プライドが邪魔して
・行動できない
・認める事が出来ない
・素直になれない
等々の
プライドが邪魔して
〇〇になれない、できない
というコレ。
この言葉が思い浮かんだ時は
頭の中でこう変換しましょう。
劣等感が邪魔して
〇〇になれない
〇〇できない
(*´ω`*)
「プライド」という単語には
「誇り」というポジティブな意味と
「高慢」というネガティブな意味
両方の意味が含まれています。
で
「高慢」というのは
自分の才能や容姿などが
他人より優れている
と思い
他人を見下す
という意味だとされています。
「他人を見下す」・・・(*´艸`*)
ハイ!!
他人を見下す、というのは
こういう事でしたね(*´ω`*)
そう。
高慢(見下す)というのは
「劣等感の表れ」なんです。
一方
「誇り」というのは
「誉に感じる」という意味です。
「誉」とは簡単に言うと・・・
「超素晴らしい」と感じた「気持ち」
を表す言葉です。
誰かや何かと比べて・・・ではなく
そのものを「超素晴らしい」と感じる事
それが「誇り」です。
例えば
「自分の〇〇な部分を誇りに思う」
というのは
「自分の〇〇な部分は誰かと比べて
優れている」
という事ではなくて
自分自身が自分の「〇〇な部分」を
気に入っている。好き。満足している。
という意味(想い)です。
この中に劣等感は含まれていません。
とてもポジティブなエネルギーです。
そしてこの状態が
「自己満足」の状態です。
自己満足と高慢は違うんです。
何が違うってエネルギーが。
(波動、振動数の高い低い)
自己満足は、高いんです。
ただし
見栄っ張り、虚勢、ではなくて
「本当の自己への満足」ネ!!
本当の自己満足をしている時。
私達は「神的なエネルギー」を
使いこなせる状態になっています。
自分の振動数(波動)が
ものすごく高くなっているんです。
「無敵状態」「スーパーサイヤ人状態」
なんです。
この状態で何かをやると
「神的なこと」が出来ちゃいます。
奇跡を起こせるんです。
「自信に満ちている状態」
とも言えるでしょう。
だから私達は昔から
「これから何かに挑む人」に対して
「自信をもって!!」
とエールを送るんです。
魂は知ってるんです。
どうすれば成功するのかを!!
そんなわけで。
「高慢」と「誇り」は
全く逆の結果を招くものです。
「劣等感」と「満足」という
全く逆のエネルギーを指しています。
なので
その両方の意味を持つ「プライド」
という言葉を使う時は
どっちの意味で使っているのか?を
ハッキリと自覚するといいでしょう
そして
「プライドが邪魔して〇〇できない」
という表現は
「誇りが高いから〇〇できない」
という意味にはなりません。
「誇り」は前進させてくれるものであって
自分の行く道を邪魔する事はないんです。
ではなぜ
「プライドのせいで〇〇できない」
という発想が出てくるのか?というと
生存本能の愛(別名:エゴの罠)
なんです。
「エゴの罠」とは
「悪意」では無いんです。
例えるならば!!
自分の子供がお友達のおもちゃを
羨ましいがゆえにぶっ壊した!!
というのを目撃した親が
「手が滑っちゃったんだよね」
と言ってごまかす・・・みたいな。
*これはあくまで「たとえ話」です。
そしてこの親の反応について
「善い・悪い」を言う話ではありません。
が!!嫌な気分になった人は
そのモヤモヤを吐き出しましょう。
で
この「親」にとっては
コレが「愛」なんです。
かばう事。悪者扱いしない事。
細かく言うと
「叱る=悪者扱いする」
という観念があるために叱れない。
「我が子が悪者=自分が悪者」
という観念があるため防衛本能が働いて
結構本気で「手が滑ったんだ」
と思い込んでいる
*こうなる脳の仕組みの事を
「隔離の心理」と言います。
「不能犯の7巻」に
分かりやすい話が出てきますヨ。
と、そんな感じでですね・・
エゴというのはあらゆる手を尽くして
ネガティブな観念に気付かなくて済むよう
なんか、アレするんです。
劣等感に気付かせないように
上から目線にさせる・・・とか
キレさせる・・・とかね!!
