恋とエロスと教養と 美女研究所VER.

ストレスがたまりがちな外出自粛中のちょっとした時間に、知ってたら面白いお話や大切な人との雑談のネタになればいいな、とおもってやってみてます。

  • 31May
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      続・お返事の時間【ベニカの文芸サロンその7-2】

      お返事の時間、続きです。>なぜそっちの世界の巨匠は洗礼者ヨハネが好きなのか問題私がやたらこだわっているこの問題に、Fお兄様がズバッと答えてくれたのがこちら:魅力的な娘の誘惑にも無反応なヨハネの姿は、あっち側の巨匠には仲間に見えた仲間意識があったのかな(笑)毎度ゲスな勘ぐりしてしまう(笑)そこですよね! 男性目線でこれ言っていただけると、腑に落ちる気がする。サロメって、ものすごく(どちらかというと悪い意味で)「女」であり、それこそが、女からも嫌われ、そしてゲイからも嫌われる、という要素があるんじゃないかというのは何となくわかるじゃないですか。で、オスカー・ワイルドの戯曲の中ではそのサロメに対して徹底的に冷淡というか、ちょっと斜め上を行く罵詈雑言っぷりを披露している洗礼者ヨハネって、まさにゲイの皆様から見たら「これぞ!!」って感じで喝采だったのかなー、とか、妄想してみるわけです。だってさ、三好弘氏の翻訳をお借りしますが、【サロメ】いいわ、続けて!もっと続けて、ヨカナーン(ヨハネのこと)。そして、どうにでもして。【ヨカナーン】ソドムの娘、近寄るな!その顔にヴェールをかけ、頭に灰をかけて、砂漠へ行って人の子を殺すがよい!とか【サロメ】ね、キスして。【ヨカナーン】呪われるがい!不倫の母の娘、呪われい!とか、さすがにちょっとひどくないwwwっていうwwwちなみにこのふたり、初対面。どっちもどっちすぎてシュールすぎて私いつもニヤニヤしちゃう・・しかもサロメ、処女ね。そしてヨカナーンも純潔男子ね。考えれば考えるほどじわじわ来るというか・・でもここで象徴されるように、まあ「女のいやらしさ」全開であるサロメを徹底的に切って捨てるヨハネ、という構図、そしてサロメは結局、ヨハネの首は手に入れたけど愛は永遠に手に入らない、という終わり方を含めて、全真面目な女子、および全まじめなゲイの皆様の夢を背負っているのかな、と・・。これもまた、私の妄想ですが。ビアズリーのサロメ。これもまた味わい深く・・いやーほんと、じわじわ来る・・>百人一首の遊び方様々問題夫の面白すぎる百人一首をご紹介したところ、皆様からご好評いただき私もとても喜んでいます。もう一つ、写真には載せていなかったのですが、うらみわび 干さぬ袖だに、のお歌の女流歌人「相模」については、「東海大」といういたずら書きがあって、「東海大相模」になっていた、とお伝えしたら、男性陣からご好評いただきました。それでですね、Tくんから:東海大相模、わかっていても東海大相撲と読んでしまう。。木偏と手偏だし、よく見ると全然似てない文字のに、なぜかそう見えてしまう不思議⁈というコメント頂いて、はっ、と思ったんですが、これね、夫もそうなの。いっつも、高校野球で東海大相模が出てくるたびに東海大相撲、っていちいち言うの!!これってメジャーなネタなんですかね?Jasminお姉さまが「猪名のささ原辰徳」を気に入ってくださっているのですが、原辰徳も確か東海大ですよね?夫は東海大ファンなんだろうか・・百人一首の歌人の官位官職で勝敗を競う百人一首戦争も意外と好評だったので、いつかみんなでやりましょうwその時のために、入れておきたいローカルルールがあったら教えてくださいw私は今のところ・同じ位だったら姫が勝つ。つまり持統天皇最強。・坊主同士だったら蝉丸が勝つ。つまり蝉丸は坊主界最強。・小野小町は、殿が相手なら必ず勝つ。坊主が相手なら必ず負ける。というのを提唱したい。>女三宮ファム・ファタール問題木月さんのコメントより:女三宮が源氏と新枕を交したのは、紫の上が源氏と新枕を交した時と、ほぼ同じ年頃らしいです。紫式部、容赦ないですね(汗)韓国映画の「王の男」と言う歴史劇がありまして。細面の魔性の美青年を巡って関わる男達が破滅していく話です(またこの手の話か)それがこのファム·ファタール…いや男だからオム·ファタールが、悪気は無く子供のような無邪気ささえある性格で。王様(暴君)に気に入られるんですがそれを元に取り入るとか、政治的に立回る事なんか考えられないしひたすら流されるだけなんですよね。(一部抜粋)いやマジで容赦ないですね、紫式部・・わざとやってんのか・・つまるところそういうことですよね、源氏ってペド・・っていうかなんていうか。紫の上にはもちろんショックだったでしょうけれども、源氏の風評的にも色々ダメージがでかい。紫の上を手籠め妻にしたころは、源氏もまだまだ若手のイケメンだったからまあ許すとして、それから20年くらい?後にも同じことをやってるっていうのもすごい。キモいというか・・「王の男」って、そういうお話なんですね!えっでも、っていうことは、韓国史のなかでもそういう文化が普通にあった、っていうこと・・?BLすごいなーほんとすごいなー。しかもマザコンかー、BL&マザコンかー、もう何が何だかわからないですね!でも源氏も、義理の母親である藤壺の面影を訪ねて三千里、だし、結局のところこれだから男って・・案件なんでしょうかね・・?Jasminお姉さまからのコメント:私、この女三の宮のイメージはなぜか若いころの深田恭子ちゃんなんです。知性はあまり感じられず無垢でコケティッシュ、その気がないにもかかわらず、あれよあれよという間に男性を破滅させていくオーラがあるというのか。ムンクのマドンナはより深刻な破滅を感じさせます。これには度肝を抜かれました!深キョン!!まさかの深キョン!!個人的に私は、今テレビ界にいる美女たちの中で一番きれいだと思っているのが深キョン、次が北川景子、なんですが(だからなんなんだ)、深キョンの若いころかー。私の感覚だと、深キョンってちょっと健康的すぎて、私のイメージするところの「血の巡りの悪い美女」(ことばを選ばずに言うと、いわゆる白●美人)みたいな感じとはちょっとずれてくるんですが、お姉さまの女三宮は「周りは深刻な破滅に見舞われるけど、本人からは深刻さは感じられない」みたいなことですよね。それもなるほどな、って思いました。確かにムンクのマドンナだと、内側からにじみ出る深刻さみたいなのがあるけど、女三宮にはそこまでの深さはないというのもわかります!それぞれのイマジネーションって面白いですね。>オフィーリア問題mafちゃんより:ウォーターハウスの船に乗ったオフィーリアも好きですねぇ。弱き女の哀しき最期が美しいのは夢と物語の中だけですが。ウォーターハウスの船に乗った奴は、シャロットの女、のほうかな?うち、このオフィーリアとシャロットの女、並べて飾ってあるのよ(笑)ロンドンのテートギャラリーは、もはや現代アートの殿堂みたくなってきたけれど、私の目当てはいつもこの二枚です。(この間行ったら、二枚とも貸し出し中だった・・しかも京都に・・)そして「弱き女の悲しき最期が美しいのは夢と物語の中だけですが」というのは、ちょっと近年まれにみる名コメントだね!!!心の底から同意!!!!!(でもあんまり掘り下げると事故りそうだからやめておく)木月さんより:ミレーのオフェーリア、モデルのエリザベス·シダルは、現実世界でも悲劇的な最後になりまして…こちらのブログで挙げられていた「プロセルピナ」を描いたダンテ·ゲイブリエル·ロセッティの妻になるのですが、旦那はプロセルピナのモデルになったジェイン·モリス(デザイナーのウィリアム·モリスの妻!)と恋愛、エリザベスはそれへの悩みや死産もあってか、結婚2年目に大量の服薬で死亡(ほぼ自殺)。ロセッティは罪悪感か、その後心身を病み、晩年は酒や薬に溺れて不眠に悩んだ末失意の内に死亡…妻のエリザベスか、不倫相手のジェイン(彼女をモデルに沢山作品を描いた!)か、どちらがロセッティにとってのファム·ファタールだったかと考えてしまいます。さすが、教養と見識があふれる情報を有難うございます!!私ね私ね、ロセッティは好きじゃないんですよ! ロセッティの描く女性って一人も美人だと思たことない!!でもそれはともかく、君たちおとなしく自分の妻をモデルにしておきたまえよ、っていう気はしてきますよね。このあたりの時代のミューズたちとそれを巡る芸術家たち、みたいなのって、よく坂口安吾の「不連続殺人事件」を思い出すんですが、アート界は乱脈でないといけない、みたいな美意識があったんですかねえ・・とはいえやっぱり、妻は妻、ミューズはミューズ、みたいなのが必要なのもわかりますけどね。あとみんな酒やら薬やらに溺れすぎ、とかね。まあ芸術家って、ちょっとイっちゃってないとできないことは確かだし、こういう生き方とかも含めて「芸の肥やし」なんでしょうか。(いま普通に「ゲイの肥やし」って変換になってビビった・・)Jasminお姉さまより:我らが文豪、漱石先生もこの絵に魅せられましたね。神経衰弱を治す癒しのような効果があったのでしょうか。ですよね! まあ水死体の絵を見て癒されるというのもどうなのか、という気もするのですが、この絵の草花の美しさ、空気の透明感は、確かに癒されます。水辺なのに、ドザエモンなのに、生臭くなく、ただただ美しい・・というそのアンビバレンスが、安らかな永遠の眠りをイメージさせてくれるのかもしれない!ロンドンの至宝のうちの一つであることは間違いないですね。皆様の温かいコメントに励まされて、楽しく連載を続けております。今後ともごひいきに!!

