沼の里山~2012.3
今年の冬は寒さが身にしみた。年のせいかと思ったら、房日新聞によれば館山の3ヶ月間(12月~2月)の
平均気温は6.0度(平年値7.2度)で過去20年間の中でも最も寒い冬だったという。
3月に入ってもぐずついた寒い陽気が続き、ジャガイモの植え付けが出来ずにいた。
しかし、3月11日(日)になって、やっと晴れの暖かい日が訪れ、私は見頃を迎えた梅や椿の写真を撮ろうと
思い立ったのである。
沼の里山散策道では咲き誇る梅に出合う。また、黄色と白色のコントラストが綺麗な田んぼが目を引く。
黄色は役目を終えたナバナ(食用菜の花)の花で、白色は野草のタネツケバナである。
沼の里山散策道の梅 3月11日撮影
沼の里山散策道 田んぼの菜の花とタネツケバナ 3月11日撮影
この時期、我家は梅や椿に囲まれる。北側の洗面所の窓を開けると空地に立つ3本の梅ノ木の花が目に入る。
我家の裏の空地の梅(北側) 3月11日撮影
我家でも西側の庭で、110cmの小木なれど南高梅が綺麗に咲いてくれた。
我家の庭の梅(西側) 3月11日撮影
東側の隣組のSinoさんやYさん宅では、椿が見頃である。
Yさん宅の椿(東側) 3月12日撮影
南側の土手に広がる梅園では、よく手入れがされている為か、花が見事である。
我家の前の小さな梅園(南側) 3月14日撮影
晴天が続いた3月15日(木)朝、ベランダで今年初めてウグイスの鳴き声を聞く。
まだぎこちない鳴き声であったが、春の訪れを実感する。
そして、朝食を済ませてから、私はジャガイモの植え付けにせいを出したのである。
航空自衛隊峯岡山分屯基地開放行事
2月19日(日)、「遊子の会」は航空自衛隊峯岡山分屯基地開放行事を訪ねた。
私にとっては、昨年1月25日にKさんのガイドで大日山~御殿山縦走ハイクの折に、御殿山が近づいた所で
峯岡山分屯基地の建物や航空レーダードームを見渡した。
そこからは千葉県最高峰の愛宕山三角点(408.2m)を訪れることが出来るとの話に、Kさんにいつの日かの
ガイドをお願いしたのだが、それが実現したのである。
この日、参加した会員は18名、それにビーチ王子の娘さん家族3名が加わった総勢21名は、自衛隊員のいたれりつくせりのサービスにより、この日この場所でしか出来ないであろう体験をさせて頂いたのであった。
鴨川国保病院の臨時駐車場から無料シャトルバスで峯岡山分屯基地(南房総市丸山平塚)に到着。
海上自衛隊館山航空基地を見慣れた私には、山中に出現した庁隊舎や各種装備品の展示に異様な雰囲気を
感じる。
ヘリコプターの展示
先ず、我々は自衛隊員のガイドによる三角点ツアーに参加する。
登山道はよく整備されていたが、愛宕山神社を越え愛宕山三角点が近づくと残雪の道となった。
一気に登った千葉県の最高峰で記念写真を撮る。
愛宕山三角点への登山道
千葉県最高峰愛宕山三角点(408.2m) 「遊子の会」先発グループ
千葉県最高峰にしては見晴らしが悪いなぁ~、と思っていたら、続きがあった。
凍った山道を慎重に下ると広場に出た。
そこには、巨大なレーダードーム(撮影禁止)と房総の山並みが待ち構えていた。絶景である!!
レーダードーム前の広場より 大山千枚田と房総の山並みを望む
レーダードーム前の広場にて 「遊子の会」後発グループ(紳士2名は除く)
出発点に戻った私は、体育館前で豚汁サービスを受けて体育館に入り食した後、各種イベントコーナーを巡る。
射的に挑戦してみた。
銃はかなり重かったが、自衛隊員の教え通りに構えたら結構的に当たり、優級の射的証明書をもらった。
自分は天才かと思ったら、ビーチ王子に、私は秀級をもらいましたと自慢される。
射的 古ギャルは二人がかりで
射的 何をやっても格好いいYUさん
登頂と射的の証明書
射的に気を良くした私は、続いてヘルメットに防弾チョッキ(?)を身に付け、銃を持って地面をはって進む訓練に
挑戦した。銃もチョッキもかなり重いので結構大変である。
家に戻り、パソコンに取り込んだ写真を見たら、私も教官も真っ黒である。
忍者じゃないよ~! 国防訓練だぞ~! 撮ったのは誰だ~! アッ、xx さんか!
