安房郡札三十三観音辰歳本開帳~沼の大寺
館山市を中心に三十三ヶ所の寺院を巡る「安房郡札三十三観音辰歳本開帳」が、10月14日から28日
まで行われている。
それは、12年に一度、辰歳のこの時期に行われるもので、しかも私の住む岡沼の総持院(沼の大寺)が
一番札所だという。
私は、こりゃ~大寺に行かなきゃ~、と思い、10月16日(火)区長代理のごっさん夫妻の観音霊場巡りに
便乗して、大寺を訪れたのである。
その後、そこで見聞きしたことや房日新聞の記事をまとめたので書き留めておきたい。
安房郡札観音三十三ヶ所は、徳川家康・秀忠両公に真言密教の論議を講じたという頼勢(らいせい)上人
が開創、辰歳を開扉の年と定めたという。頼勢上人は、館山市の柏崎に生まれ、幼くして総持院に入寺、
幾つかの寺を渡り歩いた後、最後のお勤めも総持院と聞く。
これが総持院を一番札所と決めた理由のようである。
本堂に上がり、副住職に入口の石碑は何と読むのですかとお尋ねしたら、お寺は山・院・寺がなくてはならないと言い、
山 : 獅子吼山(ししくざん)
里見の時代の一時、三富山(みとみさん)と称した。
院 : 総寺院(そうじいん)
寺 : 慈眼寺(じげんじ)
通称、沼の大寺と言います、と説明してくれた。
総持院入口 : 真言宗智山派 獅子吼山慈眼寺総持院と号する。
さて、大寺の寺田信彦住職は岡沼区長、ごっさんが大寺総代で区長代理、私が会計という関係にある。
私は大寺を訪れる際は、岡沼区三役のよしみで住職に仏教用語を質問したり、広大な敷地にある花木や樹木を案内してもらっている。
そして、大寺は長老(父)、住職、副住職(娘婿)で営まれていて、通常お寺は優秀な弟子が継ぐとのことだが、最近得度した孫を入れると、大寺では寺田家が祖父に始まり五代続くことになることを知る。
昨年、長老は全国真言宗智山派のトップの位である管長と総本山智積院(ちしゃくいん・京都市東山区)の
住職にあたる第70世化主(けしゅ)に就任して、京都詰め生活である。
かくして、大寺は沼の誇りという訳である。
寺田住職夫妻 : 寺田さんは住職、大学教授、区長の三つの顔を持つ。奥様は有能な秘書役を兼ねる。
本堂では副住職の許可を得て、観音様の写真を撮る。観音様の指には五色の糸が結ばれていた。
大寺のご本尊は不動明王とのことだが、この日は本堂裏手の高台にある観音堂より運ばれた千手観音が
不動明王の前に鎮座していた。
続いて、私とごっさんの妻MASAKOさんは、境内を巡ることになった。
私のガイドにMASAKOさんは、しきりに感心していたが、実は住職の受売りである。
山門には三富山(みとみさん)の山号が、さとみ(里見)とも読める : 時の権力者におもねって付けた山号と住職は言う。総寺院略記には戦国時代里見義康公より朱印十石を賜り、里見氏の祈願寺となり山号も里見にならい三富山とも称したとある。
山門をくぐり振り返ったり、鐘楼の遠景に目をやると館山城が見える。里見氏の祈願寺を彷彿させる。
鐘楼から館山城を望む : 鐘楼そばには梅やモクゲンジがあり、開花時は
格好の写真スポットとなる。
客殿前にはシンボルツリーの夫婦クスノキがそびえ立つ。樹齢400年の巨木である。
客殿と本殿を結ぶ回廊そばには、北限域のナギの木が立つ。木肌はやや紫色を帯びている。
以前、住職は葉は葉脈に沿ってでないと切れないと見せてくれたが、私は房日新聞の頼朝ハイキングの
記事の中で見つけた話をした。
「ナギの葉は表も裏も同じようなつくり、これから裏表のない夫婦生活が送れるという、まじないになった。
源頼朝と北条政子もナギの葉を2人で1枚ずつ持ってお守りにしていたという。」
この話に住職は「こぇ~(怖い)、こぇ~、話だ」と言った。
ナギの木 : 葉は裏表のない夫婦生活が送れるというお守りになる。
回廊をくぐり抜けた所で、この日下働きに徹していると言う住職の妻MITIKOさんが現れ、ガイド役を替わった。大寺の特徴は、お参りに来てもお墓が見えないことである。
住職の説明では、いざ出陣と気勢をあげる時、墓のそばでは縁起が悪いとのことで、墓は本堂裏手奥の
高台にあるのだと言う。
突き当たりに墓が現れ、寺族墓地とあった。墓は二つ、長老と奥方のものだと言う。
お坊さんは、夫婦で一つの墓に入れないとの説明に、いやはや厳しい世界だと驚く。
寺族墓地と永代合祀墓清浄苑 : お坊さんは夫婦で一つの墓に入れないと言う。
寺族墓地を左に進むと歴代住職の墓がずらっと並ぶ。さらにその先には鎌倉時代の僧侶や武士の墓や
供養施設といわれるやぐらがあった。さすが古刹の光景である。
寺族墓地を右に進み、大輪の花が咲くという椿並木の坂を上るとおびただしい数の墓が現れた。
檀家の人々の墓地である。そこには観音堂が建ち、鏡ヶ浦(館山湾)が見渡せる。
墓地を下りて、MITIKOさんのガイドは終わった。
