データ出所

 

 

「現在のキャリアに不安がある人が86%」

「収入源の多様化を望んでいる人が約7割」

 

この数字を見たとき、正直に言って、

高すぎないか?と思った。

 

そんなに多くの人が不安を抱えているのか、という驚きと同時に、

でもどこかで「やっぱりな」という感覚もあった。

 

多くの人は、本当は一つの肩書きや一つの仕事だけでなく、

いろいろな挑戦をしながら、自分の幅を広げていきたいと思っている。

収入も、経験も、価値観も、もっと多層的でありたい。

このデータは、そうした人としての自然な欲求が、

社会の中で十分に満たされていないことを示しているように見える。

 

 

なぜ、人は「点を打てなくなる」のか

点を打てない理由は、実はシンプルだと思う。

 

回り道をしたくないからだ。

 

ストレートにキャリアアップして、

収入を上げて、

ゴールに近づきたい。

 

そう考えるのは、とても自然なことだ。

いろんなことに手を出していると、

「遠回りしているんじゃないか」

「軸がブレているんじゃないか」

そんな感覚になる。

 

特に日本は、単一文化が強い社会だと思う。

評価軸も、成功モデルも、比較的わかりやすい。

だから意識的に動かないと、人のキャリアはどうしても収束していく。

結果として、伸び悩みや閉塞感が生まれる。

 

 

点を打つとは、「絵の具を集める」こと

でも、こうも思う。

 

もし人生を一枚の絵だとしたら、

いい絵を描くには、絵の具は多い方がいい。

 

限られた色だけで描くより、

たくさんの色がパレットにあった方が、

描ける世界は圧倒的に広がる。

 

点を打つというのは、

回り道をすることではなく、

自分の人生というアートのために、絵の具や道具を集める行為なんだと思う。

 

しかもその作業は、

大学を卒業したら終わり、ではない。

社会に出てからも、学びはずっと続く。

経験も、人との出会いも、挑戦も、すべてが色になる。

 

 

経営は、キャリアを一気に「着替える」行為

その中でも「経営」、特に事業を継ぐという行為は、

キャリアを一気にワープさせる力を持っている。

 

副業とも、単純な転職とも違う。

事業を継いでオーナーシップを持つということは、

社長業を引き受けるということだ。

 

自分を、まるごと新しい服に着替えるような感覚がある。

 

しかもM&Aによる継業は、

ゼロから何かを立ち上げる必要がない。

顧客がいて、事業があり、組織があり、歴史がある。

 

だからこそ、

どんな経験が得られるのか、

どんなネットワークが広がるのか、

どんな視座が手に入るのかが、比較的わかりやすい。

 

自分のキャリアを「設計できる対象」にしやすいのが、

継業という選択肢だと思う。

 

 

経営には、その人の思想が溢れ出る

経営は、技術やスキルの話だけじゃない。

 

同じ飲食店でも、

イタリアンをやる人もいれば、和食をやる人もいる。

同じ和食でも、

一万円の店もあれば、三千円の店もある。

 

それはすべて、

経営者の思想が溢れ出た結果だ。

 

ビジョン、ミッション、行動指針。

何を大切にし、何を捨てるのか。

経営という行為には、その人らしさが隠しようもなく現れる。

 

だから経営には正解がない。

そして、それでいい。

 

正解をなぞるためではなく、

自分らしさをこの世界に置くための手段として、

経営があってもいいと思う。

 

 

最初にやってほしい、たった一つのこと

 

「私はどの事業を買えばいいですか?」

 

そう聞かれることは多い。

 

でも、経営はアートだ。

答えは、最初から外に用意されていない。

 

だから最初にやってほしいのは、

自分が人生をかけてやってもいいと思えることを、できるだけ多く書き出すことだ。

 

一つである必要はない。

10個でも、20個でもいい。

 

やりたいことと、やれることは、大抵一致しない。

でも、心の中にリストとして持っていないと、

やれるタイミングが来たときに、気づけない。

 

釣りと同じだ。

針が一本だけでは、魚はなかなかかからない。

巻き餌を撒いて、いくつもの針を垂らしておく。

そのうちの一つに、ふっと反応がある。

 

キャリアも、きっとそれに近い。

 

 

