ガーデニング~2011.4
4月の新年度を迎え、私は請われて区の三役の一つである会計係となった。
いよいよ地域の方々とのより密接なお付き合いがスタートしたのである。
この記事は、区の収入源である区費の処理が一段落した4月最後の週のことである。
庭仕事
柿の木が芽吹きから若葉となり、実に綺麗である。生い茂る前のこの光景が、私は好きである。
昨年の猛暑を日陰で乗り切ったミヤコワスレを、目立つように柿の木の根元に移しておいたところ、今年は綺麗に咲いてくれた。また、耕作を放棄した田んぼの端に生えていたアジュガを、裏庭に雑草対策のつもりで植えて
おいたところ、見事に咲いた。共に嬉しいことである。
若葉の柿の木 4月26日撮影
裏庭のアジュガ 4月26日撮影
しかし、実際の我家の庭は、白・白・白が幅を利かせている。
カモミール・ノースポール・ヤグルマソウ・ストック・アリッサム・シバザクラ・ジャーマンアイリス・スズラン・
タツナミソウがそれである。
28日(木)、雨が上がり晴れとなったが風の強い日だった。
よく花の苗や種をくれるジロエミ博士(ご婦人)が久し振りに軽自動車でやって来た。
眼が真っ赤で泣き顔である。愛犬の夢ちゃんが死んだ、と言う。
そして、火葬する前に二人で散歩した道を巡っていると言い、車の中の夢ちゃんを見てやってくれと言う。
ダンボール箱の中の夢ちゃんは、真っ白な毛並みでやけに綺麗だ。
私は、急いで庭のキンセンカとポピーを摘んでダンボール箱へ入れた。
つい最近、夢ちゃんはおしめをして自宅の庭を歩くのがやっとであった。老衰である。
ジロエミ博士は遺影に飾りたいが、どれがいいかと数枚の写真を見せた。
私は、かつてのりりしい夢ちゃんの写真を一枚選び、これならどこへ出しても恥ずかしくないよ、と言った。
すると、写真の専門家(???)が言うなら、そうすると言って立ち去ったのであった。
よく花をくれると言えば、もう一人本家のS子さんが、うちのスイートピーが綺麗に咲いたから見に来てと言う。
早速伺ったところ、垣根の前に支柱を立て、そこに様々な色のスイートピーが綺麗に咲いていた。見事である。
スイートピーと言えば、松田聖子の歌う赤とばかり思っていたので、驚きである。
種から育てたと言うので、私も来年は真似て育ててみたいと思った。
垣根前のスイートピー 5月3日撮影 鉢のスイートピー 5月3日撮影
畑仕事
自慢のスナップエンドウが生い茂り、初収穫を迎えた。今年も豊作間違いなしである。
また、畑の隅に植えておいたアスパラガス(6本)が、今年は太い茎となって次々と出現する。
両方とも、茹でてマヨネーズをつけて食べると甘くて大変美味しい。
しかし、昨年失敗した玉ネギが、近所の畑では球が地表に出て大きく育っているのに対して、私のはまだ
わずかしか地表に出ていない。
深植えが原因と言う人もいるし、種類によるから様子を見たらと言う人もいる。
ちなみに、私のは中生(なかて)であるが心配である。
仕事の方は、タネショウガを植え付け、夏野菜の苗を植える準備に汗を流した。
5月に入れば、畑は野菜で埋め尽くされることになろう。
スナップエンドウ 4月26日撮影
甲州桃源郷&信州桜一色の旅 (2)
二日目 4月14日(木)
行程
大善寺薬師堂→慈雲寺イトザクラ→光前寺しだれ桜→高遠コヒガン桜(高遠城址公園)→山高神代桜
大善寺薬師堂→慈雲寺イトザクラ
大善寺には武田氏の最後を見届けた理慶尼の記した理慶尼記(武田勝頼滅亡記ともいわれる)が保管されて
いるという。
そこで、先ず車中での主宰者YUさんによる武田勝頼の語りを書き留めておきたい。