?訓練の体験 写真はカラー調整してあります
振り返って見ると、峯岡山分屯基地がレーダーサイトとして首都圏の防空の要衝であることを知り、かつ
色々なイベントを体験させてもらいながら、直に見たことは有意義なことだったと思う。
椎茸の駒打ち
「遊子の会」で知り合ったミスターアウトドアーKさんには、今までに色々な体験をさせてもらっている。
今日は椎茸の駒打ちのお誘いである。
1月31日(火)13時、Kさん宅に伺うと庭に90~100cmに切断された原木が積まれていた。
それはナラの木だと言う。
早速作業にとりかかったのだが、作業内容を順々に、ポンポン飛び出した専門用語と共に書き留めておく。
専門用語の確認
駒とは椎茸菌の繁殖した種駒のことで、原木への植菌作業のことを駒打ちといい、植菌されたものをほだ木と
呼ぶ。即ちこの日、私はほだ木作りを体験したのである。
駒打ち箇所のマーキング
手引書を参考に駒打ち箇所に赤のマジックで印を付ける。
駒打ち箇所の穴開け
電気ドリルで穴開け。Kさんはドリルの刃は垂直にモミ込むようにと言う。
駒打ち
木槌で駒をゆっくり打ち込む。また、枝の痕周りにも同様に駒を打ち込んだ。
かくして、二人で11本の原木に500個の駒を打ち込んで、駒打ち作業は終了した。
あっという間の2時間であったが、これがプロとなると原木の数が半端じゃないので大変さが偲ばれる。
Kさん宅の成る木
椎茸の菌糸が原木内にまん延し、椎茸が発生するようになった原木を成る木と呼ぶ。
お茶を頂き、6本のほだ木を車に積み家に戻った。
早速私は、家の裏の一角に2本の枕木を敷き、その上にほだ木を積み上げ、ビニールシートで覆った。
この状態を仮伏せ(植菌した菌を原木に充分活着させる)といい、梅雨前に本伏せ(きのこの発生を促す)すると
来年の秋には椎茸が収穫できるという。
そこで、私は本伏せの際はフェンスに立て掛けることとし、成る木~収穫を夢みて、ほだ木を乾燥させないよう
見守ることに決めた。
Kさん、ありがとうございました。
館山の冬の風物詩
温暖な地と言われる館山も寒い日が続いている。
1月の館山では、冬の風物詩と言える三つのイベントがあった。
即ち、消防出初式、寒中水泳大会そして若潮マラソン大会である。
私は己を奮い立たせて、これらの模様を写真におさめようと出掛けたのだが、
そこで、寒風の中、躍動する若者達から元気をもらったのであった。
消防出初式
1月7日(土)、コミュニティセンター第一駐車場に市内の消防団が一同に集まり出初式が行われた。
以前住んでいた千葉市の消防出初式が、千葉市消防局のパフォーマンスといった感じであったのに対して、
館山市の消防出初式は、それぞれが本業を持ちながら活動する団員で構成される地域に密着した地元消防団の日頃の訓練の成果を披露する場であった。
部隊行進~消防車両のパレード
後で知ったのだが、館山市消防団は9分団24個部で構成されているという。
運良く私の住む館山地区の消防団が放水披露を行うというので、しめしめとシャッターを切ったのだが、
それは間違いであった。
その夜、地元消防団の新年会に区長の代理で出席した私に、団長は館山地区には二つの消防団があり、
我々はサポート役でした、と言う。私の住む消防団は第5分団第12部であること、しかと心に刻むことにしよう。
館山地区 第5分団第11部による放水披露
常備消防からははしご車のみの参加
寒中水泳大会
大寒の1月21日(土)、館山湾寒中水泳大会が北条海岸で行われた。
この日は実に寒かった。私は毛糸の帽子に釣りの中着で身を固めての見学である。
参加者は市内の中高生が目立ったが、海に入る前の準備体操ではヨイショ!ヨイショの大合唱。