回り道に見える点の一つひとつが、

あとから振り返ると、

自分だけの絵を描くために必要だった色だったと気づく。

 

経営も、継業も、

その点を増やすための一つの手段にすぎない。

 

正解を探すより、

どんな絵を描きたいかを考える。

 

その方が、

キャリアはずっと自由になる。

 

 

今日は、

僕が支援しているある売り手オーナーさんと、

30分ほど電話で話していました。

 

有名な賞も受賞していて、

地元の人にも、観光客にも長く愛されてきたお蕎麦屋さん。

 

「辞めてほしくない」

そう言ってくれるお客さんがたくさんいるお店です。

 

だからこそ、

オーナーさんの中には

お店をなくしてしまうのは、やっぱりもったいない

という気持ちが強くあります。

 

畳もうと思えば、畳める。

でも、できることなら――

お店の評判も、

お客さんが喜んでくれる場所も、

誰かに引き継いでもらって残していけたら。

 

それができたら、やっぱり嬉しい。

そんな思いを、何度も口にされていました。

 

 

 

実は、今、

とても条件の良い買い手候補の方がいます。

 

都会で飲食店を経営されていて、

麺類の業態で、すでに2店舗を運営してきた方。

飲食の経験も、経営の経験も十分にある。

 

その方は、

今の店舗を畳んで、

このお蕎麦屋さんを引き継ぐために

移住することまで考えてくれていました。

 

条件だけを見れば、

本当に申し分のない候補です。

 

ただ――

その方が、少し病気をされてしまった。

 

前向きな気持ちは変わらないけれど、

すぐに決断できる状態ではなくなってしまった。

 

もしこのまま進めるとしても、

成約までには半年ほどかかるかもしれない。

そんな状況です。

 

 

 

一方で、オーナーさんには

毎月、確実にかかる負担があります。

 

家賃。

数名の従業員の人件費。

 

金額はここでは言えませんが、

これは決して軽いものではありません。

 

だから、僕の立場としては、

簡単に

「もう少し待ってみましょう」

とは言えない。

 

これまでに、

150件ほどのM&Aを支援してきました。

 

その中には、

半年、1年と待った末に、

途中でブレイクしてしまった案件もあります。

 

そうなったときに残るのは、

金銭的な負担だけじゃない。

時間も、気力も、精神的な重さも、

全部オーナーさんが背負うことになる。

 

それを見てきたからこそ、

僕は無責任に

「待ちましょう」とは言えないんです。

 

 

 

最終的に決めるのは、

やっぱりオーナーさん自身。

 

負担をするのも、

責任を引き受けるのも、

オーナーさんだから。

 

僕にできるのは、

代わりに決めることじゃなくて、

一緒に悩むことくらいなんだと思います。

 

半年待って、その先にうまくいけばいい。

でも、M&Aでは

病気や環境の変化みたいな

「まさか」が起こることも少なくありません。

 

 

 

オーナーさんは、

本当にお蕎麦が好きな方です。

 

体が痛くて、もう現場には立てないけれど、

引退したあとも、

趣味のような形で、

新しいことを始めたいと話していました。

 

もしお店を売って、

それが次の楽しみの元手になれば、

それはそれで、すごくいいなと思います。

 

廃業してしまえば、

原状回復やスケルトンの負担もかかる。

でも、引き継いでもらえれば、

次に進むためのお金が残る。

 

同じ「やめる」でも、

意味はまったく違います。

 

いい買い手の方に、

うまく引き継げたらいいな。

心から、そう思っています。

 

今日の30分の電話は、

オーナーさんにとっても、

そして僕にとっても、

とても悩ましい時間でした。

 

答えはまだ出ていないけれど、

こうやって一緒に悩みながら、

最善の形を探していくしかないんだろうなと、

改めて感じた一日でした。

 

 

今朝、僕は久しぶりに散歩をした。ここ最近、立ち止まる余裕というものをすっかり失っていて、気がつけば毎朝、反射的にデスクに向かう生活が続いていた。

 

シャワーを浴び、着替え、マンションを出る。行き先は決めない。歩きながら、頭と心に浮かんでくるものを、そのまま通り過ぎさせる。信号の音や、遠くの車の走る気配を聞きながら、ただ歩く。

