地元商店会の夏祭りで、波踊りに目を奪われた
関東地方も梅雨が明けて本格的な夏の到来。19~20日は地元商店街(渋谷区西原町)の夏祭りで、普段は人もまばらな商店街も、こんなに大勢の人が何処から出て来たのだろうと思うほど・・・とにかくラッシュアワー並みの混雑。で、今年は2年振りに、たこ焼きならぬ、「たこ揚げ」を手伝った。たこ焼きでは、仕込みやら、焼く手間暇がかかり人で不足もあり存続か否か追い詰められていた。そんな矢先に、たこ揚げという簡単なものがあると知らされた。冷凍もので、油で5~6分揚げるだけ、味も遜色ないという代物。1個1個焼く労働が省け、高齢者である我々スタッフは大いに助かった。食品は日進月歩だ。
今年は2日間天候に恵まれ、1日目のイベントは、高円寺ひょっとこ連による阿波踊りやディキシーランドジャズで、盛り上がりをみせた。阿波踊りはまさに夏の風物詩。軽やかなリズム、優雅で、切れ味鋭い踊りは洗練されていて、私は目を奪われた。コミカルな男衆と対象的に、女衆は優美、特に手と足の裁きは緩急があり美しい。徳島の本場の踊りを一度は見てみたいものだ。
2日は恒例のカラオケ大会。だが参加者は年配者ばかりで、若者がいない。子供たちもいない。なにか町内会の現状を明示しているようだ。若者よ、ふるさとを愛せ!と叫びたい思いだ。
そんな夏の思いでも、夏はあっという間に来て、去っていく・・・どうぞ、2度と帰らぬ一夏の思い出を十分に愉しんで下さい。
青春は待ってくれないぞ・・・。
キックの鬼・沢村とマッハパンチ猪狩の先輩後輩が食事会で意気投合した夜
沢村忠と猪狩元秀・・・ご存知だと思うが、キックの鬼とマッハパンチ、キック界を代表するスパースター。かねて猪狩さんから「先輩(キック界と日大の)に是非1度お会いしたい」という希望で、アオバ企画高橋専務のご尽力で食事会が実現した。7月11日夕刻6時から―。
場所は丸の内ビル35階のモリタ屋。私も幸いにも同席させて頂いた。沢村さんは何が好きかといえばステーキ、それも皇居を眺望できるレストラン。両雄のご対面の場には最も相応しい所。
キック界の、そして大学の大先輩を前にさすがの猪狩さんも緊張気味だった。いつものことだが、猪狩さんはビシリとスーツに身を包み隙のないお洒落。夢が叶った猪狩さんは先輩に学生時代について尋ねる。大学時代の沢村さんは1年の時から空手部の特別扱いだったよ、というと「僕は先輩達ににボコボコにやられました。1年から特別だというのは聞いたことがありません。流石は沢村さん、それだけでも伝説です」と驚いた。
やがて沢村さんはキックの道へ。デビュー戦でサマンに大惨敗のTKOその経緯を話す。骨折、どうしたらムエタイに勝てるか思い悩んだ日々の事を―。
猪狩さんにとっては初めて本人から聞く貴重な話の数々。
何故、魚など生ものを、いまでも一切口にしないかとの問いには「現役時代に、明日試合があるのにお腹を壊したら皆に迷惑がかかる・・・と思うと口にできなくて。その癖がズーっと現役を離れても続いているんです」と沢村さんに、頷くことしきりの猪狩さん。いいエピソードだなーと私も思わず頷く。
沢村さんとの会話は和やかなうちに約1時間半、かたや空手(剛柔流)、かたや猪狩さんは日本拳法出身ということで、共通することが多い。時を超え、団体(沢村は日本系、猪狩は全日本系)を超え先輩後輩の食事会は、とても心に残る顔合せでした。そして再会を約束。
