ガーデニング~2011.8
妻とかつてのクラスメートのHさんは、女だてらに耕運機を操り野菜作りも楽しむ人だ。
大変アクティブで、私共とは卓球サークルでご一緒する。
そんな縁で、私のガーデニングの記事を読んでくれていると聞く。
そのHさんから、9月の終わりに落花生を頂いた。早速ゆでてそのまま食べたが、取れたてならではの落花生
そのものの味がぷんぷんして大変美味しかった。
さらに、10月半ばにはイチジクを頂いた。皮は緑色だが、中味は柔らかく大変甘くて美味しかった。
10月15日付けのだん暖館山(館山市の広報誌)で、このイチジクを早春のイチゴや初夏のビワ、同じ秋の味覚のナシと並ぶ館山の代表的な産品となるよう、頑張っているグループがあることを知る。
ぜひ、成功して欲しいものである。
ここでは時期はずれだが、8月のガーデニングの模様を報告したい。
畑仕事
夏野菜は、ナスが肌荒れのものが多く不出来だったが、それ以外はまずまずの出来であった。
そのナスも、更新剪定はやめて、プロのゴッサン(区長代理)が種から育てたという苗をもらい、時期をずらして
植えたところ、つやつやした綺麗な肌のナスを収穫することが出来た。
さて、初挑戦のトマト・桃太郎のその後であるが、8月半ばになって古い枝や内側の込み入った枝を取り除き
風通しを良くして、わき芽を伸ばしたりさし木にしたりして世代交代を試みるも成果なく無駄な作業に終わった。
同じく初挑戦の坊ちゃんカボチャは、2本の苗を植え丁寧に育てたが、8月半ばに葉が枯れ出し9月5日には
撤去する羽目となった。
結局、収穫は6個に止まった。植え時が遅かったようである。
植え時と言えば、撤去後の8月24日に再度キュウリの苗を植え付けてみた。
しかし、ものにはならなかった。野菜にもそれぞれ事情があるようである。
庭仕事
我家の庭 : 8月7日撮影
左からルドベキヤ、クジャクソウ、オミナエシ、ハクチョウソウ、手前は百日草。
夕方、私は水をまいてから風呂に入り、ベランダで思惑通りに咲いてくれた花々を眺めながらビールを飲むのを
楽しみとした。つまみは畑で取れた野菜である。
それは、ナスの握りつぶし、モロキュー、トマトからゴーヤ(スライスしたゴーヤに塩昆布をまぶす)、葉ショウガ
(味噌をつける)へと変わって行った。
我家の涼しさ演出は、色や形、言葉の連想からフウセンカズラ、ハツユキソウ、そしてオミナエシであった。
フーセンカズラ : 8月7日撮影
ハツユキソウ : 8月7日撮影
ハツユキソウ : 8月11日撮影
オミナエシは秋の七草の一つで義兄からもらったものだが、昨年は咲かなかった。
日当たりのせいかと思い場所を替えたところ、ロングランで見事に咲いてくれた。
オミナエシ : 8月7日撮影
さらに、8月21日娘夫婦のバカンスに合わせたかのように、4種類に仕立てたアサガオが花盛りとなった。
その内、物置前に緑のカーテンとして仕立てたアサガオは葉が焼けた。
来年はゴーヤに切り替えようと思う。
トベラの木(枯れ木)のアサガオツリー : 8月21日撮影
玄関脇のアサガオツリー : 8月27日撮影
年を重ねるにつれ、夏の暑さがこたえるようになったが、ガーデニングのお陰で今年も元気にしのぐことが
出来た。
シロギスとハゼ釣り
シロギス釣り
10月13日(木)くもり時々晴れ、6時Kさんと新井海岸(館山市)からカヌーで海へ出る。
海岸道路から見れば観光桟橋の左側を桟橋中央から左回りに楕円形に移動しながらのさぐり釣りを試みる。
今思い出してみると、新たに設けられたイケスではウミネコが一斉に飛び出す光景に出くわしたり、雲が海面に
映る光景があったり、旧桟橋跡前では小さなイワシの群れがシャーと音を立てて跳ねるのが見られたりと海原
ならではの情景が目に浮ぶ。
さて、釣果だが、私は11時頃までに15cm中心に27匹とまずまずであった。
一方、何かと工夫を凝らすKさんは、テレビで見たと言う胴付きの仕掛けを試みる。
しかし、いつもの私の背後でのヨッシャー!イラッシャ~イ!の声がない。
つまり、工夫の胴付き仕掛けは失敗に終わったのである。それなのに、私にその仕掛けを上げましょうかと言う
ので、謹んでお断り申し上げた。
でも、刺身サイズの大物をゲットしたのはたいしたものである。
浜辺に戻る前、今度は桟橋の右側で1時間程ねばってみたが殆どアタリはなかった。
ハゼ釣り
釣り場は、湊川河口(館山市)の老人保健センター前の河原である。そこは護岸工事により、すっかり安全で
釣りやすい場所に変わった。私は9月に3回、10月には6回も釣行した。
ここでは「遊子の会」のハゼ釣り大会の模様を記す。
