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ソウル 3泊4日 2日目。
 
ソウルは思った以上に暑かったです。日本と変わらないくらいと感じましたか 日陰は涼しかったです。朝夕は滋賀の方が涼しいと思いました。
 
朝ご飯  ホテルでてすぐ
 

ABOUT BAGEL 

 

 

 

サラダとハーフベーグルのセット

 

ベーグル以外もおいしそうで迷いました。

 

フレンチトーストのベーグルも気になりました。

 

 

スモークサーモンとクリームチーズベーグルとコーヒーセット15900ウォン 

ベーグルサンドイッチセット 11500ウォン

 

スモークサーモンは量多めですが クリームチーズはもうちょっとほしいかな。

 

サンドイッチはリベイクしてくれて すごくおいしかったです。ずっしりもっちもちでバターの風味がゆたか。

半分づつしてたべましたが お腹ぱんぱん。

 

 

この日景福宮 おやすみだったので バスで昌徳宮へ。私は古い建物やインテリアが多く残る 昌徳宮の方が好きです。

 

行く方向間違えた。ソウル駅でおりて 反対方向に乗り換え。

どこに止まるかわからないスリル満点。走って行って乗りますが 待ってくれないので 一度 扉閉められましたが家人が中国語でなにか言うとあけてくれました。

 

昌徳宮

 

ユネスコ世界遺産

 

景福宮の離宮として作られましたが 秀吉の朝鮮出兵の時 どちらも焼けてしまい 景福宮がなかなか再建されない中 正宮として長く使用されました。

 

日韓併合の調印式がおこなわれたのもここで ここと徳寿宮が最後の王様(皇帝)がお住まいになったので 洋風の家具や電灯がのこっています。

純宗の皇后陛下 李垠殿下の方子妃殿下(即位なさっているので陛下とおよびすべきかな) 映画ラストプリンセスのヒロイン徳恵公主もお住まいになりました。

 

門横 チケットオフィースで 入場料3000ウォンx2

 

敦化門

正面5間 真ん中が広く 王様のおとおりになるところ 左右は堂上官の通るところ。

反った屋根の美しい曲線と丹青が見事でうっとり

 

離宮として作られたので 景福宮のように南から北に建物が並んでおらず 自然の景観を取り入れ 北漢山に沿って西から東に並んでいます。それでも王のお住まいなので 南正面の建物です。

 

正門を入ったところには川が必ずあり 水で清められるという発想なのだそう。

 

錦川橋

景福宮と同じく 正門をくぐり 錦川を渡ります。ソウル最古の石橋だそう。北京のにも内禁水橋がありました。

 

進善門

真ん中は王様がとおる御道
正殿に至るまでに3つ門と1つの橋を通るのが王宮の規則。
日本統治時代に撤去されたのですが 再建されたそうです。
 

仁政門

中は行廊に囲まれていて 仁政殿に繋がっています。日本統治時代に変形されたのですが 修復で 朝鮮王朝時代のに 戻したそうです。

 

二層は同じで 月台は北京のは三段 ここは二段。北京の正殿は11間でここのは5間。走獣は 北京11個 こちらは9個で 呼び名も雑像と違うようです。

薄石敷で 位の彫られた品階石が並んでいて 行事の際は 東に文官 西に武官がそこに身分どおりに並んだそうです。李氏朝鮮王朝では 文官の方が格上とされていて 日本の公卿では武官を経て大臣に昇る方が格上だったので 違うようです。
 
北京の故宮に似てるなーと家人。
 

外朝の建物は 棟木にスモモの紋章がついているの以外は 柱の数 送獣の数 月台の段数が少なくて 冊封関係にあったあちらの規格に従っています。

 

踏石の彫刻 北京のは龍だったこちらは龍の子 鳳凰

 

二層に見えますが 中は単層で高い天井。

国家行事 外国使節の謁見 即位式などに用いられた正殿

日韓併合条約が締結されたのもここです。

 

火魔よけ

 

中は広い一間 韓国の伝統的な建物は 真ん中に板の間 左右にオンドルで さらにもっと細かく使うのだけど中国の正殿の様式にならっています。

必ず玉座のうしろに日月五峰図の屏風が置かれました。日は王様 月は王妃様 波が朝廷。

電灯 ガラス窓 カーテン 1908年の改装。石の床に改装していたのは 板の間に修復したのだそう。

 

奥行き4間

 

宣政殿

 
仁政殿の東隣りにあり軒続きで回廊でつながっています。本来なら南北中心線に並ぶのですが 離宮なので自然の山並みに沿ってつくられています。
王様が執務を行った場所ですが 王朝後期には煕政殿に機能がうつりました。

うっとりするくらい美しく見事な青い瓦。

 

ちょっと離れないとわかりにくいけれど ここだけ青い瓦です。北京の故宮の屋根瓦が黄色いように こちらでは 輸入物の釉薬を使い 手間のかかる青い瓦は権威の象徴だそうです。青瓦台もそのなごりだそう。

朝鮮初期には王宮に使われたそうですが 手間とお金がかかるのですたれたそうです。

中は玉座と 日月五峰図

障子の紙は日本と逆で内側に張ります。

 

煕政堂

ここから内は 王の私生活の場 燕朝で 朝鮮王朝の様式で建てられたのですが 日本統治時代に 日本の様式をおしつけたそうです。純宗が 壁画に日本の画家を起用するのを拒否し 朝鮮の画家を起用したと伝えられています。
 
