株式公開・IPOをする意義を考えてみたい。

NEO第一号承認を受けたユビキタス社の場合、基準期で年商6.8億円、経常利益4.2億円である。経常利益率で何と6割を超える。ソフトウェアの会社だから、継続的な技術改良は必要不可欠であるが、大きな投資は必要としないだろう。社員数も16名と多くは無い。こんな会社は本来公開して、IPOとその維持のためにパワーとお金を使い、IPO後はさらなる成長を一般投資家から余儀なくされるよりも、未公開のままで仮に5年くらいしか持たなくってもそれで20~30億円稼いで配当分配した方が余程“お得“でないだろうか。

勿論、ユビキタス社も2年前にVCから資金を導入しているから、その時点で先の未公開でガッポリ路線とは違う舵取りをした訳だが。VC投資を企画する際にあまり議論されることが無いが、ベンチャー経営者はそのことを真剣に考えなければいけない。あとユビキタス社について言えば、創業陣は、前の社長の中山氏は代表取締役会長だが、前々社長はすでに他のことをしているし、創業陣がIPOキャピタルゲイン狙いの気配がしてしまうが。もしそうだったらNEOの将来も暗い気がする。まさかそういうことは無いだろうが、市場と主幹事証券の指導手腕の見せ所か。ちょっと余談だが。


少なくとも昔よく言われた『創業者利益の確保』=創業者がIPOして保有株式を売却して億万長者になることは、株式公開の意義からは実質無くなった。

むしろIPOのために創業者はさまざまな権利を放棄したり、自腹を切って処理する事項などがあって、(その一方で銀行の債務保証だけは残る!)その実質的な『負債』をIPOで埋められればせいぜいではないかと思う。

しかしそれが本質で、IPOキャピタルゲインと言うのも一種のバブルでしかない。『宝くじ』に当たった人が、それを自社の発展に還元したり、ベンチャー社会活性化に投じるのは素晴らしいことでそれを非難する気はなく、むしろそう言った可能性も無いのは残念ですらあるが、「バブルを期待せず、浮ついた心を払拭して堅実に経営しろ」と言う戒めであろうと思う。

そう言うと『ベンチャー経営』に夢がなくなるかも知れないが、創業者としては創業した会社が、企画した事業が発展し、世の中に奉仕できることが一番の楽しみであり、実質的なことを言うと、IPO時の瞬間的なキャピタルゲイン長者ではなく、継続的な役員報酬と配当で得ることになろうし、十分なリターンがあると思う。

「夢や希望だけでは日本にベンチャーは根付かない。リスクとリターンの定量的な公式が必要だ。」というのが僕の持論だが、バブル的なリターンは期待できなくなったが、それでも十分なリターンはある。・・・と信じている。


さて、IPOによって創業者がバブル的な億万長者になるという『意義』を否定した訳だが、そうするとIPOの意義は何だろう?


よく言われるのが、

結婚式で新郎の勤務先が怪しげなカタカナベンチャーよりも、東証公開企業と言った方が、箔がつく。親族が誇らしげ。

アパートを借りるときに、公開企業の社員だと、保証人が要らない。

住宅ローンを借りるときに、公開企業の社員だと審査で有利。マンション購入時の抽選で当選率が何故か高い。

銀行からの融資に、代表者の個人保証が要らなくなる。

・・と言ったことでしょうか。僕にとっては最後のポイントしか意味が無いが、確かに若い社員にとってはまさに『一生に関わる』重大時かも知れない。まあ、本人の問題がシックスシグマ(99.9999%)だが。


最近、痛感することは、会社の信用力。

あるお客様との接待の席で、「本当に御社と付き合って大丈夫かと言う意見もあり、最初はテストした。それに合格したからこの席があり、今後もよろしく」と。

相手は日本を代表する世界企業グループの会社の重役。

余程、当社のことを評価してくれたからこそ重役がわざわざ当社まで来てくださって宴席もご一緒いただけた。Cellの持つ圧倒的なポテンシャル、それを活用すればスパコン代替でコストダウンだけでなく、従来の作業時間を何分の一以上に短縮するから、非連続的な商品・サービス(クリステンセンが言うディストラクティブテクノロジーとは少し趣が違うが)が提供できて、かつそれが作れる/プログラミング技量を持つ集団としては当社がNo1だからこその話だ。それでも相手からすれば、どこの馬の骨かわからぬちっぽけな会社、ましてやホリエモンがITベンチャーの経営のいい加減さを吹聴してくれた。社内で稟議をすればきっと異論反論オブジェクションは雨アラレで、一番は「なぜもっと実績のある大企業に発注しない」「関連会社を育ててはどうだ!」・・・その挙句に、いつまでたってもクロージング(契約)に至らない。