で( ˘•ω•˘ )ノ
「プライドが邪魔してほにゃほにゃ」
という表現もそのうちの1つなんです。
実際は
「劣等感が邪魔して」なんだけど
「プライド」という言葉に変える事で
意味を曖昧にして
なんかこう・・・・
劣等感に触れなくて済むように
ずっと今の状態(今の観念)
でいられるようにしようとする
「エゴ的な愛」でも「魂的には罠」
な表現なんです。
でも
劣等感、あるもんはあるんです。
で
劣等感があると苦しいんです。
しかもそれが現実化しちゃう。
だから
消毒のマキロンと同じように
一瞬は痛くとも、とっとと気づいて
癒すなり飛び越えるなりした方が
ハッピーなんです。
劣等感は怖いものではありません。
劣等感を認めたからと言って
劣った存在になるわけではないし
他人に踏みつけられるわけでもない。
むしろ
認めずに持ち続けた方が
踏みつけられたり、嫌われたり
とにかく、嫌な感じの現実を作るんです。
だって
人生はネガティブな観念を
解消するゲームでもあるのだから。
解消すればするほど幸運になっていく。
だから
自分で思う「自分の嫌な部分」は
どんどん認めちゃった方がいいんです。
認めちゃえば楽なんです。
そんでね・・・・
自分の思う「自分の嫌な一面」は
無自覚であったとしても
必ず「罪悪感」を発生させています。
罪悪感が発生すると必ず
「罰のような出来事」が起きます。
人生からトラブルを消したいならば
ジャンジャン認めて
ジャンジャン解消すべし!!なんです。
「どうせ私は腹黒だし!!」と
居直るのではなく(*´▽`*)ノ
この世に「腹黒な人」はいません。
「心に傷を負った人」しかいません。
ほといたらあかんのです。痛いぜよ!
ケチな所がある
ウソをつく癖がある。
上から目線になる。
自分の思う、自分の嫌な一面は
「心の傷がある証拠」です。
そこから傷を推理して
癒して(助けて)あげる。
自分、自分を救済す!!なんです。
そんなわけで( ˘•ω•˘ )ノ
「プライド」という言葉を使う時
劣等感を指しているのか
誇り(誉)を指しているのか
「プライド」に限らず
自分の使っている単語の奥にある
エネルギーの質(波動)は
ポジティブなのかネガティブなのか?
そして
自分のネガティブなアレをごまかすために
なんかアレしてないか?
これ責める事じゃないですからね!!
「私は自分にウソをついて」とか
「自分の黒さをごまかして」とか
そういうのじゃないから!!
よろしかろうか( ˘•ω•˘ )ノ!!
卑怯、高慢、残虐、ホニャホニャ
こういうのは全部ぜんぶ全部!!
「トラウマ(心の傷)がありますよ」
というお知らせなんです。
傷から出てる反応なんです。
ここ、どうでしょうか・・・・
この思考回路が出来上がれば
すごく楽になるのでね・・・
まだ、目覚めていない人!!
急がなくていいし、責めてもいいけど
楽な方が楽で気分いいからね・・・
メザメヨ…
(*´▽`*)
私達は思い込み(観念)で生きています。
だから
その思い込みを変える事によって
チベットの坊さんたちは宙に浮けたり
できちゃうんです。
毎瞬毎瞬次元をシフトしてる
その次元を作ってるのは「観念」
だから
同じものが存在しているんです。
あなたの肉体。
あなたの観念に「私とはこういう姿だ」
という設計図があるので
それが自動的に具現化しているんです。
だから
思い込みを変える事で全て
変えることが出来るんです。
「思い込める範囲で」ね(*´ω`*)
次の瞬間いきなり20キロ痩せてる
なんて、本気で思い込めないんです。
他の観念との兼ね合いもあるから。
でも
「思い込める範囲」
つまり
「そうなってもおかしくない」
と思える範囲であれば
思い込みで現実は変えられます。
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