勝頼は織田・徳川連合軍との最後の戦いを前に、築城したばかりの新府城を焼き払い、無双の要害岩殿城へ
向う。城主は小山田信茂。途中大善寺に寄り理慶尼に迎えられる。
(理慶尼:分かり易く話すYUさんによれば信玄の愛人)
しかし、小山田信茂の裏切りにより敗退。天目山にて自刃、武田家は滅亡する。
戦いが終わり、織田信長は小山田信茂を不忠者として殺害する。一方、徳川家康は勝頼の死を弔うため菩提寺として景徳院を建立する。
さて、朝食前我々は6時30分に集合して、巨大な山門をくぐり長い階段(表参道)を上り、国宝の薬師堂に入る。
ガイドをしてくれた住職によれば、平安時代初期の薬師如来像(本尊)と日光・月光菩薩像は、秘仏として国宝の
厨子の中に納められていると言う。
従って、見ることは出来ないが、厨子両脇の鎌倉時代の日光・月光菩薩像や両脇の一段上にある十二神将立像
は拝むことが出来た。
薬師堂は全てのものが重厚で歴史の重みを感じる。帰路は階段のないなだらかな坂道を下ったが、途中
質素な理慶尼の墓に出合った。
桜咲く薬師堂の表参道
国宝の薬師堂
朝食後は桜一色の旅へのスタートだ。先ずは、昨夜お菓子や漬物を差し入れてくれた手品の得意なMさんの
お姉さんの勧めで、急遽慈雲寺(甲州市塩山)のイトザクラを見学することになった。
樹齢300年というイトザクラは満開で大いに見ごたえがあった。出だしは絶好調といったところである。
慈雲寺のイトザクラ
光前寺しだれ桜→高遠コヒガン桜(高遠城址公園)
慈雲寺から戻り中央自動車道に入る。昨日は高台から見下ろした桃畑が間近に見渡すことが出来る。
実に綺麗である。八ヶ岳や甲斐駒ケ岳・鳳凰三山(南アルプス)の雄姿を堪能しながら信州に入り、しだれ桜の
光前寺(長野県駒ヶ根市)に向う。
光前寺には驚いた。しだれ桜は林立しているも全く咲いていないのである。
我々はバスから降りることなく、戻る形になるが本日のメインスポット高遠城址公園(長野県伊那市)へ向う。
私はかつてバスツアーで高遠コヒガン桜を見に高遠城址公園を訪れたことがある。
そして、大混雑と寒さの中、コヒガン桜は咲いていないという苦い思いをした。
この日は道路はすいていて観光バスに出合うこともない。さすがに城址公園の駐車場には観光バスがずらっと
並んでいたがやはり、不吉な予感は的中してしまった。
1500本もあるというコヒガン桜はどれもまだ蕾である。あ~、今回も駄目である。
また、東日本大震災の自粛ムードで売店も活気がない。我々はお花見弁当を買うにも苦労する有様だ。
この時期、行き過ぎた自粛には疑問が残る。
高遠城址公園からの眺め
車中、披露されたOさんの俳句 : 桜(はな)を待つ 木曽駒ケ岳 輝けり
高遠城址公園 桜雲橋付近
山高神代桜
山梨県に戻り、北杜市の実相寺にある日本三大桜の一つ山高神代桜へ向う。
出発前99.9%桜は満開です、と豪語していた今回も舌口調のYUさんのトーンが下がって来た。
しかし、不安は消し飛んだ。実相寺境内は満開で、実に素晴らしい景観を呈していた。
山高神代桜は樹齢2000年、日本最古最大級のエドヒガン桜で国指定の天然記念物だという。
また、日蓮聖人がこの木の衰えを見て回復を祈ったところ、再生した為「妙法桜」とも言われているという。
山高神代桜
樹齢2000年という生命力には感服するが、桜の花としては山高神代桜を取り巻く桜の方が美しい。
なお、日本三大桜のあとの二つは、三春滝桜(福島県)と根尾谷淡墨桜(岐阜県)とのことである。
実相寺の桜
