昭和13年10月、母校の前身・愛知一中に彼らが来校した時の写真です。
この23年後に団員達の後方の教室で自分が授業を受けていたので、ウィキペディアで調べてみたくなりました。
引用
1936年(昭和11年)11月25日の日独防共協定の締結によりヒトラーユーゲント指導者バルドゥール・フォン・シーラッハが日独の青少年相互訪問を提案。日本政府がこれを受け入れた結果、1938年(昭和13年)8月から11月にかけてヒトラーユーゲントの訪日が行われた[1]。
朝日新聞社の依頼により、北原白秋作詞、高階哲夫作曲、藤原義江歌唱による歓迎歌『萬歳ヒットラー・ユウゲント:獨逸青少年團歡迎の歌』が作られ、1938年(昭和13年)10月には日本ビクターからレコードが販売されるなど日本国民を挙げての大歓迎を受け、親独気運の醸成に大きく寄与した。
同時期に日本からは各地の学生、青少年団体職員、若手公務員から成る「大日本連合青年団」(現在の日本青年団協議会)の訪独団がドイツに派遣され、ナチス党大会の参観、ヒトラーと会見して同盟国のドイツの見聞を広めた[2]。
先日NHK BSで見た映画「Sound of Music」に登場するロルフの纏うユニフォームについて、学生時代、この映画を見た時から気になっていました。
トラップ大佐の娘との雨中の(洋風?)あずまやでのダンスシーンと墓地からの脱出の場面は心に残っています。