誕生日が近いということで、社員から赤ワインのセットをプレゼントしてもらった。
チョー嬉しい!!!
社員から愛されているか、先週の宴席で「僕も誕生日なんだ~」と言いふらしたためかは別として、嬉しい。
いつものようにガブ飲みしないで、大切に味わって飲もう。
一週間くらい置いておいて眺めてニヤニヤしていようっと。
誕生日が近いということで、社員から赤ワインのセットをプレゼントしてもらった。
チョー嬉しい!!!
社員から愛されているか、先週の宴席で「僕も誕生日なんだ~」と言いふらしたためかは別として、嬉しい。
いつものようにガブ飲みしないで、大切に味わって飲もう。
一週間くらい置いておいて眺めてニヤニヤしていようっと。
今日は、ベンチャー学会at青山学院
抜けるような青空の下、会議室に集まって学会発表の聴講はあまり健康的とは言いがたい。
キャンパスは銀杏も色づき、趣き溢れる様相。なんだか銀杏なら東大も負けないが、何となく趣があるなあ。それにやはり表参道だから何となく華やかだし。。。
自分的にはあまり学会活動には関心がないが、種々の経緯もあり今回は日曜日だけ出席させてもらった。学会活動に関心が薄いと言ったが、どうもこういう文科系というか経営系の学会発表には違和感がある。事例が数十件で統計処理をしても意味がなかろうし、優秀な会社として上げたところが来年赤字になることもあるし、不正が暴露されることもある。それと調査に協力する成長過程のベンチャーというフィルタリングだけでもかなり偏りがあろう。
あとはどうも上滑りしている感が否めない。日本版LLPの研究もテーマとしては面白いし研究も興味深いが、研究組合的には良いだろうが、成功するベンチャーの枠組みと考えると、“利益”意識が薄弱なLLPとそこでのリーダーシップを考えるとかなり矛盾があろう。その矛盾を解消するものが何かは実業社会では関心はあろうが。
ただ、困難を跳ね除けてこうした活動が続くのは良いことでしょう。そもそも僕とベンチャー学会の関係の始まりは、今年亡くなった牧野昇さんが仲人だ。故人を偲びつつこの活動がニッチながらも確実なものとして継続して欲しい。
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さて、ベンチャー企業で働くと言うこと。
先週、一人の業暦採用候補者を面談した。大学は後輩に当たるが、母子家庭で育って、予備校に行く余裕が無かったから、図書館で独学・二浪して大学に入ったと言う。家庭のこともあり故郷に帰ったが、その才能を田舎企業で埋もれることに耐えられなくなって、当社には“世界一の商品を作れる可能性がある“というので応募してきてくれた。当社は面接の交通費は支給していないから、自腹としてはかなりキツイだろう。
それよりもなによりも僕も一浪して予備校に通っていたが、精神的にキツかった。彼はきっと生活費のこともあり、しかも誰とも交流せずに独学と言うのは厳しかっただろう。
彼が働きたい当社の魅力は何か?
彼に言わせるとどうやら2点である。
第一に優秀な人の輪の中にいたい。
第二に世界一の商品を作りたい。
More than Money! の魅力がベンチャーには必要だと思うが、当社にも彼が感じるような魅力があるらしい。改めて自覚して採用にも、社員にも語りかけていきたい。
一方で先週金曜日には社員と飲んだ。月例の誕生日会である。これは自腹でやっているが、社員も増えてきて、経済的にも場所の確保も難しくなってきた。
それはさておき、まあ宴席だからそれで良い話だが、どうも忙しさの中で、優秀な技術者集団に属している自覚と世界一の商品を作っている認識が足りない気がする。優秀な技術者集団に属していてその中で技術レベルをどうしたら体系的に向上させられるか。世界一の商品を創造することへチャレンジすることをどう折り込んでいくか。改めて考えてみたい。
(つづく・・・かな?)
浦和レッズ アジアチャンピオンおめでとう!
