに落ち着くでしょう。
テレビ画面が大きく鮮明になり、メルボルンにいるような臨場感を楽しんでいる最中、大阪なおみのスピーチに同時通訳の音声を被せる無神経さには唖然、呆然。
犬あっち行けい!金返せ!話の内容を日本語で伝えたいのなら1~2分遅れの字幕で十分ではないか。
これは時代の流れについていけないマスゴミの駄目さ加減の一つに過ぎない。
大阪なおみの出現は、日本のテニス界のみならず、英語・日本語教育の分野にも色々な問題を提起している。
彼女の日本語のレベルに関して思うのは、完璧なバイ・リンガルは、母親が血の滲むような努力をしない限り無理であるうえ、大阪家の場合、母娘が家庭で日本語で話せば父親は孤立するので、一家のコミュニケーションを考えれば、英語一本に絞られたのは当然である。
しかし、躾が和風であったのが、彼女の魅力の源となっているようだ。
ビックリするようなマスゴミの駄目さ加減は他にもあって・・・・
ある日本人記者が英語で質問し、その歯がゆさに彼女が苦笑いする場面をネットで見た。
情けない奴だ。
そうかと思えば、「日本語でお答え下さい」と質問するなど、失礼な振る舞いも見た。
確固たる母語(最近はどちらも中途半端なバイ・リンガルがいる)がベースにあって世界一を極めた者に対して、公の場で不得意な言語を強制する無礼が分らない日本のマスゴミはどうしようもない。
彼らはアメリカのテレビ番組での彼女のトークの魅力やイチローの記者会見には通訳が必ずつくことを知らない筈は無い。
何をやっているのやら・・・・
日米のテニス関係者の“大阪なおみ争奪戦”はまだ終わっていない。
1月21日朝、NHKラジオで「長谷寺の東の山中に玉鬘神社という名の神社が作られた」と報じていました。
米田史学では 長谷寺は520年頃 佐賀県三瀬村で創建され、700年代初め現在地に移築され、1650年 新築に匹敵する大改修が完了し 現在に至っている、とされます。
現在の長谷寺には「貫之梅」とか「二本の杉」という記念碑的スポットがあります。
紀貫之は倭国時代の人で、「ひとはいさ・・・」の歌は長谷寺の門前町である椿市(現在の「宿」)で読まれました。
「二本の杉」は長谷寺、杉神社が出来る前からあった縄文杉の巨木で、当時のランドマークとして文学作品にも登場します。
これらの事象は移築の事実を隠そうとする者たちにとって、移築後の寺の近くに存在する必要があります。
これが「貫之梅」と「二本の杉」という、しょぼい記念碑的スポットの実態です。
件の縄文杉の巨木は中世に長谷寺移築の事実を隠そうとする者たちによって(伝説では孫太郎がやったことにされている)切り倒されています。
「玉鬘神社」は、たんに『源氏物語』の中で玉鬘が長谷寺を訪れるシーンにちなんだ(「貫之梅」や「二本の杉」のような)新たな人寄せスポットとも言えますが、以上のいきさつから、長谷寺の移築のイメージを遠ざける、と言う意図で作られている、と思えます、私には。
20年前からコツコツと細々と米田良三氏の原稿を単行本化してまいりましたが、昨年暮あたりから良い流れが感じられます。
今年は九州、中でも佐賀県が大ブレイクしそうです。
倭国の時代、長谷寺が三瀬村に在り、700年代初めに大和に移築され、ボロボロになりながらも何とか持ちこたえ、江戸時代の初めに新築に匹敵する大改修が行われ現在に至っていることが信じてもらえるようになりました。
米田氏が持ち込んだ原稿を上からの指示で拒否した某出版社は、いずれ地団太踏むことになると思います。
酒に甘口、辛口があるように、本も同様、最近は甘口が好まれるようで、ウィキペディアからのコピペ本がベストセラーになったりしますが、自分が既に知っていることが載っている本が結局心地よいわけです。これに反し、米田氏の本は数年かけて理解が進む辛口本です。
『現代を解く・長谷寺考』は増刷準備中です。
倭国時代の長谷寺に東南アジアから留学僧が来ていました。そして近年、佐賀を舞台にしたタイ映画が作られ人気だそうです。
そのいきさつは知りませんが、何か縁を感じます。
大和長谷寺について、今まで“法隆寺より古い”などの説を当ブログで書き続けていますが、そのような視点で捉えると、まだまだこの寺の不思議が発見できます。
江戸時代の新築ということですが、本堂外陣の柱の風化の具合が不自然です。
