すこしでも外出自粛中の誰かの暇つぶしになれば、と、神話や伝説、歴史や文学をネタにした小話を書いてみています。「デカメロン」の時代から、人間のお話を掘り下げると結局恋とエロスに行きついちゃう、というころに深淵な何かを感じる今日この頃・・
昨日、「天国」と「地獄」ってすごい発明だよねー、というお話にたどり着いたのですが(自分で言っててスケールの大きさに驚くわw)、その発明がされる以前。「黄泉の国」といわれる死後の世界は発明(?)されていました。誰も行ったことのない死後の世界、おそらく地下に広がると思われる死んだ人たちの一大国家です。このイメージも世界に共通しているところも興味深い。土葬からのイメージなんでしょうね。そんな黄泉の国で痴話げんかからの離婚沙汰を繰り広げるのが我らが日本の創造神、イザナギ・イザナミ夫婦です。あっさり死んじゃったり喧嘩したり離婚したり、なんと人間的な神様たちなのでしょうか。今日は気分的に、女神・イザナミのモノローグでお送りします。------------------------------わたし、イザナミ。夫のイザナギと二人で、日本という国を作ってました。最初は私たち二人しかいなかったし、国自体も虚無だったから、島を生んだり、神々を生んだりね。島はもちろん日本の国土になり、子供たちである神々はそれぞれ自然を担当したの。風、とか、山、とか石、とか、そんな感じ。ところが、あるとき、火を担当する神を産んでしまったから大変よ!燃え盛る炎を出産したものだから私ったら、重度の火傷で死んでしまったの。そんなことってある?怒り狂った夫は、生まれた子供を切り殺してしまったらしいけど・・ちょっとそういう、おバカなところがある人なのよね・・ともあれ、女神といえども死んでしまったものは仕方がない。というわけで私は、地下にある黄泉の国、というところで暮らすことになったの。これは結構大変よ。女神のわりに、体はきっちり腐ってくるし、虫も湧くしね。死体になんかなるものじゃないわね。でもまあ、周りは死人だらけだし、みんな同じようなものだからあまり気にしないようにしていたのだけど・・驚いたことに夫・イザナギがわざわざ、迎えに来たというじゃないの!生者は決してくぐれない扉の前で座り込みをしているとかなんとか・・。とても日本を生み出した偉い男のすることとも思えないし、私のほうも夫に愛想をつかして実家に帰った嫁ってわけでもないから、迎えに来られてハイそうですか、って帰れるわけないじゃない?すっかり困り果ててしまったわけ。っていうか虫、湧いてるしね。だからしばらく放置しておいたんだけど、どーしても帰らない、と頑張るわけ。夫も。よっぽど私のこと好きだったのねーとは思うけど、帰りたくても帰れないこっちの身にもなってほしいって言うか本当に空気が読めないって言うか・・これだから男って・・でもそれでも私も女なのよね。情にほだされてつい、帰ろうかな、なんて思っちゃったの。馬鹿ね女って。だから私、夫に向かって言ったの。「わかったわ、あなたと一緒にもう一度、そちらの世界で暮らします。でもこのままでは帰れない事情があるの。だから、準備ができるまでそこで待っていて。決して準備している私の姿を見ないで」って。だってそりゃそうよ、愛する男に醜い姿なんて見せられないじゃない?ましてや、腐って虫が湧いている姿なんて。私は何とか、変わり果てた姿を隠すため、入念にお化粧をしたり、衣装を着換えたりをし始めたわ。女の身支度っていうのは、生きているときだって時間がかかるもの。そして、すっぴんで下着一丁のときって、どんな美女も誰にも見せられない状況になりがちでしょ?ましてやこの時の私は腐乱部分やら蛆虫やらを修正しているのだから、その阿鼻叫喚は女子のみんなならわかってくれるわよね?でも分からない人っているのよ!!!これだから男ってやつは!!!!身支度も佳境に入ったその時、私の耳に聞こえたのは夫の悲鳴だったわ。思わず出てしまった声を慌てて押し殺したような短い悲鳴だったけれど、確かに聞こえたの。そして振り返ったら・・ああ、やっぱり・・夫は決して見ないでね、という私のお願いに背いて、わたしの身支度を覗き見ていたの。しっかり目が合ったわ。そして分かったの。夫は私のこの姿を見てしまった、って。そして・・なんと!あろうことかあの人ったら、脱兎のごとく逃げ出したのよ!!!これには驚いたわ。死後の世界まで迎えに来てくれるほど私を愛してくれた、その夫が。私の姿を見たとたんに、なりふり構わずにげていくなんて!あんなに見ないと約束をしたのに、だからわたしは見ないでといったのに・・こんな醜い姿を見られてしまって、そして逃げて行かれるなんて!!何たる屈辱。何たる裏切り!これはもう反射的に私は追いかけたわ。屈辱に震え、裏切りに震えながら。プライドも美しさもすべてかなぐり捨てて、愛の裏返しの夫への復讐の気持ちとともに。けれど・・散々追いすがったけれど、ついに、あの人には追い付けなかった。生と死を分かつ黄泉比良坂は、私たちの間を永遠に分けてしまった。私は恥と怒りに震えながら、死者の国へと舞い戻ることとなった。一日1000人の人間を殺し、私の地下の王国に連れ去ることを宣言して。夫の戻る生者の国に永久の幸せなどは決してないのだと呪いをかけて。そして私は、死者の国の女王となった。(あとバツイチ)------------------------------------あ、なんか盛り上がっちゃった。のですが、イザナミ側の視点としては大体そんな感じなのではないかと思われます。女にとって、美しさを夫の認めてもらえるのってやっぱり大事ですよね・・って、そこ?そこなの?ともあれ、日本を生み出した創造神であるイザナギ・イザナミ夫妻の離縁のお話がこの結構なズッコケっぷりであるあたり、古事記というのはやはりなかなかのものだなーと思うのです。ほとんど同じ話がギリシア神話にもあるのですが、あっちは(天才とはいえ)しょせん(半分以上)人間夫妻の話だからなー、創造神夫妻とはコトの重さが違います。そしてこのギリシアから日本を股にかけて伝わる「夫が妻を死後の世界に迎えに行ったけど失敗する話」の伝えたいことの意味とは・・?結局のところ「これだから男って」だったりして♥
思いのほか、多くの方が読んでくださっていると思われるこのブログ。せっかくなので、頂いたご意見などを反映しながら書いていきたいと思います。なので、非公開でいただいているメッセージのなかの「ご意見部分」をこちらに転載させていただく場合がございますが、プライバシーにかかわる情報等は後悔しないよう十分に配慮してまいりますので、どうぞご承知のほどを!そしてむしろ文芸サロンで一緒にお話ししているつもりで楽しんでいただけたら幸いです!そう私の夢は今も昔も、中宮定子のサロン(懐かし~!!)♥ 記念すべき連載一回目において、「一神教と多神教」について書いたのですが、それについていただいたTさんのご意見より一部抜粋。なぜ3〜4世紀に宗教が勢力を伸ばしたのかというと、世界的な景気後退だと思います。経済が順調な時は、人々は怪しげな主張に耳を貸さずに現世利益を求めます。しかし、経済的に困窮してくると、すがるものを求めて、宗教を頼ろうとします。(一部省略)死後に天国が待ってると考えないと、日々があまりにツラいことばっかりだったんだと思います。なにせ昔は、戦争と疫病と飢饉が日常茶飯事だったんですから。おっしゃる通りだと思います~宗教というものには、おおざっぱに言って二種類ある。「救ってくれる神様」と「救ってくれない神様」と言い換えてもいいし、「天国と地獄が明らかな宗教」と「そこがあいまいな宗教」ということもできるかと。そもそも原始のころ、人間にとって「神」とは「自然」に他ならなかったはずです。天候や天災、季節の移り変わり、波の満ち引き、月の満ち欠け。すべて、現代科学をもってしても人間の力ではどうしたってどうすることもできない、ただただ祈ってはみるものの翻弄されるしかなかった「自然」というものは、古代神話の気まぐれな神々そのものです。人間のことを積極的に助けてくれたり救ってくれたりもしないし、正しい行いが報われるわけでもないし、人間の意図や都合なんかすべてを無視して、規則正しいものはやたら正しく(月とか季節とか)、規則正しくないものはどこまでも気まぐれに(地震や雷、嵐その他)、そして人間はそのなかで細々とやっていかなければならなかった。その理由なんて昔の人間たちにわかるわけもなく、それこそ、不条理な神々の不条理な摂理として受け入れ、なんとか生き、そして死んでいったはずです。今でも、そういう「自然の力による人間にはどうしようもできない事象」のことを世界的に(英語内においてもフランス語を使って)「Force Majeure」といいますが、これはそのまま翻訳すれば「より大きな力」、つまり人間よりも強大な力を持つものの存在を意図した言葉で、「神々のきまぐれ」と翻訳したくなるような詩的な表現だと思っています(勝手に)。だからそういう「人間のことなんか救ってくれない神々」に対してある意味無駄な祈りを捧げ、呪術的な意味合いを含めて気休めとか思い込み程度に効果があったね、的な宗教というのは、どうしても廃れていってしまう。それが廃れていっていない日本ってこれまたすごい国(神風も吹いちゃうよ)!という話なのですが、世界的にはなかなかそうはいかない。人間社会が曲がりなりにも成立し、とにもかくにも「経済」というものが発展し、規模の大きな国が発展し、当然のごとく戦争が勃発し、貧富の差が広がり・・となってくると、不幸の原因が「天災」ではなく「人災」と言える世界観にシフトしていくんですよね。ああ人間ってほんと業が深いわ・・。自然が相手なら諦められたところも、人間相手だと諦め、つかないもんね・・そこで登場してくるのが一神教(例外的に多神教である仏教も含まれる)の、「救ってくれる神」だったんでしょうね。これらの宗教にはもれなくセットで、「天国」と「地獄」の概念がある。これは効き目抜群、天罰覿面。たとえ自分がこの世でどんなに不幸でも!たとえほかの誰かがこの世で不公平に幸せであっても!たとえこの世でだれも助けてくれなくても!!正しい行いさえしていれば天国で幸せになれる( ー`дー´)キリッ正しくない行いをした悪い奴らはまとめて地獄で不幸になる( ー`дー´)キリッすべての帳尻はあの世であうからだいじょうV!!!と、書いてしまうと身も蓋もないですが要するにそういうことですよね?「天国と地獄」という概念は、人間社会のありかたをガラリとかえる天才的な発明であったことは間違いありません。でもその昔の自然派宗教(?)においては「天国と地獄」という二つの世界はありませんでした。日本の神話においてもあったのは「黄泉(よみ)の国」一択。からの~嗚呼・・イザナギイザナミのオモシロ黄泉の国話までたどり着けなかった。というわけでまた明日♥※私は人間の歴史の中に生まれた宗教というものを敬愛しているし、その宗教があったからこそ生まれた文化、価値観、芸術を偏愛しています。宗教が介在しない芸術よりも、宗教芸術のほうが数段美しく、趣深いと思ってる。だから、決して宗教を貶めるつもりも、信仰心のある方を否定するつもりもありません。不快な表現や、お気に障る内容もあるかもしれませんが、どうぞお許しくださいませ。これは救ってくれないほうの神々。
