今年も ブログ Writeeverythingforever「民営文化センター」をよろしくお願いします。
話題は“ちゃらんぽらん”で定まりませんが、この国が、本当の日本に生まれ変わることを願って書いています。
カテゴリー分類はしていませんが、キーワード的には以下の様に成ります。
米田建築史学
ノスタル爺
名古屋
旭丘高校
教育
英語
音楽
映画
テニス
コンスピラシー
オーストラリア
医学・医療
是非、お気に入りに入れておいて下さい。
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昭和13年10月、母校の前身・愛知一中に彼らが来校した時の写真です。
この23年後に団員達の後方の教室で自分が授業を受けていたので、ウィキペディアで調べてみたくなりました。
引用
1936年(昭和11年)11月25日の日独防共協定の締結によりヒトラーユーゲント指導者バルドゥール・フォン・シーラッハが日独の青少年相互訪問を提案。日本政府がこれを受け入れた結果、1938年(昭和13年)8月から11月にかけてヒトラーユーゲントの訪日が行われた[1]。
朝日新聞社の依頼により、北原白秋作詞、高階哲夫作曲、藤原義江歌唱による歓迎歌『萬歳ヒットラー・ユウゲント:獨逸青少年團歡迎の歌』が作られ、1938年(昭和13年)10月には日本ビクターからレコードが販売されるなど日本国民を挙げての大歓迎を受け、親独気運の醸成に大きく寄与した。
同時期に日本からは各地の学生、青少年団体職員、若手公務員から成る「大日本連合青年団」(現在の日本青年団協議会)の訪独団がドイツに派遣され、ナチス党大会の参観、ヒトラーと会見して同盟国のドイツの見聞を広めた[2]。
先日NHK BSで見た映画「Sound of Music」に登場するロルフの纏うユニフォームについて、学生時代、この映画を見た時から気になっていました。
トラップ大佐の娘との雨中の(洋風?)あずまやでのダンスシーンと墓地からの脱出の場面は心に残っています。
学習参考書にまつわる思い出話シリーズです。
― 社会
世界史は旧制中学時代からの先生がハイレベルな講義をしてくれたのだが、私には“豚に真珠”今、聴いたら面白いだろうな、と思う。
テストも記述式では対策も立てられず、答案も その態をなさなかった。
語りの始めに「分っていると思うが・・・」と言うのが口癖で、生徒同士は「分ってないのにねっ!」とニッコリしながらアイコンタクト。
世界史はタイムスケールと地理が絡み合い、おまけに片仮名ネームも乱立し、根性無しでは取り組めない。
しかし、国を持たないあの民族のグローバルな動向についての説明があれば、もっと分り易かったかも知れない。
あのS先生はその点は熟知した上で話していたが、こちらが未熟だった、ということか?
日本史は新任の若い教師が担当でマニュアル通りの授業だった。
“傾向と対策”はバッチリで、現役受験の時、問題の中の系図に3箇所のミスプリントを発見した程であったが、試験中に手を挙げることも出来ず苦しい思いをした。
大学の採った解決策は如何であったか?
公式発表は一切なく後で聞いた、かなり信憑性のある噂では“日本史は配点からはずし、900(1000-100)点満点とし、合計点×10/9で判定した、ということである。
この方法では日本史が0点でも満点に近くても同じ扱いとなる。現在だったら大騒ぎになり解決策は見出せないだろう。
写真中央の小冊子群は田崎清忠先生の「NHKテレビ英会話」のテキスト。右端は泣く子も黙る(?)旺文社の受験雑誌「蛍雪時代」
― 理科
1年生 化学
授業を階段教室で受けたので何だか偉くなった気がしたが、内容を理解できたとは言い難い。
本当に理解できたのは浪人してから。
数研出版の『あたらしい化学』はその時のもので、今も手元にある。
2年生 物理
徹底的にダメだった。
とても受験科目にはなり得ないということで、参考書は一冊も無い。
3年生 生物
小学校以来、授業中眠くなったことは一度も無かったが、ブロバリンという仇名の教師の授業中、睡魔が襲い、噂は本当であると実感した。