しかしレッズのサポータは素晴らしい。
昔々、まあベルディが全盛のころ、ベルディの本拠地・等々力球戯場が、ベルディの緑でなく、アウェーのレッズ・レッドで染まっていたことが印象深い。僕は脇の市営テニスコートでテニスしていたんだけど。。。
満員と言えば、逆に心配なのが大相撲
さすがにあれだけ不祥事も相次ぐと見る気も起きないのか、今の九州場所、ガラガラ。
「これは巡業場所?」と思いたくなるくらいの客の入り。
そんな中でも進退を賭ける魁皇の前に出る相撲は涙ぐましいものがある。頑張れ!!
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さて、ベンチャー企業で働くと言うこと。
最近は当社も優秀な人、もうちょっと申し訳ないが端的に言うと偏差値の高い大学→東証一部上場レベルの著名な会社という経歴の人から応募してもらっている。
ただ、「東大生が多く集まる会社は潰れる」と言うから必ずしも楽観できない。
実際、当社の社員パフォーマンスを見ても、学歴がすべてではないことは明らかである。
特に自分がその反証?でもあるから。。。東大院卒でも言語は名古屋弁とFortrunだからなあ。。。
置いといて・・・。
そういった人たちが何を当社に望むか?
福利厚生や安定を求めて出ないことは明らか。多くの社員は前職から給与ダウンで入ってもらっているから、給与でもないだろう。
要は仕事の遣り甲斐ということだろう。
でも、本当に当社に遣り甲斐があって、前職の大企業には遣り甲斐が無かったのだろうか?
意図せぬ部署に配属されて、仕事内容を、環境を変えたかったと言うことは勿論あろう。
ただ、それだけでもなさそうだ。
当社が扱うシステムは、先進ながらニッチでそれほど大規模でない。銀行のシステム統合のような規模ではない。ゆえに個々人が全体を裁量しながら開発ができて、かつ自分の能力を、努力を成果に反映させるのが比較的容易であることも確かだ。
意図したわけではないが、ベンチャーに相応しいフィールドで勝負しているということだろう。
ただ、それに甘んじているわけにはいかない。
More than Money!!
社員が満足して日々業務に携われるような動機喚起を、今取り組んでいる開発業務の意義をちゃんと説明して理解してもらう努力がいるんだろうな。
先週はいろいろあった。
おめでたいところでは、我がドラゴンズの日本一!
僕が小学校の時に久しぶりのリーグ優勝で、当時は与那嶺監督、高木守道が一番だった。球場も中日球場。
それから何度かリーグ優勝はしていたが、そうか、日本一は無かったか・・・と。
あとはアジアNo1. それよりも来年、是非、リーグ優勝して、日本一を目指してほしい。
ビックリしたことは、金曜日の福田総理と小沢代表の大連立構想。
それを小沢さんがその場で断らなかったのも、「?」 まあ、政治の話は一国民以上の関係は無いが。
それとなぜだか昔居た三菱総研との関係があった週だった。
まず、当社・フットサル部と、三菱総研・サッカー部と合同練習をした。
総研サッカー部は、格段に上手で、横綱と幕下の相撲のようで、完全手玉状態だったが、上手いだけあって、プレイスタイルもスマートで、楽しかった。フットサルはやはり大勢がいいね。
あと、金曜日には当社との協業打診もあって、三菱総研の品川(といても品川シーポートスクウェア)へ行った。昔の仲間にも会えて懐かしかった。
駅からちょと歩くけど、綺麗なビル&オフィスでなかなか環境よさそうだったし、何よりも昔は4部門に人事も営業も分かれていて、"総合"とは名ばかりと憤慨することしきりだたが、最近はその壁が無くなり、顧客分類ごとに戦略的な組織編制が横断的にされているようで、まさに総研の強みが出るのでないかな?と期待。
これも株式公開を目指す良い結果か。
上手くいかなかったことは、当社でもあったが、相手のこともあるのでここでは書けない。
当社ではやはり今期の野心的な売り上げを達成するためには、乗り越えなければならない障壁があるし、やはりなかなか困難である。またそのためには外部も内部も体制をより強化し活力あるものにしないといけない。
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さて、本題。今月の講習のお題は、「ベンチャー企業で働くと言うこと」
なぜ、大企業でなく、ベンチャー企業で働くのか。
ゆえに社員としてどうすべきか、また経営として何をすればよいのか。
これを議論したい。
まず、なぜ、大企業でなく、ベンチャーで働くのか?
