北島三郎親子のテレビ出演で感銘 具志堅さんにも似たようなことが
過日、NHKの朝の「この人にトキメキっ!」という番組を何気なく見ていたら、北島三郎さん親子が出演していた。お嬢さんと二人。
私はこの親子に、とても深い感銘を受けた。勿論、他人から見れば「なーんだ、そんなことか」と笑われるかも知れないが…。
ことのつまりは、お二人とも一切装飾品、時計など身につけていなかったことである。それだけで実に爽やかな印象を覚えた。お嬢さんはイヤリング、ネックレス、指輪、そして時計等々何も無し。
これは凄いことだ。芸能人は派手に着飾ることが自分をアピールすることだ、と思っているふしがあるから。ましてやテレビ。これは北島家の徹底した躾に他ならないと感じた。よくテレビに出て、これ見よがしに高級腕時計をいじくり回しているタレントがいる。嫌な奴だと思うが、本人は意識してやっている。確信犯みたいなものだ。
北島さんは北海道から上京、渋谷で流しをして、大変な苦労をしたと聞く。根底にそんな苦労のことがあるからだろう。人前に出るときの戒め、TPO(時間、場所、場合)を自分にも、家族にも厳しく課している―ように思えるのだ。
有り余る程持っていても身に着けない気配りは、それだけで人格が豊に見えてくる。
私のように何もないから、身に着けようがな人は論外だ。
この話と似たようなことが、元世界王者具志堅用高さんにもある。彼は現役時代に多くの後援者から、それは目もくらむような贈り物を受けている。中には6~700万もする時計もあった。が本人は「あれは大事にしまってあります。」と1度も身につけたこがない。今愛用しているのは、ゴルフの賞品でもらったというシルバーの時計。
そうえいば、彼は引退して直ぐ「ベンツを買いたい」といってたが当時の渡辺剛トレーナーに猛反対された。曰く「現役を引退したのだから、これからはグリーンボーイと同じ。先ず国産車でいい」と。本人はふくれた。おおむくれで、しばらくトレーナーとは口もきかなかった。
具志堅会長が、憧れていたベンツを購入したのはそれから10年後のこと。今乗っている車(二人乗りのシツバーグレーのスポーツタイプ)は、ゴルフや仕事でご一緒するときは、私を迎えに来てくれる。
周りに苦言を呈してくれる人がいるということは、素晴らしいことだと思う。耳に心地よい言葉より、痛い言葉を訊け!か。
結論、シンプル イズ ベスト。
寺内大吉先生の死を悼んで…公私共にお世話になって思い出尽きぬ
キックボクシングの解説で知られる寺内大吉さんが、亡くなられた。(9月6日午後5時12分、心不全のため)日が経つにつれ思い出でつのる。
公私共に先生にはお世話になった。私が勤めていた日本スポーツ出版社からして、創業時より何かと御指導を受けた。月刊ゴングにキックのコーナーを他誌に先駆けて設けたのも、実は寺内先生の進言だった。私はこのコーナーができた御蔭で、ゴングと縁ができやがて日本スポーツ出版社に就職するようになった。46年8月のことだ。ゴングのボクシングとキック担当編集者として、それから毎月のように先生とはお会いして、時にボクサーとの対談や連載ものを依頼した。世田谷の松陰神社前のバス停で降りると、先生が住職の大吉寺は目の前にある。原稿が出来上がると頂きに伺った。ときに応接間で先生と格闘技談義に時間を忘れることも。話が面白く、ついつい甘えて長居してしまった。
キックからボクシング、競輪…スポーツはなんでも愛し、よく知っている人で、それをユーモアを交えながらの話はなんとも味があった。マージャンもプロの腕前だったと聞く。住職にありながら小説も書き、61年には「はぐれ念仏」で直木賞を受賞。多彩な活動で多忙な方だったが、私の帝国ホテルでの結婚披露宴では、乾杯の音頭を取ってくださり、ユーモラスなお言葉も賜った。有難いことに先生は3時間余に亘った宴席に最後まで御付き合いくださった。それは野口プロ・野口修社長も同じで、いまもって感謝の念は頭から離れたことがない。
私は日本スポーツ出版社を14年に退職、アッパーを設立したりと忙しさにかまけ先生にはここ10年来お会えしていない。先生も増上寺法主となられご多忙だろうと、つい遠慮したが、元気なうちにもう一度話を訊きたかった…。