10月31日(月)の大会を前に、27日(木)に試し釣りに行く。
大会後の昼食会では、皆で釣ったハゼを唐揚げにして食べることになっているが、万一に備えてあらかじめ
釣っておこうというのである。そして、釣れる場所、釣り方を探る為である。
参加者はSIGEさん、Kさんの奥さん、Mさん夫妻、そして私の5名である。
以前はアシが生えている際が良く釣れた。ここでKさんの奥さんが投げ釣りをする。
この日は大潮で干潮が10時33分。少し下流の護岸堤防の際で露出した砂洲に入りシモリウキ仕掛けで川の
中央をねらったら良く釣れた。
8時30分から11時30分までやり、釣果は大小混じりで115匹。釣れる場所は護岸堤防の際。
また、投げよりもシモリウキ仕掛けの方が良いことが分かった。
そして、大会後の昼食会場となる料理教室の先生であるMさん宅にKさんの奥さんが釣り上げたハゼを届けて
試し釣りは終了した。
大会の日がやって来た。早朝に小雨が降るも決行となる。
インストラクターの紳士4名は8時に集合して、アシの生える際から少し下流の護岸堤防まで、Kさん・私・Mさん・
SIGEさんの順に陣取り竿に仕掛けをセットして皆を待つ。
8時30分頃から三々五々コ(古)ギャル達がやって来た。
この日は中潮で満潮が8時10分、足下まで水が満ちており試し釣りの時とは状況が違う。
護岸堤防の際のMさんの所は良く釣れると言う。アシの生える際で投げ釣りを手伝うKさんからは全く駄目との
話。私は皆に釣れている場所に割り込んで釣るように勧める。
そうこうしている中に、SIGEさんの護岸堤防に移動した古ギャルが釣れた!釣れた!と騒ぐ。
堤防のすぐ近くで良型が釣れている。私は皆に護岸堤防に移動するように指示する。
かくして、釣り場は護岸堤防となり、20名の「遊子の会」の会員が占拠して釣りまくったのである。
インストラクターいや小間使いの紳士達は、次々と釣り上げられるハゼをはずしたり、エサを付けたりと大忙しで
ある。
「遊子の会」ハゼ釣り大会 : 釣り場の護岸堤防
この状況に主宰者YUさんは、ノルマは一人5匹以上と檄を飛ばす。
私 : つ抜けを目指そう !!
古ギャル : ???
私 : 10匹のことです、釣りの専門用語ですよ。
古ギャル : それ以下は ?
私 : まぬけ
「遊子の会」ハゼ釣り大会 : 私は遠くの大きいのしか釣らない、と言い長い竿で奮闘した陶芸のKさん。
終わりの11時まで絶好調は続き、途中何匹釣れましたか、と聞き回る私に古ギャル達は10匹は超えたと言う。
納竿して数えたら何と322匹、うち20匹はジャンボサイズという大漁である。
インストラクターは殆ど釣っていないので計算すると一人平均20匹釣り上げたことになる。
私の経験では、良く釣れたと満足できる数は20匹であるので、この日古ギャルは立派な釣りガールになった
訳である。
322匹も釣ってどうなるかと思った料理教室のMさん宅の昼食会では、釣りガール達は手慣れたもので13時には全てが整い美味しく頂くことが出来たのである。
昼食メニューは次の通り。
1. おにぎり
2. 漬物
3. 味噌汁
4. ハゼの唐揚げ~大会のハゼ
5. ハゼの南蛮漬け~試し釣りのハゼ
6. 梨
7. 柿
Mさん、ありがとうございました。皆さん、お疲れ様でした。
吟道大会
私は、10月30日(日)南総文化ホール・大ホールで開催された館山市文化祭参加の第35回吟道大会へ
足を運んだ。そこでは「遊子の会」から3名が出演すると聞いていたからである。
3名とは、石原裕次郎の歌がめっぽう上手い主宰者YUさんと艶歌の女王KANさん、そして旧安房南高校の
コーラスガールSさんである。
この日、私はお腹から声を張り上げて吟詠する出演者を見て、日頃三人がカラオケで豊かな声量と抜群の
歌唱力で皆をうならせるのは、詩吟で鍛えているからだと合点が行った。
私は12時半に会場に入ったのであるが、先ず式典があり、大会会長の挨拶から始まった。
何とその会長は、先日カラオケシダックスでの「遊子の会」の集いに、YUさんが私の師匠です、とお連れした
鈴木宗風さんであった。
かくの如く、館山市の人事にうとい私は、来賓の紹介をこの人が俳句の庄司とほるさんか、この人が日本舞踊の
瑳川八千代さんか等と興味深く見張ったのであった。
三人の出番がやって来た。構成吟ふるさと再発見「房州文芸散歩」である。
実際は最後の演目故郷(ふるさと)に登場したのであるが、それは童謡吟と名付けられ、童謡と詩吟がミックス
された吟詠に若柳秀都社中の舞が花を添えたものであった。
童謡吟ふるさと : 吟詠と舞