 

家族のこと。仕事のこと。社員の生活や、その奥にある気持ち。そうした断片が、順番も脈絡もなく頭をよぎる。でも不思議なことに、歩いているうちに、それらは絡まることなく、少しずつ落ち着いた場所に収まっていく。歩きながら考える時間を、僕は昔から好んでいる。理由はうまく説明できないが、体の中の歯車が静かに噛み合っていく感じがある。

 

デスクに座ると、「何かをしなければならない」という圧力が、空気のように立ち上がってくる。でも散歩中は、何もできない。パソコンも触れないし、スマートフォンもただの重さに戻る。その無力さが、かえって心を自由にしてくれる。

こういう時間は、たぶん「自分の心にアクセスするための時間」なのだと思う。特別なことは何も起きない。ただ、内側の音が、少し聞き取りやすくなるだけだ。

 

こうして歩いていると、昔の記憶が、理由もなく浮かび上がってくることがある。

 

20年近く前、ユダヤ教の教えを紹介した本を読んだ。ユダヤ人は世界的には少数派でありながら、ノーベル賞受賞者や成功した実業家が多い。その背景にある価値観や行動原理を説明している本だった。

 

その中で、今も僕の記憶に残っているのが「シャバット」という考え方だ。シャバットとは安息日のことなのだが、週に一度、仕事から完全に離れ、新しいことを始めず、遠くへも行かず、ただ静かに過ごす日。酒を控え、読書をし、一週間を振り返る。そのための、あらかじめ用意された時間。

 

当時の僕は、シャバットを「内省と学びを、生活の中に強制的に組み込むための仕組み」だと受け取った。人は意識しないと、流れ続ける刺激に簡単に飲み込まれてしまう。だからこそ、立ち止まるための装置が必要なのだと感じた。

 

その本を読み終えた頃、僕は「自分にも、きちんと休息日が必要だ」と思った。忙しさの中にいても、考える時間だけは手放してはいけない、と。

 

しかしスタートアップを始めてから、そうした余裕を保つことは難しくなった。結果を出さなければならないという焦り。立ち止まった瞬間に、何かを失ってしまうのではないかという怖さ。そうした感情が、知らず知らずのうちに、僕を動かし続けさせていたのだと思う。

 

振り返れば、その忙しさの正体は、不安だった。忙しくしていないと落ち着かない。頑張り続けていれば、どこかに辿り着けるはずだ、という漠然とした期待。でも現実は、そんなに単純ではない。

 

経営者にとって本当に必要なのは、手を動かし続けることではなく、大きなパズルをどう組み立てるかを考える時間なのだと、今は思っている。

 

シャバットを持てなくなる一番の理由は、余裕のなさと焦りだ。「もっと何かをしなければならない」という気持ちが、休むことを許さなくなる。

 

最近、ブログを書き、EOで内省の時間を意識的につくるようになって、少しずつその感覚が戻ってきた。そしてこの週末、久しぶりに、何にも追われずに過ごす時間ができた。

 

今朝の散歩で、僕はふとこのシャバットのことを思い出した。

 

休むことは、サボることではない。立ち止まらなければ見えないものがある。思考を整え、感情を静め、次の一週間を迎えるための、ささやかな準備なのだと思う。

 

もし今週末、30分だけ立ち止まるとしたら。

 

一番やらない方がいいのは、たぶん仕事だ。


 

最近、ブログを書いたり、

他の経営者の方と会食する機会が続いています。

 

そんな中で、強く感じていることがあります。

それは、自分のインプット量が圧倒的に足りていないという感覚です。

 

これまでの自分は、

「自分で解釈する」「自分で考える」ことを大事にしてきました。

 

あえて情報を絞り、

自分が本当に興味を持てるものだけをインプットする。

そんなスタイルを取ってきたと思います。

 

そのやり方自体は、間違っていなかった。

考える力は、ある程度鍛えられてきた実感もあります。

 

ただ最近、他の経営者の方と話していて、

はっきりと気づいたことがありました。

 

考えが浅いのではなく、材料が少ない。

知識の「量」と「幅」が、明らかに足りていない。

 

会食でご一緒した方は、

あらゆる業界、あらゆる分野に興味と知識を持っていて、

どんな話題でも、自然に、しかも面白く会話を組み立てていく。

 