(因みにお二人のDVD「キックの鬼・沢村忠」と「マッハパンチ伝説・猪狩元秀」は、アッパーから販売されています。)
北海道の旅、旭川動物園、ラベンダー畑。K-1MAXに感じたものとは・・・
1泊2日で(6~7)で北海道を旅して来た。簡保のツアーで、総勢70人ほどで旭川動物園から富良野など妻と大自然を満喫してきた。但し、猛烈に暑かった。両日共、31度を越す猛暑で涼しい北海道のイメージは何処へやら。地球温暖化を体験する旅になろうとは。折からサミットの真っ只中、厳重な警戒の中での旅行だったが、特に混乱もなく、思ったよりスムーズに移動できた。初日の旭川動物園は、今話題の動物園だけに大いに興味があった。確かに北極グマとアザラシのモグモグ(食事)タイムは、ガラス越しに見られ等身大の迫力は見応え十分。新設のオオカミの森は、3匹のオオカミがいたが暑さのために木陰で寝そべっていた。この動物園は、破産寸前だったところを現園長のアイデアで今日のような評判の施設にしたという。年間300万人が訪れるというから驚き。知恵を絞れば生き返らせる・・・そんな見本のようだ。冬はペンギンたちの行進が見れたり、いかにお客さんを満足させるか、その努力には敬服する。
但しだ、急勾配に出来ている施設なだけに、年配、それに子供連れのお母さんには気の毒だ。太陽を遮る木陰もなく夏休みに行こうと思っている方はよくよく考えたほうが良い。それでなくとも、北海道の夏は本州と変わらず暑い。
2日目の美瑛(色季彩の丘)から富良野、ファーム富田のラベンダー畑は花のジュウタン。北海道に来たぞという実感十分。充実した2日間であった。バスの旅もまた楽しい。
7日夜、羽田から帰ってK-1MAXに間に合ってテレビ観戦。佐藤がブアカーオに1RKO勝ちしたのには驚いたが、偶然ではない。佐藤には長いリーチがある。ブアカーオもそれを見あやまった。
魔裟斗はドラゴに圧勝したが、万全ではない。それが証拠にドラゴのハイキックを2発も喰らい、グラリときた。選手というものは、しらずしらずのうちに衰えて行く。喰わないでいいものをくってしまう。それがまさしく衰えなのだ。選手はその衰えとも戦っていかねばならない。
ブアカーオも然り・・・衰えは宿命だ。さて、準決勝、魔裟斗X佐藤は魔裟斗断然優位だが、そうとは行くまい。但し、佐藤は自分で試合を組み立て欲しい。カウンター狙いでは魔裟斗は攻略できない。
やはりサワーと魔裟斗の頂上決戦だろう。
K-1GPに明るい材料 バダ・ハリの今後に注目
K-1GP(福岡)のジャパンGPは、テイシェイラが予想通りジャパンGPを制した。武蔵は前田に負けて気が抜けたサイダーみたいで、興味は削がれた。なにしろ日本選手に時代を切り開いていくような気骨、迫力が見受けられないのだ。
そんな中、バダ・ハリ(モロッコ)は久しぶりに私の目を釘づけにした。スピード、コンビネーション、切れ味はヘビー級の選手として突出している。スピードがなく、大味なクラウベではとても歯が立たない。キャリアを積めば相当な選手に成長していくだろう。楽しみな選手で、K-1GPに明るい素材が産まれた。
欧州は、早くからムエタイの影響を受け、バンコクへの修行なども活発に行って来た。その牽引となったのがオランダであったが、近年は他の諸国に広がっている。これからもバダ・ハリのような彗星が、突如現れるような気がする。ブラジルは空手、柔術の国で、ムエタイやキックの影響は少ない。その分、蹴り技、パンチのコンビネーションには遅れをとっている。ことK-1、キックボクシングの世界では、やはりムエタイ流の技の習得が必要不可欠だ。