    • お返事の時間【ベニカの文芸サロン その7-1】

      皆様おはようございます!(はやくない)今週も皆様から頂いたコメントにお返事しつつ、掘り下げるような下がっていないようなベニカの文芸サロン、行ってみましょう!まずは踏み入れると沼にはまるこの話題から。>BLの沼の深さ問題数週間にわたって考察?してみた、ダ・ヴィンチもカラヴァッジョもオスカー・ワイルドも、世紀末に活躍した巨匠はみんなゲイ。そしてみんな洗礼者ヨハネにメロメロ、という案件から現代のボーイズラブ界隈について教えを乞うたところ、maf師匠(なんのw)よりいただいた解答:あと私が知る中で1番納得したのは、「男にとっては友情の表現が女にとっては愛情の表現そのもの、そのせいで女は男同士でつるんでいる姿が恋人同士にみえてしまうというのがスタート」らしいです!とのこと。なるほど・・わかる、ようなわからない、ような・男同士の友情って恋人同士に見える・・のか??まあでも確かに、女目線で見た場合、男が男に示す友情って、女の手の届かないところにあるものだから、それに憧れる気持ちはわかります。同性だからこその友情、というのが、女子同士よりも男子同士のほうが強固というか・・つまるところ女子の友情というのは、どちらかに「恋人」が現れるとまあまあ蔑ろにされる可能性が高い中、男子同士の友情というのは「恋人」よりも上位に位置する、というよりもそういう「美学」が確実に存在すると思っていて、そういう「何よりも優先される至上の愛情」みたいなものに対する憧憬なのかな、と思った。つまり女性である以上、同性との友情は「恋人」よりも格下、そして当の「恋人」はほとんどの場合が男性なわけですが、男性は「恋人」よりも同性との友情を優先するというサガにとらわれなければいけないわけで・・なんか書いてて悲しくなってきたじゃないか!でもそういうところをひっくるめて、それなら男性同士の友情含みの恋情というのが最強じゃない?!というのは納得かな~。これは多分、ものすごくいろんなジェンダー論と絡んできそうなので、この辺で引いておこう・・深すぎるわ、沼が。そして件のmaf先生(美しい女性)がなぜかBL漫画のモデルになった、というお話に至っては、女の女のための女によるボーイズラブということになり、ますますその深淵におののくしかない私なのでしたwwwでも私はそれでもやっぱり、女に生まれてよかった!と、思います!!>権力者は最後に力技使うからずるい問題これちょっとネタバレになるんで、サロメとかニーベルンゲンの歌のネタバレはしないでほしいという方はここは飛ばしていただきたいのですが(そんなニッチな人いるのかな)、メアリ様からのコメントを少し長めに引用させていただきます:男(ヘロデ)はそこまでれると、ひいてしまう。それまで、かわいがっていた女への愛着も、さめはてるのでしょうか。わかるけど、やはり、男の弱さ(優しさ)と、卑怯さ(ほんとは、ヨハネを処刑したかった)ですよね、ラストは。わたし、高校生でしたけど(なんという昔!) それは、ずるいわ、ヘロデ王!と、ひとりで(図書館で)わりきれなかったです。「ニーベルンゲンの歌」も、ヒルデブランドも、アッチュラ王も、ずるいです。クリームヒルトが、ハーゲンを憎む気持ちは、自然だと思うし、アッチュラだって、それまで、クリームヒルトに、好き勝手させておいて、あのラストはないよ、と、子供の頃、少年少女名作全集を詠んで、憤慨しました。本編では触れていない「ニーベルンゲンの歌」およびクリームヒルトのお話が卒然と現れるあたり、メアリ様の教養とセンス、さすがですね~。そうなんですよね、サロメもクリームヒルトもいわゆる「悪女」として描かれていて、まあ理由はともかく、権力者である男、「王」の意に背いて、憎い男(あるいは愛憎入り乱れる男)を殺してしまう。そして権力者である王は、この女たちのすることをある程度まで放っておいて、でも実際に大事件が起きると、当事者であるところの女を殺しちゃう、という。そうですよね、まさにおっしゃる通り、男は、可愛がっている女であっても、いざ本当にヤバいと思うと平気で殺すんですよね。だったらもうちょっと早めに止めといてよ、と言いたくなります。これらのお話に出てくる男には二種類いて、「殺されてしまう男」と「悪女をある程度甘やかしておいていざとなると殺す権力者」という二種類だと思うんですが、わかりやすく言うとたぶん要するに、「権力者ってずるい」ってことなんじゃないかなーって思いました。可愛がっている女とはできればうまくやりたい、だから彼女が増長してしまうくらいに甘やかす、でも結局、手綱を取り切れなくなったら殺しちゃえばいっかテヘペロ、みたいな、権力者ならではの思考がきっちり表現されているのかな、と。結局彼らのような権力者は、誰よりも自分が大事、可愛がっている女に対しても、可愛がっているだけで、「愛している」とか「何があっても守ってやる」とかいう感情はない、ってことですよね。そして、それこそがおそらく、ヘテロセクシャルであり、普通の、できる男、ということになるんじゃないでしょうか。嫌な世の中だな・・>好きなことを仕事にするとやり過ぎちゃう問題こちらもメアリ様より:ビアズリーの、サロメは、描きたかったこと。騎士物語は、お仕事で、好き好きですが、わたしは、ビアズリーのサロメが、苦手で、騎士物語は、好きでした。好きなことを描くときって、知らずにやりすぎてしまって、お仕事の場合は、おさえがきくような気もして、眺めていたものでした。これも、和泉式部か、式子内親王か、という(一部抜粋)ビアズリーは、オスカー・ワイルドのサロメの挿絵で有名ですが、我々文学少女のバイブルでもあるブルフィンチの「中世騎士物語」にも描いているんですよね。そしてサロメでのあの跳梁跋扈っぷりが、中世騎士物語においては控えめ。つまり、サロメはビアズリーの「好きなこと」だったためやりすぎちゃって、メアリ様はそれが苦手だった、とおっしゃるのですが、そしてこの話題は和泉式部か式子内親王か、という女流歌人対決でも大昔からよく話しているのですが、改めてよくわかるわ・・。プロとしてのお仕事って、ある程度描く対象と距離を取って、クールに描く、ってことも大事ですよね。入り込みすぎるとダサくなる。花魁は、閨の営みにおいて喜びを感じるのは野暮とされたらしい、みたいなことともちょっと似てるような気もする。あるいは、恋人同士を舞台上で演じる二人が、リアルに恋愛してるのが見えちゃったりするとちょっと引く、みたいな?でも距離を取り過ぎてると誰の心も打たないものになってしまうし、そしてもちろん、プロのアーティストも人間だから、対象との距離感はいろいろあろうし・・とか。突然私の話にするのもおこがましいですが、やっぱりチェーザレと義仲の小説は、書きたくても書いちゃいけないような気はしてます・・。今書きたいのは後鳥羽上皇と島津義弘かなあ・・。(誰も聞いてない)ちょっと今回は分割で!

  • 30May
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      世界で最も美しい水死体【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その49】

      「人類最初の女」と言われるイブやパンドラが、男を破滅させるどころか人類を大変な目に合わせるというお話は今まで見てきたとおりですが、→林檎を食べたらあら大変のイブ、箱を開けたらあら大変、のパンドラこの前提のせいで、女性というものが長い長い弾圧に晒されてきた、というのはひとつの事実でしょう。けれど同時に男は女に弱い。女に弱くない男もいっぱいいるみたいだけど(笑)、一般的には男は女に弱い。特に若く美しい女性に弱い。それを良しとしない文化が、幾度も幾度も、「女性は諸悪の根源」「女犯は罪」と口を酸っぱくして言い続けても、やっぱり男は女に弱い。結果として言えば、男が作った(に間違いない)「女は悪」という前提条件が、男たち自身への呪いとなって返ってきている例も多数あります。自縄自縛ってこのことだよね!そしてもちろん、この呪いは女性たちにも降りかかる。「女の子大好き、でも大嫌い」的な二律背反の中で、イブやパンドラの子孫として、息をするように男を破滅させる女たちもいれば、当然ですが、男の呪いに返り討ちにされて破滅させられてしまう女もいる。その筆頭が、弱きもの、汝の名は女。のセリフで有名なシェイクスピアの悲劇、ハムレットにおけるヒロイン、オフィーリアではないでしょうか。これもほぼ無料で読める文学作品なので、ぜひ原作をお楽しみいただきたいところですが(そしてそのハイテンションな展開に震撼していただきたいところですが)、オフィーリアに関する部分だけかいつまむと、デンマークの王子であるハムレット。王である父親が死ぬと、その弟が王位につき、叔父である新王とハムレットの母親が結婚する。(この話、サロメと一緒だな・・)しかし城には夜な夜な亡霊が現れ、どうやらそれはなくなった父王であることに気づくハムレット。父王は、自分を殺したのは、今は王となっている弟であると告げる。ハムレットは、狂人のふりをして真相を探り、復讐をすることを決意する。オフィーリアは王の側近の姫であり、そんなハムレットと(いろいろあるけど)相思相愛の恋人。けれど半分わざと、半分くらいはリアルにメンタルをやられてしまったハムレットは、愛する相手であるオフィーリアに、モラハラセクハラ全開、しかも意味不明な謎の暴言を投げつけて彼女への愛を否定し、彼女を絶望させます。有名な「尼寺へ行け!」ですね。そのうえ、オフィーリアの父親を刺し殺すなど、ハムレット王子のご乱心はエスカレート。愛する人が狂って自分を傷つけたうえ、父親を殺されてしまったオフィーリアはこれまた発狂。王や王妃たちの前で姫としてあるまじき卑猥な歌を歌いだすという狂態を見せたのち、水死。この世界で最も美しい水死体と言われるオフィーリアの死は、ものすごい勢いでいろんな画家が描いていて、いや~みんな結局好きだよね、そういうの。としみじみとした思いにもなりますし、何を隠そう私の部屋にも飾ってあります、この絵。水死体を見ながら毎日眠りにつく私・・考えてみれば怖い。このいろいろ突っ込みどころ満載のハムレット&オフィーリアですが、ハムレットのマザコン、女性不信、女性恐怖症っぷりは、やっぱり「女は悪という思い込み」の呪いのせいだと思うんですよね。というわけでファム・ファタールたちの逆サイドの犠牲者、ファム・ファタールじゃない陣営代表のオフィーリアについてはまた次回書きたいと思います!

  • 29May
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      ZARA & JO MALONEの新作香水【恋とエロスと教養と 番外編】

      (突然ですが香水レビューです。ご興味ない方は申し訳ない!でも巴御前出てくるから!!)大好き!でも高くて困る!といえば、JO MALONEの香水。私は普段からRED ROSESを愛用しているのですが、ひと瓶使い終わるとやや鬱々とした気持になるくらい高価…貧乏性なもので…ここで救世主のように現れたのが、ZARAとJO MALONE本人のコラボ、というまさかのフレグランス。値段、ざっと3分の1くらい?すでに一月くらいからヨーロッパでは販売が始まっていたのですが、買いに行くにも行けないこのご時世、じーっと日本発売を待っておりました。そしてついに、今週水曜日から日本上陸!!ただし時節柄、オンラインでの購入になりますよね…初めて買う香水を、試しもしないでオンラインで買うって危険な試みですよね…そう思って散々、海外の香水レビューyoutuberの動画で香りを妄想していたのですが、もちろんそれでわかるはずもなく。安いとはいえ、香り関係は失敗するとどうにもならないし。というわけで恐る恐る、一本だけ購入してみました!その名もVETIVER PAMPLEMOUSSE。その名のとおり、ベティバーとグレープフルーツ(PAMPLEMOUSSEは、フランス語でグレープフルーツ)の香りなんですが、これが大正解〜!!!すごい気に入りました。フレッシュなグレープフルーツの果汁が飛び散るような爽やかさ、ちょっと感じる苦味と甘みが絶妙で、香りの変化もあまりなく、私の苦手な「いかにもなラストノート」に移行しません。安定してフレッシュ感とちょっぴり感じる甘みが持続。例えて言うならまさに巴御前に似合いそうな香り(マジか)このままだとちょっと爽やかすぎるかな、というときは、RED ROSESとのレイヤリングもとても良い。何故か逆に、薔薇の香りの甘さが強調されてとても甘美、でも明るい空の下の甘さ。ファム・ファタール的な女の匂いとは相容れない、そうだなあ例えて言えば全盛期の藤原定子に似合いそうな香り(重ねてマジか)これで40ml 2990円は破格。どうやらオンラインショップでは全種売り切れのようで、次回入荷が待ち望まれますが、これは買いだな。ほかの香りも早く試してみたい〜!!

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      かぐや姫はファム・ファタールたりえるか【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その48】

      源氏物語における女三宮の破壊力は前回、お楽しみ(?)いただけたと思うのですが、でもやっぱり日本古典文学におけるファム・ファタール代表って、かぐや姫、なんでしょうかねえ・・ということでちょっと検証してみようと思います。これはもう説明不要かと思うんですが、たいがいな話ですよね。なんであんな時代に、こんな理不尽なSFみたいなお話が存在したのか・・ナスカの地上絵並みにミステリーではありますが。ていうか、果たしてかぐや姫はファム・ファタールの血脈の人なのか、というのをつらつらと考えてみたんですが、考えれば考えるほど本当に謎。竹取物語って、日本最古の物語じゃないですか。つまりこれ以前には「物語」ってないんですよね。(まあ古事記が物語としての機能をはたしていないとも思えないですが・・)でもいわゆる「はじめてのものがたり」にしては設定が特殊すぎません???特殊な設定のかずかずといえば1)主人公が宇宙人2)この宇宙人たちは、人間より遥かに高い文明を持っている3)宇宙人は宇宙(月?)と地球を行き来する能力がある4)宇宙人には感情というものがない5)主人公は罪人であり、罰として地上に落とされた6)宇宙人にとって地上は「穢れた場所」7)主人公は言い寄ってくる男たちに無茶ぶりしまくってほぼ全員を破滅させる8)主人公は人間と過ごすうちに「感情」というものを覚えたもよう9)主人公はこの「感情」をなくしたくないと思うが、宇宙人たちによりそれをなくされ、感情のない宇宙人になって故郷に帰っていく。10)主人公が人間界に残した土産が、不死の薬11)不死の薬を手に入れた帝だったが、「あの人がいないならこんなものいらない」といって富士山のてっぺんでこれを燃やすって・・どこから突っ込めばいいんでしょうか・・こんな特殊、かつSF、かつ鬱展開の物語が、「はじめてのものがたり」として成立するって異常ですよね? なんていうか、普通ならいろいろと一回転半したところで出てくる設定、筋書きじゃないですか。この物語ができたのって、西暦950年前後ですよ? 作者不詳というのも不穏すぎるし・・もはや怖い。ただまあ、この「宇宙人」を、「神様」と置き換えると意外とすっきり行く話ではありますよね。神様というのはたいてい人間より数段残酷なものだし、言い寄ってくる男たちを破滅させるというところは、サロメ的なことというよりはどっちかというとアルテミス的な感じ。サロメもアルテミスも「残酷な処女」であり、残酷な方法で男を殺していますが、その違いは相手に「恋情があるか、ないか」だとすればかぐや姫は明らかに後者。だからまあ・・そういう意味では、ファム・ファタールではないですね、かぐや姫。人間の男を破滅させるのなんて、女神陣営からしたら何の罪悪感も背徳感もないし、当然、自堕落とか怠惰とかとも無関係。だからこれはファム・ファタール物語ではなく、残酷な処女神物語の系列として読んだほうがいいということなんでしょうか。ちなみに、かぐや姫はかなり意識的に、処女のままであることが明記されているということもありますし。でもこれも、セクシャルなことにはかなりフリーダムな平安貴族文化にあってはなんていうか特殊としか思えないし。なんなんだいったい。というわけでかぐや姫はファム・ファタールたりえるかについての検証は、ファム・ファタールにあらずという結論でいいかと思うんですが、それにしても謎が謎を呼ぶなあ・・

  • 28May
    • 源氏物語の虐殺兵器・女三宮【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その47】の画像

