前記事で、自衛隊を縛っていたのは内閣法制局だという江崎道朗さんの動画および日刊SPA!掲載記事(ここをクリック→【江崎道朗のネットブリーフィング 第12回】)をご紹介しました。
この記事の中で江崎さんは、憲法9条の解釈について、詳しく説明してくださっています。
《1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。》
江崎さんによると、この憲法9条の解釈について主として4つの学説があるそうです。
第1説
自衛戦争も含め一切の戦争と、いかなる戦力も認められない。
(自衛隊も違憲となる)
第2説
戦時国際法において独立国家には交戦権は認められているのであって、交戦権を否定する9条は政治的な宣言にすぎない。
第3説
自衛戦争及び自衛のための戦力保持は禁じられていない。
第4説 (現在の政府・内閣法制局の公式見解)
自衛のためといえども『戦力』の保持は許されないが、戦力に該当しない実力すなわち『自衛力』の保持は禁じられておらず、自衛抗争は可能
「戦力」はダメだが、「自衛力」ならいいとはどういうことか。
内閣法制局は「戦力」を「自衛のため必要最小限度を超えるもの」と定義づけ、「自衛のため必要最小限度を超えない実力の保持」は憲法9条の禁じるところではなく自衛隊も憲法に違反しないと主張しているのだ。
かくして自衛隊は「戦力」ではないので、他国の軍隊のような「交戦権」は制限され、相手国を攻撃する能力を持つことも、有事に関する法制を研究することも禁じられてきた。(中略)
政府がこの第4説に基づいて自衛隊と防衛体制の構築をがんじがらめに縛ってきたのだが、戦時国際法を無視した荒唐無稽なこの説は1964年に登場した高辻内閣法制局長官がこれまでの政府解釈を勝手に変えたものにすぎない。
それ以前の林修三法制局長官までは戦時国際法を理解し、その憲法解釈も極めてまともだったのだ。
高辻正巳
高辻法制局長官がこれまでの政府解釈を勝手に変えたとはどういうことか・・・
昭和39年12月4日、衆院予算委員会における高辻法制局長官答弁
確立された国際法規、いわゆる慣習国際法といいますか、そういうものは実は憲法との間に抵触関係はない。
憲法は一国の最高法規でございますが、その一国というものは実は国際社会に存立しておるわけでございますから、その国際慣習法ともいうべき確立された国際法規とは抵触を生ずるはずはないという考えでございます。
ただし、一国と一国が結ぶような特別の条約、ご指摘の部分はそういうものが含まれているのだと思いますが、そういうものにつきましては、憲法はやはりそれに優先する。
ただし、憲法以下の法律は条約に矛盾すれば条約の方が優先するという考えでございます。
したがって、現実には何が確立された国際法規であるかという解釈問題に結局変わって参ります。
先日ご紹介した樋口恒晴氏の本「平和という病」によると、憲法(国内法)は条約(国際法)より優位にある、というのは学説の多数説ではあるそうです。
しかし上にあげた答弁は、憲法との抵触を理由とする条約の不履行は対外的な責任を免れるものではない、という国際法上の問題への言及を避けているのだそうです。したがって・・・
問題点1
憲法解釈における各種条約をはじめとする諸々の国際法規との整合性の追求の努力の必要性が無視された。
問題点2
憲法98条が遵守義務を同等に並べて述べているはずの「確立された国際法規」(“慣習“国際法)と「条約」(”成文“国際法)が別扱いとされるように解釈された。
問題点3
この答弁の中の「確立された国際法規は憲法との間に抵触関係はない」という観念と「現実には何が確立された国際法規であるかという解釈問題」という部分を併せ読むとき、≪日本の憲法に抵触すると解釈されるものは国際的に確立された慣習法とは認めない≫とする天動説的な発想が根底にあったことが判る。
いま日本が他国から侵略を受けたとしても、大規模な侵略には対応できないほどの防衛力のみ合憲とされているのは、この高辻正巳氏の私的解釈、それもそれ以前の憲法解釈を改正したという明言もなく行われたことによるのです。
さらに
«日本の憲法に抵触すると解釈されるものは国際的に確立された慣習法とは認めない»
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憲法9条で武力を放棄しているから
↓
国連憲章51条に規定している集団的自衛権の権利は持っているが行使できない
という解釈で、国際法上の「集団的自衛権」とは別の国内法上の「集団的自衛権」という解釈をこっそり作り上げたのもこの高辻氏の功績(?)なのです。
またギリギリでしたm(_ _ )m
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