後日、写真を差し上げた折、「夫婦クスノキやナギの木に守られている二人でも、一つの墓には入れない
のだから、こぇ~、こぇ~話だなどと言わずに仲よく暮らすべし」と、私は恐れ多くも住職夫妻に説教を申し上げた。 o(^▽^)o (^▽^;)
吉保八幡神社の流鏑馬
9月30日(日)、台風が接近する中、鴨川市の吉保八幡神社では、祭礼神事として流鏑馬が執り行われた。「遊子の会」は、主宰者YUさんの呼び掛けに10名が集まり、お祭りで賑わう吉保八幡(きっぽうはちまん)神社と神殿前の馬場で繰り広げられた流鏑馬神事を見学した。
吉保八幡神社の流鏑馬は、神社近くに設けられた長さ約220mの直線馬場と並行に、5mほどの高さに、70m間隔で3つの的を設置。1番的を早稲(わせ)2番的を中稲(なかて)3番的を晩稲(おくて)と定め、疾走する馬上から3回ずつ、18m先の的をめがけ、計9本の矢を放ち、来年の稲作のできを占う神事である、(房日新聞より)
馬場の終点と直角方向の田んぼの土手に陣取った我々は、先ず吉保八幡神社に参拝する。
境内には宮入りした神輿が並んでいた。
少しして、流鏑馬神事の一行が次々と参拝するかの如く現れた。
馬(ステファン号)と射手 私の問い掛けにステファニー号などといい加減なことを言った人あり。
一行の最後尾は派手に飾られた山車が続いた。(宮入りはなし)
田んぼの土手に座り、流鏑馬の開始を待つも中々始まらない。台風が接近して、いつ雨が降ってもおかしくない空模様というのに、田舎らしく至ってのんびりである。
やっと始まった。我々の場所からは晩稲(おくて)を意味する3番的が良く見えるのだが、射手は何と手で
矢を放り投げた。そんな馬鹿な、と思っていたら、それは感触を確かめる為のリハーサルの様なもので
ホットする。
本番1走目、3番的には弓の構えが遅れたようでハズレ。
2走目、大粒の雨が降って来て、やはりハズレ。
大粒の雨で退避せざるをえなくなり馬場の出発点に来た時、雨は小降りとなり3走目が再開されることになった。塩で清められた出発点をステファン号は3回ほどぐるっと回った後、気合を入れた射手と共に勢いよく
飛び出して行った。それは、遠くで見ていたのと違い中々迫力があった。
しかし、的には当たらず3番的では矢を落としたように見えた。
一週間精進潔斎してこの場に臨むという射手は、3番的ともなるとスタミナ切れなのであろうか。
ということは、写真を撮るには中稲(なかて)を意味する2番的辺りで、カメラを構えるのが良いのかな、と思う。
結局、この日は1回も当たらず、占いはどうなるのかなぁ~、と思っていたら、後日の房日新聞に1走目で
2番的に当て「来年の作柄は、中稲が豊作」との託宣が下った、と載った。
沖ノ島シュノーケリング
今年の夏は「遊子の会」の仲間と毎週のようにシュノーケリングを楽しんだ。
ここでは沖ノ島(館山市)での模様を書き留めておく。
沖ノ島東側
梅雨明けの翌日の7月18日(水)、ビーチ王子と今年初めてのシュノーケリングを楽しむ。
この日は晴れで大潮の干潮時にぶつかり、浅くなった透明度抜群の岩浜で、いとも簡単に多くの魚を
観察することが出来た。
ソラスズメダイ、カゴカキダイ、オヤビッチャ、チョウチョウウオの熱帯魚四点セットの他にタカノハダイ、
ベラ(ニシキベラ、キュウセン)、キヌバリ、ハコフグ、釣りの対象魚であるメバルやカサゴ・・・等に出合う。
でっかい魚ではマダイが悠々と泳ぎ去って行った。
岩浜から少し海岸通り寄りに移動したらアマモ場に出くわした。こりゃ~、海の畑だ~!!と思った。
沖ノ島と言えば、今までいい思いをしたことがなかったが、この日は感動した。
しかし、ビーチ王子が昨年何度も見たと言うツノダシには出合えなかった。
ここは、北限域のサンゴが見られる場所でもあり、初心者でも楽しめるお勧めのスポットである。
沖ノ島一周
昨年、Tさん(74歳ご婦人)より提案のあった沖ノ島一周を、私(68歳)とビーチ王子(63歳)の三人が
挑戦することになった。
最近、腰・肩・首がガタついて来て、やるなら今年しかない、という気持ちになっていた私は、ことある時に
備えてカヌーでの伴槽(監視役)をKさんに、そして陸からの写真係をYUさんにお願いした。
8月10日(金)、7時30分に集合した我々は東側(写真ー9)よりスタート。
小潮の上げ潮時の穏やかな海を、4回程(15分に1回)休憩を取りながら、約1時間程で一周を達成する
ことが出来た。
終わってみれば、挑戦などと意気込む程のことではなかったが、皆それぞれに自信を付け良き思い出
づくりになったのではあるまいか。
協力頂いたKさん、YUさん、ありがとうございました。
以下にこの日の模様を写真で紹介しよう。
写真ー7 西側 戦争遺跡のトンネルを出て西岬を望む 8時24分
南側では宇賀明神に海から参拝。Tさん、身体が引っ張られる思いをしたと話す。(潮の流れか?)
