『長谷寺本堂調査報告書』には本堂の精緻な図面(A)が載っていて、算用数字で詳しく寸法が「尺」で表示されています。
その他、メートル法で記入されている平面図(B)が一枚あり、それらの数値を対比し、本堂が曲尺かィ尺のいずれをもとに建てられたかが特定できると期待していました。
図面(A)の数字(尺)は実測値を303mm(曲尺の1尺)で割ったものが記載されているのは確かなのですが、切りの悪い数値が並ぶとともに、明らかに同じと思われる柱間の数値にもバラつきが目立ちます。
これは建築図面でなく、調査計測図面であることは明らかであり、303、281(ィ尺の1尺)のいずれの数値で割り算をしようが、建築に用いられた物差しの特定は困難と判断しました。
報告書には、古い図面と思しき小さな写真もあり、それには図面(A)より切りのいい柱間寸法(尺)が辛うじて読み取ることが出来ます。
米田氏の言うように、本堂が創建時のものとすれば、「内転び」の技法は当然用いられており、柱下端での計測は全く意味を成しません(天井レベルでの平面図の数値が倭国と大和朝廷以後を区別する判断材料となる)。
以上のことから、大和長谷寺の本堂は可能な限り創建時の具財(内陣の柱には今まで見たこともない模様が描かれ、しかも途中から新しい柱が継ぎ足されたものがある)を利用するものの、殆ど新築に近い大掛かりな改修工事によって1650年、建立されたと考えます。
案内板の表示では「新築」と理解されます。
絶対に守られなければならない歴史ですので、どこかに保管されている筈の本堂大改修の資料は公表されないでしょうし、今後もC14によるチェックも行われることは有り得ないでしょう。
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