すごい熱気が伝わって来る。
1時30分、水しぶきをあげて海に入る。海中では校旗やのぼりを掲げ、肩を組みながら円陣を作り気勢を上げる。若さいや馬鹿さ爆発である。
10分は経過したであろうか、とうの昔に失った馬鹿さを、私は羨望の眼差しで只見守っていたのであった。
将来、彼等にはいい思い出となることであろう。
若潮マラソン大会
1月29日(日)、館山若潮マラソン大会が1万人の大台を超えるエントリーのもと、フルマラソン、10キロ、親子で2キロ走るファミリーの3部門で行われた。
どこで写真を撮るか、私は下見をした。その結果、一つはランナーが富士山の下を走っているように見えるという
富士見橋。ここは友人のYUさんのお勧めスポットで、汐入川の河口にある。
もう一つは、シンボルロード改め鏡ヶ浦通りの北条海岸休憩所前と決めた。
鏡ヶ浦通りは、館山市のふるさと大使をつとめる稲川素子さんが中心になってワシントンヤシの植栽が進められている。また、電線の地中化によってすっきりした景観となり、夜はオレンジ色の街灯が灯り、私に言わせれば
館山のニース(南フランス)である。
さて、当日私は自転車で家を出た。あいにくのくもり空だ。富士山の背景写真は無理である。
そこで、先ず館山港多目的観光桟橋改め館山夕日桟橋前でフルマラソンの一行を待つ。
さすが先頭集団は走りっぷりがいい。
館山夕日桟橋はよく釣りを楽しんだ所だが、その基部には館山の海の玄関口渚の駅が3月25日にグランドオープンするという。海辺の賑わい空間として期待される。
それから富士見橋から鏡ヶ浦通りに出て、北条海岸休憩所前で10キロの一行を待つ。
思い思いの服装で後から後から走って来る。中にはコスプレのランナーもいる。
鏡ヶ浦通り ワシントンヤシに防寒対策(?)が施されている
再び夕日桟橋に。10キロの先頭集団が折り返して来て後方の集団とすれ違っている。
ずいぶんと差がつくものである。
館山夕日桟橋 10キロの先頭集団が折り返して来た
最後に西ノ浜海岸通りでカメラを構えた。幼き頃、海水浴を楽しんだ所だが、今は船揚場となっている。
同じく10キロの折り返し組を見学する。マラソンも女性の方が元気だなぁ~、と思いながら家に戻ったのである。
西ノ浜海岸通り 子供の頃の海水浴場
新年茶話会
1月12日(木)、「遊子の会」の新年茶話会が34名の参加のもと、館山城のそびえる城山公園の茶室「雁月庵」で執り行われた。
一昨年暮れのギャラリーsfkでの忘年茶話会と類似した式次第ではあったが、「着物姿で参加した会員が14名も
いた」、「初春和菓子や抹茶サービスがあった」、「会場が茶室である」こと等から純和風の華やかな茶話会を
十分に楽しむことが出来た。
抹茶サービス
着物姿で参加した会員のあで姿(?)
下の城山公園駐車場から上の茶屋(ほぼ山頂)までは、ビーチ王子がワゴン車で皆を運んでくれた。
10時過ぎから抹茶と初春和菓子のサービスがあり、自由に歓談する。
和菓子は料理教室のMさんの手作りだという。とても綺麗で美味しかった。
奥の部屋をのぞくとせっせと抹茶をかき回している。数が多くて手首が痛くなってしまったと言う。ご苦労様でした。
そして、昨年入会した人(3名)、主宰者YUさんの友人で特別参加の人(3名)、久し振りの人(3名)から一言
挨拶があった。昨年入会し、古参のお姉さんから新参者と言われ、いつもホスト役に徹したビーチ王子は、今年も
皆さんのお役に立てるよう頑張ります、等と殊勝なあいさつをする。
「偉い !!、今の時代・・・・・・・・・、外でも家でも・・・・・・・、男はつらいねぇ~!!」
