神が嫌いな有神論者へ | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


今日二つ目の記事です。


一つ目はこちらです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11376794795.html
マイクロ波兵器の存在を公にしたい




今日の国内地震。

各地の震度に関する情報 情報発表日時 発生日時 震央地名 マグニチュード 最大震度
平成24年10月11日16時12分 11日16時06分頃 茨城県南部 M3.8 震度2
平成24年10月11日12時33分 11日12時28分頃 和歌山県南部 M3.5 震度1
平成24年10月11日08時19分 11日08時14分頃 岩手県沖 M3.4 震度1
平成24年10月11日06時46分 11日06時39分頃 宮城県沖 M3.6 震度1
平成24年10月11日06時45分 11日06時39分頃 福島県沖 M4.0 震度1
平成24年10月11日02時00分 11日01時55分頃 福島県沖 M4.1 震度1


海外では先日中米コスタリカで大き目の地震があったようですが
他には大きめの動きはありません。


中南米はプレートに沿っているとはいえ
大き目の地震ばかり頻発していますし


ユダヤ様に屈服するように脅かされているのかと
想像してしまいます。


北海道では竜巻発生。


国内のユダヤ傀儡の竜巻技術が上がったためか
大気の不安定を理由として
国内での竜巻は急増の気配です。


スーパーセルの作り方含めて頻繁している竜巻の多くは
間違いなく人為的なもののはずです。


昔は影も形も無かったものが
頻繁に姿を見せることになる。


昔は整わなかった発生条件が
今は整っているから発生すると言うのであれば
その主たる原因は一体何なのか?


大気の不安定が雹や雷ではなくて竜巻を齎すメカニズムを
積乱雲の生成メカニズムから
矛盾無く説明出来る専門家はいるのでしょうか?


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10905523463.html
HAARP技術に視線を向けよう VOL15


今日一つ目の記事でもリンクを紹介していた
国家機密のマインドコントロール。


実はあれは昨年の6月に、自分の死を決意した時に
被害者や潜在的被害者となる人達のための
置き土産のつもりで書いた記事でした。


7月7日から10日までの私の死に損ねぶり
”究極の関与”と言う記事で紹介しましたが


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11028011739.html
究極の関与その1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11029850727.html
究極の関与その2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11034356140.html
究極の関与その3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11034358787.html
究極の関与 VOL4
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11048576169.html
究極の関与 VOL5
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11034363279.html
究極の関与 VOL6
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11034365058.html
究極の関与 VOL7
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11034366779.html
究極の関与 VOL8


(私はこの時に雲を作り上げる様子や
巨大な天空プラネタリウムをも見ています。


これらはHAARPやブルービーム計画に
直結する技術であることは容易に理解できました。)


