(米田史学)
その国家(倭国)は九州太宰府に都をおき、7世紀末以前の東アジアで、中国に次ぐ大国で、少なくとも400〜1000年以上は続いてきた。漢字を使い、国家機構や律令制度を持ち、仏教を隆盛させていた。風土記、万葉集、源氏物語、古今集などが完成し、豪壮な都市、城郭、寺院建築、仏教美術などが作られ、文化が栄えていた。
しかし、663年の白村江の戦いで唐・新羅に敗れ、滅亡してしまったのである。その後、672年、近畿の天皇国家が倭国を飲み込む形で日本を支配した。現在私たちが見る法隆寺や薬師寺、長谷寺、東大寺や、正倉院御物、宇治平等院、三十三間堂などは、この九州倭国のものが奈良や京都に収奪、移築されたものである。
阿弥陀信仰は倭国で発祥、隆盛したのものであり、それが平安時代に近畿天皇国家に移されていった。阿弥陀如来は、531年、逆賊として近畿天皇国家に殺された倭国王、磐井その人なのである。(磐井の乱)東大寺も倭国のもので大仏は磐井なのだ。長谷寺長谷観音は磐井の母であり、観音信仰も倭国で発祥、隆盛したのものなのである。
万葉集や源氏物語、古今集、枕草子、土佐日記なども倭国のものであり、その一部が追加改竄されたものである。九州が舞台では、万葉集や古今集の歌の理解や味わいが全く変わってしまう。「源氏物語」は倭国の最盛期の博多とその周辺を克明に写している。また、改竄後の源氏物語でさえ、京都が舞台では不自然な内容も指摘される。
●源氏物語は倭国の博多周辺
●法隆寺は九州太宰府、観世音寺からの移築
●倭国の仏教美術の例
救世観音は上宮法皇
百済観音は干食皇后