カナダの女学生コーラス・グループです。
随分前にU-Tubeで見つけました。プロになったのかな? CDは出ているようです。
まず可愛い
めちゃ上手いわけではない
選曲がいい
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ポップスのスタンダードを気持よく聴かせてくれる グループなんて、そうあるものじゃありません。
U-Tubeに約50曲挙がっています。
誰かさんの紹介ブログです。(日本)
動画をドーゾ
早く落ち着きのある日本、世界、地球が戻って欲しいと思いませんか?
校舎の丸窓
普段はあまり話題にならない、玄関から見上げた時、目に入る丸窓ですが、ルーツは二代前の校舎にまで遡ります。
現在の明和高校に位置するその校舎は明治村にふさわしいデザインの木造で、玄関エントランスの大屋根に丸窓が埋め込まれていました。
その窓が屋根裏空間に機能していたかどうかは定かでありませんが、現在の我々にはメルヘンチックに映ります。
昭和13年、現在地に建てられた鉄筋校舎に二つの丸窓は引き継がれます。
あの窓の部分は308の教室だったのですが、内側は外から見るロマンチックさとは無縁の黒板裏のただの空きスペースでした。
阪神淡路地震(1.17.)を根拠に校舎は建替えられたのですが、丸窓はデザインに再び組み込まれました。
たったあれだけの物ですが、ひと目で“旭丘”を連想しますので、建築デザインは面白そうな分野ですね・・・
2019年 「鯱光祭」リンク集
ちはやぶる神代も聞かず龍田川・・・・・
・・・・・・・・・龍田の川の錦なりけり
憂かりける人を泊瀬の山降ろし・・・・・
この“龍田”の舞台が近畿地方と誰もが思い込んでいるのですが、実は、このブログにある背振山が龍田山です。
米田良三氏が『住吉物語』『源氏物語』『枕草子』等を理系の目で分析した結論です。
このブログHARMONIES ハーモニーズ(Ameblo版)の内容はよく理解できないのですが、興味をそそられます。
ロマン溢れる百人一首の舞台に、現代では国家の怪しげな施設があると知って幻滅です。
龍田川(現在の初瀬川)は三瀬村の宿(源氏物語に出てくる椿市)、移築前の長谷寺の敷地を蛇行しながら北山ダムに流れます。
米田氏は『続 法隆寺は移築された 建築史学入門』で以下のように解説しています。
本来の龍田山は、九州の背振山地である。山並みを龍が伏せていると捉えた名称と思われる。
その龍に守られた山国は隠国(こもりく)と呼ばれ、筑紫の京の奥座敷の位置にあった。
隠国の奥まったところに泊瀬(はつせ)はある。今は無い泊瀬寺(移築されて長谷寺)に倭薈(いわい)の母である神功王后が祀られ、500年代後半から600年代にかけて、泊瀬観音信仰が東アジアに広がっていた。
現在、龍田川は初瀬川と呼ばれており、日本(倭)国の時代の余韻が残る。
泊瀬寺跡推定地のすぐ下流にはダムが造られ、北山貯水池が出来ている。
貴女も玉鬘の気分になって、長谷寺の跡地に佇んでみませんか。
もちろん、上記『建築史学入門』、『現代を解く・長谷寺考』で予習してからネ。
軽音
自慢できるレベルの話ではないのですが、旭丘の軽音の黎明期に少しかかわっていたこともあって、陰ながらプランクトンを応援しています。
2年前、訪れた時にはネグってしまったのは残念(彼らは当時3年生)。
会場で現役君に「エルビス・プレスリー知っているか?」と聞いたら、「知らない」「じゃ、ビートルズは?」、「知っているけど・・モゴモゴ・・」
演奏についても、年代的ギャップを思い知らされ、会場(武道場)を後にしました。
オリジナルで自己主張したい気持ちは分かるけど、ちょっと古めの曲をコピーすると実力が判定され易く、ファン層も広がり実力アップ、良循環が始まると思います。
東京オリンピックまでは不安を煽るような報道は控える、という協定が結ばれていたと思うのですが、妙にしつこい特番が続きますね~
2019年12月06日 (聞き手:井山大我 鈴木マクシミリアン貴大 田嶋あいか)
これでは海外から誰も日本に来なくなるのでは・・・
ボランティアは全員辞退するのでは・・・
“ 大体 いつ起こってもおかしくない” のなら誘致する資格なぞ初めっからないのでは・・・
WEB
特集 “地獄絵図”「被災ツリー」で見えた首都直下地震3つの危機
全く別の見解もあります。
https://ameblo.jp/atom-green-0201/entry-12553001216.html