      源氏物語の虐殺兵器・女三宮【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その47】

      先日コメントでメアリ様より、「ファムファタルで、日本のヒロインって誰でしょう?」というご意見をいただいて、これは面白い、と思って早速食いつくわけですが、メアリ様は源氏物語の夕顔をあげていらっしゃいましたが、夕顔はたしかにファム・ファタール属性はあるけど、男に致命傷を与えているというわけではないので、ややランクが下がりますね・・光君はあの一件でもちろん傷はおったでしょうけれど、致命傷とまでは言い切れないし。メアリ様は、源氏物語のヒロインたちにファム・ファタールがほとんどいないことから、「紫式部って真面目だったのかしら」とおっしゃっているのですが、これはすごく納得です。まじめな女に、不真面目な女はなかなか描けないのかもしれない。というか、描きたくないのかもしれない。そういえば、源氏物語に登場する女性たちはみんな真面目だわ・・。悪女といったらこの人、という六条御息所(嫉妬のあまり悪霊になって恋敵を呪殺)でさえ、超真面目。ファム・ファタールの必要条件として「自堕落」「頽廃的」というものがある以上、まじめな女性はなかなかファム・ファタールにはならないですもんね。そしてつらつら考えるに・・いた!一人だけいました、源氏物語のヒロインの中でファム・ファタールたりえる女性。しかもきっちり男を破滅させてる。しかも、複数。もしかしてこの物語のラスボスはこの人だったのでは・・と思えるくらい、不幸と破滅を振りまく女。それこそが・・女三宮(おんなさんのみや)!!!この絵は、「叫び」で有名なムンクの描いたMadonna、ですが、私にとっての女三宮のイメージ。不義の子・薫もちゃんと登場してるし・・サロメやカルメンと違って源氏物語はかなりの長編でもあり、また語りだしたら100回分くらい連載したくなっちゃうマイ・フェイバリット小説なので、どこをどうかいつまめばいいのかよくわかりませんが、源氏物語ファンにおそらくもっとも忌み嫌われている女、この女三宮。すごーーーーくかいつまむと、女三宮は、前の帝の皇女であり、光源氏にとっては姪にあたる女性。光源氏が40歳前後の、当時としては老境に差し掛かったころに、15,6歳のうら若き幼な妻として結婚します。源氏にはすでに何人かの妻がいましたが、その産まれの高貴さももあって、一気に「正妻」に。ただしこの幼な妻は文字通り幼いだけで、源氏はすぐに飽きてしまいます。当の女三宮は飽きられても特に気にしないほどの無邪気さ。そんななか、人妻とも思えない軽率さのせいで、しどけない姿の彼女を「垣間見る」ことになってしまったのが源氏の息子の親友・柏木。身分の高い女性のプライベートな姿を「見る」ということは、当時の男性貴族にとっては「全裸のプリンセスが据え膳の上で横たわっている」くらいのインパクト。すっかり参ってしまった柏木は、ついに女三宮の部屋に忍び込み、強引に不倫関係を結びます。女三宮はもちろん嫌がりますが、流されるようにしてこの関係に慣れてしまい、なんと不義の子を妊娠・出産。ところがこれが、またもや女三宮の不注意により光源氏にばれたからさあ大変。平安貴族らしい陰険さで、息子の親友をいびり始める光源氏、そしてそれに耐えきれず心と体を病んでしまう柏木。そしてついに、柏木は死んでしまいます。(破滅一人目)光源氏も、女三宮を娶ったことで、誰より愛する本命の妻である紫の上を傷つけてしまったうえ、名ばかりの正妻と不倫相手の不義の子供を自分の息子として育てる羽目になり、しかも愛する紫の上は失意の中で死亡。光源氏もまた後悔と絶望の中、出家してひっそりと命を終えます。(実質的に破滅、二人目)さらに問題の不義の子である薫は、その呪われた生い立ちに縛られ、コンプレックスと苦悩にまみれた暗い人生を歩むことになります。(破滅まではいってないけど、まあ三人目)都合、3人の男を(しかも光源氏と薫は実質的に主人公)破滅させ、物語の最大のヒロインである紫の上を不幸の中で死なせる、というリーサル・ウェポンぷり。死屍累々といってもいい。ただし、本人にはそんな意図はまったくなく、ただただ軽率で流されやすく、不注意を繰り返しただけであり、美しいのは美しいんでしょうけれど、頭もよくないし才能も教養もない。こんな女のせいで、全人類の中で最も美しく才能に恵まれ現世での出世さえ極めたチート能力全開の最高権力者・光源氏が人生に絶望するんですよ! そしてその妻であり、当時のスーパーヒロイン、全平安貴族の心の恋人・紫の上が不幸なまま死ぬんですよ!さらに光源氏が死んだ後の物語の主人公である薫もまた、このある種の毒親のせいで、絶対幸せになれない鬱展開しかない人生を歩むんですよ!! 不倫の当事者で一人目に破滅した柏木はまあ、自業自得だから仕方ないとして、こんな壊滅的な玉突き事故ありますか!当初は、光源氏というスーパーヒーローの絢爛豪華な恋物語&出世物語だったはずの源氏物語は、女三宮の登場で惨憺たる様相に一変してしまうのです。これはもう「致命傷を与える女」ファム・ファタールとして堂々の活躍ではないでしょうか。真面目な天才女流作家・紫式部が構築した「真面目な美男美女の美しい恋物語」に、ファム・ファタール一人を放り込んだだけでこのありさま。さすがはイブとパンドラの血脈を継ぐモノ、としか言いようがない破壊力です。そしてそれによって本人が何を得たかといえば・・ほとんど何も得ていない。不義密通がバレた時点で強引に出家して尼になり、まるで呪いの人形のように、ただただ不幸の象徴として引きこもってる。しかもですよ。女三宮、というのは、「第三皇女」という意味であって、彼女の本名でないどころか、固有名詞ですらありません。紫の上とか夕顔とかも、本名じゃないけど「固有名詞」ではある。でもこの物語的に虐殺兵器であるところの女三宮は、徹頭徹尾、どんな固有名詞も与えられることなく「第三皇女」という一般名詞で呼ばれ続けるわけです。もちろん、ほかにも女三宮という登場人物もいます。(天皇が複数いれば、そのそれぞれに第三皇女がいるのが普通だしね)固有名詞すら与えられず、自分からは何一つしていないのに徹底的に麗しの主人公たちを不幸にする「女」って・・なんかうすら寒いくらい怖い!恋敵を呪殺する鬼女よりよっぽど怖い!これは、「真面目な美男美女はこういう無自覚な悪魔にこそ気をつけろ」という紫式部からの伝言なのでしょうか・・

  • 27May
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      天才夫と百人一首【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その46】

      突然なんですけど、今日って、百人一首の日なんですって!百人一首は、日本人がほぼ強制的に触れさせられる教養のうちの一つだと思うので、いつかは必ず語りたいと思っています。そして、漫画や映画で大流行した「ちはやふる」のおかげで、私が若かった時よりは知名度があるのか・・ないのか・・?でもいまはファム・ファタールシリーズの途中なので、今日は番外編を。わたしにはこう見えても夫がおりまして、彼は自他ともに認める超天才。そして、彼も私も無類のゲーム好き、勝負好き。なので、お正月などに親戚一同で百人一首などを始めようものなら、義理の母はもちろん甥っ子や姪っ子がドン引きするほどの真剣度合いでかなりハイレベルな戦いを繰り広げ、裂ぱくの気合飛び交う名勝負を展開しているわけですが、夫の実家の百人一首があまりにも素晴らしすぎて。彼が小学校のころから使っているものらしく、当時のいたずら書きが残ったままなのですが、いやこれほんと天才だわ、この人、と、思わず負けを認めたくなる出来栄えなのです。やばくないですか??!いやー、子供のセンスってすごい。有馬山 猪名のささ原辰徳!ゆくへも知らぬわけない 恋のみちかなあ、さあね!明けぬればくるくるパー!!(しかも矢が刺さってる!!!)これ以外にも傑作がたくさんあるのですが、こうやって百人一首を楽しんでいたんだなあ、と思うと、ほんと侮れない・・。そしてこの加工されまくった読み札で数十年間、百人一首をやり続けている夫の実家の皆様も、すごい。しかも当時の夫は、ふつうの百人一首の遊び方だけでは飽き足らず、「百人一首戦争」と称して、別の遊びを考案し友人たちに広めていたらしく、これは読み札(絵札)のほうを配って、プレイヤーは1枚ずつそれを場にだし、身分の高いほうが勝利するという斬新な遊び方だった模様。天皇と上皇だったら天皇のほうが偉い、天皇同士だったら時代が古いほうが偉い、とか、ヒラ同士(位や官職なしの名前)だったら殿より姫が偉い、蝉丸は坊主界最強、とかいろいろな特殊ルールを編み出しつつ毎度毎度勝負していった結果、小学生たちはやたらと平安時代の官位官職に詳しくなり、さらに百人一首の歌だけでなく歌人にまで興味を持つようになっていったとのこと・・。なんていうか、教養遊びの原点を見るような思いです。そうやって遊びながら覚えたことって、大人になっても忘れないし、それをフックに、知的好奇心や教養・芸術に対するセンスが磨かれるのってとても素敵なことだと思います。かく言うわたしも、夫にはかないませんが、百人一首ではやたらとよく遊んでいました。母の実家近く、廃校となった学校のだれもいないグラウンドのあちこちに新聞紙を敷いて百枚の取り札を分散させて配置し、兄弟や従姉妹たちとともにグラウンド中を走り回りながら競ったのは本当に楽しかった~!!まだもうすこしStay Homeが続きそうな生徒さんたちには、ぜひ、ちょっと変わった百人一首遊びをお勧めします!読み札にいたずら書きをして大喜利、とかでも全然いいと思う!ぜひ傑作を作って、私にも見せてください♥百人一首、知ってる歌はある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう

  • 26May
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      「青の女」サロメと「赤の女」カルメン【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その45】

      ファム・ファタールが「男(あるいは人類)の運命に致命傷を与える女」であることは前回書いてみましたが→「美女VS美少年戦争勃発か?」イブやパンドラのような人類にとっての自爆用リーサル・ウェポンレベルではなくても、一人の男に致命傷を与えるファム・ファタールというのは多く存在します。その名も「イブ・プリマ・パンドラ」という絵。イブとパンドラを合体させたという、これぞ神々の最終最強兵器。byJean Cousinそして、イブやパンドラがそうであったように、ファム・ファタールには様式美というものがあります。というものは、「謀略に優れた悪女」とか「用意周到な計画をして男にダメージを与える」とか「確かな目的があって男を破滅させる」とかはダメなんです。もっとこう・・なんていうの、自然体?ナチュラル・ボーン・キラーというのでしょうか、まるで息をするように男を破滅させる美女。これこそがファム・ファタール。さしたる理由もなく気まぐれや好奇心、プライドやわがままといういかにも「女っぽい」理由で、愛する男を(たまに愛してない男も)破滅に導きます。しかもたいてい本人も破滅する。でも破滅願望がありそうだから、それでいいみたい。だからサロメなんかは、もう完璧にファム・ファタールの様式美を満たす満額回答。・・わかりますわかります、イヤな女ですよね。間違いなく女から嫌われるタイプです。そしてそういう女に引っかかる男というのも、もう馬鹿丸出しって感じですよね。男からも女からももう、ヘイトを買う要素しかない。そんな女たちとの恋愛を避けて少年愛に走る偉人達の気持ちが痛いほどわかります。けれどこうしたファム・ファタールとそれに振り回される男たちのお話は、需要もあり、人気もあり、そして読んでみると意外と魅力的。いくつかご紹介してみましょう。人類は破滅させないけど男を破滅させる美女としてまず有名なのは、カルメンやマノン・レスコーでしょうか。マノンはまあ、日本ではあまりなじみがないので置いておくとしても、カルメンのお話はみなさんご存じですよね?このあらすじは、書いてしまうと身も蓋もなさすぎてちょっと戸惑うくらいですがまあ、やってみます。ドン・ホセという兵士には、美しい婚約者がいたが、ある日、カルメンという女と出会う。情熱的でセクシー、そして気性が荒すぎる上に不良女であるカルメン誘惑され、恋に落ちたドン・ホセは、彼女の堕落した生活から抜け出せなくなり、犯罪に手を染め、身を持ち崩す。とはいえ結婚までして、二人そろって破滅街道まっしぐら、かと思いきや・・カルメンの気持ちはあっという間に冷めて、次の男へ。それを知ったドン・ホセは絶望し、カルメンを殺す。えっ。身も蓋もなくない?!身も蓋もないんですけど、意外とすがすがしいような気が、しないでもなくない?サロメと同じく、短い小説なので、気になった方にはぜひ原作をお勧めしますが、同じファム・ファタールの代表でありながら、サロメとカルメンの真逆っぷりはなかなか興味深いものがあります。王女であり処女であり、恋さえも知らないサロメが初恋の相手・ヨハネに冷たくされ、無邪気な残酷さでその生首を手に入れ口づける、という得体のしれない「猟奇的な彼女」っぷりであるのに比べ(殺されたのは男のほう)、カルメンは貧民階層の女であり、平気でだれとでも寝てしまう、ワンナイトラブ大好物!の剛の者。ほぼ遊びでカタギの男を誘惑してみた結果、思いのほか付きまとわれたので一緒に楽しんでみたもののすぐ飽きちゃう。そして冷たい態度に絶望した男に殺される。(つまり殺されたのは女のほう)。ドン・ホセは破滅というか自爆したけど、一応生きてる。カルメンに猟奇的なところはあんまりない。どちらもダンスがうまい、という意味での共通点はありますが・・性質的にも、話のオチとしても全く逆。サロメが青白い月の光にたたずむ「青の女」だとしたら、カルメンは強い太陽の下、あるいは不健康な夜の灯りの下で仁王立ちする「赤の女」。カルメンが書かれた1845年、サロメが描かれたのは1891年なので、おそらくオスカー・ワイルドはカルメンを読んでいたと思うし・・まあ、生命力とセクシーさ、あるいは淫猥さにあふれた「女の本能代表」みたいなカルメンは、ゲイ陣営の最も嫌な相手だろうから、その正反対のサロメを世に生み出したのも(勝手に)納得かな。わたしは意外とどっちも好きです(笑)どっちも全然私自身とは似ていないと思うので、あまり感情移入はできませんが、より絶対似ていないほうのカルメンについてはもはや憧れすらある・・。カルメンにはなんていうか、自分の墓穴まで自分で掘ってそこにジャンピングINするような覚悟があるというか。行きつくところが結局は「破滅」であっても、それを覚悟でやっているか、無自覚でやっているかでだいぶ違うような気がする。そしてカルメンは、「破滅」を知って、そこに向かって突っ走ってる。ドン・ホセは、破滅に全力疾走中のカルメンに巻き込まれて貰い事故にやられた、みたいなもので、しかもカルメンのほうは綺麗に殺されてちゃんちゃん、だけどドン・ホセは生き残り、より一層の破滅に突き進む。カルメンにとってはある種のハッピーエンドなのだろうし、だから女である私から見て、すがすがしさを感じるのか・・?な??破滅させられる男から見た場合、赤型ファム・ファタールのほうが被害が大きいのかしら・・ちょっと次回からまた考えてみようと思います!