写真ー9 東側 無事一周を達成し出発点(島の右端)を振り返る 9時10分
沖ノ島西側
くもりで時々晴れ間がのぞく天候の9月3日(月)、大潮の下げ潮時に沖ノ島一周時より少し沖に出て
シュノーケリングを楽しむ。
参加者は、ビーチ王子夫婦、Tさんと友人のAさん、マジックのMさん、そして私の計6名。
前日の雨で濁りが心配されたが、全く問題なしの透明度の中、魚の通り道や海の庭かと思わせる変化に
富んだ海底で熱帯魚や釣り対象魚が見られ、シュノーケリングの醍醐味を十分に満喫することが出来た。
他の場所と違うのは、ソラスズメダイが随所に密集して見られ、カゴカキダイやチョウチョウウオのサイズが大で、タカノハダイに至ってはジャンボサイズである。ニシキベラの群舞が見られ、東側のメバルに替わってカサゴを認め、良型のカワハギに何度も出合ったことであろう。
また、時折り日差しが海中に差し込むと何とも言えない神秘的な光景が広がる。
ここは、今まで私が経験したシュノーケリングスポットの中では最高級で、ビーチ王子が通い詰めるのも
納得出来るというものである。
故に、シュノーケリング経験者にお勧めのスポットである。
稲刈り体験
残暑厳しい日々が続く中、野菜の伝道師ごっさん(区長代理)の田んぼでは、8月28日から9月1日に
かけて、稲刈り~掛け干し~脱穀が行われた。
私は、昨年写真を撮らせてもらったが、今年は手伝いの形で一連の作業を体験させてもらった。
稲刈りの前日、私は自宅から歩いて2分のごっさんの田んぼの写真を撮りに行った。
途中、台風が来た訳でもないのに、稲が倒れている田んぼがあった。
原因は、あまりにも雨が降らないから、また肥料が適切でない(やり過ぎ等)から、という話を聞いた。
ごっさんの田んぼは、稲がスッと立ち、そこには実りの黄金色の光景が広がっていた。
28日(火)早朝、私は麦わら帽子と長靴と首にタオルをかけた野良仕事スタイルで田んぼに向った。
稲刈りは午前中朝食を挟んで2回行われた。
1回目、私はごっさんの運転する稲刈り機のそばに立ち、取りこぼしの稲を刈ったり、ターンする際に運転しやすいように刈り取られた稲の束を移動したりした。
しばらくして、運転してみるかい、と言われ、私は初めて稲刈り機を運転した。
刈り取られた稲は、即結束されて機械の脇に放り出される。ごっさんに比べて取りこぼしが多い。真っすぐに歩いていない証拠である。しかし、何回か行ったり来たりする内に取りこぼしが減って来た。
何事も経験が第一である。
2回目は、もう一区画の田んぼに移り、稲刈り機の運転は、田んぼを任されているSANADAさんに代わった。夏の日差しは益々厳しくなり、私はタオルで汗をぬぐいながら、1回目と同様に稲刈り機のそばに立ち
お手伝いをする。
途中、ごっさんの妻MASAKOさん(私の妻とは同級生)は、休憩の指示を出し、冷たい飲み物や氷アイスを勧める。このところ、口にしていなかった氷アイスがやけに美味しかった。
こうして、午前中で二区画の稲刈りは済となった。
午後からは掛け干しである。私は15時頃田んぼに向ったが、作業は既に始まっていた。
雨が降らず硬くなった田んぼに、ごっさんは支柱を立てるのに難儀したようである。
MASAKOさんに支柱への掛け方を尋ねると、交互に少し傾けて掛けると良い、と言う。
やってみると確かに稲の束が密着して沢山掛けられる。
少しして、私の妻もやって来た。結局総勢5名での賑やかな掛け干しとなった。
私のケイタイが鳴った。区長からの特別回覧をポストに入れておきました、との連絡である。
私は今、ごっさんの田んぼで稲刈り体験をしているところで、十分戦力になっています、と答えたら、皆がどっと笑った。すぐに区長はやって来て、楽しげですね、とねぎらいの言葉を掛ける。
私のへらず口に、MASAKOさんは、こんな楽しい稲刈りは初めてだわ、と言う。変な事で感謝されるものである。そして、一区画の掛け干しは済となった。
翌日の29日(水)は、朝食後にもう一区画の掛け干し作業を手伝う。
前日もそうであったが、同時に落ち穂拾いと称して田んぼの中を歩き回り、稲穂を拾っては掛け干しの稲の束に刺して行った。何時の間にか素直にお米を大事にする気持ちになるから不思議である。