歌うは艶歌の女王KANさん : 袴姿がお似合いだ。
中央が旧安房南高校コーラスガールのSさん : 姿勢正しく貫禄十分だ。
女性の袴姿の色が違うことから、YUさんとKANさんが会派宗風に、Sさんは湖舟に属していることを知る。
続いて会派宗風の皆さんによる「富士山」の吟詠を聞く。
それは合唱のスタイルを取っていたが、違和感があった。
というのは、昨年の12月「遊子の会」で伊予ヶ岳に登った折、下山道でKANさんとYUさんが富山に向って
この「富士山」を吟詠し、合唱スタイルよりも迫力があり皆を感動させたからである。
会派宗風による「富士山」の吟詠
鈴木宗風さん(右)とYUさん
客席を見渡すと、何時の間にか「遊子の会」からは私を含めて7名が応援に駆けつけていた。
そこで、「富士山」終了後ホールを出て、我々は3名の出演者を囲んで記念の集合写真を撮り、
会場を後にしたのであった。
安曇野おひさまロケ地と武田勝頼終焉の地景徳院(2)
「遊子の会」のバスツアー二日目は、景勝地・御射鹿池~史跡・景徳院~グルメの昼食はうかい鳥山、というコースで趣のある旅をすることが出来た。
二日目 9月30日(金)
行程は次の通り。
横谷温泉旅館→御射鹿池→景徳院→笹一酒造→うかい鳥山(昼食)→館山
朝食前、我等紳士は隣の部屋の淑女を誘って旅館からすぐの乙女滝への早朝散歩としゃれた。
乙女滝は水量豊富で迫力満点。私は健脚のMさんと共に滝の下に下りてみた。
木々が邪魔をして滝を見上げることは出来なかったが、下流もまた中々の眺めであった。
乙女滝の下流
9時に旅館を出発。当初の予定にはなかったが民話の達人Sさんの希望で東山魁夷画伯の名画「緑響く」の
モデルになった御射鹿池(みしゃかいけ)に向う。そこは奥蓼科温泉郷の湯みち街道沿いにあった。
農業用温水ため池とのことだが、この日は風もなく御射鹿池は鏡池と化し、木々が水面に映り美しい景観を呈していた。
御射鹿池
御射鹿池 : 前方に白馬が立てば名画「緑響く」と同じになる。
バスは武田勝頼終焉の地景徳院(甲州市)へ向う。
車中、歴史物を語らせたら天下一品の主宰者YUさんの話が炸裂する。
武田三代記に始まり、長篠の戦いに敗れ勝頼は立て直しを計るも織田徳川連合軍の侵攻に建てたばかりの
新府城に火を放ち四天王の一人小山田信茂の誘いに岩殿城をめざすが謀反に合い日川をさかのぼり天目山
栖雲寺(せいうんじ)へ向うも手前の田野(景徳院のある地)に至って力尽き主従は自害して果てたと続いた。
この時、一族郎党は50名たらずとなっていたと言う。そして、景徳院境内の説明に移り、跡目相続の儀式をした
本堂前の旗立の松での勝頼と信勝の「自分は果てるが逃げて生き延びて欲しい」と互いに言う親子のやりとりの
くだりなど講談を聞いているかのようであった。
また、信長は勝頼と信勝の首を足蹴にしたが、家康は田野寺(後の景徳院)を建立して霊を弔い、出家していた
勝頼の盲の兄海野信親に武田を名乗らせて存続させた。かくして武田を手厚く遇し、一族の持つ土木技術等を
利用したと言う。
最後に、先般灯籠流し見学の折、立ち寄った三芳(南房総市)の智蔵寺で境内の略縁起に開基は武田信勝と
あった矛盾について触れ、義経がジンギスカン・・・・という話と同類で、大衆は武田を滅ぼしたくなかった現われで100%ありえないと話された。
バスは景徳院に到着。もはやこれまでと勝頼の妻北条夫人の侍女16人が日川の淵に身を投じて殉死した姫ヶ淵の石碑が目に入る。
姫ヶ淵 : 北条夫人と侍女16人の石碑
山門をくぐり旗立の松と本堂から木々の生い茂る広場へと回った。
そこには辞世の句碑や勝頼・北条夫人・信勝が自害した生害石、位牌をまつる甲将殿があった。
何も知らずに訪れればよくある境内ということになるが、YUさんの話を聞いた後だけに戦国時代の非業さ哀れさを偲ぶ(YUさんの言葉)こととなった。
旗立の松と本堂
辞世の句碑・生害石・甲将殿のある境内
駐車場への近道のつもりでやや急斜面の坂道を下ったら、そこには三人の墓があり武田勝頼公37才、同夫人
19才、武田信勝公16才と書かれた石柱が立っていた。
さて、バスは昼食場所である奥高尾のうかい鳥山へ向う。途中笹一酒造で休憩。
着物姿の美しい御婦人に迎えられて到着。
先ずは店の人の案内で庭園を散策。緑の木立の間に日本建築の美しい佇まい。
うかい鳥山入口
うかい鳥山 随所に立つ建物
我々はうかい地鶏の炭火焼をメインとしたコース料理(5200円)を食す。
雰囲気、丁寧な接客に風雅な一時を過ごす。
「遊子の会」の昼食としては、かつてない贅沢である。バチが当たるぞ~!!