その姿を見て、

単純に「かっこいいな」と思いました。

 

知識をひけらかす感じではなく、

思考に奥行きがあり、視点が立体的。

ああいう会話ができる人になりたいな、と。

 

一方で、自分のアウトプットを振り返ると、

どうしても結論が早い。

早く判断し、早く答えを出そうとする癖がある。

 

経営では武器になるこの癖も、

文章では、思考のプロセスや感情が省略されてしまう。

結果として、正しいけど、どこか薄い文章になる。

 

だから今は、

結論を磨く前に、材料を増やす時期なんだと思っています。

 

この週末は、

雑誌、小説、新刊、積読になっていた本を、

あえて「流し読み」で一気にインプットしようと思います。

 

一冊一冊を丁寧に読むよりも、

まずは、頭の中の空いているスペースを

荒くてもいいから埋めていく。

 

その中で引っかかったものを、

あとから深く掘り下げればいい。

 

読み終えたときに、

何かが決まっていなくてもいい。

視野が少し広がって、気持ちが軽くなっていれば成功。

自分の中の火が、少し戻っていれば、それでいい。

 

考える力を鍛える前に、

考えるための材料を、ちゃんと集め直そうと思います。

 

 

昨日は「長野を元気にする」というテーマで、
東京で長野にゆかりのある人たちが集まって会食をする会がありました。

 

10人ほどのこぢんまりとした集まりでしたが、
それぞれが自分なりの立場で
「どうやって長野に関われるか」「何ができるか」を考えていて、
とても前向きで、居心地の良い時間でした。

 

レベルの高い経営者の方が多く、
知識も経験も豊富で、話を聞いているだけでも刺激になる。
 

美味しい食事を囲みながら、自然な形でネットワーキングができて、
とても有意義な会だったなと思います。

 


会の中で、僕自身の話も少しさせてもらいました。

 

ASKとして4年間続けている
「長野スタートアップスタジオ」の取り組みについてです。

 

これまでに200名ほどの起業家の支援をしてきました。


形式的には長野市から委託を受けた事業ですが、
正直に言うと、
これを収益のためにやっているという感覚はあまりありません。

 

僕の中では、

経営者が
後輩の起業家を育てることは、
義務というよりも「流儀」に近いもの。

 

そんな感覚です。

 


以前、シリコンバレーを訪れたときに、
とても印象に残った言葉があります。

 

「パートタイムCEO」という考え方です。

 

人生の時間を
・3分の1は仕事
・3分の1は遊び
・3分の1は社会貢献

このバランスが大切だ、という話でした。

 

社会貢献というと、
どうしても「余裕ができてからやるもの」
「仕事の外側にあるもの」という印象を持たれがちですが、
その方はこう言っていました。

 

これは、遊びの時間でもあり、
同時に社会貢献の時間なんだ、と。

 

この考え方を聞いたとき、
すごく健全で、長く続くスタイルだなと感じました。

 


長野スタートアップスタジオも、
僕にとっては、まさにその位置づけです。

 

やっていて楽しいし、
純粋に面白い。


同時に、社会的な意味も大きい。

 

だから僕は、
スタートアップ支援を
慈善活動ではなく「未来への投資」だと思っています。

 

金銭的なリターンを前提にはしていません。
でも、社会的なリターンは、必ずどこかに残る。

 

挑戦する人が増えること。
挑戦していい空気が地域に残ること。
応援する側の存在が記憶されること。

 

それらはすぐに数字にはなりませんが、
時間をかけて「信用」という形で積み上がっていく。

 


ここで一つ、
社内のメンバーにもちゃんと伝えておきたいことがあります。

 

僕は、社会貢献を
「社外のための活動」だとは思っていません。

むしろ、社内を強くするためにやっている
という感覚に近いです。

 

一つの会社の中だけで、
優れた人材を育て続けることには限界があります。

 

人は、どんな環境に身を置くかで、大きく成長が変わるからです。

ASKだけが良い状態であればいい、とは思っていません。
 

長野というコミュニティ全体が元気で、
挑戦する人が多く、
多様な価値観が行き交っていること。

 