かくして、甲州桃源郷&信州桜一色の旅も無事終わりとなった。
信州という言葉を削除すれば文句の付けようのない旅であった。
また、YUさんは地震のご時世に配慮して、皆を旅行災害保険に入れたが、これもまた後の語り草になることで
あろう。 おわり
甲州桃源郷&信州桜一色の旅 (1)
「遊子の会」は、4月13~14日にかけて25名が参加して、甲州桃源郷&信州桜一色の旅と題したバスツアーを
執り行った。東日本大震災による自粛ムードの中、観光バスに行き交わないという奇異な体験をするも、
天候に恵まれ残雪を頂く南アルプスや八ヶ岳・中央アルプスを仰ぎ見ながら桃や桜を愛でることが出来、
また宿坊に泊まるという思い出に残る旅となった。
一日目 4月13日(水)
行程
多摩御陵・武蔵野御陵→奥高尾「山の神」で昼食→猿橋→笹一酒造→釈迦堂遺跡博物館・桃畑眺望→
ぶどうの丘「天空の湯」入浴→大善寺宿泊
多摩御陵・武蔵野御陵
バスは中央自動車道八王子ICから八王子の町中に入る。延々と続くイチョウ並木を通り、大正天皇・皇后陛下の
お墓である多摩御陵に到着。続いて歩いて昭和天皇・皇后陛下の武蔵野御陵へと進みお参りをする。
静寂で整然とした佇まいで、ともかく広い。東京ドームの10倍の広さだという。
私は、北京郊外で見た中国皇帝の巨大な陵墓を思い出し、天皇は火葬されるのかと問うた。
主宰者YUさんの回答は、火葬はしない、また明治天皇以前の墓は京都にある、であった。
昭和天皇のお墓 昭和天皇がお気に入りだったというメタセコイヤ(曙杉)が植えられてあった。
奥高尾「山の神」での昼食→猿橋→笹一酒造
バスが御陵を後にして朝川提にさしかかった時、車中に歓声が上がる。満開の桜並木に出くわしたのである。
これからの桜一色の旅は大いに期待出来そうだな、と思う。
甲州街道を走り、昼食場所である奥高尾の「山の神」に寄る。山里の古民家の佇まいの食事処だ。
皆で予約済みの「山里の蕎麦御膳」を頂いていたところ、サービス品として牛刺しの差し入れがあった。
これが美味かった。YUさんご夫妻の下見の旅のお陰であろう。
大月市に入り、日本三大奇橋の一つ猿橋を地元ボランティアガイドの説明で見学する。
ちなみにあとの二つは、岩国の錦帯橋と徳島県の秘境の吊り橋かずら橋だと言う。
猿橋 : 橋脚を持たない詰橋
それから、手品が得意なMさんが学んだという中学校の前にある笹一酒造に立ち寄る。
笹一酒造のガイドは本名志村けんさん。例のばか殿のかつらをかぶっての案内である。
試飲サービス後、多くの会員がお土産にお酒を買った。ばか殿効果であろう。
釈迦堂遺跡博物館・桃畑眺望→ぶどうの丘「天空の湯」入浴
笹子トンネルを抜け、本日のメインスポットである甲州桃源郷に向う。
YUさんのねらいは、桃畑の高台にある釈迦堂遺跡博物館(笛吹市一宮町)前から桃源郷を眺めようというのである。先ずは博物館に入る。そこは縄文土器・土偶など5599点もの国重要文化財を所蔵し、縄文の息吹に出会えるところだ。
さて、博物館の入口周辺は桜やハナモモが咲き、実に綺麗だ。
しかし、博物館前に広がる桃源郷は、逆光と時が16時前ということもあって、かすみに包まれていた。
即ち、博物館で貰った絵はがきのような残雪の南アルプスの下に広がる濃いピンクの桃畑の眺めは無かったのである。
釈迦堂遺跡博物館入口周辺
釈迦堂遺跡博物館前からの桃源郷の眺望
宿に入る前に勝沼町(甲州市)のぶどう郷へと向い、ぶどう畑の中の小高い丘に建つ「ぶどうの丘」に立ち寄る。
そして、そこの観光施設の一つである「天空の湯」で温泉入浴としゃれた。