帰りの車中で感動を即俳句にするOさんからメモが回って来た。
秋の陽の キラキラ散らす 水車かな
安曇野の 河原白く 秋渡る
皆さん、お疲れ様でした。YUさんありがとう。 おわり
安曇野おひさまロケ地と武田勝頼終焉の地景徳院(1)
好天にに恵まれた9月29日(木)~30日(金)にかけて、「遊子の会」の秋の一泊バスツアーが、24名が参加
して執り行われた。主宰者YUさんの記したタイトルは「初秋の信州(安曇野)を訪ね、癒しの横谷温泉に泊まり
景徳院で武田氏終焉を偲び、うかい鳥山で贅沢な昼食!」である。
一日目 9月29日(木)
行程は次の通り。
NHKの朝ドラ「おひさま」ロケ地その1・大王わさび農場→ロケ地その2・中山高原蕎麦畑→ちひろ美術館・碌山美術館・穂高神社→ロケ地その3・道祖神、茅葺き屋根の農家、水車小屋のある風景→横谷温泉旅館宿泊
車中では、通例食べ物が回ってきたり、バスガイドや添乗員顔負けのYUさんの話が聞けるので飽きないのだが、この日は先ず、民話の達人Sさんからの結び文を各人が手にした。
そこにはSさんが好きな格言や短歌等が記されていた。一人一人読み上げたのだが中々粋である。
私が手にした結び文は次の通りである。
「一人は皆のため、皆は一人のため」サウンドオブミュージック、トラップファミリーの次女マリアの言葉。
YUさんが「秋山が深まる甲州街道・・・・」などと洒落たことを言った後、これから訪れる大王わさび農場の名前の
由来となった八面大王について、ミスターアウトドアーのKさんから話があった。
先般、Kさん夫妻は北アルプスの燕岳に登った後、安曇野を訪れ八面大王について取材して来たようで、話の中味はとても濃いものであった。
民話や地名、史実の混じった長い話だったが、「ここまでが第一話、次は第二話・・・・」と区切りを付けて話されたので、さながらレポートに接しているようで、よく理解出来た。
八面大王 : 桓武天皇(西暦785~805年)の頃、安曇野を治めていた首領。
全国統一をめざす中央政権の坂上田村麻呂の率いる軍勢と戦うも、山鳥の三十三斑の尾羽で作った矢にあたり
倒れてしまう。八面大王は余りに強かったため、再び生き返らぬように遺体はバラバラにされて埋められた。
大王農場の一角には胴体が埋められたと言われており、現在は大王神社として祀られている。
Kさんは、八面大王は中央から見れば逆賊だが、この地では住民を守って倒れた英雄だ、と締めくくった。
バスはNHKの朝ドラ「おひさま」のロケ地その1・大王わさび農場に到着。
先ずは、レストランで自由昼食。私はわさび丼と蕎麦のセットを食す。わさび丼は、ご飯の上にすりおろした生わさびと削り節がのっているので、醤油をかけてさっくり混ぜて食べるシンプルなものだが結構美味しかったので、
私は、友人へのお土産に生わさびを買った。
わさび田 : 遮光ネットが張り巡らされていた。
大王神社 : 八面大王の胴体が埋められたところと言われている。
万水川(よろずいがわ)と蓼川(たてがわ) : 絵に描いたような美しい景色である。
水車小屋 : 黒沢明監督の映画「夢」のロケ地となった。
蓼川沿いを進むと水車小屋に出くわす。黒沢明監督の映画「夢」のロケ地となった水車小屋だと言う。
さらに少し進むと陽子が蕎麦屋を営むお店と思われるロケセットがあった。それは、テレビの映像とは大きく違う
お粗末なものであった。一方、水草ゆれる清らかな川では、カヤックやクリアボートで水上散歩を楽しむ人々が
見られた。
バスは大王わさび農場を辞し、2番目のロケ地中山高原の蕎麦畑に向う。そこは、大町スキー場跡とあって
だいぶ離れた所にあった。予想通り時期遅く「高原の白い絨毯」の景色は見ることは出来なかった。
再び安曇野の町に戻り、4人をちひろ美術館(絵本)で2人を碌山美術館(彫刻)で降ろして、我々は安曇野の
祖神という穂高神社に向う。そこにはパワースポットとなった大杉があり、皆それぞれにパワーをもらう。
安曇野ちひろ公園 : ちひろ美術館の周囲に広がる公園
穂高神社のパワースポット : 大杉(パワースポット)からパワーをもらうTさん夫婦
さて、バスは美術館の6人を拾い最後の訪問地であるロケ地その3に向う。
そこには道祖神・茅葺き屋根の農家・水車小屋があり、今にもタケオが出て来そうな風景があった。
ロケ地その3 : 道祖神・茅葺き屋根の農家・水車小屋のある風景
ロケ地その3 : 蕎麦畑が広がり道端にはススキがゆれていた。
それから安曇野では、車窓から東光寺の山門と開運の大きな朱色の下駄を見てからスイス村に立ち寄り土産を買い求める。そんなこんなで宿泊先の横谷温泉旅館に到着したのはすっかり暗くなってからであった。
早速渓谷のせせらぎを聞きながら露天風呂につかる。
舞台付きの大宴会場での夕食では、蕎麦打ちの実演があった。この蕎麦実に美味かった!!