格調高い(?)Sさんの開会の辞で本番がスタートする。
先ず、昨年の活動が、旅・山登り・釣り・料理教室の順で報告される。
続いて、去年の思い出として、「燕岳でKさん夫妻とバッタリ」、「遊子の会に入って、安曇野旅行の思い出」、「初めての海外旅行(韓国ソウル)」と題して3名の方が話してくれた後、Tさんの千倉の海での人命救助の話が続いた。YUさんのガイドでソウルを旅した会員を代表して、Oさんの韓国は北朝鮮と戦争中なのだと思い知らされた話は興味深かった。
そして、この日の食べ物を全て任された料理教室のMさんが調達した松花堂弁当の昼食となった。
それは、とっても小さなのり巻きやおいなりさんが入っていて、綺麗で美味しかった。
腹ごしらえを終え、外に出て記念撮影となる。私の出番である。
今回は、三脚とレリーズを持参してセルフタイマーで自分も入った集合写真を3枚撮った。
集合写真の前に茶室雁月庵の庭でのスナップ
部屋に戻り、ビーチ王子夫妻と私の妻が進行役となり、皆が持ち寄ったお年玉(プレゼント)交換となる。
これは盛り上がった。YUさんが目玉とはやしたてる伊勢エビは、結局Tさんが当たった。Tさんは夫の母の介護で
久し振りの参加であったが、笑顔を見ると少しは息抜きになったようである。
お年玉交換 Oさん「やったぁ~!!」
宴も佳境に入り、芸達者の会員が得意の芸を披露する。
紙芝居 : 富浦ウオッチングを主宰するNPO富浦エコミューゼ研究会に所属するKANさんが「たいぶさの不動滝」、Oさんが「青岳尼」、Sさんが「金の竜」を演じる。
手品 : Mさんの手に掛かれば後から後から花が出て来る。
日本舞踊 : 凜と
日本舞踊 : 艶
民話 : 子供の頃の空襲体験の話で感極まったSさんの後、民話の達人庄司さん登場。
もはや落語家のようであった。
さて、最後は主宰者YUさんが今年の計画を発表してから、SIGEさんの閉会の辞、私とビーチ王子による三本締めで御開きとなった。今年も大いに楽しめそうである。
初孫滞在1ヶ月
11月27日に誕生した初孫(女の子)が、母娘で養生の為、12月5日に東京から館山の我家にやって来た。
以下は1月3日に帰京するまでの初孫滞在1ヶ月の記録である。
神棚と命名書
初孫を迎えるに当たって、私は石油ファンヒーターと加湿器を買い求め、長押の角に神棚を設置することにした。
神棚の下に命名書をぶら下げようとの思惑からである。
神棚と命名書
12月1日のことである。神棚を置く板を購入する為にコメリに行った。
そこで、かつて部活で一緒だった大工のY君とバッタリ出会った。
Y君は、どうせ道具がないだろうからと言って、板を切断してから我家に来て取り付けてくれた。
後日、再びコメリに行き神棚を購入してひとまず完成した。
12月5日の午後、初孫が車に乗ってやって来た。道中ベビーシートでずっと眠っていたと言う。
運転手役の父親は世田谷区役所に出生届を出してから来ました、名前は「るい」と付けました、と言う。
さて、命名書は筆で書くものだと妻は言う。
私は道具はないし、高校卒業以来筆など持ったことがないので、妻の兄である書の達人の義兄に書いてもらうことにした。
かくして、大安の12月7日、神棚に沼の天満神社と十二天神社の御神札を納め、神棚の下に命名書をぶら下げた。また、23日には岡沼区の頒布会で求めた伊勢神宮の御神札も納めた。
岡沼区と言えば、初孫の世話で身動き出来ないと言う私に、区長が真赤なシクラメンの大きな鉢を持って来て
くれた。さらに、区長代理が、おっぱいが沢山出るようにと自家製の野菜をどさっと持って来てくれた。
ありがたいことである。
るいちゃんはうっせぇ~!
