民営文化センター -118ページ目

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

「倭国」といえば弥生時代をイメージする人がほとんどでしょうが、当時の首都圏は文化的には平安時代以上だったと思われます。平安時代のイメージが約350年遡るのです。文明的には江戸末期をしのぐレベルでしょう。



600年代の水城の南あたり





江戸の町




倭国の歴史についてまとめようと思っていた矢先、奈良のなかむら先生に先を越されてしまいました。非常にコンパクトに旨くまとめられています。是非読んでください。



リンク先

http://nakamura-syounika.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-974c.html




なかむら先生も米田史学本の愛読者のようですが、定説についてもハンパじゃないです。










表紙










   サンプルページ








 

AB&JC PRESS版 米田建築史学シリーズの4作目として『柿本人麿の真実』の編集を進めてまいりましたが、その8合目にたどり着いた頃、著者米田氏に出版社からオファーがあり、氏もベストセラーを狙う方針を固め、文章も一般受けするよう書き直し、全面的に方針を転換することとなりました。出版社から声がかかった所で、ボランティア出版は役目を終えることとなりますので、めでたい事には違いないのですが、一抹の寂しさを覚えます。


慣れない建築用語に加え、米田氏の文章は論文調の硬い表現が時にはありますが、「特に噛み砕くことはしない」と言う著者の方針と、「特に著者に注文をつけない」アマチュア編集者の組み合わせで今まで制作してまいりました。


このような経緯を経た後、せっかく乗りかけた船でもあり、従来の編集方針を貫き、今まで支持していただいた方々の為だけにAB&JC PRESS版を若干部制作することにしました。「書き直す前の原稿を本にした」という点に希少価値があると思います。 


本書の出版社版がヒットし『続 法隆寺は移築された』、『現代を解く・長谷寺考』、『日本国王室全滅亡東アジアの悲劇』にも陽が当たることを期待しております。


著者 米田氏に限ったことではありませんが、複数冊 著作がある場合、内容が重複することが珍しくありません。このシリーズもその例外ではありませんが、新しい方には必ず何らかの進展があります。本書の中でもテーマが重複するのは、原稿の書かれた時期に差があったからであり、プロの編集者が関われば、入念にチェックするところです。しかし、ページ数が膨らんだ分だけ、理解が深まると言うメリットもありますので、編集者としては余計な小細工はしないことにしました。  


シリーズ完結ということで、少々値が張りますがカラー版とする予定です。インターネットにアップされている画像の中には素晴らしいものがあり、思わず拝借させて頂きました。本来ならば掲載許可を申し出るべきとは思いますが、誠に勝手ながら、制作部数も少なく、この場を借りてお礼を申し上げ、お許し願いたく存じます。ありがとうございました。


Innercircle Textbook Edition

『柿本人麿の真実』B5版 162頁 カラー版 およそ30005000円(制作部数により変動あり)

只今、第1回ゲラ刷りの段階です。

入手希望の方はFAX0566775494)でお申し込みください。(制作部数を決定するためのアンケートとお考えください。)

御参考までに

『柿本人麿の真実』

目 次

まえがき

目次

序として

法隆寺移築論における真偽を中心に 

      

疑問の提示1. 

疑問の提示2. 

ステップ1.法隆寺関連年表

ステップ2.落書き「六月肺出」、

尓波都尓佐久夜己」

第1章 新柿本人麿論

万葉集』『古今集』『新古今集』の解析を通して

         

1.万葉集』

2.古今和歌集』

3.奈良の帝

4.長谷寺

5.巻向、軽の路の新妻

6.司馬達等

7.惨劇「磐井の乱」

8.奇跡の年

9.信貴山縁起絵巻』

10.乞食の聖

11.延喜帝 

12.生誕と没年

13.新古今和歌集』

14.新柿本人麿論の結論

第2章 小倉百人一首について 

真本『新古今集』を踏まえての小論

第3章 632年に何が起こったか

2008年作成の小論

1.史料としての摂関設置略表

2.源氏物語』の中の観世音寺

3.和泉式部日記』の真実

4.632年とはどのような年か

5.綏遠の才なし事件 

6.旧唐書』倭国日本伝の〈日本国名関係文〉

7.日出ずる処の天子」の国書

8.誰でも知っている事件

9.日本人の宝


あとがき

山椒大夫事件を中心に

         

 



昭和11年開催のイベント第38回生卒業アルバムより)




文科省の役人と大手予備校がグルになって公教育を破壊している現在とは異なり、戦前の教育は一本筋が通っていました。アメリカ軍の日本全土空爆を逃れ、我が家では以下の資料が保全されていました。


 




昭和9年9月、名古屋市立第一高等女学校で開催された保護者会に於いて配布された謄写版刷りのプリントからの抜粋です。現代にはマッチしないという意見が続出しそうですが、日本国滅亡防止のヒントであることは確かだと思います。

 


 