また『時間』も違うから、大企業にとって数ヶ月は短い検討時間で、仮に手が空いても「いいチャンスだから少し自己学習するか」程度だが、ベンチャーにとっては数ヶ月クロージングしないと他のことをして儲けないと死命に関わる。経営者としてはそれ甘受する社風になることも怖い。

昔、僕も三菱という財閥系の会社に居たから良くわかるが、そこでの時間軸は年単位でしかない。「来月までには何とか契約できれば良いと思っています」で契約遅延に対する回答としては十分だったし、それで実際に廻るから不思議だ。余談になるが、さすがに大きな仕事は計画的に企画営業しないとダメだが、小さな仕事はポロポロと顧客の側から提供いただけて、先の例で「来月」には予期せぬ受注なども報告することになって、フタを閉めてみると通期では予想を上回ることの方が多かった。

それにも関わらず当社を選定していただき、かつ暖かいお言葉まで頂戴して今回はありがたい限り。だが、ここまで当社のことをどのお客様も買っていただけるかはわからないし、それに甘えていてはいけない。

また、株式公開をすることで会社の営業内容が、東証のホームページや証券会社の説明会等々も通して、多くの人の目に触れるようになる。広告宣伝費と考えれば、公開を維持する費用と努力も少しは埋め合わせになろうか。


上記をまとめると、株式公開する意義の一つとして期待することは、会社の信用力向上である。それは顧客に対する信用、特に新規顧客との営業を有利かつ迅速に進める効果があるし、営業の幅を広げることにもなる。


では、なぜ株式公開をすると会社の信用力向上に資するかを深度化して考えてみたい。

やはり株式公開をしているに相応しい管理体制が社内にあって、かつ適正情報が開示されていることでないだろうか。昨今、新興市場に公開する会社の不正がマスコミを騒がせているが、企業情報サービスで得られる会社売上で正しいところはむしろ少ない。昔、コンサルをしていた会社が、かなりの苦境にあったが、帝国データバンク情報では売上10億円の黒字成長会社として評価されていた。社長に聞くと、調査員が来たので、口頭で適当に答えた結果だと言う。確かに「儲かってますか?」と聞かれて、「赤字で倒産寸前です。」と答える社長は居ない訳で、それを未公開であれば『粉飾』とは言えないだろう。また、帝国データバンクの調査員も、「儲かっている」と言うのに「赤字」とは書けないし、書いたら問題だ。勿論、帝国データバンクでも情報の質的向上のための工夫はしているから、レアケースかも知れないが。

それに対して公開企業では、少なくとも監査法人が粉飾の有無を監査し、また未公開企業では蔑ろにされがちな監査役監査や内部監査もしっかりとしている公開企業の企業経営、財務情報は、はるかに信頼できるものであり、かつ監査法人の監査項目には「継続性」の項目もあるから、「無限適正」の意見が出て公開を維持していると言うことは、重大な事件でもない限り一年以内には簡単には倒産しないと言うことになる。

公開企業でも監査法人の目を潜りぬけて、またはライブドアのように監査法人と半ばグルになって粉飾をするところもある。ただ、マスコミが大きく扱うから、また公開企業だと多くの投資家がリアルなマネーを失うから問題だが、その比率自体はビジネスパートナーとする上では十分小さい。最近のITベンチャーの粉飾技だと、アイエックスアイがやった迂回取引と、アプリックスも結果的にそうなったソフトウェア資産の過剰計上があるが、意図してやるのは昨今では難しい、余程ズル賢くないとやり抜くことはできない。

Cellへのポーティング依頼でも、顧客企業としては、次の主力新商品開発の重要なパートナーとして選定していただいている訳で、当社が安易に倒産したり、全く他の事業に転進してしまっては困る訳で、当社が真剣にCellプログラミングに取り組んでいることを、能力だけでなく、さまざまな方面から確信できないと、自社の、自分の将来を賭けるような仕事は任せられない、まさに当然のことである。

その為にはマザーズ公開でも、ちゃんと監査を受けて管理体制が確立した会社でかつ財務状況の透明性もある、一年程度は倒産しそうにないと言うことは契約を進める上で良い条件になろう。そして、やはり日本であれば東証一部まで駆け抜けて始めて、実質以上の看板を手にすることができよう。当社も東証一部まで駆け上がるべく、マザーズ公開で気を抜かないようにしたい。まずマザーズ公開してから言う台詞であるが。

株式公開の意義その一;会社の信用力の向上

←社内管理の高度化・透明性の向上

→営業拡大・迅速化