さてさて、前回、卑弥呼で盛り上がったからには言わずにはいられません。原始、女性は太陽だった!!!私は別にフェミニストではないですし、その辺の話になるとまたややこしいので現代社会学的話はいったん置いておきますが、歴史の始まりのころ、男女の力関係は現代とはだいぶ違ったようです。何しろ、日本で最初に「王」として認識されているのが卑弥呼。神道における主神の立場にいるのは一般的には女神とされているアマテラスオオミカミ。もう誰がどう見ても、女性のほうが強いですよね。女性が上位の世界。これはおそらく、世界的にある傾向で、まさに「原始のころ、女性は男性よりも力を持っていた」のだと思うのです。それはつまり、一義的には女性だけが「子供を産む」という力を持っていたところに拠るものでしょうし、もうちょっと社会が進むと、「母系社会」というものが形成されることは想像がつきますもんね~つまるところ、女性が産んだ子供は、確実に、その母親の子供。お腹の中から出てくるんだから間違いようがありません。でも、父親に関しては・・。子供の父親がだれかわからない(そしてそれが特に問題ではない)時代というのも、長くあったことでしょう。であれば、家族や血統というのは当然のごとく母系側でつながっていくものであるのが自然だし、日本においては平安貴族にまでその伝統が残っています。それがなぜ、男系社会になってしまったのか・・そして日本はなぜこんなに男尊女卑がはびこっているのか・・考えると人間の心の闇が広がっていそうですよねー(特に男性側の)つまるところ、当初は女性上位、母系社会としてやってきた世界があるとき(理由はいったん置いといて)、男性に権力を奪われ、女性の立場が弱くなり、男系社会へと変貌を遂げ、結果男尊女卑の世界観が出来上がる、というのは、世界の様々な文明が辿っとってきた道のりなのではないか、と想像できます。たとえば、ギリシア神話。大地母神たるガイアがすべてに先んじてこの世に生まれ、単身でその他の神々を生み出しています。この時点では、天の神であり男神であるウラノスさえガイアの息子。(はじめに女ありき)ところが、絶対だれが見ても一番偉いはずのガイアが、この息子であるところのウラノスと結婚。だからなのかなんなのか、ウラノスが神々の王という立場に。(この辺からいきなり雲行きが怪しい)そしてこのウラノスが分かりやすいDV夫となり(だいぶ雨模様)、ガイアはその復讐を末っ子である男神クロノス(あるいサトゥルヌス)に託し、クロノスはウラノスの男根を切り取って成敗。(もうなんかいろいろ寓意が混ざっててすでに混乱を極めてる)そのウラノスが二代目の神々の王となるも、これまたその末っ子であるゼウスに負ける。(モデルとなる出来事があったとしてもあまりにもカオス)そしていつの間にかオリンポスの神々の主神は男神であるゼウスに。(ガイア、どこ行った)女神からすべてが始まった割にあっという間に男たちの三代にわたる権力争いにかき消され、気づいてみたら王座は永遠に男のもの、ってどういうこと・・?納得は行きませんが、まあ想像はつく。当初は女系社会で女性中心にまとまっていたものが、一人の男性を「王」として権力を渡してしまったとたんに男同士の権力争いが勃発し、跡目争いでもめにもめた挙句やっと落ち着いたときにはすっかり男系社会、ということなのでしょう。女どうしの争いは怖いといいますが、私にはやっぱり男同士の権力欲というものが強すぎて、人間社会を規定してしまっているようにしか思えません。ほんと、これだから男って!!※すべての男性がそうだと言っているわけではありません。ただ、日本の神話に立ち返ると、ちょっと気になることが・・アマテラスオオミカミは女神で、主神なんですけど実は、それより(ここでは簡単な言い方をしておきますが)明らかに偉い神様がいるんですよね。そう、みんな知ってる、イザナギ、イザナミ。細かいところはまた別の機会にお話しするとして、この二人は日本をつくったいわゆる「創造神」であり、男神と女神の兄妹であり夫婦神。アマテラスは二人の娘、ということになります(ちょっといろいろありますが)。この二人の子作りのいきさつ(?)がちょっとアレで・・。ものすごく端折って書くと、二人が子供を作った際、女神であるイザナミのほうから誘ってしまった結果、「よくない子」ができてしまった、というんですよね。で、女性のほうから誘うのはよくない事だから、今度は男性から誘うね、ってなって、男神であるイザナギから誘ったらちゃんとした子供が生まれる、っていう・・これ結構神話の最初のころから男尊女卑感覚あるわ~、と、衝撃を受けました。「男神と女神が兄妹で夫婦であり創造神」的な話は世界中の神話に共通するところですし、現代の理解からするとものすごいオモシロな逸話があるのもよくあることなのですが、こんな一番最初の段階で「女性から誘ったらアウト!」みたいな話が出てくる神話は、少なくとも私は知りません。まあこれを男尊女卑と取るか、男性こそがリーダーシップを発揮すべきであるという警句として取るかは解釈によるしね・・でもさーこれ「古事記」に出てくる話で、その古事記ってよりにもよって数少ない女性天皇である元明天皇の時代に編纂されてるんですよね!これまた、いろいろ妄想の膨らむところですが、続きはまた明日。
いや~何とか一週間続きました、毎日連載。数年間も放置していたブログにひっそりと書き始めたのでどうなることか、と思いましたが、あたたかいメッセージを頂いた方々に励まされながら何とか一週間。一日五分で読める程度の、長大になりすぎない文章にしようと心がけて書いてはいるのですが、もちろん書くのは五分というわけにもいかないので、それなりに時間はかかっています、が、書いていてとっても楽しい♥お金になるわけではない駄文ではありますが、極力自己満足にならないように、一応、プロの物書きとして書いてるという自覚をもってやってみよう!と決めてやらせていただいております。今後も毎日やっていけるかどうかはちょっとわかりませんが、いつまで時間があるかもわからないので(ずっとあるかも・・)いけるところまでいってみようかと!ところでこれをやってみようと決めた理由の一つは、イタリア文学不朽の名作「デカメロン」のことを思い出したから、でもあります。こう見えて、イタリアの名門、ローマ大学ラ・サピエンツァでイタリア人学生とともに文学を学んでいた(!)私としては、「デカメロン」の試験では泣かされた思い出もありますが・・この「デカメロン」、まさに今にピッタリの文学作品なのです。時は14世紀。中世という暗黒の時代のヨーロッパは、これまた暗黒の病としか思えないペストの流行に苦しんでいました。イタリアのフィレンツェ郊外には、この疫病から逃れ、自主隔離をしている男女が10人。今と違ってテレビもSNSもなーんにもない中、暇つぶしとして「お互いに面白い話を披露しようではないか!」と思い至った10人が、1日ひとつずつテーマに沿ったお話をしていきます。1日10話、10日で100話。この100話をまとめた、という体裁になっているのが「デカメロン」という小説なのです。語られるお話のほとんどは、かなりおバカでエロい小話。一つのお話が終わると、聞き手のひとたちがあーだこーだと感想を言い終わるところまでが1話となっています。周りでは黒死病といわれる恐ろしい疫病でばったばったと人が亡くなっているのに、この人たちはなんでこんなにおバカな話をして楽しそうにしているんだろう・・と思えなくもないのですが、そんな切羽詰まった状況だからこそ、物語の力、エンターテイメントの重要さ、人間の生きる意味と楽しみ、みたいなものが詰まっている、ともいえると思うんです。もちろん、これはフィクションで、作者であるボッカチオが一人で十役をこなしている「小説」ではありますが、きっと実際の世界でもそんなことがあったはず。物語を語ることが誰かを楽しませ、慰め、その時間を共有することって、極限状態にあっても生きる楽しさを味わえるし、結局最後はだれもが死ぬことが決まっている、この限られた時間を有効に使うための方法だったし、そしていまこの状況においても、それは変わらないのではないかな、と。そしてペストは結局、人口の三分の一を失わせるほどの大打撃を与えました。そしてこの大打撃による変化や人々の「気づき」が、ヨーロッパを、暗黒の時代である中世から近世、特にイタリアに関していえば麗しきルネサンスへと導く引き金になった、とも言われています。現段階では今回もイタリアは大変なことになっていますし、疫病後のこの世界がどうなるのか、その未来も評価もまだまだわかりませんが・・きっと、素敵なものであると信じて、とりあえず私は、誰かが喜んでくれるように願いながら文章を書いていきたいと思います!フィレンツェの夕暮れ。イタリアのみんなの無事を心から祈っています!