朝鮮王朝らしさは 四角い柱 部屋を細かく仕切って使用する オンドルと板の間があるなど。
 

1917年火事で焼失し 景福宮の 王の寝殿の康寧殿を移築したのですが その際なかった棟木をつけたそう。

 

王や王妃がお休みになるところは 棟のよみが龍なので 龍が重ならないよう 王=龍がお休みになるところには棟木をつけない伝統があります(諸説あります)

 

元は王の寝殿でしたが 純宗は執務や会議用に使用なさり その時の執務机 会議用いす テーブルが残っています。

お車寄せは増築されたもの。

 

中はじゅうたん敷 ガラス窓 電灯がついてて洋式。

 

左の壁の絵がそう

 

煕政堂 裏側

 

大造殿は工事中で見れませんでした。最後の王妃様の寝台が残っているので見たかった。大造殿は王妃様と王様がおやすみになる建物で 棟木がなくて 屋根がより美しく見えるように思います。

 

誠正閣

壊されてなくなった 王世子の住まいのあった東宮の一角にあった建物で 世子が儒教の勉強をなさったところ。純宗の治世には内医院として使ったそうです。

 

家人は 紫禁城の時と同じで 同じような建物が続き すぐに退屈そうでした。先に行ってしまいます。

 

三三窩

今はなくなってしまった 王世子のお住まい重熙堂と連結して建っていた建物。残っている俯瞰図と見ると たくさんの建物が密集して建っているのがわかります。日本統治時代に 景福宮ほどでないにしても 多くが取り壊しや 改造されたのが心痛みます。

 

楽善斎

憲宗がくつろぐ空間 燕寝として建てました。東隣に 慶嬪金氏の居所として錫福軒が その東にがあり同時期に建てられました。年の変わらない王妃様がおられたのだけど 大変なご寵愛だったのでしょう。

後には 王のご家族や先の王妃様のお住まいとして使用され 高宗は執務室としてご使用になりました。

 

憲宗は質素を好まれ 丹青のない質素な作りですが 障子など繊細な細工もあります。

 

丸窓に障子がすてき

奥に見学できない 当時美しく整備された花壇が見えます。

錫福軒

ロの字型をしていて閉鎖的な空間。錫福軒の福は王世子を授かるという意味らしく あちこちに多産を象徴する紋があるそうです。

 

憲宗は最初の王妃をなくされ 継室の王妃を選ぶ最終審査 三揀擇で候補に残っていた金氏を御心に決められたものの 大妃方は明憲王妃洪氏をお選びになりました

当時 当事者の王様や王世子君ではなく 王様の母君や 先王妃 先々代の王妃方がお決めになりました。

 

憲宗は金氏を忘れられず 3年後 王妃が懐妊しないことを理由に 金氏を王妃に次ぐ嬪として後宮に迎えられたそうです。

最後の王妃 純貞皇后はここでなくなられたそうです。

 

壽康斎

錫福軒の東隣にあります。

憲宗の祖母君 大王大妃 純元王妃がお住まいとして作られました。徳恵翁主がおすまいとされていたそうです。

修復されていませんが 他の2棟と違い 丹青があったそうです。

 

障子を折りたたんでから上げたり(格子じゃないのと 折り曲げ方が違うけど) 広間をいろいろな用途に使ったり 日本の寝殿造と似ているなと思うところがところどころあります。

 

後方の山にある秘苑も 山の斜面にあり 自然の景観を大事にしながら作られた庭園と建物のある秘苑を ガイドツアーで見ることができますが 暑かったのでやめました。家人はすでに退屈そうでしたし。

 

昌慶宮へ 昌徳宮の奥に チケット売り場がありつながっています。 1000ウォンx2

ソウルタワーが見えました。

 

元は世宗大王が譲位なさった父君の後院として作られ 成宗が祖母君 ご生母 前王妃のための離宮として再建されたそう。 儒教の孝の考えが強いのだなあ。

 

王宮として使用されたこともあるそう。

 

日本統治時代に 多くの建物が壊され 動物園にされていたそう。

 

 

取り壊されて行閣がぜんぜんない。

 

歴史的建造物なので当然なのだけど この階段 手すりがなくて 家人に肩を借りないと降りられませんでした。

 

 

 

通明殿

屋根のこの曲線美。

王宮として使用された時 王妃のお住まい 中宮殿として使用されたので 棟木がありません。

もともとは行閣にかこまれていたのだろうと思う。

 

細かく仕切って使うのは伝統。

 

養和堂

こちらも王妃のお住まいとして作られたそう。でも棟木があります。装飾が華やかで堂々とした趣。

 

景春殿と歓慶殿

景春殿

正祖 憲宗はここでご誕生なされたそう。

 

歓慶殿

 

 

迎春軒

正祖がお住まいだったところ。

ロの字型だけど 外も開放的で景色を取り込めて素敵。指がうつりこんでる写真しかありませんでした。

 

 

明政門から見た弘化門

 

明政殿

行事を行う正殿。

秀吉の朝鮮出兵の時に焼かれて 撃退後再建された当時のままの建物 回廊は戦後の再建だそう。

正宮として使用する時に 南をむいて建っていないことに議論があったそう。

ここにも品階石があります。

 

階段多くて 家人がいないと見学できませんでした。ありがたい。

 

暑かったですが 木陰など日陰は涼しかったです。

 

弘化門でてすぐのバス停からバスで ソウル駅の ロッテマートへ。
 
読んでくださりありがとうございました。