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民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

 

自ら調べた現場の所見、文献等と、既にある様々な説を組み合わせ、自分流の歴史が出来上がります。

 

 

従って論争はプロもアマも、ひとまず仮説を持ち寄って行われる、と意識すべきです。

 

 

新しい考え方を定説を根拠にバッサリ切り捨てることは、絶対に御法度です。教科書の中にも疑わなければならない点があまたあることは今や常識です。

 

 

しかし、大まかな点での意見の一致はある筈で、「九州王朝の有無」くらいは、もうそろそろハッキリさせても良い頃です。

 

 

狭い日本ですから、飛鳥時代、近畿と九州の間で人の往来はあったし、お互いがどんな暮らしをしていたかは充分把握していた筈なのに、大陸への玄関口とその周辺が全くの空っぽとは、余程人為的な操作が加わったと考えるのが妥当です。

 

 

定説を鵜呑みにしてしまう人々の殆んどは、真実の歴史を国民に絶対悟られない使命を帯びている者の存在を知らない。

 

 

そして自信満々に「○○君みたいにチョッと教養があって、一つのことに集中するようなタイプが(怪しげな新説に)一番引っかかりやすい・・・」と言ってのける女史が身近にいる。

 

 

 

 

 

 

さて、イチャモンを付けるなら対案を出さねばならない。

 

先ず、予定されている木造天守閣を名城公園のどこかに石垣無しで建てる(弘前城の最近の工事のイメージ)。

 

それでも充分観光資源になり得るし、ひとまず伝統的な日本建築の技は確実に継承される。

 

そして、現在のコンクリート製の状態で出来るだけ粘り、限界に達したら木造天守を移築するのである(解体して別の場所に組み立てる方法)。

 

その頃までに木の部材は多くの箇所で歪などの問題点が生じているはずなので、それを修正する。そうすることにより数百年持つ木造天守が完成する。

 

解体業者さんにはその時まで待ってもらうことになる。

 

石垣の上に木造天守が聳える時の市長は勿論、現在の彼ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の改元に伴う大宰府・万葉集ブームをより実り多いものにするため、米田良三氏のメッセージを掲載します。

 

AB&JC PRESS版『日本国王室全滅亡 東アジアの悲劇』の「序」全文です。

 

学校で習う歴史とかけ離れすぎていて、ほとんどの人がお手上げとは思いますが、理解できた暁には世の中が違って見えます。

 

今上陛下、皇太子殿下のイメージは限りなく倭国の帝に等しく、有り難いことです。

 

 

西暦2013年の日本は、米国の占領下に入った1945年から六十九年目を迎えている。

 

日本各地に米軍基地が現存することから、未だ日本が米国の統治下にあることは否定できない。

 

そこで日本人の一人として日本を統治する米国の認識に注文を付けたい。

 

認識の基本は歴史の把握に尽きる。

 

ここに日本の歴史を正しく知る為の小冊子を提示する。

 

 

605年(光元元年)にそれまでの倭国を日本国に国名変更している。

 

首都は筑紫にあり、北海道を除く日本列島と朝鮮半島南岸国を含めた連邦国家であった。

 

東北地方の連邦構成国は陸奥国、近畿地方の構成国は扶桑国(後の大和朝廷)である。

 

扶桑国は630年頃から国力が増し、645年に大化の改新を行う。

 

 

次に、その日本国軍はなぜか663年の白村江の戦いに赴き、唐軍に負ける。

 

664年から672年までの九年間、筑紫は唐軍により占領され、日本国は全滅亡する。

 

 

672年、唐軍に替わって筑紫に入るのは扶桑国軍(大和朝廷軍)で、王室寺院 観世音寺を解体移築し、他の日本国文化も丁寧に消し去った。

 

日本全体を天皇家が統治し、史上最長の千三百四十二年目を迎えるなか、現代日本人は米国と天皇家の二重の枷(かせ)の下に在る。

 

 

白村江の戦いの裏には日本国・百済国・高句麗国を滅亡させるという、唐・新羅国・扶桑国の三国密約があり、日本国は用意周到で卑劣な罠に掛かったと思われる。

 

百済国と高句麗国は国情や滅亡が嘘でも一応は歴史書に記されるが、日本国は存在したことも、滅亡したことも記されていない。

 

 

そして密約は果たされる。

 

新羅国は統一新羅として朝鮮半島・済州島を領有し、扶桑国は日本国として日本列島を領有し、木造建築を中心とした日本文化を継承する。

 

宗主国である唐は統一新羅国との国境を確定し、日本王室の宝物と日本国の石造文化を略奪し、阿弥陀信仰は中国で栄え、日本列島に至ったとし、さらに筑紫占領の事実を歴史から消した。

 

 

日本国は、比較宗教学の中村  が東アジアに現れた普遍国家と表現した、稀有の文化を持つ仏教王国であったが、筑紫を中心とする全ての存在が消され、今日があることに歴史の真実はある。

 

封印されていた『源氏物語』に日本国の時間と空間が今蘇る。

 

人類最高の果実をもぎ取ったのは人間のひとりで、その欲望は仕方のないことと認めたのは倭国王 倭薈、後の阿弥陀如来である。

 

現代日本人は深層に阿弥陀の教えを共有していることを知らない。

                 

米田良三

 

 

 

 

 

 

 

東南海地震は「いつ起きてもおかしくない」と言うが、「いつ起こされても・・・」という説があることを知っておくべきである。

 

天守閣に用いられている鉄筋は情けないほど細く頼りない。

 

鉄筋コンクリート製の天守閣は、基本的にはケーソンが支えているので石垣に負担は掛からないはずだが、現実は孕みが目立っている。

 