午前中に作業は終り、私はシャワーを浴びさっぱりしてからビールの昼食を取った。汗をかいた後のビールは格別だ。
雨が降りそうだからと、脱穀は9月1日(土)に行われた。
ごっさんが運転する脱穀機のそばに立ち、私は支柱から稲の束をはずして脱穀機の台座に置く。
SANADAさんがそれを脱穀機に投入する。するとお米は袋に詰められ、稲わらは結束されてはじかれる。袋が一杯になると、ごっさんが口を閉じて機械からはずす。
この作業ではモミガラが飛散するのでマスク着用である。ただでさえ暑いのになおさらだ。
そして、みるみる稲の切り株だらけの田んぼは、裸の支柱と白いお米の袋と稲わらが点々と置かれた光景
へと変わって行った。
続いて作業は、MASAKOさんと息子さんも加わって、支柱のかたずけからお米の袋の運搬へと移った。
大方の作業は午前中で終わった。私が家に戻りシャワーを浴びてくつろいでいると、MASAKOさんが
出前のお寿司を届けに来る。そして、ビールとお寿司の贅沢な昼食を取る。
昼寝から目覚めた夕方、田んぼから戻ったごっさんの家族が、今度は稲わらをドサッと届けに来て、私共の手伝いに対して丁寧にお礼を言う。さらに、新米を楽しみにしていて下さい、と言う。
本当に役に立ったか疑問なのに、ごっさん夫婦の律儀さには恐れ入るばかりである。
夜には、久し振りに雨が降った。
9月3日(月)、ごっさん夫婦が新米を持ってやって来た。
はずむ話の中で、新米はぜひお寿司にして食べてくれ、と言う。
そこで、妻はマグロづくしのにぎり寿司を作った。
お米は真っ白でねばりと甘味があり、それは今までに食べたことがない程の美味しさであった。
魚釣りと同様に、稲刈りに参加したことが、2倍の美味さを生んだのではあるまいか。
かくして、恐縮至極の稲刈り体験は終わったのである。
納涼祭
8月最後の日曜日である26日、私の住む岡沼区(館山市)では、青友会と子供会のお骨折りで納涼祭が
執り行われた。私は三役の一人として招待され、夕涼みがてら妻と一緒に出席した。
会場の農家組合集会所に着くと、プログラムと団扇を渡される。
それによると、今年は第26回目だという。今節、他の地区でこのような催しの話を聞かない中、たいしたものである。区長の言う「人材豊富」の故であろうか。
平成24年 第26回 沼区納涼祭プログラム
18:30 開会
青友会長挨拶
来賓挨拶
司会、踊り、売り場紹介
18:50 第1回踊り
19:20 スイカ割り
ラムネ早飲み競争
19:50 ビンゴ大会
20:20 第2回踊り
20:50 菓子投げ
21:00 閉会
来賓として挨拶に立った区長は次のようなことを話された。
「・・・・・ふるさとは山や川があるだけでは駄目なのです。人と人とのつながりがあることが大事で、こうして皆さんが集い親睦を深めることは、先の東日本大震災の教訓にあるように、災害時には有効な力となるでありましょう・・・・・」
けだし、同感である。
私は第1回踊りの終わるまで、売り場や踊りの写真を撮った。
売り場は子供達にとって、夏休みの良き思い出になったことであろう。
踊りの写真は、私としては最善の条件をセットしたが、残念ながら失敗に終わった。
それから、集会所の中に入り、他の招待客と共に若者達から飲物や軽食のおもてなしを受け懇談する。
三役の奥方も席に着き、花を添える。
外では、多くの子供達が集い、踊りの輪も大きく膨らんでいる。
裏方に徹し汗をかく若者達や元気な子供達を見ると、頼もしい限りだ、と思った。
仁右衛門島に遊ぶ
立秋の8月7日(火)、「遊子の会」は主宰者YUさんの呼び掛けで、8名が参加して、シュノーケリングを
目的に仁右衛門島を訪れた。
仁右衛門島は周囲4km、太海海岸(鴨川市)に浮ぶ平野仁右衛門(38代目)所有の島である。
風光の美しさと源頼朝や日蓮聖人の伝説で知られ、多くの歌人が句を詠んだ石碑が至る所にあるという。
一説によると、1180年石橋山の戦に敗れた源頼朝が安房に逃れて来た際に現当主の先祖がこの島に
かくまったことから、そのお礼としてこの島を与えられたともいわれている。
我々は手漕ぎの小舟に乗り島に渡ってから、先ず平野仁右衛門の居宅を訪れる。
池のある奥庭に面した部屋には源頼朝の肖像画が掛けられてあった。
