こんばん湧き水。
誰がなんと言おうと、ノビは息を止めてやる派のきくっちゃん です。
そんなきくっちゃん、小さな頃はまったく「お話」を読まない子でした。
お話というのは、人が作った物語のこと。要はフィクションです。
なんで人がこしらえた嘘の話を読まなあかんねん、と。
30歳くらいまで本当に読まなかった。
今は逆です。
物語っていいですよね。大好き。
むしろ「なんで人はわざわざ物語を作って、それを共有しようとするんだろう」
ってことに興味があります。
言い方わるいけど、わざわざ苦労して嘘の話を作ってみんなで楽しむ。不思議。素敵。
まあとにかくいい大人になるまで、ほとんどフィクションに触れてこなかった。
でも本自体は人より読んでいたと思う。
じゃあ何を読んでいたのかと言うと、いわゆるモノの本ってやつです。
宇宙の本、動物の本、伝記、図鑑、写真集、地図・・・。
へたしたら辞書とかもたまに「読んで」ました。
・ヘディン
小学生の頃、お気に入りだったのが伝記です。
よくあるやつ。図書館とか学級文庫とかにも並んでるやつ。
もう片っ端から読んだ。
その中でも特に夢中になっていたのが「スヴェン・ヘディン」でした。
19-20世紀の探検家です。
中央アジア、今の中国奥地からネパール、チベット、タジキスタンとか◯◯スタン系を探検した人です。
この人、ナチスと仲よかったとかでとにかくヨーロッパでは評判が悪いのですが、僕は今でも大好き。
何が僕を虜にさせたかって、まず出てくる地名がいちいちやばい。
カシュガル、楼蘭、サマルカンド、タリム盆地、カラコルム山脈。
うーん。素敵。
極め付きはロプノール。別名さまよえる湖です。
場所は現在の中国・新疆ウイグル自治区。
いっとききくっちゃん少年は、寝ても覚めてもロプノールのことばっかり考えておりました。
かつて、紀元前から3-4世紀にかけて、この湖ロプノールのほとりに楼蘭(ろうらん)というシルクロードの交易都市があったそうな。
しかし3世紀ごろからそのロプノールが干からび始め、楼蘭は衰退し、やがては人々の記憶からも消え去ります。
楼蘭のこともロプノールのことも幻になっちゃうのです。
ただの伝説ちゃうのん、と。
この楼蘭の遺跡を砂漠の中から発見したのがヘディンさん。
おいみろお前ら!あったやんけ!
と叫んだとか叫ばなかったとか。
・ロプノール
ところがそばにあるはずのでかい湖ロプノールがない!
どこいったんや。
実は、楼蘭の遺跡から遠く離れたタリム盆地の南にカラ・コシュンという湖があって、ロシアのブルジュワルスキーというおっさんが「こっちがロプノールだぜ」と言っていたのです。
ヘディンの見つけたとこ、違うで、と。
ヘディンさん、調べました。
歩きました。
考えました。
そしてついにとんでもない結論に至ります。
「湖そのものが移動したんちゃうか」
と。
タリム盆地の砂漠には天山山脈を水源とするタリム川が流れています。
当時、タリム川はタリム盆地を南下しカラ・コシュンに注いでいました。
ロシアのおっさんの湖ですね。
ヘディンはこう考えたのです。
「1600年前、タリム川は(俺が見つけた)楼蘭のそばのロプノールに注いでいた。でも砂漠のちょっとした侵食による高低差で流路が変わったんじゃないか。そのゴールが、いまはカラ・コシュンなんちゃうか」
ロプノールもカラ・コシュンも長手だと100kmもあるような巨大な湖です。
そんなでっかい湖が移動するものか。
当時の人々は笑いました。
うひゃひゃひゃひゃ
ヘディンにしても、1600年前の出来事です。
誰も信じてくれへん。証明のしようもない。
まあいいわ。俺は信じてるからな!
って感じでした。
約30年後の1934年、トルファンの商人からヘディンにある知らせが届きます。
「タリム川が向きを変え始めている」
ヘディンさん直行です。
さて、流れの向きを変えたタリム川を下ってゆくと、なんと30年前に自身が発見した楼蘭の遺跡に着いたのでした。当時かっぴかぴに干からびていた楼蘭の側には、満々と水を湛える大きな湖があったのです。
・現在のロプノール
気になりますよね。
いま、ロプノールはどこにあんねんと。
結末は時にとってもしょうもないです。
前述のタリム川にダムが建設され、楼蘭のほとりの元祖ロプノールは干上がってしまいました。
これが干上がったロプノールの衛星写真。中央下の耳みたいなところが湖床。
水があれば、楼蘭遺跡とともにものすごい観光地になっていただろうに。
・水が溢れでる山
この、「川が流れを変える&湖がさまよう」って話が僕は大好きで、いまでもロプノールのことをたまに思い出しては調べたりします。
(このブログも、久々に思い出したついでに書いてる)
さて、この楼蘭とロプノールのように、何かの原因で人々の記憶から(一度は)消えてしまった山や湖や川は他にもたくさんあります。
もちろん日本にも。
これが今日の本題なのです(また長いブログすんません)。
日本は山の国です。
ということは同時に川の国でもあります。
この図。
これ、「川だけ」を抜き出した日本地図です。(沖縄とか切れててごめんなさい)
国土交通省の国土数値情報の図。
まんま日本列島ですね。
もうちょい本州を拡大するとこんな感じ。
さてこの、川の国日本。
その昔、水が溢れでまくってもう山全体が川だらけ。
なんならチョコレートファウンテンみたいに、もう
「ほぼ水で覆われとるやん、めちゃんこでかい噴水か!」
という山があったのをご存知でしょうか?