出産先の日赤医療センターの指導とのことで、子育ては母乳と布おむつである。
授乳は2時間おき、従って夜2時間は眠れるな、と考えるのは間違いで、授乳の前後はだっこをせざるを得ない
状況になるので母親は1時間位しか眠れない。
私共も協力して手伝うことが多く、大人は皆寝不足となる。
私共の朝は、妻はおむつの洗濯、私は朝食の仕度で始まる。
るいちゃんは夜行性で、昼間はうつらうつらしている。そして、目を覚ますと泣き騒ぐ。抱き上げると泣き止むが、
泣き続ける時は、おむつが汚れているか、おっぱいの催促である。
だっこしても訳もなく泣き続けると大人達は困惑する。
こんな具合に、石油ファンヒーターで温室と化した我家の一日は、あっという間に暮れて行く。
かくして、こちらの田舎言葉で言うと 「るいちゃんはうっせぇ~!」 ということになる。
ゴールデンタイム
12月11日(日)、母親(娘)は大量の出血に困惑する。
枇杷農家の沼の元気印の娘さんが館山駅そばのファミール産院のベテラン看護婦であることを聞き、元気印に
お願いしたところ、娘さんが手配してくれて、その夜手厚い診察と治療を受けることが出来た。
その後、帰京まで計3回の通院で、娘はすっかり落ち着いたようである。
通院のたびにおしめ持参で付き添った私共にだっこされたるいちゃんは、終始静かに眠っていた。
ピンチの母親を救ったのである。「るいちゃんは偉い!」
滞在1週間、夕方になるとるいちゃんは、ご機嫌ではっきりしたいい顔を見せるようになった。
娘はそれをるいちゃんのゴールデンタイムと名付け、皆で楽しんだのである。
滞在1週間 : ゴールデンタイムのるいちゃん 生後15日
体重測定
体重測定 生後16日
母乳が足りているかどうかは、体重の増え具合で分かるという。
妻がお願いしたところ、館山市から保健指導員の方がはかりを持って来てくれた。
結果は、誕生時2460gが2890gに増えていて順調とのことであった。
かくのごとく、地域の人々から色々とお世話になったこと、母娘は夢夢忘れてはなるまい。
沐浴
沐浴 生後19日
るいちゃんはお風呂が好きである。娘はお風呂に入れることを沐浴(もくよく)などと言う。
それは台所の流し台にベビーバスを置き、今の時代であるから、そこに適温の温水をワンタッチで入れて、
母親は立ち姿で赤ちゃんを洗い入浴させる。
私の時代には、たらいにお湯を運び、お産婆さんに入れてもらったものである。
いやはや便利になったものである。
宮参り
宮参り 沼の十二天神社 生後35日
1月1日、穏やかな正月である。当初予定していた八幡神社でのお祓いを受ける宮参りは、初詣での混雑が予想
される為に取り止めて、私が無事の出産を祈念した地域の神社での感謝の宮参りに切り替えた。
31日に東京からやって来た父親(婿)を加えた総勢5名で十二天神社~区長代理宅~天満神社~区長宅~
義兄宅と回る。その間、防寒着で身を固めたるいちゃんは終始静かに眠っていた。
外づらがいいのである。
馬鹿家族
滞在およそ1ヶ月、丸々と太ってきたるいちゃんは、すっかり抱き癖が付き、腕の中でイナバウアーの姿勢で
天井や部屋の角を見たり眠ったりする。何もわざわざ東京から持ち込んだベビー用の布団でゆっくり眠れば
良いものを、である。
お正月、でたらめの子守唄を歌いあやしの真打ちと異名をとる妻が、るいちゃんを座る姿勢にしてだっこして、
「のせー、のせー」と言いながら脚をさすると、るいちゃんが笑った。一斉に大人どもが可愛い!!と言う。
さらに、るいちゃ~ん!の呼び掛けに、は~い!と言っているように声を出した時、母親は天才だぁ~!と言う。
私の姉曰く 「他人から見ればただのガキ」 であることは重々承知しているので、どうかこの馬鹿家族をお許し
願いたい。
滞在1ヶ月 お返事 : 「るいちゃ~ん!」 「は~い!」 生後36日
笑顔 : 話しかけると笑うるいちゃん 生後36日
帰京
1月3日10時、1ヶ月検診を控えていることもあって、るいちゃんは帰京した。
帰京後、早速泣き言をいう娘の報告では、世田谷から助産婦が来てくれて体重を量ったら4000gを超えたと
言う。また、どんな時に喜びを感じますかという問いに、話しかけると笑った時と答えると、助産婦は1ヶ月では
珍しい、家族の方の接し方がいかに良かったかということでしょう、と言われたという。