宴会で次々と舞台に上がるコ(古)ギャルは実に歌が上手である。
宿泊旅行では初の舞台デビューとなるNさんは、浴衣の裾をちらちらめくりながら小柳ルミコの「いまさらジロー」を歌い皆の喝采を浴びる。新しいスターの誕生である。
コギャルパワーはこれでは終わらない。YUさん予約済みのカラオケスナックでの二次会へとなだれ込みさらに
歌いまくる。最後に私とAさんの音頭で「365歩のマーチ」をスナック中を皆で歩き回りながら歌い、やっと御開きとなった。その時、時計は23時40分を指していた。
私は夕食後は殆ど居眠り状態の日々を送っているので、この夜はやっとの思いのお付き合いであった。
聞くところによると、その後コギャル達は予備の部屋で1時まで3次会に興じていたと言う。
「遊子の会」のコギャル達は不良である。 つづく
わかしお秋のハイキング
9月10日(土)、館山ファミリースポーツクラブ「わかしお」が主催する秋のハイキングに参加する。
この日は熱中症が心配される程の暑さで、汗びっしょりのハイキングであったが、収穫期の大山千枚田(鴨川)や
周辺の里山風景を十分に満喫することが出来た。
収穫期の大山千枚田
参加者約50名を乗せたバスは、館山市役所4号館駐車場を9時に出発。大山千枚田への最短コースだという
三芳~平群~コスモクラシック(鴨川ゴルフ場)を経由して平塚区民センターに到着。
驚いたことには、ここで我々の為に平塚朝市が開かれていたのである。ずらっと手作りの食品が並んでいたが、
私は昼食のデザート用に梅ゼリーを買った。
準備体操後スタートする。道端にキバナコスモスが咲き、小さな秋を感じる山村風景が続く。
常福院から八幡神社に立ち寄り山道に入る。
ガイドによれば、常福院は渡辺雲洋の天井画、八幡神社は後藤義光の龍の彫刻が見どころとか。
八幡神社境内からの眺め
今回のハイキングでの私の顔見知りは、「遊子の会」のMさん夫妻と卓球サークルで進境著しいSさん(婦人)
夫妻であった。お陰で道中和やかに会話を交わしながら歩くことが出来た。
山道でのビーチ王子ことMさんのダジャレ
王子 : あれは何ですか?
私 : 柿だよ
王子 : 何時頃取れるのですか?
私 : 11月初めの頃だよ
王子 : それなら夏期(柿)という名前は替えなくちゃいけませんね
大山千枚田に到着する。約1ヶ月前に車で訪れた時には棚田は黄金色に染まっていたが、今回は稲刈りが終わり収穫期の風景が広がっていた。休憩時間がたっぷりなので、私はMさんと場所を替えながら写真を撮った。
しかし、お粗末なことに、露出補正をー1にするつもりが+1に設定してしまい棚田が薄緑色になってしまったのが残念あった。
かかし立つ大山千枚田
収穫期の大山千枚田
集合写真の後、昼食場所の大山不動尊へ向う。きつい坂道が続く。途中ばくちの木の群生が紹介される。
赤茶けた木肌のものも見られる。木肌が次々と剥がれるのが特徴で、ばくちで身ぐるみ剥がされることに
ちなんで名前が付いたと言う。
大山寺不動堂仁王門をくぐり、45度はあろうかと思われる急階段を上り切ると不動堂の波の伊八の彫刻が
目に飛び込んで来る。そして、格子戸越しに本堂の中をのぞくと不動明王が睨みをきかしている。
共に迫力満点である。
大山寺不動堂 波の伊八の彫刻
大山寺不動堂 不動明王
境内で昼食休憩後、裏手の高所にある高蔵神社も訪れる。大山不動、高蔵神社は長狭平野の守り神で水を
司る、とガイドは言う。
大山不動尊境内より長狭平野を望む
下り坂を歩き、バスの待つ大山小学校跡へ向う。
跡地で整備体操後、バスに乗り込む前に完歩の認定証を手渡される。13時30分頃のことである。
バスはあえて行きと違うコースを走り、みんなみの里(鴨川)に立ち寄る。
私とMさんは、施設の裏手にある足湯につかる。この辺りはポルトガルの田園風景に似ているとか。
浴槽から足を出した時、何とも言えない涼しさを感じる。
館山への帰路の車中で、今日の歩行距離は?の質問にガイドは5kmと答える。もっと歩いたように思えるのは
汗びっしょりのせいであろう。
かくして館山に戻った時、時計は15時20分であった。