  • 25May
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      美女VS美少年戦争勃発か?【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その44】

      さてさてやっと一段落した「首を切る女」シリーズ。長かった・・その過程で、某mafちゃんのご薫陶もあって、少年愛文化の深淵を覗き見てしまったので、いろいろ思うところがあって・・何しろここは「美女研究所」ですからね!古今東西の美女を研究して、いかにして「美女」を日本に増やすか、というのが目標でやらせてもらってるので、洗練された文化において、大概の場合「美女」よりも「美少年」のほうが価値がある、ってことになっちゃうと困るんですよwwwアイデンティティが揺らぐじゃないですか(笑)というわけで美女の復権をかけて、「ファム・ファタール」問題。行ってみましょう。この連載のすごいところは、皆様のコメントやご感想に応じて話の行き先がどんどん変わるところで、私もこの先どんな展開になるのかさっぱりわかりません。世代を超えて、性別を超えて、何なら国境を越えて楽しめるのが、人類の普遍的知性をダシにみんなで楽しむ教養遊び。ぜひ、奮ってお付き合いください!さてファム・ファタール。そもそもこの言葉って、皆様、ご存じでしょうか。言葉自体はフランス語、Femme Fataleと書きます。Femmeは「女」、Fataleは「運命的な」という訳が一般的かと思いますが、それだと「運命の女」という翻訳になり、これは日本語の語感としては「赤い糸で結ばれた運命の恋の相手」みたいなイメージになっちゃいますよね。でもそうじゃないんです。Fataleは、「運命を決定づける力を持った」という感じの意味合い。むしろ、「致命的」と訳したほうがいいかも。なので、Famme Fataleは「運命のお相手」ではなく、「男の運命を(主に悪い方向に)決定づける女」という解釈が一番適当かと思います。そして、世界一有名なファム・ファタールといえばおそらくこの人。林檎を食べたらあら大変、のイブ。アダムとイブのイブ。もはやこの連載のお抱え絵師状態のクラナッハ(父)の作品。アダムを唆して、全能の父であり神でもある人の言いつけを破り、「罪の実」を食べさせた人類最初の女。それがもとで、アダムとイブは何不自由ない生活ができた「エデンの楽園」を追放され、この苦難と苦痛にまみれた「世界」で暮らしていかなければならなくなった、という・・まさに「致命傷を与える女」イブ。実際には、イブより前に「アダムの最初の妻」といわれる、そしていろいろ刺激的な女性であるリリスという登場人物もいるのですが、実質的にはリリスはファム・ファタールではないような・・でもその話はまた次の機会に。何はともあれこの「女」であるイブのせいで、「男」および「その子孫全員」つまり人類全員がとんでもない迷惑をこうむっているという意味では世界最強のファム・ファタール。そしてこの「女は悪」という価値観が、その後の女性にどれだけの悲劇を生み出すことになったのかは(そして今も生み出しているのかは)想像に難くありません。そしてそのイブに匹敵する「人類に致命傷を与えたファム・ファタール」、ギリシア神話界代表は、パンドラ。むしろこっちのほうがイブの原型となった節もありますが、こちらも「人類最初の女性」。こちらのお話は、かいつまんで言うと、人間が「火」というものを手に入れてしまい、増長することを恐れた神々の王・ゼウスは、人間たちに災いをもたらすため、最終兵器を準備します。それがパンドラ。当時は男しかいなかった人類への贈り物という名目で送られたこのリーサル・ウェポンこそが「女」でした。鍛冶の神ヘパイストスが腕によりをかけて美しく作り上げたこの「女」に、そのほかの神々は素晴らしい才能や技術を仕込みます。そして出来上がった「誰より美しく誰より才能にあふれた絶世の美女パンドラ」。出来上がった彼女を人間界に贈る際、神々はその手に、美しい小箱を持たせました。そして「決してこの箱の中身を見てはいけないよ」と、パンドラに伝えたのです。パンドラは人間の男と結婚し、幸せに暮らし始めますが、でもまあ、開けるよね。そりゃ開けるよ。そして開けてしまったその箱の中身は・・「苦悩、嫉妬、悲しみ、厄災、そして疫病(!)」。こうしてこの初めての女の無思慮のせいで世界は苦難に満ちたものとなってしまったのでした・・けれど、パンドラが慌てて箱のふたを閉めたときに、一つだけ、人間の手元に残ったものがありました。それが「希望」。だから人間は希望を捨てずに、今も生きていられるのです。(いろいろ解釈はあるけど)そりゃ開けるよね・・ こちらは私の一押し、ウォーターハウス作。オチの「希望」云々を除けば、言わんとするところはイブのお話と似てますよね。要するに、ファム・ファタールが悪い、と。そして男は容易く、この愚かで、しかし美しい女という存在の魅力に負け、破滅を共にしてしまう、と。いや、女としては迷惑な話ですけど!迷惑ですけど!!!でもむしろ、ここは、よくやった、と褒めたい・・。美少年に、勝った・・(のか?)少なくとも神々のリーサル・ウェポンとして作られたのが「美女」であったことを胸に刻んで、「美女研究所」は強く生きていきます!

  • 24May
    • クイズの正解発表!(アルテミシアの宣戦布告)【ベニカの文芸サロン その6】の画像

      クイズの正解発表!(アルテミシアの宣戦布告)【ベニカの文芸サロン その6】

      今日は日曜日。いつもであればお返事の時間として皆様のコメントを引用しつつお返事をさせていただくところなのですが、今日はクイズの発表に当てさせていただきたいと思います!いろいろと興味深すぎる問題を振っていただいているので、お返事についてはまた明日以降に。BL問題やファム・ファタール問題など・・世の中に楽しい話題の種は尽きませんね、幸せなことです!さてまずはクイズの問題のおさらいから。旧約聖書の「外典」に登場する正義のセクシーヒロインユディト。麗しの未亡人でありながら、敵将を篭絡し、その閨で首を落として暗殺し、しかも生首をもちかえる、といういろんな要素が詰め込まれすぎてる女傑。このエログロ&フェミニズム入り乱れる題材にインスパイアされた作品はたくさんあり、多くの偉大な芸術家が問題の「首切りシーン」を描いています。そんな中、とても似ている二枚の絵がこちら。A 黄色いドレスのユディトB 白いドレスのユディトどちらかは男性の手によるもの、どちらかは女性の手によるものですが、どっちがどっちでしょう!というクイズを出したところ、魅力的なお答えとその理由をお寄せいただきました。ありがとうございます♥そもそもの出題の意図が、正解を当てるためのものではなく、「なぜ、この絵を男性(あるいは女性)が描いたと思うのか」という皆様のご意見を参考にまた新しい話題の種を探そう、というものだったので、正解/不正解は全く関係ないという前提でお読みくださいませ。まずは、こちらのご意見。高校やお仕事での大先輩、H先輩から!「Aが男性の書いたものでしょうか? 理由は、意味なく胸が開いてて谷間がはだけてるから、です。まあヨーロッパ人よく(かなりのお歳の方でも)谷間+α出してますけどねぇ。」おおお、素晴らしい目の付け所ですね! 男性のほうが、ヒロインの胸をよりはだけさせ、セクシーさを強調するだろうという視点!わかる!! たしかに、ユディト単体で見た場合、Aのユディトのほうがセクシーというか、未亡人の色気みたいなものが出てますね。なるほど、納得です。続いてmafちゃん。こちらはシンプルに「Aが女性の手に一票です!美貌の未亡人ってアヤシイ響きですよね」美貌の未亡人、は妖しいよね!!お次はメアリ様。「ほんとに、わからなかったです。むずかしいけど、Bの絵が女性かなぁ…」Bの絵のほうが、ユディトの顔は美人ですよね。(私の好みの問題・・?)ジャスミンお姉さま。「Aの絵を描いたのが女性だと思います。それにしてもどちらも怖いですね!」ここなんですけどね・・私がサイコパスなせいか、想像力がないからか、実はあんまり怖いと思えなくて・・むしろ、いけいけユディト、がんばれユディト、と応援したくなっちゃうんですよね・・私、男性に深い恨みがあるんでしょうか。そしてま。さん「Aの絵が女性の描いたものかと思いました。Aは堂々と斬りにいってますので、女性視点の強さを表現してるように感じました。Bの絵はイヤイヤやってる男性の理想が出てしまったような…。」なるほどなるほど!女性は、自分をユディトになぞらえてあくまで強く、男性側は自分をホロフェルネス(首を切られれてる男)になぞらえて、できればイヤイヤやっててほしいな、ということですね。いいご意見!どちらが女性か、ということについての答えとしては、Aが3名、Bが2名ということで、いい具合に票も割れていて、皆さん難しいとおっしゃっているので、つまり、「絶対こっちが女性!」みたいな決定的なことはないんだな、というのも大変興味深いと思っていますが、一応正解は、木月さんがコメントしてくださっています。「ユディトの絵のクイズですが、言っちゃってよろしいですか?Bは男性(この人もゲイ)だと知っているので、Aが女性なんですね。なる程、エロティシズム溢れるモチーフの筈のユディトを肉屋の女将さんみたいに描くのが女性と知って納得です。」そうかー、Aの勇ましいユディトは、見方を変えると肉屋の女将さん、なんですね。これもまた興味深い。そして・・木月さんがおっしゃっているように、女性の手によるものはA。そしてBは男性・・ただし、ゲイの男性の手によるものでした!!いや男性と言ってもちょっと特殊な男性なので、そりゃ難しいと思うんですよ。だからこそ、票が割れたり、皆さん難しいと思ってくださったんじゃないかなと思っています。マッチョでストレートな男性画家だと、またちょっと違う表現になってたのかもしれない、とも思いますが。ここまで似た絵はほかにはないのですが、まあ次点でこんな感じ?魔性の未亡人が非現実的に優雅w そして過剰にエロwwwこちらはおそらくゲイじゃない男性画家、ヴェロネーゼのもの。問題にした絵は、Aがアルテミシア・ジェンティレスキ(女性)Bが(ここのところずっと話題だった)カラヴァッジョ(男性、ただしゲイ)のものでした!皆様お付き合いいただき、ありがとうございました!ところでアルテミシア・ジェンティレスキは、女性として名前を残した最も古い画家のうちの一人、であり、彼女の「レイプ裁判」がかなり詳細に残っているという、いろんな意味で注目の女性です。現代でさえ、レイプ裁判というのは女性にとって過酷なものになりがちなところですが、当時はもっともっと大変だったはず。しかもそのレイプの犯人というのが若いころの彼女の絵の師匠だった男なので、セクハラ、モラハラ、レイプ、さらに裁判によるセカンド・レイプと、才能ある女性の受難のすべてを先取りしているアルテミシア。そして、この連載を読んでくださっている方ならピンとくるかと思いますが、その名前は月の女神にして残酷な処女神、アルテミスからとられたもの。いろいろと考えさせられます。強く、才能にあふれた女性が男性社会で活躍するというのは、本当に大変なもの。処女神の名前を持ちながら、師匠に性的に搾取され、裁判という名のもとに「社会」からも強姦された彼女のことを思うと暗澹たる気持ちにもなりますが、その描いたユディトを見ると、ちょっと胸がすっとするのは事実です(笑)そう思ってみると、ちょっと見方が変わってきますよね。剣をふるうユディトは、おそらく自画像でしょう。切られている男は、師匠にして強姦者・タッシでしょう。能動的に強い意志を持って憎い男の首を切ろうとしている女性。胸がはだけてもなりふり構わず、魔性の未亡人、という雰囲気は跡形もないくらいに特に美人でもなく(だから自画像かな、って思う)、肉屋の女将さんばりに現実的に、宿敵の首を切り落とす女性像は、まさに「男性社会」という理不尽な世界を、自分の意志で切り開いていくというアルテミシアの決意を示すようです。処女神・アルテミスは、自分の裸を見た男を鹿に変えて、犬に食い殺させるほどの女傑。その名前を持つ女性画家が、敵の男の首を落とす女傑の絵を描くというのがもう、女の一大ロマンですよね!下衆な男たちは泣いてひれ伏せ!!(注・私の心の声ではありません)それで、調べてたら、このユディト、ブレスレットしてるじゃないですか。これを拡大してみると、なんと月の女神アルテミスが描かれているそうです(頑張って拡大してもあんまりわからないけど・・)。だとすれば明らかに、「このユディトは私(アルテミシア)です」と言っているようなもの。男性社会に署名入りで宣戦布告する女性ってかっこいいですよね。アルテミシアについてはまだまだ語りたいこともありますが、今日はこの辺で。皆様、お付き合いいただきありがとうございました!

