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民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 「旭美展」とは 愛知県立旭丘高等学校美術課程3年生の卒業制作作品の展示イベントのことです。

 

 

 日曜日が最終日で、AM早くから賑わっておりました。

 

 明るいものから暗いものまで大作揃い。

 

 

 それぞれが個性的で、心の中が推し量られる作品については作者本人の解説が聞きたかった。

 

 

 ワタシ的には「阿弥陀如来像」・「仁王像」の作者には会場にいて欲しかったですね。

 

 

 その他、思ったこと

 

●立派な額縁に入れたら引き立つ作品が散見された。

 

●可能な限り作者は自分の作品の傍にいて、お話した方が良い。

 

●スナップ程度なら撮影を許可しては? 作品がアピールして貰えるチャンスが広がる、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伴大納言詞より


                 信貴山縁起絵巻より

 

                鳥獣人物戯画絵巻より

 

 

 ハーバード大学が所有する『源氏物語画帖』は柱の描写に物差しを用いておらず、やや雑なスケッチ風の作品であるが、私の直感では人物表現からも素晴しい倭国の原本がどこか(宮内庁?)に隠されていると睨んでいる。

 

 

 いわゆる四大絵巻物のうち伴大納言』・『信貴山縁起絵巻』・『鳥獣人物戯画絵巻』に描かれる「馬」を筆跡鑑定に習い比べてみると、総て同一画家が描いたものと思われる。

 

 

 これに人物描写による鑑定を加えると『源氏物語画帖』は他の三絵巻にかなり近いイメージである。

 

 

 これら4作品の絵師は全て同一人物で、微妙な違いは制作したときの年齢によるものと考える。

 

 

 名古屋徳川美術館の『源氏物語絵巻』は検討の対象外である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

571年、平等院鳳凰堂は太宰府の南の俗名院エクセレント・ハイツというマンションが現在建っている)に造られ、1050年頃、現在地に移築された。

 

 

 

 倭国の始めの頃は邪馬台国と呼ばれ、卑弥呼の宮殿は現在の太宰府(遺跡は最下層に位置する)にありました。

 

  

倭国は大宰府を首都とする連邦国家で、後に大和朝廷の母体となる扶桑国も連邦の一つでした。

 

 

500年代の終わり頃(法興帝の時代)、東北に在る連邦の一つである「日の本」の国名を譲り受け、倭国は「日本」を名乗ります。

 

 

その後、白村江での敗戦、唐による日本占領、大和朝廷の「日本(倭)国乗っ取り、と続くのですが、乗っ取った側の大和朝廷が「日本」を名乗り始めたのです。

 

 

ここまでのストーリーなら、ごく普通に歴史として語られても良いのですが、何分、乗っ取りの内容が世界に類を見ない醜いものでした。

 

 

建築物、文学作品、絵画、地名、人材等殆どすべてを九州から近畿に移し、倭国の存在を全て消してしまい、悠久の大和を演出し現在に至っているのです。

 

 

これでは「日本」の国号の成り立ちの真相は恥ずかしくて歴史教科書に載せられるはずがありません。

 

 

何しろ“倭国の存在を徹底的に消す”と言う密約が則天武后と天武天皇の間で交わされていたのですから、現在の体制側の歴史学者たちはフリーズするしかありません。

 

 

倭国の終わりのほうの短い期間の「日本」と大和朝廷が盗んだ国号を区別するために、米田良三氏は前者を「日本(倭)国」と表記するように提案したのです。

 

 

米田建築史学」とは、消された倭国を復元するための学問なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「十五の春を泣かせない」というサブタイトルで全国的に繰り広げられたキャンペーンがありました。

 

 

 そして今、その成果が「外国人財拡大」法案の成立となって結実したのです。

 

 

 当時、商業、工業、農業高校等は無視され、普通科偏重でした。

 

 

 当時、「みんなが大学に行ったら世の中どうなる?」と言う議論がなかったわけではありません。

 

 

 この運動のおかげで、職人の世界は崩壊し、「ミスマッチ」と言う好都合な表現がはびこり大量のフリーターが発生しました。

 

 

 国の基本となる人材が育たなかったのはインフレ学歴大量発行の結果です。

 

 

 しかし、この日本を滅茶苦茶にする計画の主謀者たちも追い詰められつつあります。

 

 

 日本(倭)国は必ず復活します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    JR東海 X'MAS EXPRESS 60×5

 

 

あの頃、子育ては山場を越えていたけど、感動は今の若者に引けを取らない。

 

 

企画したのが高校の13期後輩と知って嬉しくなった。

 

 

山下達郎の曲を引っ張ってきたのがいい。

 

 

現代の若者の書き込みを読むと「皆、日本がいい国になることを心の底で願っている」ように感じる。

 

 

同じく山達の曲を使うクリスマスCMが放映されているが、何かしらこの国をダメにする意図が隠されているようで気色悪い。

 

 

あの擬人化された犬が出てくるCMの会社のことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前期高齢者のカラオケパーティーの準備中、Elvis Presleyの“Are you lonesome tonight ?”のセリフの発音が難しいので、Elvis本人の歌を聴いてみたのですが、二つの単語が繋がって発声される部分が多く、知っている単語でも認識できないことに気付きました。

 

 

 例えば、「that the」は「ザッザ」、「playing in」は「プレイン」、「loved you」は「ラブジュー」、「read your」は「リージョァ」、「act two」は「アクトゥー」等です。

 

 I wonder if you're lonesome tonight
You know someone said
that the worlds a stage
And each must play a part.
Fate had me
playing in love with you as my sweet heart.
Act one was when we met, I
loved you at first glance
You
read your line so cleverly and never missed a cue
Then came
act two, you seemed to change and you acted strange
And why I'll never know.
Honey, you lied when you said you loved me
And I had no cause to doubt you.
But I'd rather go on hearing your lies
Than go on living without you.
Now the stage is bare and I'm standing there
With emptiness all around
And if you wont come back to me
Then make them bring the curtain down.