住まいは沖縄を連想させるたたずまいである。
それから、シュノーケリングの目的地である東側の磯に向う。
我々が陣取った場所の近くには、日蓮聖人が旭を拝した所といわれる神楽岩や頼朝が夜襲を避けて
身を潜めたと伝えられる洞窟があった。
源頼朝かくれあな
我々は写真の手前左側で魚を観察したが、カゴカキダイとベラやフグが多く見られた。
このワンド(入江)の入口は、台風の影響か、断続的に大きな波が押し寄せ白波が立った。
私は、泳ぎに問題がありそうなMさん、Oさん、KANさんの三人組(いずれも魅力的なミセス)の行動を
マークしていた。
すると、浮輪をつけたMさんが、ここいいよ、と私を呼んだ。
少しして大きな波が押し寄せ、二人は波に翻弄される羽目になった。私は必死にMさんのお尻を押して
何とか安全地帯へ戻した。波静かな所だったらセクハラであろう。
昼食時、私が怖かったなぁ~、と言ったら、Mさんは女は度胸!!、と言った。
昼食後は舟着場のある西側で魚を観察することになった。そこは潮が引き波もおさまり、プールのようであった。
透明度の良い浅場でソラスズメダイ、オヤビッチャ、カゴカキダイやイワシの群れが見られ、皆が楽しむことが出来た。また、テトラ周りでメジナも見られた。
さて、三人組であるが、ここでは全く心配なし。ライフジャケット着用のOさんは、しきりに岩のへちを探り
貝を採っている。上手いものである、磯玉や尻高玉であろうか、ビニール袋にはかなりの数が入っていた。
残る一人KANさんは、波乗りボード(?)持参である。
そこで、最後に私はリラックスタイムと名付けて、一人ずつ押してやった。お尻じゃないよ(-^□^-)
スーッと進むと気持ちの良いものである。ミセスはご満悦の様。
海から上がり、シャワーを浴びさっぱりしたところで、スイカを食す。
これ、最終待ち合わせ場所であったKさん宅近くのスーパートキワヤで、皆で200円ずつ出し合って買った
ものだが、一人ずつの食い扶持がドデカク、しかも大変甘かったのは何とも贅沢であった。
手漕ぎ舟を降りて車に乗る前に、我々は江澤館に立ち寄った。
我々が見た波太海岸の磯風景は、「西の波切(なぎり)に東の波太(なぶと)」と呼ばれ画家たちのメッカに
なっていて、画家ゆかりの宿が江澤館なのだという。
ロビーから二階お座敷ギャラリーには所狭しと記念の色紙絵が展示されていた。
そして、四階の安井曾太郎「外房風景」の画室を当主に案内してもらえたのはラッキーであった。
仁右衛門島の磯遊びは、これで終りではなかった。
私の車が置いてあるKさん宅に着いたところ、奥さんと娘さんが待ち構えていて、庭でトコロテンパーティーとなった。トコロテンは、先日シュノーケリングで訪れた洲崎栄の浦の浜辺で拾ったテングサで奥さんが
作ったものだという。
Kさんの仁右衛門島でのパラソルの設置や暖かい紅茶のサービスに加えてのおもてなしには恐縮至極である。
「遊子の会」イワシつり~暑気払い
梅雨があけた7月19日(木)、「遊子の会」は館山港耐震岸壁でサビキのイワシつりに興じた後、
カラオケ喫茶「幸」で暑気払いの懇親会を開き、愉快な一時を過した。
イワシつり
「遊子の会」主宰者YUさんから堤防釣りを要請された世話役のインストラクターは、今までどこもパット
しない中、サビキのイワシつりに決めた。
釣り初心者だらけの会員に、ともかく釣れるものを、との思惑からである。
しかし、釣れてるよぉ~、との情報に、浜田堤防での試し釣りはトウゴロウイワシがポツポツの有様。
そこで、近場のファミリーに最適な館山港耐震岸壁でコマセをまきながら何とか釣らせようということに
なった。そこは、例年7月後半からソーダガツオつりで大賑わいとなるところである。
本番の日がやって来た。私を含めた4人の紳士(インストラクター)は、15時30分に集合して、仕掛けを
セットして竿を並べ皆を待った。
大潮の満潮を控えた岸壁は、少し風があり波立っていた。三々五々会員がやって来て釣り始める。
マジックが得意なMさんは、ビットに座り次々とウルメイワシを釣り上げる。
インストラクターは魚をはずしコマセをまく。まさに大名釣り。
艶歌の女王KANさんは、竿を横(左右)に動かして誘っている??