消極的な理由--大企業では採用にならなかった、ベンチャーの方が給与が良かった(当社の場合はこれは該当しないか。。。)は、さておくとして。
三菱総研が大企業かどうかはさとくとして、まあ、財閥系でブランドのある会社としてその範疇として、自分が総研を辞めた理由。正直、社内の評価も給与も同期ではトップクラスだったと思う。給与も神田での飲み話での他の人と比べれば結構あった。
一番は入社した頃は、仕事も新人ながらに実質リーダだったりで、面白かった(本来、総研の仕事が新人リーダではいけないが)し、”ああなりたい”という先輩諸氏がいた。勿論、その筆頭は牧野さんだが。
それが10年も経って、自分が本当に室長になり、リーダになると、全く面白くない。まあ自分のモチベーションが低かったということだろうが、部下の世話や社内調整ばかりで、ふと気づくと、”ああなりたくない”という先輩ばかりになった。ゆえにきっと自分も後輩から”ああなりたくない”と思われているだろう・・・と思うと寒気がした。
まあ、大企業を辞める理由は僕と大同小異だろう。
-やりたい仕事ができない。
-自分に対する評価が低い。
-先行きが行き詰まり。
-どうでもよい仕事で残業が多い。
問題は、じゃあ、ベンチャーでそれができているか?
大企業にいた自分と比べてベンチャーに来て何が実現して何ができていないか?
それは自分由来か、会社に原因があるのか?
だったら、何を変えたらよいのか?
当社の場合・・・から次回。
銀河英雄伝説のDVD 27-28を借りて、2晩で観た。
最近、パチスロにもなるようで、ヤン提督とローゼンハイム卿を見かけることも増えたので、懐かしさもあって借りて観た。しかし、舌が回らなくなるような長い名前と矛盾だらけの設定。3次元の宇宙で、2次元の陣容で戦いが行われるし、宇宙を支配する帝国の皇帝が薨去する時、わずか25歳だったり、最後自由同盟側の中心人物のユリアンは弱冠19歳だったりする。
銀河英雄伝説との関係は、以前、2年間所属していたB社がそのゲームを作っていたからだ。
当時、オンライン版の銀河英雄伝説Ⅶが同社の死命を握り、かつその開発のために全精力を注ぎ、かなり社内にもそのお陰で歪みも生じた。結局、同タイトルがリリースされたのは、僕が退職後であった(リストラの断行が最後の仕事で、リストラの一環が自分の首を切ることだった)が、結果的には所謂、『クソゲー』と評され、最後は版権元のらいとすたっふからライセンス打ち切りを宣告されて命運が尽きた。リストラの一環で社員にも給与カットも呑んでもらって、この結果であり、その時には在籍していなかったとは言え申し訳ない。
ちなみにB社は携帯コンテンツ配信の会社として存続している。
B社がIPOと言う点で成功できなかったのは、後で反省すると、計画性、戦略性の無さだろう。
その一番が資金調達だ。
携帯コンテンツ配信サービスは、一タイトルあたりにかかる開発投資も、実はそれほどの額でなく、当時であればむしろキャリアの公式サイト認定をいかに予定通り取得できるかがハードルが高かった。だから五月雨式の中途半端な額の資金調達でも良かった
しかし、オンラインゲームの開発はそうは行かない。まとまった資金を調達し、それを計画的に開発からPR、さらにユーザー数が損益分岐点を越えるまでの運転資金が無いと、成功までたどり着くことはできない。要はまとまった資金の裏づけが無い限り、始めてはいけないプロジェクトだった。
この本来異質なものを、同様の延長線上で手がけてしまったことが失敗の基だ。
また、振り返って見て、当時の同社にとって、株式公開の意義はなんだったであろう?