 

 

 外国語の音声をかなり正確に表現できる日本語の凄さを再発見できたのですが、中1で英語を習い始めた頃、カタカナ変換はきつくご法度でした。

 

 

 この歳になってみると、カタカナ表現は結構スグレモノだと思えます。

 

 

 はじめは強張ったサウンドでも、繰り返すうちにカドが取れて滑らかな英語になると思います。

 

 

 あの頃のカタカナ禁止令の真相は何だったのだろうか? 

 

 

 現在の教育現場では?

 

 

 歌ってみましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

分かりにくそうなので書き直しました。

 

『長谷寺本堂調査報告書』(2004年刊)には本堂の精緻な図面集(A)が載っていて、寸法は算用数字で詳しく「尺」表示されている。

 

mm」で記入されている平面図(B)も一枚あり、それらの数値を対比し、本堂が曲尺かィ尺のいずれをもとに建てられたかが特定できると期待した。

 

図面(A)の数字は実測値を303mm(曲尺の1尺)で割ったものが記載されているのは確かなのだが、切りの悪い数値が並ぶとともに、明らかに同じと思われる柱間の数値にもバラつきが目立つ。

 

これは建築図面でなく、調査計測図面であることは明らかであり、303281(ィ尺の1尺)のいずれの数値で割り算をしようが、建築に用いられた物差しの特定は困難と判断した。

 

さらに、米田氏の言うように、本堂が創建時(520年)のものとすれば、当然「内転び」の技法が用いられており、柱下端での計測は全く意味を成さない。

 

倭国と大和朝廷以後を識別するには天井レベルでの平面図が決め手となるからだ。

 

一方『報告書』には、古い図面と思しき小さな写真もあり、それには図面(A)より切りのいい柱間寸法(尺)が辛うじて読み取れる。

 

その他、グラビアページには解体修理を思わせる以下のような場面がある。

 

1.内内陣の柱には今までの美術史教科書で馴染みのない絵が描かれ、しかも中断された絵の途中から新しい柱が継ぎ足されている。

 

2.周辺より明らかに新しい(江戸時代?)木材の天井、柱、組物に描かれた絵は拙劣で描写を中断したまま、と思われるものもあり観音像後方の板壁の裏側に描かれた二十五菩薩来迎図と比べるべくもない。

 

3.風化のレベルが素人目にも明らかに異なる組物群が軒下に隣り合わせにある。

 

以上のことから、大和長谷寺の本堂は可能な限り創建時以後の具財を再利用しつつ、新築に近い大掛かりな解体修理によって1650年に建立されたと結論したい。

 

本堂大改修の資料はあっても公開されないし、決め手となるC14によるチェックも行われないであろう。

 

 不明な点が多すぎるせいか、深く切り込んだ考察は為されていないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『長谷寺本堂調査報告書』には本堂の精緻な図面(A)が載っていて、算用数字で詳しく寸法が「尺」で表示されています。

 

 

 その他、メートル法で記入されている平面図(B)が一枚あり、それらの数値を対比し、本堂が曲尺かィ尺のいずれをもとに建てられたかが特定できると期待していました。

 

 

 図面(A)の数字(尺)は実測値を303mm(曲尺の1尺)で割ったものが記載されているのは確かなのですが、切りの悪い数値が並ぶとともに、明らかに同じと思われる柱間の数値にもバラつきが目立ちます。

 

 

 これは建築図面でなく、調査計測図面であることは明らかであり、303281(ィ尺の1尺)のいずれの数値で割り算をしようが、建築に用いられた物差しの特定は困難と判断しました。

 

 

 報告書には、古い図面と思しき小さな写真もあり、それには図面(A)より切りのいい柱間寸法(尺)が辛うじて読み取ることが出来ます。

 

 

 米田氏の言うように、本堂が創建時のものとすれば、「内転び」の技法は当然用いられており、柱下端での計測は全く意味を成しません(天井レベルでの平面図の数値が倭国と大和朝廷以後を区別する判断材料となる)。

 

 

 以上のことから、大和長谷寺の本堂は可能な限り創建時の具財(内陣の柱には今まで見たこともない模様が描かれ、しかも途中から新しい柱が継ぎ足されたものがある)を利用するものの、殆ど新築に近い大掛かりな改修工事によって1650年、建立されたと考えます。

 

 

 案内板の表示では「新築」と理解されます。

 

 

 絶対に守られなければならない歴史ですので、どこかに保管されている筈の本堂大改修の資料は公表されないでしょうし、今後もC14によるチェックも行われることは有り得ないでしょう。

 

 

 面白く感じ、興味の湧いた方は米田良三著『建築史学入門』をお求め下さい。さらに極めたい方は『長谷寺考』まで手を伸ばして下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この研究者は、倭国軍の韓半島への出兵について語っ

 

ているのですが、テレビをボーっと見ていると、いかに

 

危険であるかが良くわかる一例です。

 

 何処が誤りであるか理解できる人は国民の何パーセン

 

トでしょうか?