これらの事は私共夫婦へのお褒めの言葉と嬉しく受け止めている。
娘は、きつくて大変かも知れないが、長い人生では一時のこと、貴重な体験をさせてもらっていると思って、
愛情をたっぷりそそいで育てて欲しい。
また、初孫には普通でいい、ただ健やかに成長してくれればと願うばかりである。
沼の里山 晩秋~正月
新年の朝、戸を開けると柿の木の枝に雨滴が光っている。
どうやら雨が降ったようである。しっとりとして穏やかな正月だ。
誕生から1ヶ月過ぎた初孫は、3日には帰京するとのことなので、家族で宮参りに沼の天満神社と十二天神社に
行くことにした。正月の装いとなった神社は、静かな佇まいで、八幡神社の初詣での混雑を避けて、地域の神社での宮参りに、娘夫婦は満足したようである。
無事の出産に感謝の宮参りをした沼のビャクシンと十二天神社 1月1日撮影
さて、これらの神社は、館山市の行政区である沼区(岡沼区・西ノ浜区・西原区)の守り神である。
去る12月18日(日)に天神会(祭りの実行部隊)の呼び掛けで崇敬会(管理運営の上部組織)と三区の三役が、除夜祭と初詣での為に清掃作業を実施した。
私も岡沼区の三役の一人として参加したので、思い入れがあったのである。
12月と言えば、沼の里山散策道は、みかん(甘夏)とツルウメモドキ位でこれといったものは見られなかった。
そこで、11月の模様を記すことにしよう。
私は、散策のたびに沼のビャクシンと十二天神社に立ち寄り、初孫の無事の出産を祈った。
今や私にとっては、そこは沼のパワースポットである。
無事の出産を祈念した沼のビャクシンと十二天神社 11月9日撮影
沼のビャクシン 樹勢回復作業は成功したようである。 11月9日撮影
沼のビャクシンへの道を奥に進むと柿園がある。
この時期、そこには秋の深まりの風情があろ。
柿の実り 11月3日撮影
柿の実り 11月3日撮影
私の言う沼の里山散策道(白いコンクリートの農道)に戻ろう。
道端に白い野菊と小さな青紫色の花を何段にも連ならせて咲いている野草をあちこちで見掛ける。
早速、「遊子の会」のミスターアウトドアーKさん宅にメールで写真を送り問い合わせたところ、奥さんから
それはシラヤマギクとヒキオコシとの答えが返ってきた。
シラヤマギク 11月9日撮影
ヒキオコシ 11月12日撮影
房の大山に登る
房の大山は、沖ノ島のガイドをメインとして活動する館山海辺の鑑定団のマスジイから何度か誘われたことの
ある山である。海辺の鑑定団では、ここも自然と歴史の山としてガイドしていると聞く。
そんな訳で一度は登ってみたいと思っていたのだが、この度「遊子の会」山歩き同好会専属ガイド(?)Kさん
ご夫妻のお陰でそれが実現した。11月21日(月)のことである。
房の大山頂上(193.6m)から館山湾を望む
穏やかなハイキング日和となったこの日、「遊子の会」の会員14名が坂田(ばんだ)海岸の駐車場に集合。
準備体操の後、ボッカ姿のKさんは、歩く時は薄着休憩の時はウィンドブレーカーをはおるようにと言い、
希望者にはステッキを貸してくれる。
そして、年長の人や足に不安のある人を先頭集団にして、奥さんのカツコさんを最後尾に配した隊列を組む。
さぁ~出発である。時計を見たら9時35分であった。
民家を抜けて登山道に入る。それは竹やぶの狭い道である。
次々と旧陸軍が残した戦争遺跡に出くわす。
砲台跡をのぞいた後、コンクリートの頑丈な橋を見る。戦車が通る橋だと言う。
続いてトンネルが目に入る。それは弾薬庫に使われたと言う。入って見ると中程に部屋があった。
戦争遺跡は樹林帯を過ぎた尾根ずたいにもあった。
山道脇に大きな穴が点々とある。米軍上陸に備えて掘ったものだと言う。
戦争遺跡 : 砲台跡
戦争遺跡 : 戦車橋
竹やぶの道を抜け樹林帯の山道に入る。サブリーダーのカツコさんの最後尾の集団は、健脚のMさん・可憐な声で話すカドグチさん・そしてビーチ王子と私である。
傾いた木にひからびたキノコが、イボのように沢山付いているのに出くわした時から、カツコさんの野草観察講座が始まった。それはキクラゲとのこと。
また、万両に似て赤い実を付けた植物をしばしば見掛けたが、それは十両とのこと。
「正式名はヤブコウジと言います」との話に瞬時にダジャレを飛ばすビーチ王子が言った。
「大きくなったら幕内ですね」