IPOバブルでもあったので、IPOによって莫大な資金を調達できれば、次々とオンラインゲームが開発できるようになる、そのための資金集めの苦労は無くなる・・・そんな考えを持っていたように思う。しかしそのビジョンは明確でなかったし、社員と共有していた訳ではない。計画に落とし込んでいた訳でもない。
仮に万が一、IPOまでたどり着いていたとしても、その後はどうだったか?
株式公開について、本質を見ていなかった、やはり少なからず浮ついた発想に踊っていたような気がする。
今も自分に浮ついた考えが無いか、これを好機として再度、自戒し、本質、事業のかたち、株式公開する意義等々考えて行きたい。そうでないとやはり未来はない。
#しかし、銀河英雄伝説のアニメは、全110話もある。すごい。
亀田興毅の謝罪会見
赤福、比内鶏の偽造問題
久間元防衛大臣の接待問題
偽造、謝罪、不正の連鎖は止まらない。
その中では赤福が出身地(付近)で子供時代から馴染みのお菓子だったこともあり、インパクトは大きい。
中学の水練会で伊勢の海でふんどし姿(=中学の名物行事)で泳いで、浜に上がったところでいただく赤福のおしるこの甘い味あ忘れられない。是非、苦難を乗り越えて再起して欲しいものだ。
許せないのは防衛大臣の接待問題。新設企業だから、要は防衛省と取引がまだないから、一食3万円のすっぽん接待も問題ない!とはその釈明が聞いて呆れる。一食300円の隊飯で暑い日も寒い日も厳しい隊務に励んでいる一般隊員の苦労を思い知るべきだ。
すべては他山の石とすべき。
我等経営者も、接待と称して美味しい食事をしてワインを頂く。まさに社員の血の一滴でもある訳で十二分にそれを踏まえて日々精進しなければいけない。そうした思いでいると、とても「プラチナ通りでバカ騒ぎ」したり、「こんなもの食べましたブログ」書いたりはできない。念のためどちらも当社関係者のことではなく、一般論。
昨日、社員向け講習会でしゃべったから、事前にブログに書いて、修正してブラッシュアップ計画は早くも失敗したが、キャッチアップの意味でもタイトルテーマの最後の「その3」を。
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株式公開の意義(その3)
営業的に意味があるのは「その1」の信頼で、経営体力という点では、特に人員採用で「その2」の経営力の向上があるが、結構、切実なのは「その3」の『約束』だ。
約束。
社員との約束。
ベンチャーキャピタルとの約束。
IPO関連で支援してもらっている方々との約束。
皆さんと「株式公開する」「エクセレント・カンパニーを作る」と約束をして、社員には入社してもらい、また本来得るべき報酬の一部をストックオプションで支給し、また会社創造発展の夢を共有してもらっている。7月からは従業員持ち株会もスタートしたから、実際に資金を出して現株も持ってもらっている。持ち株会スタートに当り、拠出金を募集したところ、即日満額回答を返して来た社員も複数居た。それだけ会社を信じてもらっている、ありがたいことだ。
ベンチャーキャピタルには、昨年第三者割当増資を引き受けていただいたが、当然のことながら株式公開を目指すことを約束して投資してもらっている。
さらに証券会社、監査法人、証券代行、印刷会社、・・・さまざまな方々が当社の株式公開を当てにして協力してくださっている。
そして、家族との約束。
「IPOするまで・・・」「IPOしたら・・・」と言って、家族には無理を言っていることが少なくない。
ただ、この点は裏切るかもなあ。IPOしたら暇になる、楽になるとは到底思いがたい。昨今、IPO長者にもなれないだろうし。でも、「IPOする」と言う点だけは約束を果たしたいものだ。
こうした皆さんとの約束を果たすために、是が非でも株式公開に漕ぎ着けたい。
その1:信用とその2:体力の点ではまさにIPOはスタート地点に立ったに過ぎないが、この点:約束ではIPOはゴールだ!と思っている。
株式公開・IPOをする意義を考えてみたい。