  • 23May
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      世紀末ゲイ・アイコンとヤンデレ美女【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その43】

      長きにわたってお伝えしてきた洗礼者ヨハネとサロメを巡る様々な思い。→詳しくは、「首を切られるヨハネって‥誰?」あたりからお読みください。まあ主にBL界隈の話じゃないか、というのが今回私にとっても驚きの事実ではありましたし、洗礼者ヨハネは少なくとも3人の天才男色家に、熱い思いをぶつけられていることも判明しました。豪華すぎるその3人とは、レオナルド・ダヴィンチ(15世紀末~16世紀初頭)カラヴァッジョ(16世紀末~17世紀初頭)オスカー・ワイルド(19世紀末~20世紀初頭)何世紀にもわたって、しかも各世紀末を代表するゲイの芸術家たちが、愛する同性の恋人になぞらえ続けてきた洗礼者ヨハネ。世紀末に現れる現象なのかな・・しかも・・これ言い出すと余計ややこしくなるけど、キリスト教の教義において、男色は「絶対ダメ」。です。なぜならキリスト教において、セックスというのは「生殖行為」としてのみ許されるものなので、生殖に結びつかないセックスは全部アウト。ゲイだってことがばれたら即死刑、ということも珍しくない。そして洗礼者ヨハネは、そのキリスト教における聖人中の聖人。その、男色絶対ダメ、の宗教の聖人に対して狂おしく欲情するゲイの天才芸術家たち。もう倒錯しまくっててわけわかりません。なんでそーなるの?と、女の私にはちょっと理解できない・・まあもっとわかりやすいゲイ・アイコンに、われら日本が誇る耽美系芸術家・三島由紀夫がわかりやすく欲情しているサン・セバスチャンというもう一人の聖人がいるわけで、そっちはまあ、理解できなくもない(そのお話はまた別の機会に)。でも洗礼者ヨハネはなあ・・よくわかんないなあ・・からの、その洗礼者ヨハネに欲情する狂気のヤンデレ美女・サロメを描くゲイのオスカー・ワイルド、となると、もう何周してるんだかわからない性の倒錯と目くるめく妄想の終着点、あるいは吹き溜まりという気さえしてきます。そして、こんなにセクシーで美しくて若くて処女で、しかもヤンデレなサロメに全くなびかないヨハネ。どんなに挑発されようと、欲情されようと、一切興味を示さないヨハネ。サロメのセクシー極まる発言に対して、まったく意味不明な罵声を浴びせかけるヨハネ。オスカー・ワイルドは、美少女が無残に失恋するとこ、書きたかったんだろうな・・女性目線からすると・・なんじゃそりゃ、という気もしないでもないですが(身もふたもない)、私は個人的にはこのいわゆるサロメ第二形態、世紀末ファム・ファタール代表のサロメって、割と好きなんですよ。初恋も知らないような初心な小娘なのに、自分の性的魅力の使い方だけは心得てる。でも頭が悪いので(笑)、せっかくの魅力を使って事態を悪いほうへ悪いほうへもって行った挙句、せっかく手に入れた生首に口づけて「でもその目は私を見てくれない」と言って絶望するという・・。(そして最後のオチはこのあとにある)まあ外見「だけ」がよくてちやほやされる馬鹿な女の因果応報物語、といえばそれまでだし、いやまあ実際にいたら私も大嫌いですけどねwでも文学作品の中で見た場合、こういう馬鹿な女ってちょっと憧れる。例えば、同じく「愛する男のために命を落とす美女」でも、身分の違いをわきまえて自分から身を引いて淋しく病気で死ぬ、という「椿姫」よりもサロメのほうが魅力的じゃないですか?まーでもサロメの物語は自己完結型の悲劇で終わってますが、このタイプの女がほかのお話に出てくると、たいてい「この女に夢中になる馬鹿な男」というのが現れて、他人を巻き込むトラブルを起こし続けて周りを破滅させまくるので、やっぱり嫌いかな。オスカー・ワイルド版サロメが魅力的なファム・ファタールでいられたのは、ヨハネがなびかなかったから、なんだな~(ヨハネがなびいてたら興ざめになること請け合い)。女と男を巡る物語というのは、どこまでももつれ、深く、そして興味深いものですね。同じくワイルドと19世紀末、大流行中のサロメの絵の一枚。ドイツのフォン・ストゥック画。まじめなドイツ人をして、これ描いちゃうんだもんな・・

  • 22May
    • 元祖にして至高のヤンデレヒロイン・サロメ【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その42】の画像

      元祖にして至高のヤンデレヒロイン・サロメ【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その42】

      しかしま~、洗礼者ヨハネとサロメのお話っていろんなことが渦巻いてますね。そしてまだまだいろいろあるんですが、とにもかくにも、時は19世紀末。いわゆる頽廃を極めた「世紀末芸術」が大流行りの中その代表作と目されるオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」。スキャンダルに次ぐスキャンダルを巻き起こすこの作品、ぜひ本文をお読みいただきたいですが、大筋は聖書のものと同じ。かいつまんででいうと、ユダヤの王・ヘロデは、兄の妻を娶ったことで、荒野の聖人こと洗礼者ヨハネに厳しく批判される。そのため、王はヨハネを投獄したものの、世間体を考えて処刑まではできずにいた。ちょうどそのころ、王のもとに客人がやってきたため、王は娘である王女・サロメの舞いを所望し、「舞ってくれたらなんでも褒美を与える」と約束する。サロメは舞い終わると褒美としてヨハネの首を要求し、ヘロデ王は誓約に縛られ、ヨハネを処刑する。というお話です。オスカー・ワイルドが原作であるところの聖書を大きく変えているのは、サロメが首を欲しがる理由。聖書では、「サロメはヨハネにあったこともない。サロメの母親である女王ヘロディアードが、自分とヘロデ王の結婚を非難するヨハネを始末したいため、娘を使ってその処刑を執行させた」となっていますが、ワイルド版では「サロメはどうしても牢の中にいるヨハネを見てみたくなり、牢番を色仕掛けで誘惑し、その願いを聞き届けさせる。ヨハネを見たサロメは激しい恋に落ちるが、ヨハネはサロメを一切受け付けないまま牢に戻る。サロメは『必ずその唇に口づけして見せる』と誓う。サロメがヨハネの首を欲しがったのはその口づけのためであり、実際、首を手に入れた後、その冷たい唇に口づける」というところ。そのあとにもう一つすごいオチが来ますが、それは原作を読んでいただいてのお楽しみ、ということにしておいて、ともあれワイルド版でのサロメは、処女(劇中で本人がそう言ってる)でありながら天性の魔性の女っぷりで好きでもない男を誘惑して操ったり、振り向いてくれない好きな男にキスをしたいあまりにその首を欲しがる、という・・まあ・・なんていうか、元祖「ヤンデレ」ですよね~。ヤンデレ・ヒロインが市民権を得ている(?)この時代にさえ、好きな男の生首に口づけるというところまではなかなか至らないとおもうので、元祖にして最先端。これぞ世紀末。それともう一つ、ワイルド版のサロメがすごいのは、その「舞い」に関する描き方。昨日ご紹介したギュスターヴ・モローの絵の中でも舞い終わったサロメは明らかに「脱いで」いましたが、おそらくそれに着想を得ているのでしょう、ワイルドはこの舞いを七枚のヴェールの舞いと表現しています。しかも、その舞いのシーンの記述は無し!いやこれ絶対あれだよね、七枚のヴェールを次々と脱いでいくやつじゃんね! 説明がないだけにいろいろと妄想が膨らむうえ、これは「戯曲」。舞台での公演を前提とされたものであり、そして説明がないだけに、振り付けは演出家の自由。同じく世紀末の鬼才イラストレーター・ビアズリーによる挿絵はこちら。いや~センス炸裂ですよね。とまあこれだけで、世紀末的ファム・ファタール(男をダメにするヤンデレヒロインという解釈でだいたいOK)を描いたものとして十分すぎるほどの迫力、全世界の「サロメへの妄想」をすべて形にしてくれたような思い切りの良さなのですが、これを、世界を代表するBL(男色)界のスーパーヒーロー、オスカー・ワイルドが書いているというところが本当に味わい深い。読んでいただくとわかるのですが、サロメがヨハネと出会い、その姿の美しさを賛美する場面はなかなかキてます。通常ならば、どちらかといえばサロメの美しさがクローズアップされるべきドラマであるにもかかわらず、当のサロメが徹底的に囚人であるヨハネの肉体の美しさを徹底的に褒め上げるという・・これは間違いなく、オスカー・ワイルド本人が、その同性の恋人の肉体を賛美しているものでしょう。そしてその肉体への渇望を。そしてヨハネ、徹底的にサロメに興味なし!!みんなの妄想も具現化してくれたけど、オスカー・ワイルド自身の妄想もぎっしり詰め込んであるこのお話。次回で、サロメについては一段落できるかな~!

  • 21May
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      乙女が裸で生首と・・【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その41】

      このブログ、タイトルが右往左往していることにお気づきの方もいらっしゃるとは思うのですが、書けば書くほどやっぱりどうしてもテーマになってしまうのが「エロス」。以前ご紹介した天使のようにかわいらしい神様のことであなくて、いわゆる「エロス」。でも「エロ」とはちょっと違って、愛憎入り乱れて、人間の感情を揺さぶる恋情もふくめての「エロス」。神話でも古典文学でも宗教でも芸術でも、掘ったかどうかわからない程度にほんのちょっと掘ると、すぐ突き当たってしまうのが「エロス」。男性目線・女性目線その他目線、いろいろあるとは思いますが、本当に人間というものは恋愛を含め、「エロス」というものに呪われ、あるいは祝福されているのだなあ、と感じます。これがなければ、人類の文化というものはこんなに発展しなかっただろうし、すべての原動力とさえ思えてくるような迫力を感じる。この壮大なテーマについてはまたいずれ取り組みたいとは思いますが、とりあえず今日のところは「世紀末芸術」について。世紀末と言っても私たちにとってもなじみ深い20世紀末ではなく、19世紀末。1800年代の終わりから、1900年代の初頭にかけてのこと。この時期、特にヨーロッパの文化はひとつの頂点を極めたのではないかと思います。ものすごい雑に言うと、中世から近代にかけて起こっていた戦争や混乱はいったん小康状態、世界大戦のような大規模な悲劇が起こるのはまだ先の話。数百年にわたって時々現れては無慈悲な死神の鎌をふるいまくっていた伝染病に対しても、やっと人間の勝利が確信できそうなこのころ。科学文明の発展とその普及で、上流階級だけでなく、一般の人々が「生きることの喜び」を味わうことができるようになり、そしてその時点での「人類の幸福」が一つの飽和状態になった感じがする、折しも世紀末。人間は、一周回って、「頽廃」というものに魅力を感じ始めます。頽廃、退廃、あるいはデカダンス。国語辞典には「道徳的にくずれて不健全なさま」とありますが、つまるところ、「清く正しく明るい健康的で太陽の光の下で輝く美しさ」みたいなものの反対ですね。暗く、淫靡で、不健全でだらしなく崩れ、けれど甘美なもの。これは、生きるのに必死で満たされていない状態の人間には楽しめない。いったん、「満足」というものを手に入れた後、いわゆる「一回転半して」これを楽しむ、というのは、とても贅沢なことです。ある種の洗練ともいえる。貴族というか上流階級の面々はもうずっと前からこの頽廃的なセンスを楽しんできていた節がありますが、19世紀末は、一般の民衆の感覚が「頽廃を愛でる」というところに追いついたのだと思われます。で、その当然の帰結として現れるのが「世紀末的エログロ」。倒錯的で猟奇的、けれど決して暴力的ではない、淫靡なエロス。その象徴的存在こそが、われらがサロメだったのは、一同納得、というところではないでしょうか。ここまでの行きがかり上、「敵将の首を切る正義のヒロイン・ユディト」と「聖人の首を欲しがる残酷な処女・サロメ」を比べてみたところで、どちらが「世紀末的エログロ」にフィットするのかは明らかです。ユディトはなんだかんだ言ってサニーサイド(明るい側)に属する人だし、自ら敵将の首を切る、というのだって暴力的、かつ健康的(?)。対してサロメは徹底的にダークサイド。年端もいかぬ少女が大聖人の首を欲しがる、という倒錯性、猟奇性も含めて、これ以上の人選はありません。というわけで、これですよ。ギュスターヴ・モローによるサロメ、二枚。父王の望みでダンスを始めるサロメ。これは踊り始めたところ。で、踊りの褒美に首をもらっちゃったサロメ。脱いでる!!脱いでるよね?!下の絵の題名はL'apparition。日本語訳だと「出現」となってしまますが、語義的には単なる出現ではなく、「この世のものならざる者が出た」みたいな含みがある。幽霊が出た、というときのその「出た」ですね。まあ、聖書の記述では別に生首は出現しないので、モローの解釈込みの、センセーショナルな「出現」ですが、それより私は脱いでいるところに注目したい。聖書では、脱いでるなんて誰も言ってない、でもみんなうすうす感じてた、「このダンスってどんなダンス・・?もしかしてセクシーなやつ・・?」というそれこそ頽廃的な期待に対し、満額回答!このイマジネーションの可視化は大きい。しかもおそらくゲイではないであろうモローだからこそ、という気もする。うら若き乙女がエロ親父の前で披露するセクシーダンス、そしてその褒美として要求する「ちょん切られた男の首」、そしてその首はわざわざ「出現」し、ほぼ裸の乙女と対峙する・・という絵に込められた様々な要素は、頽廃的なものを好み始めた時代の要求に応えまくっている!!(モローはほかの絵もなかなかのものですが・・)そしてこの絵こそが、歴史に残る「サロメ、第二形態」の最初の一歩を刻んだと思うのです・・