生物は大切な受験科目なので、高岡 實教授の『生物精義』をアンダーライン、書き込みがいっぱいになるまで読み込んだ。
教養部での講義の後、この話を教授にしたところ「是非見せてほしい」と言われ、お渡しした。
自分の著作がどのように利用されているか是非知りたい、とハッキリ言われた。
著者、編集者は読者の反応が気になるものであり、『建築史学入門』を含む4冊について、私も同様である。
学習参考書にまつわる思い出話シリーズです。
― 国語
英数国とも旧制愛知一中の先生のお世話になったのだが、受け手の側のレベルがヒド過ぎ“猫に小判”状態は明白だった。
それでも、恥をかきながらも授業にはついていこうと必死だった。
現代文は教科書等教材以外の一般書(小説も含む)の読書量のなさが致命的で、テストで効率的に点を取ることに集中せざるを得なかった。
古文も消化不良は明白で、古代の貴族たちの生活の雰囲気を味わうには程遠かった。
漢文はたまたま使っていた『漢文の研究』(旺文社)の内容が入試問題に命中しラッキーだった。
写真にある『古文研究法』(小西甚一著)は名著の誉れが高かったが、ネットの批評にあるように、内容は難しく感じたことを覚えている。
新刊の『チャート式 古文解釈の研究』に辿り着きホッとしたことを覚えている。
ところで「法隆寺は移築された」で有名な米田良三氏は仮説の鋭さで一目置かれる存在だが、著作の中で、いちいち引用文献を示さない情報とかヒントがいっぱい隠されているように感じたので、直接本人に聞いてみた。
氏は自宅から近い国会図書館に足繁く通い続け、普通の人が手にしない文献にも目を通し、その渉猟態度の激しさに館員がネを上げていたとのことである。
さらに「古文読解の特訓でもやったのですか?」と尋ねると「高校の時の古文だけ」との答えであった。
因みに、三重県立松阪高等学校が氏の出身校である。
米田建築史学の後半4著作(AB&JC PRESS版)にも「古文」が頻繁に登場するが、なんとなく雰囲気を味わうだけでなく、本格的に理解を深めたいと思っている。
『古文研究法』についての引用
今年は古典を本格的に原文で読めるようになりたいと思い、正月から読み始めたのが、やっと読み終わった。
とにかく内容が濃く、一読しただけで全部の内容が頭に入ったわけがないけど、やたら難しい演習問題もボロボロながら一応全て取り組んだ甲斐あってか、勉強を始める前よりは随分古典を読めるようになってきた気がする。
元々は半世紀以上前に受験生向けに書かれた本だが、今はよほど古典が好きで、意識が高い学生でないと難しいかも。
問題の出題の仕方も現在とは大分違いそうだし。
でも社会人が頭を鍛えるにはもってこいの本だった。
学習参考書にまつわる思い出話シリーズです。
― 英語
数学同様、英語も“涙無しでは語れない”ひどい有様であった。
名門校に入ったものの、3年生の教科書の終わりの3章をやり残す程の中学校であったので不安は的中した。
予習をするにしても、1行平均3語は辞書を引かねばならず、焦りまくり。
一方、名門中学から来たO君の言葉が胸に突き刺さる。
「春休み(入学前のことだぞ!)にリーダー(テキスト)を始めから終いまで寝ながら読んじゃった」
再び“真っ青”になった。
前回、夏休みの宿題は皆無と書いたが、英語だけは例外で「More Famous Stories」というサイドリーダーを与えられ、夏休み中、この一冊との格闘を強いられた。
我々の時代、参考書も教師も大半は戦前からのもの(物・者)で、山貞の『新自修英文典』、『New Art of English Composition』等のお世話になり、コツコツやるのが主流だった。
“聞き流すだけ”で身につくなら苦労はない。
英語教材に“良い、悪い”があると言うよりは、本人のやる気が“有る、無い”だ。
健康器具を買っても、粗大ゴミに成り果てている例がゴマンとある。
東京オリンピックの頃、日本中が英会話ブームに沸いていたが、モノになったのはどれ位いただろう?