その環境があってこそ、
ASKの社員一人ひとりも刺激を受け、
視野を広げ、成長していく。

 


いいコミュニティがあって、いい会社ができる。
そして、いい会社が、またコミュニティを良くしていく。

 

その循環をつくることが、
経営者としての役割なんじゃないかと、
昨日の会を通じて、あらためて感じました。

 

仕事・遊び・社会貢献。
 

どれか一つに偏るのではなく、
バランスを取りながら、
長く、健やかに続けていく。

 

そんなスタンスを、
これからも大切にしていきたいと思います。

 

去年を振り返ると、正直に言って「異常な忙しさ」だったと思う。

毎日、会議が10本近く入っていて、昼食を取る時間もない日が続いていた。

もちろん、理由はあった。
 

任せきれていない。
組織がまだ未完成。
仕組みも十分ではない。

 

そういう状況だからこそ、
自分が現場に入り、手を動かし、回すしかなかった。

 

その結果、得られたものは確かに大きい。
マッチングエージェントとして、100人以上の売り手オーナーと向き合った。

 

オーナーがどこで悩み、
どこで立ち止まり、
どんな瞬間に不安になるのか。

 

それを「知識」ではなく「感覚」として理解できたのは、
間違いなく現場にいたからだと思う。

 

一方で、代償もあった。

 

忙しさの中で、
「前に進んでいる感覚」が、ほとんどなかった。

 

日々の業務を回すことが最優先になり、
本来やるべき改善や、
改善を生み続ける仕組みづくりが後回しになっていた。

 

改善そのものではなく、
改善が回り続ける体制が、まだ脆弱だった。


今振り返ると、そこが一番の反省点かもしれない。

 

もう一つ、正直に言うと、
自分は「手を動かすのが好き」なんだと思う。

 

アイデアを出して、形にして、作っていく。
それが楽しいから、つい自分でやってしまう。

 

でも、組織の成長スピードを本気で上げていくなら、
それは経営者がやるべき仕事ではなかったと感じている。

 

現場を回すことを恐れて
「任せる」ことを避けていた部分もあったと思う。

 

任せたら前に進まなくなるんじゃないか。
まだそのレベルに達していないんじゃないか。


そんな不安が、頭のどこかにあった。

 

けれど本当に向き合うべきだったのは、
「任せられる人を育てること」
「考え、改善し、仕組みを作れる人を増やすこと」だった。

 

その気づきが、この年末年始に、ようやく腹落ちした。

 

今期は、役割を明確に変えていく。


日々の業務はできるだけ任せ、
自分は経営会議など、本当に重要な場に集中する。

 

会議時間も、
これまでの「デフォルト1時間」を見直し、
30分、もしくは50分に設定した。

 

リモートだからこそ、
事前準備を前提にした、
密度の高い会議が必要だと思っている。

 

経営者の時間は、
「会議時間」よりも「考える時間」に使われるべきだ。

 

そして同時に、
何を考えているのかを、もっと語るべきだとも思っている。
社員にも、そして対外的にも。

 

もし自分があまり現場にいなくても、
それでも組織が前に進んでいたとしたら。

きっと、誇らしい気持ちになると思う。

 

人を育て、組織を育て、
任せることで、結果として
より良いサービスが生まれていく。

 

そんな状態をつくれることこそが、
今の自分にとっての経営の喜びなのだと思う。

――働きがいは、日々のコミュニケーションから生まれる

 

 

今日はTRANBIの出社日でした。
毎週水曜日は、みんながオフィスに集まり、意識的にコミュニケーションを取る日にしています。

 

一緒にランチに行ったり、
午後にはカフェタイムをつくって、近況を報告し合ったり。

仕事の進捗だけでなく、ちょっとした雑談も交わす時間です。

 

GPTW(働きがい)の考え方の中でも、
「コミュニケーションの頻度」や「日常的な声がけ」は、
職場の信頼感や安心感をつくる重要な要素だと言われています。

 

特別に深い話でなくても構いません。
雑談でも、仕事と直接関係のない話でもいいと思っています。

 

「最近どうですか?」
「少し忙しそうですね」

 

そんな一言があるだけで、
人と人との距離は確実に縮まります。

 

