7世紀、倭国の一行政区で半島経由者達が支配した扶桑国(後の大和政権)が本来の王朝を乗っ取り、今に至っている事に殆どの国民が気付いていません。
大宰府が倭国の首都であった時代のことは見事に消されていますので、この新聞記事にフェイクな部分があることも理解不能でしょう。
このような状況下で「改元ショー」を仕掛けた側の仲間意識は強いと思われますが、仕掛けられた側は、自分たちのルーツが倭国かどうかについては全く意識していません。
今回の企みは綿密なシナリオで演出したつもりかもしれませんが、やる事為す事全てが裏目に出ているのが面白いですね。
① 『万葉集』で行こう。今まで、ずっと中国の古典からの引用が続いているので、これで国民の高揚感がアップするぞ!
② ところが、『万葉集』とはいえ「令」「和」は中国の文献からの引用であると解説、報道される。
③ さらに「令」「和」が我が国の現政権下の社会情勢にそっくりだった故事に由来することが明らかとなり、不都合な真実になってしまう。早々と「皇太子の勝ち」とのネット記事も現れた。
このような流れを見ると、『万葉集』に焦点を当てた時点で流れは決まったのではないでしょうか。
最近では忖度報道流行リで、③は勿論、②までも手控える動きが出ています。
ところが、マスコミが絶対に書かない話がここから始まります。
大方の国民は『万葉集』と言えば近畿・大和・飛鳥が舞台と思い込んでいます。
その他、九州と言えば、防人を連想する位のもので、まさか大宰府が卑弥呼以来の都などとは夢にも思いません。
「梅花の宴」とは大和政権が倭国を乗っ取ってからの『万葉集』(806~809年編纂)に載っている出来事なのですが、遥か昔に倭国版『万葉集』(514~519編纂)があるなどと言うと変人扱いされるのが落ちです。
それでも、米田史学ファンはこの機会に言わなければならないのです。
オリジナル『源氏物語』は少しずつ認められるようになりましたが・・・・・