『New Art of English Composition』についての引用
ベスト500レビュアー
2018年4月24日
高梨健吉『日本英学史考』によると, 大正から昭和前期まで最もよく使用された英作文教科書は,村井知至とA. W. Medley の共著になる英作文教科書である。初め、English Prose Compositions (全3巻)は大正5年に出て,改訂版が大正10年、13年に出た。新版は The art of English Composition (大正15年、全3巻)となった。
本書は著者に飯田弥太郎らが加わって、さらに改訂を加えたもので改訂新版として2012年年に発行された。評者は原本を所有しないので具体的な改訂事項は分からないが2012年版にも、「明日の今頃はおそらく台風はひどくなっているだろう」「おいとましなくては」と彼女は帽子とハンドバッグを取って言った)などの例が中心をなしていることから分かるように、 あきらかに文法、構文をマスターするための英作文である(前者では未来完了形。後者では分詞構文)。評者のむかしの受験英作文書をおもいだした。まさしく村井・メドレー式は今日の受験英語の源流の一つである。これから受験英語も変革期を迎える。昨今は、言いたいことが言える英語能力を身につけることが強調されている。しかし言いたいことを言うには、やはり文法と構文の知識が必要である。村井・メドレー式はどのような形で引き継がれて行くのであろうか。
昭和30年代は「3丁目の夕日」に描かれている通り何もない時代で“勉強以外やることがない”と思っていたのですが、結構ハメをはずしていた奴もいたようで、それを知ったのは随分後になってからのことです。
それはさておき・・・・
大学合格発表直後、使っていた参考書群(二人の兄の分も含まれる)の記念撮影をしました。
これらの学習参考書にまつわる思い出話シリーズです。
― 数学
入学早々の数学の授業。
そこそこ予習をして臨んだのだが、予想の3倍ぐらいのスピードで授業は進みビックリ、真っ青、泣きたくなった。
五月病になってもおかしくない状況に陥るも、まずは夏休みまでは、と踏ん張る。
有り難いことに、我が校はプリント一枚すら宿題が無く、夏休み全部が自分の時間。
夏休み中に遅れを取り戻そうとして選んだのが旺文社の「基礎シリーズ」。
これでなんとか一息ついた、と思ったのだが、出来る奴は「チャート式」をスイスイ解いていた。
その後、数学コンプレックスはズーっと続いていたのだが、3年生になってから数研出版の「チャート式・整理3ヶ月シリーズ」に取り組み、少々自信めいたものが生まれた。
結局、「チャート式」の本丸には届かなかった。
いくらやっても、数学は答案を書こうにも手も足も出ないことがあり、本当に怖い。
出題者の意図まで読める奴がいたのだから、学力差の幅はとてつもなく大きいと思い知らされた。
噂には聞いていたのですが「名駅」の繁栄に比べ「栄」の落ち込みが著しいのです。
「サンモリッツ」からの眺めですが日曜の昼なのに、この人出です。
地下街にもぐっている人たちがいることは知っています。
同じ日の「名駅」です。
現在の「名駅」の勢いに「栄」が同じ発想で張り合っても勝ち目はありません。
「栄」の強みとは
●100メートル道路・久屋広場 アウトドア・イベントが開催できる。
●空が広い 超高層ビルがまだ無い。来訪者が安らぎをおぼえる。
●地盤は「名駅」より安定している。
●芸文センターを起点とした藝術、文化活動の広がる可能性が大。
北側(名城公園東地区)に新たな文教地区が生まれつつある。
●リニアの開業前・後の予期せぬトラブルに巻き込まれずに済む。
未来予測
今になって市電を廃止しなかった都市に人気があるように、空が広い街のほうが好まれる時代が来る。
人口減少が進んで、高層化の必要性が感じられない雰囲気が生まれ、メンタル・ヘルス的にも高層ビルが嫌われる時代が来る。
グルメや買い物だけが「売り」のエリアは飽きられる。
具体的提案
●せめて100メートル道路沿いのビルだけでも高さ制限する。そうしないと自慢のセントラルパークが死んでしまう。
●久屋広場(写真)をアウトドア・ライブのメッカにする。開閉式の屋根を設置する。
●“名古屋飛ばし”と嘆く前に、もう2~3軒 ホールを建ててはどうだ。
●栄交差点北東角は息抜き空間がいい。高層ビル計画は残念至極。
旧なごやん(NAGOYAMAN、NAGOYAJIN)の発言ですので、話半分で・・・・・
「旭美展」の後、栄の中日ビル2F「サンモリッツ」でランチ。
中日ビルは1月末で閉鎖され、建て替えられるので思い出に浸れるのもあと僅かです。
メニューには目もくれず、ナポリタンをオーダーします。
あと約一ヶ月ですので店のオーラの低下は否めません。
「ノスタルジック・ランチ」目当てのお客のことは店長も認めています。
年が明けたら、白髪、薄毛、シワ、シミ、背を丸めた客が集結することでしょう。
確かに、お店から眺める風景は綺麗になり、便利になったのですが、今「いつの時代が一番良かった?」と問われたら、町中があんなに貧乏だったのに「初めて“サンモリッツ”で、あのバカでかいシュークリームを食べた頃が一番」と答えるでしょう。
それにしても、現在の栄のランドマークは、このビルとテレビ塔の二つになってしまいました。
「面しれー名古屋にしよみゃーか」だけではダメなんです。
全ての世代が楽しくなる都市計画が求められる所以です。