現在、天守閣は大地震が起きたらどうなるかの強度試験中と見ることも可能で、そのための入場制限であるはずだ。

 

危ないから闇雲に壊して建て替える、というのであれば、いつまでたっても建築学的進歩がない。

 

 

 

 

 

 

ある女性週刊誌の記事の見出しを見て「成る程そうだったのか!」と気付きました。

 

日・中・韓とは、日(倭国を乗っ取り勢いを付け始めた大和朝廷)・中(唐)・韓(新羅)のことです。

 

この730年とは大和政権が白村江の戦(663年)、壬申の乱(672年)を経て完全に倭国を消滅させたうえ、法隆寺(710年)、長谷寺(721年)の移築を終え、薬師寺東搭の移築の真っ最中という年であります。

 

「梅花の宴」は奈良盆地の売国奴集団が、悠久の大和を演出する目途が立ったことを、グルであった唐と新羅の要人たちと記念し、喜び合う集まりだったのかもしれません。

 

古代史も現代史も同じですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

万葉集』に登場する「梅花の宴」で太宰府は一躍脚光を浴びることになりました。

 

このジオラマは何年も前から展示されているのですが、新元号発表後、多くの人が殺到し、既に6日間で1万人を突破したそうです。

 

小さな資料館はパニックになるのではないかと心配です。

 

あの資料館での他の見所は

 

① ものの見事に倭国時代を無視した年表。卑弥呼の昔から太宰府は空っぽであった、と言いたげです。

 

② 政庁跡の発掘風景の写真。発掘のマナーがなってない事が見て取れます。パートの学芸員が認めていたので確かです。

 

③ 観世音寺の模型。移築されて法隆寺に化けたのは納得できます。奥に位置する三十三間堂が見事に表現されています。

 

今までの太宰府観光の目玉は天満宮でしたが、今後、観世音寺が大いに注目されるでしょう。

 

資料館から歩いてすぐです。

 

見所① 梵鐘は倭国の時代のオリジナルです。建物とともに斑鳩に運ばれたとすると、「どこかで聞いたような音だ」とバレてしまうので残された、と考えます。

 

② 五重塔礎石はとにかくデカい。自然石と勘違いして、しっかり見ないまま帰ることの無い様に。

 

③ 講堂 掘ってみたら、一層下の痕跡が発見されたと言うのだが、ボーっと解説ボードを読んでいるとダマされるので気を付けよう。

 

④ 三十三間堂跡 僧坊」だった、とフェイク解説されています。

 

今まで学校で習う歴史を漠然と信じていた人たちも、現地を訪れ、本物に触れるチャンスが広がり、太宰府の本当の姿(大和朝廷以前の王朝の首都)に気付くことになるのです。

 

つまり、改元があったればこそ、寝た子が目を覚ましたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7世紀、倭国の一行政区で半島経由者達が支配した扶桑国(後の大和政権)が本来の王朝を乗っ取り、今に至っている事に殆どの国民が気付いていません。

 

 

 

大宰府が倭国の首都であった時代のことは見事に消されていますので、この新聞記事にフェイクな部分があることも理解不能でしょう。

 

このような状況下で「改元ショー」を仕掛けた側の仲間意識は強いと思われますが、仕掛けられた側は、自分たちのルーツが倭国かどうかについては全く意識していません。

 

今回の企みは綿密なシナリオで演出したつもりかもしれませんが、やる事為す事全てが裏目に出ているのが面白いですね。

 

万葉集』で行こう。今まで、ずっと中国の古典からの引用が続いているので、これで国民の高揚感がアップするぞ!

 

② ところが、『万葉集』とはいえ「令」「和」は中国の文献からの引用であると解説、報道される。

 

③ さらに「令」「和」が我が国の現政権下の社会情勢にそっくりだった故事に由来することが明らかとなり、不都合な真実になってしまう。早々と「皇太子の勝ち」とのネット記事も現れた。

 

このような流れを見ると、『万葉集』に焦点を当てた時点で流れは決まったのではないでしょうか。

 

最近では忖度報道流行リで、③は勿論、②までも手控える動きが出ています。

 

ところが、マスコミが絶対に書かない話がここから始まります。

 

大方の国民は『万葉集』と言えば近畿・大和・飛鳥が舞台と思い込んでいます。

 

その他、九州と言えば、防人を連想する位のもので、まさか大宰府が卑弥呼以来の都などとは夢にも思いません。

 

「梅花の宴」とは大和政権が倭国を乗っ取ってからの『万葉集』(806809年編纂)に載っている出来事なのですが、遥か昔に倭国版『万葉集』(514519編纂)があるなどと言うと変人扱いされるのが落ちです。

 

それでも、米田史学ファンはこの機会に言わなければならないのです。

 

オリジナル『源氏物語』は少しずつ認められるようになりましたが・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天守閣建て替えのニュースを聞いた時、百パーセント冗談でしょ、と思った。

 

 

同時に、大津通り(松坂屋本店の西)の中央分離帯を(歩行者天国の邪魔になるので)取っ払う、という案も飛び出したからである。

 

 

完全に狂っている、名古屋の未来が危ないと確信した。

 

 

現在、揉めている“木造天守にエレベーターを設置しない”方針は私には初めから分っていたことで、外に張り出した非常階段も作るつもりはないだろう、と読んでいる。

 

 

何故なら、あの人の気分はほとんど“七代藩主徳川宗春”であり、“お城にエレベーターなんてとんでもない”のココロなのだ。

 

 

つまり、チャンバラごっこの延長である。

 

 

子供の頃、整備される前の“徳川園”は地域の子供たちのチャンバラごっこのメッカであった。

 

 

あの頃のガキは天守閣のトップに立ち天下平定感覚に浸るのが夢だった。

 

 

あの人も例外でないことは想像に難くない。