その前に書き上げて皆に電磁波技術、マインドコントロール技術の
恐ろしさとその実用の幅広さを理解して貰おうと思い取り上げました。


実は今日久しぶりに読んでいたのですが
記憶を失いがちの私には新鮮に読めました。


内容は兎も角、私の想いで一杯でした。


ただ、時間を気にしていた事からも
訳がだんだん乱雑になっていた事を悔やみます。


被害者の立場を理解して貰うためだけでなく
今地球社会で起きている事の実態を
理解して貰う材料になれば良いなと思います。


アダムスキーに関しては当時既に数冊の本を古本で手に入れていた頃だったか
その後手に入れたかは記憶がはっきりしませんが


宇宙からの訪問者(旧アダムスキー全集一巻)だけは
間違いなく購入していた頃で


私は死に損ねてから”生命の科学”を購入し
それとほぼ同時に記事でも生命の科学を書くことにもなりました。


一旦閉鎖予定だったブログは
私が生還したことで継続することとなりましたが


結果それ以前の記事と異なり
その後の一年程の記事は精神的な話と


多くの人からすればオカルトと言われかねない記事で
満たされるようになります。


もちろんオカルト的な記事や精神的な記事は元々書きたかったものですし
時々はコーヒーブレイクなどとしては紹介していたのですが


組織的犯罪被害者という立場からも
信憑性を下げる言動として謹んでもいました。


その部分だけを取り上げて私の主張の信憑性を
下げられないためです。


ただ、生還後には一旦やめたのだからと言う意識も強くなり
以前には閉鎖予定寸前に紹介するまでコメントを避けていた
アダムスキーとヨハネス23世ケネディーなどの話や


フティマの奇跡などスペースブラザーズの実態と関わってくる話をも
取り上げるようになりました。


私はアダムスキーの著書を読み重ねることで
その主張の正しさを確信し


宇宙の法則を感じたのです。


被害を主張する人間は多く存在していましたし
陰謀論を語る人間も多くいます。


でも、それらと並行して
精神的な側面としての真理を語る人間はいません。


欲張りな私はそれらをまとめて触れることで
隠されている多くの実態を整合的に捉え
その骨格含めた全体像を紹介することを意識しました。


それに精神的な真理は被害者にとっても
不遇な立場の一般市民にとっても有益だとも考えています。


そこには真の意味での癒しも存在するからです。


私の記事は脳のバランスがよい方、思考能力がある方
そして心が汚れていない方ほど
共鳴してくれる内容になっていると思います。


私は真理の全体像(被害や策略や宗教や宇宙人問題含めた全体)を
大雑把ですが把握してそれを意識しながら記事にしています。


ただ、残念ながら私のような記事は
それに見事に嵌るような人間でなければ深い理解には到達しない、
もしくは全体には興味を持ってはもらえないと思います。


ツボに嵌る方は一目で嵌ってくれると思いますが
多くはそうではないはずです。


そして私の提案として多くの理解者や覚醒者が
皆独自の分野で独特の視点を持って
ブログを書いて広報してもらえればと考えました。


もちろん既にブログを書いている方もいるかと思います。


得意の分野が策略であればそこから皆を真理へと誘導する。


得意が思想であればそちらから、


UFOやオカルトであればそれをきっかけに
皆を真理へと導く。


そんな多くの人間が真理に到達するための
きっかけを皆が作っていけたら良いなと考えていました。


私一人の広報力などたかが知れています。


まして私のサイトはある意味タブーサイトにもなっていて
工作員でさえリンクをはばかっているぐらいです。


勿論余計な理解者が出てこないためです。


工作員でも内容を取り上げて批判する事が無いほどです。


私の記事は資質のある方が読めば
間違いなく共鳴を起こすと思います。


地道に理解してくれる方は時間をかけての苦労があっての理解で
私としては申し訳ないぐらいですが
(以前の記事からの延長としての理解者・覚醒者です)