卑弥呼とは、言わずと知れた、古代日本史に君臨する邪馬台国の女王。ビジュアル化された場合には神秘的な美女として描かれることも多いので、日本史登場人物女性編をやったらかなり上位にランクインしますよね、たぶん。ただ、有名な割に、実際のところは何も知られていない女王・卑弥呼。その卑弥呼があの三国志に登場する、と聞くと、ちょっと驚かれる方も多いのではないでしょうか。あ、ゲームの無双OROCHIの話ではありません。れっきとした、陳寿が記した、あの歴史書である「三国志」にです。そうなってくると妄想が広がりますよね~、実は卑弥呼が呪術や魔術を使って曹操を助けたり、孫策と戦ったり、馬超と恋に落ちたりしていたら・・(あっ妄想が広がりすぎてる!)まあ残念ながらそこまでロマンチックではないんですが。義務教育レベルの歴史の知識として、「魏志倭人伝」なる中国の書物にその存在が記されている、というのは皆さんご存じかもしれませんが、この魏志倭人伝の「魏」は、あの「魏」です。曹操の、典韋の、夏侯惇の、徐庶の、あの「魏」です。ていうかそもそも、「魏志倭人伝」という記録そのものが「三国志」の一部なんです!そして、卑弥呼および邪馬台国は「親魏倭王」という金印を当時の中国の皇帝から授けられて、宗主国的立場である中国から「日本の王」として認められた、ということになっていますが、このさりげなく出てくる「中国の皇帝」っていうのが曹叡。あの曹操の孫の曹叡!!バレバレの通り三国志LOVERな私やその同志たちには一気に、歴史とロマンが近づく瞬間ではないでしょうか!!!とはいえ、喜んでばかりはいられないことも。「卑弥呼」ってなんで「卑しい」の「卑」なの、とか邪馬台国が「邪」で始まってるのってどういうこと?という問題。その時期はまだ、日本国内では「字」というものが使用されていないので、これは中国(魏)側が当て字として使ったもので間違いありません。「よろしく」を「夜露死苦」、「チョコレート」を「猪口冷糖」、ローマを「羅馬」などなど、当て字というものにはいつでも作成者の意図と思い入れとセンスが反映されるものですが、「ひみこ」に「卑弥呼」。「やまたいこく」に「邪馬台国」。いや間違いなく悪意あるでしょこれ!それもそのはず、魏志倭人伝というものは三国志の中の「東夷伝」という書物の一部なのですが、この「夷」という文字はそもそも「野蛮人」「蛮族」を表す言葉です。征夷大将軍の「夷」でもあり、つまり、この魏志倭人伝という歴史の記述そのものが、東のほうに住んでいる蛮族の動向について記したものなんですよね。基本的に中華思想のある漢民族からすると、周りの異民族はたいてい蛮族ということになり、この優越感と上から目線が、ほかの国の名前やその女王に「卑」とか「邪」とか、ひどい名前を付けて当然、というメンタリティになるわけです。日本も卑弥呼も、舐められてる!!!でもまあ状況を考えれば、三国志の時代、というかそれよりもっとはるかに昔から、中国ではすでにあの広大な領土を認識し、万里の長城なんてものを作り、国を奪い合い、驚くような距離を移動してはちょっとどうかしてるとしかおもえないクレイジーな戦争を繰り広げ、それでも文化は発展し、いったい何文字あるのかわからない世界で最も洗練された象形文字を優雅に使いこなすほどに、文学も歴史も戦争の技術も同時に進歩させてきた当時の先進国。三国志の英雄たちが詩を吟じ、舞を踊りつつ中国全土を股にかけての一大スペクタクルを繰り広げているその時代、邪馬台国はまだ文字も持たず、いまもってどこにあったかもわからない程度の小国で細々とやってる弱小国。まあしかたない・・けどそのあとの巻き返しにご期待!というところでしょうか。でもねー文字に残っちゃってるから仕方がないしなんとなくミステリアスな響きだからいいといえばいいけど、この当て字は、変えてあげてもいいと思う。私の思い入れとセンスでやらせてもらうなら、「日魅子」と「弥真泰国」かな(笑)実際のところは、おそらく「ひみこ」は「日御子」あるいは「日巫女」とか「姫巫女」、「やまたいこく」は「大和国」だったんじゃないかな、というファイナルアンサーに近い答えもありますが。もちろんこの卑弥呼、本人が魏に出向いているわけではないので(ていうかそもそも弟にしか姿を見せないという記述があるから弟の妄想とかでっちあげである可能性すら・・)女性であったかどうかもよくわかりません。でもここまで来ていきなり男性でした、って言われてもすっごい盛りさがるから、これからも卑弥呼は謎の女王、ということで君臨していってほしいと心から思ってます。(でも、記録に残っている段階では美しく若い女王ではなく、相当なおばあさんらしいですけど)麗しの大和の国は、邪馬台国のあった場所ではないかもしれないけれど・・
さて前回の続き。前回はこちら→ゲスな王子と桜の女神をご覧ください。こうして、ブスな姉姫を追い返して美しい妹姫とだけ結婚する、というわかりやすくゲスな決断をしたニニギノミコト。そのせいで「短命になる」というちょっと取り返しのつかない運命を背負ってしまうことになりますが、それはそれ(か?)。めでたく(?)妹姫であるコノハナサクヤヒメとの結婚が執り行われ、二人は一夜を共にします。そして・・・なんとなんと、そのたった一晩で、コノハナサクヤヒメには子供ができてしまうのです!これには天界のプリンス・ニニギノミコトもびっくり。そんな、新婚初夜の一晩だけでいきなりご懐妊とは・・と戸惑ったばかりか、ここでも空気を読まない天真爛漫な蛮勇が炸裂します。「いくら天界のプリンスである私であっても、一晩で妻を妊娠などさせられるわけがない! さては、俺の前にすでに男がいて、子供はその男の子供だな!!」と言い始めたのです。もうなにそれこわい状態!!そんな新婚の夫いる??こんなサイコパス即離婚したほうがいいよ!そもそも一夜を共にしたのが間違いだよ、コノハナサクヤヒメ!と、全力で結婚を阻止したくなるのが現代人の感性というものですが・・ちょっと話が前後しますが、このお話しには、「天界の神々(天つ神)」と「地上の神々(国つ神)」の二つの系統の神様が出てきています。ニニギノミコトは、天界の神様。天界から地上に降臨しています。そもそも人間が出てこないこのお話しの文脈したら、より高い文明のくにからやってきた「外国人」みたいなもの。オオヤマツミノミコト、イワナガヒメ、コノハナサクヤヒメはもともと地上にいた神々。人間が出てこないこのお話しの文脈からすると、「原住民」。なので、同じ神様とはいえ、ちょっと立場が違うんですよね。そのあたりを勘案しながら、お話のオチまでを以下、現代人に分かりやすい文脈でお届けいたします。-----------------------------------------------------とある未開の国が、先進国の植民地となっていた時代。この植民地を統治するため、先進国の王子様が、遠い道のりを越えて現地にやってきました。その王子さまは、原住民の王の娘である美しい姫に一目ぼれ。どうしても結婚したいと騒ぎだします。原住民の王は、美しい姫と、もうひとりの美しくない姉の二人を王子さまに差し出し、二人ともを妃にするように申し入れました。けれど原住民の感情を傷つけるなど屁とも思っていない傲慢な王子さまは、「は?支配国の王子である私が、原住民の姫と言えど、なぜブスを娶らねばならぬのだ!原住民の王の思うことなどどうでもいい、さっさとこのブスを送り返せ!」美しくない姉をさっさと送り返し、美しい妹とだけ結婚します。そして妻となった美しい姫は、一晩で懐妊しました。(普通ならめでたい)しかし、原住民に対して思いやりや尊敬の念などなく、常に上から目線の王子さまは騒ぎ立てます。「は?いくら支配国の王子であるこの私でも、一晩で妻を妊娠させることなどできるはずもない。この蛮族の娘め、さては俺の前にも男がいたな?腹の子が、俺の子供であるわけがない!」これには美しい姫もキレました。そもそも王である父や姉姫のメンツを丸つぶれにされているうえ、こんどは自分自身の貞節を、そして同国人の男性たちのことさえ侮辱されているのです。「上等ですわ!そこまでおっしゃるなら、わたくし、密室に閉じこもってガッチガチにカギをかけ、そしてその小屋に火を放ちます。引田天功もびっくりの密室脱出マジック状態で出産してごらんにいれます!もしもお腹の子供があなたの子供でなかったら、きっと私も子供も焼け死ぬでしょう。けれどあなたの子供だったなら、マジック成功、大喝采で子供とともに脱出して見せますのでお楽しみにっ!!!」姫は、いまいちよくわからない啖呵を切りました。マジックの成功と子供の父親の因果関係が謎ですが、ようするに、「命を懸けて身の証をたて、そして命が助かった場合はそれを真実と認める」というやつですね。ある種の根性焼きというか(違う)。そしてその言葉通り、燃え盛る密室の中で出産に及ぶ姫。結果は・・・もちろん、マジック大成功! 一人どころか三人も出産に成功し、大喝采の燃える小屋から脱出してきたのです。(あっなんか急にデジャヴが・・こんなシーン、ゲーム・オブ・スローンズで見たな・・)これには、傲慢な王子も降参するしかありません。王子は子供たちを自分の子供と認め、その後は原住民の姫と幸せに暮らしました。三人の子供はすくすくと育ち、その子供の子孫たちはこの未開の国を統べる「天皇」となったのです。ただし、その始祖たる王子が「見た目は美しくないけれど岩のように長く続く命」をつかさどるブスな姫を拒絶してしまったので、この一族はタダの人間のように、寿命という限りある命を持つことになってしまったのでした・・・------------------------------------------と、いうわけで、アマテラスオオミカミの子孫であるはずの歴代の皇室の皆様がタダビトのような短い寿命しか持たない理由がここで判明するというオチ!!まあそうですよね、神様の子孫です、って名乗る以上、「え、じゃあなんで普通の人間みたく死ぬの?」っていう質問には答えを作っておく必要あるよね。そういう意味では、よくできたお話しだと思います。このコノハナサクヤヒメの出産現場となったのが富士山。火山である富士山の火口の中で一大脱出マジック的命がけの出産を行った、というイメージが導き出されます。火の海の中で生まれただけあって、子供達にはみんな名前に「火」がつくことからも、富士山の噴火とコノハナサクヤヒメの出産も同一イメージの中のことなのかもしれないですね。ところで、忘れちゃいけないのがかわいそうなイワナガヒメ。富士山を神格化して、それを祀る神社は「浅間神社」という名前で全国にありますが、この浅間神社には主な神様として「コノハナサクヤヒメ」と「イワナガヒメ」が並んで祀られています。お参りするときにはぜひ、姉妹両方に!そしてどこの国の神話でも、女神様というのはたいてい嫉妬深く、プライドも高い方々なので、基本的には人間の女ごときがつけあがるのが大嫌いです。富士山は女神の化身でもあるので、特に女性の皆様は近づく際に、謙虚な心と神様を敬う心を忘れずに、慎ましくね。と、いうのが、富士山に向かう外国人の皆様にとっても受ける物語。行きがかり上、天孫であるニニギノミコトをゲス扱いしてしまっていますが、これはあくまでお話としてなので!実際は私、そんな自由な神様とそのご子孫たちを心から敬っておりますから~