ニュー・ファミリーなどと煽てられ、戦後の繁栄のメインロードを闊歩してきた団塊世代も、いよいよ人生の大詰めとなり、様々に論評される頃となりました。
わが国が世界から一周遅れのランナーに成り下がってしまった現状ですので、当然、団塊は八つ当たりに晒されます。
しかし、プラスにしろ、マイナスにしろ教育効果というものは直ちに次の世代に現れるわけではありません。
団塊の世代の親たちは一部を除いて、学徒動員に明け暮れ、ほとんど授業など受けていなかったわけで、その影響は彼等の孫(団塊の世代の子供)の世代にまで影響が及んでも不思議ではありません。
さらに、敗戦後の進駐軍による指導は、多くは語られないのですが、国の行く末を左右するほど強烈だったのです。
中学時代、校長が朝礼で「君たちは自由をはき違えている。本当の自由とはアメリカのように・・・」といった調子で、今となっては笑うしかありません。
いずれにしろ、一度教育レベルが低下すると、元に戻すのは大変です。一代で2割落ちた場合、そのままだと次の代では6割(0.8×0.8=0.64)のレベルになってしまいます。
母は「戦争の直接の影響を受けない日本の最後の輝きを体験する女学校時代を送った」と自負していたのですが、その頃の資料が「シューベルト教授の父兄の心得25カ条」であり、それをテーマにした『名古屋教育ママ物語』に掲載した当時の教科書一覧も貴重な資料です。
現代の教育現場のような派手さは無くても、人間形成も含めた教育を意識すれば、一見地味な教育環境が愛おしく思われるのです。
ガキの頃からスマホに振り回されているような昨今では、教育を論じること自体詮無い事です。
○.×.君
充実した高2生活をお過ごしのことと思います。
一昨年から老後の楽しみとして鯱光祭に出かけていますが、今年はライフワークの本作りの一環として、自作(『建築史学入門』)を骨のある若者に読んでもらおうと母校を訪れた旨、あの時お話しました。
“アカデミズムが絶対に受け入れられない米田氏の説を、若い人たちにも知ってもらいたい”というのが小生の本音だと御理解いただけたと思います。
差し上げた あの本、どう評価されますか? 2年生の一クラスに一冊宛、回し読み用に プレゼントしようと考えていますが、受けて頂けますか?
1963年頃とは時代が違いますので、教諭陣がどう反応するか予測がつきませんが、旭丘に限っては杞憂だと思います。
まずは( abandjcclub@gmail.com )にご連絡いただければ幸いです。
受験生にとって『続 法隆寺は移築された 建築史学入門』は禁断の書ですので、3年生になったら ひとまず頭を切り替える必要があります。
最近、我が国のことを揶揄して「東朝鮮」と呼ぶことが流行っているようですが、半島経由の連中が中心となってスタートしたのが大和朝廷(~現代)と考えられますので 一理あります。
百済は消滅しましたが、歴史には残っています。
百済と友好的だった倭国・九州王朝は消滅した挙句、歴史から抹殺されてしまいました。
この事実に気付かれないよう、倭国、日本、大和 等、言葉の由来・相互関係が意図的に曖昧なまま放置されているのです。
この消された歴史を復元したのが米田良三氏です。
嫌がる出版社に代って、素人の私が闘病する著者と二人三脚で編集、4冊の私家版発行に漕ぎ付けたのです。
「日本」では、倭国の隠れ遺産(法隆寺等の寺院、源氏物語等の文学作品、須磨・明石等の地名・・・・)がものの見事に保存・継承されているので、自分たちのことを“純 和(倭)風”と信じて疑わないのですが、運営母体(政権)は異なります。
昨今の政治の流れを見れば納得ですね。
現在の我が国のぐちゃぐちゃな状態は、倭国直系・本来の日本にトドメを刺そうとする行い(現在進行中)と考えれば納得できます。
以上のことから、
鋭い感性の備わった若いうちに「米田説」に接するべきなのです。大学入学後では遅いのです。
この年表は米田良三著『柿本人麿の真実』に載っている年表の抜粋です。
九州北部と近畿での出来事を分離することにより、九州王朝説の理解が進みます(米田氏のアイディアに脱帽)。
600年代、九州・近畿の交流はあった(→ 古代のハイウェーについてのNHK TVの番組)のですが、現行の歴史教科書には全く登場しません。
真っ先に「大宰府」の扱いに困ってしまうからでしょう。
学校で習う“平安時代の国風文化”が、実は300年以上前の九州での出来事だったのですが、幼少時から『まんが 日本の歴史』などに親しんでいる国民が「米田説」に共感することは絶望的にあり得ません。
従来の学説の学者さんたち、心配ありませんよ!