ともかくもバダ・ハリの今後の成長に期待して見守りたい。
リアルジャパンに懐かしい選手が集合 アレックのテーマ曲には痺れた・・・
19日は佐山聡(初代タイガーマスク)率いるリアルジャパン・プロレスを見に後楽園ホールに出かけた。同団体は2カ月に1度、定期興行を行っている。今回はさながら昔懐かしい同窓会の趣があって、久しぶりに見る選手に驚いた。グラン浜田はもうかれこれ20年以上も見てないから、少し似ているとしか思わなかった。まだ頑張っているとは。元リングスの長井満也も体が一回りも大きくなって、若かりし頃とは大分雰囲気が変わっていた。
レフェリーの和田君と何やらリング上で話していたが、その光景も昔の仲間といった味が漂って良かったよ。アレクサンダー大塚もPRIDEでの印象が強烈で、その本人が佐山君のリングに現れるとは・・・あの「♯青コーナーに~」のテーマ曲を久しぶりに聴き、埼玉アリーナでの死闘を甦らせた。年はとっても、体に往年の精悍さは失われていても、やっぱりアレック!元気な姿を見ただけでも満足だった。
メーンには鈴木みのる、四代目タイガーマスク、初代タイガーマスクも登場して、盛り沢山の3周年興行でした。
最後は悲しいニュース。あの国際プロレスで活躍したグレート草津さんが、23日午後7時、食道がんで死去。享年66歳。また一人昭和プロレスの名選手が亡くなった。
ご冥福を心よりお祈り致します。
長谷川の6度目の防衛で思うこと 佐瀬稔さんの記事が恋しい・・・
キック鑑賞会は6月28日(土)午後2~4時に新宿区西新宿7-8-11 中川ビル3階(村上方)に決まりました。興味のある方は参加して下さい。会費は500円、ビデオの鑑賞会が終了後に懇談会が行われます。
毎回珍しい映像や、エピソードなどを披露するつもりです。募集人員は10名程度なので先着順。ご希望の方は〒151-0066渋谷区西原2-2-4 (株)アッパー「キック鑑賞会」宛て。はがきに住所・氏名・年齢・職業を明記、「キック鑑賞会」参加希望と書いてお送りください。 メールはupper@lapis.plala.or.jp
まで。参加者には追って案内書をお送りいたします。
さて、格闘技界の話題も夏に向かって活発になってきた。そんな中にモーリス・スミスの名前がポンと出て来て驚いた。吉田秀彦と対戦した選手で、全盛期は20年前―全日本キックボクシングで活躍した。懐かしい。吉田にはわずか一回で惨敗したが、もう47歳、それも仕方があるまい。アメリカで現在キックの指導者として評判だという。黒人で、穏やかな人柄・・・格闘家になんぞならないで牧師にでもなっていたら良かったのに。当時はそんな風に思っていた。隔世の感ありだ。
12日に行われたWBC世界バンタム級タイトルマッチでは、王者長谷川穂積(真正)が、ファッシオ(ウルグアイ)を2R TKOに下して6度目の防衛。戦歴15戦の相手は、初回から私には波乱、ドラマチックな展開を予想すものはなった。案の定のTKO、やはりボクシングは想定不可能な打ち合いが見たい。長谷川の極限の才能、テクニックを引き出すためにも、骨のある挑戦者を当て欲しい。
長谷川を、より人気ボクサーにするためにも。
