ご訪問くださりありがとうございます。

 

暴れん坊将軍のロケ地 大覚寺へ行きました。

 

京都駅から山陰本線に乗り換え15分ほど 嵯峨嵐山駅、そこから徒歩20分弱でした。

 

 

大覚寺は 平安京造営前に 御三筆(嵯峨天皇 空海 橘 逸勢)として有名な嵯峨天皇(ここが嵯峨野なので諡号が嵯峨天皇)が離宮として作り のちに皇后となられた橘嘉智子と住まわれたそうです。皇后は大変な美人だったと言われています。

 

異母弟 淳和天皇の皇后 正子内親王(嵯峨天皇と皇后の皇女)が ご自身のご長男で 承和の変で廃太子になり出家した 恒貞親王を開祖とし お寺にしました。

橘嘉智子の従弟で御三筆の橘 逸勢も加担したとされ失脚しました。

 

昔 杉本苑子先生の 檀林皇后私譜 という 歴史小説で読んだのでは 

 

平城天皇→嵯峨天皇→淳和天皇 と兄弟で即位したあと 嵯峨天皇と皇后の皇子 仁明天皇が即位し 淳和天皇の皇子が東宮になりましたが 

橘嘉智子が 仁明天皇の皇子を東宮に立てるべく 藤原冬嗣とはかって 承和の変を利用し 正子内親王は母を恨んだ となっていたと思います。

 

以来 皇統の方のみが院主を務められた 門跡寺院です。

 

両統迭立の原因となった 後嵯峨上皇 その孫で 大覚寺統の後宇多上皇 ご自身が 門跡になられました。

亀山院の系統を大覚寺統という由縁です。

 

ここ既視感。なんでだろう。

 

式台玄関

江戸時代はじめに 御所から移築された建物だそうです。

後宇多法皇の御輿が置いてありました。

 

襖絵 狩野永徳「松に山鳥図」

 

宸殿 

 

後水尾天皇の中宮 徳川秀忠のお嬢さん 和子の女御御所の宸殿として使われていたのを移築したのだそう。
屋根は檜皮葺で寝殿造だけど 書院造りの要素もあります。
 
蔀が半分あいてる

母屋南面 牡丹の間

 

襖絵は狩野山楽 牡丹図

母屋部分。広くて天井が高い。格式高い折上小組格天井

 

手前が右近の橘 あちらが左近の梅

白川砂が敷かれています。

松の間

北庇も畳敷

 

勅使門

四脚門。天皇からの使者のみ通れる門。

 

今読んでる「戦国の貧乏天皇」という本に 戦国時代 践祚するも 21年間 即位式を行えなかった後柏原天皇が 小御修法を依頼したことが書いてあったので そういう時に勅使門を通ったのだと思います。

 

枕草子に 定子が出産の時 里邸は焼失し 実家が没落して誰も引き受けてくれなくて、 皇后職 大進(三等官)平生昌が 東門を四脚門(身分の高い人用)に変えて 定子を受け入れたのに 女房たちは 生昌をからかっていた思い出す。

 

五大堂と宸殿の間のお庭 

奥左安井堂で 鳳輦に座す後水尾天皇像がありました。右が五大堂。

 

村雨の廊下

天井が低いのは 暗殺防止で 刀を振り回せないためだそう。床は鶯ばりでみしみし鳴ります。

 

直角に曲がっているのが 稲妻のように見えるのでこの名なのだそう。

御影堂

お経が聞こえていたので入らず。嵯峨天皇、弘法大師、後宇多法皇、恒寂入道親王の像があるそうです。
 
五大堂の観月台

こちらが本堂だそうです。大きな大沢池に面しています。大沢池は 日本最古の庭園用の人工池だそう。

大沢池の周り1kmをぐるっと歩いて回ることができますが 暑かったのでやめました。またこようと思います。

お池の向こうから御堂を見ると美しいだろうな。

 

京都府警のキャラ 検非違使みたいでかわいい。麿まゆ。

 

ヨドバシカメラ京都へ。またバーガーキング。飽きてきた。

地下の安いスーパー ロピアで 家人の好きな ビールと 盛岡冷麺を買い
 

そこからイオンモール京都へ。 IKEAポップアップストアで オンラインストア 店舗受け取りで冬用の布団袋skubbをピックアップして帰りました。

 

14000歩 歩けました。よい散歩になりました。

 

 

読んでくださりありがとうございました。