露天風呂からのぶどう郷の眺めもまたこの地ならではのものであった。
温泉につかりさっぱりした頃、甲府盆地は夕暮れ時となった。
詩吟も得意なYUさんは、ここで武田節を披露する。甲斐の山々陽に映えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさにどんぴしゃりの憎いばかりのパフォーマンスであった。
大善寺宿泊 (甲州市勝沼町)
大善寺は真言宗智山派の古刹であるが、他にも様々な顔を持つ。
一つ目は国宝の寺。本堂である薬師堂とその中にある厨子が国宝である。
二つ目はぶどう栽培発祥の地としてのぶどう寺。ぶどう棚がある。
三つ目は史蹟ワイン民宿。ワインが用意されている民宿を営む。
宿泊客は「遊子の会」のみである。そこで夕食後、弁財天が安置された大広間で懇談することになった。
その中で、SIGEさんご夫妻から献体という衝撃的な話が飛び出した。
再びのめぐりあい(?)で、70才を超えてから再婚されたご夫妻はペナンで5年間程新婚生活を送った後、
館山市に居を構えた。そして今、いかに生きるか~いかに死すかを話し合い、千葉大医学部への献体を決められたようである。
奥様は、私達には子供がいないから、とさらりと言っておられたが、館山市の健康保険証の裏面の臓器提供
意思表示欄にNOと印した私とは大きな違いである。
この旅で、某藩主の末裔と明かされたSIGEさんのやることはすごい!!
釣りでご一緒する時など、SIGEちゃんなどと言っている私は、世が世であれば、とっくに打ち首にされている
ところであった。 つづく
身近な桜
4月10日(土)~11日(日)にかけて、私はかねてから目を付けておいた桜を撮りに出掛けた。
それは、我家から歩いてでも行ける場所にある。(館山市)
もくろみ通り、桜は満開で、私は大いに気を良くしたのであった。
慈恩院
里見家の菩提寺で、9代義康の墓がある。
誰もいない境内で、私はサービスの甘茶を飲みながら、見事な枝垂れ桜を十分に観賞することが出来た。
頼忠寺
里見義康、忠義(10代)に仕えた家老堀江頼忠の菩提寺。
参道の桜のトンネルを抜けると本堂横に赤い旗が何本も立っているのが目に入る。
そこには、白抜きで「ぼけ封じ地蔵願王尊」とあり、思わず苦笑してしまう。
城山公園
城山は里見義康・忠義の居城跡。
この日は時間がなくて山には上らなかったが、館山城を見上げる里見茶屋前の広場で、桜景色を十分に
堪能することが出来た。
佐久間ダム湖のお花見
4月7日(木)、今日は鋸南町の佐久間ダム湖での「遊子の会」のお花見の日である。
場所取りと花見昼食会の準備の為、私とKさんご夫妻が先発隊として行くことになった。
8時15分頃、Kさん宅に到着する。Kさんの車ですぐ出発することになったが、車の中はお花見の為の道具類で
いっぱいで、まるで露店を出して一稼ぎに行くようである。
5日(火)の下見で決めた第一希望地(お花見会場)を確保できた。
そこは、広い平坦地・風除け・荷物の運搬・トイレ等を考慮して決めた場所である。
駐車場に止めた車から三人で荷物を運ぶ。
ブルーシート・座布団代わりの敷布やクッション・テーブル・懐かしい丸いちゃぶ台・水入りのポリ容器・鍋・
カセットコンロ・お湯を沸かすキャンプ用品・・・・・・・・・・etc
一通り道具類の配置が決まったところで、Kさんはコーヒーを入れてくれた。
お花見の準備完了
皆がやって来る前に、私はKさんと会場周辺を歩いてみた。
薄いピンク色の花が、平均すると7分咲きといったところであろうか。
