「梅花の宴(730年)」は倭国滅亡後の東アジアサミットだった? | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

 

ある女性週刊誌の記事の見出しを見て「成る程そうだったのか!」と気付きました。

 

日・中・韓とは、日(倭国を乗っ取り勢いを付け始めた大和朝廷)・中(唐)・韓(新羅)のことです。

 

この730年とは大和政権が白村江の戦(663年)、壬申の乱(672年)を経て完全に倭国を消滅させたうえ、法隆寺(710年)、長谷寺(721年)の移築を終え、薬師寺東搭の移築の真っ最中という年であります。

 

「梅花の宴」は奈良盆地の売国奴集団が、悠久の大和を演出する目途が立ったことを、グルであった唐と新羅の要人たちと記念し、喜び合う集まりだったのかもしれません。

 

古代史も現代史も同じですね。