特定の人間に関しては見つけてくれたその日のうちに
どんどんと記事を読み進めてくれることにもなると思います。


そして一気に覚醒へと進むと想像しています。


しかしそんな人間は稀です。


大体が私のサイトのタイトルを見て
不幸の手紙のようなイメージでウェブを閉じてしまう方もいるでしょう。


キリストと記述しているのを見て
宗教サイトと誤解する方もいると思います。


アダムスキーやスペースブラザーズと書いてあるのを見ては
オカルトサイトだと判断する方もいるかもしれません。


本当はそれぞれの興味ある記事を広報することで
多くの分野に興味ある方に真理を紹介できれば良いのですが

それが現実には難しくもあります。


欲張りの私は私達の知るべきあらゆる真理を
幅広く取り上げたいと言う意識から
抜けられないからです。


しかしその分すべてが薄い内容になってしまいがちでもあります。


組織的犯罪ハイテク被害者としてのサイト。


HAARPに興味ある方を集めるサイト


心霊やUFOに興味ある方を集めるサイト


いろんなサイトを作り上げて
一人でも多くの人間を結果的に総合的な
真理へと導くことが出来れば


私達は多くの魂を救うことが出来るかもしれません。


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家ではシソを栽培しています。


先日、シソの花が咲き出して種が散乱することを恐れた妻が
いくつかの茎を切りました。


勿論その後も根と残された茎は生命活動を続けていたのですが
その短い茎から小さな葉と花芽が出てきて今では花が咲いています。


その事で気がついたのは、
どうやらシソは特定の外的条件が整った事で
花を咲かせているわけではないらしいと言うこと。


私は枝葉が伸びて、ある程度成長した後に
完成系として葉の延長に花芽が出ると言うことを
想像していましたが


切られた事で茎から枝葉だけでなく花芽が出ると言うことは、
一定のタイミングまで成長すると
ホルモンもしくはフェロモンのようなものが
シソの中で作り上げられていて


それが花芽を誘導するのであろうということが想像できます。


彼らは特定の状態が整うと、
花芽を出せと言う指示をする元となる物質を体内にためこんで
それを開花の誘導としているのだと思います。


先日ノーベル賞をとることになった細胞の研究は、


細胞が分割を繰り返すことで
特定の部位が特定の細胞を作り出すように誘導される以前の細胞を


未分割の状態で使用することで
あらゆる細胞へと分化させる技術なのだと思います。


本来、生物の体内には細胞に対して
命令を働きかけるような物が存在していて、
もしくはDNAがそれを作り上げていて


その命令に細胞が従うことで
私達の意識とは無関係な生命の営みをしている事が
ここからも想像がつきます。


私達の社会の中でも生命に関しての探究は

これからも延々と続けられることになるのでしょうね。


それを現象面だけでなくて大元なる因と、
結びつけてくれるようになる日はやってくるのでしょうか。

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掲示板で創造主の存在を認めながら
それを”恨んでいる人間の書き込むスレッド”がありました。


一言づつの内容ですが
ある意味とても興味深いと思い引用します。


この方の気持ちも、
ある意味わからないでもないのです。


創造主の法の仕組みに気がつくまでは
私だって自分の不運な人生を振り返り
創造主に対して不満を持っていたような人間だからです。


肉体を持って暮らしている三次元社会の中に限定すれば、
間違いなく不条理な状況があちこちに存在しています。


多くの普通の人間が、
罪なくとも過酷な思いをさせらていると言う
実態もありますし


一方では悪意を持って生きている人間の中に
私達の社会の言うところの”幸せ”を満喫している人間もいます。


そんな状況を不条理だと感じれば
誰もがそんな状況を放置しているように見える
創造主の事を恨みたくもなるでしょう。


少なくとも見た目には、そして今現在の物質社会的では、
その行いとその結果得られている生活環境には
明確な因果関係が見えないように感じられるからです。


まして延々と組織的犯罪に巻き込まれているような人間であれば
今もずっと苦しむ羽目になっていますし


犯罪を犯したわけでもないのに
そんな苦しい思いを続けさせられることの不条理さを感じ
神など何の役にも立ってはいないと思ってしまう事もあるでしょう。


時には創造主を恨み、自分の生を呪うかもしれません。


でも私達が認識できていないだけで
そこには間違いなく創造主の法が働いているのです。


私達の生き方と私達がそこから得る事になる物は、
それが短絡的に結びついていると認識できるようなものではありませんが


創造主の法は、結果的には必ず私達人間に対して平等に働いている。


今現在いくら苦しくて常に不運に見舞われているとしても
それは未来永劫続くわけではありませんし、


無法者がこの世の春を満喫していたとしても
それもこの世限りの事になるはずです。


私達は転生の法則、因果の法則、原因と結果の法則を
理解していないから、


今の生での行いが、そのまま今すぐ自分に対して反映されるという
勘違いをしているだけで、
この体験のすべてが次の生以降に嫌でも反映されていくはずです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11320208573.html
最後の審判と転生の法則
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11370292500.html
生命の科学 復習・応用編 VOL4 潜在意識のカルマ
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11369748271.html
生命の科学 復習・応用編 VOL3 カルマは解消できる?


それは私達の魂に間違いなく記憶され、
時にはカルマといわれる物となり


私達が次の生で生きる環境を決定する要因にもなるでしょうし
私達の魂に進化を齎すきっかけにもなるものだと思います。


イエスキリストは
”天の国にこそ財宝を積み上げなさい”と言っていました。


それは現世での行いに対して、この世において見返りを求めるのは間違いで、
私達がすべきは無償の奉仕だと言うことでもありました。


私達は自分の行いに対する見返りを受けないことで
それを天の国に積み上げる行為こそが大事だという話だったはずです。


この世の中で幸せになりたいと何かを為す行為は
そのままこの社会での幸せに繋がる事もあるでしょうが


その時に私達は報酬を受け取っている事になります。


しかし私達の魂を進化させ
私達が”永遠の命”と言っている記憶を持っての転生へと誘導するのは
私達の無償の行為であると言うこと。


不運な想いをし続けている人間が、自分が本来したことに対して
それ相応の見返りが与えられていないと感じるのであれば
それは逆に喜ぶべきかも知れないという話にもなります。


聖書のイエスの記述で、
満ち足りていない人間達こそが報われることになるのだと言う事を
取り上げている一節があります。


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この群集を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。


そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。


心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。


悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。


柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。


義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。


あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。


心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。


平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。


義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。


わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、
ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。


喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。
あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(心の貧しいものと言う記述に関しては
本当にそのままの言葉でイエスが話したのか
それとも別な深い意味があるのかわかりません。
自分の心が貧しいと認識している者ということかもしれません)