享年86歳、先生安らかにお眠り下さい。合掌。戒名:天蓮社大僧正超誉上人英阿大吉有恒大和尚。尚、本葬は11月4日午後2時から東京都港区芝公園4の7の35 増上寺大殿本堂で。
先生…最後のお別れに参りますからね。
東京・綾瀬駅前にあるムエタイとタイ料理の店「オーエンジャイ」は本場のテイストです
JR&東京メトロ千代田線「綾瀬駅」を降りると、そこはタイだった!そんな錯覚に襲われるのが、タイ料理を愉しみながらムエタイが見れる「オーエンジャイ」。西口より徒歩30秒、細い路地を入るとまさにバンコク・パッポン・ワールド。タイ料理のナンプラーの匂いとタイ語の響き、そしてワイクーのリズム…毎週土曜6時からは、常設のリングで本場さながらの試合。それが東京・足立区で見られるのだからファンにはたまらない。
オーナーは往年の名キックボクサー、元全日本ライト級王者、玉城良光さん。現役時代は”闘牛”の愛称で無類のタフネスを誇った。初代王座を、かの藤原敏男と競い惜しくも僅差の判定負け。その後藤原選手の宿敵として活躍。日本系と全日本系との交流マッチでは、日本系・飛馬拳二と対戦、肘打ちで前歯を飛ばされながら、この相手を撃破した。センサックとの試合では、膝蹴りを腹に受けKO負けしたが、内臓破裂していたにもかかわらず電車で帰路に。あわや、命を落とすという経験もした。センサックをして「タマシロは、化け物だ。いくら殴っても、効かないよ」と語っていたものだ。
そんなかつてのヒーローが経営する店。本人がいつも店頭に立つ。土曜以外はタイ料理の居酒屋として、営業している。奥さんがタイ人、従業員も二人のお嬢さんの他はタイ人女性とあって、本場の味、雰囲気も堪能できる。
土曜日の夜ともなれば、外国人モデルや俳優・タレントが何処からともなく集まって来てリングサイドを彩る。リング上では、激しい戦い。場内は喚声、叱咤の声が渦巻く。小さいが本場のテイスト十分。私が推薦する店、それがオーエンジャイです。
入場料は一律2000円、料理&ドリンクは別。あなたも一度、行ってみては…。因みにオーエンジャイとは「和」の意味だそうです。
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ムエタイとタイ料理の店 「オーエンジャイ」 予約電話: 03-3620-2581 PM6:00~AM3:00 ※土曜は要予約。 |
総合格闘技に憧れる北京五輪金メダリスト石井慧の奔放な発言もまた良しだ・・・
北京五輪柔道の100㎏超級で金メダルを手にした石井慧(21歳=国士舘大)は、今後の日本柔道界を背負っていく男に間違いない。聞くところによると、プロレスラー小川直也を尊敬して金メダルも小川道場に気前よく寄付してしまったとのこと。格闘技に関心があり総合格闘技で活躍する秋山成勲が特に好きなそうな。ヒクソン・グレイシーに会いたいとラブコールを送るなど、強い者への憧れは並大抵ではない。いいことだ。それが石井のモチベーションを駆り立てている。柔道のみならずブラジリアン柔術も学び、既に茶帯だ。
私はかねがね、近代柔道はハイブリットになっているからして、レスリングやほかの格闘技も習得すべきと指摘してきた。石井がもう実践しているとは嬉しいし、だからこそ金メダルを獲得できたのだろう。
ときに奔放過ぎる発言が波紋を呼び、昨今はマスコミへの出演が禁止されているという。まあ、人一倍稽古熱心、練習の虫とあれば放言も許容範囲。何もかも優等生を求めるのは酷というものだ。型破りな男、型にハマらない柔道家がいてもいいではないか。
但し、石井君には4年後のロンドンで2連覇を果たして欲しい。東京五輪で神永を捻じ伏せた、あのヘーシンクのように。雄々しく…ロンドンの空の下に輝いて欲しい。切れ味鋭い大外刈りに更に磨きをかけ、より高い頂きを目指して欲しと願う。
憧れの総合格闘技への転向はそれからでも決して遅くはない。いまは真一文字に柔道街道を突っ走れ!世界の何処かで、打倒石井に過酷な稽古に励む、とてつもない男がいるかもしれない。老婆心ながら、好漢石井選手の前途に一言。
17日間の北京五輪のドラマは終わった。フェルプス&ボルトに強烈印象!