NEO第一号承認を受けたユビキタス社の場合、基準期で年商6.8億円、経常利益4.2億円である。経常利益率で何と6割を超える。ソフトウェアの会社だから、継続的な技術改良は必要不可欠であるが、大きな投資は必要としないだろう。社員数も16名と多くは無い。こんな会社は本来公開して、IPOとその維持のためにパワーとお金を使い、IPO後はさらなる成長を一般投資家から余儀なくされるよりも、未公開のままで仮に5年くらいしか持たなくってもそれで20~30億円稼いで配当分配した方が余程“お得“でないだろうか。
勿論、ユビキタス社も2年前にVCから資金を導入しているから、その時点で先の未公開でガッポリ路線とは違う舵取りをした訳だが。VC投資を企画する際にあまり議論されることが無いが、ベンチャー経営者はそのことを真剣に考えなければいけない。あとユビキタス社について言えば、創業陣は、前の社長の中山氏は代表取締役会長だが、前々社長はすでに他のことをしているし、創業陣がIPOキャピタルゲイン狙いの気配がしてしまうが。もしそうだったらNEOの将来も暗い気がする。まさかそういうことは無いだろうが、市場と主幹事証券の指導手腕の見せ所か。ちょっと余談だが。
少なくとも昔よく言われた『創業者利益の確保』=創業者がIPOして保有株式を売却して億万長者になることは、株式公開の意義からは実質無くなった。
むしろIPOのために創業者はさまざまな権利を放棄したり、自腹を切って処理する事項などがあって、(その一方で銀行の債務保証だけは残る!)その実質的な『負債』をIPOで埋められればせいぜいではないかと思う。
しかしそれが本質で、IPOキャピタルゲインと言うのも一種のバブルでしかない。『宝くじ』に当たった人が、それを自社の発展に還元したり、ベンチャー社会活性化に投じるのは素晴らしいことでそれを非難する気はなく、むしろそう言った可能性も無いのは残念ですらあるが、「バブルを期待せず、浮ついた心を払拭して堅実に経営しろ」と言う戒めであろうと思う。
そう言うと『ベンチャー経営』に夢がなくなるかも知れないが、創業者としては創業した会社が、企画した事業が発展し、世の中に奉仕できることが一番の楽しみであり、実質的なことを言うと、IPO時の瞬間的なキャピタルゲイン長者ではなく、継続的な役員報酬と配当で得ることになろうし、十分なリターンがあると思う。
「夢や希望だけでは日本にベンチャーは根付かない。リスクとリターンの定量的な公式が必要だ。」というのが僕の持論だが、バブル的なリターンは期待できなくなったが、それでも十分なリターンはある。・・・と信じている。
さて、IPOによって創業者がバブル的な億万長者になるという『意義』を否定した訳だが、そうするとIPOの意義は何だろう?
よく言われるのが、
・ 結婚式で新郎の勤務先が怪しげなカタカナベンチャーよりも、東証公開企業と言った方が、箔がつく。親族が誇らしげ。
・ アパートを借りるときに、公開企業の社員だと、保証人が要らない。
・ 住宅ローンを借りるときに、公開企業の社員だと審査で有利。マンション購入時の抽選で当選率が何故か高い。
・ 銀行からの融資に、代表者の個人保証が要らなくなる。
・・と言ったことでしょうか。僕にとっては最後のポイントしか意味が無いが、確かに若い社員にとってはまさに『一生に関わる』重大時かも知れない。まあ、本人の問題がシックスシグマ(99.9999%)だが。
最近、痛感することは、会社の信用力。
あるお客様との接待の席で、「本当に御社と付き合って大丈夫かと言う意見もあり、最初はテストした。それに合格したからこの席があり、今後もよろしく」と。
相手は日本を代表する世界企業グループの会社の重役。
余程、当社のことを評価してくれたからこそ重役がわざわざ当社まで来てくださって宴席もご一緒いただけた。Cellの持つ圧倒的なポテンシャル、それを活用すればスパコン代替でコストダウンだけでなく、従来の作業時間を何分の一以上に短縮するから、非連続的な商品・サービス(クリステンセンが言うディストラクティブテクノロジーとは少し趣が違うが)が提供できて、かつそれが作れる/プログラミング技量を持つ集団としては当社がNo1だからこその話だ。それでも相手からすれば、どこの馬の骨かわからぬちっぽけな会社、ましてやホリエモンがITベンチャーの経営のいい加減さを吹聴してくれた。社内で稟議をすればきっと異論反論オブジェクションは雨アラレで、一番は「なぜもっと実績のある大企業に発注しない」「関連会社を育ててはどうだ!」・・・その挙句に、いつまでたってもクロージング(契約)に至らない。