ここからもイエスの語りたい内容は、
「悲しんでいてもその悲しみは永劫に続く事はない」
と言うこと。


とりわけ今の社会の中で自分の人生が報われていないと感じる人間は
自分が受け取るべき報酬を得ていないと言う意識があるわけで
それが正しい認識ならばそれは必ず後に自分に対して跳ね返ってくる


その事をイエスキリストがここで触れているのです。


イエスは「善行を行うときでもそれを
人目でするのは良くない」と言っていました。


人前での善行はそのままその人間の評価につながります。


その人間はその時にこの社会の中で褒められ称えられるという
報酬を受けることになるからです。


行動に対してそれ相応の報酬を受け取れば
それは正しい対価が創造主の法則の前で与えられたことになります。


その行為は無償の奉仕ではないのです。


それでは私達の魂の進化はないとイエスは言っているのです。


だからこそこの現世で報われていない人間には
見えない報酬が齎される事になるので


今の不運を嘆くなと諭してくれていると
私達は受け止めれば良いと思います。


更にこの一節は同時に
イエスキリストが永遠の生へと進む資質を持った人間を
示したものでもあると思います。


どんな人間が永遠の生を得る資質があるのかと言うことをです。


スレッドの中でのコメントを
創造主の法に照らして私がコメントをつけたいと思います。

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126 :神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 13:41:19.54 ID:2oUJxBvl
神には人間の本当の苦しみは理解できない
何故なら肉体を有しないからだ

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これに関しては私は知識がありません。


創造主が意識だけの存在に感じるのは
創造主が四次元にその想いをエネルギーとして満たしていて
私たちがそれを神と受け止めていることに由来しますし


創造主の存在している場所さえ私達は認識することも
できないからです。


ただ、創造主はサドではありません。


私達が苦しんでいるのを見つめては喜んでいるわけがありません。


元々創造主が予定していた社会とは違った環境を作り上げ
その中で苦しんでいるのが私達地球社会の人間だからです。


創造主は万物の調和の下で
私達が平穏に暮らす事こそを求めているはずです。

それが出来ない環境にこの社会を作り変えたのは私達だということです。


確かに悪意を持って社会を変貌している人間達もいますが
それに対して疑問を持てば、社会のあり方に疑問をもてば、
私のようにそれをおかしいと主張することもできます。


そんな人間が多くなかったからこそ
創造主の意志とかけ離れた人間が増え
このような社会が出来上がったとも言えるのです。


その中で義勇心と言える物を持って生きている人間は
おそらくは私のような目に遭います。


そして今の生活以上に心が不快と感じる事で
満ち溢れる事になると思います。


しかし先述のイエスの言葉では
そんな人間達にこそ天国は控えているのだとイエスキリストが言っていたはずです。


【義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。】


私達は既存の社会の誤った価値概念の中で
異端とされようが変り者とされようが
いわれも無い危険人物とされようが、


その持っている意識は私達が本来創造主から与えられている
魂の意識から受け止めているものが多いのだと思います。


そんな人間を創造主が見捨ててしまうわけがないのです。


この生に於いて死ぬまでどれほど苦労させられたとしても
その事に創造主の法則は必ず応えてくれるはずです。


これは気休めではありません。


私達が理解すべき創造主の法、そして転生の法則の一環だと思います。

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127 :神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:59:35.07 ID:zLFOLNJ7
神、毎日毎日“試練”と称する嫌がらせご苦労さん
オマエのエゴに付き合わされる善良な人間サマは大迷惑だけどなw

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正直この”試練”なるものが曲者なのです。


私のような被害者であれば加害者達に
魂磨きとか試練と言われては加害行為を強化されたり
彼らに攻撃の口実を与えたりしている実態もあります。


そして私達を進化させようとして働いているのが
創造主の法なのですから
(地球社会ではまずは覚醒させること)


それは私達を心の快楽に誘導するものではありえない事は
理解して頂ける事と思います。


つまり私達の魂の進化に必要だと思う試練を
私達は他人を含めた環境をも利用されては
与えられ続けている可能性があると言うこと。


もっと言えば偶然被害にあっている私が今受けている被害は、
もはや偶然ではなくて必然であり
それが更なる進化のために私の役に立っている
可能性もあると言うことです。