1 父兄として学校の規則を熟知せよ。


2 父兄の教育原理と学校のそれとを一致させよ。


3 学校に於ける我が子の位置を熟知せよ。          


4 我が子の担任教師と文章の上でなく面接して打合せよ。   


5 我が子の教師にかくし立てせず子供の健康状態と欠点と素質を報告せよ。


6 我が子の教師を信頼せよ。


7 教師は職業として教育の仕事に当たるものであるから父兄以上の人と

心得よ。


8 何かやらなければならないと考えたらば校長担任教師に相談せよ。


9 我が子を教師以上に信ずるな。


10 我が子は不正をもなす事があると考へよ。


11 子供の面前で学校を軽視することが如きことをいふな。


12 教師に於いて真に不満なる点があったならば子供に対しても教師も人間であるから過ちのあるものだと教えよ。


13 子供のいふ事の総てを信ずるな。子供のいふ事以外の話に耳を傾けよ。


14 学校との交渉はただ端正な形に於いてせよ。


15 事実を自ら考えずに訴へるな。


16 不成績の通知を見て怒るな。


17 すぐに不成績の原因を見て自問自答せよ。


18 原因が不勉強であるか素質に基くかを熟考せよ。


19 操行点、勉強点と成績点とを区別せよ。


20 よい点を見落とすな。


21 よい点を褒めよ。悪い点は勇気を起こさせよ。


22 我が子と散歩してどんなに彼が判断するかを観察せよ。


23 子供に何か教え込まうとして見れば教育がいかに簡単なものでないかに気がつくであろう。


24 教師は多数しかも多様の子供を教育するものである事を考へよ。


25 教師は学びつつあるもの完成に努力しつつあるものであることを考へよ。

 


http://abandjc-press.com/content29/index.shtml


 





女婆賂沈を3年間のんだことがありますが、良くなかったですね。

のんで廃人になった人がいるくらいですから・・・




http://harahetta.at.webry.info/201505/article_7.html






検診やワクチンの案内は即ゴミ箱行きです。この歳までバリウムも胃カメラも飲(呑)んだことはありません。インフルエンザのワクチンは打(射)ったことも打たれたこともありません。






最悪(下痢をしている時とか)、最良(爆睡出来た日の午前とか)のコンディションを選んで採血してもらい、リンパ球の%の巾を確認した上で、体の声を聞くようにしています。






常にコスパを考え(金と時間がかからず)、苦痛を伴わない健康法(サプリは1種類やっておりますが・・・・)を実行し、体の変化を観察することは楽しいことです。「いつもと違うな」という感じが続く時には受診しなければなりません。






がん細胞は出たり消えたりしているのですから、たまたま検診に引っかかって、本格的に治療が始まることを考えると怖いですね。






























昭和35年、修学旅行で泊まった東大赤門前の「つたや旅館」でいただいた2本の鉛筆です。



http://www.mport.info/kandagawa/inn/bunkyo/post_246.html



「まだ持っているのか!」と言われそうです。東京に泊まることが一大イベントだった時代です。



「丸い物にどうやって印刷するのか」という当時からの疑問は、まだ解けないままです。



鑑定団に出そうかな。




鉛筆にある安田講堂の大学紛争後の姿を昭和44年カメラに収めました。


https://vimeo.com/113098841














大学における国旗・国歌の扱いで揉めております。しかし、本当の歴史を知れば、この問題は簡単に解決されます。








歴史の授業が学年末に時間切れになることは多くの国民が経験していると思いますが、それは明治維新も太平洋戦争も八百長だったことがバレては困るので、意図的なものです。







邪馬台国と九州王朝倭国はひと続きですので、九州王朝の存在を隠すために、邪馬台国論争は強引に近畿説に決着させようとしています。九州王朝倭国の存在を完全に消すという密約が唐の則天武后と大和朝廷との間で交わされているので、現在の学者もそれに従っているのです。白村江の戦いの後、唐が日本を占領していた(そして今も)ことを知る人はほとんどいません。




本当の歴史はアマチュアが真実を求め、プロは嘘がバレない様にするのが仕事です。






米田良三氏の『現代を解く・長谷寺考』からの転載です。    




日本(倭)国の国旗は日の丸であった。倭薈が造った豊山(磐井の墓)に建つ瓊(けい)殿を見たイメージ(装飾古墳の壁画の日の丸)が国旗となる。清明上河図に描かれる賀茂川を行く船に日の丸を掲げたものがある。国外に出向く船であろう。また、日本(倭)国の国歌は君が代である。志賀海神社の山ほめ祭りは、対馬への島流しの刑を終えて帰還した倭薈を迎える祭りであるが、その場で倭国王を讃える君が代が歌われる。






全国民必見!拡散希望!!!     