暑い中、ガイドの皆さん、有難うございました。
沼の里山~稲刈り
8月21日(日)夕、私が住む岡沼区(館山市沼)では、青友会の主催で盆踊りや露店主体の納涼祭が執り行われた。私は三役として招待され妻と一緒に出席する。
三役は、お互い何かにつけて顔を合わせ話をすることが多い。
この日、区長代理とは飲みながら野菜づくりに話がはずむ。区長代理はビワ栽培を主体とする専業農家で、 「先ずは土づくり」と説く人だ。
私がモミガラと稲わらを所望すると快諾してくれた。
25日(木)、我家に軽トラックが入って来た。モミガラを持って来てくれたのである。
酒の席での請合いは当てにならないものだが、有言実行の人だ。
翌日、今度は私が班長へ配布を依頼する分のだん暖館山(市の広報誌)や回覧を持って来る。
そして、明日稲刈りをやると言う。私が写真を撮らせてくれと言うと、あ~いいよ、とうなずいた。
稲刈り
稲刈りは8時に始まった。今は機械の時代、刈り取られた稲穂は即結束される。便利になったものである。
稲刈り 後方に見えるのは館山城 8月27日撮影
稲刈り 8月27日撮影
一服休憩後、SANADAさんと交代した。SANADAさんは、私の野菜づくりの先生の一人である。
区長代理から、田んぼや畑の一部はSANADAさんに任せていると聞く。
かくして、2反の稲刈りは午前中に終了。7~8俵は獲れるとのこと。
稲刈り 8月27日撮影
掛け干し
翌朝5時、私は掛け干し風景を撮りに田んぼへ行った。
半分は掛け干しが終わっていて、黄金色の絨毯から秋景色へと変わっていた。
掛け干し 8月28日撮影
掛け干し 8月28日撮影
写真を撮っているとSANADAさんがやって来て、掛け干し用の支柱を組み始めた。
掛け干し 8月28日撮影
SANADAさんによれば、昔ながらの天日による自然乾燥(掛け干し)の方が、美味しいお米が出来るとのこと。
また、稲穂が倒れている田んぼがある中で、SANADAさんの稲穂は凜として立っていましたね、との私の問いに
肥料の質を考えた土づくりをしているからとの返答。こだわりの米づくりという訳である。
脱穀
30日(火)朝、軽トラックが入って来た。台風が来そうだから、これから脱穀するからと言う。
私は、急いで朝食を済ませ田んぼへ向った。
機械は便利である。お米が瞬く間に袋詰めされる。
脱穀 8月30日撮影
そして、区長代理の奥さんと息子さんが支柱のかたずけをする。
沼の里山に家族が力を合わせての農作業が展開したのである。
脱穀 8月30日撮影
夕方、家に戻ると入口に大束の稲わらが五つも置かれてあった。
灯籠流し
送り火の日の8月16日(火)、私は「遊子の会」の仲間と鋸南町の盆の恒例イベント「灯籠流し」を見学する。
日が沈むにつれて、みささぎ島のあかりや海に漂う灯籠の火がはっきりして来て、会場である川尻海岸は幻想的な光景を呈した。
身内の人が亡くなったばかりの人には、さぞかし感慨深いものがあったであろう。
東日本大震災後、命のつながりとか家族の絆が再認識されるようになったが、そういう意味においても、このイベントはこれからも続くといいな、と思った。
「灯籠流し」の見学とのことで集まった14名に対し、サービス精神旺盛な主宰者YUさんは、「灯籠流し」の前に
地獄極楽絵図の公開があるお寺や歴史的に由緒あるお寺を案内してくれた。
13時30分に北条海岸(館山市)のココスに集合し、3台の車で出発した行程は次の通りであった。
延命寺(旧三芳村)→智蔵寺(旧三芳村)→カステラ工房で休憩(鴨川)→大山千枚田(鴨川)→大山不動・
高蔵神社(鴨川)→妙本寺(鋸南町)→灯籠流し(鋸南町)→勝山漁協直営食事処「なぶら」で夕食(鋸南町)
→スナック亀でカラオケの二次会(岩井駅前)
延命寺
延命寺は後期里見氏の菩提寺で里見家三代 実堯・義堯・義弘の墓があるという。
延命寺本堂
本堂の回廊沿いに吊るされた色鮮やかな16幅の地獄極楽絵図を住職の解説を聞きながら見学する。
それにしても地獄での裁きの絵図はむごい。