それでもビビット来る感触がいいわねぇ~、とのたまう。
ベテランのKONさんは、釣る気満々。そこで釣果倍増を期して、私はスピード餌つけ器にコマセを詰めて
渡す。するとビーチ王子がトリック針を用意した。即ち、サビキの針に餌(コマセ)を付けて釣らせようとしたのである。しかし、倍増の話は聞かない。
釣れた!釣れた!との歓声の中、YUさんと長男のTAROUさんが現れる。
TAROUさんは、ソウル駐在の商社マンで、先般「遊子の会」がソウルを旅した時、大変お世話になった
人である。この人が来るとソーダガツオが釣れることになっている。今年はそのTAROU神話は崩れたが、代わりに長竿で一人サバゴを次々と釣り上げる。
私の持ち場と反対側で、私が種や苗をもらうMさんやKATUKOさん(Kさんの妻)が、アジが釣れたと叫ぶ。ビーチ王子が底もねらってみるようにと勧めたお陰のようである。
かくして、前日の偵察がうそのように釣れ、これから佳境に入ると思われた17時過ぎ、YUさんから暑気払いは18時からとのことで終了が告げられた。
後日、N子さんよりメールで写真が送られて来たので、その一部を載せよう。
Kさんのクーラーにおさまった魚(ウルメイワシ、サバゴ、アジ)は50匹超。
暑気払い
暑気払いは、イワシつりに参加した13名に暑気払いのみ参加の6名が加わって、18時過ぎからカラオケ
喫茶「幸」で行われた。
作曲家四方章人のピ-スサイン姿の特大写真が目立つ店内には3台のテレビとひな壇があった。
ここを貸し切った我々は食事の後、カラオケに興じたのである。
「遊子の会」のコ(古)ギャル達には、実に歌の上手な人が多い。
そんな中で、この日はマジックのMさんや誕生月のSINTIYOさん(ビーチ王子の妻)が登壇デビューを果たした。だいぶ練習したね、との私の呼び掛けにSINTIYOさんはえ~毎日、と応じた。
そこで、私は若いSINTIYOさんの誕生祝いに加山雄三の「僕の妹に」を歌った。
圧巻はYUさんファミリーであろう。
YUさんは、石原裕次郎を歌う。ムードたっぷりで誰もが認める上手さだ。
息子TAROUさんは、高齢者の我々に合わせたかのように「氷雨」を声量たっぷりに力強く歌う。
N子さん(YUさんの妻)は、秋元順子の「愛のままで」を情感たっぷりに歌う。
この人、かつては皆の前では歌わなかった。それが正確な歌い方でデビューするや、今や聞かせる程の
上達ぶりで、この日はジェスチャー入りである。
TAROUさんは、こんな母親の姿を見たのは始めてです、と驚く。
会心の出来だったのであろう、下壇するや母と息子はハイタッチ。
店内に幸せ家族のほほえましい光景が広がった。
宴も終わりに近づき、盛り上げソングのコーナーとなり、「きよしのズンドコ~これから音頭」で盛り上がり、
しめは恒例の「星影のワルツ」を皆で歌いお開きとなった。
21時を回ったであろうか、店を出たら、ひやっとする夜風がやけに心地良かった。
思惑はずれのイサキつり
「遊子の会」の釣り会では、ひたすら世話役に徹している皆自称インストラクターの三人が、イサキの
船釣りに行こうという話になった。
釣行日は6月19日(火)、船宿は洲崎早川丸と決まったが、何せ私は5年ぶり他の二人も同様で遠い昔に
行ったきりだと言う。
そこで、我々は釣行前にカラオケ・シダックスで釣具と釣り方について話し合い、めいめい準備にとりかかったのである。
リールを点検するとクラッチが動かない、こりゃあ~まずいことになった。 ( ̄□ ̄;)!!