  • 20May
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      ゲイに嫌われる美女【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その40】

      最近この連載で話題(?)BL。でも調べれば調べるほど、少年愛と同性愛というのはまたちょっと違うものなんじゃないか、という気がしてきているし、ちょっと私はその道については初心者でしかないのであんまり踏み込むのもどうかと思うのですが、なぜかBL指向の天才芸術家(ダヴィンチやカラヴァッジョ)たちに愛される男・洗礼者ヨハネ、およびその聖なる洗礼者ヨハネの首を所望したサディスティック・セクシー・サロメを追いかけてくるとどうしてもここにたどり着きます。オスカー・ワイルド。少年愛・同性愛界隈が「耽美主義」であることの礎を築いた、いわゆる耽美派ゲイカルチャーの始祖とでもいうべきイギリスの作家。奇抜なファッションや言動、そしてもちろん才能あふれる文学作品を武器に社交界を席捲し、同性愛を理由に社会的に抹殺された、19世紀末を代表する文化人です。一応結婚はしてるし、子供もいるのですが、まあそれは社会人的義務、みたいなもので、本質的にはゲイ、恋人はたいてい10歳以上年下なので少年愛陣営なのかな。そんなゲイ・アコンであるオスカー・ワイルドの代表作が、戯曲「サロメ」。あ、今までの絵画と違って今回は文学作品なので、視覚的に説明できないのですが、出版された本の挿絵が十分、その雰囲気を伝えてくれると思います。こちらも、世紀末の鬼才・ビアズリーの作品。結構明らかだと思うんですけど、日本における耽美派ゲイ文化の巨頭・魔夜峰央先生は完全にこの影響を受けてますよね。何度も繰り返し書いていますが、サロメという物語は、どこをどう取ってもゲイ要素はありません。主人公はどうやったところで「無邪気で残虐でサディスティックな姫君・サロメ」と、「聖人でありながら投獄され、首を慰み者にされたヨハネ」という女と男の二人にならざるを得ず、隠れマゾヒズム嗜好の偉い男の人たちには大人気であろうと予測できるけれどもゲイ界隈で人気になる理由が見当たらない。しいて言えば、この荒野に住んでいた聖人ヨハネは、女色はもちろん絶っているだろうから・・広義の意味では女嫌い、ってことになるのかな・・くらい?でもどうやらこの洗礼者ヨハネはゲイの方々の恋情をはげしく刺激する。文学作品であるワイルドの「サロメ」を文章で紹介するのはちょっと無粋というか、短い戯曲作品なので興味のある方は原作をお読みになるのが一番と思うのですが、このお話に登場するサロメはやばいです。もう、天性の魔性の乙女といっていい。それまで絵画に描かれてきた、男の首持ってご満悦、という「日常の非日常」的な違和感ではなく、もう「能動的に非日常」。もうちょっとわかりやすく言うと、サロメ本人がエロい。つまり、ここまでご紹介してきたサロメの絵って、サロメ本人が能動的にエロいのではなく、美女が男の首を持ってご満悦、というそのシチュエーションが、人々の意識的/無意識的な妄想を刺激する、という感じだったと思うんですが、クラナッハ(父)によるサロメ。首を持ってなければ別にエロいって程エロくはないワイルドの戯曲は文章であることもあり、能動的にエロいです。積極的に色仕掛けするし、思わせぶりで挑発的な台詞もたくさんある。んですが、ちょっとそこに深入りする前に、どうしてもご紹介しておかなければならないサロメがいます。それがこちら、ワイルドの戯曲「サロメ」が発表される10~20年ほど前、こちらも世紀末耽美美術界の重鎮・ギュスターヴ・モローによって描かれた「能動的に非日常なサロメ」。モローによるサロメ。サロメ単体で見ても十分エロい。クラナッハ(父)がサロメを描いたのが1500年代半ば。モローが描いたのは1870年くらい。300年の時を経て、サロメがずいぶん変化しています。もちろんいろんな理由はあると思いますが、このモローによるサロメが、ワイルドのサロメに結びついてくることは間違いないような気がします。長くなりそうなのでまた次回~

  • 19May
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      サディスティック・セクシー・サロメ【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その39】

      いや~洗礼者ヨハネはやばかった。サロメの話がしたいのに、前提条件である洗礼者ヨハネ、からのダ・ヴィンチとBL、さらにカラヴァッジョの人生、まで絡んでくるとは・・やっと、やっとたどり着きましたよサロメ!!いきなりここにいらした方は、できればここにたどり着くまでのお話を読んでいただけるとより理解しやすいかと思います。→首を切られるヨハネって、誰?→ダ・ヴィンチと天使とBLと→カラバッジョとヨハネとBLと→ヨハネとカラヴァッジョ、運命の顛末というわけでやっとサロメ!サディスティック・セクシー悪女・サロメ!!!もうここまで読んでくださった方には周知の事実ではありますが、一応かいつまむと、サロメは、ユダヤの王であるヘロデの王女。このヘロデ王の妃であり、サロメの母親、ヘロディアードは、以前、ヘロデ王自身の兄の妃でした。つまり兄の妻を娶った、ってことね。これに、余計なお世話としか言いようのな いちゃもんを付けたのが問題のヨハネ。当時から「洗礼者ヨハネ」として人々に尊敬されていたヨハネでした。ヘロデ王は、余計なことを言ってくるヨハネを捕らえて投獄しますが、民衆の人気が高い彼を殺すわけにもいきません。そこで牢屋に入れて飼い殺しにしていたのですが、そんな時、ヘロデ王がお客様を迎えて宴会を催しました。お客様は、美しい王女・サロメのダンスをご所望。ヘロデ王はサロメに、「ダンスを披露してくれたらなんでも望みをかなえる」と言い、ここでいきなり登場する妃・ヘロディアードは娘に「牢屋にいるヨハネの首をもらってきなさい」と命令し、サロメは見事なダンスを披露した後、「牢屋にいるおじさんの首をください」と申し出ます。約束をしてしまった手前、ヘロデ王はヨハネの首をお盆に乗せて、サロメに与えた。というお話。まあよくよく読むと、サロメは別に牢屋にいるおじさんの首などに興味はなく、ママに言われたからそのまま従った、という感じが濃厚だし、つまるところ悪女妖女はサロメではなく母親であるヘロディアード(お約束で、ラテン語読みするとエロディアード・・)だった、という感じなんですけど。そこはやっぱり、うら若き美貌の王女、そしてその宴席での踊り、さらに首を所望、っていうほうがポイント高い。大きな娘を持つ再婚した年増のおばさんが自己保身やらの理由たっぷりに「男の首を切れ」というより、若くて可憐な少女が無邪気に「お父様、あの人の首が欲しいの」というほうが浪漫というものです。悪趣味だけど。もちろんこのサロメは、芸術家たちに激しく愛されます。絵画の素材として最も愛された女性ということでいいのではないでしょうか。対抗(?)は、敵将を誘惑してその首を自分の手で断ち切るという同じく聖書に現れる正義のヒロイン・ユディト。ユディトとの大きな違いは、ユディトが「正義のヒロイン」であったのに対し、サロメは完全に「悪のヒロイン」。大正義である洗礼者ヨハネが、この少女の気まぐれで首を切られ、しかもその首を弄ばれるのですから、間違いようのない悪役です。さらにユディトが「未亡人」設定であったのに対し、サロメはいわゆる「乙女」。そう、これもみんな大好き、「残酷な処女」!ユディトのほうのお色気要素は「誘惑した敵将が眠り込んだところを閨の中で」といういわゆるハニートラップでしたが、サロメのほうのお色気要素は「みんなの前でダンス」。どんなダンスだったのかはいったん不明ですが、若い女性が男性のゲストの前で舞いを披露するというのはまあなんていうかお色気要素抜きには語れないし、しかもその後の展開が展開ですから・・。しかもこのお話は、ばっちり新約聖書の福音書に出てくるんですよね。ご丁寧に、マルコとマタイとルカの福音書、三つともこのお話を採用しています。もちろん、超大物・洗礼者ヨハネの最期を語る物語であり、ここからイエス・キリストが「あのヨハネよりも偉大な予言者」として認知されていく発端になるという意味でも大事なポイントではありますが、それにしても不必要なくらいのこのお色気要素。若い乙女にお仕置きされたいという倒錯した願望を持つ方面にとっては、「聖書の一説を描いたものである」という堂々たる言い訳とともに、「美女にちょん切られる(首を)」というエログロ絵を楽しめるわけです。もうそういうの描かせたらまずこの人ね、クラナッハ(父)。この微笑が、なんとも・・。ちなみに同じクラナッハによるユディットはこちら。ほぼ同一人物じゃないか、とも思えるのですが、ユディトは自分で首切ってますからね、剣を持っているから見分けがつきます(笑)でもそうでなくても、ヒロインの顔つきでなんとなくわかる。どちらも(おそらく画家の好みを反映した)美女ですが、サロメのほうはあくまで若々しく無邪気であどけなささえ感じさせるところが恐怖だし、ユディトのほうは冷たいドヤ顔、大仕事を終えた女傑の余裕がこれまた怖い。あと切られた首の視線もなかなか・・ユディトに首を切られたホロフェルネスは、未練ありげに惚れた相手・美貌の未亡人を見上げているようだし、特にそれほど関わることもなかったのに首を切られちゃったヨハネはサロメを無視してむしろこちら見つめているという・・いやこれどうなんですかね、その筋の方にはどちらがより刺激的なんでしょう。(どんな悪趣味な質問なんだ)ちなみにクラナッハはものすごい勢いでこのユディト&サロメシリーズを描いてます。同じような絵も何枚もあるし、もはや量産と言っていい勢い。つまりこの絵の需要がものすごくあった、ってことですよね・・これだから男って・・同じくクラナッハはこんなのも描いてます。この感じは、宴会の余興の一環で首を切っちゃった♥という感じのサロメならでは。自らの手を汚すことなく、大した悲壮感もなく大物の首を手に入れちゃった少女・サロメ。クラナッハがしきりにこの少女を描いたのは1530年ごろのことで、すでに人々の妄想を乗せて羽ばたききっている感がありますが、そこからほぼ500年。19世紀末のとあるゲイ・アーティストの手で、サロメを巡る妄想はさらにものすごいことになっていくのです・・

  • 18May
    • ヨハネとカラヴァッジョ、運命の顛末【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その38】の画像