コノハナサクヤという名前が美しい上に外見的にも絶世の美女といわれる日本の女神、コノハナサクヤヒメ。私が外国人のお客様を富士山にお連れするときには、結構長めのドライブがセットなので、道中このお話をするとすごくウケます。以前「一神教と多神教」でも書いた通り、日本に残る古来の多神教はキリスト教圏の方が多い私のお客様の間ではなかなか理解しがたいような、でもどの国にももちろんほんのりと多神教の名残(ギリシア・ローマ神話とか)があるので、うち(日本)ではまだこの神話、現役でやらせてもらってるんでっ(どやっ)!と自慢できる瞬間でもあります。いやほんと、現役神様の子孫を象徴に頂く国ですからね、日本。というわけで今日は、コノハナサクヤヒメのお話を。大方の方が名前だけで思いつく通り、コノハナサクヤヒメとは、桜の女神です。そしてちょっと意外なことに富士山の女神様。確かにその美しさはどちらかといえば女性的・・?なのか・・?とは思うのですが、古代の人がこの優美さを女神としてとらえたことは間違いないようです。何はともあれ桜の女神であるコノハナサクヤヒメには、お姉さんがいました。その名もイワナガヒメ。石長姫。石長と木花咲耶。もう字面だけでオチが想像できそうな名前の対比ではあります。名は体を表すという古代の神々はとてもわかりやすく、姉のイワナガヒメはよく言えばたくましく雄々しい質実剛健・・というかありていに言って不美人。妹のコノハナサクヤヒメは儚くも豪華で美しい、壮麗な美女。ま、そうなりますよね。この美しいコノハナサクヤヒメに一目ぼれをしてしまったのが、だれあろう、日本で一番偉いアマテラスオオミカミの孫であり、日本を治めるために天界からやってきたニニギのミコトです。天界から降りてきた、超セレブな血統のサラブレッド・ニニギノミコトと、日本(というか地上界)で最も美しいと思われる桜の女神の恋。これはもう、だれがどう見てもお似合い、こうでなくっちゃ、という組み合わせで、その結婚にはもちろんコノハナサクヤヒメの父神オオヤマツミノミコトも大賛成。だったのですが、お父さんにはお父さんの気持ちというものがあります。「妹を娶るなら、姉のほうも一緒に娶ってやってくださいませ」と、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの姉妹をセットで嫁がせようとしたのです。姉妹で同じ男性で嫁入り、というのは、今の文脈で考えるとアレですけど当時は神代のこと。お父さんとしては、最大限の幸せを祈って、大切な娘を二人とも差し上げる、と申し出たわけです。とーこーろーがー、セレブお坊ちゃまニニギノミコトのゲス伝説はここから始まります。なんと、せっかくの義父のお願いを無碍なく断り、「美人のほうだけいただきます」とばかりにイワナガヒメを実家に送り返したのです!そんな空気の読めないことってある? さすが神様というべきか、日本人の文化としてあり得ないこの蛮勇ともいえる決断。ま、、こんなことする男に嫁いでもいいことなさそうだから、これはこれで結果オーライのような気もしますが・・ともあれ、姉娘に恥をかかされたお父さん、オオヤマツミはもちろん激おこです。そして、この不肖の義理の息子に言い渡しました。「ニニギ殿。私が二人の娘を差し上げようと思ったのには、深慮あってのこと。イワナガヒメは、その名の通り、岩のように長久な命をつかさどる女神でもある。そして、コノハナサクヤは花のように華麗なる繁栄を。つまり、姉妹二人を娶ることによって、貴方は咲き誇る栄華と、長久に続く命の両方を手に入れることができたのだ。それを自ら断り、イワナガヒメだけを送り返してきたからには、それに伴う運命を受け入れてもらうしかない。コノハナサクヤのつかさどる繁栄は約束されよう。しかしその命は長く続かず、短命なものとなるだろう」まあ、そうなりますよね。女は外見だ、というのは、まあ・・ある意味真実でもありますが、そればっかり重視している男は不幸な目に合う、というのは現代でも変わりませんけども。えーと、古代神話の神々というのはどこの神話でも、かなり間抜けというか・・人間臭いというか・・ゲスというか・・おバカというか・・エロいというか・・なんというか、一神教の神様および天界チームの方々(天使とか救世主とか)がみんなものすごく品行方正で融通の利かない「正義」を絵にかいたような存在であるのに比べて、多神教の神様ってこういう感じなんですよね~平気で間違うし、だれがどう考えても「それやっちゃアウト!」ということを、平気でやる。道徳的にも倫理的にも理論的にもそれまずいでしょ、ってことを。だからこそ神話というのは面白いのですが。そんなわけで、美男美女の超セレブカップルなニニギとコノハナサクヤですが、その短命が運命として決まってしまいます。しかも。しかもです。この後のニニギの行動が、これまたシビれるゲスっぷりなのですが、ちょっと長くなりそうなのでこのお話しはまた明日。誰かが楽しんでくれていると信じて、いまのところ頑張って毎日書いているので、読んでいただけるととてもうれしいです。ありがとうございます!
ソメイヨシノが終わった後も、桜は私たちの目を楽しませてくれます。その代表格が、八重桜ではないでしょうか。八重桜は一重の桜と違って、花びらをはらはらと散らさないので、ゴージャスな安定感がありますよね。ソメイヨシノなどの一重桜を「可憐なのに豪奢」とするなら、八重桜は「豪華絢爛」の趣。私はその中でも、薄黄色(もしくは金色)の花をつける鬱金桜(うこんのさくら)を激愛しています。先日もお話ししたように、桜というのは品種改良しやすい種ということで、様々な植木屋さんが意欲的に品種改良した末、たくさんの美しい花が産まれています。これは、いにしえのころから変わらない傾向のようで、平安時代にもばっちり、八重桜はありました。ただ、どうやら八重桜も、昔々は不動の桜の名所グランプリ、吉野(あるいは奈良)で咲き誇っていたようです。京都に都があった平安時代、珍しくも絢爛豪華な八重桜が宮中に献上されたら・・桜にアツすぎる平安貴族たちは、さぞかし大興奮だったことでしょう。そしてそんな舞台で、ややトラウマになりそうな事件(?)が繰り広げられたことはご存じでしょうか。折しも、平安貴族のなかでも最も栄華を極めていた藤原道長が君臨する宮廷に、奈良から八重桜が届いたときのこと。なにごともとにかく儀式やら祭りやらが何より大事、イベントごとに命を懸ける平安貴族のすることですから、もちろん、「八重桜到着記念パーティー」が行われます。藤原道長という圧倒的権力者が開くパーティーは、さぞかし盛大で、しかも宮中行事ってものすごくめんどくさい決まり事がやまのようにあるので、準備する人たちは胃が痛かったことでしょう。そしてその八重桜を受け取る晴れの役目に抜擢されたのは、当時から源氏物語が大人気で、押しも押されもせぬベストセラー作家、宮中一の才女の誉れ高き紫式部。キング・道長のたっての願いで、道長の娘であり帝の妃、彰子の家庭教師として後宮で女房(女官)として仕えていたのです。同僚である女房達の間でスーパースターである紫式部が八重桜を頂くのであればだれが見ても文句なし、憧れと称賛をもって見つめたことでしょう。ところが・・事実だけ書くと、紫式部はこの大役を辞退。女官として新入りの、伊勢大輔という若手に譲った、というのです。正確なところはわかりませんが、どうやら15歳くらい年下の女の子だった模様。伊勢大輔ちゃんは、その名前からもわかるとおり、伊勢神宮の神職の家系であり、歌人としても名高い一族の娘さんなので、その年のルーキーとしては一番の注目株だったのでしょう。突然の抜擢に戸惑いつつも、なんとか八重桜を受け取った伊勢大輔ちゃんでしたが、そこでキング・道長からの無茶ぶり。なんと、その八重桜を題材にして即興で一首、詠めというのです!! いるよねこういう、無邪気な迷惑を振ってくる偉い人!!平安貴族の世界というのは、評判一つで何もかもが決まってしまう恐ろしいところです。ここで失敗したら、どんなズッコケたあだ名をつけられ、この先の長い女官生活がみじめなものになってしまうことか・・こっちがドキドキするわ!固唾をのんで見守るギャラリーの前でうら若き伊勢大輔ちゃんが詠んだのはいにしえの 奈良の都の 八重桜けふ九重に 匂いぬるかな(昔、都があった奈良。その奈良からやってきた八重桜が、いま都がある京都、九重(宮中の別称)で美しく咲き誇っております。)そう!百人一首にも採られている、有名な八重桜の歌です。この素晴らしい歌を即興で詠みあげたということで、伊勢大輔ちゃんのデビュー戦は華々しい勝利となり、その後も華やかな女の一生を満喫したのでした、という素敵なお話し。なーのーでーすーがー。わたしこれ、すごい怖いマウンティングというかパワハラ事件だと思う・・女房(女官)界って、帝の妃に仕える女たちがひしめき合っているところです。この女たち、女官とはいうものの、あたりまえですが全員、貴族の娘です。家に帰れば「お姫様」です。数多くのお姫様が、実家を離れて宮中という「職場」で、一緒に暮らしながら、だれが一番お妃さまに気に入られるか、とか、だれが一番賢いか、美しいか、とかでしのぎを削ってるんだから・・そんなの怖いところに決まってるじゃん!そんななかで、ベテランでありスーパースターであり文字通りお局様である紫式部が、間にいる15年分くらいの後輩を差し置いて、新入りに大役を譲るって・・いったいどんないじめなんでしょうか。しかも、そこにキングが無茶ぶりして即興でネタ披露を迫るって・・どんなパワハラなんでしょうか!!!新入りに期待するにしても、もうちょっとほかにやり方があるでしょう!!!伊勢大輔の成功話として話が出来すぎているところがあるので、もしかしたらすべてが仕込みで、若い有望株のデビューのため紫式部&道長の権力者コンビがおぜん立てしてあげてたのかもしれないけど、それはそれでどんだけ伊勢大輔って根回しがうまいの?という話になって怖い。だって道長と紫式部ですよ?今で言ったら安倍総理大臣と蓮舫さんが・・・いやYOSHIKIとMISHA・・う・・・うーん・・いやなんか違う気がする。なんかもっと壮麗で優雅な感じの人選なんですよ現代人ではたとえられない、これ!ともあれ、ものすごいビッグ2に引いてもらえる伊勢大輔って何者?という話になる。真実は想像するしかないですが、晴れがましいイベントの中のドキドキエピソードをおもうと、八重桜は一層美しく、この一首もいっそうエキサイティングに思えてくるというものです。東京の八重桜は、鬱金の桜を別にすれば、赤坂のニューオータニ前の並木道がお気に入りなのですが、今年はいけないかな。しょぼん。