ボクシングといえば一頃は、試合翌日のスポーツ紙を見るのが楽しみだった。今は亡き佐瀬稔さんの観戦記読むのが。ペーソスがあり、戦う人間像が鮮やかで生き生きして、いつも心に残った。佐瀬さんのような名ライターがいなくなったことも、あるいはボクシング離れに影響があるのかも・・・。同氏は、人間を通してボクシングの魅力を増幅させた。佐瀬節が恋しい。
名王者 関光徳さん死去 サルディバルと死闘を残して・・・
現役時代はその左ストレートの切れ味から「銘刀正宗」と謳われた関光徳さん(横浜光ジム会長)が6日、くも膜下出血のため横浜市内の病院で死去した。享年66歳。通夜は10日午後6時、告別式は11日午後0時30分からで、ともに東京都港区芝公園の増上寺で。
増上寺といえば、寺内大吉和尚(直木賞作家・ボクシングに造詣が深い)が法主の由緒あるお寺である。同氏は現役時代の関を「史上最強の東洋チャンピオン」と評している。メキシコで行われたサルディバルとの世界フェザー級タイトルマッチにも寺内和尚は(リターンマッチ)観戦に出向いている。第1戦はダウンの応酬で小差の判定負け・・・当時強打を欲しいままにしていた最強王者に真っ向勝負を挑んでの惜敗。メキシコのファンが熱狂して、再戦を要求したといわれる。その第2戦は7回TKOで破れたが、関の鬼気迫るアタックはメキシコのボクシングファンに多大な感銘を与えている。
世界挑戦は5度、夢叶わなかったが、東洋王座12度防衛の記録は燦然と輝く。ボクシングが華やかし頃の名選手がまた1人この世を去った。引退後は横浜光ジム会長として、畑山隆則、新井田豊ら世界王者2人を育てた。
指導者としての関会長は、寡黙で温厚だった。取材でよくお会いしたが、現役時代の自慢話は聴いたことがなかった。それにしても関光徳さんのファンであり、最も高く評価ししていた寺内大吉法主の増上寺で葬儀が営まれことは、故人にとっても幸せだろう。
ご冥福を祈ります。
五嶋みどり&フィラデルフィア管弦楽団に圧倒されまくった!
先週27日は、サントリーホールに久しぶりにクラッシックを聴きに妻と出かけた。フィラデルフィア管弦楽団と五嶋みどりさん・・・頂いた席が前から8列目のほぼ中央、最高の席で、名だたるオーケストラとヴァイオリン奏者。圧倒的感動に包まれ妻共々充足した一夜であった。心が満たされた。
1部はブリテンのヴァイオリン協奏曲OP.15。五嶋みどりさんの演奏を生で聴くな初めてで、小柄な人という印象があったが、どうしてステージでは大きく見えた。この世のものとも思えない音色は心に滲みわたった。繊細にして豪快。フィラデルフィアの重厚なオーケストラと調和して、クラッシクに素人の私でも世界最高峰のジョイントと実感できた。迫力に圧倒され痺れた。
2部はシューベルトの交響曲8(9)番ハ長調D944「ザ・グレイト」。この曲はまさにフィラデルフィア管弦楽団の真骨頂。音が縦横無人に爆裂した。指揮者クリストフ・エッシェンバッハのタクトに一糸乱れず、とはこのこと。高低、落差の激しいサウンドをかくも見事に纏め切るとは。たちまち私はこの指揮者の虜になった。コンパクトで分り易い指揮、躍動感―う~ん、全て格好良かった、文句なしに。同氏は指揮者になる前は、コンサート・ピアニストとして世界的に名声を得ていたという、なるほど。なるほど。
拍手が鳴り止まず、何度も何度も消えては出て来て感動の嵐だった。また、聴きに行きたい。見に行きたい。クラッシクを難しく考えず兎に角足を運ぶこと。そこには宇宙規模の歓喜があるぞ。
やっぱ、芸術は凄い!不滅なのだ!ブラボー!
