米田良三 著『現代を解く・長谷寺考』の中で述べられる倭国長谷寺は京(大宰府)から遠く離れ、山々に囲まれた広大な敷地の中に、諸々の付属建築物(経蔵、鐘楼等)が点在する施設で、今で言うならディズニーランドのイメージとあります。
貴賤の差別なく人々が集う信仰スポットの様子は『枕草子』などにも描かれています。
しかし、悪天候に見舞われると・・・
このハザードマップの描く範囲がほぼ長谷寺の領域ですが、ひとたび、台風、豪雨に見舞われた場合を考えると、今も昔も随分恐ろしいエリアであると想像がつきます。
このマップをじっくり眺めれば、蛇行する初瀬川はもとより、山風を嵐と言わせる地形は“むべ”なるかな、と納得できます。
このマップと関連する和歌を以下に列挙します。(初瀬川=龍田川)
これらは全て定説より遥かに古い作品であることに留意して下さい。
ちはやぶる神代も聞かず龍田川
からくれなゐに水くくるとは
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は
龍田の川の錦なりけり
憂かりける人を泊瀬の山おろしよ
はげしかれとは祈らぬものを
この地から本堂は721年現在地(大和長谷寺)に、
経蔵は江戸時代の京都知恩院三門新築完成に合わせ1621年、
遅れて鐘楼は1678年同じく知恩院に移築されました。
即ち、大晦日の知恩院の除夜の鐘の音は倭国の時代、佐賀県で清少納言らが聞いていたものと全く同じライブの再現なのです。
これで興奮しない奴は“非(倭)国民”だっ!