桜前線という言葉にも象徴される通り、日本人にとって桜の開花は春の一大イベントです。ちょうど年度末からの新学期や新年度が始まる時期に重なること、そして花の咲き方、散り方のはかなくも豪奢なことによって人生の節目節目を彩ってくれるという意味で、日本人の感受性や情緒にすごく大きな影響を与えている桜。ですが!ほとんどの方がイメージする「桜」は、ソメイヨシノですよね。そして、絶世の美女・小野小町が「花の色は~」と詠ったのも、流浪の天才歌人・西行法師が花のもとに眠ったのも、派手好きコンプレックス・豊臣秀吉が醍醐の花見で愛でたのも、暴れん坊将軍・徳川吉宗が江戸に多くの花見の名所を作った時に植えたのも、みんなソメイヨシノだとイメージしてしまいがちですが。でもちがうんだな~これちょっと身もふたもないんですけど、これらの人々が見ていた桜の花は、今の私たちが見ている桜とは、違う桜だったのです。と、いうのは・・ソメイヨシノが品種改良により登場し、日本に定着したのは明治になってからだからです!!それまでには存在しなかったんだって!!残念!!そもそも桜というのは品種間の交配が起きやすい植物ということで、放っておいても数多の亜種が生まれてしまうようで、日本史を彩る重要な花として登場し続けている割には、時代や場所によってちょっとずつ違う桜の話をしている可能性が高いと思われます。いやもちろん全部「桜」なんですけどね。そんな群雄割拠の桜界のなかでもはや完全に覇権を握ったといえるソメイヨシノですが、その名前の由来は染井吉野。「染井」のほうはちょっと異説が色々ありそうなのでいったん置いといて、間違いないのは「吉野」。私のペンネームの苗字にもなってる「吉野」!!奈良の都からだって結構遠い、京都からだとものすごく遠い、江戸から見たらもはや地の果て、現代人が東京から行こうとしてもかなりの苦労を強いられるアクセスの悪さが特徴の吉野。それなのにやたらと貴族階級に愛される吉野。吉野の歴史はそれ自体が興味深すぎて、いつかまた語れることがあればと思いますが、何はともあれこのアクセス最悪、だがそれがいい、という感じの吉野山はいまも、ものすごい量の桜が山肌を彩り、一目千本といわれるおそらく日本最強の桜の名所として君臨しています。そして現代を代表する桜が「染井吉野」であることも考え合わせると、おそらく、ソメイヨシノ登場前の日本人にとっての「一般的な桜」のイメージは、吉野山を彩るシロヤマザクラだったのではないでしょうか。実際、江戸庶民のために徳川吉宗は、吉野山の桜を多く植樹しています(あ、でもこれ、吉宗は出身が紀州藩のひとなので、吉野とは地理的・精神的距離が近かったから、というのもあるかもしれないですね・・でも生粋の江戸っ子・徳川家光も吉野の桜を植樹してるから、やっぱり吉野の桜というのが重要だったのでしょう)。私自身、吉野の花見というのは人生で一度しか経験したことがなく、(いや実は今年こそ二度目の吉野の花見をするつもりだったのにこの緊急事態で自粛をせざるを得なくなって本当に地団太を踏んでいるわけですが)、そんな吉野の桜、シロヤマザクラは、山桜らしく、花と葉っぱが同時に楽しめるのがソメイヨシノとの大きな違いです。ちょっと赤みがかった葉っぱとピンクの花のコンビネーションは、ひたすら花が質量ともに圧倒的に押し寄せてくるソメイヨシノとはまた違って味わい深い。ただ、花の形と色については両者とても良く似ているので、やっぱり日本人にとっての桜の花は、白っぽいピンクに5枚の一重の花びら、それがはらはらと散る姿が美しい、ということは間違いなさそうです。濃いピンクじゃなくて薄いピンク。大ぶりな多重の花弁ではなく、ひとつひとつは慎ましい小さな5枚の花びら。その花びらが惜しげもなく、信じられない枚数を散らすという光景に、そういうのに弱そうな貴族階級とか女子供だけでなく、男らしさがウリの侍・武将たちまでが心を奪われてきた日本人の精神性って、やっぱり熱いよね!桜は来年も咲くとはいうものの、一生に愛でられる桜の季節はどんなに多くても100回以下。来年こそは、憂いなく、花を見られる世界であってほしいと強く願っています。※ただ、今年の桜はあの憎きブルーシートをしいたお花見宴会が自粛されていたため、例年よりも確実に美しかった!花の美しさを愛でるのがお花見なのだから、景観を著しく損なう敷物等の使用は規制されるべきだと私は強く強く思っています!!!!
桜の花もそろそろ散り際、日本の最も美しい時期のうちの一つが、混乱のうちに終わってしまいますね・・日本人にとって桜が特別なのは別に私が声高に叫ばなくても当然のことかと思いますし、そして子供たちも小さなころから刷り込まれているのは間違いないので、未来もずっと、特別であり続けるかと。そしてもちろん、昔から、桜は特別な花でした。日本初の勅撰和歌集であり、小野小町や紀貫之が大活躍の「古今和歌集」では、和歌にかかれる「花」はほとんどの場合、桜です。桜なんですけどー。日本には、勅撰和歌集ではないものの現存する最古の和歌集である「万葉集」というものがあります。そしてこの万葉集、新元号でめちゃくちゃ話題になりましたよね~。個人的には私は古今和歌集、もっと言えば新古今和歌集のほうが好みではあるのですが、ともあれ、和歌集が世間の耳目を集めるというのに密かに興奮したのを思い出します(変態か)。そう、新元号「令和」は、万葉集の初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らすという、梅花歌三十二首の前に置かれた序文からとられていることはみなさまご承知の通り。そして、この万葉集のなかでは、桜の花よりもはるかに多くの梅の花が詠われているのです。そう!万葉集ができたころ(奈良時代の中期から終盤)の日本では、桜よりも梅が愛されていた・・らしい!まあもっと言うと、萩の花の歌のほうが多いので、日本人の美意識の変遷が見られて面白いところですが、萩は秋の花なのでちょっとそれはまた次回の話として。遣隋使や遣唐使が活躍し、中国から伝来する文化が最高にクールでインだと考えられていた時代に好まれていたのが梅の花。中国との行き来を閉ざし、日本独自の文化が花開くなかでうなぎ上りに愛されていったのが桜の花。というのは、面白い対比ですよね。しかも万葉集の時代には紅梅ではなく白梅が好まれていた模様。令和の文章の「梅は鏡前の粉を披き」、っていうのは「梅の花は鏡の前のおしろいの粉のように白く咲き」という意味なので、そりゃ白梅だわ。中国の美意識も、おそらく当時は「赤LOVE」って感じではなかったのでしょうねえ・・そして梅が桜より圧倒的に優れているのは「香」。梅はよく香るけれど、桜はほとんど香りがない。このあたりも、掘り下げると文化的に面白い気がします。掘り下げないけど。私はお誕生日が桜の盛りにあたっていることもあって圧倒的に桜マニアですが、梅の花ももちろん好きです。そして梅マニアが多かった(らしい)万葉集のなかで好きな梅の歌がこちら。梅の花 今盛りなり 思ふどち かざしにしてな 今盛りなり------筑後守葛井大夫(梅の花が今盛りだ。さあ友よ、髪に飾ろうではないか。今が盛りだ!)そう、これぞ現代人もびっくりの「大事なことだから二回言いました」。これほど二回言うのが美しい言葉があるでしょうか。今盛りなり。この「今盛りなり」を盛ってくる感じがすごく好き!盛り盛り!!(あ、なんかゲシュタルト崩壊してきた・・)梅の花を愛でる宴で詠まれた歌なので、パリピ?のテンションのアガりかた?が、よくわかりますよね。ちょっと季節外れになってしまった梅のお歌を紹介してしまったので、明日は桜のお話などを!京都・二条城の梅園の梅。
日本における宗教は、かなり特殊です。仏教と神道という、基本的には相いれないような気がする二つの宗教をすんなりと受け入れて、一応矛盾がないような感じで両方信じているような信じていないような、というこの絶妙なバランス感覚! つまり、日本がまれにみる「多神教」の国であるというのは、面白い事実だと思います。日本に生きているとあまり意識しませんが、世界のほとんどの国で信仰されている宗教は「一神教」です。つまるところキリスト教、イスラム教、ユダヤ教。まあさかのぼればこの三つの宗教の出どころは一緒、そしてどの宗教も、とにかく神様は一人!オンリーワン!!ナンバーワンにしてオンリーワン、唯一絶対、というやつです。ちなみにキリスト教の神様はイエス・キリストではありません。イエス様はその唯一絶対である「神様」の息子。「神様」は名前なんてなくて、とにかく神様。全知全能。対して日本は、特に信仰心がない人でも神様(あるいは仏様)の名前を10個から言えるのではないでしょうか。イザナミ、イザナギ、アマテラスオオミカミ、スサノオノミコトあたりは子供でも知ってそうだし、大日如来、薬師如来、千手観音、弥勒菩薩、さらには鬼子母神とかお地蔵様、七福神とかまで持ち出したらあっという間に両手では足りないばかりかちょっと油断すると(?)菅原道真、平将門、安徳天皇といった元人間な方々が力のある神様として有名な神社に祀られていたりするから超カオス。日本には、神道由来の日本の神々、仏教由来の仏様たち、そして死んでから神様になった歴史上の登場人物たちがひしめいています。これぞ、THE 多神教!まあもともと多神教という宗教観があるから、異教であるところのキリスト教も難なく取り入れ、一世一代の一大イベントである結婚式をキリスト教の神様の御前で行う、という離れ業ができてしまうだと私は予想しています。実際、ものすごく多くのカップルがキリスト教の教会を模したイベントスペースで、牧師さんなのかどうかちょっと疑問が残る方の前で何事かを誓い、聖書の文言で祝福されて結婚されてると思うんですけど・・あれまさか、本当にキリスト教の神様、イエス・キリストの父であり全知全能であるところのあの神様に誓ってるわけじゃないですよね? っていうかそもそもその「神様」と人生において触れ合ったこと、ほとんどないですよね? ギリ、イエス・キリストとはクリスマスを通じて触れ合ってきてるかもしれないけど・・でもクリスマスに「イエス様お誕生日おめでとう!」って思ったこと、たぶん人生で一度もない人がほとんどですよね?いえそれがいいとか悪いとかでは全然ないんです。でも、もしも神道なり、仏教なりが一神教の宗教であったら、その唯一絶対である神様をわきに置いといて他所の神様に永遠の愛を誓わない気がする。つまり、異教の神様であっても、「たくさんいる神様の一人」的なノリでなんとなく信じてるような信じてない気分になれちゃうのが多神教のプロ、日本人のすごいところよ!世界の歴史を俯瞰で見れば、大昔って、たいていの宗教は多神教であったにもかかわらず、その後広範な地域において、もともとあった多神教が一神教に塗り替えられちゃっています。性質上、一神教の宗教の教えのほうが厳しいし、求心力が強いし、そしてなにより布教に熱心だったというのが大きいと思うのですが。そんななか、辛くも生き残って国際的な勢力を確保している仏教という多神教と、ギリシア神話や北欧神話と同じ種類の宗教であるにもかかわらず今もちゃんと続いている神道という多神教の二つを自在に自然に信じちゃってる日本。信仰の対象という意味での神様(仏様)の数なら間違いなく世界でトップクラス!とにかくあっちにもこっちにも神様があふれてる、神様ワンダーランド、なのです。そして私はそんな日本の宗教が大好き♥私が偏愛する奈良の有名な仏教寺院。どこだかわかる方いますかー?
