今から49年前、Salt Lake City体育館での一枚です。
写真の整理をしていたら出てきました。
良い子はこういうことをやってはいけません。
この直後、グループは一度解散し、ファンは心配したものです。
彼らのナンバーの中で一番のお気に入りをドーゾ
某週刊誌に連載中の「古都を旅する」というシリーズには、各界の著名人、学者による“とっておきの”「私の奈良or京都」が登場します。
それぞれがお気に入りの神社・仏閣について語るのですが、その出鱈目振りが目に余ります。
その内容を信じ切っているのなら情けない限りですし、嘘と知った上で話しているなら、九州王朝説をブロックする使命を帯びている輩に違いありません。
3例を示します。
僧侶がその気になったくらいで伽藍が完成するはずもなく、一大国家プロジェクトを立ち上げ、20~30年を要することを誰も語らない。
「銅板法華説相図」の成り立ちとか、下段の文章の解読を試みた学者はどこにいる?
とにかくいい加減で、御伽噺的なのです。
“理系人間で歴史が苦手”とは米田良三氏(東工大建築学科卒)に対する当て付け?
真実を暴くのが得意なのはどちらか明らかでしょう。
文学作品の分析まで米田氏は緻密に挑戦していました。
文系の方々は教授のご機嫌を伺いながら寸止め、ストレスいっぱいなのでは?
定説より700年遡る風蝕の激しい建物を“粗削りな美”と評価し、運慶・快慶を鎌倉時代の仏師と思い込まされている。
全てがこの調子です。「ボーっと生きてるんじゃないよ!」
米田良三氏の作った年表の一部です。
あくまで九州王朝(倭国)の出来事がメインで、半島系由来の大和朝廷はサブです。
白村江の敗戦、壬申の乱で形勢は逆転し、これだけ華々しい出来事は全て無かったことにされてしまうどころか、一切合財が大和朝廷のものにされてしまったのです。
ひとつの王朝を歴史から消すのは簡単なことではなく、物凄く暗く、長い年月を要したと思われます。350年遅れて平安時代に『源氏物語』が表舞台に登場したのがその一例ですし、なんと東大寺南大門は700年前、大分県宇佐にあったものを現在地に移築しています。
今回の選挙を振り返ってみても、その時々の問題点になんら立ち向かおうともせず、ボーっと過ごしてしまう国民性は1300年以上前から、ちっとも変わっていない。だから、今になって、歴史マニアが矛盾点を突いて、消えた王朝を再現しようと試みているのです。そういう私も、心情的には倭国派なのですが、DNA的にはどちらに属しているのか知らずにやっています。
ついに手に入れました。
ハーヴァード大学所有の『源氏物語画帖』がきれいなレイアウトでまとめられた解説つき豪華写真集です。
英文が読めなくても、持っているだけで幸せ感がいっぱいです。
名古屋徳川美術館にある「絵巻」なんて全然メじゃありません。
平安時代に書かれて日本で一番古い源氏絵と言われますが、描いた者のお里は既に知れています。
「画帖」は1510年作のようですが、米田良三氏は「倭国時代のオリジナル版の模写であると言わざるを得ない」と言っていました。
筆者のメリッサ・マコーミック女史も、ご存じないばかりか、世界中の源氏研究者の誰もこのことに理解が及んでいないと思います。
本書を契機に「源氏」研究のみならず日本史研究が新たな段階に入ることは間違いなく、胸がわくわく状態です。
At last you did it Melissa! Thank you.