まるで加害者にとっては都合の良い話になってしまいますが、
今自分のエゴに従って心無い行為をしている人間を


そのまま創造主の法が利用し
私達に試練を与えている結果にも見えます。


一方暴れている人間達の中で偶然私達と関わったことで
覚醒してくれる人間がいれば、それも偶然ではなくて
創造主の法に導かれたものかもしれないと言うこと。


ただ、自分のエゴに囚われて攻撃を繰り返している人間が
どんなカルマを背負いどんな未来を迎えすかと言うことまで考えれば


私のような被害者でも攻撃への怒りは一時的なものとして
昇華する事も出来ると思います。


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128 :神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 19:36:49.06 ID:zLFOLNJ7
おい神、明日はどんな嫌がらせ仕掛けてくるんだ?
乗り越える気なんかねぇよ くだらねえ、付き合ってられるかw

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129 :神も仏も名無しさん:2012/10/11(木) 05:18:55.53 ID:0sLCPp2I
「人生は大事だ」って言ってもらいたいか神?
仕組まれた操り人形の人生なんてちっとも大事じゃねえよ、クソ神!!


130 :神も仏も名無しさん:2012/10/11(木) 06:27:04.65 ID:CAFCvkbP
神の自己満足に振り回される人間や動物

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私達を待ち構えている出来事が
創造主の法則とは無縁ではないことからも
創造主が仕掛けをしていると言う表現はある意味正しいと思います。


たとえ仕掛けてくる人間が組織的犯罪の工作員でも
それをそこに導き攻撃をさせていることも
創造主の法とは無縁ではないからです。


そして日々辛い想いを繰り返すと私達はくじけそうになりますし
時には心を腐らせてしまう人間もいるかと思います。


ある程度で放置しておいて欲しいという気持ちも
正直芽生えると思います。


しかし今は時代がそれを加速化しているのだと私は確信しています。


これはおそらくは地球規模での動きの影響を
私達は直撃されていると言うことです。


イエスキリストが言っていた
「持っている者にはますます与えられ
持っていない者は持っているものまで奪われる」


その時代が進んでいる証拠ではないでしょうか。


私達人間は今二極化の選択を迫られている。


そして先に存在しているのは地球規模での大きな変動です。
(精神的な変動含めてです)


神の自己満足に振り回される人間や動物。


確かにそんな一面もあるかもしれません。


創造主は私達が宇宙空間で成長しているその過程を
満足して見つめているかもしれません。


でも創造主が創造してくれなければ
私達は自分が存在しませんでした。


肉体を持ってありとあらゆる楽しみや苦しみや心地良さを
体験できるのも全ては私達が生を持っているから


そして自分は自分であると言う意識を持っているからです。


植物の様に心を持たない存在で
創造主の意志に従って生きているだけの存在であったならば


私達は自分を自分と認識することなく
単に神のコピーとしてひたすら創造主の意のままに
作業をするロボットでもあったはずです。


創造主が私達に心と自由意志を与えてくれたからこそ
私達は自分を感じ他人と自分を選別し
自我なるものを良くも悪くも感じることが出来る。


そしてその中で創造主の意識に気がついて
それに従うことを選択したものが
進化への道を進むわけですし


その意志に従う気がないものは
希望通り消えていくことになるのですから
そこにも問題はないと思います。
(常に創造主の法は覚醒を意識して働きかけているはずです)

ただ、この現在の社会の実態に影響されて
半ば地獄と化したこの社会に嫌気をさして


結果厭世観を持つことに至っているのであれば
ぜひ創造主の法に目覚めるきっかけを手に入れて欲しい。


他人の悪意やエゴに影響され
自分が進めたかもしれない道からそれてしまうことは
とても馬鹿馬鹿しいと思うのです。


創造主の法は間違いなく誰にでも同様に働いているはずです。


まして進化が進めば更なる進化へと私達を誘導してもくれると思います。


私は資質の足りなさと周囲の環境の自分への負担が大きすぎで
肉体的消耗含めて過酷な立場になっている気がしますが


中にはまだまだ余裕のある人達もいるかと思います。


もしかしたらまだ進化の余地があるかもしれませんし
課題が終了していないかもしれません。


アダムスキーがためになる話をしてくれています。


そのうち全文を取り上げますが
今日は前半の方を紹介します。


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 エゴを支配する道を進むのは容易ではありません。
「私の意志ではなく、あなたの(創造主の)意志がなされるのです」