志賀島 志賀海神社 山誉め祭 - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=kZsv8hmljyc



お急ぎの方は 9:20~ 観て聴けば納得


神功王后は倭薈の母親ですので古今和歌集より遥かに古いのです。






先の戦争のため「日の丸・君が代」のイメージは確かに悪いのですが、「日の丸」は倭国王倭薈(=阿弥陀如来)を象徴する日輪をデザインしており、「君が代」は幼少時の彼を賛美した歌なのです。このような由来を持つ国旗・国歌に守られた国は世界中探してもどこにもないでしょう。




一時の敗戦を理由に国旗、国歌を変更するという議論は馬鹿げています。本当の歴史が拡まれば「強制する、しない」という議論はあまり問題ではなくなると思います。





強制すると国民が眼を覚まします。天皇陛下も強制は良くない、といつぞやの園遊会で言っておられましたね。





http://www.sarago.co.jp/nfhtm/jp.html  日の丸



http://blogos.com/article/110351/  議論



http://www.sankei.com/west/news/141122/wst1411220004-n1.html  君が代(定説)

























































「あとのまつり」を英訳すると「after the Festival」であるというジョークがありますが、意味は




http://ejje.weblio.jp/content/%E5%BE%8C%E3%81%AE%E7%A5%AD%E3%82%8A  です。






語源については米田良三氏の以下の説が納得です。





祇園祭は倭国の首都・大宰府のイベントでした。大和朝廷が実権を握ってから祭りと山鉾が京都に移動したのです。山鉾巡行は最近までは一度に行われていたのですが、再び以前のように「さきのまつり」「あとのまつり」という言葉どおり、日にちをずらして行われるようになりました。



その「あとのまつり」の山鉾は八幡山・南観音山・北観音山・・・・の9基です。祭神を見ると八幡は倭薈、南・北観音は上宮王関係者・・・・です。つまり、倭国の王室とそれを支えた人々ですが、大和朝廷に潰された今となっては、どれほど立派な人であったとしても「あとのまつり」と自嘲気味に扱われるようになったのが語源というわけです。      






写真は長刀鉾(なぎなたぼこ)に飾られる一番古いタペストリーですが、卍マークが見られます。卍は倭薈(倭国王、後に阿弥陀如来とみなされる)の象徴ですので、山鉾の中には法隆寺(移築前の太宰府観世音寺)と同じくらい古いものがあるはずであり、史上、類のない祭ということになります。表(おもて)の歴史はロマンのないものに改変されているのです。






ネット上の語源の解説は米田説に比べて、どれもが貧弱に思えます。




定説を見る

 http://gogen-allguide.com/a/atonomatsuri.html   




























































東京オリンピックの翌年、運良く医学部に入学しました。現在のように闇雲に医学部に殺到すると言った風潮は無く、倍率は正味3倍だったと記憶しています。クラスメイトの親の職業は医師、薬剤師、教師、その他と、ほぼ4等分されていたのが印象に残っています。仲間の中には、もう引退したり鬼籍に入った者もいますので、プライバシーとか肖像権ということは一切気にせず(とは言うものの、35%にディテールを落として)青春の1ページをアップします。写真の由来ですが、教養部の時の化学のM教授が代返(懐かしい響きがする)防止のため我々を屋上に集めて撮ったものです。


 



 


現在は凄いことになっていますね !

http://医学部予備校.biz/

http://www.医学部受験予備校.net/tuition.html


 


















「届いていますか?特定健診の受診券。


あなたの大切な健康を守るために必ず受けてください。


40歳から74歳までの全ての方が対象」だそうです。




http://blogs.yahoo.co.jp/fishmitu/8611730.html


 



https://www.youtube.com/watch?v=CfAkQ_EgraY


 



http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/449.html


 



http://yonezawa.hateblo.jp/entry/2014/07/23/120344


 



両論併記

http://www.mhlw.go.jp/bunya/shakaihosho/iryouseido01/info02a.html


 







「B層」と言う言葉は小泉政権から発せられたのが語源であると理解しております。




B層の中には ①「B層」という言葉すら聞いたことが無い人と、② 言葉は知っているが他人事だと思っている人がいます。「性善説」を信ずるがゆえにB層に留まる、もしくは甘んじるという説は信じません。



世の中の出来事を(一人で分析する場合と異なり)他者と論じ合う場合、各々の説を認めるか否定するかは、お互いの人間関係が大きく影響します。自分の説が頭ごなしに否定された場合、それは相手が自分を格下と見做していると考えてほぼ間違いないでしょう。




B層の傾向として新聞、テレビは絶対的に格上の存在ですが、それ以外の文献、資料、情報に目を通していない相手であれば議論以前の問題です。性格にもよりますが、ひとまず相手の言っていることを信じてみようという気持ちにならないのもB層の特徴です。



もしもの話ですが、戦後の大事件の数々を世界的な大物政治家が全てタネ証(あかし)して、大逆転が起こったとしたら、日本全国の家庭や職場でキチガイ、変人呼ばわりされていた人々は解放され、攻守が逆転します。私が「もう少し長生きしていたい」と思うのは、ひとえにその瞬間見たさの為なのです。







B層の全てが分かるブログ


http://richardkoshimizu.at.webry.info/201506/article_163.html