また『時間』も違うから、大企業にとって数ヶ月は短い検討時間で、仮に手が空いても「いいチャンスだから少し自己学習するか」程度だが、ベンチャーにとっては数ヶ月クロージングしないと他のことをして儲けないと死命に関わる。経営者としてはそれ甘受する社風になることも怖い。
昔、僕も三菱という財閥系の会社に居たから良くわかるが、そこでの時間軸は年単位でしかない。「来月までには何とか契約できれば良いと思っています」で契約遅延に対する回答としては十分だったし、それで実際に廻るから不思議だ。余談になるが、さすがに大きな仕事は計画的に企画営業しないとダメだが、小さな仕事はポロポロと顧客の側から提供いただけて、先の例で「来月」には予期せぬ受注なども報告することになって、フタを閉めてみると通期では予想を上回ることの方が多かった。
それにも関わらず当社を選定していただき、かつ暖かいお言葉まで頂戴して今回はありがたい限り。だが、ここまで当社のことをどのお客様も買っていただけるかはわからないし、それに甘えていてはいけない。
また、株式公開をすることで会社の営業内容が、東証のホームページや証券会社の説明会等々も通して、多くの人の目に触れるようになる。広告宣伝費と考えれば、公開を維持する費用と努力も少しは埋め合わせになろうか。
上記をまとめると、株式公開する意義の一つとして期待することは、会社の信用力向上である。それは顧客に対する信用、特に新規顧客との営業を有利かつ迅速に進める効果があるし、営業の幅を広げることにもなる。
では、なぜ株式公開をすると会社の信用力向上に資するかを深度化して考えてみたい。
やはり株式公開をしているに相応しい管理体制が社内にあって、かつ適正情報が開示されていることでないだろうか。昨今、新興市場に公開する会社の不正がマスコミを騒がせているが、企業情報サービスで得られる会社売上で正しいところはむしろ少ない。昔、コンサルをしていた会社が、かなりの苦境にあったが、帝国データバンク情報では売上10億円の黒字成長会社として評価されていた。社長に聞くと、調査員が来たので、口頭で適当に答えた結果だと言う。確かに「儲かってますか?」と聞かれて、「赤字で倒産寸前です。」と答える社長は居ない訳で、それを未公開であれば『粉飾』とは言えないだろう。また、帝国データバンクの調査員も、「儲かっている」と言うのに「赤字」とは書けないし、書いたら問題だ。勿論、帝国データバンクでも情報の質的向上のための工夫はしているから、レアケースかも知れないが。
それに対して公開企業では、少なくとも監査法人が粉飾の有無を監査し、また未公開企業では蔑ろにされがちな監査役監査や内部監査もしっかりとしている公開企業の企業経営、財務情報は、はるかに信頼できるものであり、かつ監査法人の監査項目には「継続性」の項目もあるから、「無限適正」の意見が出て公開を維持していると言うことは、重大な事件でもない限り一年以内には簡単には倒産しないと言うことになる。
公開企業でも監査法人の目を潜りぬけて、またはライブドアのように監査法人と半ばグルになって粉飾をするところもある。ただ、マスコミが大きく扱うから、また公開企業だと多くの投資家がリアルなマネーを失うから問題だが、その比率自体はビジネスパートナーとする上では十分小さい。最近のITベンチャーの粉飾技だと、アイエックスアイがやった迂回取引と、アプリックスも結果的にそうなったソフトウェア資産の過剰計上があるが、意図してやるのは昨今では難しい、余程ズル賢くないとやり抜くことはできない。
Cellへのポーティング依頼でも、顧客企業としては、次の主力新商品開発の重要なパートナーとして選定していただいている訳で、当社が安易に倒産したり、全く他の事業に転進してしまっては困る訳で、当社が真剣にCellプログラミングに取り組んでいることを、能力だけでなく、さまざまな方面から確信できないと、自社の、自分の将来を賭けるような仕事は任せられない、まさに当然のことである。