      ヨハネとカラヴァッジョ、運命の顛末【恋とエロスと教養と 美女研究所編 その38】

      さてそろそろどうにか締めたい、洗礼者ヨハネ。ところで私、イタリアにまつわるお話の調べ物はたいていイタリア語でするのですが、ヨハネのことを調べるたびにGiovanniと検索ワードを入れます。ジョヴァンニ、なんですけど、ええそうなんですイタリア語だとヨハネはジョヴァンニ。洗礼者ヨハネ、の場合はGiovanni Battistaジョヴァンニ・バッティスタ。急に、欧州のどこかの国の有名サッカー選手の趣が漂います。もちろん、Battistaというのは「洗礼者」という意味なので、ジョヴァンニ・バッティスタは間違いなく「洗礼者ヨハネ」のイタリア語なのですが、なんていうか、日本語の語感が与える「洗礼者ヨハネ」の印象ってやっぱり特別だとおもう~っていうか聖書関係の翻訳はほんとうに絶妙。これほどまでの神秘性を与えるワーディングと固有名詞の取り扱いはもはや奇跡、と思います。Giovanniって、現代イタリアにもごくごく普通にいるし、Battistaという言葉もそこまでの非日常感はない。だから無理やり超訳してみると、イタリア人にとっての「Giovanni Battista」って、「偉いヨシオ」くらいの日常度というか非日常度の言葉なんですよ。対して日本の「洗礼者ヨハネ」の神秘性と言ったら!まあそんな、意識/無意識下に漂う呼び名や固有名詞にもなんとなく思いをはせながら、カラヴァッジョが偏執的に描き続けるSan Giovanni Battistaをお届けします。(Sanは日本語で言うところの「聖」ですね。聖人の頭にはこれが付きます。なので、日本人の敬称であるところの「~さん」という言葉もイタリア人にとってはある種の笑いになりますが、それはまた別の機会に)前回ご紹介した「なぜ少年なんだかちっともわからないヨハネ」は、もちろん成長して、こんな風になります。育ったね~実はいろろと水面下で教えていただいているBLの世界ですが、さらに色々調べるといろいろなことが分かってきてそれはそれですごいんですが、BL(年若い少年を愛するもの、という定義)の当然の帰結として、少年、育ちますよね。美しい少年だから愛されていたものが美しい青年になったらどうなるのか、というのもなかなか味わい深いお話だと思うんですが、まあとりあえずカラヴァッジョ的には育ってもOK!のようで。引き続き、ちっとも誰だかわからない、十字架の形の木の杖と、動物の皮を腰に巻いてる、ってことで洗礼者ヨハネだってことがギリギリわかる体で、少年は美しい青年に育っていきます。味わい深いですね~からのいきなり首切られてる!!のが、そのヨハネ。な、なんか、急に老けたよね?そして唐突すぎる展開にうろたえる私たち(特に私)をあざ笑うかのように、こんなのも描いてる。急!いや、場面としては、一つ前の絵で首を切られて(ご丁寧に首を乗っけるお皿も準備されてるし)、この絵で無事(?)お皿に乗ってるので、急ってこともないんですが、あれだけさんざん美しい少年時代、青年時代を描いてきたのになんか最後のほうが急展開っていうか、もはや雑!だと思いませんか・・??ただ、正確には、これらの絵は年代順に書かれたものではなく、カラヴァッジョのリアル人生において最後に描かれているのはひとつ前、ヨハネの斬首の場面です。切られた首を先に描いていて、その3年後くらいに、この悲劇的な事件のその瞬間を描いている。しかもその当時のカラヴァッジョは殺人(とその他の余罪)で死刑宣告を受けていて、マルタ島で逃亡中。しかもその罪を悔いて許しを請うためにローマに帰る途中病死するというその人生の最後の、ほんの少し前のことです。あっカラヴァッジョの人生に足を踏み入れると戻ってこられないからここはサクッと行きますが、罪の意識にさいなまれ、破滅一直線のぼろぼろのカラヴァッジョが、洗礼者ヨハネの最後の瞬間に自分を重ねたのは自明のことかと思われます。だから・・カラヴァッジョが描いた若き日のヨハネは、みんな美しく、理想的な少年・青年たち。彼の性的嗜好ももちろん加味されていると思いますが、光り輝くばかりの美しさ。「荒野で襤褸を身にまとって暮らしていたワイルドな(変人)聖人」の面影はなく、みんなもはや豪華といってもいい。そして後半の二枚、いきなり老け込み、理不尽に処刑され、しかもその首を慰み者にされるヨハネには、もはや豪華な輝きはありません。これは多分、カラヴァッジョ自身の自画像。若く美しくゴージャスだったヨハネは、画家の描きたかったものの変化とともに、まさに劇的な外見的変化を遂げている・・と私は思います。でもすごい運命的じゃないですか?まだカラヴァッジョが華やかに活躍していて、おそらく人生も(悪徳尽くしだったとはいえ)楽しかったころ、お気に入りの男子たちをモデルにさんざん描いた洗礼者ヨハネ。その頃は、もちろんヨハネの最期を意識したうえで、でも割と軽い気持ちで、エロ心も丸出しで「サロメに首を取られる数奇な美男子と好みの男子を重ねて」いたことでしょう。それが人生の最後に、まさか自分の最期と重ね合わせて、同じ洗礼者ヨハネを描くことになるとは。そして首になってしまったヨハネを持つサロメの嫌そうな顔と言ったら。欲しい欲しいと騒いで、やっと手に入れたヨハネの首なのに、妖女サロメはいや別にいらねーしみたいな表情で首から顔を背けちゃっています。自業自得といえばそれまでですが、カラヴァッジョの自虐、そして自分への絶望、逆説的なナルシシズム・・まさに洗礼者ヨハネに取りつかれた人生だったのかもしれないですね・・

  • 17May
    • お返事の時間【ベニカの文芸サロン その5】

      さて今週も日曜日、お返事の時間行ってみまーす!※お返事は、ブログ記事のコメントとしていただいたもの、フェイスブック上などでいただいたもの、ダイレクトメッセージでいただいたもの、などにまとめて、こちらで差し上げております。また、お返事のお返事、など頂ける場合は、毎週日曜日のこの「お返事の時間」のコメントとして書いていただけたら、そのまま「水面下サロン」に移行いたしますのでよろしくお願いいたします♥そしてクイズにした「どっちが男?どっちが女?首切り絵画問題」については来週中に集計結果(?)と正解と、考察などを発表いたしますのでもうしばしお待ちくださいね~(そしてまだ解答受付中です!)>ユディト問題(→「首を切る正義の美女」)メアリ様が「義理の父、ヘロデに、上手に調子をあわせて、ヨカナーン(ヨナネ?)を「殺させた」サロメは、ちょっと、やぁね、ですよね(わたしだけ?(笑))そんな模様のなかで、さっそうと(わたしも悪趣味です)敵の首を切った、ユディトは、迫力というか、手応えがちがいます。(一部抜粋)」とおっしゃっているのですが、まさにその通りですよね。サロメは人に切らせてるけど、ユディトは自分で切ってる。これはすごい違いだし、単純に「男の首を戦利品として喜ぶ女」というのでひとくくりにはできないですね~。やっぱり自分の手を汚したかどうか、というのは大きい。手ごたえが違う!重ねて、同じくメアリ様が「ユディトが、ちょっと、情がわいてきたかも問題、いや、恋に落ちた問題、読んでみたいです。相手が敵でも、すてきな人だったかもしれないですものねぇ」とおっしゃってるのも興味深い~。これ、ちょっとあんまり堂々と書いていいかどうかわからないんですが、美女が男の何かを切る問題、って、いろいろ広がりがあるじゃないですか。いやサムソンとデリラの場合だと髪の毛を切ってる、というのもあるんですが、ほらやっぱりそうなってくると阿部定さんが・・(ほんとなんで私たちが話すといちいちだ※こん問題が付きまとってくるのか、って話なんですけどwwwそういうキャラじゃないのに・・)。でもそれを言ったら「だ※こん」というワードが初めて使われた思い出の「アフロディーテ、だ※こんから生まれる事件」においても、妻が夫のだ※こんを切り取ったからそういうことになってるわけで・・だからどこかで、「女性は好きな男の何かを切り取りたい」みたいなほのかな願望というものの存在があるようなないような、気がしないでもないんですよね・・あるいは、男は女に切り取られたいのか。もちろん、本当に切り取ったり切り取られたりするのは嫌だけど、ヴァーチャルとしては・・的な?だって、木月さんがおっしゃるところの「クラナッハ(父)は、ユディトの絵には勿論本人の好みは入っていると思われますが、これは顧客の王侯貴族たちに『ニーズがあった』からこそ、沢山この題材で作品が残っていると言う事でしょう。いやー、皆信仰心が深かったんだな~(棒)」とかね。勘ぐれば、まさに、そういうことなのかと・・>ダ・ヴィンチの天使問題(→「ダ・ヴィンチと天使とBLと」)っていうか結局のところだ※こん問題なんですけどね・・問題のあの絵ですよね・・みなさまからの感想、興味深かったです!木月さんが「これは、女性の乳房ありますよね?天使は良く両性具有者(もしくは性が無い)と言われるので、ダ・ヴィンチらしいなあと思われます」mafちゃんが「クライマックスとして磔にされたアンドロギュノスがこの絵の状態に…という描写があったので、両性具有の美はそういうとこに見出されるのでしょうか」と書いてくださっていたので改めて見返したのですが、なるほどね! たしかに乳房もある、ようにも見える!! そしてアンドロギュノスは芸術家の心をとらえる素材だからそういうつもりだったのかな、とも思いましたが、やっぱりやっぱり、あの状態はねえ・・。どうなんだろう、芸術家的センスとしたらあの状態のほうが美しく見えるのかな!でもこれのこの部分(ってなんだwww)に関しては、ストレート/マイノリティにかかわらず(というかそれぞれの意味で)男性のほうが思い入れのあるテーマだと思うんですけどね、どうなんだろう。女性にはちょっとわからない何かがありそうな気がする!数少ない男性サロンメンバーであるF様は、「日本の戦国武将でも美少年好きが多かったようですが、レオ様も。なるほど、そっちだったのですね」という穏やかなコメントをお寄せくださっていますが、メアリ様の「だ※こんが!た、た、た、たっ、立っ…しかも、なんてノーブルなヨハネ!それなのに、立っ…いや、屹立…」はこの数日間で4回くらいわざわざ読み直すくらい笑っちゃいました。>BL界隈問題mafちゃんが「BL界隈に棲む友人も多いのですが、あれはなんというか、リアルであっても現実ではないロマンの世界だと思いますね」とおっしゃっているのですが、若干もう少し詳しく聞きたいww女子目線としてのBLって、「自分は関係ないところで進展するロマンが魅力」っていう解釈であってる? つまり男女間の恋愛だとどうしても(当事者としての)自分の感情とかが挟まってしまうから、「自分」を排除できるファンタジー、みたいな?ちがうかな・・まあでも女子目線としてのBLと、男性目線のBLはもちろん違うものなのでしょうねえ・・でもつまるところ、BLというのはどうやったって「男性目線の物語」になってしまうわけで、そうなってくると、その「男性同士だからわかるいろんなこと」みたいのを女子目線で鑑賞する、っていうことになるよね?それとも基本的には「男女間の恋愛とあまり変わらない恋愛」を、記号的な意味で「男男間の恋愛」と読み替えているだけなのかな・・いやもうこれ一度ちゃんと読んでみないとわかんないな・・>ヨハネがジョン問題(→「首を切られるヨハネって、誰?」)これはいつも受ける鉄板の話題ですが、それぞれの「面白名前」として高校の先輩でお仕事でも大先輩!なH先輩からは「ヒエロニムスvsジェロニモも結構来てるよね」世界史大好きTくんからは「グリエルモ、ギジェルモ、ギョームの系列と、ウィリアム、ヴィルヘルムの系列が同語源だったというのは、にわかに受け入れがたかったけど衝撃でした!」とそれぞれ、お気に入りの例をご紹介頂いています!ヒエロニムス/ジェロニモ/ジローラモも傑作だし、グリエルモ/ギョーム/ウィリアムに至ってはにわかには信じられないですよね。あ、あとやっぱりあれよね、キャサリン/エカチェリーナ。女性ではこれが最高かなあ・・>カラヴァッジョ問題(→「カラバッジョとヨハネとBLと」)カラバッジョは、マジで、ね・・個人的には世界でも1,2を争う天才だと思うのですが、そして天才というのは多かれ少なかれ、みんなちょっとアレなものですが、Jasminお姉さまもおっしゃる通り「カラヴァッジョのような反社会的だった人物がお札になる(しかも10万リラ)って凄いですよね!顔も怖いし…」いやほんと、反社会的すぎるんですよね。「女にだらしない」、とか「人づきあいができない」、とか「アル中でどうしようもない」とかはよくありますが、カラヴァッジョはリアルに闇の世界の住人ですからねえ。でも自分がそういう血と薔薇の世界にいたからこそ、絵画においても血と薔薇が美しく描けたのだろうし、だからこそM先輩のような大物が、「カラヴァッジョ、バチカン美術館で見ました。素人の私でもわかるすごいオーラを発散させてる絵でした。」とおっしゃるようなすごい絵を描けたんだろうな~それを考えるにつけ、やっぱり私に芸術家は無理・・小説家の才能ないわ、私、と思うのです。今週も皆様とお話しできてとても楽しい一週間でした。また来週も一緒に楽しんでいただけたらと思います!