あまりにも長いこと放置しすぎて更新の仕方も忘れておりましたが、コロナ禍の影響でできてしまった時間を有効に!ということで、ブログを再開してみることにしました。前置きが長いのもアレなんで、さらりとはじめますが、こんな時だからこそ歴史とか文学とか教養、みたいな、人間が築き上げてきた美しいものを評価する流れの助けになったらいいな、と思いつつ、一日5分で読める日本人のための教養を私なりに、美女研究所編として書けるだけ書いてみたいと思います。こういう媒体で文章を書くのが久しぶりなので、どこまでやれるのかわかりませんが、一応私の専門(なのか?)である、文学、歴史、宗教、言語周りを中心にやってみようと思っています。幸か不幸か人間のいない風景があまりにも美しくて、ひょっとしてこの世に人間なんて必要ないんじゃないかな、と思ってしまう昨今。桜は、人間に愛でられなくてもただひたすら咲くし、「見てあげないとかわいそう」などというのはちゃんちゃらおかしい人間の思い上がりでしかないな、と感じます。でも、その桜を見て詠まれた歌は、人間が存在したからこそこの世に生まれたのだし。さくら花 ちぐさながらにあだなれど誰かは 春をうらみはてたる --- 藤原興風(桜の花はどれもこれもこんなにもはかなく散ってしまい、私たちの心をこれほど乱すのに。けれど誰も、この美しくも儚い春という季節を、恨むことなんてできるわけがない・・)実は今日、散り続ける花びらの下を一人散歩しながらこの歌をふと口ずさんで思わず涙してしまいました・・桜の下で一人でぶつぶつ言って涙ぐむ中年女性とか、マジ怖い!でもこんなふうに1000年以上も昔の人のたった31文字にシンクロして、目の前の美しさがさらに深みを増すというのが人間と自然の合わせ技。せっかく人間の歴史の末席を汚しているのだから、味わい尽くして、楽しみつくして、今生を生きようではありませんか!自宅勤務の際の息抜きに、外出自粛中に「ちょっといいもの読んだ」と思っていただけるように頑張りますので、ご興味のあるかたはお付き合いくださいませ♥
イタリアクエスト その5。そう皆さんお待ちかね、難易度高すぎるイタリアでのクエスト。今回それは、ナポリが誇る世界的リゾート、カプリ島で起きました。青の洞窟で有名なカプリは、ほんとに、ヨーロッパでも有数のお洒落なリゾートで、古代ローマの皇帝たちをはじめ現在でも数多くのセレブリティに愛されています。交通手段はもちろん船。島だから。というわけでその日私たちは、ナポリの港から出ているフェリーに向かいました。港の近くのナポリの海は、こんな感じ。朝早起きしていったのに、なんと、最初の船は満席!! カプリ、人気あるなあ・・、と思いながらなんとか1時間後の席を確保し、これも大混雑の当該フェリーに乗り込みました。アジア人はほとんどいなくて、周りはスペイン人やロシア人ばかり。皆さん、リゾート仕様のお洋服でキラキラ幸せそう。テンションも高く、窓際の席から埋まっていきます。かくいう私は、狭いところが嫌いなので、中央の最前列へ。飛行機でもなんでも、乗り物は足元が広い席に限る!出発まではお外を探検したりしながら優雅に過ごし、さて、40分の船旅へ、スタート!!だったのですが・・意外と、波が、高い・・私、ジェットコースターに乗れない程度に、揺れるの嫌いなんですよね・・船は大好きなんだけど、縦揺れは、ちょっと・・というわけで本当は青の洞窟のときの小舟のために用意していた酔い止めを、速攻で飲みました。効くまで40分、って書いてあったから、効く頃には旅も終わってるだろうし、そもそも酔い止めなんて気休みだとは思うけど、まあ一応。隣では夫が「弱いなあ~ははは」とか笑っていますが、体調不良は旅の大敵、仕方がありません。そして、船に揺られること10分。やっぱり結構波が高くて、かなりGがかかる感じの縦揺れが続きます。弱いことを自覚しているわたしは目を閉じて、できるだけ心を無にしていたのですが・・んんんん??ふと気が付くと、最前列である私たちの目の前に、船乗りのおじさんが、こっちを向いて険しい顔で仁王立ち。その手には、ビニール袋の束。客室を見回しながら、ときどき、呼ばれて誰かのところに行っている気配。な、何なのこの物々しい感じ?!と、気持ち悪さをこらえつつ後ろの席を振り返ると・・な、なにここ、地獄?!先ほどまでテンション高く大騒ぎだった客室は静まり返り、ほとんどの人が青ざめ、うつむいています。かなりの数の人の口には、おじさんが配っているビニールの袋。しーーーーーーんとした中に響く、嗚咽・・・そしてすすり泣き・・・吐いてる!!みんな吐いてるよ!!!私だけが弱いんじゃなく、みんなやられてる!!いやもちろん私もやられてるので、周りの状況をそんなに見てはいられないんですが、事態は刻々と悪化。もうね、ディズニーランドのタワーオブテラーがいつ果てるともなく続く感じ。終わりが見えない縦揺れ、そして横揺れ。しかも不規則。おそらく乗ってる全員が、乗ったことを後悔する地獄絵図。一応、トイレに行って吐きたい、と思ったのであろう猛者たちは、トイレにたどり着けずにあちこちで転げまわり、吐しゃ物をごみ箱に捨てに来た人たちも道半ばにして膝をついたり、ほかの人の席に倒れこんだり。お願いだから私のところに転がり込んで吐かないで!!と祈るよりほかありません。人って、本当に苦しいと、泣くんだな・・というのがよく分かった。もはや船内は阿鼻叫喚、リゾートに連れて行ってあげる、と船にのせられた先は奴隷貿易か収容所だった、みたいな衝撃の展開です。もちろん、となりの夫も、言葉もなく、袋を握りしめて悶絶中。もう口もききたくなかった私ですが、最後の力を振り絞って、仁王立ちする船乗りさんに「あのう、もうすぐ着く・・よね?」と聞いてみると「いや、あと30分はかかるかな」とのますます厳しい顔。えーーーーーーーー40分で着くんじゃなかったの?もう着くくらいの時間なんだけど!!!理由はわかんないけど荒波のせいか所要時間も長引いてるっぽい・・絶望に襲われた私。いよいよわたしも、袋のお世話にならなければならない、と覚悟しました。その時。あ、あれ?? 急に楽になった??めまいはそのままなのですが胃からこみ上げる悪寒と吐き気が、おさまってきた?!半信半疑で時計を見ると、薬を飲んでからちょうど40分。う、うそーーーーー!!薬ってホントに、効くの? しかもそんな、40分後に効果がでます、っていうどう考えても適当な時間の記載って、ほんとにほんとだったの???日本の薬ってすごい!信じられないことながら、私はいきなり復活。いや、気持ち悪いのは悪いんですが、吐き気はなくなってる。説明が難しいけど、なんか、胃に蓋がされた感じ。もしくは胃の粘膜とかが麻痺した感じ。とにかく、楽!もうこれは早めに薬を飲んだ自分を褒めたい。今年一番のファインプレー。弱いとか言ってバカにしてた夫、完全に撃沈。というわけで船がやっとカプリ島に着いたころには、死屍累々。足を引きずるようにして下船していく人々は、もちろん「青の洞窟は高波のため閉鎖中」というニュースにショックを受ける余裕もなく、とぼとぼと歩いていくのでした・・私は元気だったけどね!!カプリ島の港近く。海、超綺麗・・だけど下船してきた人たちはそれどころじゃないという・・でもトラップはこれで終わりじゃなかった。その後、いまだもちろんふらふらの夫に手を焼きつつ、素敵なカプリ観光のあと、帰りの船を予約しようかな、と港に戻ってみたら。その時の時間14時45分。そこで目にした衝撃の情報は・・ナポリ行の船は14時50分出発のものを除きすべて欠航。えっ!!ちょ、あやうく、帰れないじゃん!!!帰るにはまだ早い時間だったけど、今すぐ出発しないともうナポリに戻れないっていうこと・・ですよね・・???言ってよそれ!早めに!!たまたま今来たからよかったけど、あやうく、置いていかれるところだったし!!!!というわけで今度はダッシュで乗り込む帰りの船。もちろん夫も私も酔い止めをがっつり飲んで備えましたとも・・まあ、行きほど揺れなかったからよかったけどさ・・しっかしほんと、難易度高いなあ、イタリアの旅は。帰れなかった人たち、どうしたんだろう。結局、私も全快はしなくて、カプリで消費できた飲食料はこのアイスレモンティーのみ。町の中心の広場のカフェのテラスで優雅に飲んで、約1000円・・やっぱり観光地価格ねー!
Anche questo anno, sono felice di darti gli auguri ufficiali, amore mio, ma stranamente da Doha!!