ダム湖畔から小高い丘を上に行くほど雄大な眺めとなる。
お花見会場を丘の上から望む
35名が集まって花見昼食会が始まった。
先ず、主宰者YUさんの音頭で東日本大震災で亡くなられた方々に1分間の黙祷を捧げた。
続いて、初めてお目にかかる人(4名)・久し振りの人・最近仲間になった人が、それぞれ自己紹介する。
それから、YUさんの13~14日にかけてのバスツアー(甲州桃源郷&信州桜一色の旅)の話、SIGEさんの
釣り同好会、Mさんの料理教室、Kさんの山歩き同好会の活動予定の話が続いた。
材料費として300円が徴収されたが、昼食は色取り取りであった。
Kさんの奥さんの猪汁、SIGEさんのもつ煮をメインに皆が持参した食べ物が飛び交う。
最後のティータイムはMさん手作りの和菓子にKさんご夫妻がコーヒーや抹茶を入れてくれた。
ずっと曇り空であったが、最後になって日が差して来て青い空と薄いピンク色の桜の花のコントラストが見られる
ようになった。そして、和菓子と抹茶をいただきながらお花見気分を満喫したのであった。
昼食後、皆で小高い丘に上り集合写真を撮る。
かくして、Kさんご夫妻の大活躍で好評裏に佐久間ダム湖のお花見は終了した。
それから、カラオケ大好きなYUさんは希望者を募り、館山のカラオケ・シダックスでカラオケをやろうと言う。
カラオケでは、YUさんの音頭で最後に皆で「上を向いて歩こう」を歌ったのは良かったと思う。
ガーデニング~2011.3
今日4月9日(土)は、館山小学校6年1組の2回目の同級会のはずであった。
締め切り間近にどっと来た返信には欠席が多く、その理由としては地震と計画停電への危惧が読み取れた。
そこで、3月21日(月)、私は同じく幹事であるT君と話し合い、中止にすることを決めた。
いつか普段通りの気持ちの中で、再会したいものである。
現在の館山小学校 3月6日城山山頂より撮影
庭仕事
3月11日(金)の東北地方太平洋沖地震後、私は重い気分になり、逃げ込むかのようにひたすら庭仕事に励んだ。それは、草取りやこぼれ種から芽を出し成長した花を集めて植えたり、施肥等である。
今年もまた繰り返し芽を出す植物を見ると、強い生命力を感じ嬉しい気分になる。
今年は冬の寒さが厳しかった為か、開花が遅い。ネコヤナギ位しか見るべきものがなかったが、中旬になって
今年も咲かないかなと思っていたクリスマスローズを皮切りに、ムスカリやラッパスイセンが咲き出した。
ネコヤナギ 3月16日撮影
今年になってやっと咲いたクリスマスローズ ムスカリ 3月29日撮影
3月29日撮影 写真はクリックすれば大きなサイズで見られます。
下旬になると、春の日差しを受けて花々が色彩り鮮やかに咲き誇るようになった。
ラッパスイセンやチューリップ、パンジーは花が大きく一際目立つ。
スノーフレークやムスカリ、またヒイラギを取り巻くように植えたレンギョ、ボケ、ユキヤナギ、ニワウメは花が小さく
控え目だが、レンズを通して見ると中々風情がある。
スノーフレーク 3月29日撮影
ニワウメ 3月31日撮影
畑仕事
3月8日(火)、ジャガイモの植え付けをする。種イモはダンシャク3kgにメークイン1kgである。
今年は形が小さく、それぞれ4列と2列となった。予想より多くなった耕作面積に、夏野菜へのしわよせが心配だ。
3月24日(木)、初挑戦のキャベツを収穫する。このキャベツ、やたらと葉っぱが食われている。どうも鳥の仕業のようだ。急遽防鳥テープを張り巡らし、何とか球を収穫できたのである。
東京に住む娘の要請で、水やホッカロンと一緒に送ってやった。