良い会社をつくるためには、
制度や評価だけでなく、
日々の何気ないコミュニケーションの積み重ねが欠かせないと感じています。

 

一方で、リモートワークの良さも明確です。
 

社員の満足度は高く、
プライベートとのバランスを取りやすいという声も多く聞きます。

 

集中して仕事に向き合える環境として、
リモートワークが大きな価値を持っているのも事実です。

 

だからこそ、
出社かリモートか、という二択ではなく、
その両方をどう組み合わせるかが大切なのだと思います。

 

オンラインよりもリアルの方が、
温度感やニュアンス、その人らしさは伝わりやすい。
一方で、リモートだからこそ生まれる働きやすさもある。

 

TRANBIとして、
その「ちょうどいいミックス」を探し続けていきたいと考えています。

 

会社をつくるというより、
人と人との関係性を育てていく。
 

働きがいは、そうした日々の積み重ねの中から生まれるものなのかもしれません。

 

今日のような水曜日を、
これからも大切にしていきたいと思います。

── 世界がきな臭くなっている理由を、構造から考えてみる

 

 

最近、世界のニュースを見ていて、
「なんだか全体的に余裕がなくなってきているな」と感じることが増えた。

 

国同士が疑い合い、
経済も安全保障も「奪うか、奪われるか」という話になりやすい。

 

ただ、これは
「誰かが悪い」とか
「どこかの国が間違っている」
という話ではない気がしている。

 

今日は、なぜそういう空気になるのかを、
できるだけ構造的に考えてみたい。

 


そもそも、世界経済は本当に苦しくなっているのか?

まず前提として、

  • 世界人口は今も増えている

  • 世界全体のGDP(経済の総量)も増えている

つまり、数字だけ見れば世界は成長している

 

それなのに、なぜ「取り合い」のような空気になるのか。

ここで大事なのは、

世界全体のパイが増えていること

各国が「欲しがっているパイ」が増えていること
は、別だという点。


今、各国が本当に欲しがっているもの

今の世界で、国が本気で欲しがっているのは、

  • AIや半導体のような先端技術

  • 国際ルールを決める力(通貨、基準、標準)

  • 安全保障上の優位性

  • 高付加価値産業の中心ポジション

これらには共通点がある。

 

「誰でも簡単に手に入れられない」
「勝者が限られている」

という点だ。

 

つまり、

  • 人口が増えても

  • 働く人が増えても

この領域のパイは、そう簡単には増えない。

 

だから、

自分が取れなければ、誰かが取っている
相手が伸びると、自分の立場が相対的に下がる

というゼロサム的な見え方が強くなる。

 


では、なぜ1990〜2000年代のアメリカは余裕があったのか

この時代のアメリカを思い返すと、

  • ハリウッド

  • IT

  • 金融

  • 多様性や自由という価値観

世界中の人が憧れる「物語」を持っていた。

自分もそんなアメリカに憧れて留学を決めた1人だと思う。

 

なぜ、そんな余裕があったのか。

 

理由はシンプルで、

  • 冷戦が終わり

  • 圧倒的な国力を持ち

  • 「簡単には揺るがない」という自信があった

からだと思う。

 

余裕があると、

  • 多少分け与えても大丈夫

  • いろいろな価値観を受け入れても問題ない

  • 理想を語っても、現実が崩れない

そういう態度が取れる。

 

理想を語れたのは、余裕があったからだ。

 


今のアメリカが余裕を失ったように見える理由

今のアメリカは、

  • 軍事

  • 技術

  • 通貨

  • 企業力

どれを取っても、今でも世界トップクラスだ。

 

それでも余裕がなく見えるのはなぜか。

 

理由は、

  • 初めて「追いつかれるかもしれない」と感じ始めた

  • 国内の分断が深くなった

  • 覇権を維持するコストが大きくなった

つまり、

実力はあるが、将来への確信が揺らいでいる状態

 

余裕というのは、
「今どれだけ強いか」よりも、
「この先も大丈夫だと信じられるか」で決まる。

 


一方、中国はなぜ余裕があるように見えるのか

中国は、

  • 不動産不況

  • 人口減少

  • 経済成長の鈍化

など、課題は多い。

 

それでも、外から見ると
どこか落ち着いて見える。

 