  • 16May
    • カラヴァッジョとヨハネとBLと【1日5分!日本人のための教養 美女研究所編 その37】の画像

      カラヴァッジョとヨハネとBLと【1日5分!日本人のための教養 美女研究所編 その37】

      BL。ボーイズラブ。あるいは少年愛。ゲイ文化とはちょっと違うこの世界観。カストラート文化とかにも通じるのかと思われますが、日本においても戦国武将はたいていアレだし、っていうかむしろ光源氏のころからアレだし、西洋芸術界にあっても天才になればなるほどそっち側に引っ張られがちになるというか・・これ、なんなんですかね。いや、不勉強でよく知らないのですが、いわゆる日本におけるBLの世界というのは別に少年にこだわらず、青年や壮年男性男性同士の恋愛もBLって呼ばれるのかな?ただ字義のそのままの意味を使ってここではいわゆる「むくつけき男」になる前の少年を愛するという嗜好のことなんですが。いやもちろんこのボーイズラブ的なこととゲイ的なことがほぼイコールで成り立つという嗜好の方もいるだろうし、ボーイも同性も異性もなんでもあり、というのもあるだろうし、はたまたいわゆるロリータコンプレックスというか、年端もいかぬ少女に云々、という嗜好もあるだろうし、そのへんは個人的なものなので深入りすると誰かに怒られそうで嫌なんですが、ともかく文化として、「少年愛」というジャンルが存在することは確かです。そして、最終的には妖女・サロメに首を所望される、という被虐的エロティシズム感を世界にをまき散らすことになる洗礼者ヨハネが(だからここでは男女間のエロティシズムを象徴しているはずのヨハネが)、少年愛的な素材として扱われるのって面白いな、って思うんですよね、面白がっていいのかな。昨日のダ・ヴィンチの一連の「弟子のサライ」的なアレももちろんですが、洗礼者ヨハネといえばこの人、という天才イタリア人がもう一人。才能とダメンズさが人間としての許容量を超えて破滅へ一直線、の天才画家カラヴァッジョ。イタリアが誇る驚異の天才画家です。まだユーロになる前、イタリアの通貨リラの最高額紙幣100,000リラ札の顔でもありました(そしてこのインフレしてるとしか思えない単位とあいまって、溢れ出る恐ろしさを感じさせるところが好きだった・・)カラヴァッジョ(しかもファーストネームはミケランジェロ)の人生についてはこれまた語り始めると2週間分くらいの連載になってしまうのでいつかの機会に譲るとしても、彼もまた、ゲイの可能性が色濃い天才の一人。そして、その彼が、なぜか偏執的に洗礼者ヨハネを描いています。しかも、・・ど、どこが?どこが洗礼者ヨハネ?? 言われなきゃわかんないよ!(正確には、ヨハネの持ち物である杖や若いころ動物の皮を身にまとい荒野をさまよって暮らしていた、などのエピソードをほのめかしてはいるけど・・)もっとわかんないよ!杖さえ持ってないじゃん!!だから誰・・という有様です。好きな男の子の裸を書きたかっただけでしょう!と突っ込みたくなること請け合い。だって洗礼者ヨハネ、って、イエス・キリストが30歳くらいの時に洗礼を授ける、というのが聖書内での出番の人ですよ。そのイエス・キリストより年上なんだからいいオッサンのなんです、出番の時には。そしてその出番の後、サロメというセクシー悪女に首切られる、という役回り。なのになぜか美しい少年時代の(出番前の)洗礼者ヨハネのヌードを描き続けるカラヴァッジョ。なぜかくも、少年愛との親和性が高いんだヨハネ!!ああ脱線しているのは自覚していますがヨハネ沼から抜け出せません・・

  • 15May
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      ダ・ヴィンチと天使とBLと【1日5分!日本人のための教養 美女研究所編 その36】

      首を切る正義の美女、作家は「男か女か?」当てクイズは引き続き、コメントを受け付けております。皆様の男女観?などもわかって楽しそうかなーと思いますので、われこそは、と思う方はコメントをお寄せくださいませ~→首を切る正義の美女 (最後のほうに出題があります!)さてさて昨日は、もう一人の首を切る美女、サロメに首を切られた男・洗礼者ヨハネをご紹介いたしました。天使からの受胎告知により生まれたイエス・キリストの年上の親戚であり、洗礼の儀式をはじめ、キリストその人に洗礼を授けるという超!重要人物的なエピソード、からのお盆に乗せられた首。という衝撃の人生。とはいえキリスト教の聖人というのは多くの場合殉教(キリスト教を信じるために死刑などで命を失う)しており、さらにまたこれがいちいち激しい拷問に紐づいていたりするので、衝撃的な死にざまは洗礼者ヨハネに限ったことではないのですが。いやマジで百鬼夜行もびっくりの拷問のオンパレードだから。でもその辺の闇はとりあえず置いといて(怖いから)この洗礼者ヨハネ、昨日の記事でも、いろいろな取り扱われ方があることはお知らせできたと思うのですが、この数奇な人生と「美女に首を所望され、お盆に乗せて捧げられる」というキャッチー(?)すぎる死にざまのせいなのかなんなのか、イタリア人の天才画家の二人に猛烈に愛されています。一人は、レオナルド・ダヴィンチ。昨日ご紹介した「幼子時代の洗礼者ヨハネ」も有名ですが、でもダ・ヴィンチのヨハネといえばこれ。洗礼者ヨハネ byレオナルド・ダヴィンチレオナルドのおそらく最後の作品であり、最も謎に満ちた絵と言われる伝説の一枚。モナ・リザによく似た、神秘的で中性的な男性が謎めいたほほえみを浮かべ、ほぼ裸で描かれています。どうやらその左手には洗礼者ヨハネのアトリビュート(トレードマークのような持ち物)である木の十字架を掲げているのでヨハネだってわかりますが、それがなかったらモナ・リザ同様、正体不明間違いなし。モデルは弟子であり、同性愛の恋人だったサライであるとの説がほぼ確定しています。ごく一部でモデルがルクレツィア・ボルジアだったらイヤだな、という話題も出ておりますが、それはまあ水面下のお話ということで・・っていうか、おそらくこの絵の習作と思われるダ・ヴィンチの別の絵、「Angelo Incarnato」を見るとね・・これはなんていうか、なんていうか、男だよ!だってだ※こんが!!(またここでだ※こん事件!!)わたし的には、本当に衝撃のだ※こんなんですけど。レオナルド先生・・。絵の題名である「Angelo Incarnato」は「肉体を持つ天使」という意味。詩的に表現すれば「人間の姿を借りた天使」という翻訳にもなりますが、これ見てるともう「肉欲の天使」っていう気がしてくるじゃん!ていうかむしろダ・ヴィンチにとっての「肉体」ってそういうことなの?と、うろたえるじゃん、わたしが!そうなってくると洗礼者ヨハネのほうも、なんていうか、ちょっとドギマギしてくるじゃないですか。見えないけど、見えないけど、まさか!みたいな!!(不謹慎)天才的芸術家の性的嗜好がマイノリティに偏りがちだ、というのは誰もが思っていることだとは思うのですが、そしてダ・ヴィンチはほぼ確定的に同性愛者だとは思うのですが、それとは別に、ダ・ヴィンチって肉欲と無縁な感じがしませんか?ゲイならゲイとして、でもその愛は精神的なもの・・みたいな。少なくともこの二枚の絵を見なければ、ダ・ヴィンチの描いた人物たちは、エロチックではあったとしても、いわゆる「肉欲」「劣情」みたいなものからは遠い境地にいる気がする。ところがどっこいそんなレオナルド先生をして、「劣情」の直球を投げつけてる(ように見える)この絵。弟子のサライ。そして題材となった洗礼者ヨハネ。なんていうか、ゲイというよりもはやBLの世界なのでしょうか。わたしにはよくわかんなけど、BL。ちょっと話はそれますが、いわゆるBLといか少年愛というか、森蘭丸的衆道というか、しかも現代においてはそれが男性のものではなくもはや「女性が鑑賞して喜ぶものとしての少年たちの同性間恋愛」というジャンルさえ確立されている気がするんですけど、これだけ時を超え時代を超え、そしてある意味で常に「男女間の恋愛よりも上位に置かれるもの」的な解釈が成り立っているところから、やっぱりこれなにかあるんだろうね、BL。そしてそんなヨハネにメロメロな天才が(しかもBL要素あり)、もう一人・・

  • 14May
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      首を切られるヨハネって・・誰?【1日5分!日本人のための教養 美女研究所編 その35】

      さて今日は「首を切る女」の真打登場。名前からしてもうどこか妖しい、サロメ。ヘロデ王の王女にして、洗礼者ヨハネの首を所望する希代の悪女、サロメ。なんですが~このお話はちょっとややこしい。なぜならこの首を切られるヨハネ、っていう人が日本人にとってなじみがなさすぎるから。そしてこの人の重要性が分からないと、いまいちサロメのお話も迫力を欠くから。というわけで、私もさっさと首を切る美女の話にしたいんですが、今日は洗礼者ヨハネのお話を。まず、かなりの皆様がびっくりされると思うんですけど、ヨハネって、英語で言うとジョンになります(笑)急に普通じゃないですか!日本の翻訳の歴史における素晴らしいところとして、「固有名詞はオリジナルに準拠」というのがあって、これのおかげで、特に聖書の登場人物は独特の神秘性を付与されていると思います。「洗礼者ヨハネ」と「洗礼者ジョン」、じゃあなんだか印象がずいぶん違うし、「マタイの福音書」というのも「マシューの福音書」、「ペテロの殉教」が「ピーターの殉教」となると、だいぶ親しみやすくなりますが、神々しさは4割減、という気がしませんか。ヨハネ、マタイ、ペテロ、などの読み方は、そもそもの原文であるギリシア語と、その後公式に採用されているラテン語が微妙に絡み合ってほかにない独特な表現となっているところが、狙ったものなのか何なのかわかりませんが、すごい。他にかぶることのない「固有名詞中の固有名詞」って感じで、私はこのことを考えるたびに勝手に感銘を受けています。(この話も掘り下げるとすごく面白いんですけど、脱線すぎるので今日はこの辺で)そしてヨハネという名前が新約聖書中の重要登場人物複数にかぶっていることもあり、なかなかややこしいのですが、この洗礼者ヨハネは、その名の通り、「洗礼」を授ける人です。ものすごくかいつまんで言うと、イエス・キリスト(当時30歳くらい)その人にも洗礼を行った、という、ものすごい大物です。というかむしろキリスト教において最も重要な儀式の一つである「洗礼」そのもののオリジナルをやっている人です。しかもイエスに先立って天使からの「受胎告知」によって生まれており、イエスにとっては母方の年上の親戚。もうそれだけで、聖書における最重要登場人物であることがお分かりいただけると思うんですが。「洗礼」に対する考察を掘り下げると大変なことになってしまうのですが、ともあれここでは「キリスト教者となるためのはじめの一歩」という儀式だと置きます。すると、ちょっと話がややこしくなります。イエス・キリストが30歳くらいになってから洗礼を受けた、ってなると、それ以前はどーなっちゃうの? キリスト教者じゃなかったってこと??まあそもそも原罪フリーな生まれのはずのイエス・キリストがわざわざ大人になってから洗礼を受ける、っていうのもどういうこと??・・・宗教としてのキリスト教というのは、何千年も前の「原典」である聖書を、神学者や聖職者の皆様がほぼ二千年にわたってあーでもないこーでもないと議論しまくり解釈しまくり、政治的・人為的なバイアスももちろんありつつ歴史の転換期やそれぞれの場面でその解釈について取り決めを交わし、それは現在も続いている、というまさに生きる伝説、リビング・レジェンドなので、そりゃーもういろいろありますが、一つの解決策がこちら。岩窟の聖母 byレオナルド・ダヴィンチ(ルーブル所蔵バージョン)赤ちゃんが二人登場していますが、左側、聖母マリアに抱かれているのが幼子イエス。そして右側、天使ガブリエルらしき人に付き添われているのが洗礼者ヨハネ。右の子供(ヨハネ)が左の子供(イエス・キリスト)に祝福を与えているのが分かります。イエス・キリストが大人になってから洗礼を受けた、だといろいろややこしくなるから、子供の時に受けたってことにしちゃえ!という驚異のタイムスリップ的解釈!実際の年齢としては、おなじみこれ。ヴェロッキオ工房作、一番左の天使だけダ・ヴィンチと言われているやつ。以前にもご紹介した有名な絵ですが、これがまさに、実際の年齢を反映した同じ洗礼の図。そしてこの人が、最終的にこうなります。洗礼者ヨハネの首 byアンドレア・ソラーリオいや、まあ、これだけでも衝撃の展開ですよね。なんていうか、いろいろと数奇すぎる。しかもこうなった原因が希代の悪女のせい、ときたら・・それはもう聖書中でも随一の(というか本当に珍しい)妄想炸裂話になろうというもの。そしてそのせいなのか何なのか、この「洗礼者ヨハネ」、日本人になじみがないわりに、イタリアの天才画家たちの何かをいたく刺激するひとのようで・・もうちょっとだけヨハネの話、続きます。