後日、私の住む岡沼区(館山市)の納涼祭の折、住職でもある区長にこの事を話したところ、昔は警察も裁判所も無い中で、悪者のやりたい放題を戒める為の教えでしょう、との話に納得する。
解説の住職は、極楽に行けるお釈迦様の六つの教えを話された。車に戻り、俺は極楽に行けると言ったところ、
疑問の笑いを買った。
智蔵寺
高台にある智蔵寺の境内から、建設中の火葬場を見渡す。広々として明るいロケーションがいい。
また、境内への苔むした旧道(坂道)も情緒がただよう。
智蔵寺略縁起を説明する主宰者YUさん
境内の略縁起によれば、智蔵寺の開基(スポンサー)は武田信勝だという。信勝は天目山の戦いに敗れ、
父勝頼とその妻と共に景徳院で自害したはずなのに、これは一体どういうことなのだろう。
「遊子の会」では初秋のバスツアーで景徳院を訪れることになっているが、その際YUさんには、この矛盾を明らかにしてもらいたいものである。
大山千枚田
車は旧三芳村から旧丸山町を抜け鴨川市に入る。鴨川カステラ工房で休憩後、大山千枚田へ向う。
大山千枚田では、美しい棚田が黄金色に染まっていた。
大山不動・高蔵神社
私が運転するダイハツムーブが、YUさん夫妻と私共夫婦を乗せて、高蔵山の急勾配を登る。
重い、重い、何とか大山寺不動堂にたどり着いた時は16時をとっくに過ぎていた。
YUさんは、ここでも地獄極楽絵図を見学する予定だったようだが、時間切れであった。
その代わりなのか、裏手のさらに高所にある高蔵神社を案内する。
何段も何段もある急階段はきつかった。高蔵神社にたどり着くと大山寺不動堂を見下ろす斜面にヤブミョウガが
群生していた。
大山不動・高蔵神社は長狭の守り神と聞く。かつては、すべて徒歩での参拝であろう。昔の人はすごいなぁ~と
思う。
大山不動尊のヤブミョウガの群生
妙本寺
車は長狭街道を走り鋸南町の海辺に出る。まだ時間があるとのことで、里見義堯の親友(ブレーン)日我上人が
住職をしていた日蓮宗の寺、妙本寺に寄ることになった。
<YUさんの話>
里見義堯の攻撃を受けた造海(つくろみ)城主真里谷武田氏は、城明け渡しの条件として一夜にして百首の歌を 詠むという難題を突き付ける。武人には到底無理な話。そこで義堯は日我上人に依頼し首尾よくこなし城は明け渡された。かくして造海城は百首城とも呼ばれるようになった。
本堂奥の高台にある歴代住職の墓の中に、確かに日我上人の墓はあった。
海辺の高台に位置する妙本寺は、要塞となった寺だとYUさんは言う。
見学を終え車に戻る途中、百首城の話に触発されたのか打ち解けた会話が続く。
会員 : あの鳴き声はひぐらし?
ダジャレのビーチ王子ことMさん : あれ、ひぐらし。僕その日暮らし
会員 : これは何という木?
謎掛けのKさん : サンゴ樹です、15種類あるそうです。
謎掛けに慣れた会員 : さんごじゅうご!!
灯籠流し
車を夕食を予約した勝山漁協直営食事処「なぶら」に止めて、会場の勝山川尻海岸へと歩く。
ここで看護婦のKONさんが合流する。
川尻海岸は、大黒山を背にして遠くに浮島近くにみささぎ島を見る風光明媚なところだ。
18時過ぎに「灯籠流し」は始まった。約400基の灯籠が用意され、ボランティア?の青年達により次々と海岸から流される。
「遊子の会」からは、9名ほどの会員が参加したが、一基1300円(予約の場合は1100円)とのこと。
みささぎ島 : 弟橘姫の遺体が流れ着いた島と言われる。
夕食とスナック亀でのカラオケ
夕食は勝山漁協直営食事処「なぶら」でとる。スタッフ自ら「慣れていなくてすみません」と言う通り、中々食事は
出て来ない。YUさんは調理場へ行ったり来たり。一時間は待たされたであろうか、食事が運ばれて来るや皆で
配膳する始末。私は「なぶら丼」(海鮮丼)を食したが、味は良かった。
YUさんのサービスは、なおも続いた。私の同窓のT君が岩井駅前で営むスナック亀でのカラオケの二次会である。これに9名が参加する。
何十年振りかで会ったT君は饒舌な人となっていた。そして出血大サービスの歓迎である。
懐かしく有難かったが、夜にめっぽう弱くなった私には、YUさん、サービス過剰、過剰です!!
