31日目 ①ニンフェンブルク城1
ご訪問くださりありがとうございます。9時くらいやっと起きて朝食食べて観光へ。ロンドン2泊3日を帰国直前に突っ込んだので ミュンヘン滞在を減らし 余裕がまったくなく休めず。30日をすぎる旅行は疲労が蓄積してつらい。ニンフェンブルク城へ。中央駅からトラム17番で20分くらい。10分間隔くらい。相変わらず大きな運河が東西にあっておとぎの国。建物の形 はバロック初期のトリノ風。ルー様の生まれたお城イタリア風の外階段真ん中の一階がチケットオフィースで その奥に二階に上げる階段があり そこから見学開始。外まで並んでた。バイエルン州のお城共通券を買った 35€ 5250円これで入場券は0円 バイエルン州の主なお城はほとんど見れます。お城のチケット売り場で買えます。さすがキュビリエ。超絶華やか豪華。フェスタザル混んでた。やっぱり寒い時期の方がすいてるからよかったかな。天上の上にオリンポスの山があるかのよう。でも私はバルコニーの下の金を使わないスタッコが好き。北の控えの間マックス エマニュエル選帝侯がフランス亡命から戻って装飾したもので 完全なフランス風だそう。天井 アントニオ ザンキ 農業の女神ケレス 周りは四大元素の寓意選帝侯マックス エマニュエル勝利した将軍姿 でナミュール要塞の前でポーズマックスエマニュエルの二番目の妻 ポーランド王の娘 テレーゼ クニグンテノースギャラリー選帝侯のアパートメントと儀式の間をつないでいます。ギャラリーという名の通路の中で 金箔の付柱で特に豪華です。北のアパートメント控えの間選帝侯のアパートメントの前室。マックス エマニュエルの子供たちの絵が飾られています。長男カール アルブレヒトが従者と一緒に狩りをしている絵ノースアパートメントの寝室元は選帝侯のアパートアパートメントでしたが 18世紀半ばからゲストの寝室 18世紀後半プファルツ選帝侯でバイエルン選帝侯を再び兼ねたカールテオドールのお母さんマリア アマリア フォン プファルツ=ズルツバッハの寝室として使われました。天井画 海の女神テティス選帝侯 マックス3世 ヨーゼフ左姪のマリアアマリア 右妹マリア アントニアバイエルンとプファルツの選帝侯マックス3世ヨーゼフの家族と義理の弟ザクセン選帝侯の家族との親密さを強調しているそう。お妃もザクセン選帝侯の娘。マックス3世には子供がいなくて 傍流のプファルツ選帝侯カールテオドールがバイエルン選帝侯を兼ね カールテオドールにも子供がなくて 傍流のマクシミリアン1世がバイエルン公爵からバイエルン王になりました。キャビネットバイエルンのお城にたいていある 本当に一人になりたい時に使われた小さなスペース。ベリー公爵夫人マリー ルイーズ エリザベート ド ブルボンカール テオドールの小部屋バイエルン選帝侯でプファルツ選帝侯カール テオドールハプスブルク家の神聖ローマ皇帝に臣従し プファルツも一時失い 領民に嫌われていたそう。最初の妃エリーザベト・アウグステ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ二番目の妃マリア・レオポルディーネ・フォン・エスターライヒ=エステカール テオドールには子女がなく 70歳の時に50歳以上年の離れたマリアテレジアの孫マリア・レオポルディーネと再婚するも 彼女は一切の性関係を拒否。結婚によりえた財産を運用して大きな財産を作りました。愛人との間に子供を産み カールテオドールの死後再婚しました。カール テオドールの死後 傍流のマクシミリアン1世ヨーゼフが二つの選帝侯位を相続し 王国に昇格することになります。北がわを見学したら フェスタザルにもどってきます。それから南側へ南の控えの間元は選帝侯フェルディナント・マリアの妃 トリノのサヴォイア家のヘンリエッテ アデライードの居室として作られたそう。神聖ローマ皇帝姿のカール7世 カール アルブレヒト神聖ローマ皇帝冠 宝玉 を横に置き 笏を手にしています。