キャベツ 3月28日撮影
この冬重宝したのがナバナとミズナ(キョウナ)である。下旬にはとうだちにより、花が咲き出す。
ナバナは現在勢いよく花が咲き乱れ、道行く人をも楽しませている。
かくして、私はガーデニングのお陰で重い気分を払い除けることが出来たのだった。
春の日差しに花が咲くミズナ 3月28日撮影
沼の里山~2011.3
3月11日(金)、私は庭で草を取っていた。疲れを感じたところで身体がグラグラッと揺れた。
てっきり脳梗塞などの前触れかと思った。しかし、二本の柿の木が揺れているのを見て地震だと気付く。
まもなく防災行政無線で、しきりと津波への警戒がアナウンスされる。
東北地方太平洋沖地震である。その後知る被災地の惨状には、私は言葉もない。
東日本大震災により被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
さて、15日(火)~17日(木)にかけて、私は多分に津波が押し寄せた時の避難先をさぐる意図もあって、
沼の里山を巡った。
我家の前には梅の植栽地がある。梅の花は終わりであったが、そこから見下ろすとやはり我家の前だが、
今は耕作されていない畑にハナモモが綺麗に咲いていた。
袋の掛かった枇杷のハウスを横目に沼の里山散策コースに向う。
ソラマメの畑にラッパスイセンが勢いよく咲いている。道沿いでサンシュユやアシビやネコヤナギに出くわす。
今年は、我家の庭の一番の訪問者はアカハラだが、沼の里山ではやたらとツグミが多い。
ウグイスの鳴き声を聞きながら散策道(農道)を進むと、久し振りにシロハラに出合う。
一回りしたところで沼のビャクシンを覗いてみた。樹勢回復作業で着生していた木々や込み入った枝が取り除かれて、樹を下から見上げると空が見えるようになった。
大木のビャクシンの根元の周囲には、ワラが敷かれ踏み固められないようにロープが張り巡らされていた。
これがプロの仕事かと感心すると共に樹勢の回復は間違いなしに思えた。
引き続いて、遠くから絶えず見える枇杷山の紅白の花木が気になって、枇杷山へとどんどん進んだ。
途中の民家では真紅のハナモモに出くわす。さらに沼地区に枇杷の栽培を紹介した法木さんのお宅まで上って行った。
枇杷山のハナモモ
後で知るのだが、枇杷山の紅白の花木はハナモモであった。かくして、沼の里山の早春はウグイスの鳴き声と
ハナモモという訳である。
17日(木)、津波の避難先を決めようとの私の提案に、妻は乗った。
館山市からの指定避難先は館山小学校と総持院(沼の大寺)となっているが、幼馴染のT君は天満神社が
いいだろう、と言う。実際に歩き回った結果、先ずは法木さんの近くの枇杷山ということで妻は納得したので
あった。
城山公園~かっこ舞
私にとって3月6日(日)~7日(月)は、まさに写真の日であった。
6日(日)の午前は、南総文化ホールでの「南総演歌のつどい」に出演した知人の山形美人を撮る。
照明で顔が白くなってしまい難しかったが、歌の終わり頃になって、ズームをきかせてアップにしたところ、
何とか堂々とした歌いっぷりを撮ることが出来た。
午後は城山公園山頂にある八犬伝博物館(館山城)前広場での神余(かなまり)かっこ舞保存会による
「かっこ舞}の実演会を撮る。
「かっこ舞」は、獅子頭の面を被った踊り手が小さな太鼓を腹につけて踊る雨乞いの踊りである。
踊りの内容は解らなかったが、館山城を背にしての演舞は中々の絵になる光景であった。
演舞の後半は南西の強風の中での熱演となった。