すると、SIGEさんが余分にあるリールを貸してくれると言う。 (*^o^*)
私が代表で船宿に予約を入れると、5年前はアンドンビシ60号と3mの3本針仕掛けの使用であったが、
今はサニービシ60号FLに統一していると言われる。 ((>д<))
やむなく釣具店に行き、サニービシ60号FLを買い求め、全ての準備を終えて釣行日を待った。
ところが、釣行前日船宿から、台風4号接近に備えて船を避難するので出船中止との連絡が入る。
久し振りの釣行に入れ込んでいたので肩透かしを食った気分になる。 (´_`。)
我々は、再度話し合い釣行日は2週間後の7月3日(火)となったのであった。
ついに、イサキつりの日がやって来た。
3時30分に家を出て、途中SIGEさんを拾い、4時に船宿に入る。
もう受付を待つ釣り客で一杯である。少ししてKさんもやって来た。
港は洲崎灯台が見える栄の浦漁港。早川丸は盛況で大型船二艘での出船である。
我々の船には片舷4名ずつの計8名が乗り込む。
左舷大ドモから私・Kさん・SIGEさんが並ぶ。大型船なので釣り座は広くゆったりと釣りが出来そうだ。
5時過ぎに出港。くもり空の下、航程10分足らずの場所で釣りがスタートする。
この日の海はナギ、大潮で満潮3時07分干潮10時18分。期待が膨らむ。
イサキはタナを釣れといわれる位、タナどりが重要である。
私は糸のマークを見ながら仕掛けを船長の指示ダナまで下ろした後、さらに仕掛け分(3m)下ろしてから
コマセを振り、船長の指示ダナに戻してアタリを待った。
すると、少ししてククッと魚信、小気味のいいイサキの引きを感じながらリールを巻き、船の中へ取り込む。大海原の中、無心での魚とのやりとりは実に楽しい!!
船長の指示ダナは30m前後が多かったが、この日はイサキの食いが悪く船は走り回り指示ダナもめまぐるしく変わった。
私のハイライトは8時前にやって来た。今日は駄目だなぁ~、と思っていたら2回もトリプルで来たのである。しかし、この時点での釣果は10匹を少し超えた程度で目標の30匹は難しくなった。
その後、アタリは遠のき釣れない時間が過ぎて行く。
終わり頃になって、タナ11mの浅場で食いが立った。良型が明快なアタリと強い引きで竿を絞り込む。
やっと、イサキつりの醍醐味を味わうことが出来た。
ここで、4匹ゲットする。その内2匹は置き竿でダブルでヒットする。
私は、終始手持ちの立った姿勢での釣りであったが、置き竿ダブルヒットは、東京の娘からケイタイが入り
、離乳食を始めて便秘になっていた初孫るいちゃんが、やっと出たからとの連絡があった時である。
いやはや、変な事が福を呼ぶものである。
そして、11時40分に沖上がり。結局私の釣果は20~26cmのイサキが17匹となった。
型も小ぶりが混じり30匹の目標も大きく下回ってしまった。不満である!!
さて、隣の席のKさんは、いつものフェルト帽をかぶり、海が穏やかだからと、終始置き竿で悠然と構えての釣りである。目標はツヌケ(10匹)と控え目なことを言っていたが、間断なく釣り上げて20匹ゲットし、
満足されたようである。
さらに隣の席のSIGEさんは、最初苦戦していた。タナをデジタルのメーター計で取っていたようである。
船長は糸で取れ、と言う。
しかし、SIGEさんはメーター計にこだわる。何せ最新の電動リールだから。
操舵室の真下がSIGEさんの席ということもあって、ついに船長の房州弁の熱血指導を受ける羽目になった。そのやりとりは、これから1年は持つであろう程の話の種となった。
でも、タナ11mの浅場で38cmのメジナを釣り上げたのはさすがである。
結局SIGEさんの釣果は12匹となった。
目標は船中の竿頭だったそうだが、船長が聞いたら何と言ったであろうか。
家に戻り、ブログ用に写真を撮っていると予報はずれの雨が降って来た。
田舎暮らしでは、旬の食材をドサッと貰うことが多い。
故に、私は得意気に友人等に型の良いイサキを家族分届けることを目論んでいた。
しかし、思うように釣れなかったので、「・・・・・・さんとこへ持って行くのは止めようかなぁ~」と言うと、
パート出勤前の我家の猛犬(妻)が吠えた。「あんたは、魚くらいしか上げるものがないでしょう」
さらに追い討ちをかけるように言った。「大きいのを持って行くのよぉ~」
あ~、俺の食いぶちが・・・・・・・・・・。
夕方、北条海岸の友人に届けた帰りには、雨はどしゃぶりとなった。
かくして、思惑はずれのイサキつりの一日は終わったのである。
るいちゃんと離乳食
生後6ヶ月を過ぎた初孫るいちゃん(女の子)が、梅雨の真っただ中の6月11日(月)~25日(月)まで、
2週間程館山で過した。
