ある女性週刊誌の記事の見出しを見て「成る程そうだったのか!」と気付きました。
日・中・韓とは、日(倭国を乗っ取り勢いを付け始めた大和朝廷)・中(唐)・韓(新羅)のことです。
この730年とは大和政権が白村江の戦(663年)、壬申の乱(672年)を経て完全に倭国を消滅させたうえ、法隆寺(710年)、長谷寺(721年)の移築を終え、薬師寺東搭の移築の真っ最中という年であります。
「梅花の宴」は奈良盆地の売国奴集団が、悠久の大和を演出する目途が立ったことを、グルであった唐と新羅の要人たちと記念し、喜び合う集まりだったのかもしれません。
古代史も現代史も同じですね。