FAXのインクが切れてとんだ混乱・・だが本当の「商人」に巡り会えたのは幸いだった
今日は買い物で失態をやらかした話。自宅でのFAXはブラザー社製を使っている。コンパクトで、パソコンにも繋げるし重宝している。ところがインクが切れ、詰め替え用インクでてんてこ舞いした。その失敗談。あなたも間違う恐れあり。参考になろうかと。
先ず新宿西口ビックカメラへ。本当はB社の指定のカートリジを買えば問題なかった。ところが店頭で真っ先に目に付いたのが「ブラザー使用」安く、お徳の詰め替え用。躊躇わず買う。家に帰って早速詰め替え作業。どうも上手くいかない。で、B社に問い合わせ。B社曰く「それはウチの製品ではありません」という。「だってbrotherって銘記してあるよ」「ロゴが違います、我が社でも困っているんです。その製品はELECOM社ですから、そちらにお尋ねください」こんなやり取り。その時点でやっとどこの製品か気がつく。今度はE社に「お宅の詰め替え用インクを買ったけど注入できない」と、E社に買った品番と私の機器の型番をいうと「それは違う品番のもので、xx番のものを買って下さい」いわれ、取替えにまた新宿へ。いわれたとおりの製品に店頭で取り替えてもらう。そして今度は大丈夫と思ったら、またできない。説明書をよくよく見れば「これだけでは、できません。別キッドが必要です」とある。そんなことパッケージに明示してないじゃないか。E社に納得できないない旨の電話を入れる。E社の結論は「上司に報告して、これからはお客さまが分かるように明記するなどの工夫を致します」というあっけないものだった。
E社のインク・キッドの別売を4~5000円また出して買うか、買ったものを捨ててB社製のカートリッジを買うか・・・ともかくビックカメラへ。責任者にご相談したいと店員に。黒川佳一郎主任が飛んできてくれた。私の説明、「店側もお客が混乱しないように対策を講じて欲しい」に黒川主任は「よく分かりました。メーカーにもその旨を伝えます」といって、E社の詰め替えインクを再度にわたって引き取り、代金を返還してくれた。お陰で気持ちよく今度は、B社のカートリッジを買うことが出来た。とんだ回り道だったが私はこれによって本当の”商人”という人に巡り会った。
黒川さん、年齢は30代とお見受けしたが、私の苦情にも嫌な顔一つせず、快く相談にのってくれ問題を即座に解決してくれた。何よりも問題に正面から向き合う姿勢が私には好感が持てた。
家電量販店は熾烈なサバイバル競争を展開しているようだが、その陰には、地道で真摯な商いの道を守る人達がいることを私自身が教えられた。 禍転じて福と成す・・・爽やかな五月の風のような商人に会えたことが、私にとっては「福」であった。人間捨てたもんじゃない。
「ゴング格闘技」が復刊の嬉しいニュース 「週刊ゴング」も続く・・・
嬉しいニュースが入って来た。「ゴング格闘技」が復刊するという。現在「GONKAKU」を発行しているイースト・プレス社が日本スポーツ出版社との話合いで合意、今月発売の号から復刊されるという。GONKAKU編集部 藁谷君より連絡をもらった。声が弾んでいた。よかった。休刊したときは、もう復刊はなかろうと思っていただけに、私自身同誌を創刊した者として感慨も格別だ。
「ゴング格闘技」は昭和43年5月創刊の「月刊ゴング」に遡る由緒ある専門誌。これを母体にして週刊ゴング、ワールド・ボクシング、そしてゴング格闘技と枝分れて行った。3誌の中で、ゴング格闘技が月刊ゴングの伝統と歴史を継承した。昭和61年12月号から名称を「ゴング格闘技」と変更して再スタート。プロレスは週刊ゴングに任せ、総合格闘技誌として時代の要望に応えるように衣替えした。「格闘技通信」に遅れること1年、後塵を拝しての事実上の創刊は前途多難だったが、創刊号は前田×ニュールセンの伝説の死闘を掲載、黒崎師範との対談、前田に空手衣を着せスタジオ特写などで、ほば完売で救われた。あくまで「ゴング」の名を残すことに拘った当時の思い入れを振り返るときに、やはり復活は嬉しい。藁谷君から当時のことを何か書いてくれといわれ、復刊第1号に思い出を綴った。23日発売の同誌に出る予定なので見てください。どうぞ皆様ご支援を!
週刊ゴングも近く復刊されるという。ご同慶の至りだ。これで私自身が創刊した週刊ゴング、ワールド・ボクシング、ゴング格闘技の3誌が目出度く揃い踏みだ。少子高齢化の厳しい時代に雑誌生き残ることは容易ならざることだ。編集者の皆さん、頑張って下さい。