「かっこ舞」実演会の終了後、山の南側の斜面やその下の里見家九代義康御殿跡に広がる梅園に向う。
丁度見ごろな多様な品種の梅に出合うことが出来た。
続いて山の北側斜面に広がるツバキを見に行く。「ツバキの径」と呼ぶなだらかな傾斜の小道で約1200本と
いうツバキの様々な花を見ることが出来た。
ツバキの径 終盤の河津桜が一本混じっていた。
さらに、「ツバキの径」とは離れた場所だが、黒椿なる名前のツバキに出くわす。それは花の形がちょっと変わっていた。
翌7日(月)は、「遊子の会」では房大山の登山が予定されていたが雨で中止となる。
代わりに南房総市下滝田のギャラリーsfkでの吉野義朗さんの写真個展「春池物語」を鑑賞後、館山シダックスでカラオケに興じることになった。
吉野さんは、「遊子の会」の旅や卓球サークルでご一緒することがある人で、以前大山千枚田の個展を拝見した
ことがある。光の捉え方が見事で、その写真はもはやアートと言える。
今回の「春池物語」は、南房総市千倉町の小松寺前の池で撮影した写真であったが、ただただ感嘆するばかりであった。
私は到底アートの領域は無理なので、記録プラスアルファーの写真を目指しているのだが、吉野さんの写真を
拝見すると、それにはもっと強く絞る必要があるかな、と思った。
日枝神社の御神的神事と滝田城跡 (2)
我々は日枝神社の御神的神事を見学後、南房総市上滝田(旧三芳村)にある滝田城跡を訪れる。
そして、城跡を巡りながら里見ガイドであるYUさんとOさんから滝田城跡にまつわる話を里見正史と南総里見
八犬伝に分けて興味深く聞くことが出来た。
里見正史
コースは自然の地形を利用した要塞の形が見られるとのことで、農協そばから入り馬場跡から最高所の主郭跡と櫓台跡へと上り、その後展望台・伏姫八房翔天の像を経て滝田城跡駐車場へと下った。
途中、曲輪(くるわ)とか虎口(こぐち)等の城郭用語の立て看板に出くわし、それらが敵を迎え撃つ為の防御
空間であることをYUさんの説明で知る。
滝田城跡より犬掛古戦場方面を望む
滝田城は天文の内乱(1533年)の際の義豊派最後の拠点として徹底抗戦の場となったところ。
城主は一色九郎。
天文の内乱とは、里見義豊(四代)が海上支配に乗り出した叔父里見実尭(さねたか)と里見家の腹心正木通綱
に脅威を感じ、稲村城内で殺害した。
実尭の子、義尭は反撃に転じ翌年義豊を犬掛の合戦で討ち取った。義豊方として戦った一色氏は義尭によって
滅ぼされた。
かくして、里見家の権力は分家筋の義尭(五代)の手に握られた、というものである。
また、里見氏は十代170年間安房地方を支配したのだが、義豊以前の本家筋を前期里見氏、義尭以降の分家筋の流れを後期里見氏と呼ぶのだという。
上記は、YUさんの話と「房総里見氏」(NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム発行)を参考にして
書き留めた。
過日の1月15日、房日新聞に「里見氏をNHK大河ドラマに」と題した里見氏大河ドラマ化実行委員長里見香華
さんの寄稿が載った。それによると、大河ドラマのハードルは極めて高いが放映の目標は2014年とある。
もし、ドラマ化されれば、私はテレビで里見氏の歴史を勉強できるのである。
ぜひ実現して欲しいものである。
南総里見八犬伝
御神的神事が始まる前、日枝神社階段下の空地で、先ず南総里見八犬伝とはどんなものなのか、YUさんから
説明を受ける。八犬伝には房総の人でなければ知らない知名、人名が出てくるが、それは上総国長者町の