ガーデニング~2011.7
庭仕事
7月前半は、例年より早い梅雨明け後(7月9日)、連日猛暑が続いた。
我家の庭では、涼しさの演出はアガパンサス、ギボウシ・・・・等の青に代わって、白い小さな花のシラサギカヤツリ、フーラン、ハクチョウソウ、そしてハンゲショウとなった。
シラサギカヤツリ : 別名シラサギスゲ、シューティングスター、スターグラス等 7月11日撮影
写真やブログの手ほどきを受けた、かつての千葉市のスポーツクラブ仲間のHさんに問い合わせたところ、
名前が判明した。ありがとうございました。
フーランの蕾 : 7月16日撮影
本家のS子さんから貰ったフーランを柿木の枝にぶら下げておいたら、豆の発芽のような蕾が出て来た。
フーランの開花 : 7月19日撮影
ハンゲショウ : 7月12日撮影
名前は、半分化粧すると覚えたのだが、後半ともなると葉っぱ全面が白くなるものも見られた。
畑仕事
私は、初挑戦のトマトを朝に夕に芽かき誘引を繰り返し、一本立ちを目指した。
しかし、何時の間にか二本立ちになったり、大きくなった実の先端が茶色く腐っていたり、ヘタから虫が入ったり、
と色々なことがあったが、7月10日にはついに赤く色付いたトマトを収穫することが出来た。
それはまずまずの味で、成功の祝杯をあげたのであった。
これも、聞くところによれば、日照りが続いたお陰ということになる。19~20日にかけて、台風の影響で強雨と
なり、トマトにヒビが入る。かくして、人様に差し上げられるトマトはわずかとなり、Mさんの言う「トマトはお天気
次第」を実感する。
赤く色付いたトマト(桃太郎)、ミニトマト(アイコ)は黄色 : 7月18日撮影
初挑戦はもう一つ、坊ちゃんカボチャ(ミニカボチャ)である。
ホクホクして美味しく、栽培しやすい、まだ間に合う、とのHさんの勧めで6月1日に2本の苗を植え付ける。
そして、肥料の袋を利用したあんどんで風対策を施す。6月18日には、あんどんをはずしあんどん支柱を立て、
根元にはわらを敷く。狭い場所での空中栽培という訳である。
その後、葉っぱがウリバエの攻撃に合う。竹酢液を噴霧したり、苦土石灰をふりかけたりするも効果なく困惑する。いつも犬を連れて通り掛かるUさんから、ウリバエにはディプテレックス粉剤がいいよ、とのアドバイスにより
何とかしのぐことが出来る。
そして、6月28日には1回目の人工受粉を行う。人工受粉は確実に着果させるためで、9時までにやるように、と
Hさんは言う。私は人工受粉したものには、収穫の目安として35日後の日付を書いたラベルをぶら下げた。
坊ちゃんカボチャ(ミニカボチャ) : 7月11日撮影
かくして、初収穫は8月2日。待ちわびて館山湾花火大会の日、即ち8月8日に食す。
それはホコホクして甘く大変美味しかった。坊ちゃんカボチャは夫婦で食べるには丁度良いサイズだ。
果たして、これから何個収穫出来るであろうか、楽しみである。
富浦ウォッチング~真夏のクルージング
8月6日(土)晴れ、「富浦ウォッチング~真夏のクルージング」に参加する。
今日は、今年新たに「遊子の会」の会員となったMさんご夫妻と一緒である。
Mさんは、海が好きで埼玉から館山に移住された人だ。
10時前、富浦漁港で受付を済ます。受付係りの、やはり「遊子の会」の仲間であるOさんは、「今日はラッキーですよ」と言う。??
クルージングの船は、大型のサンマ漁船第一安房丸だった。チャーターした船の故障で急遽変更になったと
言う。ラッキーとはこの事であった。
サンマ漁船第一安房丸 集魚灯でサンマをおびき寄せて網で採るという。 12日に出航予定とのこと。
我々は、安房丸の舳先に陣取る。大型漁船なので海面からはかなりの高さがある。
当初の予定では、大房岬南側の雀島往復とのことであったが、大型船故か大房岬南側の館山湾の沖合い往復
であった。
三角形の増間島、とんがり帽子の雀島を眺めながら、穏やかな海を船はゆっくりと進む。
顔にあたる風が心地良い。
私は、富浦ロイヤルホテル前の磯から見上げる景色は、沖縄の万座毛のようだよ、と話す。
また、いつかシュノーケリングをやろうと提案するとMさん快諾。
船上より富浦ロイヤルホテル前を望む
岬を離れるにつれ、大房岬南側の全貌が見渡せるようになる。そして、館山の鷹ノ島や沖ノ島、洲崎が大きく
見えるようになる。
船上より大房岬南側の全貌を望む
Mさんの奥さんが叫んだ・・・・・トビウオだ
私が叫んだ ・・・・・シイラだ
ガイド役のOさんからは、黒っぽいかたまりはイワシの群れですよ、とのアナウンスがある。
そして、Mさんが叫んだ・・・・・クラゲだぁ~
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真っ白なロングヘアーが風で顔にまとわりついている。舳先に座るMさんはヨーロッパ風で、ビーチ王子といった
面持ちである。それが「クラゲだぁ~」であるから「遊子の会」では、古株いや古参いや御局・・・??の姉御達から新参者と可愛がられている??のである。
さて、港に戻ると時計の針は11時をまわっていた。1時間は船に乗っていたことになる。
これで300円であるから、何とも得をしたクルージングであった。
下船後、私はMさん夫妻に、道の駅富浦枇杷倶楽部での目黒輝彦写真展「富浦の状景」をのぞいてみようと
お誘いした。
枇杷倶楽部は「遊子の会」の艶歌の女王KANさんの職場でもある。居合わせたKANさんに挨拶してから
写真展をのぞく。先程船上から眺めたばかりなので、「ああ~、あそこだ・・・」等と言いながら鑑賞する。
実に綺麗な見事な写真ばかりであった。
すると、KANさんがやって来て、アイスコーヒーを用意しておきました、と言う。
心づかいをありがたく頂き、しばし雑談後枇杷倶楽部を辞したのである。
































