仮にマウンテンじゃなくファウンテンと呼びましょう。
ああ、あの山だ!
知ってるしってる。
って人はいないはず。
実はこの山、ロプノールと同じく今はもうないのです。
そして、当然といえば当然ですが、人々の記憶からも消えてしまった可哀想な山なのです。
その山、もともとは水を通しにくい玄武岩で覆われていました。
形はわりと綺麗な円錐形。独立峰だったようです。
そう、この独立峰というのがミソで、複数の山が連なると必ずそこには「谷」がうまれます。水は低いところを流れるので、表面に降った雨はどんどん谷へ谷へと集まり、やがてそれが沢となり川となり麓へと下ってゆきます。
そこで独立峰。
もし仮に、こんな感じの、わりとつるんとした独立峰があって、しかも表面が水を通しにくい地質なら。
山のいたるところを水がそのままじゃばじゃば流れ下る、はっきりとした川筋のない山が誕生します。言い換えると無数の川だらけの山。
かつての日本にその山はありました。
さっき言ったファウンテンです。
その昔、日本人はその水に覆われたファウンテンを聖なる山として信仰していたようです。
綺麗な円錐形の成層火山でした。
じゃあいまその聖ファウンテンはどうなっているのか。
そもそもどこにあったのか。
実はその水に覆われたファウンテン、現在に至るまで幾度となく大きな噴火を繰り返します。
現在、かつての水を通さない玄武岩の山をすっぽりとスコリアという地層が覆っているのです。
これがスコリア。
このスコリア、同じ玄武岩なのですが多孔質、つまり穴だらけの軽石で、水という水はどんどん染み込んで地下に落ちてしまうのです。
スポンジとか、最近はやりの珪藻土バスマット状態です。
そこにどれだけ雨が降っても水は地表を流れず、どんどんと地下に染み込んでしまいます。
そう、聖ファウンテンは一転してまったく川のない山になってしまったのです。
どんだけ雨が降ってもがらがらのハゲ山。
表面を水が流れないので大きな谷もできません。
きれいな円錐形のまま。
そう。お気づきの方も多いと思います。
富士山です。
みんな大好き富士山には、なんと谷も川もないのです。
さっきの川だけ日本地図。
ところどころ真っ白な部分がありますよね。
大きなのは琵琶湖や霞ヶ浦などの湖です。
その中で、湖でも湾でもないのに琵琶湖級の空白があります。
そう、これが富士山。
地図の「ここやばい」の箇所。
富士山は川が全くないやべえ山なのです。
これが現在の富士山の内部の様子です。
青いのが現在のスコリア質の富士山。
図の黄色い「古富士」というのが水を通さない玄武岩の山、
つまり表面が水だらけだった聖ファウンテンです。
当時でも日本一の高さだったようです。
すげえっすね。日本一高い山が、なんと表面ぜんたい水に覆われていたなんて。
・山(さん)の語源
富士山。もともとは不尽泉。ふじせんといいます。
尽きることのない泉。
そう、そのむかし、まだ山全体が水で覆われてる時代の名残なのです。
いまとは正反対。
じつは「さん」ということば。もともとは「せん」といいました。
字も山ではなく泉と書いたのです。
もちろんルーツは不尽泉。いまのふじさん。
この日本一高い山をひとは不尽泉、ふじせん、あるいは単に「せん」といい、それがいつしか他の山をも差す言葉になったのです。
今でも山と書いて「せん」と呼ぶ山が日本中にあります。
氷ノ山(しょうのせん)、大山(だいせん)、弥山(みせん)など。
昔の記憶をとどめる、とっても素敵な山名だと思うのです。
・三島
川のない富士山。
その水はどこへ行くのか。
表面のスコリアに染み込んだ水は、その下の水を通さない層、つまり地下の古富士を流れ下ります。昔の不尽泉の表面を今も流れているのです。伏流水といいます。
伏流水は麓でとつぜん地表に現れます。
富士山周辺にはそういう「突然水が湧き出る」スポットがたくさんあります。
そのひとつ、柿田川湧水群。
新幹線の三島駅のすぐ近く。町のど真ん中に突然、死ぬほどきれいな水がこんこんと湧き出しています。
ぜひ"柿田川湧水群"でググってみてください。
こんなブルーホールから水が湧き出まくってる。
湧水群一帯は柿田川公園となっていて誰でも見学可能です。
柿田川の水中にはお花畑があって、三島梅花藻(ミシマバイカモ)という固有種まで生息しています。
この湧水。富士山に降り注いだ雨が昔の不尽泉の表面を伏流水として流れ下ったもの。
言い換えると、聖ファウンテン、不尽泉だったころの富士山の川が地表に現れたものなのです。
三島の町中でとつぜん地表に現れ、わずか1.2kmで駿河湾に注いで終わり。日本一短い一級河川としてそこそこ有名な川です。
不尽泉。ふじせん。
人々の記憶から消えた昔の富士山。
ところが少しだけその名残が地名として残っているのです。
古代インドの世界観で、世界の中心にそびえる山を須弥山、しゅみせんといいます。
その昔、日本人は水に覆われた日本一高い古富士、つまり不尽泉を須弥山に見立てていたそうです。
なんとなく響も似ていますね。
ふじせんとしゅみせん。
須弥山はやがて省略されて弥山(みせん)と呼ばれるようになります。
この弥山の聖なる水が湧き出す土地(昔は島という)が弥山の島、ミシマ、つまり三島の語源なのだそうです。
ああ、なんて素敵な地名。
ちなみになのですが、このブログ、ロプノールの話までは本当ですが、そのあとはほとんど嘘です。
とくに山の語源。
ああ物語って楽しい。