8月8日から17日間にわたって繰り広げられた第29回オリンピック北京大会は、当初心配された混乱もなく無事終了した。
大成功といってよいだろう。チベット問題、四川地震、テロ…幾つものハードルを見事乗り越えて中国は、五輪史上に残る成功を収めた。
史上最多204カ国から、選手・役員1万5千人が集い、28競技302種目で競った大会。悲喜こもごも、アスリートたちのドラマは終わった。
そんな中でも、競泳のマイケル・フェルプス、陸上のウサイン・ボルトは強烈に印象が残った。フェルプスはミュンヘン大会でマーク・スピッツが獲得した7冠を越えて8冠。出場した全ての競技に勝利した。2000年シドニーで15歳で出場、200m5位。04年のアテネ大会では6冠と駆け上がり、遂に前人未踏の快記録。まだ23歳、ロンドンも挑戦するのだろうか。ボルトは正に”黒い稲妻”の走りで100m9秒69という驚異のレコード、200mでも向こう100年は破られないというジョンソンの記録19秒32を突き破る19秒30の戦慄的世界新記録で2冠達成。400mリレーでも世界新で優勝した。22歳、196cm/86kgーロンドンまで頑張って欲しい。大阪世界陸上07では、パウエル、ゲイの陰に隠れて目立たなかったのに。とんでもない男が躍り出たものだ。
北島の平泳ぎ2種目2連覇に歓喜し、女子ソフトボールの奇跡に驚愕し、鈴木桂冶の惨敗に落胆、野球の予想外の敗戦にスイッチを切り、と一喜一憂…の17日であった。
柔道は最早お家芸ではない。柔道という単純な枠からはみ出して、色んな技が組み合わされた、言わばハイブリット化している。柔道を習う者は、レスリングも稽古しなくてならない。
女子レスリングも外国勢が本気で力を入れてきた。腕力の強い外国勢が、ロンドンでは日本の前に立ちはだかるだろう。特に72kg級で金メダルを手にした王嬌は21歳と若く、無敵の王者になりそう。
最後のマラソンではワンジル(21)が五輪新の2時間6分32秒で快勝。日本に留学し日本式走法、我慢の精神でケニヤに初の金メダルを持たらした。国境を越え金メダリストを育てたのだ、日本の指導者は、胸を張ってもよい。
競技には敗者もいるから、勝者がいる。敗れし者に鞭打つことは止めよう。それよりも、どこがいけなかったのか真摯に反省・分析して来るべきロンドン大会に備えるべきだ。
マラソンでのNHK工藤三郎アナウンサーはよかった。さすがベテラン、喋り過ぎもなく、的確、ゆったりした語り口、適度な間…民放アナ諸氏も絶叫、連呼で煽るだけの放送をもう止めてくれ!
工藤アナには開会式も担当してほしかった。各国要人の名前すら黙視、有名選手のアップにも黙視、只原稿読んでるだけとは情けなや…NHKは昔はもっと格調高かった。北京五輪私の雑感、今日はこれまで。
北京五輪、普段目にしない卓球、カヌー、バトミントンに夢中
北京五輪も中盤を過ぎ、いよいよ盛り上がっている。私自身は大いに楽しんでいる。中でも普段は観戦することがない卓球、カヌー、バトミントン、ホッケーなどに夢中になっている。普段見ないからこそ新鮮で、こんなにもおもしろい競技だったのかと我ながら驚いた。
特に卓球女子、スリリングでかくも奥深い競技とは。今大会から団体総合にダブルスが採用されたことが、競技に妙味を与えている。日本チームの福原、平野、福岡は個性豊かで、闘争心剥き出しにして戦うさまは、美しい。卓球は狭い空間で勝負するので、緊迫感が伝わって来る。鬩ぎ合い、凌ぎ合い…結果的に日本チームは韓国に敗れメダルには届かなかった。しかし3人の戦いは称賛ものだ。
カヌーは人工の渓谷、かくも激しく渦巻く流れの中をよくもまあ、漕ぎ切れるものだ。関門を次々に突破する者、奔流に飲まれ脱落する者、それが女性なのだから、「戦う女性は美しい」。カヌー会場もテレビで見る限りよく整備されている。何だかんだ言われたが、中国は五輪に立派に間に合わせたと思う。
女子レスリングは、アテネと同じメダル。4年間力を維持、且つ技術を向上させることは、並大抵の苦労ではない。あっぱれだ。
浜口京子ちゃんには殊の外、熱が入った…具志堅用高会長の御子息の結婚式でもお会いして、お父さん共々北京での活躍を誓いあったのだ。結果は銅メダル。よかったね京子ちゃん!浜さん、おめでとう!