ツイッターで偶然見つけた愛知県立旭丘高校の学校祭のポスターです。
これは生徒制作によるオフィシャル・エディションではなく、美術科OBの遊び心作品のようです。
日付が入っていませんが、一般公開は9月28、29日のようです。
昨年は不自然な台風に邪魔されましたが、今年は何が何でも見に行くつもりです。
孫のような生徒諸君からパワーを貰う為です。
ついでに『建築史学入門』を数冊ばら撒こうと企んでいます。
京アニに関する情報
京アニ放火 今日はNHKの取材があったためセキュリティーを開放していたため狙われたか
「法隆寺移築説」が少しずつ広まりかけた頃、米田良三氏の新原稿を出版社が受け付けようとしないため、大胆にも素人の私が編集を引き受けることになり、今に至っております。
米田氏の文はクセがあって読みづらいことで有名ですが、文をいじることはできませんので、レイアウトなど編集のテクニックを駆使して、読みやすくなるよう心掛けてやってきました。
初めの頃に比べれば、完成度は雲泥の差です。
下手な編集の頃にお付き合いいただいた皆様に感謝します。
最終目標は4冊からなる豪華全集です。
米田氏が故人となられてからウェブ上に米田説を押す投稿(1)(2)(3)等が増え続け、喜ばしい限りです。
本人が自嘲気味に(認められるまで)あと200年かかる、と言っていましたが、少し早くなる予感がします。
米田良三 著『現代を解く・長谷寺考』の中で述べられる倭国長谷寺は京(大宰府)から遠く離れ、山々に囲まれた広大な敷地の中に、諸々の付属建築物(経蔵、鐘楼等)が点在する施設で、今で言うならディズニーランドのイメージとあります。
貴賤の差別なく人々が集う信仰スポットの様子は『枕草子』などにも描かれています。
しかし、悪天候に見舞われると・・・
このハザードマップの描く範囲がほぼ長谷寺の領域ですが、ひとたび、台風、豪雨に見舞われた場合を考えると、今も昔も随分恐ろしいエリアであると想像がつきます。
このマップをじっくり眺めれば、蛇行する初瀬川はもとより、山風を嵐と言わせる地形は“むべ”なるかな、と納得できます。
このマップと関連する和歌を以下に列挙します。(初瀬川=龍田川)
これらは全て定説より遥かに古い作品であることに留意して下さい。
ちはやぶる神代も聞かず龍田川
からくれなゐに水くくるとは
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は
龍田の川の錦なりけり
憂かりける人を泊瀬の山おろしよ
はげしかれとは祈らぬものを
この地から本堂は721年現在地(大和長谷寺)に、
経蔵は江戸時代の京都知恩院三門新築完成に合わせ1621年、
遅れて鐘楼は1678年同じく知恩院に移築されました。
即ち、大晦日の知恩院の除夜の鐘の音は倭国の時代、佐賀県で清少納言らが聞いていたものと全く同じライブの再現なのです。
これで興奮しない奴は“非(倭)国民”だっ!
『源氏物語』研究のトップ・ランナーであるハーバード大学のメリッサ・マコーミック女史に「米田建築史学」後半4作を差し上げるタイミングをはかっています。
『長谷寺考』33ページに女史の文が引用されており、その上の段に敬意を表して彼女のポートレートを載せてあります。
実は『長谷寺考』(第2版)を米田良三氏自身が彼女に送付した経緯があります。受け取った旨返事があったそうです。
思いつくままに主だった人達にも米田本を献本したのですが、返事はゼロ。突然見知らぬ人間から送り付けられたら迷惑な話で、返事がないのは当然でしょう。“手紙や電話の一本でも”と言いますが、マコーミック女史には好感を持っています。
その後、グレードアップした4冊を彼女に見て欲しいのです。
もし幸運にも、彼女が「後半4部作」を読み、内容を評価し“源氏物語が350年古い”と世界に発信したら世界中の新聞は一面で扱うでしょう。
さらに台湾の故宮博物院が「清明上河図」のオリジナルを、宮内庁が『源氏物語』の原典(在るとすれば、在る筈)を公開したら、確実に日本は変わります。
平安『源氏物語』を愛しているマコーミック女史ですので、倭国『源氏物語』を認めるには普通の人にはない高いハードルがあるに違いありません。
すんなり事は運ばないだろう、と私が予想するのは この点です。
GOOD NEWS
マコーミック教授が『源氏物語画帖』の解説付き画集を出版されたようです。
https://www.jstor.org/stable/j.ctvc7754r
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9780691172682
教授は、絵は戦国時代頃の作と解説されていますが、オリジナルの倭国の作品を模写したもの(下手・やや雑なタッチ)、と睨んでいます。
と言うのは米田氏による「玉鬘」の絵の解析で倭国長谷寺の所在地がほぼ確定できたと同じ様に、他の絵も“源氏物語の舞台が筑紫である”証明に役立つと考えられるからです。
戦後のドサクサで『源氏物語画帖』がアメリカに渡ってしまったのか、と悔しい思いでしたが、恐らくオリジナルは日本のどこかにあるはず、と期待しています。
米田ファン必携の書
いずれメリッサがやってくれると期待して待っていました。

先日、NHKが「フルベッキ写真」を番組で取り上げていました。
このテーマについては、黙って無視を続ければよいものを、過剰に反応し、いずれ墓穴を掘るのではないか、と心配になります。
登場するアナウンサーやコメンテーターの目つきの悪さは、見る人が見ればわかります(最近この手の番組が散見される)。
真相は既に明らかであり、両者の立場・都合がぶつかり合っているだけです。
新聞記事は10年以上前の「中日新聞」のもので、これが現時点における公式見解と言えるでしょう。
一般向けではないので、ちょっと値が張る本です。
この本のグラビアページに載っている「フルベッキ写真」は明治時代の初期にヨーロッパで広まっていた一枚でフランス語の書き込みがあります。