知恵がついたのであろうか、ひとみずするようになったが、馴れるに従い顔をあわせるとにっこり笑う。
目がいいと言うか、庭や畑の私を見てにっこりする。
厨房が好きで、ババちゃんのしぐさを興味津々の面持ちでじっと見つめる。
あやし名人のババちゃんの「大きな栗の木の下で・・・・・・・♪」のオーバーアクションの歌に手足をバタバタさせ声を出して笑う。
かくのごとく可愛さを増したるいちゃんだが、ご機嫌ななめで泣き止まず、ジジババが困惑する時は、母親(娘)の登場でケロットする。
でそんかみの母親のお陰で、よく私の車に乗って出掛けた。
買物以外でも、三芳ひなの里~日運寺のアジサイ、レストラン・セントシュバインに立ち寄り断られて一粒の麦で外食、高校カッター関東・東海大会見学などである。
どれも関心がある訳がなく、車の中で熟睡である。
離乳食を大人が二人がかりで食べさせる。すぐに飽きるので、あやしながら立ち食いで口の中に入れたりする。その結果は、今までうんこったれしっこったれと言われていたのが便秘となった。
歯がはえてきて、ペットボトルの蓋で牙(歯)を磨ぐ。母は蚊を見つけると興奮して殺し屋となる。
恐ろしい母子である。
こだわりの母親は、ネットで昔懐かしいカヤを買った。
かくして、るいちゃんの寝室はエアコンとカヤ付きとなった。
まだ少ししか座っていられない。
抱き癖が付いて、大きな声を出したり泣いたりして、だっこしてくれるよう訴える。
6ヶ月ともなると、かなり重いので、東京へ帰る頃には、私は腰に疲れを覚えたのであった。
高校カッター 関東・東海大会
6月23日(土)、全国水産・海洋高校のカッターレース大会の出場をかけた「関東・東海地区代表選考会」が館山港で行われた。
会場は自宅から車で5分、これからソーダガツオ釣りで大賑わいとなる館山港耐震岸壁である。
この大会を房日新聞で知った私は、9時半からの予選の第一レースに間に合うように家を出た。
岸壁は梅雨空で肌寒かったが、円陣を組み気合を入れる高校生で活気に満ちていた。
参加校は6校で、500m折り返しの1000mのコースでタイムを競い合い、上位4校が全国大会の出場権を得るという。
私のお目当ては、地元の県立館山総合高校と国立館山海上技術学校である。
第一レースが始まった。館山総合対都立大島国際海洋高校である。
私は堤防での釣りの際、館山海上の生徒のカッター訓練をよく目にしていたが、レースともなると迫力たっぷりである。
勝負は終始リードした館山総合が勝つ。レースが終り先に岸壁に上がった館山総合の生徒は、整列して
大島海洋のカッターを拍手で迎えてから海に向って一礼してその場を離れた。
何とも気持ちの良い光景である。
カッターを漕ぐということは、並大抵のことではないことを私は知っている。
かつて、千葉市在住の頃、稲毛ヨットハーバーのマリンフェスティバルでカッター漕艇体験会に参加して漕いだことがある。海洋少年団の手助けで舟は何とか進んだが、何せオールは長くて重い。
10回も漕げば休憩が必要となった。
第二レース スタート地点に向う焼津水産 オールは長くて重い 艇指揮や艇長は女生徒が多い
第二レースは静岡県立焼津水産高校対愛知県立三谷水産高校で、焼津水産が勝つ。
第三レースは地元同士の対戦となった。即ち館山総合対館山海上である。
スタート地点に向うウォーミングアップと思われる館山海上の漕ぎっぷりを見て、私はど素人ながら館山総合危うしと思った。
レースの結果は、折り返し点(築港)で館山海上が少し早く回り、白熱したレースとなったが、僅かな差で
館山海上が逃げ切った。
私は兄や弟の出身高校である館山総合(旧安房水産高校)を密かに応援していたので残念に思った。
里帰りのでそんかみの娘母子も同行したが、第一レース後肌寒いので車で待機することになった6ヶ月の初孫が飽きてしまったというので家に戻った。
しかし、その後の結果が気になる私は、15時10分からの決勝に間に合うように、今度は一人で家を出た。
岸壁に着くと何やら様子がおかしい・・・・・・・・。何ということかレースは終わっていたのである・・・・・・・。
前の区長や会計係も来ていて、同じく嘆いていた。うらめしや房日新聞である。
気を取り直してレース結果を見に行った。 館山総合優勝とある ???
よく見ると顛末は次のようであった。
予選の結果は1位館山海上、2位焼津水産、3位館山総合、4位大島海洋。
準決勝で館山海上が大島海洋を、館山総合が焼津水産を破り、決勝で館山総合が館山海上を破ったとある。即ち、館山総合の大逆転の優勝という訳である。
さぞかし、感動的であったであろう。
全国大会での健闘を祈る !!

























