突然ですが、お洒落は好きですか?あるいは、お洒落に自信がありますか?「お洒落」ってものすごく定義があいまいで、主観が大きく影響する価値観なので、すごく厄介ですよね。多くの人が、その定義のあいまいなものに振り回され、あるいは玉砕し、あるいはギブアップし、あるいは、最初から「負ける試合はしない」あるいは「君子危うきに近寄らない」的なスタンスを確立しているのを見ると、余計なお世話ながら、ちょっともったいないなー、と思います・・なぜなら服を着るということは、(ほぼ)人間だけに許されたとても文化的な贅沢であり、比較的簡単な自己表現手段であり、また、現代日本人は異様なまでに、着るものに恵まれているからです。こんなに安く、相対的に品質もデザインも良く、こんなにたくさんの種類の着るものが手に入る環境って、人類の歴史の中でも今この時、この場所しかないかもしれない・・!っていうくらい。20年前より、明らかに恵まれている!!クレオパトラやマリー・アントワネット、エリザベート・・歴史上の絶世の美女たちは下手をしたらマジで国が傾くくらいの財を投じてお洒落をしていましたが、今の私たちは、それほど生活費に負担をかけることなく、彼女たちと同じくらいの気分でお洒落を楽しむことができるというのはもう、本当に素晴らしい幸運です。いや~ひょっとしたら絶世の美女たちよりも恵まれてるかも。彼女たちは、ごく限られた出入りの商人たちが持ってくる、ごく限られた商材の中からしか選択肢がなかったけれど、今の私たちはそれこそ世界中の、無限にある商材の中から自由自在にすべてを手に入れることができるわけだから。そもそも「お洒落」というのは、つい最近まで、ごく限られた「特権階級」の楽しみでした。ヨーロッパでは、いわゆる一般市民が普通に一着以上の服を持つようになったのは、たしか1500年代くらいのことだったかと記憶しています(すみません昔読んだ文献で・・)。つまり、それまでは、そもそも「着替える」という意識すらなかった。でも、特権階級界隈ではお洒落でセンス良く、美しくあることこそが、人間的魅力はもちろん権力の象徴ともなり、まあ光源氏が現れた平安王朝の時代なんかは特に顕著ですが、偉い人の義務って「とにかく周りを圧倒するほどおしゃれで美しいこと」。クレオパトラも、そのファッションセンスとおもてなしセンスで、当時絶対的世界最強の権力者であるローマの将軍たちを二人も落として、その華麗なる女王としての生涯を不動のものとしています。そして時代が進むと、マリー・アントワネットはそのお洒落とライフスタイルへの散財を一つの理由として、断頭台へ送られたばかりか、フランス王政の終焉の引き金をひくことになる・・っていうのは、このころになると庶民の人たちにも「お洒落」が広まってきて、特権階級の「神性」が減ってきていたから、というのも大きいかと思います。歴史上の「美女」という言葉に現代とはちょっと違った迫力があるのは、こんな事情も関係ある。そして総じて「お洒落」というものには、単なる趣味嗜好や自己満足を越えて、自分と自分の周りのパワーバランスや世間において自分が演じる役割を、がらりと変容させてしまう力のあるものだ、ということがお分かりいただけたでしょうか!あーなんか書き始めるとやっぱり長くなっちゃう・・というわけで、続きます。
ご好評いただいているイタリア・クエスト、まだまだまだまだあるんですが(そしてビジネスシーンになるとさらにえぐい話しはいくらでもあります、さすがに書けないけど)、普通のご旅行で行かれる分には、攻略法はあります。それは、焦らない心と、数千円~数万円のお金。勇者ベニカとしては、やはり、冒険(アクシデント)は、正攻法でクリアするのが使命、と思ってしまう節があり、なんとかして正しく、最も効率的(時間もお金も)に攻略しようとしてしまうので、すごいMPを使ってしまうのですが、心穏やかに、数時間のロスを許容し、また、お金を余分に支払うことをよしとすれば、たいていのことは解決します。多分。たとえば「税関クエスト」は、「お金が戻ってくるのをあきらめる」で解決。列に並ぶ必要も、イライラする必要もありません!ちなみに戻ってくる金額は、おおよそ15%弱。返金の仕方にもよりますが。3万円買って、4000円ちょっと、ってとこかな。10万円買って、13000円くらいかな。これをあきらめればそもそも手続き自体が必要ありません。「行き先が分からないクエスト」も、時間があれば、のんびりまってればいいし、なんならついでにピサの斜塔でも見学していこうかな、くらいの余裕があればノープロブレム。時間がないけどお金がある場合は、タクシーに長距離走らせればいいだけ。わたしももう、学生時代のように貧乏じゃないんだから、いちいち怒り狂うんだったらお金で解決すればいいのよね、と思ったり、思わなかったり。でもさー、RPG的には、お金で解決ってやっぱり邪道じゃん!と思ってしまうあたりがやっぱりこれって、イタリア・クエストなんだろうな、勇者ベニカにとっては。この辺りは、冒険というか旅行をするモチベーションや目的にもよるので、どうぞ、ご自分なりの攻略法を見つけて楽しんでくださいね!うちの妹は「トラブルこそ、旅行の醍醐味」と思っている節があり、そして事実、そうしたトラブルやアクシデントが一番思い出に残ります。あとで語り草にできる武勇伝をどれだけ作れるか、っていうのも、クエストの魅力・・なんですけど・・クエスト中はやっぱり・・つらい・・写真は高級リゾートとして名高いコモ湖。でも私的には湖ってみんな、琵琶湖に見える・・
イタリア・クエスト2016 その4では、イタリア出国の際にやらなきゃいけないお手続き、「免税手続き」についてのドラマをお届けいたします。海外でお買い物すると、その品物をその国では「消費しない」という理由で、消費税に相当する金額の一部が返還されます。これが、いわゆるタックスリファウンド。イタリアだと15%程度が返ってくるので、高額のお買い物をした時にはかなり大切なお手続き。でも、この制度が活用されなければ、国としては税収が増えるから、そのためにわざとわかりにくくしているんだ・・とうわさされるほど、ミラノ、マルペンサ空港での手続きの分かりにくさは異常でした。そもそも、お店でお買い物をした時に渡された免税手続きの封筒にね、税関で、スタンプもらってください、って書いてあるのね。で、税関には長蛇の列。ずーっと並んだ先、窓口の直前に、小さな看板があって、NO ITALIAN INVOICEって書いてある。まあ、それだけ読んでも普通、意味わかんないんですけど・・しかも、ずーっと並んだ先に書かれてるから、列の最後尾のひとにはそもそも目に入らないんですけど。どうやら要するに、イタリアで購⼊したもののレシートに関してはここでは取り扱いません、ってことらしい。(そんなことは封筒には一言も書かれていない)私はね、たまたまね、イタリアが仕掛けてくるトラップに慣れているから、スーツケース引きずりながら寄りで見に行って、ネットを駆使してその意味を解読したけど・・で、じゃあどーせいっつーの、っていうと、その斜向かいにある免税手続き会社の窓口に行け、って意味らしいんだけどそんなことはどこにも書いてない。詳しいことを聞くにはとにかく一時間列に並んで、窓口にたどり着いて、「うん、イタリアでの購入品についてはここではないね、残念」って言われるまでわかんない。だからいちいち人々は、無意味に列に並び、いちいち撃沈され、いちいち説明を求め、無限に終わらない無駄な時間。てか、そもそも、書類には税関に行って、って、しかも日本語を含めた各国語で書いてあるから、人々が税関の列に並ぶのはさたりまえ。長蛇の列の先頭まで行かないとよく見えない位置にあるNO ITALIAN INVOICEという謎の文字列から意味を解読しろ、って、どんなムリゲーなの。もうこの時点でぐったり。じゃあしょうがないから、って、私の封筒に書いてあった免税手続き会社(TAX FREEとかなんとかというとこ)の窓口に行くと、そこにも張り紙。「税関に行って、印鑑をもらってきてください」(英語)ふーむ。ふーむ。…で、どういうこと?税関にいけば、ものすごい長考のあと、こっちの窓口に送られ、こっちにくると、また税関に行かされるというドラクエもびっくりのお使いイベント。すでにMPの残り、4くらいまで削られたぜ。残りのMP全部を振り絞って、窓口のおねーさんに、「でも、税関では、イタリアでの購入品については印鑑押せないって書いてあるんだけど」と問いかけると、おねーさんはニコリともせずに衝撃のセリフ。「あ、これは今日だけたまたま。うちの会社のシステムがダウンしてるから。今日だけ、うちの会社の書類にだけ、税関でスタンプおしてもらえることになってるの。」ま、マジか。トリッキーすぎる! こんな二重三重にトラップがあると、わたしレベルの勇者でもHPMPが瀕死。ヘロヘロになりながら、相変わらず無意味な長蛇が続く税関の列に並ぶことほぼ40分、経緯を説明して愛想の悪すぎる魔王(税関職員)から印鑑をもらえた私は、むしろ、運がよかった。ご一緒していた方は、別の免税手続き会社だったため、私とは違う会社の列に並んでいたのですが、90分並んで言われたのが「登場時刻よりも早すぎて手続きできません」だったそうで…言葉もありません。てかさー、税関にしろ会社の窓口にしろ、ここ空港だし、イタリアって観光大国だし、毎日のようにこれやってんだよね?どういうインフォメーションしたら列が少なくなるか、どうしたらわかりやすいか、って、工夫しようと思わないのかな?毎回毎回、カタコトの外国人相手に半分キレながら説明してるけど、例えば列の最後尾にひとり、案内の人をつけるだけで事態は激変すると思うんだけど。お金もらえるんなら私がやってあげようか?ってくらい。旅行者が現地の事情に疎いのってあたりまえなのに、わざわざわかりにくい説明を押し通すのは、この国の何かのこだわりなのでしょうか。一応、皆様のお役に立つTIPSとしては、中国の方がたくさんいらっしゃる時間帯、お昼ちょい前は、免税手続きの列が長くなる・・っぽい。午後になると行列がほとんどなくなるらしいので、何としてでもスムーズに免税をしたいという方は午後の出発便にしてみるといい・・かも・・しれません・・本当に美しくて楽しい国なんですけどね、イタリア。トラップがね・・といいつつお仕事なのにこんな素敵なテラスでディナー。6月のイタリアは、21時くらいまで明るくて、テンションが上がります。