だけど、レスリングのアナウンサーは喋り過ぎだ。緊迫感を楽しみたい視聴者の権利もあるのだよ。
オリンピックの印象―今日はこの辺で。
北京五輪開会式は史上最高最大の絵巻 張芸謀監督に対抗できるのは北野たけし!?
北京五輪が開幕して、先ずその開会式の演出には心底感服した。流石、世界的に有名な映画監督張芸謀氏。1本の壮大なドラマを制作するが如く、完璧な作品を完成させた。私は東京五輪以来、最も傑出した開会式だと思う。バルセロナでの3大テノール歌手が歌い大会を盛り上げたシーンも印象深いが、一つ一つが物語になっているという点で、オリンピック史上最大最高の開会式と思う。
「鳥の巣」は巨大なドラマの玉手箱だった。花火が乱舞炸裂する。打楽器演奏で、それがグラフィックとなりスクリーンに数字が写し出されると開会式のカウトダウンとしての数字となる。一気にオリンピックムードに。5000年の歴史の幕明けを楽器をハイテックに結びつけて、観客の意表を突く。足跡型の花火が、夜空に描かれ次第に会場に近づく。第29回を示す29歩…何から何まで凝っている。紙を漉く場面をスクーリンに映し出され、おやっと思ったら、竹筒に書かれた漢字文字から、紙を使うことを開発して、人類は大きく進歩。更に印刷技術の発明と人文字で表現する。場面は孔子の弟子に扮した集団が論語を唱えて行進。「有朋自遠方来…ともあり遠方より来る」と朗々合唱。古代4大文明の進化の様を、紙の絵巻で綴るという大ロマン。京劇あり、シルクロードの航海、大極拳の演武あり、少女の空中での凧揚げ、更には、人のブロックで鳥の巣を見事に築き、それが崩れると今度は平和の象徴、ハトに変化…。宇宙飛行士が遊泳、巨大な地球が浮上して最後の聖火ランナーは、なんと宙に浮き空中で聖火台に点火する、という奇想天外な仕掛けで、これでもかとウルトラC!度肝を抜いた。
ことほどさように中国5000年の歴史―過去・現代・未来をわかりやすくしかもドラマチックに纏めた。いやー、素晴らしいの一語。
東京での8年後の五輪が決まったとして、演出は誰がやるのか。とても北京のようなものができるとは思わない。長野冬季五輪では、学芸会に色をつけた程度で、がっかりしたものだ。
日本には中国の張芸謀氏のような演出家はいない。残念だが…となれば、あの人か、そう北野たけしさん。これどう?
100㍍で北島康介が世界新記録で二連覇。大変な偉業だ。流す涙は4年間の苦節の涙。
女子マラソンの野口みずきは走れるかどうか、左足肉離れで出場が危惧されている。私は今の段階での負傷は致命的と判断する。例え走ったとしてもメダルはどうか…無理だ。本人は「走る」といっているが。野口の心境察して余りある。最終決断は待ったなしだ。
天地異変、地球が怒っている!北京五輪平安無事であれと祈る
天地を揺るがすような雷雨が連続で大都会の空に炸裂したり、鉄砲水が下水道の工事をしていた作業員を一瞬に飲み込んだりと、何か変だ。地球が怒り狂っている感じ。人類はこれまでやりたい放題のことをして来ている。いまそのツケを払わされてるのだ。災害に遭った人は誠に気の毒だ。痛ましい災難が続く、地方で起こっている地震も、東京だって、例外ではない。備えて置く必要ありですぞ。
まもなく北京五輪だが、何事もなく大会が終了することを祈りたい。
世界中から、トップアスリートが集まる4年に1度の祭典、関心がないと言ったら嘘だ。かの黒崎健時先生は「オリンピックで優勝した者が世界で一番強い」と断言する。最強を決める4年に一度の大会、北京ではどんなドラマ、感動が生まれるのだろうか。100㍍、私の本命はタイソン・ゲイだが、果たして。女子マラソンの野口は、水泳の北島は。一瞬に賭ける夫々の戦いを私はわくわくして待つ。
正道会館本部から、「全日本空手道選手権大会2008」の招待状が送られて来た。大会は9月7日(日)大阪府立体育館第1競技場で開催される。競技種目は4階級(軽量、中量、軽重量、重量)でオープントナメント方式。直接打撃制、ノックダウン方式の組み手試合。