その為にはマザーズ公開でも、ちゃんと監査を受けて管理体制が確立した会社でかつ財務状況の透明性もある、一年程度は倒産しそうにないと言うことは契約を進める上で良い条件になろう。そして、やはり日本であれば東証一部まで駆け抜けて始めて、実質以上の看板を手にすることができよう。当社も東証一部まで駆け上がるべく、マザーズ公開で気を抜かないようにしたい。まずマザーズ公開してから言う台詞であるが。
株式公開の意義その一;会社の信用力の向上
←社内管理の高度化・透明性の向上
→営業拡大・迅速化
ブログに時間を割く意味がわからなくなったこともあり、全然書いてなかったが、「有言実行」のツールとしては良いかな、また発信しないで独り言ブツブツ言っているのも進歩がなこともあろうと。。。
ただ、やはり公開日記には抵抗がある。
あと、以前は「ノンフィクション」と銘打ってみたが、実はVC的には守秘義務があり、VB的には未決定な事項を正式に決議する前に開示するには限界があり、いずれも限界だらけで何も書けない。
VCの人で、投資先や候補先のことをあれやこれやブログに書いている人も見受けるが、守秘義務違反の可能性もある。厳密に考えなければ良いのだろうが。。。
GVCでは、漠然とした守秘義務契約は結ばないようにしている。しかし一般的には口頭開示も含む包括的な守秘義務が業界一般的で、困ったものである。出所が明示された市場規模にまで「Confidential」になっている(=ちなみにこれは包括的な守秘義務契約でも公知の事実で実は対象外)ことも多々ある。プレゼンが終わった後で、「どこが守秘義務対象ですか?」とその限定作業に入ると、実は売上計画くらいしかないってことは良くある。
だいたいが、守秘義務に煩いベンチャーで、まともなところはない。
専門外おVCリストに知られて負けるようなレベルのビジネスで、成功しようということ自体が間違いだ。自信のあるベンチャーは、海外ベンチャーなどそうだが、NDAなくプレゼンをする。だけど本当のノウハウはNDAの有無に関わらず明かさない。
横道が長くなったが、公開日記には限界があって、自己露出症でもないので、あまり書くモチベーションが沸かないが、月一回これから講話をすることになったので、そのネタを深度化する意味とその補完のためにと、とりあえずしばらく再開しようかと。。。
・・・ということなので、以前にも増して自己完結的な記載になります。
以前からの読者の方、ごめんなさい。
先週、たまたまかも知れないけど、ビジネスプランのコンテストに応募しているからと、コメントを求められた。
どちらもやりたいことはわかるし、面白うそうでもあるが、検討の熟度が低い。
実際にビジネスとして手がけるには、勿論のこと、コンテストと割り切っても、まだまだ検討不足。
検討不足は何でわかるか?
一番は本来ビジネスプランにあるべき項目が、欠如していたり、わずかな記述で済まされていたりする。
なぜそうなのか?
論理的な理由は2つ。
そのビジネスを成就する上でその項目が不要であるか、
ビジネスプランの書き手に知識を含む能力が無いか。
まあ、前者ということは余程のことがないと無いから、後者でしょうね。
では、ビジネスプランの中で重要な検討事項をどうしたら逃げずに検討できるか?
私案としては、「チームとコーチ」。
やはり一人で考えているとすぐに煮詰まって逃避に走る。
また良きコーチがいて、ちょっとしたアドバイスで契機が得られれば格段に進むこともある。
僕が理事(最近は不良理事で、風前の灯状態だが)をしているNPO日本MITエンタープライズフォーラムでも、ビジネスプランコンテストを目玉事業として毎年実施しているが、その中でも「メンター」を配置して、コンテスト応募者・ファイナリストのビジネスプランのブラッシュアップを図っている。
ただ、コーチにしろ、メンターにしろ、非常に難しい。
日本でも「コーチング」が拡がりを見せている(らしい)が、
一つ疑問で、かつ今年、日本MITエンタープライズフォーラムのメンターを降りた理由は、
自分が起業家として一角の成功もせずに、コーチング/メンタリングてできるのだろうか?