表面を無理矢理擦って洗ったような印象です。
それを裏付けるような写真が『調査報告書』にあります。
内内陣にカラフルな模様が描かれた柱があり、その図柄は学校時代の美術の教科書などでも見たことのないものです。
柱、天井~全体に至るまで極彩色に彩られていた可能性があります。
外陣の天井周りを覆い尽くす額、絵馬の数もさることながら、各々の隙間がなく、天井が全く見えません。
ワザとやっているとしか思えません。
江戸時代の新築に匹敵する解体修理の際に天井絵が消せなかったのではないかと想像します。
見られては困る内容なのでしょうか。
つまり、描かれていたのは倭国を連想する絵で、それを消すのは恐れ多いのと、完璧に消すことができないので、額などで覆い隠す作戦に出たものと思われます。
名古屋人なら知らない人はいない、有名なナナちゃんです。
身長は6mだそうですが、真下から見上げると、もっと大きく感じます。
大和長谷寺の観音様の高さは10m以上ですので、圧倒的な迫力で迫ってくるのも道理です(観音様は御開帳の時のみ1000円払って足元まで入ることが出来ます)。
解説によると、長谷寺は何度も火災にあい、そのたびに観音像も作られ、現在のものは室町時代の作とされます。
しかし
米田良三氏は火災の記録も像の成り立ちも虚偽であると以下のように述べています。
『現代を解く・長谷寺考』からの引用
記録では長谷寺が何回も火災に因って焼失したことになっているが、その再建の記録は時間的に成り立たない内容である。
建築場所が山の中腹であり、難工事であることはもちろん、本堂が火災で焼失したとすれば、観音もやけてしまったわけで、観音像の材料の木を求めることさえ容易ではない。
火災の記録は虚偽と断定できるのだ。(中略)
定説では現在の十一面観音像は天文七年(1538)に造立されたとするが、戦国時代末期、日本全国疲弊の中、そのようなことが行われたことはないと考える。
担当仏師である空阿弥法印の名を他の作品に見ることができないのも虚偽だからだと思う。
長谷寺が移築されていることから、現在の長谷寺から組み立てられている定説は真実でないと言える。(中略)
清少納言の言う十一面観音像は現在の像以外にはあり得ない。
517年作の巨大木造彫刻が現存するのである。
イタリアのフィレンツェにあるミケランジェロが造ったダビデ像は像高がわずかに4.1メートルである。
長谷観音の像高はその約2.5倍あるのだ。
左手に花瓶、右手に錫杖を持った姿は凛々しく、阿弥陀如来とみなされることになる倭薈を生んだ息長足姫に相応しい姿である。
注:清少納言(倭国時代の本物、平安時代のは成りすまし)
中日ビルが今月いっぱいで閉鎖されます。
先日のブログで予言したとおり、ビルの2階の角にある「サンモリッツ」には懐かしのナポリタン目当てのシルバー軍団が集結しているそうです。
今月の終わりの方では行列が予想されます。
これで「栄」のランドマークはテレビ塔のみとなります。
これは人類学的にも、社会学的にも情けない状況といえます。
猿やゴリラに「ノスタルジー」は無縁でしょう。
それにしても、若い頃に出来た立派なビルが自分の生きているうちに取り壊されるっておかしくないか?
特に名古屋ではこの傾向は顕著で、街の魅力がちっとも育たない大きな理由だと思う。
名古屋城の天守閣だって同じこと、外から眺めるには今がベストなので建て替えの必要は全くない。
まず、最上階の漆喰窓(?)を総て閉めて、木造時代の外観にしてほしい。
“昔の外観の再現と展望台機能”が両立できる構造が全く生かされていない。
ネットでいろいろ書かれていますが、確かに割高感はハンパない。
あのCMを見れば欲しくなるのも無理はない。
両目用の虫眼鏡を思いついたアイディアと巧みなCM表現の勝利でしょう。
値段とか、政治的な優遇はそれぞれの消費者が判断すれば良いことで、恩恵を享受している人も結構いて、私も抜糸したり、トゲを抜く時には重宝している。
ただ、左右の視力のバランスが悪かったり、斜視・乱視がある場合、その人が抱えたハンディキャップも増幅(頭がクラクラ等)されます。
従って、補正用のメガネは必須で“メガネONメガネ”と相成ります。
あとは後発メーカーの頑張りに期待します。