安曇野おひさまロケ地と武田勝頼終焉の地景徳院(2)
「遊子の会」のバスツアー二日目は、景勝地・御射鹿池~史跡・景徳院~グルメの昼食はうかい鳥山、というコースで趣のある旅をすることが出来た。
二日目 9月30日(金)
行程は次の通り。
横谷温泉旅館→御射鹿池→景徳院→笹一酒造→うかい鳥山(昼食)→館山
朝食前、我等紳士は隣の部屋の淑女を誘って旅館からすぐの乙女滝への早朝散歩としゃれた。
乙女滝は水量豊富で迫力満点。私は健脚のMさんと共に滝の下に下りてみた。
木々が邪魔をして滝を見上げることは出来なかったが、下流もまた中々の眺めであった。
乙女滝の下流
9時に旅館を出発。当初の予定にはなかったが民話の達人Sさんの希望で東山魁夷画伯の名画「緑響く」の
モデルになった御射鹿池(みしゃかいけ)に向う。そこは奥蓼科温泉郷の湯みち街道沿いにあった。
農業用温水ため池とのことだが、この日は風もなく御射鹿池は鏡池と化し、木々が水面に映り美しい景観を呈していた。
御射鹿池
御射鹿池 : 前方に白馬が立てば名画「緑響く」と同じになる。
バスは武田勝頼終焉の地景徳院(甲州市)へ向う。
車中、歴史物を語らせたら天下一品の主宰者YUさんの話が炸裂する。
武田三代記に始まり、長篠の戦いに敗れ勝頼は立て直しを計るも織田徳川連合軍の侵攻に建てたばかりの
新府城に火を放ち四天王の一人小山田信茂の誘いに岩殿城をめざすが謀反に合い日川をさかのぼり天目山
栖雲寺(せいうんじ)へ向うも手前の田野(景徳院のある地)に至って力尽き主従は自害して果てたと続いた。
この時、一族郎党は50名たらずとなっていたと言う。そして、景徳院境内の説明に移り、跡目相続の儀式をした
本堂前の旗立の松での勝頼と信勝の「自分は果てるが逃げて生き延びて欲しい」と互いに言う親子のやりとりの
くだりなど講談を聞いているかのようであった。
また、信長は勝頼と信勝の首を足蹴にしたが、家康は田野寺(後の景徳院)を建立して霊を弔い、出家していた
勝頼の盲の兄海野信親に武田を名乗らせて存続させた。かくして武田を手厚く遇し、一族の持つ土木技術等を
利用したと言う。
最後に、先般灯籠流し見学の折、立ち寄った三芳(南房総市)の智蔵寺で境内の略縁起に開基は武田信勝と
あった矛盾について触れ、義経がジンギスカン・・・・という話と同類で、大衆は武田を滅ぼしたくなかった現われで100%ありえないと話された。
バスは景徳院に到着。もはやこれまでと勝頼の妻北条夫人の侍女16人が日川の淵に身を投じて殉死した姫ヶ淵の石碑が目に入る。
姫ヶ淵 : 北条夫人と侍女16人の石碑
山門をくぐり旗立の松と本堂から木々の生い茂る広場へと回った。
そこには辞世の句碑や勝頼・北条夫人・信勝が自害した生害石、位牌をまつる甲将殿があった。
何も知らずに訪れればよくある境内ということになるが、YUさんの話を聞いた後だけに戦国時代の非業さ哀れさを偲ぶ(YUさんの言葉)こととなった。
旗立の松と本堂
辞世の句碑・生害石・甲将殿のある境内
駐車場への近道のつもりでやや急斜面の坂道を下ったら、そこには三人の墓があり武田勝頼公37才、同夫人
19才、武田信勝公16才と書かれた石柱が立っていた。
さて、バスは昼食場所である奥高尾のうかい鳥山へ向う。途中笹一酒造で休憩。
着物姿の美しい御婦人に迎えられて到着。
先ずは店の人の案内で庭園を散策。緑の木立の間に日本建築の美しい佇まい。
うかい鳥山入口
うかい鳥山 随所に立つ建物
我々はうかい地鶏の炭火焼をメインとしたコース料理(5200円)を食す。
雰囲気、丁寧な接客に風雅な一時を過ごす。
「遊子の会」の昼食としては、かつてない贅沢である。バチが当たるぞ~!!
帰りの車中で感動を即俳句にするOさんからメモが回って来た。
秋の陽の キラキラ散らす 水車かな
安曇野の 河原白く 秋渡る
皆さん、お疲れ様でした。YUさんありがとう。 おわり