と喜んで言えるようになるまでには、
人間はたびたび個人的苦痛という暗黒の夜を数時間、
数日または数カ月もすごしながら、肉体人間のエゴと闘わねばなりません。


しかもそれまでに人間は何度叫ぶことでしょう。
「ああ、父よ、この苦しみを除きたまえ」と。


 エゴの生活、すなわち”私の意志”による生活をすごすのは容易ですが、
自分自身を”創造主の意志”に任せるのはきわめて困難です。


変化の過程において弱い自我が突き抜けねばならぬ闘いは
ときとして最大の苦痛をひき起こします。


穏和や温順な状態に達するまでには長年月を要します。


 毎度のことながら、宇宙的な表現のための非個人的な径路になろうとする人は、
自分に強さ、理解力信念などがあるか否かを試す、胸の張り裂けるほどの辛い試練にあいます。


人間は真理という鏡の中にすすんで自身の姿を映して見る必要があります。
ときとしてその姿があまりにいやらしいために、しりごみし、


どの程度の人格かを最もよく語ってくれる最大の伝え手から顔をそむけてしまい、
生命の表現の中にひそむ神性の欠乏により茫然自失の状態になります。


自身の肉体の魂に直面すると、本人はのがれることのできない絶望の沼の中に
投げ入れられ、悔恨と自己非難の流砂の中に引き込まれます。


 一方、心が純粋で、目的が真摯な人だけは、
自分の行動や想念に直面することができ、こうした啓示にしりごみしません。


このようにして高地ヘ登った人は、信念による自分の再確立と、
愛による自分の純粋化の必要を感じます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このような話を聞くと自分が如何に未熟であるかと言うことと
アダムスキーの凄さを身にしみて感じることになります。


流石は地球でも宇宙的覚醒を実現させた元イエスの使徒です。


私にも、エゴと戦うと言う事は私達の今まで持っていた価値観の多くを
否定することにも繋がるために


多くの人間が苦痛を伴い続ける事にもなるのだと理解できます。


私達の心は自分にとって心地良い物しか受け付けません。


それ以外は不快感のネタになってもいます。


そして私達は自分を正しく理解することすら
拒否する意識を持つことにもなります。


自分の中の自分は美化されているからです。


その卑しい気持ちや、醜い思考
そして貪欲な意識は全て自分では認めたくないのです。


しかしそれと直面しないと
私達は進化を果たすことも出来ないようです。


私などは、その進化の過程であり
アダムスキーが私達の理想的な目的として掲げている
宇宙的覚醒は遥か遠いであろう事も想像しています。


私の資質とこの環境では無理だと思います。


それが意味するのは私が真の自分の姿を
受け入れることの出来る境地に達していないと言うこと。


そして心のエゴを結果的に捨て切れていないことと
無関係ではありません。(封印されていると言う話もありますが)


真の啓示なるものは私達が自分を正しく受け止めて
その中でエゴを正しく排除した後にこそ
やってくるものなのかもしれません。


アダムスキーの表現で言えば
私達は進化のための扉をようやく開きだしているところで


自分を正しく認識してそこからエゴを排除できた人間が
その扉を大きく開けることが出来るのだということです。


「ああ、父よ、この苦しみを除きたまえ」


イエスキリストでさえ、
自分に降りかかる災いを理解しては創造主に嘆いて見せましたし
まして私達は唯の人間であって聖人ではありません。


私達は今置かれている環境の中で精一杯だと感じる生き方が出来れば
きっとそれは創造主の法が認めてくれて


魂に刻み込まれた良い意味での記憶となって
私達を導いてくれるのだと思います。


私達は自分の身の丈にあった正しい進化を地道に続けて行きましょう。


時間の経過と共に創造主の気持ちも理解できるようになり
きっと神の事が好きになれると思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


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P.S.

私は気休めのために言っているのではなくて
その事を確信しています。


それに同じ苦しむにしても


その環境を悲観して腐り続けるよりも
創造主の法を理解していると気持ちの持ち方も違ってきますよね。


例えば虐めにあっている人間であれば
それを試練と受け止めながら今の環境の改善をも求め続ける


虐めを実行している人間達は現世もしくは次世で絶対に
その自分の行為に対してのカルマの影響を受けるのですし、


彼らにとっては神に与えられた学習機会ですが
被害者にしてみればそれを報いと表現することも出来ます。


創造主は絶対に差別などしない。


今報われていない魂は
きっと次世では得るものが大きいのだと私は信じています。


そして希望通りの転生を果たせた後には


それを報いや報酬ではなくて
進化だと認識することになるのでしょうね。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11356040716.html
神を認識する魂と言う器官
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11353540297.html
真の創造主の法は争いを生まない