先にあった別の国家が日本の礎を築いた国家だった | 6rosui8のブログ

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文化的にも制度的にも日本の礎を築いた国家「倭国」は、後から生まれた「天皇国家」に飲み込まれて、その痕跡はほとんど消されてしまった。

 

米田良三氏は、法隆寺や薬師寺や東大寺が倭国からの移築であることを検証し、長谷寺、三十三間堂、宇治平等院も同じく倭国のものである事を示した。さらに、万葉集や古今集、源氏物語や土佐日記などが作者とともに倭国のものであることも論証している。

 

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●草野善彦「放射性炭素年代測定と日本古代史学のコペルニクス的転回」より。

「日本古代史学で最も重要な問題は、「倭国」と「天皇国家」とは別国家であるという事です。」

 

「今もし、7世紀末まで「倭国」が「天皇国家」とは独立に存在している事実を承認すれば、そうしてこの国家と社会こそが、今日、日本古代文明といわれる漢字の使用、律令や国家機構の構築、仏教の受容、都市や寺院建築、美術や文学等で先進的で、決定的な役割を果たしていたということになりますと、・・・戦後憲法の第一条、「象徴天皇制」の歴史的根拠が否定されることに通じるのです。