それから、この手の植物には一両まであると言い、それぞれの特徴や正式名称の話をされたのでメモしておこう。 万両~千両~百両(カラタチバナ)~十両(ヤブコウジ)~一両(アリドウシ)
そして、頂上に着いた時、途中にフユノハナワラビがありましたね、と皆に披露してくれた。
フユノハナワラビ
頂上には11時15分に到着。所要時間は1時間40分であった。
頂上の広大な眺めは素晴らしい!!国土地理院の一等三角点を持つ房州低名山ならではである。
東から北の方角に広がる館山湾と房総の山並み、海に突き出している大房~鋸山の岬の風景はパノラマ写真を見ているかのようである。
しかし、他とは違う特徴的な風景は、ここが南房総の西端に位置する山ゆえの眺望であろう。
南西の方角の海に浮ぶ島々に対する私の問いに、「遊子の会」主宰者のYUさんは、あれは大島、利島、式根島
、神津島、新島・・・・・とすらすら答える。
頂上でのランチタイムでは、Kさんから恒例のコーヒーのサービスがあった。
ボッカ姿はこの為で、誠に恐縮至極である。
記念の集合写真を撮った後、12時20分頂上への反対側の入口から下山を開始する。
房の大山頂上にて記念の集合写真を撮る
下山道では急斜面のすべりやすい場所があり、そこでは設置されていたロープが頼りであった。
Kさんが準備すべき物としてあげた軍手は、確かに必需品であり、急坂ではお借りしたステッキが大変有効であった。
ふもとにたどり着き、道端にツワブキやシラヤマギクの花を見ながら坂田海岸駐車場に戻った時、時計を見たら
13時20分であった。下りの所要時間は1時間ということになる。
整理体操が終り、これで解散と思いきや、そうではなかった。
YUさんから、登山中近所に住むマジックが得意なMさんよりお茶を用意してお待ちしています、との連絡があったことが明かされ、皆でお宅に伺うことになった。
Mさん宅には、トロピカルムードのサンルームがあり、天井や壁に貝細工が飾られている。
そんな部屋の中でお茶を頂き、しばし懇談した後正真正銘の解散となった。
Mさんは、今回腰の具合が悪く見合わせたとのことだが、心づかいにはまたまた恐縮至極である。
下山後、Mさん宅のサンルームでお茶を頂く
里見城郭群シリーズ~宮本城跡探訪
11月の富浦ウォッチングは「里見城郭群シリーズ~宮本城跡探訪」である。
常連の「遊子の会」のメンバーがソウルの旅で不在の為、私はこれに一人で参加した。
仲尾沢~宮本城址~大津の里の探訪コースは、前日の雨ですべりやすかったが、私は終始チーフガイドの
生稲さんに密着してその軽妙洒脱な話を聞きながら、自然観察を兼ねた山城跡のハイキングを十分に満喫する
ことが出来た。
11月12日(土)のことであるが、写真と共に探訪コースを振り返ってみよう。
富浦元気倶楽部を出発。宮本配水場でマイクロバスから降り仲尾沢集落に入る。
仲尾沢集落 : 7~8軒しかない 左奥は宮本配水場の貯水タンク 手前の柵は猪対策用だと言う
庚申塔のある小高い広場に寄り道して庚申信仰の話を聞く。そこには籠りをした後のゴミが散乱していた。
広場を下る際、早速スッテンコロリンとすべる人あり。
庚申塔
宮本城址への道は狭く一列縦隊で歩くことが多い。途中一人しか通れない土橋跡や猪の水浴び場に出くわす。
宮本城址への道 : 猪の水浴び場の説明を聞く参加者
猪の水浴び場
二つの頂を垣間見るが、一つはのろし台でもう一つが宮本城址だと言う。分岐点でキクラゲを観察する。
のろし台への道 : 木漏れ日が美しい
少しして今度は滝田城への道の境に着く。両者は背中合わせの城で滝田は東の守り宮本は西の守り、と言う。
また、そこで堀切り跡と言われる場所をのぞくが、生稲さんは疑問だと言う。
ガイドの生稲さん : 地元なので不便税や少し顔が売れて有名税を払っていると笑わせる。
後方は滝田城への道
それから、隠し田や曲輪跡に出くわした後、生稲さんらが発見したという宮本城跡のホルトノキにたどり着く。
それは樹齢300年余りとのことで貫禄十分である。
ホルトとはポルトガルのことで戦国時代に我が国に入って来た暖地性の樹木。安房はこの木の北限。
大島ツムギは主としてこの木の樹皮で染めるとのこと。
ホルトノキ
山頂の広場に到着する。宮本城址である。今は単なる広場だが、戦時中は兵舎があったと言う。
宮本城址立て看板の抜粋。
① 里見氏の二代目成義が稲村城の支城として築いたものである。