その本当の資格はあるだろうか?ということ。
確かに、大学入試で成功してなくても、教え方が上手くて家庭教師として評判の高い先生もいるでしょう。
ただ、それは「例外のない規則はない」の例外であって、大概は、せめて東大に合格した人で無いと、東大受験を志す受験生の家庭教師の、特にメンタルな部分はできないのでは?
王貞治をホームランバッターに育てた荒川コーチは、さすがに世界のホームランバッターでなかったが、プロ野球界の大先輩で一角の大選手だった。
ビジネスプランをコンテスト用にソツないものに仕上げる、技量的なものを指導することは、それを学習したサラリーマンやキャピタリストでも十分できる。
ただ、精神的な面でも、特に苦境の時を支えられる、本物のコーチ/メンターは、まだまだ数少ない。
なぜならば日本の起業家はサラリーマン以上に依然として終身雇用で、本業が忙しくて構っていられない。
ここも日本のベンチャー界の大きな課題だと思う。
日本MITエンタープライズフォーラムのビジネスプランコンテストの最終発表会は、今年は8/30ですね。
一般の人も傍聴できますから、興味のある人は是非!
http://www.mit-ef.jp/contest.html
今日、ある方と話していて痛感したこと。
日本はこれから人口も減り、もともと資源がなく、あるのは水と人くらいだったのが、水だけになってしまう。
戦後、日本は改良に知恵を絞り、それをモノにして世界に輸出することで高度経済成長を遂げてきた。
これからも人口が減る=日本の唯一の国際競争力が減退する中で、ますます人が作り出す産業、知識産業が日本の将来を担うキーインダストリーであることは間違いがなく、その中核の一つがソフトウェア産業であることは間違いがない。
しかし、日本のソフトウェアでグローバルに販売されて、世界のデファクトになっているものは・・・。思い浮かばない。それに対しておそらく世界シェアトップのソフトはAdobeのPDFだろう。OS非依存で無償ダウンロードもキーである。マイクロソフトのWindowsはその次だろう。他にもいくつか思いつく。
日本発というと何があるだろう。
日本国内では、一太郎やサイボウズなどがシェアが(一時期)高いものだろうが、世界で見たら勿論全然。
携帯関連のソフトはそのチャンスが大いにあったんだろうが、ドコモのi-mode自体が限定的で、日本以外の世界標準規格のノキア、モトローラ、サムスンなどに勝ちようがなくなった。
だからこそ次世代のソフトウェアカンパニーとして、当社は日本発グローバルスタンダードのソフトウェアに、それを生み出す会社にチャレンジしようと思う。その価値はきっとある。ただ、本格的にグローバル営業するにはもうちょっと体力を整備する必要がある。
もう一つ。
そうすると当然、日本だけでなく、グローバルな叡智を結集する/吸引する会社になるべきで、拠点も今、そして当面は日本だけにせざるを得ないが、近い将来には米国はじめに研究開発拠点を展開していきたいし、創業理念からしても、そうすべきだろう。
しかし、日本のIT会社で工場、倉庫、営業拠点やコールセンターでなく、研究開発拠点を欧米に置いて、開発をリードしているところはあるだろうか???
思い浮かばない。
逆はGoogleも、MSも、IBMもそうして展開しているが、逆はどうだろう?下請け先を中国やインドに作ることはあっても、インドに開発拠点を置いて技術開発等をしている日本のソフトウェア企業はどこがあるだろう?
Accessなどそれをしているかもしれない。しかし、他が思いつかない。Accessも何をしていて、費用対効果はどうかはわからない。明日になったら調べてみよう!そしてAccess以外にどんな会社があるのか?
Accessに限らず、どこかそういう参考となる日本企業をご存知の方がいたら、是非教えてください。