「月の狩人」/現代人の好奇心と、森の人たち | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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ジクリト ホイク, 酒寄 進一
月の狩人―アマゾンでみたわたしだけの夢  

砂漠の宝 」がえらく面白かったので、同じ作者と訳書のコンビだし(出版社のシリーズもね)、と借りてきた。ところが、主人公の性別のせいか、その年齢設定のためか、砂漠の宝」とは違って、いまひとつ楽しめず。むーーー。少女物の方が、少年物よりも難しい気がしまするよ。

十六歳の少女シェバは、スペインマニアの父さん、「パブロ」(本名パウルのスペイン読み)の旅に同行する。それは、密林の奥深くに住む部族を訪ねる旅だった。どこからやって来たのか、誰も知らない少年、マヤク。彼はピラミッドが聳え立ち、木の上に立てられた家がある、密林の奥深くからやって来たのだというのだが・・・。

父さんが時に投稿する雑誌社から資金を得ての、南アメリカの小さなジャングル探検。メンバーは、父さんにカメラマンのジョニーにシェバ。更に現地に着いてからは、白人とインディオの混血のホワン。雲を掴むかのような話に思われたけれど、彼らは無事マヤクを探し出す。

当初は仲間の元に彼らを連れて行くことを拒否したマヤクであるが、シェバが偶然手に入れた木彫りのジャガーを見てからは、態度が変わる。そして、ここから本格的な河を遡る彼らの旅が始まる。

ジャングルのイメージであるならば、場所は違うけれど、古川日出男の「
13 」が強烈だったからか、この本のその辺のイメージは特筆すべきものはなく、インディオたちの言い伝えもどこかで聞いたことがあるというか、特に迫ってくるものがなかった。ってことで、この本の情景が楽しめなかったのが、いまひとつ楽しめなかった原因みたい。うーむ、こういう物語では、情景が肝だからなぁ。

唯一面白かったのは、メスティソのホワンと、生粋インディオのマヤクの違い。ホワンは洗礼も受け、神を信じるけれど、やはりこれまでの「迷信」とは無縁ではいられない。アヤママ鳥の鳴き声は死の予言。そして、それらの「迷信」はマヤクにとっては、この上もなく真実であるということ。

あ、あと、町の人々には忘れ去られた宣教師、エンリク神父の存在も面白かった。インディオが土地を変えるごとについていって、教会を建てて歩いた神父。日曜日にはミサをあげ、インディオにも分かりやすい言葉で祈る神父。シェバの言うとおり、インディオたちがミサに来たり、洗礼を受けるのは、彼らが自分たちの神や魔物を捨てたわけではなく、インディオの言葉を覚えて、みんなの世話をしてくれた神父を喜ばせたいからなのかもしれない。

シェバはマヤクと段々に心を通わせるようになるけれど、マヤクの部族で行われる、新月の夜の「月追い祭」において、悲劇が起こる。インディオたちの中に溶け込んだエンリケ神父の生き方と、シェバや父さん、ジョニーたちの生き方は、悲しいまでに異なるんだよな、やっぱり。

表紙絵は出ませんが、ルソーの「蛇遣いの女」です。
副題に「アマゾンで見たわたしだけの夢」とありますが、この題から想像するようなメルヘンチックな物語ではありません。