現在、とある官庁が出したお堅い文章を翻訳中で缶詰めになっているのですが・・こういうやつ翻訳していると、本当にこの世には信じられない文章が存在するんだ、ということが分かって発狂寸前ですが興味深い。特に日本語という言葉は、動詞が最後に来るという特性上、論理的に構築しにくい。というか、私の知っているすべての外国語は、「動詞」が文章の支配者であって、これを手掛かりに読解していくのだけれど、日本語においてはそもそも動詞に対する主語が曖昧だし(例:「昨日食べた肉」と言われて、肉を食べた人が誰だかわからないのが日本語。ほかの言葉だとまず、わからないことはあり得ない)、そもそもどれが同士なのかが判別しにくい文章すらある。で、加えて、おそらく法令とか省令とかそういうやつは、そういうフォーマットがあるんだろうけど、とにかくフォーマットから逸脱しないことだけを念頭に書かれていて、わかりやすさなどは優先順位の一番下みたい。日本語の融通無碍っぷりと合わせて、もう「キチガイ外道祭文」(@夢野久作、ドグラマグラ)もびっくりの奇々怪々さ。今翻訳中のものは、いろいろあって、ここでは公開できませんが、たとえば、自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法 (平成四年法律第七十号)第十三条第一項 に規定する指定自動車にあつては、使用の本拠の位置(同法第六条第一項 に規定する窒素酸化物対策地域外から同項 に規定する窒素酸化物対策地域内への変更(変更後の使用の本拠の位置が自動車から排出される窒素酸化物の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法施行令の一部を改正する政令(平成十三年政令第四百六号 )による改正前の自動車から排出される窒素酸化物の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法施行令(平成四年政令第三百六十五号 )第一条の特定地域であつた地域(以下この号において「旧特定地域」という。)である場合にあつては、旧特定地域外から旧特定地域内への変更)に限る。)これね。わかる人います???日本語で。これ翻訳しろって言われたら発狂するよね?そしてこんな文章がレポート用紙20枚にわたって延々と続くという地獄・・書いた人も大変だっただろうけどさあ・・ドグラマグラは、読み終えた人は皆、発狂する、と言われる世紀の奇書ですが、日本の官庁発行のものに負けてるよ・・私、ドグラマグラ3回よんだけど発狂してないけど、いまこれ一回目で、結構やばい・・ ドグラ・マグラ (上) (角川文庫) Amazon ドグラ・マグラ (下) (角川文庫) Amazon
イタリア・クエスト2016、その3。今日も、難易度が高すぎるイタリア旅行についてお話しいたします(笑)それは、到着した日のこと。その日はスイス航空でチューリッヒ、それからフィレンツェまでのフライトでした。スイスとイタリアは近いので、チューリッヒからフィレンツェまでは一時間くらいかな。あっという間に、なんとなく感覚でわかる、目的地空港にたどり着いた感じがありました。しかしそこからまさかの、ホバリング(ちょっと違う)。わたしは酔いやすいので、窓から外は見ないようにしてるんですが、それでもわかる、ずっとその場を旋回してる感じ。20分位やってたと思う。そして、あ、進みはじめたな、とホッとしたのもつかの間、英語のアナウンス「この飛行機は諸事情によりフィレンツェ空港に着陸できないため、別の空港に移動します。どこになるかは追ってお知らせします」って!!!その日はピカピカのお天気、風も吹いてなかった。フィレンツェに着陸できない意味がわかんない。しかもわたし、遊びで来ているのではなく、このあとお仕事の会食もあるのです。しかもどこになるかわかんないとか!そのサプライズいらない!!とはいえいくら私が歴戦の勇者でも、飛行機の行き先は変えられません。動き出してからモノの10分ほどで着陸。ここはどこ???状態の乗客(おもにスイス人)たちへ浴びせかけられたアナウンスは「皆様、ようこそピサへ。良い滞在をお祈りします♥」って、ちょっと!!ざわつく機内、苛立つ私。まだ携帯が開通してない状態で、つまりネットその他に繋げない状態で、いきなり知らない空港に放り出され、しかもあと30分でフィレンツェ中心にあるレストランの会食に出席しないと、そこでもらえるはずの、今日からステイする家の鍵まで受け取れないかもしれない…流石に、無理ゲーでしょこれ!続く機内アナウンスは「空港に降りたあとは、到着ロビーにてそのままお待ちください。フィレンツェ空港までの無料バスをご用意します」というもの。ああ聞くだに無理っぽい。こんな臨時オペレーション、イタリア人にできるとはとても思えない!でっでもこれはスイス航空のはなしだし、もしかして、もしかしたら…と、いだいた一縷の希望は、まあ当然、成就することはなく。飛行機を降り、荷物をピックアップし、そしてピサの小さな小さな空港の玄関口付近に立ち尽くすスイス人たち(と私)。当然、その後のインフォメーションも特になく、かすかにあったような気がするアナウンスは音響がわるすぎて何言ってるか不明。周りの係員?らしき人に何を聞いても知らぬ存ぜぬ、とにかく待ってろ、といういい加減な指示。まあいつものことだけど。そしてさらに困惑することに、玄関を外に出たところに広がる駐車スペースの、はるか右前方に、FIRENZE SUTTLE BUS(フィレンツェ シャトルバス)という表示が。あれちゃうん?!と、一部のバス難民が色めき立ちます。あそこまで乗りに行かなきゃならないんじゃない?、と。しかし、多くの乗客の手には大きな荷物が。もし間違っていた場合、往復は結構きつい。とくに、すでに家を出て20時間くらい一睡もしてない私には相当きつい。しかし周りには、それについて問い合わせができそうなスタッフの影も形もなし。最悪のシナリオは、あれは関係ないバスで、そっちの様子を聞きに行っている間に、私たちが乗るべきバスが来てしまい、おいていかれちゃうこと。時間がない。どうする!というわけで勇者ベニカは、25KGのスーツケースと中身パンパンで5KGはありそうな自慢のGUCCIのバンブーを抱えて、遠くのバスの様子を聞きに行くことにしました。だって時間がないんだもん!会食はともかく、鍵がもらえないと、生死にかかわる。重たい荷物を引きずっての小走り(気温35度くらい)でぐったりしつつ、そのいわゆるシャトルバスのおっちゃんに話を聞くと、「12ユーロでフィレンツェの駅前まで。ただし、切符はあっちの切符売り場で買ってくること」「でっでもおっちゃん、飛行機がフィレンツェに降りなかったのが悪いの、私のせいじゃないの!なのにお金払わなきゃダメなの?!」「それはうちには関係ない。多分無料のバスがフィレンツェ空港まで出るから、待ってればただで行けるけどね」「た、たぶんって・・っていうかそれはいつ出るの!!!」「うちには関係ないから知らないねー」「・・ま、そうなるわよねー」いや、おっちゃんは悪くないと思うんですけどね。でもね、このトラブル、結構な頻度で起きてるはずなのよ。少なく見積もっても週一、くらいはあると思う。そしたらさ、そういう難民に対するアナウンスって、もっと洗練されててもよくない?! 毎回、この驚き戸惑う外国人たちに「関係ないから知らない」っていうのって、むしろ疲れないかね???しかしまあそんなことを言っててもしょうがない。そのシャトルバスの出発時間は刻一刻と迫っている! しかも切符売り場がまた結構遠い!もう私は覚悟を決めて、切符売り場を目指しました。とにかく12ユーロ払えばフィレンツェ行けるんだったら、それでいい!無料のバスなんていつ来るかわからん!!というわけで、12ユーロ(1600円くらい)払ってバスに乗った私(と一部のスイス人たち)は、ほどなくピサ空港を出発。残りの半分は、いまも空港の入り口のところで呆然と立ち尽くしています。どっちが正解だったのかはこの時点ではわからない。そのあとすぐ無料のバスが来て、わたしは12ユーロ損しただけ、かもしれないなあ、とも思いつつ。結論から言うと、バスは順調に高速を走破し、空港よりはずっと街の中心部に近い駅の近くまでダイレクトで運んでくれました。まあこの「駅の近く」ってのが曲者で、ガチで駅の裏側に降ろされたからそこからの歩行距離は半端なかったけどね・・でも、空港に連れていかれてたら、空港からまた中心部に来るまでにタクシー代とかがかかったはずなので、結果オーライ・・か?会食には1時間遅れで、スーツケースもってお化粧直しもしないで参加し、周りの男性たちをドン引きさせましたが、まあそれはもういいとしよう。鍵ももらった。いや、ちがうのよ、これを要するにね、ピサ空港に想定外に降りた時点で、「無料のバスは、空港まで皆様を運びますが、少し時間がかかります。お急ぎの方は、12ユーロの有料にはなりますが、フィレンツェ中央駅までダイレクトで行けるシャトルバスがもうすぐ出発しますので、あそこで切符を買って、乗り込んでください。無料で空港までの送迎をご希望の方は、この場でしばらくおまちください。もっと急いでる方は、タクシーで、たぶん30000円くらいかければフィレンツェまで行けます」と、誰かが教えてくれたら、それですべて解決なわけじゃない?!このくらいのインフォメーション、難しくないよね?ピサ空港からフィレンツェ中央駅まで約90分、それなりに時間かかったけど、でも成田だって都心まで出るには相当時間かかるわけだし、12ユーロならそれを考えたら安いし、よーく考えたら大したことないんですよ。でも、たったそれだけの情報しか必要としていないのに、それすらも知らない旅行者たちに何も教えてくれないから、全員が不安と恐れとパニックで右往左往するわけで。そりゃそうだよね、見知らぬ異国の空港で何の情報もなくただ待たされたら、「イタリアってどんな地獄?」ってなるよね?なぜ、イタリア人にはそれができないのかが、わからない・・・わからないけどそれがイタリア、っていうこともはやみんな知っているわけで、わたしからの怒りもまだ新鮮なラインをその晩受け取ったうちの妹は「で、結局何が原因だったのか教えてもらえないんだね・・さすがイタリアだね・・」ともはや感心してました。ところで、わたしはフィレンツェでのご飯は結構気に入っています。とある朝、朝食代わりに世界的デザイナーにごちそうしてもらったのは、生ジュース。スタンドに10種類くらいのカットフルーツが並んでて、それを何種類でも自分好みに指定して、ミキサーで混ぜてもらうの。日本のジューススタンドでは、すでに数種類のミックスが出来上がっていて、その中から選ぶ感じだけど、ここはもう何をどうミックスするかが自分のセンス。果物が嫌い(というか甘いものが嫌い)な私は、トマト、フェンネル、セロリと生姜で作ってもらいました。いや、美味しかった!あともちろん、肉ね。いわゆる、ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ。日本で食べる肉とやっぱり全然違うんだよなあ・・匂いが。好き嫌いはあると思うけど、なんかもう牛っていうより羊に近いようなにおい。そして滴る血と、オリーブオイルをソース代わりにする、という・・肉食人種って、ほんと、違うのよね、感性が。
私が記事を書くたびに、だれもが「イタリアって何て恐ろしい国なの! 絶対行きたくない!!」となっていくのがなんだか申し訳ない気がするのですが、でも本当だから仕方ない。イタリアは旅行者にとって、本当にレベルの高いダンジョンです。待ち受けている難関が日本とはけた違い。その多くは、「情報の不足」によるものなので、ロールプレイングゲームに当てはめてみると、いわゆる「クソゲー」と言われるものになると思う。街のひとから得られる情報を総合すれば、おのずとなすべきことが分かるのが良いゲームのはずで、圧倒的に、しかも無意味に無作為に情報が足りていない状況は本当によくないゲーム。さらに問題なのは、この国は、ずーーーーーーーっとそうやってやってきたので、それが特に問題ではないことです(笑)だからこの国では、とにかく情報が不足する中、手探りで進んでいくしかない。しかし!フォローするわけではないのですが、そんなイタリアなのに、なんでこんなに?!というほど、街並みは美しい。日本とはそもそも建築というものの歴史はもちろん、成り立ちというか、材料そのものが違うので、一概には比べられませんが・・しかし、市街地における芸術的な美しさ、ということで言ったら、もうぜんぜん、日本は勝負にならない。京都がいくら頑張ってもやっぱりだめよね・・・歴史的町並みという意味では、大理石でできた、歴史に残るに適したヨーロッパ、しかも、なぜか美的感覚は異様に秀でたイタリア人には全然かなわないな、と心から思います。だからまあほんと、私は遊びに来たい・・仕事しなくていいなら、こんなに美しくておいしくて、人情に篤くて朗らかないい国はないんだけどな・・アルノ河にて。遠くに見えるのが、かの有名なポンテ・ヴェッキオ。