② 初代の城主は成義の三男 実堯
③ 天文二年(1533)に起きた里見一族の内紛で当主の義豊が敗死すると稲村城と共に廃城となったと伝えら ているが、当時の文献から義豊を滅ぼした義堯が居城したことが明らかになり、さらに後年まで使用されていたと言える。
皆で眺望を楽しんでいる足下にマムシが出現!!地元からの参加と思われる人が頭を踏みつけてあっという間に皮をはいだ。生稲さんによれば、マムシは昔は結核を患った人の滋養強壮剤としてよく売れたと言う。
マムシに遭遇
下山道に入り間もなく、私はスッテンコロリンと尻餅をつきズボンには泥がベッタリ。
気を取り直して進むと真っ白なブラシの形をしたサラシナショウマに出くわす。
道端にツワブキの花を見、枇杷の畑を過ぎ大津の里に出る。
そして、道の駅大津の里花倶楽部からマイクロバスに乗り富浦元気倶楽部に戻ったのである。
大津の里 : ザ・里山と言った風情あり
初孫誕生
私共夫婦は、東京に住む一人娘(35才)の妊娠以来、初孫誕生最優先の日々を送っていたが、11月27日(日)
日赤医療センターで、ついに待望の赤ちゃんの誕生を迎えた。女の子であった。
以下に誕生までの顛末を書き留めておこう。
記念樹を植える 11月22日(火)~23日(水)
出産予定日は11月26日であるが、9月27日娘より腹痛に見舞われ入院したとの電話が入る。
それ以降、私共は電話が入るたびにビクビクするようになった。
病院の適切な処置で早産が回避され、もう大丈夫という安堵感から記念樹を植えようと思い付く。
庭と畑の境目に温州ミカン(宮川早生)を、ベランダ前の鉢にマイヤーレモンを植える。
温州ミカン用地には親の代からのマキがそびえていたのだが、それを夫婦で一日がかりで撤去したのである。
記念樹 温州ミカン 記念樹 マイヤーレモン
出産へのステップ 11月24日(木)~26日(土)
24日(木)朝、妻は東京へ向う。
25日(金)、娘は定期検診を受け土~日には産まれるでしょう、と告げられる。
26日(土)、出産予定日である。
2時、娘は腹痛を覚え、夫と母(私の妻)に付き添われ病院へ向う。
5時、私のもとへ妻から電話が入る。出来るだけ早く来るようにとのことで、あたふたと朝食を済ませ
8時の特急に飛び乗り病院へ向う。
分娩室の娘はナーバスになっていて、私はせき払いも出来ない程であった。
そこで、病院を出て散策することにした。病院の周囲は学校(東京女学館、国学院大学・・・・)や坂道が多い。
日赤医療センター ホテルのようである 日赤医療センター 坂道が多い
病院から坂道を真っすぐ進むと突き当たりに氷川の杜公園があり、ケヤキが生い茂った園内には氷川神社や
プラタナスに囲まれた氷川神社金王(こんのう)相撲跡が目を引いた。
氷川神社
氷川神社金王相撲跡
さて、娘は一度流産を経験しており、今回も某病院で子宮筋腫がある為、切迫流産の心配ありと告げられていた。そこで、娘は親元の館山での出産をあきらめ、渋谷区広尾にある日赤医療センターを選択した。
それは正解で、私の見たり聞いたりしたところでは日赤医療センターの看護体制は完璧である。
しかし、この日はからぶりに終り、私は娘夫婦のマンションに(三軒茶屋)宿泊することになった。
付き添っていた妻も夜遅くに戻って来た。
初孫誕生 11月27日(日)
2時に電話が入り、すぐに娘の夫が病院へ向う。
私共は軽く朝食をとり、妻・私の順番で病院へ行く。
私が待合所のテレビでNHKのど自慢を見ていると、妻が産まれたからと呼びに来た。
12時31分、初孫誕生!!女の子である。
対面の許可が出る。
カンガルーケアで母親の胸に顔を埋めた赤ちゃんは、早くもオッパイに口を近づけたり指をくわえたりしている。
時折り片目を開けたりもする。
生後50分 アレッー、ここはどこだ?(私の読心術)
その後体温や体重、身長などを計測した後、産着を着た赤ちゃんは、時折り両手を広げたり両目を開けたりと
産まれたばかりとは思えないしぐさを見せる。
生後1時間40分 かゆいなぁ~ 風呂はまだか?(私の読心術)
母娘が分娩室から、5日間程過す予定の新生児室に移ったのを見届け、私共は館山への帰路に着いたのである。










































