理由は、

  • 「追いついた」という自己認識

  • 西側と同じモデルを目指さないという明確な方針

  • 巨大な内需による一定の自立性

によって、

国家としての「自分たちは何者か」という物語が固まってきている
からだと思う。

 

これは、
「状況が良い」という意味ではない。

 

迷いが少ない状態、という意味だ。

 


ここから見えてきた結論

ここまで整理して、はっきりした。

 

余裕は、実力より物語で決まる。

  • 数字があっても、進む方向が見えなければ不安になる

  • 課題があっても、信じられる物語があれば落ち着ける

これは国家だけの話ではない。

 


組織や会社、個人にもそのまま当てはまる

会社でも、

  • 売上はあるのに、空気が重い組織

  • 数字は厳しいが、前向きな組織

がある。

 

違いは、

「自分たちはどこへ向かっているのか」が
ちゃんと共有されているかどうか。

 

個人も同じで、

  • 実績があっても不安な人

  • 途中段階でも腹が据わっている人

がいる。

 

余裕の正体は、
能力や実績そのものではなく、
信じられる物語を持っているかどうか
なのかもしれない。

 


世界がきな臭くなっている今だからこそ、
「誰が強いか」よりも、
「誰が自分の物語を信じられているか」。

 

そんな視点で世界や組織を見てみると、
少し違った景色が見えてくる気がしている。

 

〜「スモールM&A」の普及から戦略的ポートフォリオ整理の場へ〜

 

 

1. 過去5年間で起きたこと

市場の「民主化」と、その反動

まず、事実から。

 

TRANBIに公開された案件数は、
2021年の1,217件から、2025年には4,233件へ。


5年間で約3.5倍に増加しました。

 

これは単なる案件増ではありません。

 

「会社を買う/売る」という行為が、
一部の資産家や大企業のものから、

  • 個人事業主

  • 副業層

  • 中小企業経営者

にまで完全に広がり、
M&Aが“キャリアと経営の選択肢”として民主化した結果です。

 

一方で、価格の推移を見ると、もう一つ重要な動きがあります。

  • 2021年:中間価格 約1,100万円

  • 2022〜2024年:小規模案件の急増により 700万円台まで下落

  • 2025年:875万円まで回復

つまり、
市場は一度「小さければ何でもいい」という初期衝動を経験し、
2025年に入って、再び“質”を求め始めた

 

ここが非常に重要なポイントです。

 


 

2. 2025年マーケットを読み解く3つのインサイト

① 「戦略的損切り」と「事業再生」が同時に起きている

2025年のデータで最も示唆的なのは、

赤字案件の比率が高い業種と、
投資回収効率(ROI)が高い業種が一致している
ことです。

 

具体的には、

  • カフェ

  • レストラン

  • 居酒屋

といった実店舗系。

 

多くの法人が、
不採算部門を「0円〜格安」で戦略的に切り離し、
それをオペレーション能力のある買い手が
再生(ターンアラウンド)前提で取得する

 

特にこれらの業種は、
初期投資を抑えられれば 2.5〜3年で投資回収可能なケースも多く、
もはや高利回りの金融商品のような側面を持ち始めています。

 


② 「副業M&A」から「法人の事業再編」への回帰

2024年まで顕著だった
個人による出品の増加は、2025年に転換点を迎えました。

  • 2025年の法人による売却比率:約36%

これは偶然ではありません。

 

TRANBIは、
事業承継や小規模M&Aの受け皿という役割を超え、
法人が経営判断として事業を切り出し、
次の成長に向けてポートフォリオを再構築するための
インフラ
として機能し始めています。

 

買い手にとっては、

  • 組織化された仕組み

  • 教育された人材

  • 既存の顧客基盤

を丸ごと引き継げる、
よりプロフェッショナルな案件に出会える確率が高まったとも言えます。

 


③ デジタル資産の高騰と、実店舗の割安放置

ECサイトやSaaSなどのデジタル案件は、
依然として人気の中心です。

 

ただしその結果、

  • 買収価格は高騰

  • 回収期間(マルチプル)は長期化

しています。

 

一方で、

  • 民泊・ゲストハウス

  • 属人性の高い専門サービス

  • 地域密着型の実店舗

は、収益性の割に価格が抑えられたまま

 