額縁の下は神聖ローマ皇帝の双頭の鷲に バイエルンの紋章皇后マリア アマリエ天井画は水の精アレトゥーサヘンリエッテ アデライードの前室フェルディナントマリアとヘンリエッタ寝室マックス エマニュエルと妃テレーゼチャイニーズキャビネットカールテオドールの追加した部屋カールテオドールの書斎ルートヴィッヒ1世の美人画ギャラリー自分で実際に会ってモデルを決めていた。娘 息子のお嫁さん 自分の愛人も並んでる。ルーママ マリー フォン プロイセンうちのお嫁さんに似てる。プロイセン王の孫。夫はマクシミリアン2世で ルートヴィッヒ2世 オットー1世のお母さん。ルーママはルーパパと同じ登山が趣味で、夫婦でよくでかけるほど仲が良かったけれど 子供に関心がなかった。ルーパパ マクシミリアン2世はルー様の教育について聞かれると、彼は人の言葉に関心がないのにどうしろと?、って言ったそう。やっぱりこの子が1番好き。アンナ ヒルマールーじい ことルートヴィッヒ1世と王妃ルイーゼ王妃は国民に絶大な人気があって、もともとよく浮気したルー爺の ローラ モンテスへの度を越した晩年の浮気は許されなかった。それで退位をよぎなくされ 息子のマクシミリアン2世に王位を譲りました。私はただそれだけではなく 芸術や建築への度を越したお金の使い方もあったんじゃないかと思うけど。ルーじいのお父さん マクシミリアン1世は質素で 家族と一緒に過ごす時間が長かったそうだけど。ローラ モンテスアウグステ・アマリエ・フォン・バイエルンルートヴィッヒ1世の王女 生涯独身で修道院に入るルートヴィッヒ1世の妹 フランツヨーゼフのお母さん エリザベートのおばにして姑ゾフィーブルーサロン 王妃の謁見室バイエルン初代国王 マクシミリアン1世ヴィッテルスバッハ家の傍流の傍流プファルツ=ビルケンフェルト家に三男として生まれ 君主とは無縁で 傍流貴族らしくフランスのちにオーストリアの陸軍少将として働いていました。兄と父がなくなり バイエルン選帝侯カールテオドールの死去後に選帝侯に。ナポレオンと同盟を結び ナポレオンの奥さんの連れ子ウジェーヌ ド ボアルネを長女アウグステ アマリアの婿に迎え フランケン地方 シュバーベン地方を加えて バイエルンを王国に昇格させました。ライプツィヒの戦いののちは あやうくなってきたナポレオンを見限り 反ナポレオン連合に加わり 一部領土をオーストリアに奪われたものの 独立した王国としての地位を維持しました。2人のお妃との間に 12人の子だくさん。長女アウグステ アマリアは政略結婚であったものの ウジェーヌは思いやりがあるうえナポレオンが認めるほど有能で仲がよかった。カロリーネ アウグステはオーストリア皇后 エリザベート ルドヴィカはプロイセン王妃に アマリエ アウグステとマリア アンナはザクセン王妃に ゾフィーはオーストリア大公妃になり フランツヨーゼフのお母さんとなり ルドヴィカはバイエルン公爵に嫁ぎ エリザベートのお母さんとなりました。長男ルートヴィッヒ1世エンパイアスタイルの家具はマクシミリアン1世の時代の様式。こじんまりした部屋で 二番目の王妃のカロリーネと過ごす時間を好んだそう。ルー様が生まれた部屋 王妃の寝室ベッドを横向きに置くのはエンパイアスタイルベッドがこの高さなのではなく バーが渡してあり その上にベッドカバーをかけてあるそうです。王妃の書斎マクシミリアン1世の二番目の王妃カロリーネのために整備されました。前回行った時の過去記事があります。『4/16①ニンフェンブルグ城①』拙いブログにご訪問、いいねありがとうございますとても嬉しく思っています21日目この日はニンフェンブルグ城へ行きました。3番目に好きなお城ホテルのビュッフ…ameblo.jp『4/16②ニンフェンブルグ城②美人画ギャラリー』いつもご訪問、いいねありがとうございますとても嬉しく思っています選帝侯カール・テオドールの小執務室6代バイエルン選帝侯カール・テオドールの執務室でしたが、1…ameblo.jp続きます。読んでくださりありがとうございました。