中村国香が執筆した「房総志料」によるもので、曲亭馬琴は一度も房総に足を踏み入れたことはない。 八犬伝は架空の物語であり、また、全編に流れるテーマは因果応報、勧善懲悪、言の咎(ことのとが)の三つであるとも言う。
以後、我々は城跡を巡りながらOさんから物語を聞かせてもらうのだが、三つのテーマと照らし合わせた解説は
興味を引くものであった。
馬場跡を少し行った犬掛古戦場方面を眺める場所では、八房の話。
一色九郎居城跡である主郭跡では、神余(じんよ)光弘を側室玉梓(たまずさ)と組んだ家臣山下定包(さだかね)が殺す。そして、神余光弘の家臣金碗孝吉(かなまりたかよし)が里見義実に助けを求めて、玉梓と山下定包を滅ぼすくだりを聞く。
Oさんは、八犬伝の複製本や資料パネルを持参しての熱弁であった。
主郭跡でOさんから南総里見八犬伝の物語を聞く
櫓台跡を下り、朱色の展望台と伏姫八房翔天の像前でOさんの話は続く。
里見義実が館山城主安西景連(かげつら)の攻撃にあい窮地に立たされ、八房に「景連の首をとってきたら
伏姫を嫁にやる」というたわむれの約束をする。
八房の働きによって戦いに勝利すると、約束通り伏姫は八房と富山の洞窟にこもって暮らし始める。
伏姫八房翔天の像
さて、八犬伝についての話はここまでだったが、「遊子の会」には他に二人の里見ガイドがいるという。
ぜひ、今回のようなガイドツアーを続けて欲しいものである。
これを機会に、私は里見正史や八犬伝について、見たり聞いたりしたことは、ブログ内に里見氏見聞録のテーマを
作り、そこに書き留めることにした。
日枝神社の御神的神事と滝田城跡 (1)
「遊子の会」では、3月1日(火)16名が参加して、増間日枝神社の御神的神事を見学後、「南総里見八犬伝」の
主要舞台である滝田城跡を訪れた。
私は、そこで厳かな神事と歴史浪漫を体験し、有意義な一時を過ごすことが出来たのである。
日枝神社の御神的神事
日枝(ひえ)神社は南房総市増間(旧三芳村)にある。
我々は増間ダム入口の駐車場に車を止め、フキノトウを摘みながら神社に向う。
境内は厳粛なたたずまいだ。
肌寒い曇り空の下、多くの観客とカメラマンが見守る中、御神的(おまと)神事は始まった。
境内の掲示板には、次のように記されていた。
「稲作などの豊凶を占う歩射(ぶしゃ)の神事。二人の射手(いて)によって約43m離れた鳥居の側から
早生(わせ)、中生(なかて)、晩生(おくて)に分けて矢を二本ずつ交互に三回十二本都合三十六本射る。
矢の当たり具合で、年間の天候、適種、豊凶を占う。」
43m離れた的の直径は2m
我々は、次の目的地である滝田城跡を訪れる為、早生の歩射が終わったところでその場を辞することになった。
駐車場への道すがらの会話。
私 ・・・・・一本しか当たらなかったねぇ~。
M&Nさん・・・・・地元の人の話だけれど、当たらない方がいいそうよ。
的の白い所に当たったら日照り、黒い所に当たったら虫食いということになるそうだから。
私 ・・・・・練習しないのかねぇ~。
M&Nさん・・・・・練習はしないそうよ。
私 ・・・・・ムムムムム
読者諸君、1300年も続く春の訪れを告げる伝統行事です。
???とは、大きな勘違いですぞ!!、占いはすべからく幸せでなくてはなりません。
しかし、気になる占いの結果(ご託宣)ですが、後日の房日新聞によれば「当たり矢が少なかったが、7、8月の
天候は良。平年作か、やや不作」とのことでした。 つづく

























