2025年に買っている買い手の多くは、
競争の激しいIT系ではなく、

「リアルな拠点」を持つ事業を、
デジタル(SNS集客・DX)で武装する

という
「リアル × デジタルの融合」に軸足を移しています。

 


 

3. 業種別に見る「勝ち筋」

業種 2025年の状況 洞察
IT・EC・SaaS 人気最高潮・割高 完成品ではなく「未完成品」を安く買い、自社リソースで補完
民泊・ホテル 回収効率No.1(約2.6年) 利益よりも「立地」と「許認可」を買う
塾・教育 赤字率高いが回収は早い オンライン化・自習型転換ができる買い手には宝
飲食・バー 完全な買い手市場 固定客を持つ店舗を、法人の拠点・節税目的で取得

 


 

4. 総括:TRANBI市場は次のフェーズへ

2025年のデータを俯瞰すると、
TRANBIのマーケットは
「単なる売買の場」から「事業の組み換えを検討する場」へと
役割を広げつつあります。

 

ここで重要なのは、
「どの買い手が成功しているか」を断定することではありません。

 

むしろ、今回のデータが示しているのは、
これまで当たり前とされてきた
M&Aの前提条件そのものが、静かに書き換わり始めているという事実です。

 


データが示す、いくつかの変化の兆し

  • 人気業種に資金と関心が集中する一方で、
    価格や回収期間の観点では、必ずしも合理的とは言えないケースが増えていること。

  • 個人による出品が市場を広げた後、
    法人が経営判断として事業を切り出す動きが再び目立ち始めていること。

  • 財務上は赤字であっても、
    構造や立地、オペレーション次第で
    再設計の余地を持つ案件が一定数存在していること。

これらはすべて、
「何を買うべきか」ではなく、
「どう読み、どう組み替えるか」

が問われるフェーズに入ったことを示唆しています。

 


M&Aは「結果」ではなく「プロセス」になりつつある

今回のデータセットから見えてくるのは、
M&Aがもはや

一攫千金を狙うための手段ではなく、
経営資源をどう再配置するかを考えるための
プロセスそのもの

として位置づけられ始めている、という変化です。

 

売る側にとっても、
買う側にとっても、
M&Aは「ゴール」ではなく、
次の経営判断へ進むための通過点になりつつあります。

 


この先にある問い

2025年は、その変化が
数字として初めて輪郭を持ち始めた年だったのかもしれません。

 

この先、市場で問われるのは、

  • 規模の大きさではなく、再設計の余地

  • 人気ではなく、構造

  • 黒字か赤字かではなく、次にどう変えられるか

そうした問いに、
自分なりの答えを持てるかどうかです。

 

TRANBIは、
そうした思考を試される場へと、
静かに次のフェーズへ進んでいます。

今日は、子どもの成人式の日。

 

家族にとってひとつの大きな節目の日でした。

 

北九州は風が強くて、正直とても寒かったけれど、
そんな中でも本人は友達に囲まれて、ずっと楽しそうで。
 

その姿を見ているだけで、なんだかこちらの心まで温かくなりました。

 

家族写真も撮れて、
帰ってからは、小さい頃からのアルバムをみんなで眺めました。

 

赤ちゃんだった頃、
訳もわからず泣いていた頃、
少し生意気なことを言い始めた頃。

 

一枚一枚見返すたびに、
「こんなに大きくなったんだな」と、
改めて実感します。

 

あっという間だったような、
でも確かに積み重なってきた時間。

 

何より嬉しかったのは、
今日、親友たちに囲まれて笑っている姿を見られたこと。

 

良い環境の中で、
良い人たちに出会いながら育ってきたんだな、と
親として、少し誇らしい気持ちになりました。

 

最近は勉強にも前向きに取り組んでいるようで、
いつか一緒に、仕事や考え方の話をする日が来るのかもしれません。

 

教えるとか、導くとかではなく、
同じ目線で語り合えるようになる未来を、
なんとなく楽しみにしています。

 

今日はただ、
ここまで大きく育ってくれたことへの感謝と、
これから先を一緒に語れる楽しみを、
静かに噛みしめる一日でした。

 

お祝いの日は、
こういう余韻がいちばんいいですね。