いまや全国に300の拠点を有する大組織に成長している。本部を預かるのは中本直樹館長代行。よく以前はK-1の会場で取材のお世話になったが、すっかり顔を見なくなった。聞けば空手に専念しているのだという。空手に誇りを持ち、情熱を注いでいる―正道会館の発展は彼のような黒子役に徹した人がいればこそだ。
若者たちの凛とした戦いぶりを、どうぞ観戦、応援してやってください。
内藤×清水の意外な展開に引き込まれる 亀田興毅との対決が見たいものだ・・・
内藤大介×清水智信のWBC世界フライ級タイトルマッチは当初、凡庸な顔合わせでイマイチ気が乗らずにいた。世界戦だぜ、ランク13位の挑戦者はないだろう。手短に安上がりな日本人対決を選んで・・・これじゃ、ボクシングは盛り下がる訳だ。と、まあ斜に構えてテレビを見た。それが、予想外に戦歴15戦、勿論タイトル初挑戦の清水が、ポイントを重ねていくではないか、これはヒョットするかもしれない。夕食時、ハシを止めて展開を見る。8回までは挑戦者がリード。それ以降は鋭く伸びる清水のジャブが、出なくなり、同時に内藤の前進速攻が激しくなった。局面が変わった。今度は内藤が主導権を握った。初陣の挑戦者を捕えた。勝ち方は知っている。10回、アッという間の内藤KOだった。「負けて実になる敗者かな」
試合というものはえてしてそうだが、楽勝を予想すると苦戦する。具志堅選手も楽な相手と目された11度目の金、13度目のフローレスにはてこずった。結果的に14度目の再戦でフローレンスに王座を奪われた。 逆に絶対勝てないと大方のマスコミ予想した、グスマンにはKO勝ちした。勝負とはそういうものだ。
内藤という選手は、予測不可能なコンテンツを秘めているからこそその意外性に人気が集まるのかも。
亀田興毅との対戦が現実味を帯びてきた。対戦して欲しい。なるべく年内にだ。どっちが勝ってもボクシング界の人気は上がる。
私の予想では、亀田が勝つとみる・・・弟の仇、世間のバッシング、亀田家の汚名挽回―幾多の試練を乗り越えた興毅は、その怨念をバネに内藤へ一直線。脇目もふらず目標物に突進していけばいい。21歳と若いの魅力。しかもここぞの勝負所での思い切りがいい。パンチに緩急もあって、切れる。清水戦のようなスローな内藤だと危うい。捨て身の攻撃で攻め捲くるはず。メンタル面で断然優位だ。だから両雄対決は面白い、はや闘わずしてドラマがある。
ファンが最も望むカードを提供するのが関係者の使命、是非実現を!
夏が来ると思いだす少年時代、水浴び、野球、花火・・・恋し
夏が来ると夏休み、少年の頃を思い出す。宿題も今の子供のようには無かったので、朝から晩まで野外で遊んだ。家の前が川で、朝飯を食べるや否や飛び込んだ。午後になると野球で、日が暮れるの忘れて球を追った。昼寝などとても、もったいなかった。
実家では、雑貨屋を営む傍ら長男が、馬車をひいていた。まだ木炭が盛んに使われた時代で、兄は木炭を買い付けては、山から運んで夕方に帰ると、時折手伝わされた。荷降ろしというやつだ。ある日、兄から「荷降ろしを真面目に手伝えば、革のスパイクを買う金をくれてやる」といわれ、本気で荷降ろしをやった。何ヶ月かあと、約束通り金を貰った。その金を握り締めて町の運道具店へ自転車で走った。
多分中学1年の時だと思う。嬉しくてその夜は、枕元に飾って寝た。あの感激は60歳を越しても忘れない。野球選手を志したのでもないのに何故夢中になれたのか今も不思議だ。ファーストで4番だった。郡大会で優勝して、県南大会では1回戦で負けた。3年の時で、それ以降野球の熱は嘘のように冷めた。
夏休みも後半の8月16日には、浅川町(福島県)の花火があって、1時間もかけてジャリ道を姉と出かけた。幾山越えて、まさに鮫川村から降りて行く・・・やがて花火が夜空に炸裂する。我々姉弟は、田んぼの畦道から、蚊に食われながら見つめる。花火ははるか遠くで上がるのだが、十分に満足した。夜店で何かを買って食べるでもなく、帰りは急勾配の坂道を黙々と自転車を押した。真っ暗な夜道、少年の頃、満天の星空・・・ふるさとの夏、恋しい。
